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閉心術中 - 2013.02.11 Mon

ちょっと時間が経ってしまったのですが、以前、ヴォルデモートに対する閉心術について、「本心を隠すだけではなく、ヴォルデモートに見せるための、ダミーの感情(ハリーたちへの憎しみ、ダンブルドアに対しての怒りなど)が必要そう、そうでないと何か大事な感情を隠していると、疑われてしまいそう」という内容のコメントをいただきました。

このコメントをいただいて、私が想像する閉心術とはイメージが違うと思いました。
考えてみれば、文章だけで示された魔法の説明ですから、解釈も色々出てくるのだと思います。
では私が閉心術についてどのようなイメージを持っているのか、その時は自分でもよくわからなかったので、ここでまとめてみようと思います。(文中開心術と閉心術が入り混じっています。文字が似ているのでご注意ください)

閉心術については、既に何度か語ったことがあります。
閉心術
閉心術2
 
最初は、ヴォルデモートの烈しい視線すら貫けないほど心を閉ざせるスネイプ先生の強さや技術を誇りつつ、そこまで感情を抑え込むことのできたスネイプ先生の苦しみを嘆き、普段から自分の悲しみを封じ込め気持ちをすり替えていたからではないかと想像し、どれほどの苦しみを押し殺してヴォルデモートの腹心の部下を演じ続けたのだろうと心を痛めました。
次に思いついたのが、自分の悲しみを封じ込める力が強かったからではなく、それほど強い愛があったということなのではないか、リリーを失った悲しみが心を閉ざす力を強めたのではなく、リリーを愛する気持ちが、ヴォルデモートを寄せつけなかったのではないかと考えました。内に閉じ込める力が働くのではなく、内からの力が外部からの侵入を許さない、というイメージです。

後者は今も私の閉心術のイメージですが、それは見せたくないものをどうやって見せないか、ということであって、ではヴォルデモートがスネイプ先生に対して開心術を使うと何が見えるのか、ということまでは書いていませんでした。
何も見せない、ということも可能かもしれませんが、逆に不自然過ぎるので、何かは見せているのではないかと思います。

私のイメージでは、ハリーがプロテゴでスネイプ先生の記憶を覗いてしまった時に見えたものが近いです。
不仲な両親と泣いている自分とか、箒にうまく乗れない屈辱的な場面とか、要するにヴォルデモートがその時確認したいと思っている事柄とは無関係の昔の記憶が見えるのではないかと思っています。

ハリーは閉心術の初授業の日、スネイプ先生との個人授業を嫌がりながらもしぶしぶ研究室に赴き、説明を聞いて、何をしたら良いかわからないまま無防備に開心術に晒されました。
すると、切れ切れの映画のように、画面が次々に心を過ぎり、最初にハリーが目にしたのは、五歳の時の光景でした。
ここでは、ハリーはスネイプ先生に対しての憎しみや怒りを隠そうともしていないのにスネイプ先生とは無縁の記憶が呼び起こされています。
つまり、それが疚しいことのない人が開心術を受けた時の自然な反応なのだと思います。
ハリーがセクタムセンプラをドラコに向けて使ってしまった時、スネイプ先生はハリーに開心術を使いました。その時、ハリーはプリンスの上級魔法薬の本を思い出さないように努力しながらもそれを頭に浮かべることを止められませんでした。
疚しいことがあった時、たいていの人はそれをイメージするのを止められず、相手に知られてしまうのだと思います。
スネイプ先生は、ヴォルデモートに対して嘘をついても疚しい気持ちにならない強さを持ち、特に見せる記憶をコントロールするわけではなく、自然な反応らしくその場面とは無関係な記憶は見せ放題にしていたのだと私は考えています。

5巻の閉心術の課外授業で呼び起こされたハリーの記憶については、以前「非常に強い感情が湧き上がった時の記憶が選ばれているのではないか」というようなことを書きました(蠅を打ち落とす少年
その点については今も同じ考えで、スネイプ先生の場合も、心が強く動いた場面の記憶が見られ易いのだと思います。
ハリーとの個人授業であらかじめ抜き取っておいた記憶などは、まさにその最たるもの。
屈辱感と怒りと激しい後悔の混じった感情が蘇るその場面は、抜き取っていなかったら真っ先に見られてしまう記憶なのだと思います。
そして、ヴォルデモートに対しては、マグルを「汚れた血」と呼び、グリフィンドール生を攻撃したり罵ったりする場面は特に隠す必要もないことなので、たぶんたびたび見られたことでしょう。同時に自分も見なくてはならない辛さに耐えながら、スネイプ先生は黙って開心術を受けていたのだと想像しています。

● COMMENT ●

開心術 閉心術

開心術
二尋さんの言われる通り何も見せないのではヴォルディモート卿は信用しないし、許すわけもありません。
ダンブルドア校長が英版5巻p733で
“But I am a sufficiently accomplished Legilimens myself to know when I am being lied to”
と言ってクリーチャーから情報を引き出しています。
もちろんヴォルデモート卿も同じことが、できたはずで開心術によってランダムな記憶の断片を見ていたのでは無いと思います。だから、スネイプ氏も偽の記憶を用意して、うまく誘導していたはずだと思っています。

