topimage

2006-03

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もうたくさんだ! - 2006.03.31 Fri

スネイプ先生の記憶を見てしまったハリー、「もうたくさんだ!」という声と共に胸を押されたように感じます。ハリーは数歩後退し、棚にぶつかって棚に並ぶ容器の一つを落としてしまいました。

この時のスネイプ先生は、かつてないほど余裕がないように思います。
1巻から読み返してみると、どんなに怒っている場面でも、声を荒げたり、暴言を吐いたり、ハリーを窮地に追い込むような発言をすることはあったりしても、ハリーを含め生徒に暴力を振るうことはなかったと思います。処罰は教師としての許容範囲内に収まっていますし。
叫びの屋敷では、ドアに立ち塞がるハリーに「どけ」「さもないと、どかせてやる。どくんだ、ポッター」と言うだけで無理にどかさないうちに武装解除されて気絶しています。狂気じみて叫んでいる時でさえ、手を上げることはしていないし、攻撃魔法もしかけていません。

しかし、今回の場面では、ハリーを突き飛ばすことで開心術を防いでいます。突き飛ばしたのが魔法か手かはわかりませんが。
杖は既に吹き飛ばされていましたが、杖に頼らず頭で撥ね付けろとハリーに指示していましたから、杖なしでも開心術を防ぐことはできるはずです。ですから魔法で突き飛ばしたとも考えられますが、この時は実際にハリーの胸を手で押したのではないかという気がします。
微かに震え、蒼白な顔をし、息を荒げるスネイプ先生。この動揺が激しさから見て、咄嗟に手が出たのではないかと想像しています。

この「もうたくさんだ!」というのは、ハリーにもうこれ以上見せたくないというより、これ以上自分の過去を見たくない、というように私は解釈しました。
スネイプ先生は閉心術をハリーのように学んで練習して身につけたわけではないと考えています。いつの頃からか(例えば最初に覗かれた両親の記憶の頃から)自然に感情を表さないようになっていったのではないかと。入学前に既に多くの呪いを知っていたことと照らし合わせてみても、感情を表さないことは、やはり家庭環境によるもののように思います。家庭において感情を表さないことがセブルス少年を守る術(すべ)だったかもしれないと思うとやりきれません。先生が感情を表さないようになっていったいきさつを考えると胸が痛みます。
この記憶はスネイプ先生にとっても特に辛い過去なのではないでしょうか。おそらく自分では無意識のうちに葬っていた記憶を掘り起こされてしまったのではないかと思うのです。
この課外授業での万一の事態に備えて、ハリーには見せたくないいくつかの記憶を抜き取っていたのでしょうが、自分が見たくない記憶は葬っていたため(自分でも忘れていたため)抜き取ることも出来なかったのではないでょうか。

いつも理性的なスネイプ先生が思わずハリーを突き飛ばしてしまうほど見たくない過去。短い描写のなかに多くが語られているのだと思います。
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蝿を撃ち落とす少年  - 2006.03.27 Mon

プロテゴで開心術を撥ね返したハリーが、二つ目に見たスネイプ先生の記憶は、「脂っこい髪の十代の少年が、暗い寝室にぽつんと座り、杖を天井に向けて蝿を撃ち落としている」(5巻26章p.269)というものでした。

静かな記憶です。この時十代のセブルスは何を考えていたのでしょう。

開心術によって覗かれる記憶は、だいたいが強い感情を伴った記憶のように思います。
ハリーが最初にスネイプ先生に見られた記憶は、5歳の時にダドリーの自転車を羨ましさで張り裂けそうな気持ちで見ているというものでした。その後も、ブルドッグに追われて木に登ったところをダーズリー親子が笑って見ている(恐怖と屈辱)、組分け帽子を被っている(不安)、顔が黒い毛で覆われたハーマイオニーを見ている(心配)、吸魂鬼が迫ってくる(恐怖)、ヤドリギの下でチョウ・チャンが近づいてきた(戸惑い→喜び)等々。(括弧内は二尋が想像したハリーの気持ちです)
何気ない生活のひとこま、例えば食事をしているとか、授業をぼんやり聞いているなどの記憶は混じっていません。その後の課外授業で覗かれた記憶も同様で、恐怖や屈辱など負の強い感情を抱いている場面がほとんどです。正の感情はヤドリギの下のチョウの記憶とみぞの鏡の両親の記憶くらいですが、やはり強い感情の揺れがあった場面だと思います。
開心術で嘘がすぐに見破られるのも、嘘というもの自体強い動揺を伴っているからかもしれません。だからこそ、閉心術を身につけるために感情を無にする必要があるとも考えられますが。

さて、このように考えると、この蝿を撃ち落す一見静かな記憶も、セブルス少年の心の中には激しい感情が渦を巻いていたように思えます。

そもそも、この時彼は何をしていたのでしょう?
杖で蝿を撃ち落すには呪文を使うしかなさそうです。何の呪文でしょうか。
最初に想像したのはアバダ・ケダブラでした。でも、失神呪文で飛んでいる蝿を麻痺させて落とすことは出来そうですし、他にも、石にして動きを止めることや、服従の呪文でも落ちるよう従わせることは出来そうです。
ですが、やはり激しい感情の揺れを伴うとなると、死の呪いアバダ・ケダブラのような気がします。

