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スネイプ先生の欲求段階 - 2006.11.23 Thu

クリスマスを隠れ穴で過ごすハリーが、ウィーズリーおじさんにスネイプ先生とドラコとの会話の内容を伝えた時、そばにいたルーピンは一言も漏らさずその内容を聞いている様子でした。スネイプ先生が、本当にドラコに援助を申し出たのか、その振りをしていたのか、判断できないと言うハリーに、「私たちは判断する必要がないんだ」「それはダンブルドアの役目だ。ダンブルドアがセブルスを信用している。それだけで我々にとっては十分なのだ」(6巻16章p.17)とルーピンが口を挟みました。
後の29章p.450で、マクゴナガル先生やトンクスも、『騎士団員は全員、スネイプ先生を怪しんでいて、でもダンブルドアが信じていたから味方だと思っていた』というようなことを言っています。
2章では、ベラトリックスだけでなく、何人かの死喰い人から信用されていないこともわかりました。

スネイプ先生は、本当にあちこちで信用がなかったことが窺われます。騎士団員は自分たちの判断で先生を信じたのではなく、あくまで、ダンブルドアの判断を信じていただけ、という事実がとても辛いです。きっと、先生は、そんなこと百も承知だったのでしょうけど。
二重スパイの役割を与えられた以上、死喰い人も騎士団も欺かなくてならない立場にあるのでしょうが、それなら、そのトップにいるヴォルデモートやダンブルドアのどちらかは本当にスネイプ先生を信じていたのでしょうか。
何度か書いたように、ヴォルデモートは信じていないと思っています。利用しているだけで。ダンブルドアはいつも変わらず信じていると言いますが、その本心については、少し疑問があります。
6巻25章p.351で、ハリーに、優れた閉心術者であるスネイプ先生をこっちの味方だとなぜ確信しているのかと問われた時、ダンブルドアは何事かに関して意思を固めようとしているかのように、一瞬沈黙してから、「確信している」と答えています。ダンブルドアは、常に「信じようとしていた」のではないかと私は思っています。ヴォルデモートに対する気持ちと同様、完全に信じてはいないけれど、機会を与えようとして。このことについては、今後もじっくり考えていくつもりですが。

もし、本当は、スネイプ先生は誰からも信じられていないとしたら。
それを本人は知っていたとしたら。

私は、スネイプ先生の欲求段階について、以前から一番上の段階にあるのではないかと思っていました。(欲求段階については、ウィキペディアの自己実現理論を参照。本日の日記でも触れました)
つまり、『自分の能力・可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求』を満たそうとする段階にいるのだろうと考えていたのです。誰かに愛された経験のあるスネイプ先生ですし、ホグワーツ校教授としての地位はあるし、ヴォルデモートにも重要な仕事を任されているので、認められたい欲求は既に満たされて、高次の欲求段階にあると思っていました。
が、ここで、ヴォルデモートや死喰い人の誰からも、ダンブルドアと騎士団員の誰からも、信じられていないことを自覚している可能性を考えた時、スネイプ先生はもっと低い欲求段階にあるのではないかという気もしてきます。
親和(所属愛)の欲求 『他人と関わりたい、他者と同じようにしたいなどの集団帰属の欲求』とか、自我(自尊)の欲求 『自分が集団から価値ある存在と認められ、尊敬されることを求める認知欲求』の段階にいるのかもしれません。
スネイプ先生が、 誰かに認められたいという気持ちで動いているのかもしれないと思うと、切なさのあまり泣きたくなってきます。ヴォルデモートの強い信頼を勝ち得たい、或いは、ダンブルドアの本心からの信用を得たいと思って危険な任務についているのだとしたら、それは報われないかもしれないからです。
ヴォルデモートは決して他人を信用しないでしょうし、ダンブルドアの信用を得るための任務の途中にあるのなら、唯一認めてくれるはずのダンブルドアはもう死んでしまったのですから。
そして、ダンブルドアを殺して逃亡してしまった後は、魔法界のほとんどを敵に回してしまったに違いありません。騎士団をはじめダンブルドアの側にいた人々も魔法省も。そしてヴォルデモートがスネイプ先生を危険な人物と認識するようなことがあれば、闇の側の全ても。
そうなると、安全の欲求さえも満たされない状態なのではないかと、とても心配です。
今後どのような結末を迎えるにしても、スネイプ先生が満ち足りた気持ちでいられるような状態であって欲しいと切望しています。

