2006年05月28日 (日) 14:16 | 編集
ハリーポッター6巻を読み終えた後のなんとも言えない虚脱感から、まだ抜け出せずにいます。
二度読み返したものの、スネイプ先生のことが、余計にわからなくなるばかりです。
今後、どの様な方向で書き進めていこうか迷います。
と、ここまで書いて、このブログの本来の目的を思い出しました。開設したときに私が書いた言葉を。「何を考えているのかイメージがつかみ難い人物」「私の中のスネイプ像をはっきりさせる目的で」
そうでした。読むほどにその真意がわからなくなるスネイプ先生のことをもっと知りたい思いから、このブログを開設したのでした。
そして、5巻まで検証したところで私の中になんとなく出来上がっていた私なりのスネイプ先生像は、どんなに冷たい言葉を放っても生徒の安全は必ず守る人、陰でひっそり主人公を助けている人、苦しみを一人抱え込んでいる人、でした。
6巻を読むと、解釈によっては上記の全てを兼ね備えているようにも思えるし、実は全く逆なのではないかとの思いもよぎるし、結局振り出しに戻ってしまったのでした。
大好きな気持ちは今も変わらないどころか、更に強くなったようです。
既に6巻を読み終わった身近な人々から「なぜ、あんなことをする人が好きなの」という、率直な疑問を投げかけられました。
でも、それは違います。「過ちを犯すような人が好き」なのではなく、「好きな人が過ちを犯してしまった」のです。
心から愛している人が、過ちを犯したからといって、嫌いになってしまえるものではありません。私も一緒に苦しみながら、地獄の底までもついていきたい心境です。
ダンブルドアのことについては、諸説ありますが、私は本当に死んでしまったと思っています。ですから、それを前提にスネイプ先生の真意を探っていこうと思います。
正直、今の時点では、味方であって欲しいけれど、敵かもしれないとも思っています。
この状態で書き始めます。語らずにはいられないからです。
今まで通り、スネイプ先生の各場面を見て、感じたことを書いていきます。
それは考察とはとても呼べないものですが、一緒に考えてくださると嬉しいです。文を読んで何か思うことがあったら、コメントをお寄せください。スネイプ先生を考える上でのヒントにさせていただきたいので。
よろしくお願いいたします。
あっそれから、もうホグワーツの先生ではありませんが、私の中ではいつまでも「先生」なので、今後も「スネイプ先生」とお呼びします。
二度読み返したものの、スネイプ先生のことが、余計にわからなくなるばかりです。
今後、どの様な方向で書き進めていこうか迷います。
と、ここまで書いて、このブログの本来の目的を思い出しました。開設したときに私が書いた言葉を。「何を考えているのかイメージがつかみ難い人物」「私の中のスネイプ像をはっきりさせる目的で」
そうでした。読むほどにその真意がわからなくなるスネイプ先生のことをもっと知りたい思いから、このブログを開設したのでした。
そして、5巻まで検証したところで私の中になんとなく出来上がっていた私なりのスネイプ先生像は、どんなに冷たい言葉を放っても生徒の安全は必ず守る人、陰でひっそり主人公を助けている人、苦しみを一人抱え込んでいる人、でした。
6巻を読むと、解釈によっては上記の全てを兼ね備えているようにも思えるし、実は全く逆なのではないかとの思いもよぎるし、結局振り出しに戻ってしまったのでした。
大好きな気持ちは今も変わらないどころか、更に強くなったようです。
既に6巻を読み終わった身近な人々から「なぜ、あんなことをする人が好きなの」という、率直な疑問を投げかけられました。
でも、それは違います。「過ちを犯すような人が好き」なのではなく、「好きな人が過ちを犯してしまった」のです。
心から愛している人が、過ちを犯したからといって、嫌いになってしまえるものではありません。私も一緒に苦しみながら、地獄の底までもついていきたい心境です。
ダンブルドアのことについては、諸説ありますが、私は本当に死んでしまったと思っています。ですから、それを前提にスネイプ先生の真意を探っていこうと思います。
正直、今の時点では、味方であって欲しいけれど、敵かもしれないとも思っています。
この状態で書き始めます。語らずにはいられないからです。
今まで通り、スネイプ先生の各場面を見て、感じたことを書いていきます。
それは考察とはとても呼べないものですが、一緒に考えてくださると嬉しいです。文を読んで何か思うことがあったら、コメントをお寄せください。スネイプ先生を考える上でのヒントにさせていただきたいので。
よろしくお願いいたします。
あっそれから、もうホグワーツの先生ではありませんが、私の中ではいつまでも「先生」なので、今後も「スネイプ先生」とお呼びします。

