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2010-03

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I wish I were dead. - 2010.03.27 Sat

記事内で『スネイプ先生』と『セブルス』が入り混じっています。
一応このブログの7巻のカテゴリーにおいては、ハリーの先生となって以降の姿を『スネイプ先生』と書くことにしよう、と自分で勝手に決めた上、それを適用していない過去の別ブログ記事を引用したためにこうなりました。


リリーの死に苦しむセブルスは、後悔か?と問われて、
「私も……私も死にたい……」(7巻33章p.437)
‘I wish … I wish I were dead ... ’(UK版p.544)
と答えています。

この場面、最初に原書で読んだ時、‘I wish I were dead.’のニュアンスが今一つわかりませんでした。
当時別のブログに私が書いた文章を一部引用してみます。

英語ではどうしてもわかりにくいニュアンスっていくつもあるのですが、
この‘I wish I were dead’もちょっとわかりにくかったです。

ちょうど7巻を読んでいる最中に英会話のレッスンで仮定法過去という文法が取り上げられ、なるほどと思ったのですが、いざスネイプ先生が使うとどんなつもりなんだろう?ということが今ひとつわかりませんでした。
レッスンでは、「~だったらなあ」という、叶わない願望を表すと習いました。
初め私は「死ねたらなあ」だと思ったのですが、よく見たら死ぬという動作ではなくて死んでいるという状態を示す言葉でした。
となると、「死んでいる(状態)ならなあ」ということになると思うのですが、それは果たしてどういうことなのか感覚的によくわかりません。Iが斜体なので、リリーではなく『自分が』死んでいれば、とちょっと過去を悔いる感じなのでしょうか。
英会話の先生にも聞いてみました。
「今生きていることを後悔する気持ち」だと言いました。
それを聞いただけでもうたまらなく切なくなって、それ以上聞きませんでした。

これから死にたいという気持ちも入っているのか。
あくまで今の状態を悔いているのか。
スネイプ先生の時間は実質このときで止まってしまったのか。
考えるほど切なくなるし、よくわからなくてもどかしいです。


これに対してコメントしてくださった方がいらして、とてもわかり易かったので、ご本人(匿名を希望されています)の許可をいただき、これも一部引用します。

>リリーではなく『自分が』死んでいれば

ええ、そうだと思います。英語で文の一部が斜体になるのは一般的に、日本語なら「私は死にたい」と「私が死にたい」の差のような助詞の区別で表現される意味の違いを表しているのですが、この文はその典型例ですね。おっしゃるように、今、リリーが死んだ状態にあるという現実の中で、主語に対比の意味を持たせた反実仮想の文なので、「死んだのが私ならよかった」「私が死にたかった」ということになります。明らかに未来や過去ではなく現在についての言葉で、それも言外に「リリーの代わりに」という含意が込められているのだと思います。

ただ、直後にダンブルドアが「And what use would that be to anyone?」と確かに言っていますよね…。ということは、文自体の意味するところはともかくとしても、目の前のスネイプの様子に、いっそ今からでも死んでしまいたいというような気持ちも見て取っているのだろうと思います。だからこそ、彼の台詞の意味のうち「死ねばよかった」という部分だけに反応して、「生きてリリーの遺志を継げ」と諭したのでしょう。


なるほど、文法的にはこれから死にたい、という意味は入っていなくても、ダンブルドアの返答から、この時のセブルスにはそういう気配があったということなのですね。
だから、日本語訳も「私も死にたい」だったのでしょうか。

ああ、リリーを助ける代わりに何をくれる?と聞かれ、「何なりと」と答えたセブルス。自分の命と引き換えても助けたかったリリーが死んでしまったのだから、自分が生きていることを悔やむのは当然です。
自分が死んでいれば、という言葉を発したセブルスには、これから死にそうな気配もあったといところが、本当に辛いです。そして、原文を読んだ時、意味をきちんと理解できていないながらも、やはり私もそんな気配を感じていました。

今にも死んでしまいそうなセブルスをなんとか踏みとどまらせたのは、リリーが命を懸けて守った子どもを、いずれ力を取り戻し危険な存在となるであろう闇の帝王から守る、という使命でした。

リリーの命乞いをヴォルデモートやダンブルドアにした時には、リリーの大事な存在にまで思い至らなかったのに、その存在がセブルスの生きる支えとなるとは皮肉なものです。
しかし、今度こそ本当に、ハリーをリリーの大事なもの、として認識した瞬間でもあったのだと思います。
失ったリリーに代わるものとしてハリーを愛そうとしたのではなく、リリーが大事にしたものだからリリーの望むことをしよう、というところが、以前のセブルスと全く違うところです。
まるで、一度死んで蘇ったかのよう……。

