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2017-11

スネイプ先生のパトローナス1 - 2008.12.03 Wed

以前、スネイプ先生のパトローナスとボガートは何かと問われたローリングさんが、「ネタバレになるから言わない」というようなことを言いました。
私も今から3年以上前にその点について書いたことがありました。(3年前の記事はこちら
以降、スネイプ先生のパトローナスは何か、という疑問はずっと心の片隅にありました。

7巻を読み始めた時も、私は常にスネイプ先生アンテナを張り巡らしていたので、原書でこの19章のタイトルThe Silver Doeを見た時から、正確には「doe」の意味が「牝鹿」だと辞書で調べた時から、これはスネイプ先生のパトローナスに違いないとほぼ確信していました。
スネイプ先生のパトローナスと思いこんだ私はさらに、この牝鹿がリリーを意味するのではないかと疑い、軽く落胆しました。「リリーを愛していた」説を支持したくなかったので。
結局、その通りだったわけですが、その辺は脇に置いておいて…

パトローナスについては、未だによくわかっていません。
再度パトローナスに関する記述や描写を探して要約してみます。
・パトローナスは一種のプラスのエネルギー(3巻12章)
・希望、幸福、生きようとする意欲(同)
・本物の人間なら感じる絶望というものを感じ取ることができない(同)
・とてつもなく高度な呪文、一人前の魔法使いでさえてこずる
・その姿は造り出す魔法使いによって違う(同)
・一番幸せだった想いでを、渾身の力で思いつめたときに初めてその呪文が効く(同)
・伝言を送ることができる(4巻28章、6巻8章、7巻9章)
・強い衝撃や精神的な動揺で形が変化する(6巻16章)


パトローナスがプラスのエネルギーなのはわかりましたが、このエネルギー、自分ではコントロールできないものなのでしょうか。
ハリーは、3巻で、はっきりした父親のイメージのないまま、牡鹿のパトローナスを出していました。
ダンブルドアのそのことについて「愛する人が死んだとき、その人は永久に我々のそばを離れると、そう思うかね?(中略)君の父親は、君の中に生きておられるのじゃ、(中略)プロングズは昨夜、再び駆けつけてきたのじゃ」(3巻22章p.558~559)と言っています。
これは、いかにも守護霊といった風で、守られる側が受け身な感じがします。
また、3巻で初めてハリーがはっきりとした牡鹿の形のパトローナスで吸魂鬼を追い払った時も、群がる吸魂鬼に頭を下げて突進していく様子や、暗い影の周りをグルグル駆け回る様子をただ、見ています。そしてハリーに近寄り、見つめられて、触れようとした時消えてしまっています。ハリーの意思には関係なく動いているかのようです。
パトローナス自身に意思があるかのようです。

これはむしろ、霊が憑いているのに似ている気がするのですが、このプラスのエネルギーはパトローナスを出す人自身のものなのですよね?
この辺がよくわからないです。
強い衝撃や精神的な動揺でその姿が変わる時、霊が入れ替わったのか、単に姿形の問題なのか、その辺もよくわかりません。
そこは、私にとってはとても重要なことなのですが…

リリーの意思を持った霊に守られているのか。
リリーへの想いがリリーの形を取ったのであって、あくまでも主体はスネイプ先生なのか。
ハリーは牝鹿のパトローナスを見た時、知っているような気がしたり、会う約束をしてずっと来るのをまっていたのに今まで忘れていたかのように感じています。これは牝鹿にリリーを見たからだと思うのですが、とすると、やっぱりリリーがスネイプ先生の中にいるのでしょうか。
それとも、スネイプ先生の中に生きるリリーのイメージがハリーの知っているリリーそのままなのでしょうか。
よくわかりませんが、私は後者のような気がします。

この章のタイトルに私がリリーを感じたのは、牡鹿のジェームズと対になるものとして連想したからです。
パトローナスって、その人の持つ魂の形なのではないかと思いました。
もともとジェームズとリリーは魂に共通する部分があり、結ばれるべくして結ばれたという気もします。
そして、リリー亡き後は、皮肉にもスネイプ先生の魂もリリーにとても近い形になったのではないかとと思いました。
今なら二人は、きっと理解し合えるでしょうに…

