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2012-05

7年の区切りに - 2012.05.30 Wed

私の中のスネイプ先生像をはっきりさせたくて、その心の奥を覗いてみようと始めたこのブログも、先日7周年を迎えました。
7年間開心術を使い続けても、熟達した閉心術士であるスネイプ先生の心の中を知るのは容易ではなく、未だ謎を残したままです。
しかし、7巻で真相を知り、各場面での自分の考えをまとめるうち、私の中のスネイプ先生像は次第にはっきりしていきました。

読み返すたびに新しい発見のある物語ですから、今後また私の中のスネイプ先生像が変化していくとは思いますが、ひとまず7年の節目に今の私のスネイプ先生像を一つ前の記事にまとめてみました。
書いていくうちに、あれもこれもと付け足したくなって長くなってしまいましたが、それでも十分ではない気がしています。
作者の言わんとするところとは少し違うかもしれませんが、この未熟で甘えん坊で寂しがり屋で真面目で誠実な人こそ、私という一人の読者の頭の中に出来上がり、愛してやまないセブルス・スネイプという人物です。

目的を持って継続してきたブログですから、目的を達成したことによって存在意義が薄れてしまいました。
私のスネイプ先生への愛が薄れてしまったわけではないので、語るのをやめるという結論には至りませんでしたが、開心術を使うのは終了しようと思います。

「スネイプ先生に開心術!!」を読んでくださった皆さま、今まで本当にありがとうございました。閲覧して下さる方がいらっしゃること、時々拍手をいただけることは、大きな励みで、7年続けられた大きな要因だと思っています。
今までご意見下さった方々にもとても感謝しています。
おかげで色々な方向から考えることができました。
私の拙い文章が、読んで下さった方やご意見下さった方にとっても、それぞれのスネイプ先生像をはっきりさせるために少しでも役立っていたら幸いです。
7年間ありがとうございました。

私のスネイプ先生 - 2012.05.30 Wed

ブログ開設から7年の間に、私の中に出来上がったスネイプ先生の人物像を、その内面に絞ってまとめてみます。

・人付き合いは上手ではないけれど、人間嫌いではない人。
・ハリーやネビルへの接し方、スリザリン贔屓など、未熟な面もあった。
・律義でまじめな人。
・差別意識もあったが、それは刷り込まれたものであって、深い所で人間そのものへの敬意は持っている誠実な人。
・青年時代までは独り善がりな人、愛する人の命が狙われるようになって以降は利他的になる。
・一人の女性を生涯愛し続けたけれど、それだけの人生ではなかった。


騎士団員や教師たちの前で憎まれ役を演じ、親しい交流をしなかったのは、二重スパイという自分の役割に徹するためであって、元来仲間と親しくするのを好まなかった、というわけではないと思っています。
子ども時代や学生時代は、リリーへの態度やスリザリンの仲間を(時にはリリー以上に)大切にしている様子から「人と関わりたい」「人に認められたい」という気持ちが見て取れます。
それは大人になっても変わっておらず、そう見せなかっただけでどちらかと言えば人と関わりたいタイプだったのではないかと考えています。
実際、真実を知るダンブルドアにはひどく甘えた言動が見られました。
また、「あなたのために、私は密偵になり、嘘をつき~」(7巻33章p.451)という言葉から、リリーの息子を守るという明確な目的のために、嘘をつきたくない自分の気持ちを抑えていたのだとわかります。
味方側にも真実を明かさず、裏切り者呼ばわりされてもその役に徹した意思の強さに感服するばかり。なんて自制心の強い人なのでしょう。
しかし、だからこそ、抱える寂しさは大きなものだったでしょう。

ハリーへの接し方、特に入学したばかりでまだ反抗してもいないハリーに対する接し方は、大人の対応ではないと認めざるを得ません。
ハリーを守るという目的のために憎まれ役を買って出ることはするのに、肝心のハリーに対しては必要以上に冷淡。
これは、目的があくまでハリーの「命を守ること」であって「心身を育てること」ではなかったのだと思います。
厳父の役割を果たしたと見る向きもありますが、私は単に自分の感情を抑制できなかっただけと考えています。
ハリーを守るために自分の気持ちを徹底的に抑制した一方で、ジェームズへの憎しみを抑えることはできない未熟さもあったのだと思います。
また、ドラコやハリーと同一線上に自分を置いて「私の魂は?」と聞いたり「あの子を信用している……私を信用なさらない」などと生徒と比較して尋ねる部分など、大人になりきれていないと感じます。
一方では強い自制心を見せ、一方では全く自制しないで解放する感情もあり、アンバランスな印象も受けますが、心の平衡を保つためには仕方なかったのだろうと思っています。

