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2017-08

登場しない場面 - 2012.04.14 Sat

スネイプ先生の登場場面について、前回で全て語り終えました。
5巻を読んでスネイプ先生に恋に落ちた私ですが、その時1巻から読み返し、その言動があまりに謎に満ちていることに気付かされました。
大好きなのに、その人物像が定まらず、私の中のスネイプ先生像をはっきりさせる目的で、このブログを立ち上げました。
全ての場面を語り終えた今、私のスネイプ先生像は定まりました。
それについては、後日まとめることにし、今回は、番外編というか、7巻の残りのページの、気になった部分を書いてみます。


ホグワーツはハリーにとって初めての最高に素晴らしい家庭だった
ハリー、ヴォルデモートそしてスネイプと、身寄りのない少年たちにとってはここが家だった……。(7巻34章p.465~466)

ここでつくづく思うのは、ハリーはこの時スネイプ先生の気持ちが分かっている、ということです。多分、フィルターがはずされたハリーのこの解釈は、そのまま作者が言いたかったスネイプ先生とハリーとヴォルデモートの共通点の一つなのだと思います。
両親が揃いながら、家を出てホグワーツに行くことに希望を持っていたセブルスには、家庭に居場所がなかったのだと思うと辛いです。せめて、ハリー同様、ホグワーツを素晴らしい家庭だと思っていてくれたら、私も救われます。


「哀れなセブルスよ……」(7巻35章p.503)
‘Poor Severus’(UK版7巻p.578)

この意味が、今一つわかりません。そもそもこのpoorのニュアンスがよくわかっていないというか。
「哀れな、かわいそうな、気の毒な」という日本語訳がありますが、そこに込められた感情は、同情なのか、ちょっと下に見る憐れみなのか。
ニワトコの杖に対するヴォルデモートの執着の犠牲となったことを気の毒がっているようにも見えるし、ダンブルドアの計画の一部となって命を落としたことを申し訳なく思って言っているようにも見えるし。
そこがわかりません。
いずれにしても、ダンブルドアにはスネイプ先生の死は予測できたことだと思っています。
わかっていて回避する措置は取られなかった、というか、その死自体、ヴォルデモートに杖の所有権を得たと確信させるために利用されたとも考えられ、戦慄を覚えます。
ダンブルドアの計画に組み込まれたのは、賢さ、魔法力、論理的な思考、冷静な判断力などの能力とリリーへの一途な愛、ダンブルドアへの忠誠心などによると思いますが、もう一つ、「私も死にたい」と言ったことも大きい気がします。
「おまえの死が誰の役に立つのじゃ?」と当時は言われましたが、スネイプ先生もまた、その死を役に立てるため、死ぬべき時に死ぬことができるよう、生かされてきたのではないかという気がします。死ぬべき者として印され、危険な任務を与えられたのだと。
「哀れな」の一言で済まされない思いは、依然として私の中にあります。


「死者を哀れむでない、ハリー。生きている者を哀れむのじゃ。特に愛なくして生きている者たちを。」(7巻36章p.505)

この時の「哀れむ」にはpityが使われています。
この言葉にも激しく心を揺さぶられます。
だったらなぜ生きている間のスネイプ先生をもっと哀れまなかった?みすみす死者にしてしまって!と思ってしまうのです。
愛なくして生きている者と言えば、真っ先にヴォルデモートが浮かびますが、そもそも彼と出会った時点でもっと哀れんでいれば、こんな事態にはならなかったでしょうに。
また、ハリーが考えたように、セブルスも「身寄りのない少年」で幼少期に十分愛された実感が無かったと思われ、入学時にもっと哀れんでいれば、悲劇は起こらなかったかもしれません。
ダンブルドアは、そんなスネイプ先生がリリーの死後、唯一心を開いて話せる存在だったのに、碌にその心に寄り添わなかったことを、深く反省して欲しいものです。


「アルバス・セブルス」
「おまえは、ホグワーツの二人の校長の名前をもらっている。その一人はスリザリンで、父さんが知っている人の中でも、おそらくいちばん勇気のある人だった」(7巻終章p.557)

ハリーが自分の子どもにスネイプ先生の名をつけたことも、「いちばん勇気のある人だった」と言ったことも、私には大きな驚きでした。
自分の子どもにその名をつけるというのは、相当な思い入れがあるということです。そこに尊敬の念がなければ、到底できないことです。
ずっとハリーに“憎い男”と認識されてきたスネイプ先生が、“一番勇気のある人”に昇格するまで、ハリーの中では色々な想いが渦巻いただろうと思います。
それでもきちんと消化して、そこまで変化させたハリーの謙虚で公正な態度、懐の大きさを私は尊敬します。
そして、そんなハリーの内面こそが、「深いところで、あの子の性格は母親のほうに似ておる」(7巻33章p.446)と言われたリリーとの共通点ではないかと思います。
スネイプ先生が愛した女性は、やはりそれだけの人物だったのだと、ようやくここに来て思えました。

● COMMENT ●

私的見解

初めまして。
いきなりコメントを残してすみません。
二尋様の意見をよみ、私なりに感じたことを書かして頂きたいと思います。

>この意味が、今一つわかりません。

二尋様の意見を読むまで疑問にも思いませんでした。
急いで手元にある、訳書を開きました(笑)

私なりの解釈ですので、間違っていたらすみません。

ダンビーにとってセブルスの死は計画のうちにあった、確かにそうだと思います。
しかし、それはもともとヴォルデモートに杖の所有権を渡したかったのだと思います。
ダンブルドア→スネイプ→リドル
という風に。
それが、ダンブルドアの計画であった。
しかし、現実にはダンブルドアの思惑とは違い、所有者にはドラコがなってしまいました。
そのことによってスネイプの死はダンブルドアの中で「無駄死に」という分類に入ったのでは、と思います。

死ななくてもよかったのに、セブルスは死んでしまった。
そのことに、「哀れ」と言ったんじゃないでしょうか。

結果的にはヴォルデモートに自分が所有者と思い込ませるため、という結論になるのでしょうが、ダンブルドアの当初の計画から行くと、「無駄死に」の部類に入るんじゃないかな、と思います。

