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2017-11

届かない - 2012.03.08 Thu

なぜダンブルドアがホークラックスのことをスネイプ先生に教えようとしなかったのか、考えてみたものの、正直、私にはよくわかりません。

スネイプ先生がホークラックスに興味を持ってしまうと考えたのでしょうか。
スラグホーンも「ある程度の才能を持った魔法使いは、常にその類の魔法に惹かれてきた」(6巻23章p.272~273)と言っていることだし、スネイプ先生は間違いなくある程度の才能を持った魔法使いですから。
学生時代やデスイーターになりたての頃だったら惹かれたかもしれませんが、今はまず惹かれないと思います。
つまり、ホークラックスの用途、「魂を分断して保管することで完全な死を防ぐ」ということを知ったところで、自分の死を防ぎたい、という方向には思考は発展しないと思うのです。

また、今は学問的な興味すら持たないように思えます。
ヴォルデモートが復活する前の、まだややのんびりした空気の漂っていた時代だったら、ホークラックスの成り立ちや魂を保管できるメカニズムなど、闇の魔術の研究対象としての興味は持ったかもしれません。
でも、ずっと守ってきたハリーが、死ぬべき時に死ななければならない存在と知り、ヴォルデモートの前では忠実な部下を演じ続けながらその時に備えて依然としてハリーを守り助ける役目に忙殺される今、スネイプ先生の頭の中は研究どころではなかったと思います。それこそ、全身全霊で使命を果たそうとしていたはずです。

あるいは逆に、ホークラックスに宿るヴォルデモートの魂を、スネイプ先生が破壊しようとし始めるとでも思ったとか?そこまではしなくても、ハリーには到底為し得ないと判断して、勝手に手を差し伸べるとでも思ったのでしょうか?
ちょうどグリフィンドールの剣を渡したくらいの手助けなら、別にしたって構わないと思うのですが。

ダンブルドアは、計画の成功のためには、どんな小さな可能性も見過ごさない冷静さを持っていますから、そういう意味で、やはりどこかスネイプ先生を信じていない部分もあったのかもしれません。とにかく、スネイプ先生がホークラックスのことを知ることで計画を妨げる何かが生じると考えたのは確かで、「ホークラックスのことを知ったところでセブルスは動じない」とは考えなかったのだと思います。
ただ、それは計画上の問題であって、スネイプ先生がこだわる「信用なさらない」とは違う気がします。

この場面で重要なのは、ホークラックスのことを教えないということより、何か一つ、ハリーには教えてスネイプ先生には教えないものがあった、という事実ではないかと考えています。

スネイプ先生は、ハリーに与えて自分には与えられないことを「信用なさらない」と言い、同じ情報をもらえることを、再三求めてきました。
私には、そのことが、「『信用するに足る有能な部下』と見て欲しい」と言っているようには見えません。ハリーと同じだけの愛情を注いで欲しい、と訴えているように見えます。拙い愛情表現に見えます。

全てを明かしてもらっているわけではないという事実は、たとえ計画上の問題であっても、ハリーほど愛されていないと感じさせるには十分で、スネイプ先生を苦しめるものであったと想像しています。
皮肉なことに、ハリーはハリーで、ダンブルドアがスネイプに対して許しがたいほどの信頼を置いていた、と感じているのですが(6巻30章p.484)

ダンブルドアは、全てを明かさないことがスネイプ先生を傷つけているとは、気づいていないように見えます。
ダンブルドアにしてみたら、「ハリーは死ぬべき時に死なねばならぬ」という極めて重大な、ハリー本人も知らない情報を与え、それをしかるべき時にハリーに伝える役目まで与えたのですから、それでスネイプ先生への信頼を表していると考えていてもおかしくありません。
スネイプ先生の「信用なさらない」を言葉通りに受け取れば、その対応でスネイプ先生を満足させることはできたでしょう。
でも、実際は、その重大な秘密を明かされた後であるこの場面で、「それで、(中略)あなたはまだ教えてくださらないのですね?」と言っているところを見ると、まだ満たされていないようです。スネイプ先生の想いは別のところにあったということを示していると思います。

