2007年01月09日 (火) 00:00 | 編集
今日はスネイプ先生の誕生日です。
1月9日は、イギリスでも最も寒い頃ではないかと思います。
スネイプ先生が生まれたのは、あのスピナーズ・エンドでしょうか。生まれたばかりのセブルスは、凍えることなく、育ったのですね。
スピナーズ・エンドの場所について推測することは、日本人である私にとっては、とても難しいことです。わかっているのは、そばに汚い川が流れていること、製糸工場の跡があること、同じような家が建ち並ぶ住宅地であること。
ところで、邦訳では「製糸工場」となっていますが、原文では‘mill’となっています。実は何の工場なのかは示されていなかったのですね。
Spinner's(スピナーズ-紡績工)から「製糸工場」としたのでしょうか。millは工場、製作所、製粉所の他に、水車場の意味もあります。
マグルの掃き溜めという表現からは、マグルの工場労働者が住む街を連想します。スピナーズという名称から、紡績工場に勤める労働者の住宅だったのではないかと思われます。
「イギリスの方が、ウェストヨークシャーのどこかの街ではないか、と推測された」というメールをいただいたことはありますが、私には、その根拠がよくわかりません。ウェストヨークシャーには、羊毛工業の盛んだった地がいくつかあるようです。産業革命のきっかけとなった綿工業の街はどうなのでしょう。調べてみました。
イギリスの産業革命は、さまざまな分野で起こったのですが、変革の最も急激だったのが、織物工業でした。そのきっかけとして有名なのは、1733年にジョン・ケイが飛び杼(ひ)を発明したことでした。機織(はたおり)の速度が上がったために綿糸不足になったことから、綿糸を作る紡績の技術開発が望まれました。結果、幾つかの紡績機が複数の人によって発明され、飛躍的に綿糸を生産できるようになりました。その後、さらに織機の開発もあり、綿織物の増産ができるようになったというわけです。
注目すべきは、発明された紡績機ではないかと思っています。
まずは、ハーグリーブズがジェニー紡績機、次にアークライトが水力紡績機を発明しています。
ジェニー紡績機は手動で、小型だったので、家内制工業に適していましたが、アークライトの紡績機はその動力に水車による水力が使われていたため、初めから工場で行われました。
アークライトは1771年、ダービーシャーのクロムフォードに水力紡績機を並べた工場を作り生産を開始、その後同じくダービーシャーのベルパーや、ミルファド、ランカシャーのチョーリーにも工場が設立されました。その後、チェシャー、ノッティンガムシャー(図の14の場所)、ヨークシャー、北ウェールズの農村地域で多くの工場が建ったということです。
さらに、二つの紡績機の長所を組み合わせて、クロンプトンがミュール紡績機を発明していますが、これは蒸気力が用いられています。
学校で習うのは、「綿工業はマンチェスター」、が一般的かもしれませんが、マンチェスターでは蒸気機関を用いた紡績機が使われました。
蒸気機関が使われる以前、川の水力を利用した紡績工場というものは確かにイギリスに存在したようです。この産業革命の初期に水力紡績機をおいた工場の設立された街のいくつかが、その後も紡績の街として20世紀半ば以降まで続いたのではないかと思いました。
産業革命以前からの羊毛工業の街より、産業革命で急に開けた綿工業街の方が、より俗っぽいマグルの街、という感じはします。水力紡績機の工場は結構各地に作られたようですし、スネイプ先生の生まれた1960年代にもある程度は労働者がいて、その後衰退した街、川が汚いとなると、やはり実在するどこかがモデルになっているのかどうかさえ、日本人の私には見当もつきません。が、そんな視点でイギリスの街を見るのは楽しいです。
ダービーシャーなど、初期に水力紡績機を置いた工場を建てた地は有力候補なのではないかと思います。
ところで、その一つが世界遺産として登録されています。
『世界遺産の旅』というサイトでスライドショーを見ることができるダービーシャーの「ダーウェント渓谷の工場群」です。
川沿いのレンガの町並みは、スピナーズ・エンドを連想させないでしょうか。
同じく、世界遺産に登録されているスコットランドの「ニュー・ラナーク」『同サイト』では、紡績工場と住宅地を見ることができます。こちらでは、1930年代まで水車動力を使った紡績を行っていたようです。