未熟ではあっても、、ダンブルドア殺害など不本意ながらも約束したことはきっちりと守る律義さからは、まじめで誠実な人間性が伺えます。そのまじめさが随分自分の首を絞めたことでしょう。
さらに、人間に対する敬意のようなものは深いところにある人だと確信しています。
何度も語った担架の例を再度繰り返しますが、意識のない敵(または嫌いな人)に対する態度の違いを比較するとよくわかります。
スネイプ先生はシリウスを担架で運んだのに対し、シリウスはスネイプ先生を宙吊りで天井にぶつけながら移動させ、ダンブルドアは偽ムーディを足で蹴り上げました(4巻)。
意識のある時には憎しみを向ける対象であっても、相手に意識がなくて無防備な時にはその体をぞんざいに扱うことはしない誠実な人です。

視野が狭く、好意を寄せるリリーの言葉さえ心に届かない独り善がりな青年でしたが、リリーの命が狙われてからは一転、自己犠牲の精神に目覚め利他的な性質が強まったように思います。
リリーが死んだ時ではなく、丘の上でダンブルドアにリリーを含めポッター一家の安全を確保して欲しいと願い出た時が、スネイプ先生が大きく成長した瞬間だと考えています。
自分を含めて誰も愛していない可能性を考えていたスネイプ先生が、実は一人の女性に対して変わらぬ愛を貫いたと知った時には強く心を動かされました。でも、後半はリリーへの愛だけに生きたわけではないと私は思っています。

リリーを愛するがためにハリーを守っていたスネイプ先生ですが、最終的にハリーが死ななくてはならないと知らされ、抗議しつつもハリーにその事実を伝える役目を請け負い、死に導きました。
もしスネイプ先生が、ヴォルデモートやダンブルドアにリリーの命乞いをした当時そのままに、リリーを愛する自分の気持ちを最優先したのなら、ハリーを死なせる方向に手助けなどしなかったでしょう。リリーが命を懸けて守ったハリーを死なせることなど、スネイプ先生は決してしないと私は見ています。
それでもスネイプ先生が、ハリーに、死ぬべき時に死ぬ運命であるという役目だと伝えたのは、自分の気持ちよりも優先することがあったからだと考えています。
それは何か。
ホグワーツの人々、教職員も生徒も全てを含めたホグワーツの住人です。なぜなら、それがスネイプ先生の家族だったからです。
ハリーもこう言っています。
 ヴォルデモートそしてスネイプと、身寄りのない少年たちにとっては、ここが家だった……。(7巻34章p.466)
ダンブルドアほど広く大きな対象ではないけれど、それでも大事なリリーの忘れ形見を犠牲にしてでも守りたいものが出来ていた、ということだと思っています。

元々教師になりたくてなったわけではなく、ヴォルデモートの命令という形でホグワーツに入り、ヴォルデモートが消えた後もハリーを守るために教師を続けたたスネイプ先生でしたが、十数年の教師生活の中で少しずつ気持ちも変わっていったのではないかと思います。
いつも黒尽くめの服装なのに、2巻のクィディッチの試合でスリザリンのシンボルカラーの緑のローブを着ていたことがありました。この時、リリーへの想いという呪縛から解放されて、純粋に自分の監督する寮生たちと一緒になって寮のチームを応援していたように見えます。
また、リリーのことだけを想い、ハリーを守ることだけに心血を注ぐのであれば、研究室の瓶詰めの標本を増やす必要もなかったでしょう。教科書に従い、魔法史のビンズ先生のように淡々と眠い授業をしていれば良いのですから。
閉心術の個人授業中、女性の叫び声を耳にしたスネイプ先生は授業を中断させました。本当にハリーだけのことしか考えていなければ、出ていかないはず。トイレのパイプに詰まったモンタギューを助けに行った時も同様です。自分の寮の生徒を居残りさせたのだって生徒の将来に本当に必要だと思えばこそ。挙げればキリがありません。
スネイプ先生は、教師として寮監として校長として、ホグワーツを愛し始めていたのだと思います。本人に自覚はなかった可能性はありますが。
家庭に居場所のなかったスネイプ先生は、ホグワーツに居場所を見つけ、何より大切にし、ついに、最優先させたのだと思います。

では、ハリーのことを、“私のスネイプ先生”はどう見ていたか。
残念ながらまだハリー自身を見ている自覚はなかった、というのが私の見解です。
ジェームズとして憎み、リリーとして護っただけで。
でも、ハリーをハリー個人として見ていなかったとしても、ホグワーツの一員として愛し始めていたと思っています。もし、スネイプ先生が生き延びて教師を続けていたら、きっとハリーを一人の人間として見ている自分に気付いただろうと私は思っています。
まだ本人が自覚していないので、私のスネイプ先生はハリーに情が移っていたと言っていいのかどうかわかりません。