ダンブルドアに想いが届かないのは、スネイプ先生の愛情表現が相変わらず下手なこともあるし、ダンブルドア自身が、計画を遂行するには感情に左右されるべきではないと考えているためでもあると思います。
5巻で、自分がハリーを愛しく思う気持ちが、計画を台無しにする可能性があった、というような発言もありました。
そして、優秀な二重スパイであるスネイプ先生も冷静であるがために自分と同様だと思っているか、自分とおなじことを求めているふしがあるように思えます。

それは、ハリーの運命を知って「死ぬべきときに死ぬことができるように今まで彼を生かしていたのですか?」(7巻33章p. 452)と衝撃を受けたスネイプ先生に「そう驚くでない、セブルス。いままで、それこそ何人の男や女が死ぬのを見てきたのじゃ」(同)と返した言葉にも表れています。人の生死を操ることに驚くスネイプ先生に「そんなことで動揺するのか」とも受け取れる感情の入らない返答です。
また、スネイプ先生のリリーへの想いが変わっていないことに涙するのも腑に落ちません。それがスネイプ先生の原動力だということがわかっていないというか、忘れているところが。
スネイプ先生を同じ目標に向かう同志と見ていて、自分同様、感情抜きで行動する存在と見ているように思われます。当然、自分に対するスネイプ先生の感情など考えもしないのではないかと思います。

しかし、実際のスネイプ先生は、閉心術で隠しているものの、愛や憎しみなどの感情に大きく心を揺さぶられる人です。
ダンブルドアに対する愛や甘えから、「構って、構って」と言い続けているのに、ひたすら冷静な対応を求められて、スネイプ先生は寂しかったのではないかと思います。

「それで、この剣をポッターに与えることが、なぜそれほど重要なのか、あなたはまだ教えてはくださらないのですね?」(7巻33章p.455)には、深い悲しみが込められているように私には感じられて仕方ありません。
スネイプ先生の心の隙間をピューピュー風が吹き抜けていくように見えて、やるせない気持ちでいっぱいになります。
「そのつもりはない」と簡単に言われ、そのまま剣に関する注意を始めるダンブルドアに、「ご懸念には及びません」「私に考えがあります」と冷静に答えるスネイプ先生。
自分の気持ちを殺して任務につくのは、一体何度目だったことでしょう。
スネイプ先生が遺した記憶の最後の場面がこれでは、寂しすぎます。
難しい任務を与えられて意気揚々と出かけていくように見えたら、どんなに私の心も晴れたことか。
そして、スネイプ先生がローブの上から旅行用マントを羽織り、校長室のドアを開けて出て行ったのが最後の姿だったなんて。
本当に永遠の別れのようで寂しいです。

<3/9追記>
ダンブルドアがホークラックスのことをスネイプ先生に教えなかった理由についてコメントをいただきました。
私はその内容に大いに納得したので、興味のある方は、ぜひ、コメント欄をご覧下さい。3/9にいただいたコメントです。

● COMMENT ●

私はどうしてスネイプ先生に教えなかったのかというよりも、ダンブルドアは最初からハリーにしか教えないと決めていたんじゃないかと思います。
ホークラックスのことを知っているだけで、ヴォルデモートにばれたら殺されてしまうでしょうから。
ハリーが「何という優雅なやり方だろう」と言っているように、たとえ失敗して命を落としても分霊箱が一つ減るというメリットがあるように、可能な限り無駄な死を回避したかったのだと思います。

スネイプ先生が私も死にたいと言ったとき「おまえの死が、誰の役に立つというのじゃ?」と言ったダンブルドア・・・自分の死も無駄にはしませんでした。
ダンブルドアはスネイプ先生の命も最後の任務を果たすまでだと思っていたと思います。
ハリーに死ぬべきときに死ななくてはならない存在なのだと伝える任務を果たすまでスネイプ先生が生きていられるよう、自分を殺させてヴォルデモートの信用を確実にし、少しでもヴォルデモートに殺される可能性の低いように、教えなかったのだと思います。
ダンブルドアは計画の成功させるために、いくらスネイプ先生に話して欲しいと言われても話せなかったのだと思います。