● COMMENT ●

まさに…

そこが謎で、私も悩んでいました。パトローナスはシリーズ全体の愛のテーマとも共鳴して、かなり鍵を握る存在ですし…。これのメカニズムが(単純に魔法としても、また象徴的な次元でも)どうにも掴めないというのは、物語の倫理的な不可解さとも呼応してハリポタ三大ミステリーの1つといっていいぐらい、私にも頭がグルグルしてしまうところです。

ハリーが「初クィディッチの思い出なんてダメ」と指導されていること、また恋愛によって形を変えたような描写(トンクス)があることから、やはりパトローナスは何らかの「愛」パワーを担うものだろうと思うのですが、とすると非常に重要なのは、おっしゃるように一体それが「愛するパワー」なのか「愛されたパワー」なのか、という問題ですよね…。リリーが主体なのか、それともスネイプの内に沸くパワーなのかでは全然違う話ですから。(更に言えば、彼がこの善なる力を使えるのが「一途に人を愛する心があるから」なのか「ちゃんと友達になってくれる女の子がいたから」なのかでも、物語上の意味合いとしては天と地の違いですし。)児童文学としてのメッセージ性を思うと、ここは是が非でも「愛する力」の方で行って欲しいところなのですが、どうも考えれば考えるほど逆のような気がしてきて参っています。だから、どうしても憑き物っぽくなっちゃうんですよね。

そして偉大な愛のパワーが常に憑き物っぽく向こうから降ってくる存在である限り、いくら愛する力が大切で云々と言ってみても、結局「自分の」愛の力そのものが元から決まっちゃっているというようなことになるわけで…。ここらへんが、何となくハリポタって運命決定論的だな~という印象を持たれがちになる理由ともつながっている気がするのですが。む~。どうにも解りません。

だらだらと長文になってしまいすみません。

謎ですよね

RGさん、コメントありがとうございます。
最初はパトローナスについて別なことを書いていたのですが、途中からこの点が気になってしまって。ここを、とりあえず自分としてはどう考えるかを明らかにしておかないと、先に進めないと思って「1」という番号で語りました。

私としては、主体はスネイプ先生だと思いたいのですが、そう思えないような場面もあって、なかなか上手くまとめられないのです。
スネイプ先生のパトローナスなのに、ハリーはなぜ知っているような気がしたり、会う約束をしていたように感じているのか、よくわかりません。まあ、知っているといえば知っていますが、この時点では激しく憎む男の気配を感じ取りはしなかったのでしょうか。今回の記事での私の結論からすれば、ピュアなスネイプ先生の魂の気配を感じたということになるかもしれません。
リリーの霊に守られることはスネイプ先生にとっては嬉しいかもしれないけれど、そんな小さな男であるはずがない、という思いが私にはあって、ここはなんとしてもスネイプ先生自身のパワーと位置付けたいところです(笑)

愛する力

本当にパトローナスは、わからないことが多いですね。
私は、重要なのは本人が幸せを感じるかどうか、というところから、主体的なものなのかな…と感じています。
極端に言えば、こちら側が強く愛してさえいれば、相手が意識していようといまいと、意識下の魂の部分が感応してパトローナスの形として現れるようなイメージです。
これなら相手に護ってもらうのではなく、自分自身の愛する気持ちが相手のパワーを引き出して自分を護る形になります。
勿論、身勝手な愛では相手の魂も感応してくれないでしょうが、先生の愛は充分な純粋さと強さを持っていたはずです。
ダンブルドアが守護霊のような言い方をしたのは、子どものハリーにはその方が理解しやすいと考えたからではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
わかりにくい表現しかできなくて、ごめんなさいm(__)m

オーラ

もまさん、コメントありがとうございます。

>自分自身の愛する気持ちが相手のパワーを引き出して自分を護る形
スネイプ先生の深い愛が、リリーの護りを引き出すことができる、ということでしょうか?
というと、ここにはやはり「相手」が存在するという考え方でしょうか。「相手のパワー」とは、自分ではコントロールできないものとして存在する形をお考えですか?