>ハリーが自分の子どもにスネイプ先生の名をつけたことも、「いちばん勇気のある人だった」と言ったことも、私には大きな驚きでした。

私にとっても大きな驚きでした。
あんなに嫌いだといっていたスネイプを受け入れることが出来たことが。
そして、一番大事な子供にその名前を付けたことが。

でも、少し思うんです。
これはハリーたちにとっては感動(?)のエンドですが、セブルスにとっては屈辱エンドではないだろうかと。

セブルスがハリーを守った理由は「リリーの忘れ形見」だから。
セブルスにとってはリリーが最優先すべき人、むしろリリー以外の人はどうでもよかった。
とくにジェームスなんて死んでしまえばいいと思うほど憎かったわけです。
けしてハリーのことを愛していたわけじゃない。
あくまでも「リリーの息子」を守りたかった。
だから33章で
「このことは私たち二人の間にとどめてください!私には耐えられない・・・とくにポッターの息子などに・・」
とダンブルドアに言っています。
正直、ジェームスはどうでもいい。
ジェームスの息子なんかしるか!
といった感じです。

だからハリーには知られたくなかった。
なのに、知らせてしまった。

それでハリーの中で勝手にいい人認定されちゃったわけですよね。
セブルスは「ジェームスの息子の評価なんていらない、とゆうか、欲しくない」と思っていたのに、いい人と(いや、実際にめちゃくちゃいい人なんですけど)されたことに屈辱を感じると思うんです。

ハリーなんかに「一番勇気のある人」なんてセブルスは言ってほしくなかったのに、さらに息子に名前まで付けた。

あのエンドはセブルスにとって考える限り最悪の終わり方だったと思います。

だからと言って、アルバス・セブルスもハリーも全く悪くはないんですけど。

長々と、そして本題から離れたことを語り、すみませんでした。

はじめまして!

ソースケさん、はじめまして。
コメントありがとうございます!

まず、整理しておきたいことがあります。
ダンブルドアの計画では、ドラコに所有権が移動することは想定外でした。
しかし、スネイプ先生にも所有権を渡すつもりはなく、ヴォルデモートにも主有権を渡すつもりはありませんでした。
あくまで、スネイプ先生に所有権が移ったかのように見せかけるだけで、本来ならダンブルドアが所有権を持ったまま、死を迎えるつもりだったのです。
だから、
> しかし、それはもともとヴォルデモートに杖の所有権を渡したかったのだと思います。
> ダンブルドア→スネイプ→リドル
> という風に。

とはならないと思います。
→グレゴロビッチ→グリンデルバルド→ダンブルドア
と、ダンブルドアでおしまいのつもりだったと思います。
ただ、スネイプ先生に所有権が移ったように見せかけるため、ダンブルドアはスネイプ先生に自分を殺せと命じました。
スネイプ先生は杖の秘密など知らず、ただ頼まれたから殺しましたが、その結果杖の秘密を知ったヴォルデモートに殺されました。
ヴォルデモートにとっては、スネイプ先生に所有権が移ったようにしか見えなかったのは、ドラコの件の誤算がなかったとしても同じことだったと思います。
ドラコに所有権が移動したからこそ、実際は
ダンブルドア→ドラコ→ハリー
と所有権が移り、ハリーはヴォルデモートに勝利しました。
この誤算がなかったら、一体どうやって勝つつもりだったのか、ということを、日記の方にも書いたことがあるので、良かったらご覧ください。http://futahiro.blog18.fc2.com/blog-entry-2820.html
むしろドラコに杖の所有権が移ったことでスネイプ先生の死が無駄にならなかった、という方が近いように私は思います。
この「哀れな~」と言った時点ではまだハリーはヴォルデモートに勝利していませんが、少なくともハリーの中のヴォルデモートの魂だけを殺してハリーが生きている、という状況では、ダンブルドアの中で「無駄死」とはならないように思います。

ハリーが自分の子どもにセブルスの名をつけたことについてのご意見ですが、
> これはハリーたちにとっては感動(?)のエンド
全く、その通りだと思います。
私もこの記事で、スネイプ先生がそれをどう感じているか、までは触れませんでした。
というのも、今後そのことを別に書こうと思っているからです。
ただ、スネイプ先生がどう感じようが、そのような形で自分の気持ちの整理をつけたハリーを、私は良い人だなあ、と感心したのも確かです。

ご意見聞かせてくださってありがとうございました。
また何か気付いたことがありましたら、ご意見聞かせてください。

はじめまして

毎回、考察を楽しく拝見しております。

「哀れな~」という言葉に関し、ちょっと書きたいなと思いはじめてコメントいたします。
ハリーポッターには映画から入り、しかも今年になってハマったので読み込みが甘く、浅い考察ですがご容赦ください。


ダンブルドアが教授に「死ぬべき時が来たら死ぬであろう任務」をかしている間、ダンブルドアが知らなかった教授の本心がありました。
ずっとリリーを想っていた、ということです。
ダンブルドアは教授をある意味で利用していたと感じていますが、リリーへの永久の愛を知ったダンブルドアに何かしら心情の変化があり、教授の死を悼む気持ちが芽生えたのではないかと考えています。


作者が何かのインタビューで「スネイプは愛されたことがある。だから愛を知らないヴォルデモートよりある意味罪深い」と言っていたことがあります。
記憶にないほど幼い頃のことなのか、または教授が愛されていることに気づかなかったのかはわかりません。
ですが個人的に、教授は自分にとって重要でない人物を排除する排他的で残忍さもあるアダルトチルドレンな面のある人、というイメージを持っており気づかなかった可能性もある気がします(どこかでダンブルドアがハリーに対し、教授のことを「大人しくじり」と言っていた場面があったのも、アダチルの印象を受けた理由のひとつです)。そんな教授は、ダブルエージェントという任務には適任者だったと思います。
ダンブルドアは教授を信頼してはいましたが、それは任務に於いてであり慈愛ではなかったように思います。
リリーへの愛を根拠にハリーを守ることを命じたダンブルドアも、長い年月でそのことを失念していたか、キッカケに過ぎないと思うようになっていたのかもしれません。

愛する者のために自らを犠牲にする勇気は、ダンブルドアも間際まで知らない以外な彼の一面だったはずです。

もっとはやくに気づいていれば、きっと違う関係性になったのではと思うと歯がゆいですが。

>ほしひこさん

ほしひこさん、お返事遅くなって申し訳ありません。
改めまして、コメントありがとうございます。
考察というか、感情の赴くままの語りですが、読んでくださってありがとうございます。

