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2008-08

閉心術 - 2008.08.24 Sun

遅刻すれすれで部屋に入ったスネイプ先生が、ヴォルデモートの指示に従ってついた席は、ヴォルデモートの右側でした。
文字通り右腕(一番信頼する有力な部下:広辞苑)という印象で、この場面、大変誇らしく思いました。
スネイプ先生は、実際はヴォルデモート側ではなかった上に、ヴォルデモートが復活した3年前、召集に2時間遅れで到着し、『ご不興を買った』経験があるにも拘わらず、これほど重んじられていることに感心します。そこにダンブルドアの入れ知恵があったとしても、裏切りの気配を感じさせない強い精神力があればこその席順です。

スネイプ先生はハリーの移動日を、土曜日の日暮れ、と報告します。
これは後の33章のダンブルドアの言葉が示す通り、ヴォルデモートに疑念を生じさせないためのものでした。
報告を受けたヴォルデモートは、スネイプ先生の目を見据えます。

その視線のあまりの烈しさに、傍で見ていた何人かが目を背けた。凶暴な視線が自分の目を焼き尽くすのを恐れているようだった。しかし、スネイプは、静かにヴォルデモートの顔を見つめ返した。
(7巻1章p.9)

ハリー視点で語られてはいないこの章での描写は、私は偏りがないものと見ています。
自分が見られてもいないのに思わず目を背ける傍の死喰い人。それほどの烈しい視線を正面から受け止め、静かに見つめ返すスネイプ先生。
一体何度こうして見据えられ、見つめ返したことでしょう。そのたび、ただの一度も疑いを持たれなかったスネイプ先生の強さにひたすら敬服するばかりです。
スネイプ先生の閉心術がヴォルデモートの開心術を上回っています。
33章では、ダンブルドアもこう評価していることがわかります。 

「ヴォルデモートに価値ある情報と見えるものを伝え、しかも肝心なことは隠しておくという芸当は、きみ以外の誰にも託せぬ仕事じゃ」(7巻33章p.447)

けれど私は、ヴォルデモートの烈しい視線すら貫けないほど心を閉ざせるスネイプ先生の強さや技術を誇る気持ちよりも、そこまで感情を抑え込むことのできたスネイプ先生の苦しみを想像する方が勝って辛いです。

スネイプ先生がヴォルデモートにも見破られないほど心を閉ざすことができたのは、リリーを守りたいと強く願った時以降のことだろうと思います。リリーを何としても守りたくて、きっちり心を閉ざす術を身につけたということは理解できる気がします。
でも、守るべき対象がハリーとなってからもそれだけの力があったのは、普段から自分の悲しみを封じ込め気持ちをすり替えていたからではないかという気がして気の毒でなりません。
どれほどの苦しみを押し殺してヴォルデモートの腹心の部下を演じ続けたのだろうと思うと、スネイプ先生が冷静であるほど辛くなってしまいます。

すれすれ - 2008.08.17 Sun

月明かりの狭い道に現れた二人の男たちが足早にどこかに向かっています。途中、壮大な鍛鉄の門が立ち塞がりましたが、敬礼のような姿勢を示しただけで通り抜けていきました。

1章の冒頭で現れた二人、私は絶対に一人はスネイプ先生だと思って読んでいました。というか、6巻でドラコと逃亡した直後の様子だと思っていたので、背の高い方の男がドラコだと勘違いしてしまいました。
そのように期待しながら読んでいてさえ、名前の出た瞬間、ドキッとしました。『セブルス・スネイプ』は全く魔法の言葉だと思います。

スネイプ先生たちは、閉じた門にも立ち止まる気配なく左腕を挙げて敬礼の姿勢をとって通り過ぎています。こうやって稲妻に撃たれた塔へ続く階段の障壁も通りぬけていったのだろうと思いました。

ヤックスリーは、6巻2章、スピナーズエンドでスネイプ先生の口からその名が出ています。背が高いようです。ヤックスリーが何かの気配に杖を抜きましたが、孔雀でした。ちなみにこの孔雀、原文では、pure white peacockとなっています。
純白の孔雀というところがルシウスっぽいです。
そして、孔雀程度の気配には、杖を抜かないスネイプ先生の落ち着きが誇らしいです。
けれど、さすがのスネイプ先生も客間も扉を開ける際は、ちょっと躊躇いました。遅刻気味なのを気にしてのことでしょうか。それとも、常からヴォルデモートの前に出る時は心の準備が必要だったのでしょうか。

