topimage

2009-05

スポンサーサイト - --.--.-- --

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

死にゆく男 - 2009.05.31 Sun

初めて原書で7巻32章を読んだ時、ヴォルデモートが去り、入れ替わりに部屋に入ってスネイプ先生に近づいていくハリーに、私は「助けて」「助けて」と心の中で叫び続けました。
そして、その時は、ハリーは助けてくれようとしたのだと思いこみました。が、実際はそうでなく、英語力が足りない私の誤解だった、と知った時の驚きといったらありませんでした。
だってとても信じられません。首からの出血を止めようとしていた指が、スネイプ先生自身のものだったなんて……

結局、この場面では3人の生きた人間がそばで見ていたにもかかわらず、誰もスネイプ先生を助けようとはしなかったのですね。
初めから、「死にゆく男(dying man)」と見ているので、絶望的なことは明らかだったのでしょうけれど。

首から血を噴き出して倒れ、指で出血を止めようとしている人が目の前にいて、何の努力もしなかったのは、その惨劇に呆然としてしまったからだと好意的に解釈することにしています。
決して憎しみが勝って見殺しにしたわけではないと。
でなければ、あまりにスネイプ先生がかわいそうなので。
3人は、既に校内でかなりの惨劇を目撃していたでしょうけれど、これほどの大量出血を見たことはなかったのだと思います。
gush(血が噴き出す)とあるので、おそらく動脈を傷つけられたのでしょう。大量の動脈血の鮮明な赤い色と血の匂いは、人の感覚を狂わせるものがあるだろうと想像します。十代の少年少女なら尚更です。

でも、せめて、どこか触れて欲しかった。声をかけてあげて欲しかった。だって、ピーターの銀の手が、その喉元を締め付けた時は、ハリーは何も考えずにその手を引き戻そうとし、ロンもハリーと共に金属の指を引っ張ろうとしたし、呪文を唱えたでしょう?死にかけた人を前に敵も味方もなかったでしょう?
遺体は怖くて触りたくなくても、生きているうちなら触れられるでしょう?
どんなに憎い敵でも、目の前に苦しんでいる死にかけた人がいたら、恐る恐る手を差し伸べてしまったりしないでしょうか?
しかも、そこに倒れているのは、曲りなりにも、かつて3人を教え導いた先生なのですよ?真実を知らなくても、ハリーを何度も助けたことは忘れてしまったわけではないでしょう?

百歩譲って、触れるのが怖くても、声をかけることはできますよね?
同じように、大量の出血の末死んだドビーは、最期にハリーから「死なないで―」という言葉をかけてもらっています。
スネイプ先生を激しく憎むハリーにその言葉は言えなくても、ハーマイオニーなら言えたのではないでしょうか。
ここも、この場の張りつめた雰囲気に圧倒されて声も出なかったと好意的に解釈することにします。そうでなければ、私は遣りきれません。

スネイプ先生が一方的にハリーのローブをつかんで引きよせ、一方的に話しかけ、頼むことによって視線を向けてもらい、そして力尽きて、その手がドサリと物のように床に落ちるなんて、あまりにも寂しすぎる……
独りで死ぬのも寂しいけれど、人がいたのに何の働きかけもなかったことは、却って孤独感を募らせます。
確かに過去には罪を犯したかもしれませんが、その後の人生ずっと償い続けた上に多くの命を救ったというのに、その最期がこれではあまりに寂しく、作者という神を恨みたくなります。
一度罪を犯した者には、最期の温もりなどあり得ないということですか?
それとも、緑の瞳に見てもらえただけで十分だということでしょうか?

もう痛みは感じないかもしれないけれど、もう喜びも悲しみも感じないかもしれないけれど、せめて3人の誰かに、床に落ちる前の手を受け止めさせて欲しかったです。
スポンサーサイト

気力 - 2009.05.24 Sun

私は、以前、スネイプ先生が、「希望・幸福・生きようとする意欲」といったプラスのエネルギーであるパトローナスを作り出すことができたことから、先生は生きる意欲を持っていたのだ、と書いたかと思います。
リリーを愛した自分を肯定し、リリーとの一番幸せだった想い出を糧に、前向きに生きていく意欲が湧くようになったからこそ、月のように眩しく輝くパトローナスを作り出すことができたのだと。
今でもその気持ちに変わりはなく、また前回書いたようにリリーへの想いよりも優先するものがあったと考えていることから、スネイプ先生は、ハリーに伝える役目は負ったものの、死んで記憶を残すことでその役目を全うするつもりではなかったのだと思っています。
実際は、ここまでハリーに憎まれた状態で、どうやって正しく情報を伝えるつもりだったか、見当もつきませんが。