さらに、ヨークシャーの「ソルテア」『同サイト』も世界遺産に登録されています。ここは、紡績ではなく織物の街ですが、労働者の住宅が整然と建ち並ぶ様子に、スピナーズ・エンドを連想しました。
ちなみに、このソルテアから、十数キロ離れたところにある、リーズという街は、羊毛織物の盛んだった街ですが、ウェストヨークシャーにあります。(多分、ソルテアも)
実は、こんなことを調べたのは、ウェストヨークシャーのどこかの街であっても、ダービーシャーであっても、その1月の平均最低気温を調べる事によって、新生児セブルスの置かれた過酷な環境を綴れると踏んだからでした。ところが、イギリスはメキシコ湾流という暖流のため、緯度の割には、思ったほど冬の気温が下がらないようです。東京と大差ないかもしれません。ウェストヨークシャーのリーズの平均最低気温、1月は2度ですね。
でも、貧しそうな労働者のレンガ造りの家で、外が0度近ければ、やはり家の中も暖房なしでは寒すぎます。十分な暖房はあったのかどうかはわかりませんが、まだ自分でしっかり体温調節のできない、赤ちゃんセブルスの命を守るような温度は、保たれていたのは確かですよね。それこそ、羊毛の毛布やら、綿のキルティングのおくるみやらに、何重にも包まれて。
やっぱり、そこに愛はあったと思います。
1月10日追記
ジョン・ケイが飛び杼を発明した年を間違えて書いてしまい、後に訂正しました。1733年が正しく、1773年は間違いです。
地名からのリンクは、州の名は日本語、都市名からは英語となっています。
1月15日追記
ニューラナークの紡績工場は、水力紡績機を発明したアークライトも最初の二年間は共同経営者だったようです。その後、経営者は変わっていきますが、後の経営者が家族用住宅を建築しています。
このニューラナークは、1968年に工場が閉鎖されています。スネイプ先生が8歳の頃に相当するでしょうか。このスコットランドのニューラナークもどんなところか見てみたいものです。
11月24日追記
3/23にベルパーとクロムフォード、7/20にニューラナークに行きました。
その時の様子は、日記の旅行記でご覧になれます。
<参考>
「産業革命」T.Sアシュトン、訳)中川敬一郎:岩波書店
「イギリス産業革命史の旅」剣持一巳:日本評論社
産業革命(ウィキペディア)
世界遺産の旅
イギリスの気温と降水量
1月9日は、イギリスでも最も寒い頃ではないかと思います。
スネイプ先生が生まれたのは、あのスピナーズ・エンドでしょうか。生まれたばかりのセブルスは、凍えることなく、育ったのですね。
スピナーズ・エンドの場所について推測することは、日本人である私にとっては、とても難しいことです。わかっているのは、そばに汚い川が流れていること、製糸工場の跡があること、同じような家が建ち並ぶ住宅地であること。
ところで、邦訳では「製糸工場」となっていますが、原文では‘mill’となっています。実は何の工場なのかは示されていなかったのですね。
Spinner's(スピナーズ-紡績工)から「製糸工場」としたのでしょうか。millは工場、製作所、製粉所の他に、水車場の意味もあります。
マグルの掃き溜めという表現からは、マグルの工場労働者が住む街を連想します。スピナーズという名称から、紡績工場に勤める労働者の住宅だったのではないかと思われます。
「イギリスの方が、ウェストヨークシャーのどこかの街ではないか、と推測された」というメールをいただいたことはありますが、私には、その根拠がよくわかりません。ウェストヨークシャーには、羊毛工業の盛んだった地がいくつかあるようです。産業革命のきっかけとなった綿工業の街はどうなのでしょう。調べてみました。
イギリスの産業革命は、さまざまな分野で起こったのですが、変革の最も急激だったのが、織物工業でした。そのきっかけとして有名なのは、1733年にジョン・ケイが飛び杼(ひ)を発明したことでした。機織(はたおり)の速度が上がったために綿糸不足になったことから、綿糸を作る紡績の技術開発が望まれました。結果、幾つかの紡績機が複数の人によって発明され、飛躍的に綿糸を生産できるようになりました。その後、さらに織機の開発もあり、綿織物の増産ができるようになったというわけです。
注目すべきは、発明された紡績機ではないかと思っています。
まずは、ハーグリーブズがジェニー紡績機、次にアークライトが水力紡績機を発明しています。
ジェニー紡績機は手動で、小型だったので、家内制工業に適していましたが、アークライトの紡績機はその動力に水車による水力が使われていたため、初めから工場で行われました。
