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2017-06

閉心術2 - 2009.02.05 Thu

ベラトリックスの短剣に胸を貫かれて死んだドビーを葬るため、ハリーは「きちんと(properly)やりたい」と、魔法を使わず穴を掘りました。
この時、ハリーは傷の痛みを覚えながらも、ヴォルデモートと繋がる絆の映像を遮断することができるようになりました。

ついにハリーは、心を制御し、ヴォルデモートに対して心を閉じる方法を身につけた。ダンブルドアが、スネイプからハリーに学び取らせたいと願った、まさにその技だ。(中略)深い悲しみが、ヴォルデモートを締め出したようだ……もっとも、ダンブルドアならもちろん、それを愛だと言ったことだろう……。(7巻24章p.137~138)

ドビーの死の状況とその後の出来事は、後に明かされたスネイプ先生の扱いとつい比較してしまうので、読み返すのが辛い場面なのですが、今回読んでみて、別なことを感じました。
ハリーが、閉心術を身につけることができたのは深い悲しみのせいからだと思いながら、ダンブルドアなら、それを「愛」と言ったことだろう、と考えている部分に、ハッとさせられました。

私は、その生い立ちから、セブルスは幼いころから閉心術に長けていたのではないかと以前から思っていました。小さい頃から感情を抑え込む環境に置かれ、心を閉ざす力を自然と身につけていたのではないかと胸を痛めていました。
でも、よく見てみると、リリーの前のセブルスの感情は、非常にわかりやすく伝わってきます。33章の、憂いの篩の中で見守るハリーも、セブルスの苦い思いや喜び、恥じらいなどを理解している様子です。
むしろ、それを気付かなかったとしたら、リリーがどれほど鈍感だったか、というくらいにわかりやすく熱っぽい目で見つめたり、頬を紅潮させたり、しどろもどろになっています。「ずっと君を見ていた」とさえ言っています。この時のセブルスは、無防備なくらいに心を開いて見えます。上手く伝えることができなかっただけで、決して心を閉ざしてはいなかったのだと思いました。


スネイプ先生の閉心術が、ヴォルデモートにさえ破られないほど強固だったのも、自分の悲しみを封じ込める力が強かったからだと思いましたが、そうではなく、それほど強い愛があったということなのではないかと思いました。
リリーを失った悲しみが心を閉ざす力を強めたのではなく、リリーを愛する気持ちが、ヴォルデモートを寄せつけなかったのだと思います。
だからこそ、まだポッター一家が殺される前から裏切りることができたのだと思います。

内に閉じ込める力が働くのではなく、内からの力が外部からの侵入を許さない、という点が私の中で大きく変わった閉心術のイメージです。

● COMMENT ●

そうですね…。愛の力による閉心術、確かにそのとおりだと思います。

ただ残念なのは、どうも何故か本当の意味でこのパワーを使えるようになるためには「死んだ人への愛」という原動力が必要のようで(シリウスしかり、ドビーしかり、そして仰るとおりリリーしかり)、となると自分のために死んでくれる「愛する人たち」がまるで人柱のようにエネルギータンク的な(つまり量的な価値をもった)存在として描き出されてきてしまうことですね…。生きている人のための愛で魔法の力(自殺魔法じゃなく)を発動させて敵を跳ね返すシーンも読みたかったな~と切に思ってしまいます。

それにドビーのシーンは、私には「解放奴隷が『おぼっちゃま』に身を捧げて死んでしまった!」というのがショックでショックで、とても正視できませんでした。それで愛の力が増幅されたという下りに至っては…。

>それを気付かなかったとしたら、リリーがどれほど鈍感だったか、というくらいにわかりやすく熱っぽい目で見つめたり、頬を紅潮させたり、しどろもどろになっています。

ほんと、そうですよね! 少年セブルス、可愛くて可愛くて仕方ありません。

最近、スネイプ・リリー・ジェームズの物語についての考察を某所に投稿して「リリーがスネイプを退けてジェームズと結ばれたお陰で世界平和が訪れたとも極言できるこの物語は、いわば伝統的な寓話的おとぎ話の逆である」という(やや毒吐きじみた、でも真面目な)議論をしたんですが、そのために西洋のおとぎ話の粗筋を調べていて、「そういえば少年セブってば、まんま美女と野獣の野獣じゃない」と気づいて泣けてきました。ディズニー版では美女に誘いをかけるライバルというのが加筆されていて、その男が(お金持ち、ハンサム、村の人気者)まるでジェームズなのですが、ベルは知的で内面が優しく、何より彼女を単に村一番の美人だからではなく人として大好きになってくれた野獣の気持ちに応えて結ばれるのです。普通、ファンタジーのロマンスっていったらこっちですよね…。放送禁止の差別語を一回だけ吐いてしまったからといって、さぁあなたは自分の道を選んだわね、私はクィディッチ・スターの大金持ちと一緒になるわ♪ というリリーのストーリーラインが、どうにも理解できません。あわわ、こちら様でまで毒吐きをしてしまい申し訳ありません>_<

