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2006-04

ローブとパンツ - 2006.04.30 Sun

ペンシーブのスネイプ先生の記憶の中。
ジェームズによってセブルス少年は空中に逆さ吊りにされました。
「ローブが顔に覆い被さり、痩せこけた青白い両脚と、灰色に汚れたパンツが剥き出しになった」(5巻28章p.356)

さて、この問題の場面、多くの人の関心はローブが捲れるといきなりパンツが見える、という点と、パンツが灰色に汚れていた、という点にあると思います。
まずはローブの下になにも履いていないのか、という点ですが、この場面でジェームズ達はその点に驚いている様子はなく、見ているハリーも同様に見受けられます。特に珍しいことではないようです。
4巻のワールドカップ前のキャンプ場で、魔法省の役人が年配の男性に必死でズボンを履かせようとしている場面があります(4巻7章p.129~130)この男性、「大事なところに爽やかな風が通るのがいい」と言い張るところから、ズボンを履く文化を持たないようです。マグルの服だと言ってネグリジェを着ようとしていますから、やはりネグリジェのようなスタイルで普段から過ごしているということだと思います。
制服リストにローブの指定はあっても下に履くズボンやスカートの指定がないのは、長いワンピースのようなローブ1枚で事足りるということでしょうか。寒かったら、マントを着ろと。マグル生まれの生徒など履きたい人は履いてもよし、その習慣がなければそのままでもよしという自由があるのかもしれません。そしてそんな人はいつでも大事な所には爽やかな風が吹き抜けているのでしょうか。スネイプ先生も!
ローブを着たまま箒に乗るのでしょうから、あまりタイトなものだと跨れません。やはりゆったり余裕のある衣服なのだと思われます。そのため逆さ吊りでたちまちめくれてしまったのでしょう。

さて、パンツの方ですが、この場面のパンツは原書でunderpantsとなっています。また、リリーに「洗った方がいい」と言われた時とジェームズが脱がそうとしている時はpantsとなっています。
underpantsはズボン下と下着のパンツ、pantsはズボン(米国)と下着のパンツ(英国)の意味を持つようですから(新英和中辞典:研究社、エッセンシャル英和辞典:旺文社)やはり下着のパンツで間違いなさそうです。そして、灰色に汚れたパンツはgreying underpantsと表現されています。
厳密に言えば、「灰色になっているパンツ」ではないでしょうか??
ここは以前、コメント欄で書いたように、外側からついた汚れだと解釈したいところです。つまり内部からの汚れなら灰色ではなく、黄色系統の色になるはずだということです(力説)
つまりパンツとローブが接触することにより、ローブの黒い染料がパンツに付着してしまったということです(さらに力説)
おろしたての青いジーンズが白い下着を青く染めるように。魔法界の染料だってそんな性質がないとも言えません。
要するに、灰色が与える印象はそんなに不潔ではない、ということです(願望)

といっても、彼が洗濯を怠っているという事実は変わらないかもしれませんが(泣)
上記のようにローブはあまりタイトではなさそうです。パンツとの接触の機会だって余り無いかもしれません。毎日こまめに洗濯していれば気付かない程度の黒い染料、洗濯を怠れば蓄積していく灰色の汚れ。そんなことから、リリーは洗濯していないことを見抜き、洗濯を勧めたのかもしれません。
ところで洗濯は自分でするものなのでしょうか。
普段着のローブは3着用意するよう、また衣類には名前を書くよう1年の時のリストに指定されていました。2巻12章p.320では、洗濯物置き場からハーマイオニーがローブをくすねてきています。ローブはしもべ妖精が洗っているのではないかと思われます。クリーニングに出すように洗濯置き場に出すため、間違わないように名前を書く必要があるとか。
では下着は誰が洗っているのでしょうか。やっぱり自分なのでしょうか。
セブルス少年が自分でパンツを手洗いするとは到底思えません。スコージファイなどの呪文でしょうか。トンクスによれば家事に関する呪文なるものも存在するようだし(5巻3章p.89)
残念ですが、セブルス少年、家事呪文すら面倒なほどの無精者なのかもしれません(泣)

