topimage

2017-10

スポンサーサイト - --.--.-- --

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

気になる訳 - 2008.01.15 Tue

原書を読んでから日本語訳を読むのは、7巻が二度目となります。
前回の6巻の時は新しい人物の描き方など多少の違和感はありましたが、スネイプ先生に関してはそれほど違和感なく読みました。既に一人称など日本語での先生のイメージに変換されて読んでいたからかもしれません。

でも、今回は日本語に訳されるにあたってとても気になる部分があります。
それは‘Look...at...me...’の部分です。

私は最初にこの部分を読んだ時、先生がハリーに開心術を使うように言っているのだと解釈しました。何か伝えたいことがあって目を見るように言ったのだと思ったのです。
次の章で、伝えたいことは全て銀青色の物質に込められていることがわかったと同時に、その言葉の持つ意味も違うものだとわかりました。
多分、作者もその辺を狙っていたのではないかと思っています。
つまり、次の章を読むまでは、先生は最期にハリーに開心術を使えと言ったと読者に誤解させる狙いがあったように思います。
ここは日本語でもそう誤解させる必要があると思います。

また、この部分私はスネイプ先生が「リリーの目に見て欲しかった」と解釈しましたが、「リリーの目を見たかった」「ハリーを見たかった」と他にも2通りの解釈のコメントをいただいています。
ここは原文と同様、読む人によって色々解釈できる日本語訳が必要になってくると思います。

開心術と誤解させたり、色々解釈させたりするには、どうとでも取れる言い方をしなければなりません。ここで気になるのが一人称です。
少年時代のセブルスはたぶん日本語でも「我輩」とは言わせないと思います。「僕」でしょうか。

この最期の言葉、私はリリーに見て欲しかったと解釈したわけですが、となるとあの言葉を言った先生はいったいどの時代にいたのだろう?と思いました。「リリーに見て欲しい」と思っていたセブルスは今の時代だけとは限りらないので。
好きになったばかりの頃のとても素直だった少年時代か、リリーに別れを告げられたO.W.L試験の日か、リリーの死に激しく嘆いた日か、それとも現在か。

このように色々想像できるのも英語の一人称は全て「I」だからです。
ここを例えば「我輩を...見ろ...」と訳せば、読者は末期(まつご)のスネイプ先生はどの時代にいたのだろう?と考える暇なく現在の先生の言葉と受け取ります。
また「見ろ」と強い命令口調だと開心術を使えと指導したように誤解することはたやすいけれど、「リリーに見て欲しかった」「リリーを見たかった」とは感じにくくなります。
「我輩を...見て...」にすると懇願の色が強い感じがします。
「我輩を...見て...くれ...」は妥当な気もしますが、やっぱりあくまで先生は現在にいる感じです。
ここはいっそ、一人称を抜きにして訳した方が良いように思います。
「目を...見て...」か「目を...見て...くれ...」はあたりはどうでしょうか?

ここをどう訳すかによって、松岡さん自身の解釈も見ることができるのではないかとちょっと期待しています。

やっと «  | BLOG TOP |  » 映画最終作

拍手コメントについて

拍手コメントをいただいた時は、その記事のコメント欄にお返事いたします。

プロフィール

二尋

Author:二尋
スネイプ先生への愛を語らずにはいられません。         

カテゴリー

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

スクロール式になっています

前ブログからの訪問者数

リンク

このブログをリンクに追加する

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。