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2007-07

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臆病者 - 2007.07.17 Tue

自分こそが『半純血のプリンス』だと名乗り、自分の発明した呪文を使うことは許さないと言うスネイプ先生に、ハリーは言いました。

「それなら殺せ!」
(中略)
「先生を殺したように、僕も殺せ、この臆病―」
「我輩を―」
スネイプが叫んだ。その顔が突然、異常で非人間的な形相になった。あたかも、背後で燃え盛る小屋に閉じ込められて、キャンキャン吠えている犬と同じ苦しみを味わっているような顔だった。
「―臆病者と呼ぶな!」(6巻28章p.434)

スネイプ先生のセリフ、原文では以下のようになっています。

‘DON'T-’screamed Snape, and his face was suddenly demented, inhuman, as though he was in as much pain as the yelping, howling dog stuck in the burning house behind them,‘-CALL ME COWARD!’(UK版p.564)

このinhumanという言葉、どう解釈したものだろう?と最初に原書を読んだ時思いました。「冷酷な」という意味もありますが、やはり邦訳にあるように」「非人間的な」が適当なのでしょうか。殺人を犯したことで、魂が引き裂かれた状態を表しているのだろうかとも思いました。ヴォルデモートが、魂を引き裂くたびに人間的な顔立ちを失っていったことも脳裏をかすめました。あるいは、アバダ・ケダブラ以降に先生の発した言葉のどれかが、ホークラックスとなる物に魂を閉じ込める呪文である可能性も考えましたが(この‘DON'T-’とか)、引き裂かれた魂は引き裂かれたまま、失ってしまったように思います。根拠があるわけではなく、そこまで生に固執していないと私が思っているだけです。
実際、炎の中に閉じ込められた犬と同じ苦しみを味わっているかのような顔であったようですし、苦しみのさなかにあるのだと思います。dementedは、私は「発狂した」と読みました。これ以上の苦しみの表現があるだろうか、と思いながら読みました。引き裂かれた魂が悲鳴をあげているのだと思いました。

ダンブルドアは、スネイプ先生のことを「信じておる」とずっといい続けてきました。
ハリーが何を言っても、根拠も示さずただひたすら信じていることだけを伝えたダンブルドアが、私は正直不満でした。理由を一言言って欲しかったのですが、今思うと、理由もなくただ信じていた、信じている姿を見せていた、という気もします。
リドルのことは、信じているようでも心の底では警戒していましたし、リドルもそれを知っていました。
愛されることなく育ったリドルを、自分もまた愛を持って接することができなかった悔いが、ダンブルドアのどこかにあったのではないかと思います。そこで似たような境遇のスネイプ先生については、一度闇の世界に足を踏み入れた後戻ってきた時に、悔悟の念を縷々語って聞かせたその言葉を丸ごと信じる姿勢を示そうとしたのかもしれません。疑おうと思えばいくらでも疑えるけれど、ここは信じて信じて信じきることで、愛を示したかったのではないか、そうすることでスネイプ先生を結果的には自分の側に呼び戻せるのではないかと考えたのではないか、という気がしています。だから、「信じる」理由を言えなかったのだと思います。

私は、スネイプ先生がホグワーツに戻ってきた当初は、ヴォルデモート側の人間だったと思っています。そして、ヴォルデモートが力を失い、十数年をホグワーツで過ごすうち、居場所が得られ、他人(ダンブルドア、生徒)を大事に思う気持ちも芽生えるなど徐々に気持ちも変わり、ヴォルデモート復活後は揺れる心に苦しんでいたのではないかと想像しています。

「我輩を」「臆病者と呼ぶな!」と苦しみの表情で叫んだスネイプ先生に、私は迷いを感じて仕方ありません。どちらかの側として、信念を持って行動しているなら、「臆病者」などという嘲りの言葉も聞き流すはずです。図星だからこそ、これほどまでに反応したのではないかと思うのです。
1巻で全ての先生から誤解されても自分を貫いて憎まれ役にまわったスネイプ先生は、他人にどう思われるかを気にする人ではないと思っています。自分で自分を「臆病者」だと思うからこそ、激昂したのだと思います。
ヴォルデモートへの畏れも失わないまま、ダンブルドアへの尊敬や、もしかしたら愛も感じていたかもしれないと考えています。ダンブルドアを殺すことは本人から命じられたことだとしても、やりたくなかった。やりたくないことを、「やりたくない」と言いながら、結局「やらない」と突っぱねることのできなかった自分に、スネイプ先生はヴォルデモートの影を感じていたのではないかと思っています。