でもダンブルドアがスネイプ先生のことをどう思っていたのかについてはまた別問題ですよね。

ダンブルドアとスネイプ先生は共に暗い過去を持ち、権力や力に憧れ一度は悪の道に進み、愛する者の死から後悔し、ホグワーツの先生になるという経歴を持っているので、スネイプ先生を自分と似たタイプだと思っていたのかな。
それで自分と同じことを求めてしまっていたのかなと思います。
でも実際のスネイプ先生はダンブルドアのように冷静で賢い反面、愛憎の激しい感情を内に秘めた人でした。

4巻でスネイプ先生とシリウスに昔のいざこざを水に流し、互いに信頼し合うべきだと握手を求めたことも、5巻で閉心術の授業をやめた事について、ジェームズに対する感情を克服できると思っていたことも、ダンブルドアがスネイプ先生の成長していない部分を理解していないと思うところです。
同様にダンブルドアは5巻でシリウスのことを「十分大人で、賢い。そんな軽いからかいで傷つきはしない」と言っていますが、シリウスは何年もアズカバンで過ごし、やはり成長していない部分を持っていて、心は十分大人ではなかったと思います。
ダンブルドアはスネイプ先生に対しても、十分大人で、賢い。それくらいで傷つきはしないと思っていたのではないかなと思います。

なるほど!

songさん、こちらにもコメントありがとうございます。

ホークラックスのことを教えなかったのは、ホークラックスのことを知っているだけでヴォルデモートに殺されてしまうから、というsongさんの解釈に納得しました!
おっしゃる通りですね。そこに全く気付かなかったのは、不思議なくらいです。
ホークラックスの魂を分散させた弱い存在であると知られたら、たとえ右腕と思っている有能な部下でも、殺してしまうに違いありませんよね。
そして、スネイプ先生にはスネイプ先生の任務を果たさせるために、余計な危険を回避しようとするダンブルドアの考えも、十分納得できます。
大変納得できる解釈、できれば他の方にも見ていただきたいので、記事の方にも追記しておきますね。

ダンブルドアがスネイプ先生のことをどう思っていたかについても、ダンブルドアがスネイプ先生の成長していない部分を理解していない、というのは、おっしゃる通りだと思います。
シリウスの例も挙げていらっしゃいますが、ダンブルドアは総じて心の成長に関しては買被り過ぎているというか、甘く見ているというか、年齢相応のものを誰しも身につけているとでも考えているかのように見受けられます。
ここでも、自分と同じように見てしまっているのかもしれません。
育ち方や環境で、どうにでも変わる、ということを、教育者のダンブルドアならわかっていそうですが、相手が成人だと、画一的な見方をするのかもしれません。

どちらのコメントにもきちんとお返事下さって嬉しいです。ありがとうございます。
ホークラックスのことを教えなかった理由についての解釈は納得していただけてよかったです。
私は読みっぱなしで考えることをあまりしていなかったので、自分の感じていたことをコメントを通じて言葉にする作業はとても楽しいです。
おかげでいつも長文になりすみません。
二尋さんの奥行きのある解釈にはいつも感心してしまいます。
また感じたことがあればコメントさせてください。
毎回読むのを楽しみにしています。

こちらこそ

songさん、こちらこそありがとうございます。
自分の感じたことを文字にしてまとめていく作業は楽しいですよね。
私もその楽しさを知って以来、こうしてブログに記録し続けています。そして、いただいたコメントにお返事することで、今まで文章に出来なかった思いを引き出してもらえることも多いんです。コメントがなければ、ブログもここまで続かなかったでしょう。
長文はいつでも大歓迎です。songさんの文章はとても理路整然としているので、長くてもとてもわかりやすいです。
またいつでも、どんな記事にでも(古い記事ほど、そこに書かれた内容と今の考えは一致しませんが)、感じたことがありましたら、ご意見いただけると嬉しいです。また新たに考え直すきっかけとなるので。


