スネイプ先生に開心術!!
スネイプ先生への愛を語っています。作品の解説ではありません。7巻ネタバレしています。
母親の価値観
2009年11月15日 (日) 16:56 | 編集
ホグワーツ入学前のセブルスはマグルの社会に暮らしながら、既にマグルに対する偏見や軽蔑を持っていました。
それは子どもの心に自然に生じる類の価値観ではないと思います。

魔法力のたくさんあるリリーに対しては強い憧れを示しながら、全く魔法の力の無いペチュニアに対しては明らかに違う口調で『マグル』呼ばわりをするセブルス。
それはアイリーンの口調であり、価値観なのだろうと推察します。
自分の体験から見ても、母親の価値観というのは、子どもに(特に小さいうちには)強く影響を与えるものだと思うので。
だったら、アイリーンはなぜトビアスと一緒になったのでしょう。
元々は好きで結婚し、結婚したトビアスが妻に暴言を吐くようになってから、アイリーンはマグルを軽蔑するようになったのならわかります。
最初からの価値観では結婚には至らない気がします。
いずれにしても、息子にそのような価値観を植え付ける妻も、同じ価値観を内に持つセブルスも、トビアスが気に入るわけがないと思います。
そこで喧嘩になり、妻を怒鳴りつける。
セブルスはそんな暴力的な父親=マグルだと思ってしまい、偏見を深めていったのかもしれません。悪循環です。

セブルスが入学前からホグワーツやスリザリンへ憧れていたのも、母親譲りではないかと思います。
ホグワーツから手紙が来ることを「絶対だ」と確信している様子をハリーは印象深く見ています。
また、入学時のホグワーツ特急内で「だけど、僕たちは行くんだ!」「とうとうだ!僕たちはホグワーツに行くんだ!」(7巻33章p.424)
と言うセブルスのその興奮を抑えられない様子に、泣いていたリリーでさえ微笑んでいます。
そのように希望に満ちていたのは、ただ別な世界に逃げ出したかったからではなく、そこが素晴らしい世界であるとの認識があったからだと思います。それは、母親の生き生きとした説明があったからこそではないかと私は考えています。

お母さんの価値観が染みついた子ども時代のセブルスを誰が責められるでしょう?魔法使いの家に育った子は、ドラコもジェームズもみんな親の価値観そのままではありませんか。シリウスが違うくらいで。
親から聞かされたことを信じた素直な子が、スリザリンを強く希望してそこに振り分けられたとしても(本人の選択が影響しますよね)、「だから狡猾だ」、とは言えないと思うのです。(ますます組分け帽子の意味がわからなくなります)
純血主義のスリザリンにおいて、マグルに対する差別意識など修正されるはずもなく、そのままマグルを「穢れた血」と呼ぶことを誰が責められるのでしょうか。
むしろ、マグル出身が圧倒的に少ない寮が生じるような、そのような組分けを許してきた学校側に問題があるような気がします。新しい価値観が生まれようがないと思うのですが。

結局、手酷いしっぺ返しをくらい大事なものを失ってからスネイプ先生は変わっていきました。その変化の一因に、先生としての体験から来るものもあったのではないかと私は思っています。
様々な経験から人は学んでいくものです。
絶交するのは早すぎた気がします。

私としては、スリザリン寮で流され気味だったことを責めるより、まだしっかり母親の価値観に染まっている時点で、リリーを傷つけまいとして、「何か違うの?マグル生まれって」(7巻33章p.417)と聞かれて躊躇し「何も違わない」と答えたり、ペチュニアのことを「あいつはただの―」(7巻33章p.424)と言いかけながら素早く自分を抑えたセブルスの優しさの方を高く評価したいです。
無意識の動作
2009年10月21日 (水) 21:12 | 編集
二つ目の記憶の中、学校外で魔法を使ってはいけないこと、ホグワーツから入学案内の手紙が来る話、マグル生まれには学校から誰かが説明にくること、などをセブルスはリリーに話して聞かせていました。
その後、リリーがセブルスの家の様子を聞くと、セブルスは眉間に小さな皺を寄せながらも、「大丈夫だ(Fine)」と答えました。
続けて両親について質問するリリーに、セブルスは答えながら、無意識のうちに木の葉をつかみ取ってちぎり始めました。

この場面、最初は木の葉をちぎるセブルスの動作の可愛さばかりに目が奪われていましたが、このタイミングで木の葉をつかみ取った心理がどんなものだろう?と考えると、胸が痛みました。
何か、彼の中で葛藤のようなものがあったのかもしれないと思って。

人との会話中に無意識で物をいじる動作に、どんな意味があるのか私は知りませんが、自分の経験では、ちょっと正面から相手を見られないような状況とか、上手く言えないことをなんとか伝えようと言葉を選んでいる時などに、そんな状態になるような気がしています。

両親が喧嘩ばかりしているのに、「大丈夫」と言うセブルス。
いつも自分にそう言い聞かせて納得しようとしているからなのか、リリーに心配をかけまいとしているからなのかわかりませんが、実際はむしろ全然大丈夫ではないことを、眉間の小さな皺や木の葉をちぎる指先が証明しているようで、とても切ないです。
本当になんていじらしい少年だったのでしょう!

この後、話題が吸魂鬼のことに移ってもこの動作は続きます。
学校外で魔法を使ったら、吸魂鬼に連れて行かれるのではないかと心配するリリーに、吸魂鬼に引渡したりしない!吸魂鬼は本当に悪いことをした人のためにいる、と説明しながら、リリーについて何か言いかけ赤くなったセブルスは、さらに葉っぱをむしりました。
ああ。ここは本当に可愛いです。
この時は、別な意味での葛藤があったのではないでしょうか。
しかし、言えなかったようですが

無意識で葉をむしるなんて、今まで見てきたスネイプ先生からはとても想像がつかない行動です。
でも、大人になってからも、状況によってはそんな場面が見られたかもしれません。私だって今も無意識に同じようなことをやっていますから。
大人スネイプ先生なら、いじるのは杖とか?ローブの一部とか?
想像するとドキドキします。
あ、もしかして、もう少し先の記憶、ハリーが入学して間もない頃と思われる場面で、「凡庸、父親と同じく傲慢、〜」などとハリーの悪口を言うスネイプ先生、ダンブルドアの前を往ったり来たりしてましたけど、これって同じ感じじゃないでしょうか?

それから、ヴォルデモートが、32章で杖をもてあそんでいました。
ちょうど、叫びの屋敷にスネイプ先生を呼び出して、スネイプ先生がやってきたばかりと思われる頃。
まだ二人の会話が始まる前、というかハリーが耳にする前、隙間から覗きこんでハリーが見たヴォルデモートは、杖をもてあそんでいました。
スネイプ先生に死を宣告する前、ヴォルデモート本人はもちろん、作者すら気付かないようなわずかな葛藤があったことを願います。

家路
2009年10月07日 (水) 22:00 | 編集
日記の方で、夕方のチャイムについて書いていたら、なんだかもっと語りたくなってきました。
ホグワーツ入学前のセブルスは、夕方、どんなタイミングで家に帰ったのだろうかと思うと、居ても立ってもいられない気持ちになってしまって。

入学前にリリーと家の近所で過ごした記憶は、最初のものと二番目のものしかありません。
そのどちらにも、怒ったリリーが目の前で踵を返すようにして去っていく姿がありました。
でも、この場面以外にも二人が一緒に過ごした形跡があります。
例えば、ペチュニアの部屋に二人だけで入ったとか、ホグワーツやディメンターについて既にリリーに教えてあったとか。
そのように誰にも邪魔されずに二人で過ごせた時間は確かにあったわけで、その時彼らはどんな風にそれぞれ家路についただろうか、と想像しました。

イギリスに帰宅を促すチャイムはなくても、教会の鐘が定時になることはあったかもしれません。それとも、母親が呼びに来たのでしょうか。
確か、そんな場面が映画にはあった気がします。
そんな時リリーは、無邪気に帰宅の途についたのではないかと想像しています。温かくて美味しい食べ物が乗った、家族で囲む食卓目指して。
セブルスの方は、すぐに家に帰る気はなくて、けんか別れではなくてもやっぱりリリーを見送る形になったのではないかと思いました。
リリーも一度くらいは振り向いたかもしれませんが、すぐに心は家に向かってしまう気がします。一方、セブルスの方はリリーが見えなくなってもその方角を見ているイメージです。

初めて言葉を交わしたあの公園で、夕方一人でリリーの後ろ姿を見送るセブルスの姿を想像すると、不憫でたまりません。
そして、暗くなるまで一人で遊んでいる姿はなおさら切ないです。
そんなセブルスを家路につかせるきっかけは何だったのでしょう。
一番星か、空腹か、肌寒さか。
あの気難しそうなお母さんが、心配して呼びに来てくれていたら一番良いのですが……。

A little smile
2009年10月03日 (土) 22:46 | 編集
二つ目の記憶の中、セブルスが木の茂みの中でリリーと二人だけで話をしている時にこんな場面がありました。

「セブルス?」
リリーに名前を呼ばれたとき、スネイプの唇が、微かな笑いで歪んだ。(7巻33章p.418)
‘Severus?’
A little smile twisted Snape’s mouth when she said his name. (UK版p.535)


この部分を最初に読んだ時の驚きといったらありませんでした。
今まで、何度もスネイプ先生が唇を歪めて笑う姿を見てきましたが、これほど幸せそうだと感じたことはなかったからです。
誰か(ジェームズやハリーなど)の優位に立った時に見せる嘲笑ではなく、内から溢れる喜びを隠しきれないような幸せな微笑みがとても嬉しかったです。
喜びの表現にしてはあまりにささやかなところが、不器用な彼らしくて切ないけれど、私には本当に輝いて見えました。

最初の記憶とこの二つ目の記憶の間に、どれだけ二人だけの時間を過ごしただろうか、とは前回書きましたが、少なくともこの間にリリーの前で名乗った場面があったのだろうな、と想像しています。やっぱり赤くなって名乗ったのでしょうか。可愛すぎます。

