2006年09月18日 (月) 14:59 | 編集
無言呪文の練習をさせるスネイプ先生。「相変わらず育ちすぎたコウモリそのものの姿で、生徒が練習する間をバサーッと」(6巻9章p.272)動き回ります。
先生がはっきりコウモリに例えられたのは何度目でしょうか。
最初は1巻で、クィレル先生が「育ちすぎたこうもりみたいに飛び回ってくれた」(1巻17章p.424)と言っています。
2巻では「性悪な大コウモリを思わせるスネイプが」(2巻11章p.287)との記述があります。
他の巻ではどうだか思い出せませんが、今回またしてもコウモリと書かれていたことで、以前から気になっていたことを思い出しました。
イソップ物語のコウモリの話です。
鳥と獣が戦争をした時、コウモリはどちらにも属しませんでした。
鳥が優勢になれば自分は鳥の仲間です、と言って鳥に近寄り、また逆に獣が優勢になれば、獣の仲間として近寄ります。戦争が終わり、平和が訪れた時、その行いがバレて、どちらからも、つま弾きされてしまうという寓話です。
実際は、翼はあっても哺乳類ですから、獣の仲間なんですが。
さて、ローリングさんは、様々な神話や昔話を作品に取り入れていらっしゃいますが、このイソップ物語も考慮しているのかどうかが気になります。
確かに黒いマントやローブを翻して歩けば、コウモリのように見えますが、そもそも、いつも黒装束でいることの意味というか作者の意図は、視覚的にコウモリを印象付けるためということはないでしょうか。
例え、その衣装に喪に服す意味や闇の象徴などがあったとしても。
だとすると、スネイプ先生の位置は非常に微妙になります。
敵か味方かというのも実ははっきりしていなくて、状況を読んでは優勢な側についていただけということも考えられるということでしょうか。
以前からこのコウモリに例えられることがとても気になっていたのですが、この仮説を書くのはずっと躊躇っていました。というのは、私自身がこの可能性を否定したい思いが強かったからです。
味方でなくてもいい、ただ、先生には信念を持ってどちらか決めた方の側で動いていて欲しかったからです。状況に合わせて、二転三転する卑屈な人物であって欲しくないからです。
ヴォルデモートの勢力が盛んな時は闇の側、ヴォルデモートが凋落してからは、ダンブルドアの側、ダンブルドア亡き後は、またしてもヴォルデモート側などとは。(こう書くとそのようにも見えますが)
でも、そうは言っても、作者の意図はわかりませんから、一応可能性として書いておきます。もしかしたら、ローリングさん、何度もコウモリに例えたのは、童話のコウモリのようなずるい印象を与えるのが目的で、その目的もかなり達せられて浸透した7巻で、ズバッと読者を裏切る魂胆かもしれません。そうであって欲しいです。
もっとも、私はスネイプ先生が日和見主義だとは露ほども思わないので、コウモリらしくない結果でも、全く裏切られたとは感じませんが。
そして、イギリスにおいて、コウモリの持つイメージがどれほど卑怯なものかは、わかりませんが。
先生がはっきりコウモリに例えられたのは何度目でしょうか。
最初は1巻で、クィレル先生が「育ちすぎたこうもりみたいに飛び回ってくれた」(1巻17章p.424)と言っています。
2巻では「性悪な大コウモリを思わせるスネイプが」(2巻11章p.287)との記述があります。
他の巻ではどうだか思い出せませんが、今回またしてもコウモリと書かれていたことで、以前から気になっていたことを思い出しました。
イソップ物語のコウモリの話です。
鳥と獣が戦争をした時、コウモリはどちらにも属しませんでした。
鳥が優勢になれば自分は鳥の仲間です、と言って鳥に近寄り、また逆に獣が優勢になれば、獣の仲間として近寄ります。戦争が終わり、平和が訪れた時、その行いがバレて、どちらからも、つま弾きされてしまうという寓話です。
実際は、翼はあっても哺乳類ですから、獣の仲間なんですが。
さて、ローリングさんは、様々な神話や昔話を作品に取り入れていらっしゃいますが、このイソップ物語も考慮しているのかどうかが気になります。
確かに黒いマントやローブを翻して歩けば、コウモリのように見えますが、そもそも、いつも黒装束でいることの意味というか作者の意図は、視覚的にコウモリを印象付けるためということはないでしょうか。
例え、その衣装に喪に服す意味や闇の象徴などがあったとしても。
だとすると、スネイプ先生の位置は非常に微妙になります。
敵か味方かというのも実ははっきりしていなくて、状況を読んでは優勢な側についていただけということも考えられるということでしょうか。
以前からこのコウモリに例えられることがとても気になっていたのですが、この仮説を書くのはずっと躊躇っていました。というのは、私自身がこの可能性を否定したい思いが強かったからです。
味方でなくてもいい、ただ、先生には信念を持ってどちらか決めた方の側で動いていて欲しかったからです。状況に合わせて、二転三転する卑屈な人物であって欲しくないからです。
ヴォルデモートの勢力が盛んな時は闇の側、ヴォルデモートが凋落してからは、ダンブルドアの側、ダンブルドア亡き後は、またしてもヴォルデモート側などとは。(こう書くとそのようにも見えますが)
でも、そうは言っても、作者の意図はわかりませんから、一応可能性として書いておきます。もしかしたら、ローリングさん、何度もコウモリに例えたのは、童話のコウモリのようなずるい印象を与えるのが目的で、その目的もかなり達せられて浸透した7巻で、ズバッと読者を裏切る魂胆かもしれません。そうであって欲しいです。
もっとも、私はスネイプ先生が日和見主義だとは露ほども思わないので、コウモリらしくない結果でも、全く裏切られたとは感じませんが。
そして、イギリスにおいて、コウモリの持つイメージがどれほど卑怯なものかは、わかりませんが。