いじめ  - 2006.04.26 Wed

スネイプ先生の記憶の中。
OWL試験終了後、湖畔の木陰で寛ぐジェームズ達。退屈だというシリウスは、灌木の茂みの暗がりにいたセブルス少年が立ち上がるのを発見しました。
ジェームズとシリウスが立ち上がり、歩き始めたセブルスにジェームズが声を掛けます。すると攻撃を予測していたかのように素早く反応するセブルス、カバンを捨て、杖を取り出し振り上げかけたところで、ジェームズによって武装解除されてしまいました。

ここからは、いじめの詳細が綴られ、大変辛い場面です。
最初に読んだ時はまだスネイプ先生ファンではありませんでしたが、ここはひどく辛いと感じました。(多分ここでスネイプ先生への見方が変わり、柔軟な気持ちになっていたところで、後の章のスネイプ先生の陰の活躍を知り、心が動かされたのだと思います)

ジェームズ達が立ち上がった時、本を見つめた振りをしていたルーピンの様子や、攻撃を予測していたかのように素早いセブルスの行動は、このような行為が日常的に起こっていたことを想像させます。
ジェームズが武装解除、すかさずシリウスが吹き飛んだ杖に触れさせないよう妨害呪文を唱えています。見事な連携です。こうやって、いつも反撃できないようにしていたぶっていたのでしょうか。まるでゲームのように。

いじめる者の心理を考えようとすると、まるでストッパーがかかったように私の頭が働かなくなります。それは、自分自身に向き合うことを避けようとする一種の防衛機制が働いているのではないかと推測していますが、とにかく、私にはいじめる心理がわかりません。
先日見たテレビで、しかもお笑い番組で、いじめる側に問題があるという主張といじめられる側に問題があるという主張がぶつかり合っていました。その中で、「いじめっ子は会う人会う人皆いじめるのかよ」という言葉があり、はっとさせられました。やはり、いじめられる要素ってあるのだと。だからいじめて良いというのでは全くありませんが。

セブルス少年のそれは何だったのでしょう。見た目の不潔さ、他人を不愉快にさせる態度でしょうか。打ちひしがれることなく何度でも抵抗してくるため、苛める側の罪の意識が薄らぐからでしょうか。それともどんな時でも闇の魔術を憎んでいたというジェームズが、正義の名の下に成敗していた気になっていたとか。

どんな理由にしろ、いじめてよい理由などあるはずもないことを当時のジェームズ達は幼なすぎて思い至らなかったのでしょう。

次の29章で、ハリーがルーピンとシリウスにこの場面のことを問いただすと、二人は懐かしそうに当事を語っています。「少々いい気になっていた」「ちょっとバカをやったさ!」と話す二人に悪気はなく、また、大して重要なこととも考えていない様子です。いじめた側はバカをやっていた懐かしい思い出くらいにしか捉えていないようです。

唐突ですが、私がかつて出会った一人の青年を思い出します。小中学校でいじめに合い、今もその現場に近づくと本当に体が振るえ、耳をふさいで蹲ってしまうという、心を病んだ青年です。私は彼に会った時に、その尋常ではない怯え方に驚くと同時に、苛めた側は多分その心の傷を知らないだろうということに愕然としたのでした。

このペンシーブの中の出来事から約20年。ルーピンもシリウスもその詳細を忘れています。ジェームズの癖を聞いて思い出に耽るようににっこりして、まるで暢気です。
ハリーに見られないよう慎重に、その記憶を選んで抜き取ったスネイプ先生との、意識の違いが明らかです。
スネイプ先生は、今もその記憶に苦しめられているに違いありません。忘れていたなら、ペンシーブに移したりはしないはずです。課外授業の時に抜いては戻し、抜いては戻しするたびに憎しみを新たにしているのかもしれません。
いじめた方は既に記憶も曖昧になっているというのに、今も過去に囚われ、一人で苦しむスネイプ先生が気の毒で仕方ありません。

学生時代の苦い思い出が随所に残っていると思われるホグワーツ校。そこで教鞭をとるスネイプ先生は、どんな気持ちで毎日を送っているのだろうと思います。校内を移動する時、見回る時など、あちこちでフラッシュバックが起きているかもしれません。スネイプ先生の心の安全がとても心配です。