私が最初に考えていたパトローナスというものは、「形は誰かの影響をうけることはあっても、あくまで自分自身の力だけによるもの」でした。
スネイプ先生やトンクスなどは、相手を連想させる姿形をとっていますが、ハーマイオニーのカワウソなどは、ロンには関係のない、彼女自身のもので、私としては本人のオーラのようなものをイメージしていました。
が、ハリーがスネイプ先生のパトローナスに感じる懐かしさのようなものは、そこにリリーが何らかの形でかかわっているように見えるのです。
「スネイプ先生のオーラ」と、「スネイプ先生のプラスのエネルギーが誰か(何か)の護りを引き出す」では、やっぱり意味は違ったものになってきますよね。たとえ愛する力が比類ないものだとしても、やっぱり他力本願な気がします。
できればここは、スネイプ先生の一途な愛が、姿だけリリーを連想させるものに変えただけであって、(無意識であっても)リリーの魂までは関与して欲しくないと私は思うのですが…
やっぱり、リリー本人が与り知らぬところで、リリーの魂が感応しているのでしょうか。

なるほど…。

深いですね~。

ハーマイオニーのカワウソはロンかな…と漠然と思っていたのですが(weaselってイタチで、なんか似てますし^^)しかし考えてみると、確かに「相手が愛してくれている(いた)から」ではなかったとしても、相手側のパワーを引き出すのでは、それは他力本願な魔法になってしまいますよね。

そもそも、そのパワーって魔力的なものだとすると、相手からなど引き出せるものでしょうか。例えばハーマイオニーが学校に来ずに自宅学習で幸せに成人したとして、愛する人は両親であれ恋人であれ片思いの相手であれマグルになりますが、だからってパトローナスが出せないことになるのでは妙です。実際、ダンブルドアの不死鳥パトローナスは多分?妹?のような感じですが、妹は生まれてから死ぬまで、ずっとあんな状態だったわけですし。逆にフィルチにパワフルな魔女の奥さんがいて彼女を強く強く愛したら(あるいは愛してくれたら)彼はパトローナスだけ出来るようになるのでしょうか。そんなわけないですしね…。

と考えるうち、段々前に言ったことを覆せそうな気になって参りました^^;

多分、私が引っかかっているのは、例えばヴォルデモートに絶対パトローナスが出せないこと(彼は人を愛するパワーがゼロなこと)は母や父の所業によって生前に決まってしまっている…という辺りがムズムズするからなんだと思います。片思い、ということが親子間に関してはありえなくて、親が子を愛したら子は絶対に親を愛し、子が親を憎んで乱暴者になったら必ず親のせい、というのは、まぁ発想としてはありがちなパターンですが、それを3歳児神話に仕立てるならまだしも、生後数時間で亡くなったヴォルデモートの母にまで適用したところが倫理先天説っぽくなってしまっていて、それも「親の愛の有無」が養育過程を経ずに直接子供に影響するなどという、ある意味「遺伝子で共感能力が決まってしまう」とかよりも更にエグい話になっているのが、個人的に受け入れがたい気持ちの原因かなと。

横道に入ってしまってすみません。ということで、愛の力そのものの獲得のしかたには依然として謎を感じるものの、人として使えるようになった愛の力がパトローナスを生み出す過程自体は、比較的クリアなのかもしれない…と思い始めたわけです。

Rex Luscusさんの7巻スネイプ考察:
http://rexluscus.livejournal.com/254445.html

を読み返していて、その思いを強くしたのですが、ここでも「愛する人は死んでも決して側を離れない」の台詞を引いた上で、まさにこれがパトローナスに象徴される愛の働きだと捉えていらっしゃいます。が、その意味というのが、「相手を本当に愛する気持ちがあれば、その愛は自分の中で血肉となって己の行動を導いてくれる灯火になる」ということだとおっしゃるんですね。つまりリリー型のパトローナスは、形はリリーで存在もリリー的な部分があるものの、それはリリーという主体から発生したオーラだからではなくて、スネイプ先生の中のリリーを愛する部分、先生自身に内在化されたリリー色の愛パワーだからというわけです。その愛が、ハリーの中にも息づく母リリーを想うパワーと共鳴して懐かしい気持ちを呼んだのだと。