● COMMENT ●

ダンブルドアの信頼

こんばんわ。
「スネイプ先生の欲求段階」ですかぁ。なるほど。こういう視点で見るのも面白いですね。
 私はスネイプ先生を多少色眼鏡で見すぎていて、一番上位の段階にいる方と思い込んでいたような気がします。
この前「アズカバンの囚人」を久々に読んでいて、最後の方でスネイプ先生がシリウスの有罪についてムキになってダンブルドアに力説(?)していた部分を読んでいましたら、まだ青臭いな、というより乗り越えられない心の壁がある、冷静にふるまっていてもまだ未熟な部分もあるんだな、そんなイメージも受けました。(でも自分を殺そうとした人間を誰だってそう簡単に許せないし忘れたり受け入れたり出来ませんけれどね)

スネイプ先生についてダンブルドアが信頼しているのか、信頼しようとしているのか私にも真意は解かりません。
でもこの信じ方は生半可なものではなく命を懸けるだけの価値のあるものであることは間違いないでしょう。
そしてスネイプ先生を「信じていないだろう」ヴォルデモートに対して「信じる」ダンブルドアというのはポイントだろうと私も思います。
「信じる側に強い引力がある」「信じるものが勝つ」「信じることが人を善に向わせる」これを「愛」と言うのでしょうが、たぶんそんな神秘の力をダンブルドアは信じているのかもしれません。
そして「信じる」という力・又は魔法はその本人が相手が死んでも続くものであろうと思います。
努力家で勤勉・能力の高いスネイプ先生をヴォルデモート側に着かせたくない、先生の隠れた人間性も含め認めているからこそ敵側に渡さないぞという思いもあるのかなぁ。
(潜在能力はハリーやジェームス・リリーの方が上かもしれないけれど・・・)
又、何よりもハリーの父親ジェームスがスネイプ先生の命を救っていますからこの関係・ここで繋がれた魔法も絶対だという確信があるでしょう。

この物語で「ジェームスがスネイプ先生を助けていて良かった」という部分が描かれるかどうか解かりませんが「殺しておけば良かった」と思う結末にしてしまったらハリーポッターのお話は矛盾してしまいますよね。

読んでいて切なくなってきました

私は、スネイプが自我・自尊の欲求の段階だとぼんやり(欲求段階というのではない他の言葉で)思っていました。

私の中のスネイプは精神の核が幼くて、それを大人の部分がカバーしているような感じで、基本が未熟なイメージでしたから、スネイプの精神年齢を少し低く見てしまっているのかもしれません。

ヴォルデモートは案外甘言を上手に使うので、スネイプの「闇の魔術」の能力をヴォルデモートが絶賛したりしたら、若い頃のスネイプは相当嬉しかったと思いますが(ホグワーツで「闇の魔術」が認められるとは思えませんから)、一度ダンブルドア側に来た以上、スネイプはもうヴォルデモートに信頼されることができるとは思っていないのでは…という気もします。
ダンブルドアはヴォルデモートが人を信頼すると言うことはないだろうときっぱり言っていましたから、その考えはスネイプもわかっているのではないかと思います。

