topimage

2008-03

スポンサーサイト - --.--.-- --

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

早世 - 2008.03.31 Mon

先日、オフでお会いした方から、手作りのブレスレットをいただきました。
スネイプ先生をイメージした配色、ということで黒と濃淡の緑の石ビーズで出来ています。そして、所々に(規則性をもって)小さ目の透明でやや扁平なビーズも混じっています。私は勝手にこれもスネイプ先生の涙、そして私の涙のイメージだと解釈させていただき、大事に身に着けて帰りました。

オフでの語りは、7巻の話題がメインでした。
いくつも興味深い話がありましたが、目からウロコが落ちる思いだったのが、映画のスネイプ先生についての言葉でした。
ちょっと年齢的に厳しいものがある、というのは、アランさんのファンですら思うところかもしれません。私も、その点気になっていましたが、もし本当に30代の人が演じていたら、観る人に「まだ若いのに・・・」という気持ちを起こさせることができたかも、と言われ、なるほどと思いました。

私は7巻読了以来、先生が若くして逝ってしまったことを、とても惜しくて悔しいと思っていますが、映画だけ見た人は、そういう悔しさは感じないかもしれません。
「スネイプって悪人だと思っていたけど、ハリーをずっと守ってきたんだ。死んじゃって可哀想」とは思っても。
また、フレッドの若すぎる死には衝撃を受け、「早すぎる」と思っても。

映画館では「ああ見えてスネイプ先生は30代なんですよ」「まだまだ未来は拓けたかもしれないんですよ」と吹聴して回りたいくらいだ、と思いました。
スポンサーサイト

原書の描写(3巻-7) - 2008.03.30 Sun


息遣い - 2008.03.29 Sat

昨日は、7巻を落ち着いて読みました。
19章(The Silver Doe)の雌鹿が現れて消えるまでとか、30章(The Sacking of Severus Snape)や32章のスネイプ先生のいる場面だけを。
32章の先生の死に際は何度も読み返していたのですが、それ以外をじっくり読み返すのは初めてでした。
19章は初めて読んだ時もタイトルを見ただけでスネイプ先生のパトローナスだと疑ってかかっていたのですが、そうだとわかってから読むとまた全然違ったものに見えます。
ハリーをじっと見つめる雌鹿の姿とか、雪の森を音も無くハリーを導く雌鹿と雪を踏みしめて歩いたり息をしたりで一人で音を立てるハリーの姿などの、光と音のイメージが沸々浮かんできました。
そしてそんな様子を遠くからじっと見守るスネイプ先生の闇夜のカラスのような姿も浮かび、微かな息遣いまでが聞こえてくるようで、たまらなく苦しくなりました。
程無くその息が止まってしまうと知っているので。

ホテルで読書 - 2008.03.27 Thu

旅先には、あらかじめ荷物を送っておいたので、ついでにその中に7巻も入れておきました。
ホテルの個室は読書をするのに最適です。
32章を読んだとき、泣くためだけにホテルに泊まりたいと思いました。
やっと一人で読めるけれど、泣くタイミングは逃してしまった気がします。
毎日こつこつ読み続けて、どんどん緊張が高まって、「スネイプ先生この場面を生き延びられるの?」と気を揉んで諦めたり期待したりして、結局助からないとわかったときの絶望感といったら。あの最大限に張り詰めた気持ちが、ぷつんと切れてこそ、号泣できるというものです。
そこまでは、今日明日二晩ではとても無理だろうな。
なんだか、すごくさびしいです。

