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2017-08

性急な『組分け』 - 2010.06.19 Sat

クリスマス・ダンスパーティの後の玄関ホールに立つスネイプ先生とダンブルドア。
カルカロフの闇の印も濃くなってきたこと、カルカロフは慌てていること、など二人は語り合っています。

刻印が熱くなったら、カルカロフと一緒に逃亡したいかと聞かれ、「いいえ」「私はそんな憶病者ではない」(7巻33章p.439)とスネイプ先生はきっぱり否定しました。
それに対し、ダンブルドアはこう言いました。
「きみはイゴール・カルカロフより、ずっと勇敢な男じゃ。のう、わしはときどき、『組分け』が性急すぎるのではないかと思うことがある……」(7巻33章p.439~440)
それを聞いて雷に撃たれたような表情をしたスネイプ先生を後に残し、ダンブルドアは立ち去りました。


組分け帽子の意味が私は未だにわかりません。
「勇気」とか「知性」などで篩い分けて、別々に暮らさせる意味が。
創設者の好み、すなわちスリザリンの「純血のみの生徒にて己に似たる狡猾さ」、レイブンクローの「もっとも鋭き頭脳」、グリフィンドールの「勇気」で振り分けることは無理があります。ハッフルパフの「善良ですべてのもの(人を選ばない)」で調整しているのでしょうか。

それに、「勇気」「知性」「善良」は良いけれど「狡猾」という項目は何でしょう。
スリザリンの資質には、「野望」と「俊敏」もあるけれど、全体的にマイナスイメージが強いことに誰も疑問を感じないのでしょうか。スリザリンは他の寮生から嫌われることが多いし、実際創設者のサラザール・スリザリンだって仲たがいしてホグワーツを去っているのです。その歴史を知っていながら、当時の判断基準を使い続ける理由がわかりません。
しかも、本人の希望に大きく左右されています。
セブルスは、入学前からスリザリン寮に強い憧れを持っていたから、スリザリンに組分けされただけであって、何も考えずに帽子をかぶれば、もしかしたら賢さからレイブンクローに組分けされたかもしれないし、ダンブルドアが今になって言うようにグリフィンドールになったかもしれません。ハッフルパフだって、1巻の帽子の歌にある「正しく忠実で、忍耐強く真実で、苦労を苦労とは思わない」(1巻7章p.176)は、スネイプ先生にぴったりだと思うのですけど。

どの寮の特質も、誰もが大なり小なり持っていて、同時に、他にもたくさんの性質を持っているはずです。
リリーもジェームズもシリウス、ルーピン、ピーターも一括りに「勇気」の中に入れられたけれど、四つの寮の特性とは違う別の分類方法だったら、同じグループに入らなかったと思うのです。
例えば、「媚びない」という項目で分類されれば、セブルス、リリー、ジェームズ、シリウスがここに入り、ルーピンとピーターは入らなかったかもしれません。(私の主観です)
「ひたむき」なら、セブルスもジェームズもシリウスも同じ寮だったかも。

一つの寮が「勇気あるものが住まう寮」などと謳われれば、他寮の生徒にはその資質が欠けるかのような印象を与えます。グリフィンドール生は何かとそれを誇りにしているようですし。
自分がグリフィンドールに組分けされなかったことで、いつしかセブルスも「自分には勇気がない=臆病である」という劣等感を持つようになった気がします。
でなければ『組分け』が性急過ぎると言われてショックを受けたり、「臆病者」という言葉に反応することもなかったはずです。
「私は、そんな憶病者ではない」と言うスネイプ先生が痛々しくさえ思えます。

スネイプ先生も「勇気」にこだわることなどなかったのに。
自分の美点を前面に打ち出せば良かったのに。
リリーを傷つけまいとして、ペチュニアへの暴言を抑えた優しさとか、4対1でしか攻撃してこなかったジェームズと違い、自分が誤解されてもルーピンの秘密をついに明かさなかった誠実さとか、人の身体を乱暴に扱わないとか(グリフィンドール寮出身のシリウスは意識のないスネイプ先生を吊り下げて天井に頭をこすったし、ダンブルドアも意識の無い罪人偽ムーディを足で蹴り上げました)、先生には美点がたくさんあるじゃないですか。私はそんなスネイプ先生の人間性に深く惚れこんでいるんです。

人は変わるものですから、組分けが性急すぎるというのは確かですが、そもそも分け方の基準が変だと私は思います。変な優越感や劣等感を持たせないように、アルファベット順などで機械的に分けた方がずっと良いと思います。

● COMMENT ●

初めまして

以前よりこちらのブログを拝見させていただいておりました。

いずれの考察も深く、納得のいくものばかりで、大変楽しく(興味深く)読んでおります。

組み分けの件は私もずっと疑問でした。
組み分け帽子の存在は創始者4人の融和というより、むしろ決別の象徴のように見えます。

仰られるように、未だに昔の基準で寮を振り分け続ける必要性が分かりません。

作中では、スネイプのスリザリン贔屓~みたいな表現が度々出ますが、むしろ学校内で圧倒的に(特に校長から)贔屓されてるのはグリフィンドールであり、スリザリンは(全体から見れば)蔑視されてるように感じます。

グリフィンドールも「他とは違う」とかハッキリ語られてますし。
主人公が所属する寮ですし、女史も一番の美徳(?)=勇気と語っていたので、それもあるかもしれませんが。

あの一件から年月が経ち19年後になっても、スリザリンのマイナスイメージが払拭されていないのは少し悲しいです。

セブがグリフィンドールだったら、また結果は違っていたかと思うと余計感じました。

今回は(以前の記事もですが)自分の想いを代弁されたようで、とてもスッキリいたしました。
長々、失礼いたしました。

はじめまして

メルシーさん、はじめまして!

