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2017-08

臆病者 - 2007.07.17 Tue

自分こそが『半純血のプリンス』だと名乗り、自分の発明した呪文を使うことは許さないと言うスネイプ先生に、ハリーは言いました。

「それなら殺せ!」
(中略)
「先生を殺したように、僕も殺せ、この臆病―」
「我輩を―」
スネイプが叫んだ。その顔が突然、異常で非人間的な形相になった。あたかも、背後で燃え盛る小屋に閉じ込められて、キャンキャン吠えている犬と同じ苦しみを味わっているような顔だった。
「―臆病者と呼ぶな!」(6巻28章p.434)

スネイプ先生のセリフ、原文では以下のようになっています。

‘DON'T-’screamed Snape, and his face was suddenly demented, inhuman, as though he was in as much pain as the yelping, howling dog stuck in the burning house behind them,‘-CALL ME COWARD!’(UK版p.564)

このinhumanという言葉、どう解釈したものだろう?と最初に原書を読んだ時思いました。「冷酷な」という意味もありますが、やはり邦訳にあるように」「非人間的な」が適当なのでしょうか。殺人を犯したことで、魂が引き裂かれた状態を表しているのだろうかとも思いました。ヴォルデモートが、魂を引き裂くたびに人間的な顔立ちを失っていったことも脳裏をかすめました。あるいは、アバダ・ケダブラ以降に先生の発した言葉のどれかが、ホークラックスとなる物に魂を閉じ込める呪文である可能性も考えましたが(この‘DON'T-’とか)、引き裂かれた魂は引き裂かれたまま、失ってしまったように思います。根拠があるわけではなく、そこまで生に固執していないと私が思っているだけです。
実際、炎の中に閉じ込められた犬と同じ苦しみを味わっているかのような顔であったようですし、苦しみのさなかにあるのだと思います。dementedは、私は「発狂した」と読みました。これ以上の苦しみの表現があるだろうか、と思いながら読みました。引き裂かれた魂が悲鳴をあげているのだと思いました。

ダンブルドアは、スネイプ先生のことを「信じておる」とずっといい続けてきました。
ハリーが何を言っても、根拠も示さずただひたすら信じていることだけを伝えたダンブルドアが、私は正直不満でした。理由を一言言って欲しかったのですが、今思うと、理由もなくただ信じていた、信じている姿を見せていた、という気もします。
リドルのことは、信じているようでも心の底では警戒していましたし、リドルもそれを知っていました。
愛されることなく育ったリドルを、自分もまた愛を持って接することができなかった悔いが、ダンブルドアのどこかにあったのではないかと思います。そこで似たような境遇のスネイプ先生については、一度闇の世界に足を踏み入れた後戻ってきた時に、悔悟の念を縷々語って聞かせたその言葉を丸ごと信じる姿勢を示そうとしたのかもしれません。疑おうと思えばいくらでも疑えるけれど、ここは信じて信じて信じきることで、愛を示したかったのではないか、そうすることでスネイプ先生を結果的には自分の側に呼び戻せるのではないかと考えたのではないか、という気がしています。だから、「信じる」理由を言えなかったのだと思います。

私は、スネイプ先生がホグワーツに戻ってきた当初は、ヴォルデモート側の人間だったと思っています。そして、ヴォルデモートが力を失い、十数年をホグワーツで過ごすうち、居場所が得られ、他人(ダンブルドア、生徒)を大事に思う気持ちも芽生えるなど徐々に気持ちも変わり、ヴォルデモート復活後は揺れる心に苦しんでいたのではないかと想像しています。

「我輩を」「臆病者と呼ぶな!」と苦しみの表情で叫んだスネイプ先生に、私は迷いを感じて仕方ありません。どちらかの側として、信念を持って行動しているなら、「臆病者」などという嘲りの言葉も聞き流すはずです。図星だからこそ、これほどまでに反応したのではないかと思うのです。
1巻で全ての先生から誤解されても自分を貫いて憎まれ役にまわったスネイプ先生は、他人にどう思われるかを気にする人ではないと思っています。自分で自分を「臆病者」だと思うからこそ、激昂したのだと思います。
ヴォルデモートへの畏れも失わないまま、ダンブルドアへの尊敬や、もしかしたら愛も感じていたかもしれないと考えています。ダンブルドアを殺すことは本人から命じられたことだとしても、やりたくなかった。やりたくないことを、「やりたくない」と言いながら、結局「やらない」と突っぱねることのできなかった自分に、スネイプ先生はヴォルデモートの影を感じていたのではないかと思っています。

6巻終了時点で、スネイプ先生はまだ迷いの中にあると私は考えています。そして、まだダンブルドアの任務も遂行中だと思います。同時に死喰い人としての役割もきっちりこなして。内心、臆病な自分を呪いながら、自分を許せないまま、スネイプ先生は7巻でも冷静に振舞うではないかと思います。そして、最も肝心な時に、ダンブルドアが信じてくれた効果を発揮するのではないかと、期待しています。
その時スネイプ先生が、自分を否定しない気持ちにあるともっと良いのですが。最終巻で、スネイプ先生の引き裂かれた魂が安らぎを見つけられるよう、願ってやみません。

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スネイプ先生への愛を語らずにはいられません。         

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