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2017-05

衝動の制御 - 2015.07.15 Wed

先日Pottermoreが更新された際、作者による「衝動的な悪意」という言葉が反響を呼んだことは日記(6/26)にも書きました。作者が「グリフィンドールの剣が湖の底に置かれた本当の理由はスネイプの衝動的な悪意」と書いたことに対する反響です。
反響を見ていて感じたことは、スネイプ先生がハリーへの憎悪の感情を克服できていないことや衝動を制御できないことへの戸惑いが少なからずある、ということでした。ハリーが入学してきた日から彼への憎悪の感情を丸出しだったスネイプ先生、ダンブルドアに「死ぬべき時に死なねばならぬ」とハリーの運命を告げられて衝撃を受けた様子だったのに、それでもなお、憎悪の感情を抑えることができていない、という点に驚く人が多かったのではないかと推察しています。

では、私はなぜあまりその点ショックを受けなかったのだろう?と自問しました。
私だって、スネイプ先生がダンブルドアの言葉に衝撃を受けた姿に心を動かされたし、「屠殺される豚のように」と言った言葉には紛れもなく抗議の気持ちが宿っていたと信じています。そしてそこには、スネイプ先生の人間的な成長はあったとの確信もあります。
ハリーと出会って7年、ハリーを守り続け教師としての経験も積んだスネイプ先生にはそれなりの成長があったと思うからこそ、私は魅力を感じ続けているのです。
だから、その人間的に成長したと思っているスネイプ先生が、ハリーにグリフィンドールの剣を渡す手段として凍った池に沈めることを思いついたのを、悪意はなく必然性があってやったこと、と思いたい部分は確かに私にもあります。
でも、そこに悪意があったと言うなら、「やっぱりそうか」と納得してしまいます。
ハリーへの憎悪の感情を制御することと、人間的な成長とはまた別物、という見方をするからです。

私は、スネイプ先生はハリーをハリーとして見ていなかった、と書いたことがあります。
ジェームズとして憎み、リリーとして愛したと。
けれど今になって、ハリーをハリーとして見ていた時もあったのではないかと思い始めています。
それは、ハリーが居ない場でハリーを話題にする時です。
例えば4巻の〝パジャマパーティ“の場面。ムーディと会話する中で「あの子の自身の安全のためだ」と言った時。また7巻33章でダンブルドアとハリーの今後について語る時。
ハリーを目にすると、ジェームズかリリーにどうしても重ねてしまうのだと思います。
ハリーの全体を見ればジェームズに、眼だけを見ればリリーに。
物語中何度かハリーと視線を合わせると、視線を先に反らすのはいつもスネイプ先生の方でした。強いまなざしで見つめられた時、そこにはリリーを見ていたのだと思います。

「死ぬべき時に死なねばならぬ」と言われた時なども、ハリーをジェームズに重ねることなく、一人の人格として見たからこそ、その運命を淡々と語るダンブルドアに驚愕したのだと思います。
でも、ハリーをひとたび目にしてしまうと、ジェームズと重ねることはやめられない、だから森の中でハリーの居所を確認した時(少なくとも守護霊を送る以前に見つけていたのではないかと思います)、その姿にジェームズを見て、授業中に見せたのと同じ程度の意地悪はしたくなったのだと思います。
それだけのこと。ハリーは三校対抗試合の第二の課題で、冷たい湖の水に1時間も潜っていたのを知っているわけだし(えら昆布なしでは無理でしたが)。
首から下げているロケットにヴォルデモートの魂の一部が入っていると知っていたら、ダンブルドアの手に封じ込めた強い呪いと同程度の呪いがかかっているものを身に着けていると知っていたら、決して凍った池に潜らなければならない状況を作ったりはしなかったでしょうし。
何かの衝動を抑えられない引き金のようなものは、人なら誰でも持っているのではないかと思っています。スネイプ先生の場合は、それがハリーの外見だったということで、特別なこととは私には思えないです。ハリーを目にすることなく剣を渡す手段を頭で考えるだけだったら、冷たい水に入ることを思いついたりはしなかったかもしれないと考えています。