> ダンブルドアが教授に「死ぬべき時が来たら死ぬであろう任務」をかしている間、ダンブルドアが知らなかった教授の本心がありました。
> ずっとリリーを想っていた、ということです。
私はこれ(リリーを愛するスネイプ先生の気持ち)を、ダンブルドアはずっと知っていた、と考えていました。
ほしひこさんのおっしゃるように、「長い年月で失念していたか、キッカケに過ぎない」と考えたことがないわけではありませんが、忘れるなんてことがあるでしょうか?ダンブルドアの立場になって考える癖がついていないのでよく分かりません。
まさしく同じ疑問を日記の方に書き、いくつかコメントをいただき、ディスカッションしているので、もしご覧になったことがないようでしたら、こちらをご覧ください。
http://futahiro.blog18.fc2.com/blog-entry-2796.html
リリーを一途に想う気持ちをダンブルドアが理解していなくて、校長室でパトローナスを出して見せたあの場面で初めてスネイプ先生の気持ちに気付いたのだとしたら、そこで心情の変化があってスネイプ先生の死を悼む気持ちが芽生えた、というのも理解できます。
ただ、そこで初めて気付いたとは今の私にはどうしても思えなくて、この「哀れな」の解釈も難解です。

> 作者が何かのインタビューで「スネイプは愛されたことがある。だから愛を知らないヴォルデモートよりある意味罪深い」と言っていたことがあります。
MuggleNet と The Leaky Cauldronという有名なファンサイトの管理人さんとローリングさんとの対談でのことですね。
Has Snape ever been loved by anyone?
JKR: Yes, he has, which in some ways makes him more culpable even than Voldemort, who never has.(http://www.mugglenet.com/jkrinterview3.shtmlより)
この回答を言葉通り受け取って良いのか私は解釈に悩んでいます。
このローリングさんの言葉は7巻前のもの(6巻後)で、「スネイプ先生が、リリーはもちろん、誰かを愛したことがある」ということすら明らかになっていませんでした。
そんな中で「誰かに愛されたことはありますか?」と質問されて「あります」と答えたものです。今見ると、「愛されたこと」より「愛したこと」を念頭に置いた回答のような気がします。
当時私はこれを、両親に愛された、という意味であって欲しいと思いました。そうであったかどうか確信できる描写は残念ながら7巻にもありませんでしたが、7巻発売後のインタビューでは、リリーも友達としてならスネイプを愛していた、というようなことを言っています。このことかもしれない気もします。


> 個人的に、教授は自分にとって重要でない人物を排除する排他的で残忍さもあるアダルトチルドレンな面のある人、というイメージを持っており気づかなかった可能性もある気がします(どこかでダンブルドアがハリーに対し、教授のことを「大人しくじり」と言っていた場面があったのも、アダチルの印象を受けた理由のひとつです)。そんな教授は、ダブルエージェントという任務には適任者だったと思います。
最近、「アダルトチルドレン」という言葉は、慎重に使いたいと考えています。
その定義が曖昧で、使い方によっては傷つく人も出てくると思うので。
スネイプ先生がそう言われることがあるのは知っていますし、私自身そう思ったこともあり、実際使ったことがあったかもしれません。
が、だんだんその言葉の理解が十分でないことに気付き、付け焼刃の調査ではとても私の血肉とすることができない奥深さだとわかったので、この件に関しては、私はお返事することができません。ごめんなさい。
一つ気付いたのですが、「大人しくじり」ではなく「大しくじり」ではないでしょうか。
そうだとしたら、6巻4章p.119に載っています。原文では「fiasco(大失敗)」となっています。

> ダンブルドアは教授を信頼してはいましたが、それは任務に於いてであり慈愛ではなかったように思います。
私もその可能性は考えますが、未だその結論に至ることができません。
というのは、スネイプ先生にとってそれはあまりにも残酷だと思うからです。
スネイプ先生の能力を買っていただけだとしたら、それは結局ヴォルデモートと同じです。
スネイプ先生はダンブルドアに心を寄せて欲しかったのだと、ハリーと同じように自分にも愛を注いで欲しかったのだと思っています。
私としては、ダンブルドアは、ちゃんと一人の人間としてスネイプ先生を見ていて、その気持ちも知った上で、目的のため仕方なく駒として使っていた、と思いたいところですが、こうして文章に書くと、どっちが残酷なのかわからなくなりました(笑)

> 愛する者のために自らを犠牲にする勇気は、ダンブルドアも間際まで知らない以外な彼の一面だったはずです。
これも私にはよくわからないです。
何もかもわかっていて使われた、と思っているので、そう考えたことはありませんでした。
だから、「哀れな」の意味を理解することができないのかもしれません。

私の中のスネイプ先生の人物像が定まるに従って、ダンブルドアのイメージも固定化しつつあり、柔軟に考えられなくなっていると感じています。新しいご意見聞かせて下さってありがとうございました。
また何かお気付きのことがありましたら教えてください。

別ブログから

こんにちは。手首が痛いと仰られている時にコメントしてしまいすみません。とりあえずお読みいただければと思います。
 ダンブルドアはスネイプ先生を死なせるつもりはなかったのではないでしょうか。もう一つのブログでで二尋さんが書かれたこの部分です。
「それとも、平凡な杖になるのではなく、ただの棒切れになってしまって、全く魔法が使えなくなるということでしょうか。
でも、それだったらかなり早い時期にそれに気付き、使い物にならない棒切れを使い続けるとは思えません」
 まさにダンブルドアはそう考えていた。ヴォルデモートが杖に魔力がないと思ったのならスネイプ先生を消す必要はありません。それにヴォルデモートは杖の法則はあまり詳しく分かっていないようなので、示し合わせた死だから、とか思い及ばないのではないでしょうか。スネイプ先生がダンブルドア側だということも、考えもしない気がします。(ある意味純粋)
 万一、問い詰められたとしても“セブルスなら上手く切り抜ける”とダンブルドアは考えていたのだと思います。切り抜けられる状況もダンブルドアが作りました。瀕死の状態で殺されるように。「あー、我輩ダンブルドアを殺ったと思ってましたが一瞬前に勝手に死んでたんですねー、なーんだ」という具合に。上手くすればヴォルデモートが自分でそう思ってくれたかも知れません。
 死なせるつもりはなかったので「哀れなセブルスよ」と言ったのではないでしょうか。勿論私もこのセリフで「そんだけかい!」と思いましたが。
 ではご無理なさらず、手首がよくなられました時にでもお返事いただけましたら幸いです。

>こはちゃん さん

こはちゃんさん、お気遣いいただき、ありがとうございます。

うーん、別ブログでの「ただの棒切れ」発言は、「まさかそんなことはないよね?」という意味を込めてのものでしたが、ダンブルドアはそう考えていたのでしょうか?