またも長文で申し訳ありませんが、確かに、そういう感じだと気分も良いし、しっくりくるな~と思ったので、ちょっと前言撤回させて頂きたいと思いました。

愛パワー

RGさん、コメントありがとうございます。

カワウソとイタチって似ているな、と私も思ったのですけど、otterとweaselを英国ではどの程度別物と捉えているのかわからなくて。
また、厳密にいえばイタチなのはアーサーで、ロンはテリアなので、カワウソはロンへの愛情とは無関係かと考えました。
ところで、今ウィキペディアで調べて知ったのですが、テリアって、イギリスで害獣や害鳥を駆除するために開発された品種だそうですね。キツネ、ネズミ、アナグマ、カワウソを狩ったと書いてあって驚きました。狩る物と狩られる物という関係もあったのでしょうか。ちょっと複雑な気分です。

>「親の愛の有無」が養育過程を経ずに直接子供に影響する
ここは、パトローナスを抜きにしても、私も納得できない部分です。ローリングさんはよほど生みの親の愛を強調したかったのでしょうか。ヴォルデモートに愛がなかったと言い切るには、最後の力を振り絞って孤児院にたどり着いた母親や、忙しいなかでも子どもたちの健康を維持することに奮闘する孤児院のスタッフの描写の意味がよくわかりません。


Rex Luscusさんの考察の要約を教えて下さってありがとうございます。
まさに、私の求めているパトローナスの姿だと思いました。
どれが正しいということはないのですが、私は「先生自身に内在化されたリリー色の愛パワー」であってこそ、先に進める気がします。

なるほど

内在化された愛・・・というのは納得できますね。
二尋さん、RGさん、ありがとうございました。

ヴォルデモートに愛がなかった説には、私も抵抗があります。
彼自身にパトローナスを出現させるに足る充分な幸せ体験(を感じる力)が無かっただけでは?と思えるのですが・・・

あと、スネイプ先生の気持ちを「信じている」はずなのに、牝鹿を見たダンブルドアが、なぜ涙を流すほど感動したのかもよくわかりません。
とてつもなく高度な呪文の割に、生徒たちも、ある程度気合を入れて練習すれば使えるみたいだし。
この辺りは、二尋さんの考察が進むのを楽しみにお待ちしています。

スネイプ先生の力

もまさん、再びコメントありがとうございます。
もまさんのご意見が間違っているとうのでは決してないんです。リリーの関与なく、スネイプ先生の力だけでできていると考える方が先生がかっこいいからという理由から、なんとかこじつけようとしているだけで(笑)
基本的にそういう方向で進めていくつもりだったので、パトローナスの概念があやふやだと進めにくいなと思ったのです。

ヴォルデモートが何のためらいもなく人を殺す人として描かれるには、その理由に説得力が無い気がしています。いっそ人でない生き物だったなら私は受け入れることができたかもしれませんが。人に愛がないと言い切ることにちょっと疑問を感じます。

>なぜ涙を流すほど感動したのか
私も、あれ?という気持ちでした。だって悪く言えば、その気持ちを利用してきたのでしょうに。ここはよく考えたいところです。ただ、考えるべき相手がスネイプ先生ではなくダンブルドアなので、十分掘り下げられないような気がしています。

記憶?

初めて投稿します。
私は、パトローナスを少し違った形で捉えています。つまり、原文のとおり「幸せな記憶」の具現化だと思っています。
人生で一番幸せだった時を象徴する姿に成るものだと言う風に思いました。 
スネイプ先生にとってはリリーとすごした子供時代が一番幸せだったでしょうしハリーにとってはジェームズといた赤ん坊のころなのでしょう。
ハーマイオニーなどには、作中には登場しなくとも幸せだった記憶がたくさんありそうですし、トンクスはルーピンに関することで人生で一番幸せだと思えることがあったのでしょう。(辛いときに優しくしてもらったとか。恋に落ちるきっかけのようなことが。)
ヴォルデモートがパトローナスを使えないのも心の底から幸せだったことがないせいならば、両親のせいだとも言えます。子供のころ両親に愛されたことは、大半の人が当たり前に持っている幸せの記憶ですから。確かにヴォルデモートの人生で幸せだった時は、存在しないようですし。

はじめまして!