失礼しますm(_ _)m

折角まとまっている所に水をさすようでごめんなさい。

私はダンブルドアがスネイプにホークラックスのことを教えなかったのは出来るだけホークラックスの存在を知る人を作りたくなかったのではないかと思います。
ホークラックスは禁術であり、その存在リドルに教えたことを暴いたのは他でもないハリーでした。ハリーは知ってしまった、故にダンブルドアの意思を受け継ぐ使命を背負ってしまったのではないでしょうか。
加えてダンブルドアは次の世代に過去の悪を次世代の力で打ち勝って欲しいという願いがあったのではないか、と考えます。

ダンブルドアは偉大だからこそ見えない部分やある意味期待し過ぎる部分があったのではないでしょうか?そして、彼には自分の中で決めた計画があった。しかしそれはハリーを愛おしく想うことで崩れてしまった。死を突きつけられなかった。だから忠実なセブルスに託した。…でもダンブルドアは計画によって沢山のものが見えなくなってしまった、セブルスの想いもシリウスの心もハリーの苦しみも。
ダンブルドアは最後まで心に描いた計画を手放さず、それによって結果的に自分すら苦しめてしまったんではないでしょうか。

長々と乱文を失礼しました。私なりの考えで稚拙かもしれませんが、お二方のやりとりを読ませていただいて、加えてこの様に考えさせていただきました。
乱入すみませんでしたorz

>アリスさん

アリスさん、コメントありがとうございます。お返事遅くなってごめんなさい。

水を差したとか、乱入などとお感じになることはありません。
ご意見聞かせて下さって嬉しいです。

ダンブルドアがどうのように考えていたか、という点については、実は私は関心が薄く、あまり掘り下げて考えることができません。要するに、スネイプ先生ほどの熱意を以って他の登場人物の言動の由来を考えることができないんです。
ダンブルドアや他の人物の考えを推し量る時、私の文章が多くの場合疑問文の形をとるのは、それ以上考えることを放棄してしまっているためです。
ですから、アリスさんや先にコメント下さったsongさんのようなご意見を伺うと、そのたび、なるほどなあ!と思わされます。

このブログのコメント欄を、掲示板のようにお使いいただいて、私抜きで活発な議論をされても構いません。
ダンブルドアのこととなると、やはり私は十分な意見を返すことができないし、そこで議論をストップさせるのは惜しい気がするので。

ダンブルドアのことについて、深い考察は得られないものの、私なりにお返事させてくださいね。
>ダンブルドアがスネイプにホークラックスのことを教えなかったのは出来るだけホークラックスの存在を知る人を作りたくなかったのではないか
それはあったと思います。

> ホークラックスは禁術であり、その存在リドルに教えたことを暴いたのは他でもないハリーでした。
>ハリーは知ってしまった、故にダンブルドアの意思を受け継ぐ使命を背負ってしまったのではないでしょうか。
ホークラックスについては、リドルは元々知っていて、魂を7つに分割したらより強力な魔法になるのでは?という仮説を立て、スラグホーンに尋ねました。
スラグホーンの正しい記憶を手に入れることを命じ、入手後ハリーに見せたのはダンブルドアの意思ですから、「ハリーは知ってしまった」というより「ハリーは知らされてしまった」ということになりますよね?言葉の問題ではなく、ここは、ダンブルドアが初めからハリーにだけ教えよう、と考えていたのだと思います。
ホークラックスの秘密を知ってしまったハリーだけに教えようとしたのではなく、自分自身がホークラックスでもあるハリーだからこそ、ホークラックスについての正しい知識を与え、破壊を命じたのだと思います。そして、その破壊の重要性を知っているからこそ、ハリーは自ら進んでヴォルデモートの前に死にに行くことができたのだと想います。