イギリスにおいて、ファーストネームで呼ぶことにどれほど親愛の情があるのか私にはわかりません。
特に子どもなら、誰しもそう呼ぶのでは?と思いながら、ペチュニアは呼びかけではないにしても、あくまで、「スネイプって子(Snape boy)」「あの子(that boy)」と表現していたことを思うと、やはりある程度親しい関係にあってこその呼び方ではないか、という気がします。(5巻2章でペチュニアは大人になってからも、セブルスのことを「あのとんでもない若造(that awful boy)」と呼んでいました)
少なくとも、セブルス自身は親愛の情を感じたからこそ、嬉しそうな顔をしたのではないかと思います。
5巻28章の5年生のリリーとジェームズが互いに「ポッター」と「エバンズ」とファミリーネームで呼び合っているのを見ても、、やっぱり「セブルス」は特別な感じがします。
また、後に、呼び方が「セブ」になっていますが、それも初めてそう呼ばれた日も、きっと口元を歪めたのではないかと想像しています。

自分に対する親愛の情を感じて嬉しいと思うセブルスは、私がそれまで想像していたような人間不信の少年ではありませんでした。
人を愛することも愛されることも素直に喜べる人だとわかって、本当に嬉しかったです。
そして、セブルスにそんな幸せそうな顔をさせることができたリリーに、嫉妬しながらもとても感謝しています。


ところで、この後、セブルスは「何?(Yeah?)」と答えています。
「何?」だとちょっとわかりにくいのですが、Yesではなく、Yeahなところが、また親密な感じでとても好きです。そもそも、今まで見てきたスネイプ先生からは、このように口語を使う姿はとても想像できませんでした。
リリーの前では手足を伸ばしてすっかり寛いだ様子からも、本当に心を許していたのだと感じます。
輝く川が幹越しに見える木の小さな茂みは、二人の基地だったのでしょうか。こんなに居心地が良さそうな姿を、もっとたくさん見たかったです。
この幸せな時間がずっと続いて欲しかったです。


余談ですが、Stephen Fry氏が朗読する7巻のオーディオブックの‘Yeah?’はとても素晴らしいです。
とっても嬉しそうに、優しい甘い声で言うんです。
それまでのスネイプ先生の姿からはとても想像できないとろけるような甘さに、私は悩殺されました(笑)
機会があったら、聴いてみてください。
二人の時間
2009年09月10日 (木) 20:57 | 編集
二番目にハリーが見た記憶は、木の茂みの中に座ってリリーと穏やかに会話するセブルスの姿でした。

この二人、まだホグワーツに行っていないどころか、入学の案内を受け取ってもいないければ、まだ11歳にもなっていないようです。
二人が11歳になるのは共に1971年の1月ですから、その前の年10歳の夏(服装から)でしょうか。

最初の場面のセブルスを、ハリーは9歳か10歳と見ているので、出会ってからまだ2,3週間〜2,3ヵ月しか経っていないか、さらに1年くらい経っているのかよくわかりません。
いずれにしても、この時二人はだいぶ親しくなっていると思われます。

最初の出会いで「魔女」と言われて怒ったリリーも、この時はもう魔法の存在を受け入れています。
初回は全く相手にしないかのように、睨みつけて去って行ったリリーですが、既に「ホグワーツ」「吸魂鬼」の言葉を知っているし、ふくろうが手紙を運んでくることも知っているようです。
あの日家に帰ったリリーは、セブルスの言葉を反芻し、今までの自分を振り返って、思い当たる節が多々あることに気づいたのではないかと思います。
半信半疑のリリーは、再びセブルスと会った時、ストレートに疑問をぶつけ、結局彼を信じることになっていったのだと想像しています。

また、リリーはセブルスの両親の不仲まで知っています。
これは、セブルスが話したということだと思います。
5巻で見た記憶の中の、怒鳴る父と縮こまる母の居る部屋の隅で泣いていた小さな少年の姿を思い出します。あれは、日常茶飯事だったのですね。
誰にでも話せる内容ではなかったと思います。その状況を語る人が出来たことで、心の重荷を少しでも軽くすることができたのでしょうか。
リリーに対して本当に心を開いていたことが感じられる場面です。

二人がここまで距離を縮めるまで、二人の間にどれほどの会話がなされたのでしょう。ペチュニアがその場に居ると、話の腰も折られそうですから、きっと二人だけで話す時間は、何度かあったのだと思います。
魔法のことも魔法界のことも何も知らないリリーが、それを信じるに至った経緯を考えると、その間何度もセブルスが話して聞かせ、リリーが興味を持ってさらに聞き、納得することを重ねていった姿が浮かびます。
それはつまり、セブルスが過ごした幸せな時間の長さを示すことになると思います。

「こんどは、どっちがスパイだ?」(7巻33章p.419)
‘Who's spying now?’(UK版p.536)
という会話の内容から言って、最初の出会いからそれほど時間が経っていない印象、長くても何ヶ月レベルの気がしますが、ここはできるだけ長い時間を一緒に過ごし、二人はゆっくり距離を縮め、絆を強めていったと考えたいです。
この後も、ペチュニアの部屋に二人で入り込んだというエピソードがあります。その行為自体は決して褒められるものではありませんが、入学前に誰にも邪魔されない二人だけの輝くような時間を、たくさん過ごしていて欲しいです。

口下手
2009年08月31日 (月) 22:57 | 編集
リリーの前のセブルスは、言うこともやることも全て裏目に出ているようで、見ていてとてもはらはらします。

自分の力の正体を知らないまま魔法で無邪気に遊ぶリリーを、灌木の陰から覗いているセブルス。
その力を不思議がるペチュニアの「どうやってやるの?」という質問に、セブルスは「わかりきったことじゃないか」(7巻33章p.412)
‘It’s obvious, isn’t it?’(UK版P.533)
と、ついに堪え切れなくなって飛び出しました。
飛びたしたものの赤くなって落ち着きを失っているセブルスに、リリーが説明を促します。
セブルスは、「きみは……きみは魔女だ」(7巻33章p. 413) ‘You’re…you’re a witch,’(UK版p.533)
と答えました。

私はこの部分、知らない男の子にいきなり魔女などと突拍子もないことを言われてリリーが腹を立てたのだと思いましたが、witchには、意地悪な女、いやな女という意味があるのだと、みちえさんのブログで知りました。
初対面でいきなり、「おまえはいやな女だ」と言われたら(と思い込んだら)、誰だって怒りますね。
その後「違うんだ」(‘No!’)と言って追いかけているところを見ると、誤解されたことをセブルス自身も瞬時に理解したのだと思います。

誤解を解こうと、リリーが文字通りの魔女であること、自分の母親も魔女であること、自分自身も魔法使いであることを話すセブルス。
しかし、どうやら子どものころから「まとも」だったらしいペチュニアの前で言ったのは逆効果だったようです。
真っ赤な顔をして追いかけてきて、魔女だとか魔法使いだとか説明する男の子に対するペチュニアの不信は募ったようでした。
「マグル」発言には侮蔑的な調子もあったのでしょう。言葉の意味を知らなくても怒ったペチュニアは、リリーを引き連れて帰ってしまいました。
リリーも去り際に睨みつけていくし、第一印象は散々だったようです。

去っていく姉妹をじっと見るセブルスに、ハリーは失望を感じ取り、しばらく前からこのときのために準備をしていたことを理解します。(これはハリー視点ではありますが、スネイプ先生の死を見てからのハリーには、今までのような憎しみのフィルターがかかっていないようなので、ハリーが感じた通りだと解釈してよいのではないかと思っています)

私にとって意外だったのは、このときのために、セブルスがしばらく前から準備していたのに上手くいかなかった、ということです。
大人のスネイプ先生は用意周到というイメージが私にはあって、準備していたものが失敗に終わるとはとても思えなかったのです。

上手くいかなかったのは、子どもだったから、計画が不十分だったということでしょうか。
確かに姿を現したことを後悔していたセブルスを見ると、当初はリリーが一人の時を狙って(笑)、姿を現す計画だった可能性もあると思います。
でも計画自体に問題があるというよりは、会話のキャッチボールが上手くいっていないことに原因がある気がします。
次の記憶の場面では、ペチュニアを泣かせてリリーの怒りを買っています。本当に傷つけられたのはセブルスの方なのに、制御できなかった魔法を責められて、嘘をついて……、と全く歯車が噛みあいません。
さらに後の場面では、付き合っている友達のことでリリーと議論して、ジェームズの話題になった時も支離滅裂でした。

自分の気持ちを相手に伝えることが苦手なのだと思います。
論理的な思考の持ち主なのに、こと自分の気持ちとなると、相手にわかるように伝えられないのだと思います。特に好きな人に対しては、これほどまでに見る者をやきもきさせるほどの口下手だったとは!
でも、伝わらないとすぐに諦めてしまうのではなく、追いかけてまで説明したり、色々な言葉で説明しようとしたり、とにかく伝えようと努力していたことが各場面からわかり、強く胸を打たれました。
自分の気持ちを抑え込む人、というイメージが私にはあったのですが、自分をわかって欲しくて努力する少年だったのですね。
この努力、どこかで報われて欲しかったです。

この記憶で、ハリーが目にした苦い失望を噛みしめるセブルスの姿を、きっとリリーは知らないと思います。
後の場面での、ペチュニアを泣かせてリリーを怒らせみじめな混乱した顔で見送る姿も、『穢れた血』と発言したことをなんとか弁明しようともがく姿も。
そう思うと、他の場面でも、見えないところでスネイプ先生がどんな表情をしていたのか気になります。シリウスを逃がされて逆上して去っていった後とか、ダンブルドアの殺害の依頼を受けた後の顔とか。
その時だって気持ちを伝えようと努力していた、と今になって思います。
そしてやっぱりその努力は報われなくて。
伝わらなかった想い(あえて無視された想いも含めて)は、大人になってからも、たくさんあったのではないかと思います。
つくづく不憫です。