狼人間を見分ける五つの兆候  - 2006.04.22 Sat

ペンシーブのスネイプ先生の記憶の中で。
試験が終わると皆ホール出口に向かって歩いていきます。十代のセブルス少年は、試験問題用紙に没頭したまま歩き、ジェームズ達は試験の内容について話しながら歩いています。

試験中、細かい文字で他の生徒より長い解答を書き、試験後も試験問題用紙を熟読するセブルス少年。問題用紙を熟読といっても、「狼人間を見分ける五つの兆候を挙げよ」程度の短い質問をただ読み返していたとは思えません。各問題一つ一つについての自分の解答を反芻していたのだと思います。
書き終わって提出してしまえばもうおしまい、という一般的な生徒の態度とは異なります。内容自体に興味があるからこその行動でしょうか。OWLの試験にしても自分がどう評価されるか、ということは二の次だったのかもしれないと思いました。あくまで興味は闇の魔術自体にあって。

全部で何問あったのかはわかりませんが、近くの生徒より30cmは長く、細かい字で書いていた内容は、教科書レベル以上の解答だったのではないでしょうか。普段から興味をもって調べていたことの集大成だったろうと思います。
試験後、各問題について再度検討していく中で、第十問で答えた「狼人間を見分ける五つの兆候」に、思い当たるものがあったのかもしれません。まさにこの時、自分の解答からルーピンの毎月の変わった行動に気付いたのではないかと思いました。

暴れ柳事件が起こったのが、彼らが何年生の時か調べてみたのですが、見つけられませんでした。6年生くらいのような気もするのですが。
3巻で、「シリウス・ブラックは十六のときに、すでに殺人の能力を顕した」(3巻p.512)とスネイプ先生が言っています。シリウスの誕生日が明らかにされていないので、何月に16歳になるのかわからないのですが、5年生のシリウスの誕生日から6年生の誕生日までの間に事件は起こったはずです。
ホグワーツでは、というかイギリスでは9月1日生まれから翌年の8月31日生まれが同じ学年になっていると思いました(違っていたら教えてください)
5年生の6月のOWL試験では、多くの生徒が16歳になっているはず。セブルス少年も1月生まれなので、16歳になっています。
年齢から言えば、暴れ柳事件後にOWL試験があってもおかしくありません。でも、事件のあとなら、セブルス少年もジェームズやシリウスの反応ももっと違ったものになっていたように思うのです。例えば、セブルス少年が試験後にルーピンの方をちらっと意味ありげに見るとか、シリウスやジェームズも冗談を言ったりしないとか。
セブルス少年のこの時の試験問題への没頭の仕方から見て、この時以降ルーピンを怪しむようになり、こそこそ嗅ぎまわりはじめたのではないかと考えました。もともと狼人間に対する知識はあったと思います。試験の質問に答えて文章化するうちに気付いたのではないかと考えています。

そんな自分の体験から、ハリーが3年生の時、ルーピン先生の代講として闇の魔術に対する防衛術の授業を受け持った際に、ルーピン先生の正体を生徒に気付いて欲しいとレポートを出したのかもしれません。レポートとしてまとめているうちに気付く生徒もいるのではないかと期待して。

眼鏡  - 2006.04.18 Tue

前回、鉤鼻を羊皮紙にくっつけんばかりにして書きものをしているセブルス少年は、近視ではないかと書きました。
魔法界でも近視の人はジェームズのように眼鏡をかけていますが、スネイプ先生は今も少年時代も眼鏡をかけていないようです。

実はハリーが眼鏡をかけていることが以前から気になっていました。
ダーズリー家で、虐待とも言える扱いを受けてきた少年が、眼鏡をかけていることに違和感を覚えたのです。満足に食事も与えないダーズリー夫妻が、眼鏡など用意するだろうかと。
ハリーも小学校には行っていたようですから、日本にあるような検診があって、学校から眼鏡の必要性を保護者に伝えてきたのでしょうか。ダドリーのダイエットが必要だと、学校から連絡を受けたように。世間体を気にするダーズリー夫妻のこと、学校から言われれば放っておくことはできず、必要最低限の安い眼鏡を与えたのかもしれません。