仮にそうだったとして、全くただの棒切れになって借り物の杖ほどの威力すらなくなった時、ヴォルデモートはその原因をやはり「自分の所有物じゃないから」と考えそうな気がします。
ヴォルデモートは、オリバンダーから「最強の杖」の話を聞きだし、ダンブルドアの墓を暴きました。
その時、手に入れた杖が棒切れに過ぎないものだったら、「全く魔法が使えない代物になっているのは、あいつのせいだ」とやっぱりスネイプ先生に矛先を向けなかったでしょうか。
杖の術を正しく理解しているとは思えないヴォルデモートは、杖の魔力が消えた理由を、「自分に所有権がないから」と考えても不思議はない気がしますし、「自分に所有権がない可能性がある」程度であっても中途半端に様子を見たりせず徹底的に原因を取り除こうとしそうですから、やっぱりスネイプ先生が狙われたような気がします。

ただ、私がそう考えるだけで、ダンブルドアはそこまで考えず死なせるつもりがなかったというのであれば、「哀れな」も納得できます。そうであって欲しいです。
スネイプ先生の死まで計算に入っていたと思うからこそ、疑問に思う一言です。

ついに頷いたわけ

 こんにちは。最近ずっと忘れていた、ある場面の最初に抱いたイメージを思い出しました。スネイプ先生がダンブルドア殺害を依頼されて“ついに頷く”ところです。どう感情移入しようとしても、あれでは(その前のダンブルドアのセリフ)頷けないのです。思い出したのは、スネイプ先生にも“ドラコを助けてやりたい”という気持ちがあったから、という事です。「何なりと」の約束の効力でも、目力に負けたわけでもない。
 最初に、茶化すうな調子で「あの子に自分を殺させるおつもりですか」と訊いていますが、もしダンブルドアが「そうじゃ」と言おうものなら「何か別の方法はないのですか」と必死になったことでしょう。それがいきなり「いやいや君が」と言われてしまう。そりゃ長い沈黙が流れますね。
 スネイプ先生は「ドラコにそうさせてやったらいかがですか」と言いますが、本気で言っているわけではなく、自分がドラコにそうさせるのは可哀そうで出来ない、と思っているので、何故ダンブルドアは自分にそんなことをやれと言う事が出来るのか、納得のいく説明が聞きたかったのでしょう。ここでダンブルドア、嘘でもいいからもっとマシなことを言えば良いものを、ストレートに一番納得のいかない事を言いますね。
「ドラコは可哀そうだから、君ヨロシク」なんて言われて、自分ならいいのか、とないがしろにされた悲しい思いを抱いて、それでもドラコを助けたいという思いがあったからこそ、ドラコの身代わりになって自分の魂を引き裂かれる覚悟を決めたスネイプ先生の純粋な気持ちを、ダンブルドアはわかっているのでしょうか。
 

切ない

こはちゃんさん、コメントありがとうございます!

>ドラコを助けてやりたい
素敵な解釈だと思います。
この場面、スネイプ先生のダンブルドアに対する想いばかりに目が向いて、ドラコに対する気持ちの方はあまり考えていませんでした。
スネイプ先生がスリザリン生を贔屓していたのは、本当に大切に思っていたからだと考えています。
だとしたら、ドラコの魂を守りたいと考えても不思議ではありませんね。
今まで一度もそのような発想をしたことがありませんでしたが。

>ないがしろにされた悲しい思いを抱いて、それでもドラコを助けたいという思いがあったからこそ、ドラコの身代わりになって自分の魂を引き裂かれる覚悟を決めた
そう見ると一層切ないです。ダンブルドアにもドラコにも心の内を知って欲しいです。

ハリーが運命の子になったのは

はじめまして こんにちわ。
先日久しぶりに映画のDVDを観まして、卒業したつもりになっていたハリポタ熱が復活し、ブログ等を漁っていて、こちらにたどり着きました。
スネイプ先生についての二尋さまのいろいろな考察を読ませて頂いて、自分でもいろいろ考えているうちに、一つの考えにたどりつき、お話ししたくなってしまいました。突然にお邪魔させて頂いてすみません。

思いついたというのは、ハリーが運命の子になったのは偶然ではない、スネイプ先生の人生と絡みついてのものだったのではないか、ハリーの戦いは、スネイプ先生の運命の戦い?でもあったのではないか、ということです。

リリーがスネイプ先生でなくジェイムズを選んだのは、ジェイムズが自分の愚かさやダメさを曝しながら愛を乞う人だったのに、若きスネイプ先生はそれができなかったから。尊大な羞恥心、臆病な自尊心のせいで、自分を庇ってくれたリリーに「穢れた血」と言ってしまい、そのまま別れて、死喰い人にまで突っ走ってしまった。
リリーはハーマイオニーとどこか似たタイプのように思うのですが、ハーマイオニーは無能で拗くれてて嫉妬心からハリーを置き去りにするような、でも反省して戻ってくる勇気ある(さぞかし恥ずかしかったろう)ロンを選びました。そういう愛の深いタイプです。だとしたら、スネイプ先生にも本当はチャンスがあったはず。でも、若きスネイプ先生にはできなかった。

予言を聞き、自分が誰よりもリリーを愛し続けてきたことに漸く気づいたスネイプ先生は、でも既にリリーから遠く隔たったところにいた。ダンブルドアの、ダンブルドア自身を含めて間違った人を信用したという言葉は、残酷ですが、事実かと。
誰よりもリリーを大事に思うスネイプ先生こそがリリーの隣に居て、守るべきだった。けれども、そのことに気づいた時、スネイプ先生はリリーの隣に居る権利がなかった。愚かなポッターなんぞがリリーの隣にいて、浅はかなシリウスの姑息な小細工でリリーは死んだ(ダンブルドアに秘密の守人になってもらうべきだったのにそうしなかった二人の浅はかさ、本当に二尋さまの考察の通りだと思います)。
リリーの隣で、リリーを守って共に死ぬこともできず、リリーが「dead」なのに自分だけ「alive」になってしまった。みずからの愚かさと弱さのせいで。