最初の出会い
2009年08月22日 (土) 21:21 | 編集
スネイプ先生が遺した記憶の最初の場面は、遊び場でペチュアと遊ぶリリーの前に初めて姿を現した日の様子が示されていました。
でも、その前から、セブルスは一方的にリリーを知っていたと思われるいくつかの記述があります。

「きみは魔女なんだ。僕はしばらくきみのことを見ていた。」(7巻33章p.414)‘You are a witch. I’ve been watching you for a while.’ (UK版p.533)

また、ハリー視点でもこう書かれています。

〜そして、スネイプがこのときのために、しばらく前から準備していたことを理解した。(7巻33章p.414)~,and understood that Snape had been planning this moment for a while, (UK版p.533)

いつからかわかりませんが、ある日リリーを知り、それからしばらく気付かれないように見ていたのだと思います(汗)

一方的な出会いの場所はやはり、この遊び場だったのでしょうか。
ここは、スピナーズ・エンドからは離れているようです。
この記憶の遊び場に立ったハリーが、煙突を遠くに見ているからです。

遠くに見える家並の上に、巨大な煙突が一本そそり立っている(7巻33章p.411)A single, huge chimney dominated the distant skyline.(UK版p.532)

distantは、距離的に(非常に)遠い(ジーニアス英語辞典)との意味があるので、結構遠くにあるのではないかと思いました。煙突が大きいから見えてはいるけれど。
一方、スピナーズエンドからは煙突は上に見えています。

あのそびえ立つような製糸工場の煙突が、巨大な人差し指が警告しているかのように、通りの上に浮かんで見える。(6巻2章p.35)~,over which the towering mill chimney seemed to hover like a giant admonitory finger.(UK版p.27)

スピナーズ・エンドから、幼いセブルスは一人でぶらぶら歩くうち、なんとなく遊び場にたどりつき、なんとなく一人で遊んでいて、偶然リリーの魔力を目にしたのでしょうか。
7巻を読むまでは、家の中に籠りっきりで本ばかり読んでいる少年を想像していたので、少し意外でした。
もっとも、これが外界への興味に因るものなら、ですが。家に居るのが嫌で、彷徨い出たのだとすると、それほど意外でもありません。

リリーもペチュニアもセブルスを初めて見たような様子でした。
最初は、セブルスが人気(ひとけ)のない遊び場で、一人で遊んでいたところに姉妹がやってきたので、慌ててこの記憶の場面のような灌木の茂みにでも隠れたのかな〜などと想像しています。
どうも、誰とでも積極的に交流する子ではなかったような気がします。
隠れて見ていて、リリーの力に気付いたのではないかと思います。
見るともなしに見て気付いたというよりは、交流下手でありながらも他人への興味はあって観察していた、というのが今の私が考える幼いセブルス像です。好奇心は幼いころから強かったと思っています。

どれほど興奮したことでしょう。自分だけでなく、魔法の力を持った同じ年頃の子が居ることを知って。しかも、その魔力の強さも相当なものだと知って。このとき、初めて誰かと交流したいと思ったのではないかという気がします。

それがいつだったのか、見当もつきませんが、5巻でちらりとのぞいたスネイプ先生の記憶の中で泣いていた少年の頃 、父親と思われる鉤鼻の男が、縮こまった母親らしき女性を怒鳴りつけている部屋の隅で泣いていた頃よりは、後であって欲しいと思っています。
リリーの存在を知って以降、いがみ合う両親に心を痛めてはいても、心の支えとなるような希望の灯がともった、と思いたいので。
家庭
2009年08月12日 (水) 22:14 | 編集
スネイプ先生の記憶に入ったハリーが見た、セブルス少年の外見は、かなり具体的に描かれていました。

痩せた男の子が、(中略)じっと二人を見ていた。男の子の黒い髪は伸び放題で、服装はわざとそうしたかと思えるほど、ひどくちぐはぐだった。短すぎるジーンズに大人の男物らしいだぶだぶでみすぼらしい上着、おかしなスモックのようなシャツを着ている。(中略)せいぜい九歳か十歳のスネイプだ。顔色が悪く、小さくて筋張っている。(7巻33章p.411)
また、細い顔(thin face)という描写もありました。

気になるのは、痩せて(skinny)、顔色が悪く(sallow)、小さく(small)、筋張っている(stringy)ことです。
skinnyは、ただ痩せているというのではなく、痩せこけた、骨と皮ばかりの、という意味のようです。
sallowは、大人になってからも散々スネイプ先生を形容するのに使われた「土気色」で、だいたいが病的な顔色の悪さを指すようです。
stringyは、痩せて筋張ったということらしいです。筋張るとは、筋肉が表面に張り出るということですが、筋骨隆々というよりは、脂肪がないために筋の走行や腱や血管が見えているという状態を言っているのではないかと推察します。
9歳か10歳の子どもが骨と皮ばかりで、病的に顔色が悪くて小さいというのは、とても心配なことだと思います。

ちなみに、1巻最初のハリーも、skinny、small、thin faceなどと表されていました。同じ単語でも、日本語では「小柄でやせていた」「細面(ほそおもて)の顔」、などと表現されていましたが。
一度もお腹いっぱい食べたことがなかったと言っているハリーと似ている、あるいはそれ以上に貧弱な体形のセブルスは、同じような食生活だったのではないかと考えます。いえ、sallowがある分、性質(たち)が悪い気もします。
もっとも、その後もずっとその顔色だったので、そういう体質だったとも考えられるし、本当に何か病気を抱えていたのかもしれません。

十分な食事を与えられていなかったかのようなセブルス少年はまた、他の点でも十分構ってもらえていなかった印象があります。
髪の汚れが目立った(dirty-haired)という表現です。9歳か10歳だからそれほど脂ぎってはいなかったのかもしれませんが、dirtyという表現に不潔で汚れた様子がうかがえます。ああ。

服装のちぐはぐさについては、私は母親のアイリーンが魔女であるために生じる間違いだと考えています。ちょうど、6巻でゴーントの家を訪れたオグデンが「不慣れな魔法使いがマグルらしく見せるために選びがちなちぐはぐな服装」(6巻10章p.301)をしていたのと同じように。
貧しいためにあり合わせの服を着せたという事情もあるかもしれませんが、ダドリーのお下がりばかり着ていたハリーですら「ちぐはぐ」と感じるくらいですから、『不慣れな魔法使い』の要素はあったと思います。

とりあえずマグルと結婚しているために、男性はズボンを穿くことは知っていてジーンズを穿かせたのだと思います。そうでなければ4巻のクィディッチワールドカップを観戦する前キャンプ場で見たアーチーのように、ネグリジェなどをローブ的なものとして着せられたかもしれません。
そして、おかしなスモックこそ、アイリーンがローブ的だと妥協できるぎりぎりの選択だったのではないかという気がします。さらに、大人の男物の上着はマント的なものとして着せたのではないかと思うのです。
父親のトビアスはマグルですから当然この奇妙な格好に気づきそうですが、きっと息子への無関心から、それを指摘しなかったのだと思います。

アイリーンも特にマグルに馴染もうとしてはいなかった気がします。
だからこそ、スピナーズ・エンドから少し離れて暮らすペチュニアもスネイプという名前を知っていたのだと思います。ちょっと常識から外れた行動をする一家の名前として。
アイリーンもまた、マグル社会の中で孤立していたのだと思います。

ちぐはぐなのが魔法使い的誤りだったとしても、場面が変わっても同じ服装だったのは、構ってもらえていない証拠だと思います。次の場面では上着こそ脱いでいましたが、同じ奇妙なスモックを着ていました。
ホグワーツ特急に乗る前の服装の描写はありませんが、乗ってからの
すでに学校のローブに着替えている。たぶんあの不格好なマグルの服をいち早く脱ぎたかったのだろう(7巻33章p.423)
という描写から、プラットホームまではいつものスモックと短いジーンズを穿いていたのだと思います。
髪は伸び放題で汚れていたり、不揃いに切られていたり、大人物の服を着ていたり、いつも同じ服で季節に合っていなかったり。この描写を読むと、私はハックルベリー・フィン(母を亡くし父も行方不明のたホームレスの子)を思い出します。両親が一緒に住んでいるというのに……。
虐待と言っても過言ではないと思います。

両親は喧嘩ばかりしていたようです。それは、5巻で垣間見た過去の様子からも薄々感じられることでした。
父親が母親を怒鳴りつける部屋の片隅で泣いていたり、両親の様子をリリーに聞かれて眉間に小さな皺を寄せたりしたセブルスは、幼いころからその状態に心を痛めていたのだと思います。
家庭が、心から寛げる場所でなかった様子なのが本当に気の毒です。

十分構ってもらえず、両親の不仲に心を痛めていた幼いセブルスが、ホグワーツ(魔法界)に強い憧れを抱いていたのは、別な世界に救いを求めているようにしか見えないのが、不憫で不憫で仕方ありません。

合言葉
2009年07月29日 (水) 21:54 | 編集
叫びの屋敷を出たハリーは、城に戻り、校長室を目指します。
途中、大広間に横たえられたフレッドやルーピン、トンクスの亡骸を目撃し、自分のために死んだと激しく動揺、心を引き抜いてしまいたいと思いながらハリーは走り続けました。スネイプ先生の最後の想いが入ったクリスタルのフラスコを握りしめて。
校長室を護衛するガーゴイル像に合言葉を聞かれて、ハリーが反射的に叫んだ「ダンブルドア」は、本当に正しい合言葉でした。

ここは何度見ても胸の詰まる場面です。
合言葉に「ダンブルドア」という言葉を選んだ、スネイプ先生の胸中を思うと、息苦しくなってきます。
校長自身がこの場所を通る際に、合言葉を言う必要があったかどうか定かではありませんが、ダンブルドアが存命中、自分の好きなお菓子の名を合言葉に使っていたことを考えると、やはり校長本人も言っていたのではないかという気がします。喜んで口にしていた言葉だったのではないかと思います。