机に密着するようにして書くのは、前回の実験からもやはりただの癖というより必要に迫れてのことのように思います。それほど近視のセブルス少年が眼鏡をかけていないのはなぜなのでしょう。
彼のことを気にかける保護者がいなかったからではないかと思いました。いつから視力低下が見られたのかはわかりませんが、その時点で気付いてあげる大人も、気付いても視力を補ってやろうと思いつく大人も身近にはいなかったのではないでしょうか。
私は、スネイプ先生の母親は、赤ちゃん時代のセブルス君の面倒をちゃんとみたと思っています。ですが、ホグワーツに入学するよりも前に、闇の魔術に魅せられていたことから、その愛も長くは続かなかったとも思っています。死別したか、生き別れたか、あるいは母親の人格が変わってしまって子供に関心がなくなったか。
いずれにしても、関心を持ってくれる人がいない状態で、少年時代を過ごしたのではないかと思います。それを思うととても辛いです。

ホグワーツでもマダムポンフリーに指摘されたりしなかったのでしょうか。指摘されたところで、結局眼鏡を用意するのは保護者の役割なのでしょうか。また、本人も自らを助けるような、楽になるような道具など必要ないと考え、拒否しているような気もします。自虐的なイメージがあるので。(このあたりは妄想です)

大人になった今も眼鏡をかけていない理由を様々想像しています。
鬱陶しいから、などと眼鏡自体を好まない「眼鏡嫌い説」、
敢えて楽をしない「自虐説」、
世の中をはっきり見たくない「逃避説」
不便を感じなかったり、自分の身の回りのことに無関心な「無頓着説」、
眼鏡は持っているけど面倒くさくてつい掛け忘れてしまう「ものぐさ説」、
目はどこまで酷使に耐えられるか、肉体の限界に挑む「挑戦者説」、
薬で一時的に視力を回復させている「その場しのぎ説」(本当に治せる薬があるならハリーも眼鏡をかけていないはず)、
ジェームズとおそろいになるのがいやなだけの「ひねくれ説」。
それぞれ妄想は広がります。

スネイプ先生は今も自分の研究室で日々勉強をしていると思います。教える立場にある人の勉強量は学生の比ではないはずですし、先生自身、知識欲が旺盛だと思われるので。
薄暗い地下の研究室で、本を目に近づけて熱心に読む大人のスネイプ先生を想像すると、何か鬼気迫るものを感じます。

十代のセブルス・スネイプ  - 2006.04.15 Sat

呼びに来たドラコと共に部屋を出て行ったスネイプ先生。続いて部屋を出ようとしたハリーは、ペンシーブから出ている光に誘われるように近付いていきます。正気の沙汰ではないと自覚しつつ、投げやりな気持ちも手伝って、ついにハリーはスネイプ先生の記憶を覗いてしまいました。
ハリーの見た十代のスネイプ先生の様子は「筋張って生気のない感じだった。ちょうど、暗がりで育った植物のようだ。髪は脂っこく、だらりと垂れて机の上で揺れている。鉤鼻を羊皮紙にくっつけんばかりにして、何か書いている」でした。(5巻28章p.345)

この記述、十代の頃のスネイプ先生の様子が克明にわかるので嬉しくなります。
まず、「筋張って」ですが、筋張るというと、私は、痩せてすじ(腱)が浮き上がってみえる状態をイメージします。原文ではstringyとなっています。糸の・ひも状の・繊維質の、などの意味があります。腱が浮き上がった状態を指すのか、体全体が糸のように細いと言う意味なのか、わかりません。どちらにしても痩せていることには違いなさそうですが、わかる方いらしたら教えてください。

「生気のない」というと、生き生きとしていない、どんよりした雰囲気を連想します。原文ではpallidで、青白い・青ざめた・色つやのないという意味です。

「髪は脂っこく~揺れている」までの原文は、His hair was lank and greasy and was flopping on the table,となっています。lankはひょろ長い・縮れていないなどの意味、flopはばたばた動く・ぶらぶら揺れる・ばたっと倒れるなどの意味です。ひょろ長いまっすぐな脂っこい髪が机の上で揺れているのでしょう。

