スネイプ先生に開心術!!
スネイプ先生についてあれこれ思ったことを綴ります。「ハリーポッター」7巻のネタばれあり。未読の方はご注意ください。
誰の視点
2007年01月24日 (水) 22:58 | 編集
先日いただいたコメントは、なかなか興味深いものでした。
スネイプ先生が、死の呪文を唱える前に見せた表情は、本当に憎しみの表情だったのか、というものでした。
原作では「その非情な顔の皺に、嫌悪と憎しみが刻まれていた」(6巻27章p.422)となっていますが、それを見たのは、ハリーではないか、ハリー視点なら、ハリーの気持ちが含まれているのではないか、というものでした。
ハリー視点なら、間違いなくその通りだと思います。ハリーには憎しみに思えたというだけで。
では、ハリー視点だったのかどうか、ということについて考えてみました。

改めて見直してみると、この場面に限らず、誰かの表情について語られることはしばしばありますが、今まで、ハリー視点なのかどうかについてはあまり意識していませんでした。言われてみれば、全てハリーの目を通した言葉になっているように見えます。
よく登場する「上唇が捲れ上がる」という言葉は、見たままの状態なので、ハリーが見ていようとあまり関係ないのですが、「意地悪なせせら笑いを浮かべている」となると、ハリーの主観が入ってきているように思います。
要は、「意地悪な」「嫌悪の」「憎しみの」「怒りの」などの感情を表す言葉で誰かの表情を語るとき、それは誰がその感情を汲み取っているか、ということだと思います。

ハリーのいる場面では、全てハリーの主観でしょうか。
「ハリーとロンはお互い気まずそうに目を見合わせた」(3巻14章p.356)というのは、ハリーの視点でも、ロンの視点でもないと思います。では、客観的な作者視点なのかというと、ここにはハグリッドが存在しているので、二人を見ているハグリッド視点とも考えられます。
ハリーのいない場面を探してみました。1巻の冒頭と、4巻1章、6巻1,2章は、ハリーがいない状態で第三者が描かれています。
ところが、その第三者の様子について書かれる時、例えば「スネイプは意に介するふうもなく、むしろおもしろがっているように見えた」(6巻2章p.39)は、そこにハリーはいないものの、ナルシッサとベラトリックスがるため、作者視点とは限りません。同様に「奥さんはビクッとして怒った顔をした」(1巻1章p.13)というのもダーズリー氏が見ています。
「おもしろがっている」「怒った」などは、その場にいる人が相手の表情から読み取った感情だということでしょうか。

それなら、誰もいない、全く一人の状態の時はどうでしょう。1巻のダーズリー氏や、4巻のマグルのフランク、6巻のマグルの首相など、ごくわずかの人物が、たった一人でいる場面がありますが、そこには、感情を示す言葉で修飾された表情はありませんでした!

こうなると、27章のアバダ・ケダブラ前の「嫌悪と憎しみ」の表情もハリーの見たものであり、憎しみであるかどうか、根底から覆される可能性はあるかと思いました。
が、今まで、スネイプ先生の表情についてハリーの目から見て書かれたものを、全て疑っていると、何がなんだかわからなくなると思います。
また、登場人物の主観抜きでは、表情は語れないのか、なんとか探してみたところ、こんな記述がありました。
「二人の背後でピシャリとドアを閉めながら、唇の薄いスネイプの口元に嘲るような笑いが浮かんだ」(6巻2章p.36)
これは、ナルシッサたちの背後での表情なので、スネイプ先生の表情を見ている第三者は存在せず、作者視点なのではないかと思われます。「嘲るような」と感じる登場人物のないままに書かれたこの表情の描き方は、他の場面とも変わらず、案外こんな作者視点の表情が混在していることを窺わせます。

そこで、「辛辣で不機嫌な表情に見えた」(4巻37章p.553)「あたかも(中略)キャンキャン吠えている犬と同じ苦しみを味わっているような顔だった」(6巻28章p.434)などのように「〜に見えた」「〜のような」という表現を純粋なハリーの主観入りと捉えつつ、27章の「嫌悪と憎しみ」など非常に重要な場面などは、その感情については色々な可能性について慎重に考えた方がいいかもしれないと思いました。

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