校長室の合言葉は、通常、生徒たちには知らされていないようです。
ハリーが2年生で初めて校長室に入った時はもちろん、その後4年生であてずっぽうで言ってみた時も知らなかったわけです。
6年生で個人授業を受ける際には、合言葉も知らされましたが、つまり、やたらに生徒に教えるわけにはいかない言葉だったのだと思います。
かつてマクゴナガル先生やアンブリッジが合言葉を言っている場面があったり、トレローニー先生が校長室に居た場面があったことを考えると、ダンブルドアの時代は教員は一応皆知らされていたのではないかという気がします。

でも、スネイプ先生の場合、教員全員に教えていたかどうか疑問です。
教師ではあっても死喰い人のカロー兄妹には知らせていなかったような気がします。スネイプ先生自身、あの空間を汚されるように思ったかもしれませんし、歴代の校長たちも嫌がりそうです。
もしかしたら、誰にも教えず、すべての伝達事項は職員室でのみやり取りされていたかもしれません。カロー兄弟だけに知らせないのは不自然だし、実際、スネイプ先生の真意を知る人は誰もおらず、教職員の誰とも二人だけで話すような必要はなかったでしょうから。
全てを一人で抱え込んできたのですから、むしろ誰も校長室に入れるわけにはいかなかった気がします。
そもそも、ヴォルデモートの腹心を演じるスネイプ先生が、ダンブルドア側であることがバレるような言葉を教えるはずないと思います。

でも、ダンブルドアを信頼し、ダンブルドアを心の拠り所とするハリーのような人なら、本当に中に入りたいと、この場に立った時、合言葉がわからず途方に暮れた時、一度は口にしてしまう言葉だということを、スネイプ先生はわかっていた気がします。
こんなに急に死ぬことになろうとは、スネイプ先生も計算外だったと私は考えているのですが、それでも、いつハリーや騎士団員が入ろうとしても、対応できるようになっていたのではないかという気がします。
誰にも教えずにいて、それでいて真にダンブルドアを求める者は入れるような仕組みだったと思います。

また、ホグワーツを去る日が近いと悟ってから「ダンブルドア」を合言葉にしたのではなく、校長に就任した時から変わらない言葉だったのではないかと私は考えています。でなければ、ジニーやネビルやルーナが簡単に校長室に忍び込めるはずありません。
入り方のわからなかった3人が「ダンブルドアだったら」とか「ダンブルドアの時は」などと会話して、偶然開いたのだと思います。

そして、ダンブルドアが自分の好物を合言葉に使っていたように、スネイプ先生自身もこの言葉を口にしたかったために、合言葉に決めたようにも思えます。真にダンブルドアを求める者として、心の拠り所として。
それに、ダンブルドアの死後も、何度だって声に出して呼びかけたかったのだと思います。肖像画にも面と向かっては言えない素直な気持ちで。そんな姿を想像しています。

ハリーを始めダンブルドア側にいる人の行動を考慮した上で、ダンブルドアに忠実でダンブルドアを愛する自分の想いも込めた言葉だったと私は思っています。
先へ
2009年07月05日 (日) 16:50 | 編集
初めて原書で7巻32章を読んだ後、33章を読み始めるまで数日かかりました。とにかくスネイプ先生の死が辛くて、もう物語の結末など、どうでもよくなってしまったのです。

スネイプ先生が遺した物がなんであるかは、私にもわかっていました。
でも、そこにあるのは過去の幻に過ぎず、スネイプ先生の生きた姿を見られないのなら、却って虚しくなるばかりだと思いました。
それに、私が先を読み進めることは、そこにスネイプ先生の遺体を置き去りにしていくような感覚がありました。
私は、ハリーの冒険に付き合うことなく、いつまでも32章に留まって、ずっとスネイプ先生の傍に居たかったのです。
きっと、次の章でハリーたちは、スネイプ先生を置いていくでしょう。
ワームテールをマルフォイ家の地下に置いてきたように。
ついさっき、フレッドですら、置いてきた彼らですから。
ハリーは前に進むしかないのですから。
ハリー視点で見ている以上、次の章に進んだら、私もハリーと一緒にスネイプ先生の遺体を置いていかなければなりません。薄暗い叫びの屋敷の冷たい床の上に……。
そうすることは、身を切られるほど辛いと思いました。
それでも、スネイプ先生が何を考え、どんな志と苦しみを持っていたか知りたい気持ちがついに勝り、結局、続きを読み始めたわけですが。
そして、今ここで、32章から離れて、次の章に進むことも、とてもとても辛いのですが、私の中でスネイプ先生が安らかに眠るためには、先に進んでその方法を探すしかないので、進みます。


私の想像とは違い、ハリーはすぐには立ち去らず、スネイプ先生の傍らにひざまずいたまま、その顔をじっと見ていてくれました。
ヴォルデモートの声がタイムリミットを告げなければ、ハリーはもうしばらくそばに居てくれたかもしれません。それとも、結局同じタイミングでハーマイオニーが冷静に「城に戻りましょう」と声をかけ、彼らはその場を後にしたでしょうか。

この時、ハーマイオニーは、スネイプ先生の亡骸(body)をちらりと見てからトンネルの入り口に向かっています。
今までずっと、単に「スネイプ」と表現されていたのに、この時突然、「Snape's body(スネイプの亡骸)」と、物のような表現をされたことに、大きなショックを受けました。
ダンブルドアの死んだ時にも使われたこのbody という言葉が、こんなに動揺を招くとは思いませんでした。
でもまだ英語の方がマイルドでした。『亡骸』は本当にキツイです。
形はそこにあるのに、そこにいないことを改めて思い知らされました。
それでも、ハーマイオニーがちらりと見てくれたことは小さな救いでした。
ハーマイオニーは冷静に次の行動を促したけれど、後ろ髪を引かれる思いは多少なりともあったのだと感じて。

そして、ハリーも、もう一度見ています。
どう感じていいのかわからなかった。ただ、スネイプの殺され方と殺された理由とに、衝撃を受けていた……。(7巻33章p.407)
とあります。
確かに、その殺され方と殺された理由は衝撃的でしたが、ハリーは何かそれ以外にも言葉にできない思いがあったような気がします。

最期のスネイプ先生は、多分、今までハリーが見たことのないような顔をしていたと思います。
32章のスネイプ先生の最期の場面では、不思議なことに、ハリーを見つけてからのスネイプ先生の表情について触れられていません。
顔色や瞳孔(目)や喉から漏れる音や、口や耳や目から出てきたものは描写されていても、喜怒哀楽はおろか、苦悶の表情だったかどうかさえ、描かれていません。お陰で、自由に想像できます。

ハリーは、今までずっと向けられていた憎しみの表情とは違うものを見せつけられたのだと、私は思っています。
とにかく真実を伝えなければ、という必死の形相を呈していたかもしれませんが、それは、ハリーの見てきた憤怒の形相とか憎しみの顔とは違うものだったと思います。もっとも、『形相』と呼べるほど表情を変える力は残っていなかった気もしますが。
そして、最期の言葉は、命令文ではあっても、命令口調ではなかったと思います。口調も表情も哀願に近いものがあったと想像しています。
その不可解さに、ハリーは戸惑ったのではないかと思っています。
何か憐れみのような、今までとは違う軟化した感情を抱き、殺され方と殺された理由に衝撃を受けたのだと思い込もうとしている気がします。
そうであって欲しいという私の願望でもありますが。

とにかく、ハーマイオニーとハリーが、先に進む前にスネイプ先生を見てくれたことで、私は多少なりとも慰められました。
そして、スネイプ先生に心を残しながらも、彼らと共に先へ進みました。


Look...at...me...
2009年06月28日 (日) 17:09 | 編集
スネイプ先生の最期の言葉については、今まで何度か語ってきました。
日本語で「僕を……見て……くれ……」と訳されたことで、この瞬間のスネイプ先生が昔に戻ったように思ってしまいがちですが、もちろんそれは一つの解釈にすぎません。
でも、複数で話し合った結果、本当にそういう意図を持って「僕」が使われた、と編集者の方に伺う機会もあり、それはそれで納得しています。
ただ、折角ですから、翻訳者のフィルターを通さずに自分だけのスネイプ先生の最期の姿も考えてみたいと思います。

私が最初に原書でこの場面を読んだ時は、「ハリーに開心術を使え」、「今すぐ使え」と言ったのだと思いました。記憶の糸として渡したくなかった「想い」を、目を通して伝えたいのだと解釈しました。だから、覗きこんだハリーの目が一瞬しかスネイプ先生の目を捕えられなかったことで、何か一つ、伝えられないことが残ったのだと思いました。

次の章を読んで、これはリリーに見て欲しかったのだと思いました。
そして、その時私が考えたのは、リリーに見て欲しいと思っているのは、「リリーと決別した日の学生セブルス」、「リリーが死んだ日の青年セブルス」、「現在のスネイプ先生」、のどれだろう?ということでした。

最期のスネイプ先生がどの時代にいたか、ということは、読む人の解釈それぞれで、どれと一つに絞ることなどできないと思います。
その解釈というのも、それぞれの持つスネイプ先生像に大きくかかわってくると思います。
スネイプ先生は過去へのこだわりがとても強い人と考えるなら、「学生セブルス」や「青年セブルス」を最期の場面に思い描くと思います。
スネイプ先生が現在も大事にする人だと考えるなら、最期の瞬間は「現在のセブルス」だと思います。
また、先生であることに重きを置く人なら、最後の瞬間もあくまで「先生」だったと考えるかもしれません。
そして、各自の感じ方も時間によって変化していくのではないかと思います。
私は、7巻原書を読み終わった当初は、最期のスネイプ先生は、少年時代に近いところにいた気がします。一つの考え方に絞っていたわけではないので、断言できませんが、「僕」もありでした。
でも、何度も読み返し、こうして少しずつ語っていくうちに、私の中のスネイプ先生は、より「僕」から遠ざかっていきました。