そしてもう一つ、昨今のマグルの衝動的な感情から起こった事件などを見ても、スネイプ先生は一線を超えない(生徒を死に至らしめない)程度には衝動をコントロールできていたのだと私は考えているからです。スネイプ先生は、衝動的な感情をある程度は抑え、ある程度は暴走させ、それなりにバランスを取っていたのだと信じています。

● COMMENT ●

スネイプはいいやつですよね。ハリーを水に入れるのも
育てるためだと信じています。

aさん

コメントありがとうございます。
そうですね!作者がなんと言おうとただの意地悪でなく、理由があって冷たい水に入れたのだと信じたいです。

教授のペットは? 

関係はない話ですが教授のペットは何だったと思いますか?
私は「セストラル」だと思っています。名前は「ホーリー(♂)」かなぁ。
クリスマスに拾ったから(ホーリーはセイヨウヒイラギ)にして妄想してます。
動物には好かれそうですよね。

>元a さんこと教授とイニシャルが一緒な人さん(S.Sさんでしょうか)

ペットはいなかったかな、というのが正直な気持ちです。
動物にだけ心を開くスネイプ先生というのも素敵で好きなんですが。

セストラルと並んで立つスネイプ先生は絵になりそうです。
死を見たことのある人にしか見えない動物、蝙蝠のような翼、全身黒いところ、スネイプ先生にぴったりだと思います。

質問

ありがとうございます。あの、ふと思ったんですけど
先生がダンブルドアに「最近は何人が死ぬのを見たかね?」(うろ覚え。
たしか7巻)といわれていますが「私が助けられなかったものだけです。」(うろ覚え)と
言っているという事は誰かを殺したこともあるのでしょうか?死喰い人だからあるのでしょうか?
それと自分の息子なのにトビアスの事について「あの人は何も好きじゃない、あんまり」と
言っていますから嫌われているという事だから本当に息子なのでしょうか?そもそもなのに
アイリーンは結婚したんですか?
2つも質問ごめんなさい。

>ssさん

ssさん、ご質問ありがとうございます。
私なりに考えてお答えしようと思います。

・誰かを殺したことあるのかどうか。
正直に言えば、あるのではないかと思っています。
リリーが狙われる前は特に。
リリーの死後も、ヴォルデモートの片腕のような存在だったところを見ると、汚れ役も多少はやったと思います。
ヴォルデモートに変な疑いをかけられないために、彼の見ている前などでは避けようがなかったと思います。
それが「助けられなかったものだけ」という言葉に繋がると思います。

・本当にトビアスの息子なのか、について。
私は実の息子だと思っています。
「鉤鼻の男が、縮こまっている女性を怒鳴りつけ、隅のほうで小さな黒い髪の男の子が泣いている」(5巻26章p.269)という表現があるからです。
ハリーはその光景を見て「両親」と思っているし、外見的に似たところはあったということだと思います。
ちなみに日本語で「あの人」と訳された言葉、英語では「He」なので、日本語で見るほどよそよそしくはないように思います。
ただ、トビアスに愛されている、という実感はなさそうです。5巻の記憶に出てきたトビアスも、7巻でリリーに聞かれて答えた両親の様子も、ほぼ同じ、いつも口論していましたし、「何も好きじゃない、あんまり」という言葉には、自分も母親もトビアスには好かれていないと思っていることがうかがわれて、辛いです。
なぜ二人が結婚したか、本当に謎だと思います。 
プリンス家は純血の家系だし、アイリーンはスリザリン出身だし、トビアスはマグルの貧しい労働者のようだし、二人の接点がどこにあるのか私には見当がつきません。でも、ローリングさんの頭の中には詳細な設定があって、いつか必ず公開されるのではないかと思っています。


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スネイプ先生への愛を語らずにはいられません。         

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