発言の意図 - 2008.03.25 Tue

また肖像画発言についてです。
私が最初このコメントを知ったのは、どこか個人の日本語のサイトでした。
それが、情報サイトだったか、日記のようなブログだったかも覚えていませんが、作者の言葉の日本語訳として載っていたように思います。
「スネイプは死ぬ前に辞職したので」というような言葉でした。
この日本語の「辞職」では、自分で辞めたように見えます。
でも、少なくとも本文を読む限り、私はスネイプ先生が辞職したなどとは思いませんでした。
30章のThe Sacking of Severus Snapeというタイトルの Sacking の意味に解雇とか、クビとかあったのを思い出しましたが、それはスネイプ先生、辞めたというのとは意味が違うと思いました。
そこで、先生は学校を去った後、ヴォルデモートに呼ばれるまでの短い時間で辞職の手続きをしたのだと思いました。

その後、英文で作者の発言を読んだとき、abandoned his post とあり、頭をひねりました。
abandonには、
1.<人が><職業・希望・計画など>を(中途で)あきらめる、断念する
2.<人が><家・国>などを捨てる、去る
3.<妻・子・友人>などを遺棄する、置き去りにする、見捨てる
4・<国・土地・城>を〔…に〕引き渡す、
5.<財産・権利など>を放棄する
とあったからです。
校長の職を断念したのか(辞職)、校長の地位を放棄したのか(職務放棄)、その微妙なニュアンスはやはり伝わりません。
先生に無責任なところなど、これっぽちもなかったと思います。
いったい何をもってabandoned his post と言ったのか、図りかねます。
理由がどうあれ、校長が4人の寮監から不支持を表明され、敷地を出たことで自動的に放棄とみなされるシステムがあった、というなら話はわかりますが。

ここがどうにももやもやして、怒るに怒れないという気持ちです。

最期の言葉 - 2008.03.23 Sun

英会話のレッスンで、お気に入りの言葉を聞かれた時、実際は7巻の言葉も頭に浮かんでいました。
さっと出てきたのはやっぱり、「always」と「Look at me」でした。
自分の番が回ってくるわずかな時間、それぞれを説明する文章を考えていました。
「always」を説明する言葉は日本語すら浮かんできませんでした。
「Look at me」は「大好きな人の最期の言葉だから」と言えばいいかもしれませんが、それは私が辛すぎるし、英会話の先生もコメントしようがないかと思って避けました。
どっちにしろ、『最期の言葉』自体をどう言ったらいいのかわかっていなかったと、今になって思います。
「last word」かな、と思っていましたが、「dying words 」なのでしょうか?

「Look...at...me」と言った時のスネイプ先生の気持ちや、姿を想像すると、その言葉の重みのために簡単に口に出来ないと感じます。
私にとってとても大事だけれど、お気に入りの言葉として披露するよりも、そっと心にしまっておきたい言葉だと思いました。

原文の描写(3巻-6) - 2008.03.23 Sun


肖像画 - 2008.03.22 Sat

7巻にはついにその描写はありませんでしたが、私は校長室にスネイプ先生の肖像画があると信じて疑いませんでした。
が、しばらくしてから、作者が質問に答えて先生の肖像画は校長室にないかのような発言をしたことを知りました。
これは7月30日のブルームズベリー社のライブチャットでローリングさんが答えています
上のほうからローリングさんだけ数えて19番目(多分)に載っています。
質問者はLaura Tregoさんです。
死ぬ前に事実上辞職したので、これらの威厳のあるサークル(肖像画たち?)に加わることに値しなかった、みたいなことが書かれているようです。
さらに、今後肖像画が現れるのにハリーが役に立つと考えるのが好き、と言っているように見受けられました。

これを読むと、少なくともハリーが36章でダンブルドアと会話した時には、スネイプ先生の肖像画は無かったように思えます。
「自分で辞めたから肖像画が無い」って、じゃあ歴代校長はみなダンブルドアのように任期中に死んだのか?アンブリッジはともかく、人知れず生徒達を護っていたスネイプ先生は、結局ホグワーツの歴史上、正式な校長とは認められないのか?と考えるととても悔しかったです。
だって、あの状況で先生が辞めたのなら、それは面倒になって放棄したからとか、肖像画に加わるのが嫌だからとか、自分の利益になるからとは思えないです。
考えがあって、最良の選択をしたからだと私は思うのです。