6巻終了時点で、スネイプ先生はまだ迷いの中にあると私は考えています。そして、まだダンブルドアの任務も遂行中だと思います。同時に死喰い人としての役割もきっちりこなして。内心、臆病な自分を呪いながら、自分を許せないまま、スネイプ先生は7巻でも冷静に振舞うではないかと思います。そして、最も肝心な時に、ダンブルドアが信じてくれた効果を発揮するのではないかと、期待しています。
その時スネイプ先生が、自分を否定しない気持ちにあるともっと良いのですが。最終巻で、スネイプ先生の引き裂かれた魂が安らぎを見つけられるよう、願ってやみません。
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『プリンス』の正体 - 2007.07.15 Sun

死ぬほどの痛みをもたらす死喰い人の呪文から解放され、ハリーはよろめきながらスネイプ先生に近付いていきました。
ほんの2,3メートルの距離にまで。
「セクタム―」と言いかけた呪文はまたしてもかわされました。
さらに、「レビ―」と言いかけますが、再び阻止されます。
丸腰で横たわるハリーにスネイプ先生が近付いてきます。

蒼白いスネイプの顔は、ダンブルドアに呪いをかける直前と同じく、憎しみに満ち満ちていた。
「我輩の呪文を本人に対してかけるとは、ポッター、どういう神経だ?(中略)我輩こそ『半純血のプリンス』だ!我輩の発明したものを、汚らわしいおまえの父親と同じに、この我輩に向けようというのか?(後略)」(6巻28章p.434)

私はスネイプ先生が、自ら考え出した呪文を心から愛していると思っていますから、憎く思っているポッター親子に使われることに嫌悪感を覚えるということは、十分納得できます。
が、なぜ、このタイミングでスネイプ先生が自分の正体を明かしたのかがよくわかりません。
以前、セクタム・センプラを使ったハリーに開心術をかけ、既に魔法薬の本の秘密は知っていたでしょうに。あの時取り上げなかったことは、容認したのだと私は思いましたが、その時は名乗りませんでした。
ここで去り際に先生が自分の所有物だと明かしたことは、何か意味のあることではないかと思います。

取り上げなかった教科書は、必要の部屋に隠されたことまで知っていたとしても、まだハリーの管理下にあるとわかっているはずです。そこに記された呪いの数々を、スネイプ先生が考え出したものとわかった上で見直せば、新たな発見もありスネイプ先生と戦う(泣)ヒントにもなるでしょう。「ここで、はっきり敵味方に別れるが、しっかり予習しておくように」という意味もあったのではないかと都合よく考えたりしています。実際敵になったかどうかは別としても。

また、6巻を振り返ってみると、タイトルになっている『謎のプリンス』は、『上級魔法薬』の本に非常に価値のある書き込みをしていた、というだけで、メインの話の流れからは少し遠いところにありました。
その書き込みのおかげでハリーはスラグホーンに可愛がられ、必要な情報を手に入れましたが、多分魔法薬の出来の良し悪しに関係なくお気に入りにはなったのではないかと思います。
本がハリーに与えた影響は、書き込みによって授業で高い評価を得られたことより、独創的な数々の呪文や魔法薬の製造方法を書き残した前の所有者『半純血のプリンス』自身を、ハリーが信頼していくことにあったのではないかと思います。
ハリーがプリンスの正体を知ったことで、プリンスに対する思いは変わってしまいました。というより、プリンスに心酔していった自分を責めるようになっています。でも、少なくともプリンスにどういう思いを抱いていたか、ハリーは自覚しています。

ダンブルドアがスネイプに対して許しがたいほどの信頼を置いていたということが、どうしても頭から振り払えない…しかし、ハリー自身が同じような思い込みをしていたことを(中略)思いださせてくれた…走り書きの呪文がだんだん悪意のこもったものになってきていたのに、ハリーは、あんなに自分を助けてくれた、あれほど賢い男の子が悪人のはずはないと、頑なにそう考えていた。(6巻30章p.484)