最初一緒にいると思ったドラコは、既に席についていました。
逃亡後、しばらく経ってからの出来事のようです。
こうして見ると、ホグワーツの校門を出た直後、スネイプ先生とドラコはまっすぐこのマルフォイ邸に向かったように思えます。
その後、スネイプ先生のことは魔法省が行方を捜していますが、潜伏もせず、こうして情報収集に出歩いていたのですね。

最後に入ってきたスネイプ先生たちにヴォルデモートは
「遅い。遅刻すれすれだ」(7巻1章p.8)と声を掛けました。

この日スネイプ先生が与えた情報は、ダンブルドアの差し金でした。
後の33章でスネイプ先生はダンブルドアの肖像画とハリーの移動日について話していました。スネイプ先生、生徒たちのいなくなった学校に入り込んでいたんですね。先生方は誰も残っていなかったのでしょうか?学校の敷地内では姿現しも姿くらましもできないでしょうから、校門から校長室までの道のりはさぞかし遠く、緊張を強いられたことでしょう。
マンダンガスとは酒場で会って、錯乱の呪文をかけています。
これが同じ日かどうかわかりませんが、自信を持って情報を提供しているところを見ると、全てお膳立てが整ってからの報告のように思います。ホグワーツに行ったり、酒場に行ったりした後でマルフォイ邸に行ったと私は想像しています。

魔法省には追われ、死喰い人の会合には遅刻すれすれ、スネイプ先生はあらゆる方向からの危険に晒されていたのだと、つくづく思います。
本当に、いつも死と生との境すれすれのところにいたような気がして辛いです。

一人称 - 2008.08.12 Tue

7巻のスネイプ先生の細部を語る前に、日本語訳に感じたことをもう一つ書いておきます。

日本語版を読むにあたって、注目していた部分があります。
それは、スネイプ先生の一人称です。
スネイプ先生が、ヴォルデモートの前でも、いつもの尊大な「我輩」口調で話すのかどうか気になっていました。
また、少年時代だって「我輩」のはずがありません。やっぱり「僕」だろうか、と想像していました。

そして、やはり、我輩ではありませんでした!
1章の死喰い人たちの会合で報告する際、ヤックスリーには、「我輩」と言っているものの、ヴォルデモートには、一人称単数は使っていませんでした。複数では「我々」と言っています。
そして後に、32章で何度も使ったのが「私め」でした。
「め」は「奴」ですね。自分または自分の側のものの名に添えて謙遜の意を表す。(広辞苑)
全てにおいて英語での一人称は、「I」ですが、日本語では、話す相手によって即座に使い分ける形を取ったのだ、と思いました。

何より驚いたのは、32章のヴォルデモートとの会話で、スネイプ先生が一度「我輩」と言いかけて「私め」と訂正する場面です。
「我輩―私めには、わが君、説明できません」(7巻32章p.401)

ここは、私は原文で読んで、スネイプ先生の激しい動揺を感じました。
全くいつもの口調と違うと感じ、居ても立ってもいられなくなりました。
きっと翻訳者もそう感じ、それを形にしたのだと思います。
「わ、私めには、」とせず、相手によって変えていた一人称を間違えることで、混乱した様子をより強調したかったのだろうか、と思いました。

ちなみにUK版オーディオブックでは、この場面のスネイプ先生は私が思っていたよりも冷静に聞こえました。
‘I -I have no explanation,my Lord’(p.526)
ちょっと言葉を捜す程度、強いて言えば「えーと」程度。
朗読者は、あくまで冷静でハリーへの伝達方法に思いを巡らす、ちょっとうわの空のスネイプ先生を表したかったのだろうか、と思いました。
同じ作品でも、間に入る人(翻訳者・朗読者・役者)によって伝え方も様々だということだと思います。