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責任の所在 - 2010.03.05 Fri

丘の上の次にハリーが立ったのは、ダンブルドアの校長室でした。
そこでハリーは、椅子にぐったり前屈みになって座り、嘆くセブルスの姿を目にします。

「あなたなら……きっと……あの女(ひと)を……守ると思った……」(7巻33章p.436)
と切れ切れに言うセブルス。浅い息遣いの中、やっとのことで絞り出した言葉のようです。
ちょうどハリーが、シリウスの死をスネイプ先生のせいにして、自分の罪悪感を和らげたように、この時のセブルスも、ダンブルドアの責任として苦しみを和らげようとしているように私には見えます。
しかしダンブルドアは、リリーとジェームズが間違った人間を信用したからだと言い、さらに、セブルスも同様だったとして、ヴォルデモートがリリーを見逃すと期待していたのではないか、と指摘します。
自分の責任を再認識させられ、セブルスはとても苦しそうでした。

リリーたちを守る代わりに何をくれるのかと訊ね、それに対して「何なりと」という答えまで得ておきながら、この返答は何でしょう?あまりに無責任ではないかと感じさせるダンブルドアの言葉でした。
もっとも、ダンブルドアが何の努力もしなかったとは思っていませんが。

3巻にこのような記述があります。
「ポッター夫妻は、自分たちが『例のあの人』につけ狙われていると知っていた。(中略)スパイの一人から情報を聞き出し、ダンブルドアはジェームズとリリーにすぐに危機を知らせた。二人に身を隠すよう勧めた(中略)ダンブルドアは『忠誠の術』が一番助かる可能性があると二人にそう言ったのだ。」(3巻10章p.265)

これはファッジの言葉です。
さらに、『忠誠の術』とそのために必要な『秘密の守り人』についての説明の後、マクゴナガル先生がこう言っています。
「ジェームズ・ポッターは、ブラックだったら二人の居場所を教えるぐらいなら死を選ぶだろう(中略)とダンブルドアにお伝えしたのです……それでもダンブルドアはまだ心配していらっしゃった。自分がポッター夫妻の『秘密の守り人』になろうと申し出た(後略)」(3巻10章p.266)

また、マクゴナガル先生は「ダンブルドアには、誰かポッター夫妻に近い者が二人の動きを『例のあの人』に通報しているという確信がおありでした」(同)とも話しています。


ダンブルドアは、自分が『秘密の守り人』になろうとしていたのですね。
でも、誰かポッター夫妻に近い者がヴォルデモートに通じていると気づいていながら、二十歳そこそこの若夫婦の判断に任せてしまうところが無責任だと思います。
結局ブラック自身は信じるに足る人物でしたが、問題は、ブラックの忠誠心ではなくピーターを『秘密の守り人』にすれば目眩ましになると考えた浅はかさにあったわけです。
そこまで見抜けなかったにしても、やはり憂いの残る状態でジェームズの判断に任せたところが残念です。

そう、これはジェームズの判断だと思うのです。
リリーにとっても親しい友人となってはいたでしょうけれど、ジェームズの比ではなかったと思います。11歳で意気投合して以来、ジェームズとシリウスはリリーの知らない秘密をいくつも共有する無二の親友となっていました。
「ジェームズがブラックを使うと主張した」と3巻の同じページにはっきり記されています。
ダンブルドアの強い説得も、ジェームズの主張の前では通らなかったのかもしれません。リリーは、夫や友人を信じていたとは思いますが、ダンブルドアでも構わなかったと思います。

セブルスの過ちが引き金となり、ダンブルドアの詰めの甘さとジェームズとブラックの短慮が不幸にも重なって、起こった悲劇だったのだと思います。

「リリーとジェームズが『間違った人間』を信用した」とダンブルドアに言われ、それがブラックだと知ってからは、セブルスの恨みもジェームズとブラックに集中したのではないかと思われます。(ブラックの無実が明かされるまでは)
それをうかがわせる言葉がこれです。
「こいつ(ブラック)に殺されれば、自業自得だったろうに!おまえの父親と同じような死に方をしたろうに。ブラックのことで親も子も自分が判断を誤ったとは認めない高慢さよ」(3巻19章p.468)
また、この時のスネイプ先生についてハリーは、理性を失っている、とか狂気じみて、などと見ています。

自分を責める気持ちだけでなく、ジェームズの判断ミスを責める気持ちもずっとあったのだと思います。
リリーの死から12年以上経ってもこれほど取り乱すのですから。

ジェームズとブラックを恨むことは、多少責任転嫁だったかもしれません。でも、そうすることで、セブルスはギリギリ心の平衡を保っていられたのではないかと思っています。

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