アークライトは1771年、ダービーシャーのクロムフォードに水力紡績機を並べた工場を作り生産を開始、その後同じくダービーシャーのベルパーや、ミルファド、ランカシャーのチョーリーにも工場が設立されました。その後、チェシャー、ノッティンガムシャー(図の14の場所)、ヨークシャー、北ウェールズの農村地域で多くの工場が建ったということです。
さらに、二つの紡績機の長所を組み合わせて、クロンプトンがミュール紡績機を発明していますが、これは蒸気力が用いられています。
学校で習うのは、「綿工業はマンチェスター」、が一般的かもしれませんが、マンチェスターでは蒸気機関を用いた紡績機が使われました。
蒸気機関が使われる以前、川の水力を利用した紡績工場というものは確かにイギリスに存在したようです。この産業革命の初期に水力紡績機をおいた工場の設立された街のいくつかが、その後も紡績の街として20世紀半ば以降まで続いたのではないかと思いました。
産業革命以前からの羊毛工業の街より、産業革命で急に開けた綿工業街の方が、より俗っぽいマグルの街、という感じはします。水力紡績機の工場は結構各地に作られたようですし、スネイプ先生の生まれた1960年代にもある程度は労働者がいて、その後衰退した街、川が汚いとなると、やはり実在するどこかがモデルになっているのかどうかさえ、日本人の私には見当もつきません。が、そんな視点でイギリスの街を見るのは楽しいです。
ダービーシャーなど、初期に水力紡績機を置いた工場を建てた地は有力候補なのではないかと思います。
ところで、その一つが世界遺産として登録されています。
『世界遺産の旅』というサイトでスライドショーを見ることができるダービーシャーの「ダーウェント渓谷の工場群」です。
川沿いのレンガの町並みは、スピナーズ・エンドを連想させないでしょうか。
同じく、世界遺産に登録されているスコットランドの「ニュー・ラナーク」『同サイト』では、紡績工場と住宅地を見ることができます。こちらでは、1930年代まで水車動力を使った紡績を行っていたようです。
さらに、ヨークシャーの「ソルテア」『同サイト』も世界遺産に登録されています。ここは、紡績ではなく織物の街ですが、労働者の住宅が整然と建ち並ぶ様子に、スピナーズ・エンドを連想しました。
ちなみに、このソルテアから、十数キロ離れたところにある、リーズという街は、羊毛織物の盛んだった街ですが、ウェストヨークシャーにあります。(多分、ソルテアも)
実は、こんなことを調べたのは、ウェストヨークシャーのどこかの街であっても、ダービーシャーであっても、その1月の平均最低気温を調べる事によって、新生児セブルスの置かれた過酷な環境を綴れると踏んだからでした。ところが、イギリスはメキシコ湾流という暖流のため、緯度の割には、思ったほど冬の気温が下がらないようです。東京と大差ないかもしれません。ウェストヨークシャーのリーズの平均最低気温、1月は2度ですね。
でも、貧しそうな労働者のレンガ造りの家で、外が0度近ければ、やはり家の中も暖房なしでは寒すぎます。十分な暖房はあったのかどうかはわかりませんが、まだ自分でしっかり体温調節のできない、赤ちゃんセブルスの命を守るような温度は、保たれていたのは確かですよね。それこそ、羊毛の毛布やら、綿のキルティングのおくるみやらに、何重にも包まれて。
やっぱり、そこに愛はあったと思います。
1月10日追記
ジョン・ケイが飛び杼を発明した年を間違えて書いてしまい、後に訂正しました。1733年が正しく、1773年は間違いです。
地名からのリンクは、州の名は日本語、都市名からは英語となっています。
1月15日追記
ニューラナークの紡績工場は、水力紡績機を発明したアークライトも最初の二年間は共同経営者だったようです。その後、経営者は変わっていきますが、後の経営者が家族用住宅を建築しています。
このニューラナークは、1968年に工場が閉鎖されています。スネイプ先生が8歳の頃に相当するでしょうか。このスコットランドのニューラナークもどんなところか見てみたいものです。
11月24日追記
3/23にベルパーとクロムフォード、7/20にニューラナークに行きました。
その時の様子は、日記の旅行記でご覧になれます。
<参考>
「産業革命」T.Sアシュトン、訳)中川敬一郎:岩波書店
「イギリス産業革命史の旅」剣持一巳:日本評論社
産業革命(ウィキペディア)
世界遺産の旅
イギリスの気温と降水量