スネイプ先生の一人称、ダンブルドアの前では「私」でした。
以前「我輩」と言ったことがありましたが・・・
私の方がずっと好感が持てました。ずっと自然な感じでした。

少年時代から学生時代は「僕」でした。
そうだろうと思いました。「俺」という感じはしませんでした。
「僕」と言うセブルスは、より無邪気な感じがして切なかったです。

そして、スネイプ先生の最期の言葉には「僕」が使われました。
これは一つの正解を示した、という点で、衝撃でした。
原文では‘Look...at...me...’(p.528)で、先生が誰に向かってこの言葉を言ったかはっきりせず、議論の余地がありました。リリーの目と同じ緑の目で見て欲しかったにしても、やっぱりハリーに向かって言った可能性も否定できないので、この言葉には訳者の解釈が入っていると思います。そもそもスネイプ先生が相手によって一人称を使い分ける、というのも日本語ならでは表現で、大いにフィルターがかかっていると考えられます。
ただ、私自身は、スネイプ先生はリリーに見て欲しかったと考えていますし、最期の瞬間、先生は今の時代にいないように感じていたので、「僕を……見て……くれ……」(7巻32章p.404)はとても心に染みました。そして、色々なサイトを見て回って、この部分に大きく心を動かされた方が多いことも知りました。
訳者の想いの詰まった翻訳が読者の心を捉えたのだと思います。

内容を正確に日本語に置き換え、原書を読んだ時と同じような議論ができる翻訳もあれば、読む人の心を捉えられる訳者の想いの詰まった翻訳もあるのだと、今回強く感じました。
スネイプ先生のことは、より正確に知りたいので、今までより原書の出番が増えるかもしれませんが、原書から受けた印象や日本語訳や朗読などから感じたことなどを織り交ぜてスネイプ先生のことを考えていきたいと思っています。
ひとつの場面から感じるものは人によって違うと思います。
ぜひ、一緒に考えていってください。

二つの頷き - 2008.08.05 Tue

日本語訳を読んで、原書とのイメージの違いはいくつかあったのですが、その中で一番気になった部分は、実はとても意外な場所でした。
元々注目していた気になるセリフの訳語より、もっとずっと違和感のある場所があったのです。スネイプ先生の人物像にも影響を及ぼすのではないかと思うくらいの。

それは、33章のある二つの描写でした。
一つは、ヴォルデモートが近々学校を掌握するだろうことを踏まえて、ダンブルドアがスネイプ先生に生徒たちを守ることを確認する場面です。

「きみは、全力でホグワーツの生徒たちを守ると約束してくれるじゃろうな?」
スネイプは短く頷いた。(7巻33章p.443)

もう一つは、その直後、ダンブルドアが自分を殺すように言い含め、結局承知させる場面です。

ついにスネイプは、また短く頷いた。(7巻33章p.445)

ここが、まるで同列かのような「短く頷いた」と訳されたことにとても違和感を覚えました。
原文はこうです。

‘I have your word that you will do all in your power to protect the students of Hogwarts?’
Snape gave a stiff nod.(p.547)
(中略)
At last Snape gave another curt nod.(p.548)

nodは頷きの意味ですが、その前にある形容詞が違っています。
stiff(断固とした、意を決した)
curt(ぶっきらぼうな、そっけない)
私には、生徒を守ることに同意する頷きと、依頼された殺人を承知する頷きが同じ質のものだとは思えません。一般的な見方というより、スネイプ先生ならそうしないだろう、という思いです。
私は、生徒たちを守ってと言われたスネイプ先生は、信念を持って固く頷いたのだと考えています。ダンブルドアに頼まれたから生徒たちを全力で守ったのではなく、自分の意志で生徒を守ったのだと信じています。
また、ダンブルドアに「きみがわしを殺さねばならぬ」と言われたスネイプ先生は、自分の気持ちに反して不承不承頷いたのだと解釈しました。
だから、日本語訳で二つの頷きが同質のように表現されたことはとても心外です。
anotherには「もう一つの」という同列の言葉を示す時と、「別の」を示す時があって、それは文脈から判断すれば良いと聞きました。私は二つの頷きは違うもので、二度目の方は、「また」ではないと思っています。

この部分の頷きの意味をどう解釈するかは、それぞれの読者に委ねられると思いますが、せめて違う形容詞がついていたことがわかるような表現だったら良かったのに、と思います。
日本語訳のみの読者の方にも、是非、その違いは知って欲しいです。