で、思うにヴォルデモートって、スネイプ先生からリリーの命を救って欲しいと頼まれたのに殺した、じゃなくて、頼まれたからこそ殺した、みたいな拗くれたところがあるヤツだと思うのです。そういう、「人の感情や愛をいたぶって愉しむ」ような。
スネイプ先生がああ言ったからこそ先にリリーたちに手を出し、それでハリーは運命の子になった。
つまり、ハリーが運命の子になったのは、リリーがハリーを命に換えて愛していたからだけじゃなくて、
命に換えてもとリリーを愛していたのに、卑怯で臆病だったせいでリリーから遠く隔たってしまい、結果的にリリーを見殺しにすることしかできず、「I wish I were dead」と叫ぶことになったスネイプ先生の愛をも背負う子だったからではないか、と。

と、ここまで考えてきて、うまく言えないのだけど、杖をめぐるダンブルドアの企みの必然的な結果としてヴォルデモートによって殺されることになったことを理解しつつ、ダンブルドアに言われた最後の使命を果たし、ハリーの顔のなかのリリーの目を見て死んだスネイプ先生は、ようやく行くべき場所に行けたのでは。
蘇りの石の呼び返した死者の影のなかにスネイプ先生は居なかったし、あの空間のなかにもダンブルドアしか居なかったけど、ハリーの一番近いところにスネイプ先生は居たような気がするのです。

あと、ダンブルドアはスネイプ先生を自分に一番近い同志として信頼し、愛していたようにも思えます。

リリーを見殺しにしたのに比べれば、死にかけダンブルドアの命の引導を渡すぐらい大したことではないし
I wish I were deadに比べれば、死ぬべき時に死ぬ運命が与えられたのはむしろ名誉なくらい
そう自分の運命を受け止める男だって。

はじめまして!

いろいろな思いさん、はじめまして!
一度卒業された方が戻っていらっしゃるのはとても嬉しいです。

リリーがスネイプ先生ではなくジェームズを選んだ理由、なるほどと思いました。
本質的には大差ない二人を分けたのは、その後の行動だったということですね。セブルスが、絶交を言い渡されてそのまま死喰い人の仲間入りをしてしまったのではなく、それまでのように不器用ながらも愛を表現し続けていれば、リリーの理解と愛を得られたかもしれない、そんな気がしてきました。
ただ、その頃のセブルスが考える死喰い人は、実際とずれていたように思われ(単に力を発揮できる場程度の認識)、入ってみて現実を知って愕然としただろうと思っています。

> スネイプ先生がああ言ったからこそ先にリリーたちに手を出し、それでハリーは運命の子になった。
ネビルではなくなぜハリーが、ということを考えたことがなかったので目からウロコが落ちる思いです。確かに、母の愛としてはリリーとネビルの母アリスに差は無いはず。違うのは、“スネイプ先生の愛をも背負う”という点、大いに納得できました。

ただ、> で、思うにヴォルデモートって、スネイプ先生からリリーの命を救って欲しいと頼まれたのに殺した、じゃなくて、頼まれたからこそ殺した、みたいな拗くれたところがあるヤツだと思うのです。そういう、「人の感情や愛をいたぶって愉しむ」ような。
この点については、違う解釈をしています。
確かにヴォルデモートは、「人の感情や愛をいたぶって愉しむ」ところがあります。ルシウスやドラコなどだいぶ弄ばてたと思います。
けれど、リリーの命に関しては、救ってやっても良いと考えていたように見えます。
7巻17章のリリーとのやり取りで、「どけ、どくんだ」を何度か繰り返しているからです。
他の場面なら邪魔な者は有無を言わさず殺してしまうヴォルデモートが「どけ」を何度か繰り返すのは、驚異的なほどの根気良さだと思います。
「これが最後の忠告だぞ」とまで言っています。
また、1巻では「お前の母親は死ぬ必要はなかった」と言っています。
もしリリーがおとなしくハリーを渡していたら、ヴォルデモートはスネイプ先生に頼まれた通り、リリーを見逃したと私は見ています。
リリーがここでハリーを渡して自分だけ助かるような女性だったとしたら、ヴォルデモートにリリーだけの命乞いをしたスネイプ先生とある意味釣り合ったかもしれません。

私の理解が十分でないために、中途半端なお返事で申し訳ありません。
でも、お考えを記してくださって嬉しく思っています。
コメントありがとうございました。

お返事有り難うございます

ほんとに、突然お邪魔してすみませんでした。お返事有り難うございました。

上記のような妄想(ハリーを守る愛には、スネイプ先生の運命も絡みついている)にたどり着いたのは、二尋さまの、「ダンブルドアの、信用すべきでないものを信用した、ということばは冷たい」という部分をめぐる考察を読んだからで、
なるほど、と思いながら、じゃあ誰を信用すべきだったんだろうと思うと、けっきょく誰にも託せるわけがない、スネイプ先生自身が隣に居て守るべきだったんだな、と。(ダンブルドアがそういう意味をこめて言ったのかどうかはわかりませんが)

I wish I were deadのニュアンスについてのお話しも読んで、「私が死んでいたい」もしくは「私も死んでいたい」、いずれにしても、いまの、死んでいるリリーと生きている自分と、そのどうにも越えがたい壁に苦しんでのことばだったのだ、とわかりました。

でまあ、前々からハリーが選ばれたのは単なる偶然だけだったのかがとても疑問だったので、あんな結論にたどり着いたのですが。

なるほど、おっしゃる通り、ヴォルデモートはわざわざいたぶったというほどでもなかったのですね。
要するに無関心というか、「リリーの命を助けて欲しい」と頼んだスネイプ先生の真情にあんまり重い意味を見出していないというか、助かっても良いし、死んでも良い。
わざわざ後回しにしてやるほどの義理もなし、立ちはだかるなら殺すのも全然オッケー、ぐらいな感じ?
で、その無関心さがやっぱり運命の結び目と関連があるように思えます。

死喰い人は、スネイプ先生にとって、最初はそれほど危ない(残酷な)団体に見えなかったというのは、そうだと思います。
でも同時に、途中からどこかやばいような気もしながらも(人を殺すこともあるのだから、何も感じなかったら鈍感すぎる)、ジェームズやシリウスへの反発心や、自分じゃなくてジェームズなんぞを選んだリリーへの反発心みたいなものに背中を押されて、突き進んでしまったところもある気がしています。