愛と死

RGさん、コメントありがとうございます。
>本当の意味でこのパワーを使えるようになるためには「死んだ人への愛」という原動力が必要のようで
う~ん。私はスネイプ先生に関しては、リリーが生きている間も完璧に閉心術ができていたと思うので、「死んだ人への愛」が原動力のようには感じませんが。
ドビーについても、おぼっちゃまに身を捧げた、という感じは受けませんでした。
ドビー自身が「ドビーにご主人さまはいない!」「自由な妖精だ」と言っているは、そのまま受け取って良いと思ったからです。元々、ルシウスというれっきとした主人がいるうちから何かとハリーを助けようとしたドビーは、ハリーを「おぼっちゃま」とは、見ていなかったと思います。

でも、おっしゃる通り、この物語の世界は、死と愛が密接に結びついている印象は拭えません。リリーにしろハリーにしろ、自己犠牲の精神を尊いものとして扱うのは、私も抵抗があります。
死と切り離した愛の強さ、私も見たかったです。

>ファンタジーのロマンス
そうですね、言われてみれば、4対1の時しか攻撃してこない学校一の人気者が、リリーの愛を得たのは、おとぎ話の逆ですね。
公衆の面前で辱められている状況で口にした「穢れた血」と、シリウスと共謀して手も足も出ない状態にさせ、「彼があなたに何をしたというの?」と問われて答えた「存在するって事実そのものがね」と、どちらが罪深い言葉なのか、リリーの基準がわかりません。その状態を客観的に見ていたハリーが「母さんはどうして父さんと結婚したの?」と聞いた感覚の方が、私にはよほどわかりやすいです。

そうか、確かにセブルスのリリーへの愛が改心パワー(と、多分、閉心術パワー)の原動力として働きだしたのはリリーが死ぬ以前ですね。突っ走ったことを書いてしまってすみません。

ドビーのハリーへの愛は… そうですね、二尋さまの読みの方が一般的なのだと思いますが、どうしても「ハウスエルフ」が実際の奴隷制と重なって見えてしまう私には、「優越人種」の一員に対して会う前から盲目的な愛を注いで常に奉仕しようとするドビーは、それだけでアンクル・トム的に見えてしまって、どうも駄目です。ただ私は、ラストのサンドイッチも許せないような奴ですから(笑) 確かに『おぼっちゃま』はかなり偏った読みですね。

RGさん、再度コメントありがとうございます。

>「優越人種」の一員に対して会う前から盲目的な愛を注いで常に奉仕しようとするドビー
なるほど、そういう見方をされているのですね。私は実際の奴隷制度に対して、あまりにも無知なため、その辺と結び付かないのかもしれません。作者も奴隷制度への生半可な知識で、ハウスエルフを登場させたのでしょうか。意図をはかりかねます。

ラストのサンドイッチが許せないのは、ハリーが「クリーチャ―が持ってきてくれないかな」と考えたからですか?
私はそこでスネイプ先生の遺体に思いを馳せなかったことにひどく失望しました。

家内奴隷

あれれ、もしかして日本語版では、ドビーたちは「~ですだ」とか『風と共に去りぬ』みたいな口調で話してはいないのでしょうか? そうだとしたら松岡氏、英断ですね。原著ではエルフたちが喋る空想の「エルフ訛り」が、実際に奴隷にされた黒人などの有色人種が話した英語やピジン語に非常に似てるんですよ…。しかも黒人奴隷の訛りは現在の黒人英語にもその片鱗を残しているので、連想は深刻です。そんなエルフたちをして「奴隷の状態に喜びを感じる性質を生まれつき持っている」「解放しようとすると可哀相なほど嫌がる」「主人の命令に背くと自分で自分を罰するように先天的に出来ている」ときたもんですから…。

最後のが特に私には戦慄もので。それもドビーがマルフォイに背いた時だけでなく、読者の目の前でハリーが(校長に言われて)クリーチャーに「黙れ!」と言ったら、「嫌だ嫌だ」と言い続けたいあまり口をパクパクさせ続けつつ自分で自分の首を絞めたっていうシーンまで出てきましたよね…目玉が飛び出る描写付きで…。その彼が7巻で「喜んで」ハリーの世話を焼くようになったからといって「自由意思だ」と取る気には到底なれず、「優しく使えば奴隷所有OK」とばかりに用を言いつけるハリーに目を剥きどおしでした。やっと戦争が終わり勝つために縛っておく必要もなくなったので、「そういえばクリーチャーも小さい手足で戦ってくれてたな、靴下をあげないと」となるかと思った矢先に「サンドイッチを頼もうかな」とは…。そのサンドイッチ、「ふざけるな、自分で作れよ!」とクリーチャーが思ったとしても、黙って作るか自分で自分に拷問するしかないんですよね。う~~~ん。