それでも、決してここで死ぬつもりではなかったと思います。
なぜなら、ハリーをずっと見守ってきたスネイプ先生が、ハリーを死なせる方向に導いてしまったままで、責任を放棄するとは思えないからです。ハリーが成すことを、見届けるつもりはあったのだと思うからです。
だから、ここでヴォルデモートに「おまえが生きているかぎり、セブルス、ニワトコの杖は、真に俺様のものになることはできぬ」(7巻32章p.402)と言われて、わずかな抵抗として、杖を上げたのだと思います。
もしかしたら、無言呪文で防御したものの、すぐには何も起こらなかったことで、一瞬でも防御を解いてしまったのかもしれません。
一瞬、スネイプは死刑を猶予されたと思ったように見えた。(7巻32章p.402)との描写もあるので。
多分、今までもそんなヴォルデモートの気まぐれを見てきたのではないでしょうか。あるいは、呪文による攻撃を想定していての防御で、檻に取り込まれることは防げなかったとか。
とにかく、防御できなかったことは、つくづく残念です。

まさかナギニの檻に取り込まれるとは、スネイプ先生も思っていなかったのでしょう、叫ぶ以外、何もできなかったようです。
この叫び、原文ではyellが使われています。(驚き・恐怖などで)鋭く叫ぶ、という意味です。
いつもヴォルデモートの前では冷静だったであろうスネイプ先生が、感情を顕わにした最初で最後の場面だったかもしれません。
そして、蛇語での「殺せ」の言葉はスネイプ先生には聞き取れないまま、いきなり首を噛まれて、どんなに驚き、怖かったことでしょう。

恐ろしい悲鳴が聞こえた(7巻32章p.402)
There was a terrible scream.(UK版7巻p.527)

screamは、驚き・恐怖・苦痛などで上げる悲鳴、金切り声のことです。
まさに、そのどれもが入り混じった気持ちだったのだと思います。
この瞬間の先生の苦痛を思うと、私も胸が張り裂ける思いです。
どんなに痛くて、苦しくて、怖かったことでしょう。可哀想に。

そして、スネイプ先生が諦めていない姿に、強く胸を打たれます。
ハリーに気づいていないスネイプ先生の、足が痙攣している状態にありながら、首の出血を止めようとしている指に。
ここ、the fingers trying to staunch~(UK版7巻p.528)となっています。
staunchすることをtryしている指なんです。
staunch(=stanch)は、〈血を〉止める、〈傷口〉の血を止めるという意味ですから、血を止めることを試す、努力しているという意味なのだと思います。
スネイプ先生なら、首からの激しい出血が命取りになることはよく心得ていたと思います。ここで死ぬわけにはいかないからこそ、血を止める努力をしていたのだと思います。
おそらく自由の利かなくなった指で、ぎこちなく、一生懸命傷口を押えていたのでしょう。その姿を想像することは、とても辛いです。

そして、スネイプ先生、この後もまだtryしています。
~,whose widening black eyes found Harry as he tried to speak.(UK版7巻p.528)
瞳孔が広がっていくスネイプの暗い目がハリーを捕え、話しかけようとした。(7巻32章p.404)

首を貫かれ、喉から、A terrible rasping gurgling noise(ひどく耳ざわりなゴボゴボいう音)がしている状態で、言葉を発するのは大きな努力が必要だったと思います。
日本語訳では「死に際の、息苦しいゼィゼィという音」(7巻32章p.404)となっていましたが、原文のこの描写は、血液混じりの呼気が、うがいのような音を立てていたのだと私は解釈しています。