この思いは、実は正しいのではないかと思っています。私は、このプリンスに対する信頼を、いつかハリーが思い出すのではないかと期待しています。ハリーは今の時点では気付きませんが、後にダンブルドアが信頼した理由がわかり、何の先入観もなくイメージした『半純血のプリンス』そのままのスネイプ先生を感じる時が来るのではないかと思うのです。
そのためには、プリンス=スネイプ先生だとハリーが知る必要もあったのだと思います。

吠えるような声 - 2007.07.12 Thu

ハリーの繰り出す呪文を阻止しながら、スネイプ先生は背後にいる巨大な死喰い人に「さあ、行くぞ!」「もう行く時間だ。魔法省が現れぬうちに―」(6巻28章p.432)と促しています。

ドラコが校門を出たと思われる時間を考慮して言ったのではないかと思います。しかし、この状態で背中を向けてしまっては、スネイプ先生はまだハリーに攻撃される恐れがあります。先生、この後どうやってこの場を去るつもりだったのか気になります。
が、ともかく、死ぬほどの痛みに襲われ、ハリーの足は止まりました。
特に記述はありませんが、ハリーがこの苦しみで死ぬ、とか気が狂うまで拷問される、と思っているところを見ると、『クルーシオ(磔の呪い)』をかけられたのだと思われます。

「『やめろ!』スネイプの吠えるような声がして、痛みは(中略)突然消えた。」(6巻28章p.432)
ハリーはスネイプ先生による呪いだと思っていたようですが、死喰い人によるものでした。
スネイプ先生の「やめろ!」という声が「吠えるような」というところに、先生の余裕の無さを感じます。先生は無言で相手を黙らせるオーラを持つ人です。20メートル離れたハリーならともかく、背後にいる死喰い人には、吠える必要などないでしょうに、先生はここで大声を出しました。
しかも、それまで用いられた「叫ぶ(shout)」ではなく「吠える(roar)」となっています。
なりふり構わない切羽詰った印象で、やはりハリーを守ろうとしたのではないか、と思いたくなります。

「命令を忘れたのか?ポッターは、闇の帝王のものだ―手出しをするな!」(6巻28章p.432)
これはまた、非常に死喰い人側として当然の発言に見えます。そんな命令があったのなら、手出ししてはいけないでしょう。でも、クルーシオですぐに死ぬわけではないし、以前、強力な魔力の持ち主であるヴォルデモートにクルーシオをかけられた時ですら、ハリーは正気を失いませんでした。スネイプ先生がハリーに対して『闇の帝王のもの』程度の認識しかないのなら、ちょっとの足止めにクルーシオを先生自ら利用しようと考えても不思議ではない状況にある気がします。それなのに必死の大声で死喰い人の行動を阻止するスネイプ先生は、ハリーに苦痛を与えたくないようにしか思えません。
もしそうだとしたら、3人の死喰い人に何の疑問も持たせない言い方は、本当に上手いと思います。そして、2章のベラトリックスとの会話も、同様な言い逃れと考えていいように思います。
瞬時に相手を納得させる言い方のできる、スネイプ先生の頭の良さに惚れ惚れすると同時に、常に言葉を選び慎重に行動している先生の緊張しきった姿を思い、胸が痛みます。

最後の指導 - 2007.07.08 Sun

スネイプ先生に向かって、クルーシオの呪文を言いかけたハリーに、先生は言います。
「おまえにはそんな度胸はない。というより能力が―」(6巻28章p.431)
また、ハリーが次々唱える呪文を未然に防ぎ、こうも言いました。
「また防がれたな。ポッター、おまえが口を閉じ、心を閉じることを学ばぬうちは、何度やっても同じことだ」(6巻28章p.432)