それなのに、予言を聞いた時、何とかしてリリーを救いたい、とダンブルドアに頼んだり
(さすがにリリー自身の隣に行けない、のが悲しい。でも一方で、ダンブルドアのところに行くこと自体、二尋さまも書かれていた通り、大変な勇気が必要だったと思う。)
死んだ時、I wish I were deadと泣き叫んだり、の、人の心の不思議さ。

考えてみると、どんな理由があるにせよ、一度は死喰い人になった男を、よくダンブルドアは信じたものだ、と思いました。恥知らずにも、リリーだけを助けて欲しいと言うような男だったし。

でもまた逆に、リリーだけを助けて欲しいと言っていたスネイプ先生が、よくまあ、ジェームスそっくりの顔をした(眼しかリリーに似ていない)男の子を、いくらリリーが命がけで守った子だからとはいえ、守る気になったものだとも思いました。

ただ思うのは、最後の方のダンブルドアは、誰よりもスネイプ先生を信頼していろいろなものを託していたように思うし
(黙っていろいろ過酷な役割を押しつけて、つまらない軽口ばかり叩いていたのも、それだけスネイプ先生を信じていたからのような気がする)

ダンブルドアが押しつけた役割の意味をあとから知ることになっても(ダンブルドアを殺したこととか、ハリーに死ぬべき時に死ねと伝えるとか)、ハリーが背負う運命のために、黙って引き受けて死んでいくあたりとか
リリーと結婚したジェイムズよりも、ずっとスネイプ先生の方が、リリーの魂?運命?と深く結び付いているように思えてきます。

そう考えると、なんとなくジェイムズもかわいそうですけどね。

こちらこそ、ありがとうございます

いろいろな思いさん、再度コメントありがとうございます。
ゆっくり読む時間がないので、また後日お返事いたしますね。

>いろいろな思いさん

お返事遅くなり、申し訳ありません。

私の書いた文章の何かが考えるきっかけとなったこと、大変嬉しく思います。
このブログに書いたことは考察でもなんでもなくて、私のスネイプ先生像をはっきりさせるために時系列に整理していったのと、スネイプ先生への想いを並べただけなのですが、根拠として引用した記述や私自身の言葉が、誰かのスネイプ先生像を作っていく助けになることはとても喜ばしいことだと思っています。
コメントをいただく中で私のスネイプ先生像に変化が現れることもあるし、逆の場合もあるし、続けてきて良かったと思います。

スネイプ先生は、リリーを失うことによって大きく成長した人だと思っています。
さらに、ハリーを守っていく中で、大きな愛を知った人だとも思っています。
物語の終盤には、「リリーだけを守ってほしい」と言ったセブルス・スネイプとは、全く別人が存在していると思います。(若くして死んでしまったジェームズは、当然それ以上の成長はなかったわけで、多少分が悪いのはありますね)
最初が最低だった分、成長の度合いも大きいわけで、この物語がハリー・ポッターよりセブルス・スネイプの成長物語のように思えるのは、たぶん私だけではないでしょう。

ダンブルドアについては、スネイプ先生を信頼してくれていたのでしょうが、結局本人にそれは伝わっていない様子(私はそのように感じます)なのが、とても残念です。
スネイプ先生は、人生に於いて、安心感というものを手に入れたことがあったのかどうか疑問です。物語が始まった時点(リリーの死後)では、ダンブルドアはそれを与えることのできる唯一の人だったと思うのですが、どうも肩透かしを食わせるばかりだったように思えてなりません。
もちろん、ダンブルドアにはダンブルドアの都合があるし、あくまでスネイプ先生を庇護したい私の視点ですが、そこがどうにも恨めしいです。

スネイプ先生こそが主人公だと私も思います

お返事またありがとうございました。

その後、二尋さまの指摘されたヴォルデモートの行動の意味、ハリーとスネイプ先生の運命の絡みつき方について考えていて、
リリーが自己犠牲の魔法を使えたのは、ジェイムズのおかげで時間的余裕があったからというだけじゃなくて、
スネイプ先生の願いを聞き、「逃げ出すなら助けてやっても良い」とヴォルデモートが考えていたせいじゃないかと考え直しました。

リリーが「助かる命なのに愛のため自ら命を差し出した」からこそ「自己犠牲の魔法」になるわけで、
スネイプ先生の気持ちを知っていたヴォルデモートは、「命を助けても良い」程度には考え、でも根本的には愛や自己犠牲を軽蔑していた。
だからためらうことなく襲撃し、再三忠告しても刃向かうと容赦なく殺した。
かくして自己犠牲の魔法が成立し、ハリーは運命の子になった。
(やっぱりハリーの運命の結び目に、スネイプ先生の愛は深く絡んでいたと考えたいです)

いろいろ考えるに、「リリーだけ助けて欲しい」と望んでいた若きスネイプ先生が、ダンブルドアのとっさの詭弁によって(リリーの命しか大事じゃない人にとっては、リリーの愛したものを守ろう、なんて詭弁にしか聞こえないと思う)、リリーに全然似ていないハリーを守るために生きる気になったのが、やっぱり私にはちょっと想像もつかない大きな転機だと、思えてなりません。その後の成長はむろんですが、この第一歩がよく踏み出せたなあと。

そのうえ、復活したヴォルデモートのもとで実際に二重スパイをやり遂げるには、閉心術で本心を隠すだけじゃなくて、ヴォルデモートに見せるための、ダミーの感情(ハリーたちへの憎しみ、ダンブルドアに対しての怒りなど)が必要そう。でないと、何か大事な感情を隠していると、疑われてしまいます。

スネイプ先生が常にハリーにつらく当たって犬猿関係だったのは、周囲に誤解させるためだけじゃなく、自分の心のなかにハリーたちへの憎悪が実際に必要だったから?
ダンブルドアがどこかスネイプ先生を突き放し、はぐらかし、人を喰ったような言い方ばかりで、距離を置き続けたのも、そのせい?