「鉤鼻を羊皮紙にくっつけんばかり」の部分はhis hooked nose barely half an inch from the surface of the parchment で、言葉通りなら、鼻と羊皮紙の距離は半インチ(約1.27cm)ですね。ちょっと近すぎるように思います。目との距離はどのくらいでしょう?
私はどちらかというと日本人にしては鼻が高い方ですが、目と鼻の落差が2.5cmあります。他の家族は平均的な鼻の高さで、だいたい2cmくらいでした。スネイプ先生はその倍と考えて、4㎝としたら、目と羊皮紙の距離は5cmあまりです。
目からの距離が5~6cmのところにある字に焦点を合わせられるか試してみました。左右の視力が1.5の私はむしろ遠視なので、とても焦点は合わせられません。視力0.06の近視の家族にも試してみました。6cmはぎりぎり焦点が合わないようでした。7cmで何とか合いました。スネイプ先生の鼻の高さが5cm近くあるなら、視力は0.06くらい、4㎝以下なら視力はもっと悪いかもしれません。
かなりの近視ですね。眼鏡はかけていないようですが、普段の生活に支障はないのか気になります。ハリーを見る憎憎しげな目つきも実は焦点を合わせるために細めているだけに過ぎなかったりして(妄想です)

また、私は今肩までのストレートヘアですが、この距離で机に顔を近づけると、鼻より先に両側の髪が机に到達します。机まで届く長さだったら、当然羊皮紙に髪はくっつきます、シリウスが言う油染みは、鼻というより髪から油が移るという意味だったのかもしれません。

痩せて青白く生気のない少年が、髪で周囲を遮断し、羊皮紙と自分の書いていく字のみを見つめて一心不乱に試験に取り組むさまに、強く胸を打たれます。この集中力はなんでしょう?大欠伸とよそ見、いたずら書きをするジェームズや、椅子をそっくり返らせてジェームズに合図するシリウスとは大違いです。
試験で高得点を狙うというより闇の魔術への興味から熱心に取り組んでいるように思います。自分の得た膨大な知識を吐き出すことによって整理しているのでしょうか。他の課目での様子も知りたいところです。

魔法薬の補習  - 2006.04.10 Mon

チョウと口論後、遅刻してスネイプ先生の研究室に入ったハリー。想いを取り出し終えたスネイプ先生と、机を挟んで向き合い杖を構えていたところへ、ドラコが飛び込んできます。「スネイプ先生―あっ―すみません―」と驚きながらも謝るドラコに、スネイプ先生が杖を下ろしながら言いました。「かまわん、ドラコ」「ポッターは『魔法薬』の補習授業に来ている」その言葉にうれしそうなドラコ、用件を伝えスネイプ先生と部屋を出て行きながら「ま・ほ・う・や・く・の・ほ・しゅ・う?」とハリーに向かって口の形だけで言うのでした。(5巻28章p.343)

緊急事態とはいえ、ドラコはノックもしないで入ってきています。すぐに謝ってはいますが、それほど厳しく言われていないのでしょうか。いくら寮生を贔屓するとはいっても、スネイプ先生は規則を重んじる人なので、礼儀作法にもうるさいような気がします。監督生だからかもしれませんが、ルシウスの息子であるドラコはやはり特別な位置にいるのかもしれません。多くの生徒が恐れるスネイプ先生ですが、ドラコの持つ感情は少し違うように思います。