KORさんはじめまして。

この記事を書いてからもう2年も経ったことにとても驚いています。
幸せな記憶の具現化ですか。というと、誰かに守られる系ではないということですね。
今は私も、誰かに守られているとは考えなくなりました。

ローリングさんが、ジェームズとリリーのパトローナスについての質問に答えている文章に最近目を留めました。
当時も目にしていたと思うのですが、素通りしてしまっていたというか、心に届かなかったのです。
質)James' Patronus is a stag and Lily's a doe. Is that a coincidence?
答)No, the Patronus often mutates to take the image of love of one's life (because they so often become the 'happy thought' that generates a Patronus).

パトローナスは、その時々の‘Happy thought’によって変わっていくもの、その時何を幸せに思うかによってパトローナスは変わるもの、と言っているように見受けられます。
ジェームズとリリーは、愛し合うようになってから牡鹿と牝鹿という一対の動物になったかのような印象です。
もしかしたら、元々リリーが牝鹿で、ジェームズの方がリリーに近づいて牡鹿の形に変化したのかもしれません。
でなければスネイプ先生のパトローナスがリリーと同じなのは、‘ジェームズを愛するリリー’に同調したかのような印象を与えるので。
そうなるとやっぱり魂の形、という気がしてきます。
何を幸せに感じるか、という点に主題が置かれているので、そこにはやはり記憶も関係しているかもしれません。
私は記憶などの経験に加え、人生観などもかかわっているのかな、と思っています。
もしかしたらハリーのパトローナスも、結婚して子どもたちが生まれたことによって、牡鹿ではなくなっているかもしれません。
いずれにしても、パトローナスを出す人自身のものではありそうですね。

ヴォルデモートについては、記憶だけで語るのは難しい気がします。
両親に愛された記憶がない、だけでは彼の所業を語れないようにも思うし。
余談ですが、死喰い人がパトローナスを作れなかったと作者が言っているので、きっとルシウスも作れなかったと思うのですが、家族思いの彼ならその資質はあったんじゃないかな、ドラコの誕生を機に作れるようになっていたんじゃないかな、と思っています。

コメントありがとうございました。
良かったらまたいらして下さいね。

守護霊の定義

こちらでは初めてコメントさせて頂きます!
まず、守護霊の定義が私もよく分からないと思ってこちらの記事を拝見しました。
私は、
・形は大抵の場合が自身のイメージ(オーラ)だが、稀に愛に深く関わる他者を象徴する形になる(他者と同じ形になる事があるのはどうかは不明)
・(おそらく)思い出の内容と形は直接関係しない
・守護霊を創り出せるかどうかは幸せな記憶を感じる(=自身が幸福だったと感じる事が可能な記憶があるか否か)による(幸せな記憶が存在しない場合は不可能)

・・・なのではないか、と思い纏めてみました。

まずヴォルデモートについては幸せだと感じる事が出来ないだけで、誰からの愛もなかった事はないと思います(多分”感じ取る”事が出来ない子だったんじゃないかと)。
ちなみに死喰い人については守護霊を創り出す事が不可能なのではなく単に創り出す必要性がないだけなのではないかと思います(あと、元々闇の魔法使いを目指すなら習得自体をしないかと)。

いくつか疑問が解消しないのは、同じ人物を象徴する守護霊は複数の人間の守護霊に成り得ないのか(リリーを象徴する牝鹿はハリーの守護霊に成り得ないのか?など)という謎。これはパターンが少ないので謎です。加えて、精神状態によって変化するのなら、ハリーの守護霊は牡鹿から犬に変わらなかったのか、とか・・・。

あとちょっとした(?)謎なのですが、大半が動物の中で何故極稀に魔法生物の形に成り得るのでしょうか・・・?(魔法生物なのは不死鳥の1パターンのみ)動物と魔法生物の場合では何か違うのか勘繰ってしまいます。他にドラゴンやユニコーンやセストラルの守護霊があるならすんなり受け入れられるのですが、1パターンだけというのが気になります。