思いがけずハリーに伝える機会がやってきて、先生は迷わず、記憶を出すことにしたのでしょう。もしかしたら、ヴォルデモートに見られる危険を覚悟で、ハリーが来ても来なくても、記憶の糸を出しておくつもりだったかもしれません。まるで、準備していたかのように、いっぺんに漏れ出ていきましたから。
目と口と耳と、なりふり構わず記憶を出すスネイプ先生に、残された時間が少ないことを悟った焦りが感じられました。
いくら、生きる意欲はあっても、もう体が限界に来ていることは、わかっていたのだと思います。
ハリーが無事、フラスコいっぱいの記憶を汲み上げるとすぐに、ローブをつかむ力が弱り、短い一言を残して、動かなくなってしまいました…
まるで、見届けたかのようです。
全く、大した気力です。
死ぬ直前まで頑張っていたスネイプ先生には驚かされます。
そして、本当に頭が下がる思いです。

選んだ道 - 2009.05.17 Sun

7巻を読み終わった後も、私には、スネイプ先生はなぜハリーに真実を告げた(記憶を託した)のか、ということが疑問でした。
リリーが命に代えて守った息子ハリーを、リリーのために自分も命懸けで守ってきたというのに、「死ぬべき時に死なねばならぬ」と本人に伝える役目をなぜ果たそうとしたのか、ということがわかりませんでした。

「リリー・エバンズを愛していたなら、本当に愛していたなら、これからのおまえの道ははっきりしておる」
「その死を無駄にせぬことじゃ。リリーの息子を、わしが守るのを手伝うのじゃ」(7巻33章p.437)
と言われ、選んだハリーを守る道は、言わば愛の証です。
ダンブルドアは、ハリーを守ってきた理由を「あの子に教え、育み、自分の力を試させることが大切だったから」と言っていますが、スネイプ先生自身は、少なくともその話を聞かされるまでは、リリーのためにハリーを守っていると思っていました。
33章では、その辺「あなたは私を利用した」(7巻33章p.451)と言ってダンブルドアと議論していますが、「あの子に情が移ったと言うのか?」という、まるで論点のずれた質問をされて、はぐらかされた印象です。
結局、その時スネイプ先生は、ハリーへの情ではなくリリーを今でも愛していることを示しただけで、その場面は終わってしまっています。

34章で「蘇りの石」によって出てきたリリーは、ハリーが死地に赴く時、それを止めるどころか、嬉しそうに微笑み「勇敢だった」と言っています。
私はこのリリーの言葉にとても違和感を持ちました。
自分の命と引き換えに守った息子が、たとえ世界の平和のためとはいえ、たった17歳で死のうとしていることを、喜ぶ母がいるだろうかと。
これは、シリウスの「君の一部なのだ」という言葉から、ハリーの幻、ハリーの願望ではないかと私は見ています。でなければ、リリーたちにはハリーが死なないことがわかっているからとか。
少なくとも、リリーの望みはハリーが生き延び、人生を全うすることだと私は思います。そして、スネイプ先生もそう思っていたはずです。
そして、ダンブルドアから肝心な計画を教えられていないスネイプ先生は、自分が真相を告げることでハリーが死ぬと思っています。
リリーが死んだ時、「私も死にたい」と言ったスネイプ先生がなんとか自分をコントロールできたのは、リリーの死を無駄にしないために、「リリーの息子を守るダンブルドアを手伝う」という心の支えができたからだと思います。
だから、リリーへの愛を貫くつもりなら、ハリーに真相を伝えず、リリーの望み通り生かしておく、という道もあったはずです。

なのに、なぜあんなにも懸命に伝えようとしたのか。
自分の命の灯が消えかかって、息も絶え絶えなのに、
‘Take…it…take…it…’(UK版p.528)
「これを……取れ……これを……取れ」(7巻32章p.404)
などと言って内にあった記憶を出したのか。

前回、ダンブルドアなど強い力に逆らえないスネイプ先生の心の傷について語りましたが、私はこの場面では、スネイプ先生がダンブルドアの命令に逆らえなかったとは思っていません。
本人を前にしてこその反応だと考えています。
だから、ここは純粋に、スネイプ先生の意志でこうしたのだと思います。
なら、なぜ?