今の私は、最期に居たのは、現在のスネイプ先生だと考えています。
私のイメージするスネイプ先生は、確実に成長しているからです。
本人に自覚はなかったかもしれないとは思いますが、スネイプ先生は教師としての喜びや、人間への愛を知っていたように、私には見えます。
何度か書きましたが、リリーへの愛に勝るものができていたのだと思っています。
それを、最後の最後で過去に引き戻してしまっては、後半の人生を無かったものにしてしまう気がします。
私は、授業中のスネイプ先生の熱心に指導する姿や、冷たい言い方ではあっても常に生徒の安全に気を配っていた姿が大好きです。
罰則にしても、行き過ぎたものは一度もなかったし、寮監としては寮生の将来を真剣に考える人だったとも思っています。
ホグワーツに居続けた理由が、リリーの息子を助けるためだけだったとは私には到底思えません。

最期の苦しい息の中、辛うじて絞り出したこの言葉。
リリーを愛した過去のセブルスが、当時言えなかった思いを、今ようやく伝えているのではなく、リリーを愛し、他の愛にも目覚め、リリーの忘れ形見を見守り続けた現在のセブルスが、リリーに今の自分を見てと懇願しているのだと私は考えています。
さすがに、今の自分に自信があるとは思っていませんが、大きな愛を知った上で、一人の女性に対しては変わらぬ愛を抱いていたことを伝えたかったのではないかと、今の私は想像しています。



ああ、でも、本当にこれが最後なのですね。
次の章でハリーを通してスネイプ先生の記憶を覗くことになりますが、その中にあるのは、全て過去に存在したスネイプ先生の姿。
リアルタイムで見られるスネイプ先生の姿も声も、この場面が最後です。
今後どうあっても、スネイプ先生の口から新しい言葉が紡ぎ出されることはない、というのは、とてつもなく寂しいことだと感じます。
こうしてこの場面を語りながら、今また、何度目かの大きな喪失感に見舞われています。辛い、辛い……。
でも、語るのやめてしまったら、私の中のスネイプ先生まで消えてしまいそうな気がするので、まだまだ語り続けるつもりです。
死にゆく男
2009年05月31日 (日) 17:14 | 編集
初めて原書で7巻32章を読んだ時、ヴォルデモートが去り、入れ替わりに部屋に入ってスネイプ先生に近づいていくハリーに、私は「助けて」「助けて」と心の中で叫び続けました。
そして、その時は、ハリーは助けてくれようとしたのだと思いこみました。が、実際はそうでなく、英語力が足りない私の誤解だった、と知った時の驚きといったらありませんでした。
だってとても信じられません。首からの出血を止めようとしていた指が、スネイプ先生自身のものだったなんて……

結局、この場面では3人の生きた人間がそばで見ていたにもかかわらず、誰もスネイプ先生を助けようとはしなかったのですね。
初めから、「死にゆく男(dying man)」と見ているので、絶望的なことは明らかだったのでしょうけれど。

首から血を噴き出して倒れ、指で出血を止めようとしている人が目の前にいて、何の努力もしなかったのは、その惨劇に呆然としてしまったからだと好意的に解釈することにしています。
決して憎しみが勝って見殺しにしたわけではないと。
でなければ、あまりにスネイプ先生がかわいそうなので。
3人は、既に校内でかなりの惨劇を目撃していたでしょうけれど、これほどの大量出血を見たことはなかったのだと思います。
gush(血が噴き出す)とあるので、おそらく動脈を傷つけられたのでしょう。大量の動脈血の鮮明な赤い色と血の匂いは、人の感覚を狂わせるものがあるだろうと想像します。十代の少年少女なら尚更です。

でも、せめて、どこか触れて欲しかった。声をかけてあげて欲しかった。だって、ピーターの銀の手が、その喉元を締め付けた時は、ハリーは何も考えずにその手を引き戻そうとし、ロンもハリーと共に金属の指を引っ張ろうとしたし、呪文を唱えたでしょう?死にかけた人を前に敵も味方もなかったでしょう?
遺体は怖くて触りたくなくても、生きているうちなら触れられるでしょう?
どんなに憎い敵でも、目の前に苦しんでいる死にかけた人がいたら、恐る恐る手を差し伸べてしまったりしないでしょうか?
しかも、そこに倒れているのは、曲りなりにも、かつて3人を教え導いた先生なのですよ?真実を知らなくても、ハリーを何度も助けたことは忘れてしまったわけではないでしょう?

百歩譲って、触れるのが怖くても、声をかけることはできますよね?
同じように、大量の出血の末死んだドビーは、最期にハリーから「死なないで―」という言葉をかけてもらっています。
スネイプ先生を激しく憎むハリーにその言葉は言えなくても、ハーマイオニーなら言えたのではないでしょうか。
ここも、この場の張りつめた雰囲気に圧倒されて声も出なかったと好意的に解釈することにします。そうでなければ、私は遣りきれません。

スネイプ先生が一方的にハリーのローブをつかんで引きよせ、一方的に話しかけ、頼むことによって視線を向けてもらい、そして力尽きて、その手がドサリと物のように床に落ちるなんて、あまりにも寂しすぎる……
独りで死ぬのも寂しいけれど、人がいたのに何の働きかけもなかったことは、却って孤独感を募らせます。
確かに過去には罪を犯したかもしれませんが、その後の人生ずっと償い続けた上に多くの命を救ったというのに、その最期がこれではあまりに寂しく、作者という神を恨みたくなります。
一度罪を犯した者には、最期の温もりなどあり得ないということですか?
それとも、緑の瞳に見てもらえただけで十分だということでしょうか?

もう痛みは感じないかもしれないけれど、もう喜びも悲しみも感じないかもしれないけれど、せめて3人の誰かに、床に落ちる前の手を受け止めさせて欲しかったです。
気力
2009年05月24日 (日) 16:26 | 編集
私は、以前、スネイプ先生が、「希望・幸福・生きようとする意欲」といったプラスのエネルギーであるパトローナスを作り出すことができたことから、先生は生きる意欲を持っていたのだ、と書いたかと思います。
リリーを愛した自分を肯定し、リリーとの一番幸せだった想い出を糧に、前向きに生きていく意欲が湧くようになったからこそ、月のように眩しく輝くパトローナスを作り出すことができたのだと。
今でもその気持ちに変わりはなく、また前回書いたようにリリーへの想いよりも優先するものがあったと考えていることから、スネイプ先生は、ハリーに伝える役目は負ったものの、死んで記憶を残すことでその役目を全うするつもりではなかったのだと思っています。
実際は、ここまでハリーに憎まれた状態で、どうやって正しく情報を伝えるつもりだったか、見当もつきませんが。

それでも、決してここで死ぬつもりではなかったと思います。
なぜなら、ハリーをずっと見守ってきたスネイプ先生が、ハリーを死なせる方向に導いてしまったままで、責任を放棄するとは思えないからです。ハリーが成すことを、見届けるつもりはあったのだと思うからです。
だから、ここでヴォルデモートに「おまえが生きているかぎり、セブルス、ニワトコの杖は、真に俺様のものになることはできぬ」(7巻32章p.402)と言われて、わずかな抵抗として、杖を上げたのだと思います。
もしかしたら、無言呪文で防御したものの、すぐには何も起こらなかったことで、一瞬でも防御を解いてしまったのかもしれません。
一瞬、スネイプは死刑を猶予されたと思ったように見えた。(7巻32章p.402)との描写もあるので。
多分、今までもそんなヴォルデモートの気まぐれを見てきたのではないでしょうか。あるいは、呪文による攻撃を想定していての防御で、檻に取り込まれることは防げなかったとか。
とにかく、防御できなかったことは、つくづく残念です。

まさかナギニの檻に取り込まれるとは、スネイプ先生も思っていなかったのでしょう、叫ぶ以外、何もできなかったようです。
この叫び、原文ではyellが使われています。(驚き・恐怖などで)鋭く叫ぶ、という意味です。
いつもヴォルデモートの前では冷静だったであろうスネイプ先生が、感情を顕わにした最初で最後の場面だったかもしれません。
そして、蛇語での「殺せ」の言葉はスネイプ先生には聞き取れないまま、いきなり首を噛まれて、どんなに驚き、怖かったことでしょう。

恐ろしい悲鳴が聞こえた(7巻32章p.402)
There was a terrible scream.(UK版7巻p.527)

screamは、驚き・恐怖・苦痛などで上げる悲鳴、金切り声のことです。
まさに、そのどれもが入り混じった気持ちだったのだと思います。
この瞬間の先生の苦痛を思うと、私も胸が張り裂ける思いです。
どんなに痛くて、苦しくて、怖かったことでしょう。可哀想に。

そして、スネイプ先生が諦めていない姿に、強く胸を打たれます。
ハリーに気づいていないスネイプ先生の、足が痙攣している状態にありながら、首の出血を止めようとしている指に。
ここ、the fingers trying to staunch〜(UK版7巻p.528)となっています。
staunchすることをtryしている指なんです。
staunch(=stanch)は、〈血を〉止める、〈傷口〉の血を止めるという意味ですから、血を止めることを試す、努力しているという意味なのだと思います。
スネイプ先生なら、首からの激しい出血が命取りになることはよく心得ていたと思います。ここで死ぬわけにはいかないからこそ、血を止める努力をしていたのだと思います。
おそらく自由の利かなくなった指で、ぎこちなく、一生懸命傷口を押えていたのでしょう。その姿を想像することは、とても辛いです。

そして、スネイプ先生、この後もまだtryしています。
〜,whose widening black eyes found Harry as he tried to speak.(UK版7巻p.528)
瞳孔が広がっていくスネイプの暗い目がハリーを捕え、話しかけようとした。(7巻32章p.404)