ヴォルデモートに関しては歪んだ幸せなら誰かを殺した達成感とかでも守護霊が創り出せる筈、と思い直しました。もし創り出せるならやはりナギニ、蛇になるんじゃないかと思います(バジリスクも考えましたがあくまでバジリスクはスリザリンだと思ったので)。

最後にコメントの方で触れていたダンブルドアの涙の件ですが、リリーへの想いの強さによる涙ではない事は間違いないと思っています。では何故?という事になるのですが・・・ここは結構意見が分かれると思うのですが、これは自身の投影であり、スネイプがリリーを想う姿に自身が「誰か」を想う姿を重ねた可能性が強いと思います。
私も最初「リリーへの想いの強さで泣いた訳がない」と思いつつも咀嚼できずにいたのですが、ぼんやりそうなのかも、と思い具体的に文章で見た時に一番有力だと思いました。ちなみに「誰か」が誰であるかはそれぞれの主張によって大きく分かれる部分ですが私は二択の内のどちらかでどちらなのかは読者の解釈に任せられているのではないかと思っています。(私の中では多分・・・だろうな、という意見は固まっています)

ちなみにダンブルドアの不死鳥(守護霊)が、妹だと思った事はないです。おそらく自身のオーラか、フォークスの形になっているんだと思います。ただ、ヘドウィグやクルックシャンクスの形にはならないのにフォークスの形になるのは不自然かもしれませんが・・・。

随分長くコメントしてしまいました。
では失礼致します。

Re: 守護霊の定義

Put-Outer さん、こちらにもコメントありがとうございます!
すみません、パトローナスについてはゆっくり考えてお返事したいのですが、今時間がないので、また後日お返事させてくださいね。

遅くなりました

Put-Outerさん、お返事が大変遅くなって申し訳ありませんでした。
こちらの記事を書く時もそうですが、コメントのお返事も相当世界に入り込まないと出来ないので、日記の方に比べて遅くなってしまうことがあるんです。ごめんなさい。

守護霊については、私の中ではこう、というイメージは固まってきたものの、未だにわからないことが多いと感じるものの一つです。

ヴォルデモートについては、私も愛がなかった、と言い切ることはできないと思っています。母の愛もあったけれど肌に感じることはできなかったでしょうし、孤児院のスタッフからの愛だって感じることが出来る人なら感じられたと思います。

デスイーターが守護霊を作り出すことが出来ない、と言ったローリングさんの意図はよくわかりません。
便利なので必要性がない、とも思えません。
デスイーターだってルシウスのようにそれぞれ愛する人はいるわけだし、ドラコが生まれた時やその成長に、それは幸福な気持ちを味わったと思うんです。もしかすると、守護霊を作り出すのに必要な幸福な思い出はあっても、その呪文の成功を妨げるもの、例えば邪悪な心があったり、他人の苦しむ姿に無関心だったり、とかがあるのではないかと思います。だからこそ、i一人前の魔法使いでさえ、この魔法にはてこずるほど、と言われるのかもしれません。
そう考えると、スネイプ先生の心は本当に純粋だったのだなあと思わされます。

強く愛する気持ちによってパトローナスが変化するというなら、ハリーのパトローナスが牡鹿のまま、というのはジニーへの愛が薄いのかと思ったり、逆に愛された力に依るものなら、リリーと同じ牝鹿じゃないのか、と思ったり。その辺は未だに解決していません。

ダンブルドアの涙が、自己投影によるものだ、というのは新しいご意見ですね。
うーん、この辺、やはり私はダンブルドアに開心術をかける熱意が足りなくて、全然考えていませんでした。
え?と思いつつ、やっぱりリリーへの想いの強さと持続性に今更ながら感動したのかなあ、という程度です。

そして、私もダンブルドアのパトローナスが妹関連のものだとは考えたこともありませんでした。
かといって、グリンデルバルドに由来するとも考えてはいないんですが。
なんとなく、誰にも影響されない形のようなイメージを持っています。多分、最初に私が感じた、その人の魂そのもの、というイメージなのだと思います。