開心術が使えるヴォルデモートを欺いて二重スパイをやりきるには、自分の心のなかを完全にコントロールする必要がある。本心を隠しきるばかりでなく、いかにも死喰い人らしく、ダンブルドア派への敵意や嫌悪が心のなかになくちゃ信用されない。自分の心までをある部分欺いて、人を愛さず愛されずに生きなければ、開心術に対抗できない。
要は並大抵の精神力じゃ出来ないなと、改めて思います。

本当に掛け値無しに、もっとも勇気と知恵のある魔法使いだったと思わずにはいられません。

イメージそれぞれ

いろいろな思いさん、さらにコメントありがとうございます。

私のお返事からさらに考察が発展されたようですね。
助かる命なのに、の件(くだり)、なるほどそうかもしれないと思います。
私の方も、いろいろな思いさんのコメントから、閉心術についての自分のイメージをまとめてみよう、という気になりました。
“ダミーの感情”という発想は私にはなかったです。きっと私と違う閉心術をイメージしていらっしゃるのだろうと思いました。
では私はどういうイメージなのか、というとすぐに言葉にできません。この機会に考えて文章化してみようと思います。
まあとにかく、“ダミーの感情”だと思っていないので、スネイプ先生のハリーに対する憎しみの感情は、素であると考えています。

とはいえ、正解などないことですから、いくら私が「そう思わない」と言ったところで信用なさってはいけませんよ(笑)ここに書いてくださった方向で、スネイプ先生のイメージを膨らませていって下さい。
そして、閉心術のイメージが違っても、私もスネイプ先生の精神力は並大抵ではないと思っています。

二尋さんこんにちは。
あれから7巻をゆっくりじっくり読みまして、改めて気づいたことや、忘れていた部分がちょこちょこありました。
最大の疑念は、やはりダンブルドアに対するもので、結局、初読時に感じたことと今回改めて読んで感じたことは、同じでした。過去にここで色々な方が語ってらっしゃいますので、私ごときが新たに書き込む余地など無いのですが、読後の釈然としない気持ちが少しでも薄れれば・・・とほんの少し場所を貸してください。
ダンブルドアは、ヴォルデモートがElder Wandを求めるのを予見していました。
他のHallowsの存在には気づきもしないが、杖を求めることは分かっていた。
ダンブルドアは先生をlast ownerにしたのではなく
そうであるかのように見せかけました。
実際の最終的な所有者はダンブルドアで、その死とともに杖の力も失われるように計画した、そしてヴォルデモートにはそれが理解できないだろうということも分かっていた。そのうえで、(私が強調したいのはここです)そのうえで、スネイプ先生に自身の殺害を要請した。
ヴォルデモートが、杖の所有権は「殺害」によってのみ移ると勘違いするだろうことも予見した上での計画です。
分かってはいました。最初に読んだ時からダンブルドアに対しては「?!」という感情しか生まれませんでした。アリアナやらアバフォースやら、過去の罪には涙を流して懺悔するが、現在進行形で犯している罪に関しては「poor Severus...」?!
肖像画として校長室に残り、先生に細かく指示を出していたのだったら、先生に身の危険が迫っていること、杖の所有者と勘違いされていることなど、なぜ言わなかった。みすみす死なせたんです。いや、みすみすじゃない、初めから計画し、先生を死なせたのはダンブルドアです。

リリーの死を嘆き悲しみ、I wish I were dead! と叫んだ先生に向って、
きみの死が何の役に立つというのだ、と言い放ったダンブルドア。
この人は思春期から根底は変わっていない。for the greater goodと言っていた頃と本質は何も変わっていない。そう思います。

ただ、その一方で、描かれてはいませんが、先生のDeath Eater時代は暗黒だったのだとも想像します。
本当にひどいこともしたかもしれません。ジョージが耳を切られたとき、リーマスがSectumsempra was always a speciality of Snape'sと言っています。always というからには頻繁にやっていたと思われます。同じ呪いをハリーがマルフォイにそうとは知らず放っていますが、その時あまりの凄惨さにハリーは戦慄しています。先生はマルフォイに反対呪文を唱え、傷跡もハナハッカを飲めばきれいに消えると言っていますが、セクタムセンプラを発明したのと同時に反対呪文を作ったのか、Death Eaterから足を洗った後に作ったのか、分かりません。
リーマスがalwaysと言うのは学生時代から使っていたことをさしているのか、はたまたDeath Eaterとしての仕事を遂行する中で使っていたのか定かではありませんが、少なくともスネイプといえばセクタムセンプラとでもいうようにリーマスの中では鮮明に記憶されていたのではないかと思われます。

今オウム裁判で、死刑宣告されている人が何人もいますよね。あの人たちが死刑になったところで、それがなんの役に立つのだ?と聞かれれば、わたしには答える術がありません。彼らが死を持って償ったところで、亡くなった人は戻りませんし、犯した罪も消えません。
Death Eaterはオウム幹部のような存在だったのではないかと思います。罪を罪と思わず、人を傷つけることになんの躊躇もない。だからダンブルドアは「君の死が何の役に立つというのだ」と言い放ったのかもしれない、とも思います。そうだとすればダンブルドアが冷徹だったと思わずにも済みます。

ダンブルドアはDon't shocked,Severus. How many men and women have you watched die?と言っていますが、それくらい当たり前に、Death Eater時代の先生は人の死の近くにいた。間接的、もしくは直接的にそれらにかかわっていた。それはものすごい罪です。そんな先生が、リリーと同じパトローナスを出して見せた、それはダンブルドアにとって驚きだったのではないかと思います。動機を忘れていたのではなく、初めからリリーへの想いなど、過少評価されていたのだと。それくらいDeath Eaterというのは社会的にも、個人的にも、憎まれるべき存在だったのだと想像します。
先生の事は大好きですが、先生の犯してきた罪から目を背けるわけにはいきません。

最後の最後まで「let me find Potter」と言っていた先生。ナギニを見つめていたのは、ダンブルドアの指示を思い出して、なんとか遂行しようとしていたからに違いありません。
顔がデスマスクのようだったのは、ここへきてついに真実にたどり着いたからに違いない。
「My Lord!」とprotestして杖を取り出した先生。もしも猶予があったなら、杖で何をしたんでしょう。

うまく考えが文章に投影できませんが、もしよかったら感想聞かせてください。




コメントありがとうございます

あいぼさん、コメントありがとうございます!
ゆっくり考えてお返事したいので、少しお時間ください。

あいぼさん、コメントありがとうございます。
お返事遅くなって申し訳ありませんでした。

ダンブルドアの計画については、全てあいぼさんのおっしゃる通りだと私も思います。
ヴォルデモートの動きを予測した上で殺害を依頼したのだと私も考えています。杖の所有権の移動に殺人は必須ではないとはいえ、ヴォルデモートがスネイプ先生を殺すことは予想できていたと思います。
殺害の依頼を受けようとしないスネイプ先生を説き伏せたダンブルドアですが、自分(ダンブルドア)が犠牲になる方向に説得したたように見えて、実はスネイプ先生が死ぬ方向にも導かれていたのだと思うと、苦渋の決断をしたスネイプ先生が哀れでなりません。