2013年9/7追記
文中「固く」と書きましたが、今では「ぎこちなく」の方が近いかと思っています。
イギリス人の方にこの場面の頷きを再現していただいた時の様子はこちらの日記にあります。
「は、はい」というような感じでガクガクと頷く感じです。
全力でホグワーツの生徒たちを守ることを約束する、その責任の重さに緊張しながら頷いたのだと思います。
スネイプ先生の、ホグワーツの生徒たちに対する想いの現れている場面だと思います。

7巻を読み終わって - 2008.08.01 Fri

6巻読了後、スネイプ先生がどちらの側にあるかは、私にとって大きな関心事の一つでした。殺人を犯したスネイプ先生がとても苦しんでいるように思えたし、どう考えてもずっとハリーを守っているようにしか見えなかったので、ヴォルデモート側で終わるとは思えませんでした。
でも私が7巻に求めたのは、先生がダンブルドア側にあることではありませんでした。物語が完結した時自分を肯定しているか、引き裂かれた魂が安らぎを見つけているか、という点が私にとって重要でした。もちろん、スネイプ先生が生き残ることも。

32章でのヴォルデモートとの会話でだんだん雲行きが怪しくなってきた時、私は読むのを途中でやめました。
原書ではp.527の7行目まで、日本語版でいえば、ちょうど下巻401ページまで読んで、続きを読むのをやめました。この先さえ読まなければ、ずっとスネイプ先生は生きている、と感じたからです。
でも、翌日やっぱり先を読まずにはいられず、恐ろしい悲鳴を聞き、むごい姿を見る羽目になったわけです。あんなに自分の心臓の鼓動を感じ、肩で息をしながら本を読んだ例(ためし)はありませんでした。
そして本を読んで、あれほど心が乱れ、体に影響が出てくるほど思い詰めた経験もなかったです。
スネイプ先生が死んでしまってもうどこにもいない、という悲しみだけに支配された日々がしばらく続きました。33章すら読みたくありませんでした。
元々存在しない人だし、かなり覚悟を決めていたのに、こんなに大きな喪失感に見舞われるとは思いませんでした。スネイプ先生は、本当に私にとって大事な人だったのだと痛感しました。

1週間近く経ってからようやく33章を読みました。
先生がずっとずーっと心の奥に隠していた想いを知って、涙が止まりませんでした。
私の想像していたスネイプ先生とは違う先生がそこにいました。
私は人と関わるのが嫌いな、複雑な思考回路を持った人を想像していました。他人どころか自分すら愛さない人だと思っていました。
実際のスネイプ先生は、ずっと無垢で純真で、正直で、まっすぐで、愛に溢れた人でした。
リリーへの好意を隠しもしなかった少年時代の姿には本当に驚かされました。それが後に、何もかも心の奥底に隠してしまうことになるなんて。

せっかくリリーのためを思って守ってきたハリーが結局死ぬべき時に死ななければならない運命だと聞かされて、それを伝える重荷まで負わされて、どんなに辛く虚しかったことでしょう。使命は全うしたかもしれないけれど、スネイプ先生自身は何も報われることなく逝ってしまったことがたまらなく悲しかったです。
でも、私はスネイプ先生がリリーへの愛だけではないものを見つけていたような気がしてなりません。
年々増えていく研究室の標本は先生が自分の人生を生きた証ではないかという気がします。
また、ダンブルドアのことも、生徒や先生方などホグワーツ全体も、愛していたのではないかと思っています。そうでなければ説明のつかない数々のエピソードがあると思っています。

物語が完結して、謎は全て解けたかもしれません。不可思議だと思った言動にも一貫性があることがわかりました。私の先生への愛と尊敬の念も深まるばかりです。
でも、語ることが無くなってしまったわけではないと思っています。
まだまだ各場面において、スネイプ先生の気持ちを想像する余地が残されていると思います。先生の苦しみも測り知れません。先生が自分を肯定できたのか、引き裂かれた魂は癒されたのか、ということもこれから考えていきたいです。
並大抵の開心術では先生の心の奥底を覗けないことを知った上で、これからも先生の気持ちを探っては語っていこうと思います。

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