でも、19年後にもなかったのかどうかは、よくわかりません。
ローリングさんのチャットでの発言はあくまで36章でのことで、いずれハリーの尽力で肖像画が校長室にかかるというなら、19年後には加わっていたのか。
19年後も入れて7巻終了時の話で、ハリーが尽力するのはさらに未来なのか。
この辺がよくわからないです。
海外のファンサイトでは既に肖像画が校長室にあるかのように書かれているようです。いったいどうなっているんでしょう?
チャットでの回答はどう解釈されたのだかわかりません。

7巻を読み終わったとき、肖像画の中のスネイプ先生が、自分と同じ名前を持つハリーの息子の入学をどんな顔で迎えるのだろうかと色々想像しました。
19年後にはあったと思いたいです。
ああ、それにしても「abandoned his post 」なんて、何で言ったんでしょう!
何度も言いますが、それは作品中で教えて欲しかったです。

合唱 - 2008.03.18 Tue

表の日記でも書きましたが、今日は息子の合唱祭がありました。
先生方の合唱は、アニメの曲以外にもう1曲、コブクロの『蕾』がありました。
笑いを取った前2曲に比べ、こちらはじっくり聴かせるつもりのようです。
しばらくすると、生徒達の手拍子が聞こえ始めました。腕を頭上で波のように揺らすグループもあちこちで見られました。
私は会場の一体感に感動してしまい、涙が出てきました。
先生方も生徒達に愛されているんだなあ、と思ったら急によその学校の先生を思い出し、今度は別な涙が出ました(汗)

あんな風に生徒達の前で教職員が歌う場面などなかったかもしれませんが、そんな場面があったとしたら、とついつい想像していました。
渋々ではあってもやっぱり一緒に歌ったかなとか、指揮など見ずに歌ったかなとか、歌うように呪文を唱える先生のことだからきっと良い声に違いないとか。
生徒達も先生の歌声に耳を傾け、拍子を取ったりする姿が見られたらいいなとか。
でも、結局ホグワーツ追い出されちゃったよ、他の先生方に!とか。
自分でも辞職しちゃって、校長室には肖像画すらないよ!とか。

とりとめもなく - 2008.03.17 Mon

昨日書いた内容、ミスというか、不確定な要素があったことに後で気付きました。
私、7月まで今の職場にいるかどうか決まっていませんでした!
いい加減、身の振り方を決めないといけないなあ。

スネイプ先生を想わない日は、一日だってありませんが、その想い方は日によって違います。
ものすごく積極的に語りたい日と、黙って本を読んでいたい日と、色々調べたくなる日と、ファンアートを見たくなる日と。
コレは周期をもってやってくるのでしょうか?

少し前までは、7巻のスネイプ先生を直視できない数日がありました。
そういう日は、原書からの引用をこつこつ進めます。
無心で、機械的に拾っては並べ、7巻に関係ないコメントを付けていきます。

昨日と一昨日はひたすらファンアートを見たい日でした。
以前もそんなことありました。
わざと自分の胸を抉るような悲しい場面ばかり見ました。
血まみれのスネイプ先生を見ては涙ぐんでいました。

今日は、色々考えたい日でした。
電車の中でも色々考えていましたが、うっかりすると何を考えていたか永遠に思いだせなかったりします。このまま忘れてしまうのは勿体無いと、今日はキーワードを携帯からパソコンにメールで送りました。日本語7巻発売後にでもじっくり語りたいと思います。
そう、今日は考えがまとまらない日でもあるのです。