魂の形

パトローナスについて、思う所がもう少しあるのでコメントさせて頂きます。

邪悪な心や他人が苦しむ姿に無関心な事が阻害する、というのは死喰い人やヴォルデモートが守護霊を出せない理由として合っていそうな気がします。
とは思いつつもどこまでを純粋と見做し、邪悪とのラインがどこで引かれているのかが釈然としないです(アンブリッジが守護霊を出せていたのでスッキリしないです)。

ダンブルドアの涙の理由は、私もとある所で文章で見て「ああ、何でそう思わなかったのか!」と思ったので開心術をかけるのが難しいと思います(汗)ダンブルドアファンですら結構開心術には梃子摺ります・・・・。

ダンブルドアのパトローナス、やはり自身の「魂の形」みたいなもの感じなんでしょうかね。形状はそう易々と変わるものではないと思っているので(変わる方が少数派?)その方がスッキリしそうです。
ただ思い出の方がどんな思い出を使用しているのが大変気になるところです(形状ではなくてこちらがグリンデルバルド由来なんじゃないかと睨んでいます)。

やはり死喰い人はパトローナスが出せない、という公式設定があってもルシウスやベラトリックスの守護霊は見たかったです。ルシウスはドラコ、ベラトリックスはヴォルデモート由来なのでどんな形状を取るのか大変気になる所です。(個人的に一番想像が難しいのがグリンデルバルドです、思い出の方がさっぱり思いつきません)
あ、ヴォルデモートはホグワーツが幸せだった場所だったらしいので在学中の途中まではもしかしたら守護霊を出せたかも?しれませんね。(邪悪な面がまだ弱い時期と見做すなら、ですが)

長々と書いてしまいました。
では失礼致します。

幸せな思い出

そうか、アンブリッジは守護霊出せましたね!
うーん、そうなるとやっぱりPut-Outerさんがおっしゃるように、線引きが難しいです。
闇の印を肌に刻印されているか否か、ではスネイプ先生は出せないことになってしまうし、なんとなく心根の問題かと思ったんですが。
難しいですね。

ダンブルドアがパトローナスを出す時の幸せな思い出、私は考えたこともありませんでした。
言われてみれば、グリンデルバルドはかかわってきそうに思います。
恋愛感情もあったようだし、二人で計画を立てる時どれだけわくわくしただろうかと考えると、幸せな思い出はその当時にあったかもしれない、とも思います。
もっとも、グリンデルバルドに思い入れのない私としては(笑)、先生としての思い出であって欲しい、というか個人への愛より広い意味での愛に関連した思い出でパトローナス出しているダンブルドアの方がいいな~と思います。

ルシウスなんかはパトローナス出せそうですよね。妻子を大事にしていそうだから、やはり家庭での思い出ではないか、という気がします。
ベラトリックスは、夫がある身でありながら、ヴォルデモートを崇拝しているので、やはりヴォルデモートへの気持ちが勝っているのでしょうか。ヴォルデモート関連で何か光栄に思えるような出来事があったら、やっぱりそれが一番彼女にとって幸せそうですよね。
ヴォルデモートの幸せな記憶といったら、自分が魔法使いだとわかった時かな~と思います。
ハリーも初日で一番成功した時はその思い出でしたっけ。

それぞれの思い出

アンブリッジの件がなければ心根の問題、でも解決出来るのですがそうはいかないのが守護霊の呪文の難しく曖昧模糊な感じが否めないと感じてしまう部分だと思います。

ダンブルドアが守護霊を出す際の思い出は7巻を読んだ後、考えてみました。
幸せな思い出は数多くあっても、ハリーのように守護霊を出すにあたってかなり幸せ(と感じる)な思い出じゃないとダメなようなので、そうなるとやはりグリンデルバルドに関する思い出なのかな、と思いました。
教授としての思い出は正直あまり思いつきません(汗)考えたものの、出てきたのが今度はハリー関連でした。
あとあり得るのは、家族に関する(一家全員が揃っていた頃)思い出かな、と思っています。