>彼には自分の中で決めた計画があった。しかしそれはハリーを愛おしく想うことで崩れてしまった。死を突きつけられなかった。だから忠実なセブルスに託した。
私は、ダンブルドアは、自分の中で決めた計画をほとんど予定通り遂行した(ニワトコの杖の所有権がドラコに移ることは想定外だったけれど)、と考えています。
ハリーを愛おしく想うことで崩れそうにはなったけれど、結局死は突きつけたと考えています。自分の死ではなく、ハリーの死を。
ハリーの傷にヴォルデモートの魂が宿っているのではないか、とダンブルドアが確信したのは、スラグホーンの真の記憶を見た時(6巻)ではないかと思うのですが、それ以前からそうではないかと疑ってはいました。ヴォルデモートを倒すためにはハリーの中のヴォルデモートの魂も破壊しなければならず、その際、ハリーの命が必ず助かるという保証は無かったはずです。多少の勝算はあったでしょうけれど、誰もやったことのないことに挑ませる以上、ハリーは生きて戻ってくるとは限らない。自分の計画には、「ハリーの死」がかなり高い確率で付いてくる。愛おしいハリーを死なせたくはないが、ヴォルデモートを倒すためには致し方ない。
そして、実際ハリーを死に向かって歩かせることに成功し、結果的には、ハリーを生かし(ヴォルデモートの魂だけ滅び)、ヴォルデモートを殺し、多くの命を救うことができた(=当初の計画)だと思います。

>ダンブルドアは計画によって沢山のものが見えなくなってしまった、セブルスの想いもシリウスの心もハリーの苦しみも。
その通りだと思います。
ハリーの苦しみをわかっていそうな口ぶりでしたが、愛おしく想うことが計画を台無しにするかもしれない、と言う時点で、ハリーの苦しみを見てはいけない、という意思も感じられます。計画が最優先だったのでしょうね。

本題から逸れた話になるかもしれませんが、失礼します。

リリーへの想いこそがスネイプの原動力である、というのは読者から言わせれば分かり切った事ですが、ダンブルドアにとっては案外そうでもなかったのではないか・・・と思いました。
スネイプ含め、誰かへの想いは原動力となる重要なモノであり、それは多くのハリポタキャラに当てはまると思うのですが、ダンブルドアには当てはまらないと思いました。ダンブルドアの場合は計画を遂行するにあたって誰かへの想い、また誰かを思い遣る事は不必要、または弊害でしかないからです。そう考えるとダンブルドアを突き動かすのは誰かへの想いではない(=誰かへの想いがなくても動ける)事は確実で冷静で賢いスネイプに対して自分と同じく原動力なしでも動ける、と思っても不思議ではないのかもしれません。(こう考えていた場合、ダンブルドアは自分と同じである事を求めている事になります)
そして涙を流した理由は、本文そのまま(リリーへの想いという原動力で動くスネイプそのもの)という解釈でも良いのかもしれない、と思いました(前回書いた時と考えが変わってしまいました・・・)。

原動力なしで動くダンブルドアは一体「何」によって突き動かされているのか?という疑問がありますが、本当にただ「より大きな善のために」だけ動いていたんじゃないでしょうか。もはや誰かの顔を思い浮かべて誰かの遺志を果たしたいとか誰かを護りたいというものではない気がします。
計画を遂行する為に、ハリーやスネイプ、シリウスの感情を見るのを拒否していると同時に自分の感情(計画を拒否したい自分、それを遂行する苦しみ)すらも拒否していたのではないか、と思います。
鈍感であるよりよっぽど性質が悪いので、後味が悪いですが・・・。
ただ計画抜きでも感情を横に置いておける性格(素質)はあるんだと思ってます。

(また逸れてしまいますが、今まで闇の陣営と戦うにあたって、ダンブルドアに確固たる原動力が存在した事があるかどうかすら定かではないのかもしれません)