決別の象徴とは、実に上手い言い表し方ですね。
7巻のホグワーツの戦いで、スリザリン生だけ去っていきましたが、それは予想できたことですよね。5巻で組分け帽子自身が団結力を強めよ、的なことを歌っていますが、なら、その基準を何とかしろと私は言いたかったです(笑)

スネイプ先生を愛する方たちとお話すると、やはりスリザリンがいかに虐げられているか、という話題になります。純血を重んじ、他を差別しているように見えて、実は他から逆差別を受けている、という印象です。
グリフィンドールの妙な優越意識も不快でしたが、なるほど、作者は勇気を一番の美徳と考えていたのですね!それは知りませんでした。
それはそのまま物語の中の登場人物全体の価値観ということにもなるかもしれませんね。
だから、最後にハリーに「知っている中で一番勇気のある人」と言わせることで敬意を表したことになったんですね。
確かにスネイプ先生に勇気はあったかもしれないけれど、敬意を表す点はそこじゃないでしょう?という気もします。
この場面のダンブルドアの発言も、「組分けが遅ければ、君もグリフィンドールに入ることができただろうに」という空気を感じます。やっぱり優越意識があるのですね。

19年後でも変わっていないイメージは、これからの分裂も予想されます。
あの日に終止符を打って欲しかったです。

コメントありがとうございました!
賛同していただけて嬉しかったです。
またいつでもいらしてくださいね。

こんにちは

とても興味深く拝見しました。
今更ながら、シリーズ本を通読してスネイプ先生に強く惹かれてしまい、スネイプ先生についての意見感想を知りたく、こちらのサイトに出会いました。


性急な組み分けというダンブルドアの言葉に雷に打たれた表情をしたスネイプ先生の心情について…

リリーと同じ寮だったら、今とは違う人生だったのではないか…と、そういう指摘に受け取れたんですよ。私の、感想ですが。「雷に打たれた」ような表情になったのは、そのせいかしらと私は思ったんですよね。。。
どうでしょう。

はじめまして

ちょこバナナさん、はじめまして!
スネイプ先生に惹かれてこちらにいらしたとのこと、読んでくださってありがとうございます。

>リリーと同じ寮だったら、今とは違う人生だったのではないか…
そうですね、私もそう思います。その点は特に書かなかったのですが、私の中では大前提として存在します。
ただ、もしこれが「リリーにもスリザリンの資質があったのに」という意味で組分けが性急過ぎるとダンブルドアが言ったとしたら、同じような表情は見せなかったのではないかと私は考えたんです。
「勇気」という言葉に対する劣等感のようなものを、7巻を読む前から感じていたし、7巻を読んでから一層その思いが深まったからです。
だからその点に着目してこの記事を書きました。
もちろん、この考えが正しいというわけではありませんし、いただいたご意見に影響を受けたり、読み返すうちまた私の考えも変わるかもしれません。
この人はこの時こんな風に考えたんだな~と参考程度に思っていただければ幸いです。

コメントありがとうございました。
おかげで、記事の言葉足らずに気付くことができました。
またお気づきの点がありましたら、お聞かせ下さいね。



はじめまして

こんにちは。
死の秘宝の映画公開で再熱し、こちらを拝見しました。鋭く的確な考察に舌を巻くばかりです。

この組み分け制度は設立当初ホグワーツが、一種のギルドだったらその頃の名残かなと思いました。
当時中世ヨ―ロッパでは、各地に大学が設立されていました(オックスフォードやケンブリッジなんかがそうです)当時の大学は現在の『学校』様式ではなく、どちらかといえば独立した一種のギルドでした。形式的には職人ギルドとか商人ギルドと同じです。つまり師匠が弟子をとる。
どうやらこの時代の魔法使い達は現在の魔法族よりもマグルとずっと近しい関係にあったようですし、創設者たちがそれらの形式を参考にしたとしてもあまりおかしくはありません。この当時に前例としていくつ魔法学校があったかわかりませんが。
つまり黎明期において生徒は、師匠(=それぞれの創設者)の弟子という形をとっていたのかなと思いました。組み分けは間接的な弟子選びということです。

それにしたって11歳でその子の素質がわかるわけないと思いますが。確かにダンブルドアの言うとおり、ちょっと早すぎだと。コメントで仰ってる方がいましたが、もしグリフィンドールなら絶対にスネイプ先生の人生は変わったと思います。

長々と失礼しました。
次の記事を楽しみにしております

はじめまして

高梨さん、はじめまして。

ギルドの徒弟制度の名残ですか。
歴史や文化については全く疎いので、そういう方面から考えたことはありませんでした。
英語圏最古の大学と言われるオックスフォード大学もギルド的なところがあったということなのですね。
だとしたら、ギルドの形式を参考にしたという考え方も不思議ではありませんね。なるほど、とても興味深いです。

しかし、結局帽子には素質を見抜く力も先を見通す目もなく、またハリーにしろドラコにしろスネイプ先生にしろ、本人の希望が最優先されているようなところを見ると、組分けの意味って何だろう?どれほどの重みがあるのだろう?と思わずにいられません。人生を左右されたのは、スネイプ先生だけではないはず。あんな帽子一つに振り回されて……という無念の思いが拭えません。

コメントありがとうございました!
またぜひいらして下さいね。


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スネイプ先生への愛を語らずにはいられません。         

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