…長々と気分の悪いコメントをしてしまい申し訳ありませんm(_ _)m
あのサンドイッチは、ちょっと私には平静でいられなくなる箇所の1つなんです。

こんにちは。
私も二尋さんと同じことを思いました!
私もずっと、セブは両親が不仲の悪環境で育ってきたから、心をさらけ出すことを嫌い閉心術を使うようになったのだと思っていました。
でもこの前改めてこの場面を読み返して、違うんだと確信しました。
閉心術には愛が必要だったんですね。

>スネイプ先生の閉心術が、ヴォルデモートにさえ破られないほど強固だったのも、自分の悲しみを封じ込める力が強かったからだと思いましたが、そうではなく、それほど強い愛があったということなのではないかと思いました。

全く同感です!
そしてこのことに気づいたとき、またしてもセブのリリーへの愛に胸が熱くなりました。


第5巻の閉心術の授業中にハリーが
「でも、どうやったらいいか、教えてくれないじゃないですか!」
と言っていました。
セブは閉心術の確かなやり方、愛する気持ちを持つこと、を分かっていただろうけど口に出したくなかったのかなあ、と思って一人でにやけてました。(笑)

でもハリーは七巻のドビーの葬儀後、「自分で悟る時間をかけさせるために、そうなさったのですね?」
と言っていました。(ここは思っていたのかな・・・)
ダンブルドアは、ハリーに自ら‘愛すること’を自覚させたかったのでしょうか?自分やスネイプ先生から直接言われるのではなくて、自分で閉心術のやり方を見つけて欲しかったのでしょうか?

「ヴォルデモートに対して心を閉じる方法」は‘自らで愛する心を持っていることを自覚すること’なのかな、と思いました。
「ダンブルドアが、スネイプからハリーに学び取らせたいと願った、まさにその技だ。」
とありましたが、なんだかこんなにも愛する心を持っていたスネイプ先生が愛おしく、尊敬します。(//)


長くてしかも意味の分からないこと色々書いちゃってごめんなさい。
同じ考えの方がいて嬉しくなったのでついつい書き込んでしまいました。
失礼しました。m(_ _)m

認識不足

【RGさん】
お返事ありがとうございます。
日本語訳のドビーは「ドビーめにございます」「~でございまして」といった感じの「ございます」口調で話しています。あとは、「~するために参りました」「~しております」という普通の謙譲語が使われています。
言われてみれば、奴隷と呼ばれるその生き物に、私は黒人奴隷を重ねて見ることはありませんでした。ハリー・ポッターの世界の独自の性質を持つ生き物だとしか考えていませんでした。
「風と共に去りぬ」も大昔に読みましたが、その口調とは違うと思いました。残念ながら、「風と共に~」も「ハックルべりー」も実家に置いてきてしまったのか、手元にないので、きちんと検証できないのですが。
英語で読むと、その訛りから連想されるのですね。
ということは、英語圏の方の多くが、そう感じるということですね。

ドビーを解放した主人公が、相続した奴隷のクリーチャーには美味しい食事を作ってくれることを期待する、というのも考えてみれば妙な話だと、コメントをいただいて初めて思いました。奴隷解放を扱った割には、その点、中途半端な終わり方だったのですね。
ローリングさんが、主人公にこのようなことを考えさせたのは、主人公は所詮この程度の男と言いたかったのか、読者に問題を提起する意図があったのか、あるいは、ローリングさん自身がその程度の認識しかなかったか、ということなのでしょうか。

はじめまして!

【ららさん】
はじめまして!
ららさんも、同じように思っていらっしゃいましたか。
私も5巻の印象で、幼少の頃から心を閉ざすことに慣れていた、とずっと考えていました。7巻を読んだ後も、まだそう思っていましたが、読み返してから考えが変わりました。
5巻のスネイプ先生、ハリーに「教えてくれない」と言われながら、本当に何も具体的な指導をしなかったですね。
先生自身、秘訣が何だかわかっていなかったような気もするし、わかっていても内からの愛のパワーとは、とても言えなかったでしょうね(笑)

ダンブルドアも、ハリーには、単にスネイプ先生の技術を学びとって欲しかっただけではなかったのかもしれません。でも、やっぱり、5年生の時点でスネイプ先生から愛を学ぶのは難しかっただろうと思います。
誤算と呼ぶには、あまりにもダンブルドアの認識が現実とかけ離れていた気がします。

ららさん、コメントありがとうございました。
またぜひ、いらしてくださいね。


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