この緊迫した場面で、先生はやっぱり「先生」だと思わずにはいられません。
スネイプ先生は最初の登場場面から、ずっとハリー視点で、嫌悪感に満ちた表現でもって描写されてきましたが、読み返してみれば、常に物を教える態度は一貫して「先生」らしかったと思います。入学間もない幼いハリーに対する理不尽な態度は大人げないのですが(汗)
ハリーが授業をまともに聞いていないだけで、先生はいつだって重要なことをきちっと教えていました。
最初の授業からベゾアールの話をしたり、ポリジュースの存在を2年生の授業で話したり、人狼のヒントを与えたり、個人授業で閉心術を教えたり、6年生になってからは無言呪文を教えたり。
最後に与えたこの言葉も、ヴォルデモート対策として、最重要課題であると伝えたかったのだと思います。そもそも、6年生に無言呪文を教えたのだって、ハリーの教育が目的だったと私は考えています。それなのに、先生が教えた10ヶ月ほどの期間にハリーはそれを習得していませんでした。無言呪文も閉心術も、対ヴォルデモート戦で必要不可欠であるのに、それができていないハリーに、最後に課題を与えていったのではないかと思います。
また、以前こちらの記事でも書きましたが、許されざる呪文を使う能力が今のハリーは十分でない、ということも教えたかったのだと思います。ヴォルデモートに打ち勝つには、ヴォルデモートの持たない力=愛だけでは不十分で、同時に相手に大きなダメージを与えられる憎しみも必要だと教えたかったように思います。そして、ハリーの中にその憎しみを培うことこそが、スネイプ先生に与えられた役割だったのではないかと私は今も思っています。

ドラコと一緒に走っていたスネイプ先生が、ドラコを先に走らせ振り向いたこの場面、もしかしてハリーに一言指導するために残ったのかな、という淡い期待もありましたが、読み返してみると、ハリーの放ったステューピファイの呪文が先生の頭上を通りすぎていった直後にドラコを逃がし振り返っています。当たれば動けなくなりますから、やはりここでハリーの足を止めなければ、と考えた方が自然でしょうか。
ちなみに、この時の二人の距離は約20メートル(20ヤード=18メートル強;1ヤード=0.9144メートル)でした。20メートルの距離を実感するのは、なかなか難しいです。私の場合、訓練室に10メートルのラインが引かれていますから、その倍ということで想像します。以前習っていた水泳教室のプールは、20メートルだったので、そこからイメージすることもできます。ちょっと遠いと思いました。

指導するために振り返ったわけではないにしても、最後に向き合ったこの瞬間に、大事な一言を残した先生は、やはり熱心な指導者で、ハリーを勝利に導く、要となる人物に違いないと思います。

スネイプ先生とジェームズ - 2007.07.01 Sun

ドラコと共に逃走するスネイプ先生と、二人を追うハリー。
どちらの側からも味方だと思われているスネイプ先生は、攻撃を受けることなく、無傷のまま通り過ぎていきました。ハリーも懸命に追いますが、たびたび死喰い人の妨害が入り、追いつけません。
校庭に出て、もう少しで校門、というところで、スネイプ先生はドラコを先に走らせ、ハリーと対峙しました。

ハリーが次々に繰り出す呪いを、スネイプ先生はことごとくかわします。全て呪いを最後まで言い切らないうちに。煩わしげにわずかに腕を動かすだけでハリーの呪いをかわしたり、薄ら笑いを浮かべる先生には、この時はまだ随分と余裕が感じられます。「戦え、臆病者―」と言われた時もまだ多少余裕がありましたが、「臆病者」にはきっちり反応しています。
「臆病者?ポッター、我輩をそう呼んだか?」
「おまえの父親は、四対一でなければ、決して我輩を攻撃しなかったものだ。そういう父親を、いったいどう呼ぶのかね?」(6巻28章p.431~432)

今までスネイプ先生のことを色々考えてきた中で、最も自分の考えがはっきりしなかった部分が、スネイプ先生とジェームズの関係です。どうにもジェームズの人物像が定まらないので、極力触れずにきました。が、スネイプ先生がホグワーツを去る直前のもっとも緊迫したこの場面で、自らジェームズを引き合いに出し、憎しみを露にしています。
これほど現在のスネイプ先生に影響を及ぼしているジェームズについて、そろそろ本気で考えないとスネイプ先生のこともよくわからないままになりそうです。


「ジェームズとスネイプは、最初に目を合わせた瞬間からお互いに憎み合っていた。そういうこともあるというのは、君にもわかるね?」(5巻29章p.390)では納得できません。ジェームズとスネイプ先生は、お互いの何が嫌いだったのでしょう?