首を貫かれ、喉から、A terrible rasping gurgling noise(ひどく耳ざわりなゴボゴボいう音)がしている状態で、言葉を発するのは大きな努力が必要だったと思います。
日本語訳では「死に際の、息苦しいゼィゼィという音」(7巻32章p.404)となっていましたが、原文のこの描写は、血液混じりの呼気が、うがいのような音を立てていたのだと私は解釈しています。

思いがけずハリーに伝える機会がやってきて、先生は迷わず、記憶を出すことにしたのでしょう。もしかしたら、ヴォルデモートに見られる危険を覚悟で、ハリーが来ても来なくても、記憶の糸を出しておくつもりだったかもしれません。まるで、準備していたかのように、いっぺんに漏れ出ていきましたから。
目と口と耳と、なりふり構わず記憶を出すスネイプ先生に、残された時間が少ないことを悟った焦りが感じられました。
いくら、生きる意欲はあっても、もう体が限界に来ていることは、わかっていたのだと思います。
ハリーが無事、フラスコいっぱいの記憶を汲み上げるとすぐに、ローブをつかむ力が弱り、短い一言を残して、動かなくなってしまいました…
まるで、見届けたかのようです。
全く、大した気力です。
死ぬ直前まで頑張っていたスネイプ先生には驚かされます。
そして、本当に頭が下がる思いです。
選んだ道
2009年05月17日 (日) 17:12 | 編集
7巻を読み終わった後も、私には、スネイプ先生はなぜハリーに真実を告げた(記憶を託した)のか、ということが疑問でした。
リリーが命に代えて守った息子ハリーを、リリーのために自分も命懸けで守ってきたというのに、「死ぬべき時に死なねばならぬ」と本人に伝える役目をなぜ果たそうとしたのか、ということがわかりませんでした。

「リリー・エバンズを愛していたなら、本当に愛していたなら、これからのおまえの道ははっきりしておる」
「その死を無駄にせぬことじゃ。リリーの息子を、わしが守るのを手伝うのじゃ」(7巻33章p.437)
と言われ、選んだハリーを守る道は、言わば愛の証です。
ダンブルドアは、ハリーを守ってきた理由を「あの子に教え、育み、自分の力を試させることが大切だったから」と言っていますが、スネイプ先生自身は、少なくともその話を聞かされるまでは、リリーのためにハリーを守っていると思っていました。
33章では、その辺「あなたは私を利用した」(7巻33章p.451)と言ってダンブルドアと議論していますが、「あの子に情が移ったと言うのか?」という、まるで論点のずれた質問をされて、はぐらかされた印象です。
結局、その時スネイプ先生は、ハリーへの情ではなくリリーを今でも愛していることを示しただけで、その場面は終わってしまっています。

34章で「蘇りの石」によって出てきたリリーは、ハリーが死地に赴く時、それを止めるどころか、嬉しそうに微笑み「勇敢だった」と言っています。
私はこのリリーの言葉にとても違和感を持ちました。
自分の命と引き換えに守った息子が、たとえ世界の平和のためとはいえ、たった17歳で死のうとしていることを、喜ぶ母がいるだろうかと。
これは、シリウスの「君の一部なのだ」という言葉から、ハリーの幻、ハリーの願望ではないかと私は見ています。でなければ、リリーたちにはハリーが死なないことがわかっているからとか。
少なくとも、リリーの望みはハリーが生き延び、人生を全うすることだと私は思います。そして、スネイプ先生もそう思っていたはずです。
そして、ダンブルドアから肝心な計画を教えられていないスネイプ先生は、自分が真相を告げることでハリーが死ぬと思っています。
リリーが死んだ時、「私も死にたい」と言ったスネイプ先生がなんとか自分をコントロールできたのは、リリーの死を無駄にしないために、「リリーの息子を守るダンブルドアを手伝う」という心の支えができたからだと思います。
だから、リリーへの愛を貫くつもりなら、ハリーに真相を伝えず、リリーの望み通り生かしておく、という道もあったはずです。

なのに、なぜあんなにも懸命に伝えようとしたのか。
自分の命の灯が消えかかって、息も絶え絶えなのに、
‘Take…it…take…it…’(UK版p.528)
「これを……取れ……これを……取れ」(7巻32章p.404)
などと言って内にあった記憶を出したのか。

前回、ダンブルドアなど強い力に逆らえないスネイプ先生の心の傷について語りましたが、私はこの場面では、スネイプ先生がダンブルドアの命令に逆らえなかったとは思っていません。
本人を前にしてこその反応だと考えています。
だから、ここは純粋に、スネイプ先生の意志でこうしたのだと思います。
なら、なぜ?

私の出した結論は、世間一般の見方とは違うかもしれませんが、私は、スネイプ先生がハリーの命より、つまりリリーへの愛より優先したものがあったからだと考えています。
それは結局ダンブルドアの目指したものと同じものなのかもしれませんが、もう少し限定されているかな、という気もします。
ホグワーツに暮らす人々、生徒たちや先生や他の職員を救うために、ハリーを死に向かわせたのだと考えています。
日本語訳では、さらっと通り過ぎてしまった「全力でホグワーツの生徒たちを守ると、約束してくれるじゃろうな?」(7巻33章p.443)に対する頷きSnape gave a stiff nod(UK版p.547)を、私は「しっかり頷いた」と解釈しているからです。

スネイプ先生は、十数年の教師生活の中で確実に成長し、ホグワーツの生徒たちを愛するようになっていたと私は思っています。
ドラコなどスリザリンの生徒だけでなく、ネビルもケイティも、全ての生徒がスネイプ先生によって守られていたように私には見えます。
30章でマクゴナガル先生などの寮監たちに追われた時だって、一切傷つけようとはしませんでした。

ハリー、ヴォルデモートそしてスネイプと、身寄りのない少年たちにとってはここが家だった……。(7巻34章p.466)
と、ハリーのホグワーツについての想いが34章に書かれていますが、少年時代だけでなく、大人になってからも、スネイプ先生にとってホグワーツは家庭であり、ホグワーツの住人は家族だったのではないかと私は思っています。

真実を告げれば、ハリーは死に、リリーの望みを絶ってしまう。
けれど、ヴォルデモートもまた倒れ、世界に平和がもたらされ、ホグワーツの住人は心安らかに過ごすことができる。
この二つを秤にかけ、選んだ結果が、ハリーに真実を告げること、だったのではないかと思います。
これ以外、今の私には納得できる説明がつきません。

スネイプ先生には、リリーへの愛を上回る愛が新たに生じていて、愛する人々を守るために、リリーへの想いを犠牲にして、ハリーに真実を告げたのだと、今の私は考えています。


無抵抗
2009年05月11日 (月) 22:26 | 編集
32章には私にとって色々受け入れ難いことが書かれていましたが、その中でも理解しにくかったのが、スネイプ先生がヴォルデモートにほとんど反撃しようとしなかったことでした。
私はその理由を、ヴォルデモートから杖の秘密を聞かされてダンブルドアの真意を疑って混乱したためかもしれないと思ったり、ハリーに真実を伝える方法を模索することに集中していたためだと考えたりしたことは、既に述べました。
もう一つ、私の頭をよぎり、無視できないものがあります。
スネイプ先生には、圧倒的な力に対する畏れのようなものがあったのではないか、というものです。

どうもスネイプ先生には、子どもの頃から一貫して父的なものへの恐れ、畏れ、憧れのようなものがあったように感じます。
父親が母親を怒鳴りつけている部屋の隅で泣いていたり、家の様子を聞かれて眉間に皺を寄せたり、両親が喧嘩ばかりしていると言ったり、「僕はいなくなる」と家を出ることを望んだり、父親のことを「あの人は何にも好きじゃない」と言ったり、半純血のプリンスと名乗ったり、父親や家庭に対する葛藤を感じます。それも、真っ向から対立しようというより、逃げていこうとする姿勢、大きな力に対する脅え、委縮のようなものを感じます。
お父さんは暴力を振るう人だったのでしょうか。幼いセブルスが恐怖を感じて魔法の力をコントロールできなかったたりすれば、よけいに痛めつけられたかもしれません。
圧倒的な力には抵抗できないとの思いが身についていたのではないかという気がします。そして、だからこそ余計強い力に憧れたのではないかと思います。

作者も、チャットで死喰い人になろうとしたスネイプ先生のことを、
〜like many insecure, vulnerable people (like Wormtail) he craved membership of something big and powerful, something impressive.
「多くの不安定で傷つき易い人々(ワームテールのような)のように、彼は大きくて、力のあるもの、何か堂々としたものの一員であることを切望しました」(二尋の直訳です。間違っていたらご指摘ください)と言っています。
大きくて力のあるものに対する畏敬の念はあったのだと思います。
心理学の領域に踏み込んでまで説明することは私にはできませんが、何か父親に対する葛藤のようなものに由来しているのではないかと思っています。

ヴォルデモートに対しても、ダンブルドアに対しても、同じような思いを抱いていたのではないかと私は考えています。
だから、リリーを守って欲しいとダンブルドアに頼みに行った時にひどく怖がっていた様子だったり、ダンブルドアの理不尽な「殺してくれ」という要求に抗議しながらも、鋭い視線に結局屈してしまったりしたのではないかと思うのです。
ヴォルデモートに対しても、太刀打ちできないような思いがどこかにあって、いざ死を宣告されると蛇に睨まれた蛙のようになってしまった可能性も私は否定できません。
常に冷静で、どんなに激しい視線で貫かれても閉心術を破られなかった精神力とは別に、そんな一面もあったのではないかと思います。
もしそうであったとしても、それは弱さではなく、心の傷に因るものなのだと私は思っています。
5月2日
2009年05月02日 (土) 16:07 | 編集
今ちょうど検証している部分、7巻32章は5月2日の出来事のようです。
最後の戦いが5月2日だとローリングさんが明言していたので、ホグワーツへの攻撃が開始された時(31章途中、ハリーがレイブンクローの髪飾りの話を灰色のレディーから聞き出し、ハグリッドに会ったあたり)から5月2日になり、36章までが5月2日に相当するのだと思います。