私の出した結論は、世間一般の見方とは違うかもしれませんが、私は、スネイプ先生がハリーの命より、つまりリリーへの愛より優先したものがあったからだと考えています。
それは結局ダンブルドアの目指したものと同じものなのかもしれませんが、もう少し限定されているかな、という気もします。
ホグワーツに暮らす人々、生徒たちや先生や他の職員を救うために、ハリーを死に向かわせたのだと考えています。
日本語訳では、さらっと通り過ぎてしまった「全力でホグワーツの生徒たちを守ると、約束してくれるじゃろうな?」(7巻33章p.443)に対する頷きSnape gave a stiff nod(UK版p.547)を、私は「しっかり頷いた」と解釈しているからです。

スネイプ先生は、十数年の教師生活の中で確実に成長し、ホグワーツの生徒たちを愛するようになっていたと私は思っています。
ドラコなどスリザリンの生徒だけでなく、ネビルもケイティも、全ての生徒がスネイプ先生によって守られていたように私には見えます。
30章でマクゴナガル先生などの寮監たちに追われた時だって、一切傷つけようとはしませんでした。

ハリー、ヴォルデモートそしてスネイプと、身寄りのない少年たちにとってはここが家だった……。(7巻34章p.466)
と、ハリーのホグワーツについての想いが34章に書かれていますが、少年時代だけでなく、大人になってからも、スネイプ先生にとってホグワーツは家庭であり、ホグワーツの住人は家族だったのではないかと私は思っています。

真実を告げれば、ハリーは死に、リリーの望みを絶ってしまう。
けれど、ヴォルデモートもまた倒れ、世界に平和がもたらされ、ホグワーツの住人は心安らかに過ごすことができる。
この二つを秤にかけ、選んだ結果が、ハリーに真実を告げること、だったのではないかと思います。
これ以外、今の私には納得できる説明がつきません。

スネイプ先生には、リリーへの愛を上回る愛が新たに生じていて、愛する人々を守るために、リリーへの想いを犠牲にして、ハリーに真実を告げたのだと、今の私は考えています。


無抵抗 - 2009.05.11 Mon

32章には私にとって色々受け入れ難いことが書かれていましたが、その中でも理解しにくかったのが、スネイプ先生がヴォルデモートにほとんど反撃しようとしなかったことでした。
私はその理由を、ヴォルデモートから杖の秘密を聞かされてダンブルドアの真意を疑って混乱したためかもしれないと思ったり、ハリーに真実を伝える方法を模索することに集中していたためだと考えたりしたことは、既に述べました。
もう一つ、私の頭をよぎり、無視できないものがあります。
スネイプ先生には、圧倒的な力に対する畏れのようなものがあったのではないか、というものです。

どうもスネイプ先生には、子どもの頃から一貫して父的なものへの恐れ、畏れ、憧れのようなものがあったように感じます。
父親が母親を怒鳴りつけている部屋の隅で泣いていたり、家の様子を聞かれて眉間に皺を寄せたり、両親が喧嘩ばかりしていると言ったり、「僕はいなくなる」と家を出ることを望んだり、父親のことを「あの人は何にも好きじゃない」と言ったり、半純血のプリンスと名乗ったり、父親や家庭に対する葛藤を感じます。それも、真っ向から対立しようというより、逃げていこうとする姿勢、大きな力に対する脅え、委縮のようなものを感じます。
お父さんは暴力を振るう人だったのでしょうか。幼いセブルスが恐怖を感じて魔法の力をコントロールできなかったたりすれば、よけいに痛めつけられたかもしれません。
圧倒的な力には抵抗できないとの思いが身についていたのではないかという気がします。そして、だからこそ余計強い力に憧れたのではないかと思います。

作者も、チャットで死喰い人になろうとしたスネイプ先生のことを、
~like many insecure, vulnerable people (like Wormtail) he craved membership of something big and powerful, something impressive.
「多くの不安定で傷つき易い人々(ワームテールのような)のように、彼は大きくて、力のあるもの、何か堂々としたものの一員であることを切望しました」(二尋の直訳です。間違っていたらご指摘ください)と言っています。
大きくて力のあるものに対する畏敬の念はあったのだと思います。
心理学の領域に踏み込んでまで説明することは私にはできませんが、何か父親に対する葛藤のようなものに由来しているのではないかと思っています。