ハリポタ開始時点で既に計画最優先のダンブルドアになっているので、計画最優先でないダンブルドア・・・というより感情を見る事を拒否しない、感情剥き出しのダンブルドアも見てみたかったです。

拙い文を載せてしまって申し訳ありませんでした。失礼致します。

>Put-Outerさん

Put-Outerさん、コメントありがとうございます。

今まで考えたことのない方面からのアプローチ、面白いと思いました。
いただいたコメントを読んで私も考えてみました。
> 原動力なしで動くダンブルドアは一体「何」によって突き動かされているのか?
の「何」は、私は「自分の喜び」ではないかと思いました。
『世界中の人々の幸せに貢献できる自分』に喜びを感じるからではないかと。
英雄として人々に称えられることが目的なのではなく、より多くの人間の幸せを嬉しいと感じるからではないかと思いました。

ダンブルドアに限らず、スネイプ先生もリリーもジェームズもシリウスも、みんな結局は自分の幸せのために動いているように思えます。
ただ、スネイプ先生を始め多くの人が身近な誰かのためや、自分だけのために行動することで幸せを得られるのに対して、ダンブルドアは、もっと大きな括り、魔法界の人々、いや、マグルも含めて世界中の人々の幸せに貢献できることで幸せを感じるのではないかと思いました。
ちょっと自己陶酔的なダンブルドアがイメージですが。

そのようにイメージすると、感情抜きで行動しているわけではないように見えます。
個人的な感情を排してでも自分がやらなければ人々の幸せはあり得ない、という想い(実際思い込みだけではなかったし)に突き動かされ、ハリーを愛おしく思う気持ちや、ハリーやスネイプ先生が自分に向ける感情を、敢えて無視したのではないか、と思います。もっと大きな喜びのために。
ダンブルドアが、スネイプ先生のリリーへの変わらぬ想いに涙したのは、唯一人の人を想う純粋さに感動したのか、わが身を省みて恥じたのか、無視しようと努力してきた自分の個人への想いが蘇ったのか、その辺は相変わらず私にはよくわからないのですが。
顔も名前も知らないような不特定多数の幸せを想像して色々犠牲にできるということと、実際その計画を成し遂げたという点で、やはり偉大な人だったのだろうな、という気分になってきました。
犠牲になったものの中に、私の愛するスネイプ先生が含まれているばかりに、ダンブルドアを十分称賛できないできないことには変わりないのですが、ちょっとだけ見方が変わった気がします。
Put-Outerさんのご意見とは違う方向に思考が進んでしまいましたが、コメントをいただかなければ、決して考えることもなかったことでした。
ご意見書いて下さってありがとうございました。

コメントのお返事下さり有難う御座います。

自己陶酔的なダンブルドア、結構有り得ると思いました。最も不特定多数の幸せに貢献出来たら幸せだと感じる、というのは身近にいる人の為に突き動かされると違って感情移入しにくいですけども・・・。

お返事を読んで思った事がいくつかあったのですが、一つはダンブルドアには身近な人物で特別思い入れがある人物(スネイプにとってのリリー、ハリーにとってのロンとハーマイオニー、また両親やシリウス等)がいないので、もし身近な人物の為を思って行動したとしてもそこまでの原動力に成り得ないのかも?と思いました。
ホグワーツの教師陣や不死鳥の騎士団etc関わりのある人達は多数存在しているのですが、どうも距離感があって「特別」とまで呼べる人物がいないんですよね(ハリーこそが特別なんですが、ハリーを死なせる可能性が高い計画なので本末転倒してしまう)。
(話が逸れてしまうのですが、騎士団員とダンブルドアでは感覚のズレがあるなあ・・・と7巻を読んで実感したので猶更距離感を感じるのかもしれません)
ダンブルドアにとって「特別」というか別枠に入っている人物はいると思うのですが、対ヴォルデモート陣営と敵対する上で”守りたい”というポジションに入る人物はいなさそうです。(悪い意味で別枠だったり、計画の中核にいたりするので)

