topimage

2017-10

スポンサーサイト - --.--.-- --

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

I wish I were dead. - 2010.03.27 Sat

記事内で『スネイプ先生』と『セブルス』が入り混じっています。
一応このブログの7巻のカテゴリーにおいては、ハリーの先生となって以降の姿を『スネイプ先生』と書くことにしよう、と自分で勝手に決めた上、それを適用していない過去の別ブログ記事を引用したためにこうなりました。


リリーの死に苦しむセブルスは、後悔か?と問われて、
「私も……私も死にたい……」(7巻33章p.437)
‘I wish … I wish I were dead ... ’(UK版p.544)
と答えています。

この場面、最初に原書で読んだ時、‘I wish I were dead.’のニュアンスが今一つわかりませんでした。
当時別のブログに私が書いた文章を一部引用してみます。

英語ではどうしてもわかりにくいニュアンスっていくつもあるのですが、
この‘I wish I were dead’もちょっとわかりにくかったです。

ちょうど7巻を読んでいる最中に英会話のレッスンで仮定法過去という文法が取り上げられ、なるほどと思ったのですが、いざスネイプ先生が使うとどんなつもりなんだろう?ということが今ひとつわかりませんでした。
レッスンでは、「~だったらなあ」という、叶わない願望を表すと習いました。
初め私は「死ねたらなあ」だと思ったのですが、よく見たら死ぬという動作ではなくて死んでいるという状態を示す言葉でした。
となると、「死んでいる(状態)ならなあ」ということになると思うのですが、それは果たしてどういうことなのか感覚的によくわかりません。Iが斜体なので、リリーではなく『自分が』死んでいれば、とちょっと過去を悔いる感じなのでしょうか。
英会話の先生にも聞いてみました。
「今生きていることを後悔する気持ち」だと言いました。
それを聞いただけでもうたまらなく切なくなって、それ以上聞きませんでした。

これから死にたいという気持ちも入っているのか。
あくまで今の状態を悔いているのか。
スネイプ先生の時間は実質このときで止まってしまったのか。
考えるほど切なくなるし、よくわからなくてもどかしいです。


これに対してコメントしてくださった方がいらして、とてもわかり易かったので、ご本人(匿名を希望されています)の許可をいただき、これも一部引用します。

>リリーではなく『自分が』死んでいれば

ええ、そうだと思います。英語で文の一部が斜体になるのは一般的に、日本語なら「私は死にたい」と「私が死にたい」の差のような助詞の区別で表現される意味の違いを表しているのですが、この文はその典型例ですね。おっしゃるように、今、リリーが死んだ状態にあるという現実の中で、主語に対比の意味を持たせた反実仮想の文なので、「死んだのが私ならよかった」「私が死にたかった」ということになります。明らかに未来や過去ではなく現在についての言葉で、それも言外に「リリーの代わりに」という含意が込められているのだと思います。

ただ、直後にダンブルドアが「And what use would that be to anyone?」と確かに言っていますよね…。ということは、文自体の意味するところはともかくとしても、目の前のスネイプの様子に、いっそ今からでも死んでしまいたいというような気持ちも見て取っているのだろうと思います。だからこそ、彼の台詞の意味のうち「死ねばよかった」という部分だけに反応して、「生きてリリーの遺志を継げ」と諭したのでしょう。


なるほど、文法的にはこれから死にたい、という意味は入っていなくても、ダンブルドアの返答から、この時のセブルスにはそういう気配があったということなのですね。
だから、日本語訳も「私も死にたい」だったのでしょうか。

ああ、リリーを助ける代わりに何をくれる?と聞かれ、「何なりと」と答えたセブルス。自分の命と引き換えても助けたかったリリーが死んでしまったのだから、自分が生きていることを悔やむのは当然です。
自分が死んでいれば、という言葉を発したセブルスには、これから死にそうな気配もあったといところが、本当に辛いです。そして、原文を読んだ時、意味をきちんと理解できていないながらも、やはり私もそんな気配を感じていました。

今にも死んでしまいそうなセブルスをなんとか踏みとどまらせたのは、リリーが命を懸けて守った子どもを、いずれ力を取り戻し危険な存在となるであろう闇の帝王から守る、という使命でした。

リリーの命乞いをヴォルデモートやダンブルドアにした時には、リリーの大事な存在にまで思い至らなかったのに、その存在がセブルスの生きる支えとなるとは皮肉なものです。
しかし、今度こそ本当に、ハリーをリリーの大事なもの、として認識した瞬間でもあったのだと思います。
失ったリリーに代わるものとしてハリーを愛そうとしたのではなく、リリーが大事にしたものだからリリーの望むことをしよう、というところが、以前のセブルスと全く違うところです。
まるで、一度死んで蘇ったかのよう……。

● COMMENT ●

はじめまして

初めまして、小倉と申します。
今日たまたまサイトを見つけ、最新から途中までですが拝見させていただきました。

で、とても教授への愛に溢れた、そしてしっかりとした考察に心うたれ、コメントを残したい衝動に駆られてしましました。
なので、この記事へのコメントでないことをお許し下さい。

実は私、最近教授への熱が再燃し、夢小説と言う手段で彼への愛を形にしています。
(不愉快に感じられたらすみません)
どうしても彼の最後がせつな過ぎて、骸を彼を愛した人の手で手厚く葬って欲しかったからです。

このサイトを訪れ、教授への愛に満ち溢れている場所にたどり着けたことを嬉しく思っています。

何が言いたいのか、よく分からなくなってきましたが、
これからゆっくりと残りの記事も読ませていただきたいと思います。

失礼致しました。

はじめまして!