ルシウスは家族に関する思い出でどんな形の守護霊を出すのか大変興味があります(孔雀とかでしょうか?)。
ベラトリックスは間違いなくヴォルデモート関係だと思っていました(笑)形状は想像出来ませんが(汗)
ヴォルデモートは確かにその記憶が一番幸せだったのかもしれませんね!
ちなみにハリーは3巻を読み直してみたらやっぱりそうでした。
ハリーとヴォルデモートってやはり共通している部分が多かったんだなぁ~と改めて思いました。

デスイーターたち

ルシウスが守護霊出したら、やっぱりクジャクになりそうな感じです(笑)
ヴォルデモートの死後は、もしかして本当に出せたかも。

ベラトリックス、考えたこともないです。
高圧的な態度を取る動物がいたらそれのような気がします。
豹かな。黒豹とか(笑)

潜在意識

 以前からこの記事にコメントしたいなと思っていたのですが、本当に言葉が上手くまとめられず悶々としていました。(ちょっとオーバー)。別ブログで“潜在的”という言葉を目にし、よっしゃという気になりました。
 スネイプ先生のパトローナスの中にリリーがいるのかという話ですが、私が感じる所、リリーは全くいません。銀色の牝鹿のくだりを読んだ時私は「ああハリー、潜在意識じゃスネイプ先生を信頼し、頼りにしてるんだね。」と思いました。
 6巻などでは特にハリーはスネイプ先生に何かと難癖を付けて憎んでますが、ちょっと異常です。これって何かの裏返し?という気もします。潜在意識では本当は分かり合えたらな、とか思っていたのでは。
 シリウスの死もスネイプ先生のせいにしてますが、そうしないとハリー、やりきれなかったのかも。(シリウスの最期、カッコ悪いですもん。す、すみません。というか皆、納得できない最期ですよね。)逆恨みだって分かってたと思います。
 ダンブルドアについては・・・そりゃもう「それ見たことか」という感じですが、それでも、それでも、スネイプ先生という実体が見えなかった時、ハリーはスネイプ先生のパトローナスに素直に心を開いたのだと思います。

前提

 大事な事を忘れていました。銀色の牝鹿の章を読んだ時、私はこれがスネイプ先生のパトローナスだと知っている上で読みました。

リリーの気配

こはちゃんさん、コメントありがとうございます。

ハリーが銀の牝鹿のパトローナスを、知っているような気がしたり、会う約束をしてずっと来るのをまっていたのに今まで忘れていたかのように感じていたのは、そこにリリーではなくスネイプ先生自身を感じていたから、ということですね。
それは私の願望でもあります。

こはちゃんさんは、スネイプ先生のパトローナスだとわかっていたこの部分を読み、そう感じたのですね。
私は、わかってはいませんでしたが、スネイプ先生のパトローナスだと確信しながら読みました。そして、そこにリリーの気配を感じてがっくりきてしまいました。
スネイプ先生がリリーを好きだった説はネット上でもかなり前から出回っていて、私はずっとそうであって欲しくないと思っていたのですが、
「会う約束をしてずっと来るのをまっていたのに今まで忘れていたかのように感じていた」の辺りで、ああ、リリーのことだ、と感じたんです。理屈ではなく、感覚です。お母さんと過ごした幸せな時間をハリーは肌で覚えていたんだね、という感覚。

今、文章だけ見ると、スネイプ先生だったとしても決しておかしくない表現だな、と思います。
特に「この牝鹿を知っているような気がした」という部分は。
ただ、そう信じきれない気持ちは今もあります。
ハリーが半純血の王子に抱いた感情は、スネイプ先生への正しい評価だと私は考えているのですが、それは銀の牝鹿に対して抱いた感情とも少し違う気がします。前者は尊敬・信頼、後者は安心・温もりという感じ。
スネイプ先生の気配を感じたとしたら、安心感より信頼感で後をついていったように思ってしまい、この場面をリリーの気配抜きでは考えることができません。
でも、パトローナスは出した本人の魂の化身のように考えている私にしてみれば、そこは、こはちゃんさんのおっしゃる通り、この時感じたことは全てスネイプ先生に対するものだと考えないと矛盾してしまうんですよね。ジレンマに陥っています。


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