原文の描写(3巻-5) - 2008.03.17 Mon


人々の反応 - 2008.03.16 Sun

私は職場においても、よくスネイプ先生のことを話題にします。
元からいる同僚はもちろん、患者さんとか、実習生とか、新しく入った同僚などの会ったばかりの人にも。
スネイプ先生好きな方と出会えることを期待して、まずハリー・ポッターの話題から攻め、興味のある人だとわかったら、自分はスネイプ先生が好きだと告げます。
今までほとんどの反応が「えー!?」と驚かれるものでした。
以前は、「あんなに意地悪で贔屓する先生のどこが?」と聞かれ、6巻後は「ダンブルドアを殺したのに?」と聞かれました。
その点を突かれるのが一番辛く、その行為を肯定できないことは認めつつ、それでも私の考える先生の苦しみを語ったりしたものです。
私にとってスネイプ先生がダンブルドアサイドにいるかどうかはあまり問題ではありませんでした。たとえヴォルデモート側で、本人の依頼ではなく犯した殺人だったとしても、私は私の思うところのスネイプ先生の人間性を信じていたので、愛は揺らぎませんでした。

邦訳7巻でも、明かされる真実にきっと多くの読者が胸を打たれることでしょう。
ファンにならないまでも、「えー?」と驚かれることは少なくなるのだろうな、と思っています。そして、かつて「えー?」と言った方にはぜひ、もう一度1巻から読み返して、先生を正しく理解してもらいたいと願っています。
7月以降、職場において具体的にどんな反応が得られるのかちょっと楽しみです。
それでも否定的なご意見があったら、ぜひ、討論したいものです。(職場で?)

 - 2008.03.15 Sat

スネイプ先生は亡くなる直前、その記憶をハリーに託しました。
その際、銀青色の物質が出てきたのは、口と耳と目、と描写されていました。
初めて読んだ時、あの緊迫した状況でさえ私は、鼻が含まれなかったことを訝っていました。口よりもむしろ脳に近い鼻から出てくる方が自然だと思ったのです(汗)
でも、鼻から液体とも気体ともつかないものが出てくるのは、ちょっとアレな感じもするので(どんな感じ?)その描写がないことは有難かったです。
やはりスネイプ先生の死に際は、できるだけ美しい姿で想像したかったからです。

実は鼻からも出ていたけれど、ローリングさんの配慮で書かれなかったのか、スネイプ先生が自らの意思であの思い出をコンプレックスのある鼻などから出さなかったのか。
ローリングさんの思い遣りを感じながら、もしそこに先生の意地があったとしたら、極限状態でそこまでこだわったとしたらと、つい考えて苦笑しています。
物語には直接関係ないことですけど。

7巻の場合 - 2008.03.14 Fri

7巻の名場面を選ぶことは、日本語訳が出るまで無理だと思っています。何しろ、正しく理解できているかどうかさえ覚束ないのですから。

それでもいくつか候補に挙げることくらいはできそうです。
32章の‘Look...at...me...’のところとか、33章の記憶の中のどれか一つ、リリーの手紙や写真に人知れず涙を流す場面とか、雌鹿のパトローナスを出し‘always’と言ったところとか。

今日は、そんな7巻の場面の数々を電車の中で思い浮かべながら帰宅しました。
どこも切なくて選べないと思いながら、全く無防備に最期の描写を思い出したら、息が止まるかと思いました。
本当にうっかりしていました。あの場面はなるべく思い出さないようにしていたのに。
スネイプ先生の手が床に落ち、動かなくなる場面を思い浮かべることは、今でもびっくりするくらい深々と胸を抉られる心地がします。
あの場面、日本語版で読む時に正視できるかどうか、自信がありません。

原文の描写(3巻-4) - 2008.03.13 Thu


6巻の名場面 - 2008.03.12 Wed

6巻の名場面も迷うところです。
スピナーズエンドの、ハリー視点でない描写は貴重だし、ナルシッサとのやり取りは大人の雰囲気だし(笑)、命懸けの約束などしてしまうし、目が離せません。
27章でダンブルドアに杖を向け死の呪文を唱える場面の先生の胸中を思うと、ここが一番かなとも思いますが、やっぱり28章の逃亡シーンを私は選ぶでしょうか。