小倉さん、はじめまして。
たまたまいらしたその日にコメントくださったこと、愛に満ち溢れた場所と言ってくださったこと、とても嬉しいです。ありがとうございます!

本当に彼の最期は哀しすぎました。
作者が一言、戦いの後に収容された様子を描写してくれたら、あるいは生徒か先生の誰かが捜しに行こうと声にしていたら、私はこんなにも苦しまなかったのに、と思います。
小倉さんも同じ想いを抱かれ、そうしてくれる誰かを書いていらっしゃるのですね。
すごくよくわかります。
私自身は夢小説の世界に入っていくことができないのですが、スネイプ先生への愛を何かの形で表現したい気持ちは同じだと思っています。不愉快に感じることは決してありません。(実際夢小説を含め、色々な手段で表現する方たちと出会いました)
全く、溢れる愛を表現せずにはいられませんよね?
方法は違っても、お互いこれからもどんどん形にしていきましょう。
そして、ぜひまたお寄りいただいて、ここでも愛を語っていってくださいね。
いつでも大歓迎です!

「セブルス」から「スネイプ教授」へ

今晩は。KUMORIです。

'I wish I were dead。このシーンを読んだ時、私は一度『セブルスが亡くなった』と認識しました。『死喰い人』であったセブルスが『亡くなった』という意味で。二尋さんが以前書かれた記事「変化」の様な感覚を私はこのシーンで受け取りました。要するに、ここで初めて自分が今までしてきた事。リリーが本当に守りたかったもの。そして、リリーの意志(遺志)をダンブルドア教授の言葉を通して、しっかり理解したのだ、と思いました。個人的に、ここで初めて『セブルス』から『スネイプ教授』になったのかな、と推測しました。人を傷つける事を何より厭う、そんな教師に。

話はそれますが、以前のブログに
>スネイプ先生の時間は実質このときで止まってしまったのか。
と書かれてましたが…。

『ブーリン家の姉妹』という小説で、似たようなシーンで’Always’という台詞が出てきました。姉の命が助かるか、それとも首を切られるか、という瀬戸際のシーンです。
その時、主人公が'Tell her thet I think of her ,All the time, Every day. The same as always '
この翻訳で「彼女に伝えて。彼女の事を思っていると。いつも。毎日。これからも。」とAlwaysを未来の様に訳してました。
’Always’。私はこの言葉で、スネイプ教授の時間が、止まらなかった、と思いました。いえ、かなり願望が入ってますが…。リリーが亡くなって、一度は時間を止めたセブルスですが、リリーの遺志を悟って、自分の時間を動かした、と考えたいです。
一度はI wish I were dead と言ったセブルス。ここで私は絶望と希望。双方垣間見たのかな、と思います。


変化

KUMORIさん、コメントありがとうございます!

私は、以前の記事に書いた変化と今回の変化の違いをこの記事の中でどう表現したら良いかと思いあぐねていました。
ここで生まれ変わったと言い切りたかったのですが、私にはやはりあの時から少しずつ変わっていったと感じられてそう言えませんでした。
あの時は、リリーを生かすことが最優先で、ジェームズへのわだかまりなど構っていられなくなった、ハリーやジェームズはどうでもいいというのが本音だけれど、でもリリーを生かすためには自分はどうなっても構わない、という気持ちがあったと私は思っています。
となると、それは自分第一だった死喰い人としてのセブルスはもういない、という気がするんです。(もしもっと早くにこの段階に至っていたら、そもそも死喰い人にはならなかったと思います)
対して今回は、リリーの大事なもの(=ハリー)にようやく目を向けたという点でまた一つ成長した、と映ったんです。

とはいえ、生きる希望を失っていたセブルスが、わずかな光を見出した場面としてとても重要なので、一度死んで蘇ったかのよう、と表現しました。


>以前の記事
KUMORIさんは、たぶんこのオリジナルの記事を読まれたかと思いますが、これは私がスネイプ先生の死を知ってから約2ヶ月後に書いたもので、まだ日本語訳も出ていない頃のことでした。この頃私は、まだ苦痛の靄の中にいたというか、色々な想いが私の中で渦巻いていました。
今は私もスネイプ先生の時間は動いていた、という確信を持っています。
しかし、KMUMORIさんの> ’Always’。私はこの言葉で、スネイプ教授の時間が、止まらなかった、という一文にはなるほど、と思いました。
永遠に、という発言ができるということは、スネイプ先生の時間が動いているからこそですよね。
私はまた別な理由でスネイプ先生の時は止まっていない、と思っていますが、それはまた追々語っていくつもりです。
日本語訳の「僕を見てくれ」は、まるで時間が止まっていたかのような印象を与えると私は感じています。

ところで、『ブーリン家の姉妹』という小説は読んだことないのですが、ヘンリー8世の二番目の奥さんの話ですか?


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://legilimens.blog68.fc2.com/tb.php/267-8d0a759d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

二人だけの秘密 «  | BLOG TOP |  » 責任の所在

拍手コメントについて

拍手コメントをいただいた時は、その記事のコメント欄にお返事いたします。

プロフィール

二尋

Author:二尋
スネイプ先生への愛を語らずにはいられません。         

カテゴリー

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

スクロール式になっています

前ブログからの訪問者数

リンク

このブログをリンクに追加する

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。