たった一日のことが数章に渡って書かれているのですから、本当に長い一日だっただろうと思います。
この5月2日が始まってそれほど時間が経たないうちにスネイプ先生は最期を迎えることになります。
ヴォルデモートが、「俺様は三時間前に、セブルス・スネイプを殺した」(7巻36章p.533)と言ってから間もなく、太陽の先端が顔を出しました。
夜明けの三時間前に、スネイプ先生は殺されたことになります。

ホグワーツはスコットランドにあると言われています。
首都エジンバラで計算すると、5月2日の日の出は、サマータイムで午前5時28分になります。
では、死亡推定時刻は、その3時間前の約2時半くらいでしょうか。
ただ、エジンバラはスコットランドでも東にあるので、西側ならもう少し遅くなるはずです。ハリーが貝殻の家(場所は不明、映画の撮影地はウェールズ)を発った5月1日は、6時に起き出して「夜明けは肌寒かったが、」(7巻26章p.202)という記述があるので、場所によっては6時くらいの夜明けもあり得ると思います。
となると、先生が亡くなったのは、夜中の2時半から3時位でしょうか。
ちょうど草木も眠る丑三つ時ですね。
先生は永眠してしまったけれど…
サマータイム時のイギリスと日本の時差は8時間になるので、日本時間では、午前10時半から11時頃に相当します。
今年、この時間はスネイプ先生を語り合うことに使いました。
有意義に過ごすことができました。

ところで、今日のエジンバラの予想最低気温は6℃、最高気温は11℃です。寒いです。(東京は16℃〜24℃です)
血の海の冷たい床に一人で横たわっている先生を想像するのは、忍びないです。

大出血しながら、残された力を振り絞って使命を果たそうとしたスネイプ先生の最期は壮絶なものでした。
それでも、一番最後の言葉が、自分のためのものであったことに、ほんの少し安堵します。素直な気持ちを表現できたこと、そして願いを伝える時間が残されていたことに。
私は、スネイプ先生がまだ生きるつもりだったと思っています。
ただ、賢い人ですから、これが最期だと悟ったとは思います。
なんとか使命を終えて、そのまま力尽きず、自分のための言葉を絞り出したスネイプ先生が、抱きしめたいほど、愛しいです。
もっと自分のために時間を使って欲しかった、もっと自分に優しくしてあげて欲しかった、でも最期に自分のためにすごく頑張ったね、と認めてあげたいのです。私の気持ちは届きようもありませんが。

今、夕方の4時なので、イギリスでは朝の8時です。
あの日、8時だったらもうヴォルデモートに勝利していたはず。
真実を知ったホグワーツの住人たちの温かい手で、既にスネイプ先生の亡骸が温かい場所に安置されていますように。
物語の世界で、せめて死後であっても、スネイプ先生が自分に向けられた愛を感じ取る機会があったことを、強く強く望んでいます。

記念の日に、哀悼の意とたくさんの愛を込めて書きました。
ダンブルドアの意図
2009年04月26日 (日) 19:52 | 編集
スネイプ先生は何度もダンブルドアに、ハリーのなすべきことについての情報を自分にも与えるよう頼んでいたことが33章でわかりました。
しかし、ダンブルドアは一切話しませんでした。
ヴォルデモートから死の宣告を受けた時、杖の秘密が明かされて、スネイプ先生はどう感じたのでしょう。

ダンブルドアはハリーとの会話で、こう言っています。
「でも、先生は、ヴォルデモートが杖を追うと予想なさったのでしょう?」
「リトル・ハングルトンの墓場で、きみの杖がヴォルデモートの杖を打ち負かしたときから、わしは、あの者が杖を求めようとするに違いないと思うておった。(後略)」(7巻35章p.503)
ダンブルドアは何年も前から、ヴォルデモートが最強の杖に執着すると確信していたようです。

さらにこう言っています。
「先生が、スネイプによるご自分の死を計画なさったのなら、『ニワトコの杖』は、スネイプにわたるようにしようと思われたのですね?」
「たしかに、そのつもりじゃった」(7巻35章p.504)

それはつまり、杖の所有権がスネイプ先生の手に渡ったように見せかけることを仕組んだということですよね?
実際はダンブルドアの死は計画されたものであったために、たとえ間にドラコの武装解除が入らなかったとしてもスネイプ先生に所有権は移動しなかったでしょう。
ダンブルドアが所有権を有したまま死ねば敗北しないまま終わり、杖もそれでおしまいになるというのが当初の計画だったのだと思います。

でも、ヴォルデモートの前ではあくまでスネイプ先生が杖の所有者であると思わせておく必要があったのは間違いないと思います。でなければ、ダンブルドアの計画の意味がありません。
また、ヴォルデモートを、何度も殺人を犯すことを辞さない魔法使いと見ているダンブルドアなら、所有権の移動に際してヴォルデモートが殺人を迷わないこともわかっていたと思います。

ヴォルデモートも、以前の持ち主のグリンデルバルドが生きていたという点から、殺さずに所有権が移動することには気づいていたかもしれませんが、「いまとなってはおまえの存在も、たいした意味がない」と考えている身では、てっとり早く確実に所有権を移動させるには殺すしかないと考えたのだと思います。

そんな危険な立場に置かれていたことを、スネイプ先生は死の宣告の際に悟ったのではないかと私は心配しています。
閉心術は最期まで解かなかったスネイプ先生ですが、「ニワトコの杖をダンブルドアの墓から奪った」と聞いたとき、その顔がデスマスクのようだったのは、より一層動揺した気持ちを抑え込もうとしたからだと思います。
スネイプ先生が動揺したのは、命の危険を確信したのと同時に、「ダンブルドアを殺すことによって杖の所有権が自分に移るようにダンブルドアに謀られた」と感じたからではないかとも考えられると思います。
ヴォルデモートの説明に、頭の回転の速いスネイプ先生が、ダンブルドアが自分に殺人を命じた意味に気づいてしまったら可哀想です。

スネイプ先生がこの後、ろくに言葉を発することなく、ほとんど無抵抗だったのは、ハリー同様、自分も死ぬべき時に死ぬようダンブルドアによって運命が定められていたと考えてしまったからではないかという気がします。何を聞いても十分な情報が与えられなかった理由がこれだったのか、と思ったかもしれません。
「ニワトコの杖は、最後の持ち主を殺した魔法使いに所属する。おまえがアルバス・ダンブルドアを殺した。」(7巻32章p.402)
こう言われたら、それを命じたダンブルドアの真意を知りたいと思うでしょう。別に穿った見方でもなんでもないと思います。だって、本当にダンブルドアはそう考えていたのですから。

ダンブルドアに命じられた殺害には杖の所有権のことまで絡んでいたのか、杖の秘密などダンブルドアは知らなかったのか、きっとスネイプ先生は混乱していたと思います。
混乱の中にいたことが、ろくに反撃しなかった理由の一つではないかと思っています。

私は、スネイプ先生はリリーに対するものとは違う愛情をダンブルドアに抱いていたと考えています。それなのに、ダンブルドアの計画に自分の死が組み込まれていた可能性に思い当ってしまったら、どれほどスネイプ先生を苦しめることになるでしょう。
疑心暗鬼となり、心の拠り所の一つを失った状態になったために無抵抗だったのなら、それは殺された理由や方法以上に残酷なことではありませんか?
子どもの頃から十分な愛を与えられなかったスネイプ先生の最期が、これではあまりに惨すぎます。
私の思い過ごしであって欲しいです。
スネイプ先生が生きて意識のある間、ハリーに伝えることにのみ集中して、この悲しい事実に気付いていませんように。

迫る危険
2009年04月19日 (日) 21:01 | 編集
32章を読み始めた時、Elder Wand(ニワトコの杖)というタイトルのこの章の中に、あれほど恐ろしい内容が書かれていようとは、思いもしませんでした。むしろ、30章のタイトルの方に、大いに警戒させられました。
私が、スネイプ先生の生命の危険に気付いたのは、ヴォルデモートとの会話もだいぶ進んでからでした。
スネイプ先生は、いつから気がついていたのでしょう?


ヴォルデモートがルシウスにスネイプ先生を連れてくるよう命じた時、既にナギニは透明な球体に守られる形で宙に浮かんでいました。
学校を去ったスネイプ先生がどこに身を隠していたかわかりませんが、叫びの屋敷に入ったスネイプ先生は、ナギニの姿に、ハリーにあの重要事項を伝える時が来たと悟ったのだと思います。ハリーが、死ぬべき時に死ななければならない運命にあることを。

ヴォルデモートとの会話は、最初から少しずれていました。
ヴォルデモートが「間もなくやり遂げる」と自信のあることを言っているのに、「小僧を探すようお命じください。私めがポッターを連れて参りましょう」(7巻32章p.397)と、唐突とも思える提案をしています。
7巻1章では、聞かれたことに正確に答え、他の死喰い人の情報を否定はしても、無関係な提案を自らするようなことはありませんでした。
スネイプ先生の頭は、ハリーに伝えるタイミングを計ることで一杯になってしまったのだと思います。
そんな中、ヴォルデモートはハリーの話ではなく、杖が思い通りにならない疑問をぶつけてきました。

「わ―わが君?」スネイプが感情のない声で言った。「私めには理解しかねます。わが君は―わが君は、その杖できわめて優れた魔法を行っておいでです」(7巻32章p.398)

いつものように滑らかに言葉の出てこないスネイプ先生に、動揺を感じます。また、動揺のあるときほど、スネイプ先生は感情を出さないよう努力しているように思います。
では、この時早くも気づいていたのでしょうか。
私は、この戦いの最中、ハリー云々という前に杖の威力の不満を口にするヴォルデモートに、スネイプ先生は虚を突かれたのではないかと思っています。スネイプ先生は、杖の秘密など、何一つ知らされていなかったのですから。

