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2009-12

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クリスマス・キャロル - 2009.12.24 Thu

7巻でハリーとハーマイオニーがゴドリックの谷に行ったのは、クリスマス・イブの日のことです。二人が村に到着して間もなく、村の中心の広場の向こうにある教会から、クリスマス・キャロルが聞こえてきました。

クリスマス・キャロルとクリスマス・ソングの違いは曖昧になってきているようですが、概ね、キャロルの方は、イエス・キリストの誕生と関係した内容の歌であると考えて良いようです。また、クリスマス・イブにとりわけよく歌われるようです。(ウィキペディアより)だから、ハーマイオニーは、この日がクリスマス・イブだとわかったのですね。

この時は、マグルの教会から聞こえてきたのですから、一般にイギリスで歌われるクリスマス・キャロルだったと思います。
ハーマイオニーもハリーもマグルの出ですから、覚えのある曲だったことでしょう。
ホグワーツのクリスマスでも、鎧兜がキャロルを歌っていましたが、それがマグルの世界で歌われるものと同じなのかどうかは、わかりません。

セブルスもマグルの世界で暮らしていました。
キャロルを歌うことはあったでしょうか。
今日、日記の方にも書きましたが、私がスネイプ先生を思い出すクリスマス・キャロルは「We wish you a Merry Christmas」です。
なぜかこの曲を耳にするたび、スネイプ先生の幸せを願わずにはいられ無い気持ちになります。
最近調べてみるまで知らなかったのですが、この曲はイギリスの伝統的なクリスマス・キャロルということなので、きっとスネイプ先生も耳にしたことがあったのではないかと思います。
歌詞はウィキペディアにも載っていますが、こちらのサイトXmas Count downさんに和訳もあるのでご覧になって下さい。(左のメニュー、下方【Christmas Songs】内の「We wish you a Merry Christmasクリスマスおめでとう」欄をクリック)
いちじくのプディングを欲しがる様子が幼いセブルスを彷彿させて、なんともいじらしい感じで、ますます好きになりました。

クリスマス・イブに無邪気にキャロルを歌い、翌朝のプレゼントを楽しみにベッドに入り、クリスマスにはプレゼントに顔を輝かせ、お腹一杯プディングを食べた記憶が、スネイプ先生にありますように。
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ハリーの目 - 2009.12.16 Wed

33章を読んでいると、ハリーの目に驚かされます。
ハリーの目といっても、リリー譲りの緑の瞳の話ではありません。
スネイプ先生の記憶を見ているハリーの視点、という意味です。
33章でスネイプ先生の記憶に入ってからのハリーの視点は、明らかに今までと違うものがあると私は感じています。

今までは、全てマイナス方向に捉えるフィルターがかかっていました。
スネイプ先生のどんな笑いも嘲笑に受け取り、感情の高ぶりは怒りや憎しみとしか見ていなかったと思います。
しかし、33章でハリーの目を通して描かれるセブルスの姿からは、小さな喜びやときめき、憧れ、恥じらい、失望、絶望、苦悩等、今まで想像の中でしか見られなかったような多彩な感情がはっきり伝わってきます。
閉心術を使っていない時代だったり、真実を知るダンブルドアの前での出来事だったりすることも一因だとは思いますが、他でもないハリーの視点の変化の表れだと思います。
実に公正な目でもってスネイプ先生の過去を見ていると感じます。

以前のハリーなら、ホグワーツ特急の中で初めてセブルスと出会ったジェームズを、
「どことなく、かわいがられ、むしろちやほやされてきたという雰囲気」(7巻33章p.425)
indefinable air of having been well cared for, even adored,(UK版p.538)
などとは見なかったのではないかと思います。
ちやほや、という言葉からは、ダドリーが連想されます。もしかしたら、ハリーは自分の父親に、ダドリー的な何かを感じ取ったのかもしれません。
そこには、尊敬する自分の父親と対立する大嫌いなスネイプ、というフィルターは見られません。
おかげで、客観的な事実として33章を見ることができる安心感があります。

組分けの儀式の場面では、リリーがグリフィンドール寮に組分けされてセブルスが小さな呻き声を漏らすのを聞き、その後、セブルスの名が呼ばれると一緒に丸椅子まで歩いています。
記憶の主とはあまり離れられないにしても、5巻28章の中ではかなりセブルスとは離れて歩いていましたから、この場面だって必要に迫られて歩いたわけではないと思っています。
ここは、ハリーの心が、セブルス少年に寄り添っていたからこその行動だと私は感じていて、33章の中でかなり好きな場面です。

スリザリンのテーブルに向かうセブルスのことは、「リリーから遠ざかるようにして大広間の反対側に移動し、」(7巻33章p.427)と書かれたのみ、スリザリン生の歓迎に迎えられたことや、ルシウスとの出会いがあったことがわかりますが、川のそばの低木の茂みやホグワーツ特急の中で示した希望のようなものが伝わってこないのは、やはりそこに軽い失望があったことをハリーも感じているからではないかと思います。

この後も、ハリーはセブルスの感情を、憤り(resentment)、苦々しさ(bitterness)、嫌悪感(dislike)、屈辱感(humiliation)、怒り(fury)、恐怖(fear)、苦悶に満ちた(anguished)などと見ています。
嫌悪感とか、怒りなどは、かつても何度か出てきた言葉ですが、それも以前とは違ってそのまま受け取って良いと思います。
閉心術を使う以前の様子や、ダンブルドアの前での様子が、フィルター無しで見られて良かったです。

こうしてみると、スネイプ先生自身の閉心術とハリーのフィルターによって、7巻33章より前は、随分少ない感情しか見てこられなかったのだと実感します。(読む側としては、悲しみなどは随分補足していましたが)
フィルターが取り去られた今、ハリー視点で過去を振り返らせたら、3巻でシリウスに逃げられてキレた場面や、6巻でダンブルドアに死の呪文を唱える前の表情などは、きっと全然違ったものになるのだろうな、と思います。

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スネイプ先生への愛を語らずにはいられません。         

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