数々のハリーの攻撃を未然に防ぎ、自分からは一切致命的な攻撃やダメージの大きい攻撃を仕掛けてこない先生に、7巻未読の時でさえ、ハリーを守ろうとする意思を感じたものです。
やりたくないと一度は拒んだダンブルドアの殺害を実行し、死喰い人の攻撃からハリーを守り、ハリーからは罵声を浴びせられ、最後に悲痛な叫びを残して去っていったスネイプ先生の姿はやはり強烈な印象を残しました。
いつも感情を制御していた先生も、さすがにダンブルドア殺害の後はコントロールできなかったのではないかと思うと胸が痛みます。
こうして心からも魂からも血を流し、結局最期は体からも大出血して死んでしまったスネイプ先生。どうしてこんなにも傷つかなければならないのでしょう。
悲しみと憤りに大きく心が動かされた、という意味で選びました。

5巻の名場面 - 2008.03.10 Mon

7巻を念頭に置いて名場面を挙げようと思ったら、表の日記ほど簡単ではないことがわかりました。選んだ場面をちゃんと語りたくなってきたのです。
なので、今日は5巻だけ。

28章の「最悪の記憶」の持つ意味も、今までとは大きく異なることがわかって大事なのですが、私が選んだのは24章、閉心術の初個人授業場面です。
時間をかけてじっくりハリーに説明する姿も、激しく叱咤する姿もいつもとは違う真剣さや緊張感が感じられ以前から好きでした。
でも今は何より、ハリーの心に押し入るという先生にとって辛い作業に挑んでいる、という点に胸を打たれます。ハリーが赤ちゃん時代の、リリーに抱かれた記憶など見えてしまうかもしれないのに。
実際、この日2度目の挑戦時に、ハリーはみぞの鏡に両親を見ています。先生がハリー視点で見ているのなら、自分に向かって手を振るリリーの姿も捉えたはず。
このすぐ後、「スネイプはいつもより蒼ざめ~」という描写がありますが、先生の心中を思うと胸が張り裂けそうになります。先生の心が、壊れちゃう!
それでも先生はより一層熱くハリーを指導しました。本当に頭が下がる場面です。
また、「感情を制御できず、悲しい思い出に浸り、やすやすと挑発される者どもー」も言葉の重みが違って見えます。どれほど悲しい思い出だったか知れないのに、感情を制御してヴォルデモートを欺き通したのですから。スネイプ先生、ずっとずっと頑張ってきたんだなあ、と思って胸がいっぱいになる場面です。

原文の描写(3巻-3) - 2008.03.08 Sat


名場面 - 2008.03.07 Fri

表の日記に私が選んだ各巻の名場面を書きましたが、7巻を考慮すると、少し結果が違います。ここでは感想も交えて今日は4巻まで列挙してみます。
やっぱり1つに絞るのはとっても難しいけれど。

1巻)呪いをかけられたハリーを救おうとまばたきもせず反対呪文を唱えているのに、ハーマイオニーに火をつけられる場面。
最初からハリーをずっと守ろうとしていたスネイプ先生ですが、こんな風にいつも周りからは誤解され、ひどい仕打ちを受けていたと思うと切ないです。結局最後までこんなのばっかり!