ヴォルデモートに対しても、ダンブルドアに対しても、同じような思いを抱いていたのではないかと私は考えています。
だから、リリーを守って欲しいとダンブルドアに頼みに行った時にひどく怖がっていた様子だったり、ダンブルドアの理不尽な「殺してくれ」という要求に抗議しながらも、鋭い視線に結局屈してしまったりしたのではないかと思うのです。
ヴォルデモートに対しても、太刀打ちできないような思いがどこかにあって、いざ死を宣告されると蛇に睨まれた蛙のようになってしまった可能性も私は否定できません。
常に冷静で、どんなに激しい視線で貫かれても閉心術を破られなかった精神力とは別に、そんな一面もあったのではないかと思います。
もしそうであったとしても、それは弱さではなく、心の傷に因るものなのだと私は思っています。

5月2日 - 2009.05.02 Sat

今ちょうど検証している部分、7巻32章は5月2日の出来事のようです。
最後の戦いが5月2日だとローリングさんが明言していたので、ホグワーツへの攻撃が開始された時(31章途中、ハリーがレイブンクローの髪飾りの話を灰色のレディーから聞き出し、ハグリッドに会ったあたり)から5月2日になり、36章までが5月2日に相当するのだと思います。

たった一日のことが数章に渡って書かれているのですから、本当に長い一日だっただろうと思います。
この5月2日が始まってそれほど時間が経たないうちにスネイプ先生は最期を迎えることになります。
ヴォルデモートが、「俺様は三時間前に、セブルス・スネイプを殺した」(7巻36章p.533)と言ってから間もなく、太陽の先端が顔を出しました。
夜明けの三時間前に、スネイプ先生は殺されたことになります。

ホグワーツはスコットランドにあると言われています。
首都エジンバラで計算すると、5月2日の日の出は、サマータイムで午前5時28分になります。
では、死亡推定時刻は、その3時間前の約2時半くらいでしょうか。
ただ、エジンバラはスコットランドでも東にあるので、西側ならもう少し遅くなるはずです。ハリーが貝殻の家(場所は不明、映画の撮影地はウェールズ)を発った5月1日は、6時に起き出して「夜明けは肌寒かったが、」(7巻26章p.202)という記述があるので、場所によっては6時くらいの夜明けもあり得ると思います。
となると、先生が亡くなったのは、夜中の2時半から3時位でしょうか。
ちょうど草木も眠る丑三つ時ですね。
先生は永眠してしまったけれど…
サマータイム時のイギリスと日本の時差は8時間になるので、日本時間では、午前10時半から11時頃に相当します。
今年、この時間はスネイプ先生を語り合うことに使いました。
有意義に過ごすことができました。

ところで、今日のエジンバラの予想最低気温は6℃、最高気温は11℃です。寒いです。(東京は16℃~24℃です)
血の海の冷たい床に一人で横たわっている先生を想像するのは、忍びないです。

大出血しながら、残された力を振り絞って使命を果たそうとしたスネイプ先生の最期は壮絶なものでした。
それでも、一番最後の言葉が、自分のためのものであったことに、ほんの少し安堵します。素直な気持ちを表現できたこと、そして願いを伝える時間が残されていたことに。
私は、スネイプ先生がまだ生きるつもりだったと思っています。
ただ、賢い人ですから、これが最期だと悟ったとは思います。
なんとか使命を終えて、そのまま力尽きず、自分のための言葉を絞り出したスネイプ先生が、抱きしめたいほど、愛しいです。
もっと自分のために時間を使って欲しかった、もっと自分に優しくしてあげて欲しかった、でも最期に自分のためにすごく頑張ったね、と認めてあげたいのです。私の気持ちは届きようもありませんが。

今、夕方の4時なので、イギリスでは朝の8時です。
あの日、8時だったらもうヴォルデモートに勝利していたはず。
真実を知ったホグワーツの住人たちの温かい手で、既にスネイプ先生の亡骸が温かい場所に安置されていますように。
物語の世界で、せめて死後であっても、スネイプ先生が自分に向けられた愛を感じ取る機会があったことを、強く強く望んでいます。

記念の日に、哀悼の意とたくさんの愛を込めて書きました。

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

拍手コメントについて

拍手コメントをいただいた時は、その記事のコメント欄にお返事いたします。

プロフィール

二尋

Author:二尋
スネイプ先生への愛を語らずにはいられません。         

カテゴリー

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

スクロール式になっています

前ブログからの訪問者数

リンク

このブログをリンクに追加する

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。