魔法薬の補修と聞いて、嬉しそうなドラコ。杖を構え合う二人を見て、本当に魔法薬の補修だと思ったのでしょうか。杖を振り回すようなばかげたことを魔法薬の授業ではやらないはずなのに。
注意力が足りないのか、スネイプ先生を疑うことがないのか、不審に思ってもスネイプ先生の立場を配慮したからなのかは、わかりませんが、気付いていないように思えます。ちょっと純真な感じでかわいいです。
それにしても、さすがスネイプ先生、滑らかに嘘がでてきますね。「補習授業に来ている」などと聞かれてもいないのに説明するところが、微笑ましいです。まあ、アンブリッジの『尋問官親衛隊』の一員であるドラコに授業の本当の目的が知られればやっかいだとは思いますが。
ハリーはドラコに勘違いされて腹立たしい様子ですが、ここは気付いて欲しいところです。スネイプ先生が、いつも贔屓しているドラコに嘘をついていることを。
いつだってスネイプ先生はドラコを重んじてきました。そんなスネイプ先生が、ハリーが恥をかく形になるとはいえ、授業の目的を悟られないよう嘘をついているのです。ハリーの不利になるような発言はしていないのです。
閉心術の課外授業を行うにあたってグリモールドプレイスまでわざわざ足を運んだスネイプ先生といい、ハリーの質問にじっくり答えてから最初の授業を始めた先生といい、激しく叱咤する先生といい、自分の寮の生徒に嘘をつく先生といい、閉心術の課外授業がいかに大事なものかを気付いてもよかったと思うのですが。そして、それを教えるスネイプ先生自身も真剣だということに。
面倒臭そうな態度であっても、スネイプ先生はこの授業、真剣に取り組んでいた、つまりハリーの思考がヴォルデモートに操られないよう必死だったと、私は信じています。ダンブルドアの命令だからでなく、元デスイーターの経験から伝えたいことがあったのではないかと、閉心術の授業の場面全体から感じました。

最悪の記憶を見せたかった? - 2006.04.06 Thu

5巻28章のタイトルでもある「スネイプの最悪の記憶」の内容について考える前に、一つ私の考えを示しておかなければならないかと思います。この記憶をハリーに見せる意図があったかどうかについて。

スネイプ先生の課外授業の前に、チョウと口論したハリーは、憤慨しながらスネイプ先生の研究室に入ります。遅刻を指摘しつつ、ハリーに背を向け、スネイプ先生はペンシーブに想いを蓄えていました。

最初の授業でもそうでしたが、スネイプ先生は大事な記憶を抜き取る場面をハリーにしっかり見せています。今回もハリーは遅刻をして部屋に入ったのに、まだ抜き取る作業の途中だったということは、スネイプ先生はハリーが来る前にこの作業を終わらせようとは考えていないようです。
このことから、ハリーに実はこの記憶を見せたかった、ハリーに興味を持たせペンシーブを覗かせるよう仕向けた、と考えることも出来ます。
実際そのような意見の方もいらっしゃるようです。
で、私はどうかというと、この点はあまり深く考えていません。ローリングさんの都合のように捉えています。

ハリーが来る前に記憶を抜き取る全ての動作を終え、ペンシーブもハリーの目に触れないようにしておけばハリーが好奇心を持つ事もなかったでしょう。
でも、作者は、スネイプ先生が過去にどのような目に遭って来たかをハリーに(読者に)客観的に見せたかったために、このような手法をとったのではないかと思っています。
スネイプ先生自身やシリウス、ルーピンに語らせれば、それぞれの主観が混じるでしょうし、スネイプ先生の言葉をハリーが信じるとは思えません。事実、今までスネイプ先生がハリーに語ってきたジェームズ像をハリーは信じていませんでした。
ペンシーブで見せつけられ、初めて父親の傲慢な態度を事実として受け止める事ができたのです。

作者はファンサイトからのインタビューで、ペンシーブの反映するものについて「reality(事実)」か「the views of the person(誰かの視点)」かと問われ「reality(事実)」と明言しています。
ハリーが間違った父親像を改めるには、また読者が過去の事実を正しく知るには、ペンシーブを覗く以外の方法を作者が思いつかなかったのだと私は解釈しています。
そのためスネイプ先生はハリーに背を向けて記憶を抜き取るという無防備な姿をさらすハメになったのではないでしょうか(笑)

もし、スネイプ先生がハリーに関心を持たせるために、わざとハリーの眼前で記憶を抜いているとしたら、これはハリーに見せたい記憶ということになります。
自分がハリーの父親達によって痛めつけられたことを、ハリーに本当に知らせたいと思うでしょうか。私はスネイプ先生の自尊心がそれを許すとは思えません。間違った父親像を抱くことに虫酸が走っても、苛められる姿を自らハリーに見せるとは思えないのです。または、他に意図があるとか?
その意図を考えるのも面白いとは思うのですが、私はやはり、見せたくなくてそっと仕舞っておいた辛い記憶を、こともあろうにジェームズの息子に見られてしまって取り乱した、と考えたいです。
その方がずっとずっとスネイプ先生がかわいそうなので(汗)

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