杖の威力が不十分であると語るヴォルデモートの口調は静かでしたが、ハリーは傷痕の痛みから、ヴォルデモートの強い怒りを感じます。
ハリーは、無言のスネイプ先生に対し、危険を感じてご主人を安心させるための適切な言葉を探しているのではないかと思っています。
しかし、私は、スネイプ先生が漠然と危険な空気を感じてはいても、自分の命が狙われる理由に思い至らないため、ハリーへ伝える方法を画策することに集中していたのではないかと思っています。

それでも、ヴォルデモートは確実に話を進めています。
「俺様は時間をかけてよく考えたのだ、セブルス……俺様がなぜおまえを戦いから呼び戻したかわかるか?」(7巻32章p.398)
早く死の宣告をしたい様子です。
でも、スネイプ先生の方は。

そのとき、一瞬、ハリーはスネイプの横顔を見た。その目は、魔法の檻の中でとぐろを巻いている大蛇を見つめていた。(7巻32章p.398)

そして、ヴォルデモートの問いには、簡単に「いいえ」と答えたのみで、再びハリーを探すことを命じるよう申し出ています。
ああ、スネイプ先生。
こんなにも間近に死が迫っているというのに、ハリーに伝える使命のことで頭が一杯なのですね。
ヴォルデモートの苛立ちの前に、何度も何度も「ポッターめを探すお許しを」と繰り返し請う姿は、とても痛々しいです。
ヴォルデモートの怒りが極まって、ハリーがその思考を共有できるようになった時、見下ろしたスネイプ先生の顔は蒼白でした。
杖の不具合を聞きながら目をそらし、ナギニを見つめています。
なんだかわからないまま、身の危険は強く感じていて、いよいよハリーに伝える手段の選択肢の少なさを知り、必死で頭を回転させているのだと私はこの場面で感じます。

さらにヴォルデモートは杖の話を進めます。
「俺様は、三本目の杖を求めたのだ、セブルス。ニワトコの杖、宿命の杖、死の杖だ。前の持ち主から、俺様はそれを奪った。アルバス・ダンブルドアの墓からそれを奪ったのだ」(7巻32章p. 401)

この言葉を聞いたスネイプ先生に変化が表れています。

再びヴォルデモートを見たスネイプの顔は、デスマスクのようだった。(7巻32章p. 401)

スネイプ先生、この時、はっきり自分の身を脅かしているものの正体がわかったのではないかと私は考えています。
「ニワトコの杖、宿命の杖、死の杖」の知識は、スネイプ先生にもあったのだと思います。あの魔法界のおとぎ話を、お母さんから読んでもらったことがあったのかもしれません。
その名を聞いて、ヴォルデモートの言わんとしていることを理解したのだと思います。
そして、その時ではもう遅すぎたのだと思います。
この後、スネイプ先生がヴォルデモートに対して言った言葉は、
「わが君―小僧を探しにいかせてください―」(7巻32章p.401)
「わが君―」(7巻32章p.402)
「わが君!」(同)
だけでした……

スネイプ先生がここで命を落とすことになった要因はいくつかあると思いますが、ヴォルデモートの怒りの正体に気付くのが遅れたこともその一つではないかと私は思っています。
ナギニが保護されている姿を見たりしなければ、ハリーに伝える方法を考えることに集中しなければ、ヴォルデモートの怒りを鎮める何か上手い言葉を紡ぎ出すことができたと思います。それだけの能力はあったと思います。


存在の否定
2009年04月12日 (日) 16:19 | 編集
30章でスネイプ先生がマクゴナガル先生から本気で攻撃されたことに、私は心を痛めましたが、言葉の暴力にも大いに傷つきました。
「あなた方死喰い人が、仲間内の伝達手段をお持ちだということを、忘れていました」(7巻30章p.313)という嫌味にはスネイプ先生、聞こえないふりをしています(泣)
「卑怯者!卑怯者!」(7巻30章p.315)
これを背後に聞きながら、スネイプ先生はどんな気持ちだったでしょう?今までも何度も誤解されながら憎まれ役を演じてきたスネイプ先生ですが、この言葉に激しく反応した6巻での様子を思うと、私の方が平静ではいられなくなります。
それでも、6巻の時と大きく違うのは、誰も傷つけることなくホグワーツを脱出できたことでしょうか。
示し合わせていたとはいえ、ダンブルドアを殺さなければならなかった6巻の時とは、気持ちもまるで違ったでしょう。
スネイプ先生はもしかしたら、こうもりのように飛びながら、満足そうに薄笑いでも浮かべていたかもしれません。悪役らしく(泣)

マクゴナガル先生の暴言は、スネイプ先生が去った後も続きます。
窓から飛び降りたと知ったハリーが「それじゃ、死んだ?」と聞いたのも悲しいけれど、「いいえ、死んではいません」と苦々しく答えたマクゴナガル先生の言い方にとても傷つきました。
やはり本気で殺そうとしていたのだと感じます。事実を知らなかったとはいえ、スネイプ先生に死んで欲しかったのだと思います。
そんな風に思われていることって、本人には伝わりますよね?
可哀想に。

スネイプ先生は、その人生で、存在をちゃんと肯定してもらったことってあったのだろうかと心配になります。
家庭でも、学生生活でも、教師生活でも。
5巻28章の記憶の中では、ジェームズにはっきり存在そのものを否定されています。
死喰い人としてヴォルデモートには重宝されたかもしれませんが、それだってその能力を買われただけ。結局、「いまとなってはおまえの存在も、たいした意味がない」(7巻32章p.397)と言われています。
ダンブルドアだって、「きみがいてくれて、わしは非常に幸運じゃ」(7巻33章p.441)と言っておきながら、自分を殺すよう指示しています。
それではスネイプ先生が自分自身を肯定しようがないでしょう!
なんで、みんなで寄ってたかってそんな物言いをするのでしょう。
せめて、死の間際、居合わせた3人の誰かが一言「死なないで」と言ってくれたら良かったのに……
ああ、誰か、誰か。
物語の中の誰でもいい。
本文に書かれていなくても、セブルスに、「生きているだけで十分」「いてくれて嬉しい」という言葉か、態度を示した人がいますように。
「去る」
2009年03月28日 (土) 20:08 | 編集
19章のタイトルThe Sacking of Severus Snapeは日本語版では「セブルス・スネイプ去る」と表されました。
the sackingには「クビ」「お払い箱」「解雇」などの意味があります。

校内の廊下で攻撃を仕掛けたマクゴナガル先生と応じるスネイプ先生。
マクゴナガル先生が、火や手裏剣(ダガー)で攻撃してくるのに対し、スネイプ先生が行ったのは、盾の呪文、火を蛇に変えたこと(主語がはっきりしませんが、たぶんスネイプ先生がやったのでは?)、甲冑を自分の前に押し出して手裏剣を避けたこと、両腕を締め上げた甲冑を振りほどいて飛ばせたこと、一目散に逃げ出し、窓から外に飛び出していったこと、でした。

先生方に致命傷を負わせる可能性のある攻撃は何一つしていません。
まだスネイプ先生がどちらの側かわからない状態で読んでも、やはりスネイプ先生が他の先生方を傷つけようとは思っていないことが、はっきり見て取れました。

しかし、攻撃される前、最初にこの場面に登場したとき、スネイプ先生はどうするつもりだったのかが、よくわかりません。
マクゴナガル先生との会話や、視線などから、そこにハリーがいると踏んでいるのは確かなようです。
ハリーを守る立場にありながら、ヴォルデモートの腹心を演じるスネイプ先生は、ここでマクゴナガル先生がハリーの存在を認めたところで、表だって守れるわけでもなく、かと言って捕獲したところで、ヴォルデモートの前で守りきれる勝算があったとも思えません。ハリーが今後何を為すべきか、事の詳細を把握していないのですから。また、真相を語るには機が熟していないことも十分承知していたはずです。
探り合う会話も短めで、いきなり「ハリー・ポッターを見たのですかな」と言っているところから、マクゴナガル先生が仕掛けてくるのを待っていたような気もします。

スネイプ先生は、ホグワーツを去る時だと判断していたのでしょうか。
たくさんの死喰い人やヴォルデモート本人がホグワーツに近づいている今、校長として中から生徒を守ることは難しいと考えて。
ヴォルデモートも叫びの屋敷で言っています。
「熟達の魔法使いではあるが、セブルス、いまとなってはおまえの存在も、たいした意味がない。」(7巻32章p.397)
今まではヴォルデモートが校内に立ち入ることが簡単にはできなかったからこそ、スパイは必要でした。ダンブルドアが亡くなり、校内にも入ることができるようになった現在、スパイとしての役割が終わりに近付いていることはスネイプ先生にもわかっていたのではないかと思います。
スネイプ先生は、ホグワーツを去るつもりで、マクゴナガル先生の前に出て行ったような気がしています。

7巻後にインタビューに答えたローリングさんが、スネイプ先生は事実上辞職したから肖像画がなかったと言ったのは、スネイプ先生自身が去るつもりだったと考えているからかもしれません。
以前の私は、ハリーだけでなく他の生徒も全力で守っているスネイプ先生が、ホグワーツを去ろうと考えるはずはないと思っていましたが、外から守る、という方法を選択したのなら、それもあり得ると思うようになりました。
機が熟すまで(ナギニが守られるようになりハリーに真相を話すこと出来る時まで)ヴォルデモートの腹心を演じ続けるなら、マクゴナガル先生たちと目指すところが同じでも理由を話すわけにはいかないし、表立った行動もできるはずもありません。ここは、やはり、1巻のときと同様、他の先生方全員に誤解されながらも、憎まれ役を買って出て、ハリーや他の生徒を守ることに徹しようとしたのではないかと思いました。

追い出されたと思って、酷く悲しんだ私ですが、前に向って進んで出て行ったのなら、納得できると思いました。
ここは、先生たちにお払い箱にされたのではなく、逃げ出したのでもなく、前進するために「去った」のだと私は考えたいです。
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