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2010-06

性急な『組分け』 - 2010.06.19 Sat

クリスマス・ダンスパーティの後の玄関ホールに立つスネイプ先生とダンブルドア。
カルカロフの闇の印も濃くなってきたこと、カルカロフは慌てていること、など二人は語り合っています。

刻印が熱くなったら、カルカロフと一緒に逃亡したいかと聞かれ、「いいえ」「私はそんな憶病者ではない」(7巻33章p.439)とスネイプ先生はきっぱり否定しました。
それに対し、ダンブルドアはこう言いました。
「きみはイゴール・カルカロフより、ずっと勇敢な男じゃ。のう、わしはときどき、『組分け』が性急すぎるのではないかと思うことがある……」(7巻33章p.439~440)
それを聞いて雷に撃たれたような表情をしたスネイプ先生を後に残し、ダンブルドアは立ち去りました。


組分け帽子の意味が私は未だにわかりません。
「勇気」とか「知性」などで篩い分けて、別々に暮らさせる意味が。
創設者の好み、すなわちスリザリンの「純血のみの生徒にて己に似たる狡猾さ」、レイブンクローの「もっとも鋭き頭脳」、グリフィンドールの「勇気」で振り分けることは無理があります。ハッフルパフの「善良ですべてのもの(人を選ばない)」で調整しているのでしょうか。

それに、「勇気」「知性」「善良」は良いけれど「狡猾」という項目は何でしょう。
スリザリンの資質には、「野望」と「俊敏」もあるけれど、全体的にマイナスイメージが強いことに誰も疑問を感じないのでしょうか。スリザリンは他の寮生から嫌われることが多いし、実際創設者のサラザール・スリザリンだって仲たがいしてホグワーツを去っているのです。その歴史を知っていながら、当時の判断基準を使い続ける理由がわかりません。
しかも、本人の希望に大きく左右されています。
セブルスは、入学前からスリザリン寮に強い憧れを持っていたから、スリザリンに組分けされただけであって、何も考えずに帽子をかぶれば、もしかしたら賢さからレイブンクローに組分けされたかもしれないし、ダンブルドアが今になって言うようにグリフィンドールになったかもしれません。ハッフルパフだって、1巻の帽子の歌にある「正しく忠実で、忍耐強く真実で、苦労を苦労とは思わない」(1巻7章p.176)は、スネイプ先生にぴったりだと思うのですけど。

どの寮の特質も、誰もが大なり小なり持っていて、同時に、他にもたくさんの性質を持っているはずです。
リリーもジェームズもシリウス、ルーピン、ピーターも一括りに「勇気」の中に入れられたけれど、四つの寮の特性とは違う別の分類方法だったら、同じグループに入らなかったと思うのです。
例えば、「媚びない」という項目で分類されれば、セブルス、リリー、ジェームズ、シリウスがここに入り、ルーピンとピーターは入らなかったかもしれません。(私の主観です)
「ひたむき」なら、セブルスもジェームズもシリウスも同じ寮だったかも。

一つの寮が「勇気あるものが住まう寮」などと謳われれば、他寮の生徒にはその資質が欠けるかのような印象を与えます。グリフィンドール生は何かとそれを誇りにしているようですし。
自分がグリフィンドールに組分けされなかったことで、いつしかセブルスも「自分には勇気がない=臆病である」という劣等感を持つようになった気がします。
でなければ『組分け』が性急過ぎると言われてショックを受けたり、「臆病者」という言葉に反応することもなかったはずです。
「私は、そんな憶病者ではない」と言うスネイプ先生が痛々しくさえ思えます。

スネイプ先生も「勇気」にこだわることなどなかったのに。
自分の美点を前面に打ち出せば良かったのに。
リリーを傷つけまいとして、ペチュニアへの暴言を抑えた優しさとか、4対1でしか攻撃してこなかったジェームズと違い、自分が誤解されてもルーピンの秘密をついに明かさなかった誠実さとか、人の身体を乱暴に扱わないとか(グリフィンドール寮出身のシリウスは意識のないスネイプ先生を吊り下げて天井に頭をこすったし、ダンブルドアも意識の無い罪人偽ムーディを足で蹴り上げました)、先生には美点がたくさんあるじゃないですか。私はそんなスネイプ先生の人間性に深く惚れこんでいるんです。

人は変わるものですから、組分けが性急すぎるというのは確かですが、そもそも分け方の基準が変だと私は思います。変な優越感や劣等感を持たせないように、アルファベット順などで機械的に分けた方がずっと良いと思います。

そう思って見るから - 2010.06.02 Wed

ダンブルドアの前で往ったり来たりするスネイプ先生、ハリーについてこう言っています。
「―凡庸、父親と同じく傲慢、規則破りの常習犯、有名であることを鼻にかけ、目立ちたがり屋で、生意気で―」(7巻33章p.438)‘ – mediocre, arrogant as his father, a determined rule-breaker, delighted to find himself famous, attention-seeking and impertinent – ’(UK版p.545)
ダンブルドアは本から目も上げずに応答し、「クィレルから目を離すでないぞ、よいな?」と言っています。

ハリーが一年生の時のスネイプ先生の姿だと思われますが、この記憶は一体どのくらいの時期のものなのでしょう?
スネイプ先生も他の先生方も、ある程度ハリーの性格を語ることができるのを見ると、入学した当日でないのは確かだと思います。
しかし、入学した日にハリーに向けたスネイプ先生の視線には、好意的なものは微塵もなく、最初からジェームズと重ねて見ていることがうかがわれましたから、少しのきっかけ、たった一度の出来事で上のような評価を下してしまうことも十分あると思います。
ダンブルドアが「そう思って見るから、そう見えるのじゃよ」(7巻33章p.438)と言っているように。
だとすると、結構早い時期なのではないでしょうか。
また、ダンブルドアがクィレルへの注意を促しているところを見ると、ハロウィンより前の気がします。