ダンブルドアの原動力の「何」=「より大きな善のために」という言葉を今度こそ正しい意味で実行するという決意、というのも多少はあるのかも、とコメントを書いた後に思いました。この理由の場合は自己満足、という事になりそうです。

ダンブルドアの涙の理由は挙げていた3つ共が混じっていそう(その中の強弱差はある筈ですが)です。

ダンブルドアの計画において「ニワトコの杖」に関する部分に関しては批判的なので、スネイプは本当に一番殺される可能性の高いポジションに置かれていたと見ています。また、「ニワトコの杖」に過去に関わった人物達もほぼ確実に殺される(ヴォルデモートが賢ければ殺されないで済むけれど)事は分かっていた筈なので、私の中ではダンブルドアが死刑宣告したようなものだと解釈しています。
ただ映画でハリーが行ったように「ニワトコの杖」を折らなかったあたり、何か理由がある(ハリーの中のヴォルデモートの魂を「ニワトコの杖」が破壊出来る要項を満たしている?、また贖罪の意識も?)のかもしれませんが。
案外杖に罪はない、杖にも意思があると思っただけという可能性もありますね。

また拙く長々と書いてしまいました。失礼致します。

高みから

Put-Outer さん再度コメントありがとうございます!
お返事遅くなってごめんなさい。

>感情移入しにくい
そうですね。私も不特定多数の幸せには貢献したいけれど、身近な人を犠牲にしてまでそうしたいとは思えません。
私は、不特定多数の幸せに貢献できることに喜びを感じる人として、宗教家や昔の名のある政治家などをイメージしながらコメントの返信を書きました。

確かにダンブルドアは、“守りたい”ポジションに入りそうな人、ハリー以外に特別思い入れのある対象はいないですね。
もし、アリアナが生きていたとしても、そういうポジションに入り得たのかどうかも疑問です。
“大いなる善”のために家族が蔑ろにされた結果、アリアナは命を落としたのですから、結局ダンブルドアにとっては、個人を守ることが原動力にはならないような気もします。失って初めてその大切さに気付いたダンブルドアでしたが、失っていなければやっぱりお荷物のままだったかもしれません。より多くの人を救うことで満足できるタイプなのではないでしょうか。
騎士団員と感覚の差を感じるとのことですが、私にはダンブルドアが非常な高みにいるように見えます。視野が広く、細部が見えない、という感じです。

ニワトコの杖に関わる役割(=ダンブルドアを殺害すること)を与えられたスネイプ先生、私も死刑宣告されたように感じました。
以前記事中http://legilimens.blog68.fc2.com/blog-entry-239.htmlにも書きましたが、スネイプ先生自身はそれに思い至らないまま死んだのであって欲しいと思っています。

本当に、ダンブルドアはなぜ杖を折らなかったのでしょう?
ヴォルデモートが杖を追うことをしなかったら、スネイプ先生は(グレゴロビッチもグリンデルバルドも)死なずに済んだでしょうに…
それは置いておいて。
杖の所有権がハリーに移ることを想定していない以上、災いの種は折ったって構いませんよね?
う~ん、私にはその理由が思いつきません。

再びコメントにお返事を下さり有難う御座います。

”守りたい”ポジションにアリアナが入るな否か、というのは考えていなかったのでお返事を読んで納得してしまいました。
ただアリアナ(というか家族)が”守りたい”ポジションに入る可能性はあった筈、とも思っています。(但しアリアナが悲劇に見舞われず、父親も生きていた場合においてのみ)
あとハリーにとってのロンとハーマイオニー(ホグワーツにおけるかけがいのない友人)もいないですし。
私の中で別枠となっているのがハリー、スネイプ、グリンデルバルド、ヴォルデモート、家族なのですがダンブルドアの人間関係はどうなっているんだ、と再認識させられました。

騎士団員との感覚のズレは普通はその逆ですよね。
私が感じたのはもっと漠然とした感じ(36章を読んでダンブルドアは絶対にヴォルデモートが倒されようとも歓声を上げる事はしないだろう、と思ったからです。グリンデルバルドの時も同様で、二人が倒されようが心が晴れる事はないと思いました)でしたが。