2巻)始業式に遅れたハリー達を校庭で待ち構えていた場面。
冷たい風の吹く中で、ハリーの身の安全を確認しようと待っていたと思います。
背後から声をかけて会話に滑り込むところが気が利いていて素敵です。

3巻)やっぱり担架の場面。
人の体を丁寧に扱う先生が好き。意識を取り戻して目にした光景にどんな衝撃を受けたかと思うと胸が痛みます。

4巻)ダンブルドアに「もし、準備ができているなら…もしやってくれるなら」と言われて青ざめながらも出かけていく場面。
2時間遅れでヴォルデモートの元に駆けつけたわけですが、後に「ご不興を買った」と先生も言っている通り、大きな危険を伴う任務だったはず。この時を境に常に身の危険と隣り合わせの生活を送ることになったスネイプ先生ですが、その緊張感とか覚悟が感じられます。

些細な反応 - 2008.03.06 Thu

昨日買ってきたマンガを夢中で読んでいる息子の傍らで、そのマンガを未読の娘が言いました。
「絶対ため息ついたり、息を呑んだりしないでよ。何も反応しないで読んで」
思わず口を挟む私。「息を呑んじゃだめなの?」
「だって、もしお母さんがハリー・ポッター読んでるときに息を呑んだりしたら、誰かが死んだと思うじゃない?それと同じ」

なるほど、やはりそう思うでしょうね。
読んでいる人の些細な反応に色々推測したくなる気持ちもわかります。
だからこそ、気付かれないよう、どんなに私が苦労したことか。
読み終わったと告げた日、こうも言われていました。
「お母さん明るいから、きっとスネイプ先生は生き残ったな」
「さあ、どうでしょうね?」
娘よ。7月に真実を知って大いに驚いておくれ。

翻訳者インタビュー - 2008.03.05 Wed

7巻の表紙が発表され、確かどこかで他の巻の表紙の色について松岡さんが語っていたはず、と検索していたら、私がまだ見たことのないインタビュー記事を発見しました。
その中で挙げられた、松岡さんが選ぶ各巻の名場面が興味深かったです。
7巻については内容には触れずに章の数字を示し、「心を捉えた」とありました。
それが33章でした。
ああ、33章は翻訳者の心も捉えたのだと思ったら、とても胸が熱くなりました。
そして、この章から読み始めないよう注意もしています。
本当にこの章を味わうためには、1章から読まなければならないと。第1巻から全部読まなければ、その本当の重みはわからないと。
全くその通りだと思いました。
1巻から何度も読んだからこそわかる33章の重みなのだと思ったら、ますます泣けてきます。
どうか、日本語版の読者の心も捉えるような33章の翻訳をお願いしたいです。
1巻からの重みを感じさせる、心に沁みる美しい訳を。
それを読んで、今度こそ誰に気兼ねすることなく大声で泣きたいです。

松岡さんのインタビュー記事はこちら

7巻の絵 - 2008.03.04 Tue

7巻表紙が発表されましたね。
オレンジ色の空がなんだかムンクの「叫び」のようで、不安な気分になりました。
動物はセストラルでしょうか。とすると、7人のポッターの場面でしょうか。
手前に見えるのがシリウスのバイクに乗ったハグリッド??
サイドカーは見えませんが。
もしかして奥のほうに描かれている黒い細い線のようなものは、遠くのデスイーターたちの箒でしょうか?それとも鳥?
デスイーターたちなら、中にはスネイプ先生も描かれているのでしょうか。

スネイプ先生の絵といえば、今までも何度か扉絵に描かれました。
禁じられた森に走るフードをかぶった後ろ姿とか、隻眼の魔女像の前でハリーを叱る姿とか、唇を細い指でなぞる姿とか、ナルシッサに縋り付かれる姿とか。あと、スネイプ先生じゃないけどその姿を真似たネビルのばあちゃんの服装のボガートだとか。

7巻でもどこかにスネイプ先生の姿は描かれるでしょうか。
32章と33章の扉絵も気になりますが、読む前に内容がわかってはまずいので先生は出てこないかもしれませんね。
32章は、空中に浮かぶナギニかな、と想像しています。
33章は、やはりスネイプ先生の記憶の一場面をもってくるでしょうか。公園で遊ぶ子どもかなあ。よく見ると茂みから覗く少年の姿がわかるとか。先生の姿が描かれていたら、それがどんな場面でも泣いてしまうような気がします。