スネイプ先生は報われないことも多かったけれど、不幸だったとは思っていません。
ディーンの森でパトローナスを出せたことこそ、その時スネイプ先生が幸福な気持ちになれたことの何よりの証です。
フレッドの死の直後、叫びの屋敷に向かうハリーがパトローナスを出せなかったのは、ハリーに幸福な思い出が無かったからではなく、その時絶望していたからだと思われます。
ディーンの森では輝くパトローナスを作り出すことができたスネイプ先生は、既に絶望の淵から這い上がっていたのです。
幸福な思い出がリリーとのものだったとしても、その時点でのスネイプ先生には幸福な気持ちでいられるだけの余裕があったということです。
以前書いたように、リリーを愛した自分を肯定し、リリーとの一番幸せだった想い出を糧に、前向きに生きていく意欲が湧くようになったからこそ、月のように眩しく輝くパトローナスが出せたのだと思います。
スネイプ先生はその時幸せだったと思って良いのではないかと、心からそう思えます。


ハリーの生と死の狭間の晴れ舞台はキングズクロス駅でした。
スネイプ先生の晴れ舞台はどこだろう?と考えた時、以前はリリーと過ごした川辺を想像しました。
しかし今の私は、スネイプ先生の晴れ舞台は、ホグワーツの大広間の先生方の座る席ではないかと想像しています。
その場所で、他の先生方と並んで生徒を見渡す時が、スネイプ先生の幸せな時だったのではないかと思います。
叫びの屋敷で倒れたスネイプ先生が、ホグワーツの大広間の形をした白い世界で目を覚まし、ダンブルドアとひとしきり話した後、二人連れだって、扉から出て行き、その先でリリーと再会する様子を思い浮かべています。

叫びの屋敷に残された亡骸は、前回書いたようにマクゴナガル先生に慈しみを以って清められた後、ホグワーツの敷地内に運ばれるのです。
ハリーが死んだと思い込んだハグリッドがしたように、限りなく優しい誰かの手でくるむように、できれば揺すってあやすように(cradle)抱えてもらって。魔法を使って運ばれるのではなく、誰かの温かい優しい手で運んで欲しい。
そして、ホグワーツの教職員や生徒達に心から哀悼の意を込めて弔って欲しいです。温かい涙の雨をスネイプ先生の上にも降らせて欲しい。
ダンブルドアがホグワーツに葬られたのは異例のことでしたが、スネイプ先生も二例目となってホグワーツに葬られて欲しいです。
なにしろ、“私のスネイプ先生”は、ホグワーツを愛し、そこで生活する人を家族のように思っていたのですから。

その後 - 2012.05.02 Wed

今日5/2はスネイプ先生の命日です。
夜明けの3時間ほど前に殺されたスネイプ先生の、その後のことを少し考えてみようと思います。
あくまで私の願望であり、私のスネイプ先生像を補足するものでもあり、後日スネイプ先生像を語るまでは、説明が十分できず未完の状態なので、コメント機能は封印しておきます。


ヴォルデモートのアバダケダブラを受けて倒れたハリーは、白い靄の中で気が付きました。
スネイプ先生も叫びの屋敷で息絶えた直後、このような場所を通ったのでしょうか?
ここは作者の言葉によれば、生と死の間のlimbo(リンボ,古聖所:天国と地獄の中間の場所;洗礼を受けなかった幼児やキリスト降誕以前に死んだ善人の霊魂がとどまるとされる/eプログレッシブ英和中辞典より)のような所らしいです。
生と死の間なら、スネイプ先生も通ったのではないでしょうか。天国と地獄の中間なら尚更。もっとも、私は以前書いたように、スネイプ先生も天国に行けたと考えているのですが。

そこに出てきたのは、リリー?ダンブルドア?
私としては、ハリー同様、ダンブルドアに現れてきて欲しいです。
そして、ハリーに言ったのと同じ言葉を言って欲しい
「なんと素晴らしい子じゃ、なんと勇敢な男じゃ」
「きみが苦しんだことを軽く見るつもりはない。過酷な苦しみだったに違いない」
「きみを信用しなかったこと、きみに教えなかったことを、許してくれるじゃろうか?」
キングズクロスの章で、ハリーがダンブルドアに言われた言葉は、そのままスネイプ先生にも当てはまると思い、読むたびに「どうかこの言葉、スネイプ先生にもかけて欲しい」と思わずにいられません。