杖を折らなかった理由だけは本当に(作者が明かさない限り)迷宮入りかもしれませんね。
ただ7巻を読むとなんだかんだで「ニワトコの杖」にヴォルデモートを辿り着かせたいような感じもするんですよね。・・・本当に分かりません。

では失礼致します。

イメージ

Put-Outer さん、こちらこそ、再度コメントありがとうございます。

少年時代、両親亡き後アリアナをお荷物と感じていたダンブルドアですが、両親がダンブルドア並みの長生きをした後亡くなって、初めて庇護すべき対象となった場合も、相変わらずアバーフォースに任せて、自分は世界を救うことに熱心だったかなと私は思います。
アリアナを失うという体験をしたからこそ今のダンブルドアがあるわけで、その体験がなければ、グリンデルバルドと共に同じ理想に向かって進んでいったか、あるいは途中で仲違いして別々に自分の理想とする世界を作っていたか、少なくとも大臣くらいにはなっていたと思っています。
でも、もし蘇りの石によって本当に死んだ人間が蘇ることができたのなら、蘇ったアリアナは、今度こそは守るべき対象になったかもしれません。

>ヴォルデモートが倒されようとも歓声を上げる事はしないだろう
>グリンデルバルドの時も同様
>二人が倒されようが心が晴れる事はないと思いました
ダンブルドアは、「罪を憎んで人を憎まず」という人だという印象を受けます。
ヴォルデモートの死を望むのではなく、その行いを止めさせたかったのだと思います。
けれど、いくら話しても価値観の違うヴォルデモートは殺戮を繰り返すばかり。
これ以上の犠牲を防ぐためには元凶を断つしかない、とヴォルデモートを倒す計画を立てたまでで、死なせずに止めさせることができる方法を思いついたなら、きっとそちらを選んだと思います。

今まで取り立てて考えたことなかったのですが、文章にしてみると、愛も憎しみも、なんだか個人に対するダンブルドアの感情が薄いように私はイメージしているのだなあ、と思わされました。

二尋さん、コメントのお返事有難うございます。

もし家族全員健在だった場合、守る対象に成り得たというのは家族全員健在だからダンブルドアの性格自体違うというifの話です。前回分かり辛く書いてしまいました。
性格が変わらないなら二尋さんの言う通りになっていそうです。

ヴォルデモートを殺したい、ではなく「止めたい」のがダンブルドアの本心(死喰い人も同じく)ですが、騎士団員はヴォルデモート自身を憎んでいる気がしています。

ヴォルデモートを殺さないで捕える方向でどうして行かなかったのかはハリポタ最大の疑問かもしれません。(それではハリポタという物語が成立しないのは分かるのですが)
もし分霊箱を作っていても捕えてしまえば関係ない筈ですし。

個人に対するダンブルドアの感情が薄い・・・確かに距離感を感じたり(意図的に距離を取っているの方が正しい?)、素で接する事もほとんどないと思っているのでそんなイメージをするんだと思います。
ただ私は個人に対する感情は薄いけれども、極々一部の相手には激しい憎しみも愛もあったとも思っています。

では失礼致します。

パラレル

Put-Outerさん、またしてもコメントありがとうございます。

>家族全員健在だからダンブルドアの性格自体違うというifの話
家族全員健在、ということでしたか。
こちらこそ、誤った解釈でお返事してすみません。
“健在”というのが、アリアナの6歳の時の事件もなく、家族全員が普通の魔法使いの生活を送って生きている、ということだとすると、なかなかイメージし辛いです。
アリアナ6歳の頃まで遡ってから分岐したダンブルドアの別の人生と、そこで形成された人格まで想像するのは、私には無理そうですi-229

>極々一部の相手には激しい憎しみも愛もあったとも思っています
そうですね、7巻35章を読むと、ダンブルドアも激しい感情を持っていたのだろうな、と感じます。


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