閉心術 
スネイプ氏が英版5巻p471で
“I have been told that you have already shown attitude at resisting the Imperius Curs.You will find that similar powers are needed for this…”
とハリーに言っています。
服従の呪文によって得られる心地よさに抗うには強固な意志が必要でしょう。同じように閉心術も強固な意志が必要でしょう。でも、強固な意志の持ち方は、手取り足取り、教えられません。心の持ち方、これも同じです。試行錯誤をしてでも自分で習得するしか無いのです。だから、スネイプ氏は何度もハリーに開心術をかけたのでしょう。

ハリーが閉心術が出来なかったのは、無意識かもしれませんが、どこかで、する必要がないと思っていたのでしょう。

英版6巻p302に
ドラコが閉心術をベラトリックスから習い習得したことが書かれていて、スネイプ氏の開心術を退けています。
ドラコに愛の力が無いとは言いませんが、誰かが死んだわけでは有りません。与えられた任務を遂行する為にも、必死で練習したのでしょう。

Re: 開心術 閉心術

あっちゃんさん、コメントありがとうございます。

>偽の記憶を用意
そうですね、それが多くの人のイメージではないかと思います。
スラグホーンが改ざんした記憶を渡したことを考えても、記憶を人為的に操作することは可能でしょうし。
作者にインタビューしたら、やはりそう返ってくるかもしれないな、と思いつつ、イメージはやはり変えられなかったんです…。

上手く言えないのですが、見せたいもの(偽物であっても本物であっても)を見せることは意外と難しく(スネイプ先生ならできるとは思いますが)、それができることが却って不自然に見えてしまう気がするのです。ヴォルデモートが確認したい情報を、誰かがそのまま口にしている光景が見えてしまう方が怪しい感じです。
一般人(他の死喰い人)の疚しいことがない場合の反応、程度にしておいた方が怪しまれない、という発想です。
スネイプ先生がハリーに開心術をかけてプロテゴで跳ね返されて自分に魔法がかかった時が、まさに後暗いところのない状態だったので(見られたくない記憶は抜いていたし)、その時ハリーが見た程度のものが見えるのではないか、と考えたわけです。

それから、ランダムな記憶の断片と考えるのは、スネイプ先生が5巻で開心術の説明をしている部分の影響も強いかと思います。
'Only Muggles talk of "mind-reading"(読心術はマグルの言い種だ)'
'Thoughts are not etched on the inside of skulls, to be perused by any invader.(思考とは、侵入者の誰彼なく一読できるように、頭蓋骨の内側に刻み込まれているようなものではない)
'It is true, however, that those who have mastered Legilimency are able, under certain conditions,to delve into the minds of their victims and to interpret their findings correctly. 「しかしながら、『開心術』を会得した者は、一定の条件の下で、獲物の心を穿ち、そこに見つけたものを解釈できるというのは本当だ」
'Only those skilled at Occulumency are able to shut down those feelings memories that contradict the lie, and so can utter falsehoods in his presence without detection.「『閉心術』に長けた者だけが、嘘とは裏腹な感情も記憶も閉じ込めることができ、帝王の前で虚偽を口にしても見破られない」

開心術について、「心を読むのではなく、見つけたものを解釈できる」という説明から、開心術で目にすることができるのは、偽物であろうと本物であろうとそんなに長い場面ではないことがうかがわれます。
ペンシーブで見る記憶のように、時間の順に筋道を立てて説明できるようなものではなく、断片的な映像が見られる程度ではないかと思いました。どんな熟達者でも。
また5巻のダンブルドアの言葉も、引用してくださった文章に続く部分(and I - persuaded him - to tell me the full story,)から、ダンブルドアはクリーチャーの虚偽を見抜いて、結局は説得して真実を全て語らせた、ということだと思っています。クリーチャーが話したがらなかった全記憶を、開心術を使って勝手に見たのではなく。ダンブルドアが開心術で目にしたのもやはり言葉とは違う断片的な映像だったのだと思います。隠したい記憶のある人でも説明的な場面でなくハリーのように上級魔法薬の本の映像が出てくるくらい。
隠すべき疚しい記憶のない人はランダムな記憶の断片の映像が出てくるというのが、私の感覚です。

閉心術について、ハリーがどこかでする必要がない、と思っていたというのは、全く同感です。
スネイプ先生の場合、あっちゃんさんのおっしゃる強固な意思を生む力こそが愛だと私は考えています。
一つはっきりさせておきたいのは、ヴォルデモートにすら破ることのできなかったスネイプ先生の閉心術は愛の力に依るものではないか、というだけで、閉心術の習得自体に愛の力が必要だとは思っていません。
とはいえ、ドラコの場合も、家族に対する愛の力は相当なものだったと思います。
与えられた任務を遂行する必要があったのは、そうしなければ自分だけでなく家族も皆殺しにされるからではないでしょうか。
実際の死を経験しなくても、家族を守りたいと強く思う気持ちは、閉心術を身につける力になったと私は思います。


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