原文の描写(3巻-2) - 2008.03.03 Mon


実生活への影響 - 2008.03.02 Sun

特に予定もなく、今日の午後はのんびり過ごしています。
こんな時は、誰もいない部屋で震えながら32章を読んだあの日を思い出します。
スネイプ先生の死を知ってから、今日でちょうど丸3ヵ月です。
スネイプ先生の死は、実は私の生活に思った以上の影響を及ぼしました。

去年親しくしていた同僚たちが一斉に職場を離れましたが、そのほとんどがステップアップのために次の職場に移ったのでした。待遇面で不満はあっても人間関係は良かったので、嫌で辞めたわけではなさそうです。
私は居心地が良くて一人留まりましたが、それでも去年の秋には私も違う場所で違う経験を積みたいと考えるようになってきました。
来年度の採用試験が昨年11月末にあったので、私はその前に上司に申し出ました。
「私がいないことを念頭において来年度の採用人数を決めてください」と。
そして、求人情報も熱心に調べていました。

ところが12月2日にスネイプ先生の死を知って以来、急に気持ちが萎えてしまいました。新しいことに挑戦しようという意欲を失ってしまったのです。
意欲を失うほど辛いことはありませんでした。
新しい世界で学ぶ意欲どころか、同じ場所で働き続ける意欲も、辞める意欲すらなく毎日をだらだら過ごし、ますます自己嫌悪に陥りました。
まるでディメンターがそばにいるかのようでした。
だから、1月に結婚式で会った元同僚が何かを察してメールしてくれたのだと思います。「新しい世界に踏み出そうと、辞める申し出をしたのはいいけれど、スネイプ先生の死以来意欲を失ってしまった」とは書けませんでした。

前に進めず、後ろにも戻れず、誰にも言えず、随分一人で苦しみました。
それでも、時間が経って、最近ようやく現状を変えたい気持ちが少し出てきました。
そして先日親しかった元同僚と話しをするうちに目標も見えてきました。
どう進むかはまだ決めかねていますが、そろそろ行動に移さなくては。
なにより、意欲を失ったことをスネイプ先生のせいにするのは悔しいです。
というより、先生に恥ずかしい。
勇気を出して、先生に恥じない生活を送りたいです。

聞くばかり - 2008.03.01 Sat

ダンブルドアの死は必ず1年のうちには来るものという認識は、本人にもスネイプ先生にも(殺すかどうかはともかく)あったと思います。
それに対して、スネイプ先生の死はどの程度先だと捉えられていたのか気になります。ずっと未来、数十年先のものだと考えられていたのでしょうか。
実際はダンブルドアの約1年後にやってきましたけど。

患者さんでも有名人でもそうですが、夫婦の片方が大病を患って、もう一方が献身的な看病をしていたと思ったら、本人より先に看病していた方が突然亡くなったりすることがあります。
そんな時私は、亡くなった方は病人の我侭を聞くばかりで自分は我侭言わなかったのではないだろうか?とか、自分のことはなんでも後回しだったのではないだろうか?と思うのですが、なんかそれに似た気持ちになりました。

ダンブルドアも随分自分勝手なことを言っていたように思いますが、スネイプ先生の言い分は何一つ通らなかった気がします。
結局先に逝ったのはダンブルドアなので、上に書いた患者さんの例とは異なるけれど、その約1年後にはスネイプ先生も死んでしまったのですから、損な役回りだったと思ってしまいます。その死が予測されていたとしたら尚更、もっと大事にして欲しかった。
生きているうちにもっと我侭通して欲しかったよー、先生!

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

拍手コメントについて

拍手コメントをいただいた時は、その記事のコメント欄にお返事いたします。

プロフィール

二尋

Author:二尋
スネイプ先生への愛を語らずにはいられません。         

カテゴリー

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

スクロール式になっています

前ブログからの訪問者数

リンク

このブログをリンクに追加する

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。