「君の死がなんの役に立つのだ?」というセリフには、「今」という言葉が隠されているのではないかという気がしています。「今君が死んでも何の役にもたたない。その命、必要な時が来たら役立ててやろう」というニュアンス。そして、その時が来たので有効に使われたのではないか、という気もします。初めから死に方を決めてもらうために手のひらの上で動かされていた、という見方です。

Death Eater時代については、私に都合の良いようになるべくセブルス青年の罪が重くないように考えたいところですが、あいぼさんのおっしゃる通り、犯してきた罪から目を背けてはいけないとも思います。
ただ、セブルスが殺傷することを楽しんでいたとか何も感じなかったということは、一度もないと信じています。自分は一体何をやっているのだ?こういうことをしたかったのか?と思いながら流されていったのではないかと。その流されたことが罪だと考えています。

ダンブルドアの涙について
>動機を忘れていたのではなく、初めからリリーへの想いなど、過少評価されていたのだと。それくらいDeath Eaterというのは社会的にも、個人的にも、憎まれるべき存在だった
というご意見、なるほどと思いました。極端に言えば、「Death Eaterのくせに、それほどの愛があったのか!」という驚きと感動の涙だったということですね。その解釈はすごく新鮮です。
ですが、「これほどの年月が、経ってもか(After all this time?)」という言葉からは、ダンブルドアはやはり時間の経過を問題にしているような気がします。最初はリリーへの想いが強いと認識していたけれど、今はその想いも薄れてしまったと認識しているのではないかと思います。
もしそうなら、私は逆にそう考えるダンブルドアに共感します。私としては、ホグワーツを我が家と考え、そこに暮らす人々を家族のように思う気持ちがリリーへの愛に勝っていて欲しいからです。
もっとも、こう書きながら、これは私の願望に過ぎないとも思っているのですが。
ただ、この場面のスネイプ先生が自分で考えるほど、“リリー第一”ではないと思っています。(話が逸れてすみません)


最後に真実に辿りついたとあいぼさんはお考えなのですね。
それは、スネイプ先生にとって、とても残酷なことなので、できれば真実には気付いていて欲しくないと思うのですが…。
上げた杖、どうするつもりだったのでしょうね。マクゴナガル先生の攻撃には目にも止まらぬ速さで応戦したスネイプ先生ですが、ヴォルデモートに対しては何か諦め的なものを感じてしまいます。やはり、ダンブルドアの計画に自分が囮となることも含まれていたと気付いてショックだったのかも……。

生きていればこそ

>セブルスが殺傷することを楽しんでいたとか何も感じなかったということは、一度もないと信じています。自分は一体何をやっているのだ?こういうことをしたかったのか?と思いながら流されていったのではないかと。その流されたことが罪だと考えています。

このあたり、私もそうなんだろうなと想像します。
学生時代からマルシベールとやらと交流を持ち、闇の魔術に傾倒していた訳ですから、おかしいなと気づいたのはかなり後になってからかもしれませんが。
先生は魔法薬学エキスパートですから、先生の作った毒薬やら真実薬やらが犯罪に使われたのでは、とも想像してしまいます。そういう腕も買われてしまったのかなぁと。

先生のしたことを過小評価するつもりはありません。悪いことも。良いことも。

スネイプ先生のことを考えて原作の文章を追ううち、自然と他の登場人物の事も考えるようになり、つくづく人は多面性のある生き物だ、と思いました。ある一つの発言や行いによって、その人の性格を特定することはできないですね。感情すら流動的、出来事も、同じ人の上に良い事や悪いことが起き、同じ人の中に善い思いや悪い思いが沸き起こる。数日前、まして数年前のスネイプ先生がずっとそこにいるわけではないんですね。
だけど、それは生きていればこそ。
死んでしまったら、そこで終わってしまう。

言ってもしかたありませんが、先生には生きていてほしかった。
’ヴォルデモート後’の魔法界を先生の目で見て、感じて、過去の呵責を抱えたままでもいい、危険な任務から解き放たれて、わずかでもいい、先生の幸せを追ってほしかった。
そう思います。

Re: 生きていればこそ

あいぼさん、再度コメントありがとございます。

私も、7巻読後の感想は、生きていて欲しかったの一言に尽きます。
スネイプ先生には、自分でも気付かない変化があったと思うのですが、生きて学校の先生を続けていたら、きっと自分が今何を大事にしているか気付いただろうと思っています。

スネイプ先生の死は、作者の気まぐれではなく初めから決まっていたことでしょうが、過去に犯した罪が大きいほど、戦いの後どう生きたかを書いて欲しかったです。それが無理でも、生きていてくれれば読者が自分で考えることもできただろうと思うと残念です。

その後

お忙しい中コメントくださり感謝です!

7巻を読んで、なんだか抜け殻のようになってしまっています。
時間が経つことでモヤに包まれていた事柄が、改めて読んだことによりハッキリとしてしまいました。

先生とネビルの掛け合いを見てみたかったな、とか。
ハリーとの対面はどんな風になったかな、とか。
リーマスの死を知ってどう思ったかな、とか。
(リーマスとはいつか友人関係になれたかも知れないのにな、と感じています)
もしかしてもしかしたら、万万が一、恋愛関係になる人が現れたかもしれないな、とか。
(アラン=スネイプ先生みたいなモテ要素ないですけど。先生の真の姿を知って惚れる人もいるかも?)
先生の子どもを見たかった。先生が幸せそうにしてるところを見たかったです。

そんな想像ばかりで寂しいので、読書会には行けませんが、とりあえず私もまた3巻読みます。
コメントありがとうございました。

Re: その後

あいぼさん、こちらこそ再度コメントいただき、ありがとうございます!
7巻を読み返した後3巻を読むと、また新しい発見もあることでしょう。
何かお気付きのことがあって、他の方の意見を聞きたい部分がでてきましたらお知らせください。読書会で取り上げて皆さんのご意見伺ってみます。


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