「スネイプはいつも闇の魔術に魅せられていて」「スネイプは学校に入ったとき、もう七年生の大半の生徒より多くの『呪い』を知っていた」(4巻27章p.264)とシリウスが言っています。
また、シリウスは「ジェームズは(中略)どんなときも闇の魔術を憎んでいた」(5巻29章p.390)とも言っています。
入学早々、闇の魔術に魅せられているということを隠しもしなかったセブルス少年は、闇の魔術を無条件で憎むジェームズに嫌われたということでしょうか。どんなときも闇の魔術を憎むジェームズにもそれなりの理由があったのかもしれませんが。
私のイメージのジェームズは、それほど深く物を考えている人ではありません。優しい両親の愛をたっぷり受け、素直で無邪気で世間知らずで、両親の説く闇の魔術の弊害を頭から信じていて、さほど努力しないでも授業は理解できるほど頭はよいけれど、人の痛みはわからない人。
多分、学生時代にはセストラルも見えず、目に見える世界を謳歌していた人。無垢で残酷で危険なものを面白がる、言ってみれば最も少年らしい人。動物的に、無意識のうちに序列が決まり、弱いものを見下す人。今時の幸せな家庭に育つ、良くも悪くも普通の少年のイメージです。
普通の少年も、年を重ねるに従って、人の死に直面したり、挫折したり、色々な経験を積んで、大人になっていきます。ジェームズも、そんな風に大人になっていく中で、リリーと付き合い始めたのではないかと思います。付き合い始めたのが7年生だったということは、暴れ柳事件より後だと思われますから(暴れ柳事件時、シリウスは16歳)、悪戯も一歩間違えば同級生が死ぬかもしれない危険性を持っていることや、危うく友人に殺人をさせてしまうところだったと気づいたことによって、一歩大人に近づいたのではないかと思っています。
そして、結婚し人の親となって、またジェームズは一つ大人になったのだと思います。子どもを護ろうとして命を懸けたジェームズやリリーの反応は、人の親である私にとっても十分理解できる範疇にあります。
そんな、言ってみれば普通の人代表、のように私はジェームズを捉えています。
少年時代においてジェームズがセブルスを憎んでいたのは、たいして深い意味もなく、闇の魔術に魅入られた異質な者を排除しようとしていたからではないかという気がします。そこにどんな事情があったかなど思い至らないほど幼かったのではないか、という気がします。

一方、セブルス少年がジェームズを嫌う理由もよくわかりません。「ジェームズは、スネイプがなりたいと思っているものをすべて備えていた」(5巻29章p.390)というのも疑わしいです。
考えてみれば、私のセブルス少年に対するイメージもまた曖昧です。
まわりとの関係が希薄で、子どもっぽい同級生達には目もくれず、自分の興味ある闇の魔術や魔法薬学の研究開発にのめり込んでいたようなイメージがある一方、ジェームズたちとは憎しみながらも積極的に関わっていたようにも見えます。セブルス少年は、他人に対する関心もあったということでしょうか。以前書いたような、集団に帰属したいという所属愛の欲求や、集団の中で認められたいという自我の欲求があったということでしょうか。だとすると、「スネイプがなりたいと思っているものすべて」という発言通り、集団の中で認められるジェームズやシリウスを妬ましく思っていたということも頷けます。
本当は、四対一でしか攻撃できないような臆病な男が、あたかもヒーローのように、華々しく生活する様子が見るに耐えなかったのでしょうか。それは裏返せば、やはり自分もそうありたい気持ちの表れのようにも見えます。全くマイペースで自分の世界だけを好むのなら、他人がどんな傲慢な態度であっても気にならない気がします。本当は人と関わりたいけれどうまく関われない自分への憤りを、ジェームズへの憎しみにすり替えていたのでしょうか。
セブルス少年が、本当は何がしたかったのか、よくわかりません。
闇の魔術や魔法薬への興味も、単なる知的好奇心では済まされないものがあるような気がしています。


この場面では、臆病だと思うジェームズと同等の言い方をされて憤っているように見えますが、後に叫ぶ「臆病者」ではどうなのか。
「臆病者」に込められた意味については、もう少し考えたいと思います。

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