何にしても、スネイプには幸せになって欲しいです。今以上の不幸を背負うのかと思うと、胸が苦しくなってきます。

信じることが・・・

ゆうゆうさん、コメントありがとうございます。
欲求段階については、全然詳しくない上に、先生がどの位置にいるかについても、色々考えられるので、もしかしたら、今まで私が考えていたように、ゆうゆうさんもおっしゃるように、一番上の段階かもしれません。そういう風にも読めると思いつつ、もし、もっと下位の欲求が満たされていなかったら切ないなあと思って書きました。
読めば読むほど、スネイプ先生という人物のことがわからなくなります。私も次第に美化していっているような気がするので、本当にこの辺で1巻から読み返さねばと思っています。
>信じることが人を善に向わせる
そう、それなんですよ。私もダンブルドアはそう決意してスネイプ先生を信じていたのではないかという気がするんです。だから根拠を言わないのではないかと思っています。
>「殺しておけば良かった」と思う結末にしてしまったらハリーポッターのお話は矛盾してしまいます
ああ、確かにそんな結末は矛盾しますね!ジェームズがスネイプ先生を救ったことが仇になるなんて。
1巻でハリーを救っただけでなく、やはり今後もスネイプ先生はハリーを救うのだと信じたいです。

精神年齢

鬼百合さん、コメントありがとうございます。
>基本が未熟なイメージ
>精神年齢を少し低く見てしまって
スネイプ先生って、1~3巻くらいまでは、精神年齢が低いと思っていました。その後、何やら重要な任務に就いているらしい、閉心術も得意らしいとわかった頃から、今までの言動が演技なのか本心なのかわからなくなってしまいました。大人げなくて未熟なイメージと、冷静沈着で大人なイメージがいまだに私の中では統合されていません。

>今以上の不幸を背負うのかと思うと、胸が苦しく
まったく同感です。先生が自分を幸せだと思っていることが読者にも十分わかるような結末にして欲しいです。

信じられていくわけ

こんにちは
私も「スネイプ氏がダンブルドア校長に信じられている(trust)決定的で確実な理由(不破の誓い等)は何もなかったのではないか」と思っていました。

特に、ダンブルドアがドラコの陰謀を知っていたにもかかわらず、ずっと、ドラコをかばっていたと言う23章の会話を読んでそう思っていたのです。

・ダンブルドア校長からの信頼が無ければ、誰からもスネイプ氏は信じられない。
・そのことが、スネイプ氏を再び闇の陣営に押しやることになるかもしれない。
・そう考えて、ダンブルドア校長はスネイプ氏を信じると言い続けたのかもしれない、

本当に改心しているのに、信じてもらえない。ダンブルドア校長が信じているから、信じられている。そうだとすれば、とても、悲しいですね。
もちろん、私も、ダンブルドア校長と共にスネイプ氏を信じているし、7巻で、その信頼に応えてくれると思っています。

しかし、ある時から、決定的な理由があったという、妄想が湧いてきて頭から離れません。
考えがまとまれば、6巻ネタばれ掲示板スネイプ先生を語ろうに書き込みます。

確実な理由

あっちゃんさん、コメントありがとうございます。

ダンブルドアは、嘘を言わないと、確か作者が言っていように思います。確かに今まで嘘はついていなかったかもしれませんが、重要なことを十分語ってもいませんでした。
また、6巻ではドラコを庇うために、ハリーの訴えにも聞く耳をもたず、「大したことではない」と言ったのは、考えようによっては嘘になります。
スネイプ先生を信じるという言葉には、確実な理由はないような気がして仕方ありません。一方で、想像もつかないような深い理由があるのかもしれないとも思っていますが。

頭から離れないという妄想、まとまったら是非お聞かせください。

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コメント下さった方へ

コメントありがとうございます。
本当に、7巻まで読んでからこの記事を読むと色々考えさせられます。少なくとも、これを書いた当時とは全然違う印象です。
学生時代や死喰い人時代、リリーが死んだ頃、教師生活の後半、最後の一年、それぞれについて色々想いを巡らせることができますね。


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自己実現理論自己実現理論(じこじつげんりろん)とは、アメリカ合衆国の心理学者・アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。又、これは、「マズローの欲求段階説|欲求

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