スネイプ先生が挙げたハリーの性格について、どこでそう判断したか、一つずつ検証していきたいと思います。
「凡庸(mediocre;並みだが期待はずれの;可もなく不可もない;二流の, 劣等な.)」
授業の様子から判断したかと思われますが、最初の授業で色々質問した時に、一つも答えることができなかった時点でその評価を下した、と考えることができると思います。ハーマイオニー以外はハリーと同様の反応しかできなかったでしょうけれど。
初めての授業は入学後最初の金曜日で、入学した日からほぼ一週間経っていました。

「父親と同じく傲慢(arrogant as his father)」
これも、最初の授業で口答えをした時点で、そう見ることもできたと思います。

「規則破りの常習犯(a determined rule-breaker,)」
常習犯というと何回か同じことを繰り返したかのように思えますが、determined を決然とした、断固とした、という意味と捉えると、一回規則を破っただけでもその評価が下される可能性はあると思います。
ハリーが最初に規則を破ったのは、飛行術の初授業の時と見て良いでしょうか。マダムフーチがネビルを医務室につれて行く間、動くなと言われているにも拘わらず、勝手に箒に乗った時。
また、その晩、ドラコに騙されたとはいえ、夜中に寮を抜け出したことも、もしかしたらスネイプ先生には知られていたかもしれません。一応、誰にも知られていないはずだけれど。この辺から規則破りのレッテルを貼ったのかもしれません。だとすると、初魔法薬学の授業の次の週の木曜、入学して間もなく2週経つという頃です。

「有名であることを鼻にかけ(delighted to find himself famous)」
これも、最初の授業の最初の質問に答えられなかった時に「有名なだけではどうにもならんらしい」と言っている時点で、勝手に(汗)そう判断したのかもしれません。
または、1年生の箒所持に関する特別措置が与えられた時に、そう思ったのかもしれません。

「目立ちたがり屋(attention-seeking)」
これ、どこで最初にそう思ったんでしょう?
最初の授業で、ネビルがミスをした時「彼が間違えば、自分の方がよく見えると考えたな?」と言った時でしょうか。
いや、入学時の組分けでその名が呼ばれた時、広間中がシーンとして注目した時からそう感じたのかもしれません。とすると、「有名であることを鼻にかけ」も組分け時にそう見えた可能性もありますね。

「生意気(impertinent)」
これは、最初の授業で口答えした時に十分そう判断したと考えられます。

だいたいが、初回の授業までにそう判断できたように見受けられます。
「規則破り」だけは、さすがにスネイプ先生も初回授業だけでは、決めつけられなかったでしょうけれど。

こうなると、記憶の時期は、少なくとも最初に規則を破ったと思われる初飛行訓練日あたりがあやしくなってきます。
ここで思い出すのが、その日のマクゴナガル先生の言葉。

「私からダンブルドア先生に話してみましょう。一年生の規則を曲げられるかどうか。是が非でも去年よりは強いチームにしなければ。あの最終試合でスリザリンにペシャンコにされて、私はそれから何週間もセブルス・スネイプの顔をまともに見られませんでしたよ…」(1巻9章p.224)

マクゴナガル先生は、去年スリザリンに負けてスネイプ先生の顔をまともに見ることができなかったその屈辱を晴らすため、規則を曲げてまでハリーに箒を買い与え、シーカーとして試合に参加させることにしたわけです。
その一週間後に箒が届いた時には、フリットウィック先生が特別措置について知っていました。
生徒たちには秘密でも、先生方には特別措置をとった説明をしなければ、ルール違反と咎められるに違いありません。ということは、スネイプ先生もその話を少なくとも他の先生方と同じ時期には聞いたはずです。ハリーをこっそり守る立場にあるスネイプ先生には、他の先生より早く伝えられたかもしれません。

この記憶、その付近のものでないかと私は思っています。
ハリーをジェームズに重ねがちだったスネイプ先生にとって、一年生がクィディッチの試合に出るのは100年ぶり、とあっては、ジェームズよりさらに目立ちたがりに見えても不思議ではありません。
また、マクゴナガル先生に「規則を曲げて欲しい」と頼まれ了承したダンブルドアに対して、納得できないとしても当然です。
そんな特別措置、贔屓でしかないし。皆、スネイプ先生をスリザリン贔屓と言うけれど、マクゴナガル先生だって、自分の感情にまかせて学校の規則を曲げてまでハリーに箒を持たせて。スネイプ先生の神経逆撫でするだけです。
ここは、そんな不満を言うつもりでやってきた場面ではないか、と想像しています。
「―凡庸、」とあるようにこの記憶が始まる前から会話が続いていたことを思わせる書き出しですし。

いずれにしても、まるで相手にしてもらえていないのが気の毒です。
「~生意気で―」の後もまだ何か言いたかったろうに、遮るようにたしなめられています。
言いたいだけ言わせて、最後まで傾聴してあげれば良いのものを。
そう思って見てしまうスネイプ先生の心の傷を知っているのなら、ダンブルドアもせめて顔を上げ、目を見て、言葉に耳を傾けて欲しかったです。
そうしたら、少しはスネイプ先生の気持ちも落ち着いて、ハリーへの態度だってもう少し大人らしいものになったかもしれないと思うのです。

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