生きている間、スネイプ先生の気持ちはしばしばもなおざりにされてきました。大きな計画の為には、それも仕方なかったと思いますが、せめて物理的に計画に関われなくなった死後には、何の縛りもない、心に寄り添う言葉をかけて欲しいものです。
ハリーがその白い世界で、いつの間にかダンブルドアを心から許したように、スネイプ先生も、わだかまりを残すことなく旅立って欲しいです。そして旅の終わりに、初めてリリーと再会して欲しいと私は思っています。


叫びの屋敷の床に横たわったスネイプ先生を残して、ハリーたち三人は部屋を出て行きました。スネイプ先生の体の方はどうなったでしょう?

結局、物語の中で、スネイプ先生の亡骸が叫びの屋敷に残されていることに、誰かが思い当たる場面はありませんでした。
しかし、ハリーは大広間でヴォルデモートと対峙した時、大勢の観衆の前で、スネイプ先生がダンブルドア側にいたことを明かし、ヴォルデモートも同じ場で「俺様は、三時間前に、セブルス・スネイプを殺した」(7巻36章p.533)と言っています。
これらを聞いて、マクゴナガル先生が心を動かされなかったとは私には思えません。

「おまえが母を脅かしたその瞬間から、ダンブルドアのスパイになった。そして、それ以来ずっと、おまえに背いて仕事をしてきたんだ!」(7巻36章p.532)
というハリーの言葉に、まずマクゴナガル先生は驚いたはずです。
「私たち全員が怪しんでいました」(6巻29章p.450)
「スネイプは、過去が過去ですから……当然みんなが疑いました……」(6巻29章p.451)
と、かつて発言したマクゴナガル先生。心の奥では信じていなかったスネイプ先生が、ずっとダンブルドアに忠実であり続け、憎まれ役を演じていたに過ぎないとこの時初めて知ってさぞかし驚いたことだろうと思います。
また、ホグワーツの戦いが始まる少し前、スネイプ先生を本気で攻撃し、追いつめ、窓から飛び出していった背後から「卑怯者!」の言葉を投げつけた行いを激しく悔いたに違いありません。
そして、スネイプ先生が敵ではなかったと知った直後に、ヴォルデモートの手にかかって殺されたと聞かされ、詫びる機会を永遠に失くしたことに心を乱されなかったとも思えません。

私は、マクゴナガル先生にこそ、スネイプ先生の亡骸に一番早く駆けつけて欲しいと考えています。ハリーやドラコでも、他の先生でもなく。

ハリーがヴォルデモートを倒した後のマクゴナガル先生の描写は、
マクゴナガルは寮の長テーブルを元通り置いたが、(7巻36章p.539)
これだけです。失った校長に代わって指揮をとらなければならないことが山ほどあったと思われますが、そこは描かれませんでした。
しかし、その記述の前に、
ヴォルデモートの遺体は、大広間から運び出され、フレッド、トンクス、ルーピン、コリン・クリービー、そしてヴォルデモートと戦って死んだ五十人以上に上る人々の亡骸とは離れた小部屋に置かれた(7巻36章p. 539)、とあります。
大広間でみんなが祝賀のテーブルに着く前に、亡くなった人々への配慮が見受けられます。
この時、描写はないけれど、スネイプ先生の亡骸に想いを馳せる時間はあったと私は思っています。
この“ヴォルデモートと戦って死んだ五十人以上に上る人々の亡骸”と書かれた時点でその中にスネイプ先生が含まれているかどうかはわかりませんが、忘れてはいないと信じています。

マクゴナガル先生単身でも他の先生たち誰かを伴ってでも良いから、とにかく叫びの屋敷に駆けつけ、床に横たわるスネイプ先生を見て、ハリーが死んだと思った時に出したような悲痛な叫び声を上げ、それから亡骸を掻き抱いて欲しい。
とにかく、誰かに抱きしめて欲しいのです。ダンブルドアが居ない今、一番ふさわしいと私が感じる人がマクゴナガル先生なのです。
それから、魔法を使わず、血を拭って欲しい。
もしフレッドの体がスネイプ先生と同じ状態にあったら、きっとウィーズリー家の人々は魔法を使わず清めたと思います。それはそれは丁寧に清めただろうと想像しています。
スネイプ先生も誰かにそうしてもらって欲しいです。
慈しみを以ってそれが出来るのは、マクゴナガル先生かスラグホーン先生ではないかと思います。
その作業の中で、スネイプ先生の体の軽さに息をのみ、その若さに胸を打たれ、どれほどの重荷を負っていたか思い巡らせてくれたら、と思っています。

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