蝿を殺すことに動揺していたのでしょうか。
私でさえ、蝿や蚊を叩き殺す時、何のためらいもなく叩いていますから、セブルスだって迷いなく撃ち落していたような気がします。
むしろ、その呪文を使うことが気分を高揚させていたのではないかと思います。入学前から多くの呪いを知っていたとはいえ、アバダ・ケダブラを試すのはこの時が最初だったのかもしれません。

ベッドに座って静かに死の呪いを試しているとしたら・・・怖い場面です。

悲しみの表現  - 2006.03.23 Thu

最初の閉心術の授業から二ヶ月以上経ち、ハリーがルックウッドの夢を見てから二週間後の閉心術の授業にて。
スネイプ先生の開心術をプロテゴで防いだハリーの頭は、自分のものではない記憶で満たされました。最初の記憶は、「鉤鼻の男が、縮こまっている女性を怒鳴りつけ、隅のほうで小さな黒い髪の男の子が泣いている」(5巻26章p.269)というものでした。

これは、大変辛い場面です。
隅のほうで泣いているのは幼いセブルスだと思われます。
泣いている理由は、両親の不仲が辛いからでしょうか、母親が父親に苛められていると感じたからでしょうか、構って欲しかったからでしょうか。とにかく、この場面を悲しく思っているのは間違いないと思います。

私のイメージは、静かに涙を滴らすか、顔を覆ってさめざめと泣く姿でしたが、原文を見るとcryが使われているので、声に出して泣いているようです。
声に出して泣くというのは、悲しい気持ちを殺しておらず、それほど内に篭っていない感じがします。まだかなり幼いころの記憶ではないでしょうか。

今のスネイプ先生は自分の悲しみを簡単に表さないというか、いままで先生の悲しい表情についての記述は無かったと思います。悲しい思いをする場面がなかったとも言えますが、そんな場面があっても悲しい表情を見せる人には思えません。むしろ、怒りとして表現するような気がします。今まで見せた怒りの数々のいくつかは、悲しみを表していたようにも思うくらいです。(例えば3巻でブラックの話を信じるかのような口調のダンブルドアに対しての言葉「我輩の言葉には何の重みもないということで?」や、ブラック逃亡後の逆上など)
最初の閉心術の授業での「感情を制御できず、悲しい思い出に浸り~」という発言からも、悲しさを表現することへの抵抗を感じます。

素直に悲しみを表していた幼い少年が、次第に悲しみを内に秘めるようになっていったいきさつを想像すると、胸が痛みます。
両親の不仲はこの後も続いたのかもしれません。十分愛されたかどうかが気がかりです。私は母親には愛されたと考えていますが、この記憶以降、母親の愛が遮断されてしまったかもしれないと感じています。
「縮こまっている」と訳された言葉はcoweringで、(寒さや恐怖で)縮こまる、すくむ、畏縮する、などの意味があります。ここでは単に体を小さくしている「縮こまる」というより、恐怖に怯えた「縮こまる」が適当だと思われます。夫への恐怖から母親は逃げ出し、幼いセブルスは見捨てられた可能性もあると思います。
声に出して泣いたところで、誰も助けてくれない、事態は改善しないということを、この時いきなり知ったか、これ以降、徐々に学んでいったのではないでしょうか。優秀な閉心術士となっていった原因もこのあたりの記憶と関係しているように思います。

ハリーに見せたくない記憶として、取り出すほどではないにしても、スネイプ先生にとっては辛い思い出の一つだったのだと思います。

感情を無に  - 2006.03.19 Sun

最初の閉心術への挑戦では、ハリーはいくつかの記憶を覗かれたものの、なんとかスネイプ先生を阻止することができました。
「それほど悪くはなかった」と言った後、再び杖を上げるスネイプ先生。
「気持ちを集中するのだ。頭で我輩を撥ねつけろ。」と指導します。それに対してハリーは「どうやったらいいか教えてくれないじゃないですか!」と文句を言うのでした。(5巻24章p.184)

「心を空に」「全ての感情を棄てろ」「もっと克己心が必要」「集中しろ」と、スネイプ先生は教えてくれていると思うのですけどねえ。
スネイプ先生がここで教えたかったのは杖に頼らずに(魔法を使っているように見せずに)開心術を頭で撥ねつける冷静さで、そのためには感情を無にすることが必要なのではないかと思います。

感情を無にすることを具体的に教えることは困難ではないでしょうか。ハリーは自分で見つけるしかないと思います。一年生のころのフリットウィック先生の授業でビューン、ヒョイが言われた通りやってもすぐできなかったように。ハリーは「教えてくれない」という前に試行錯誤する必要があると思います。

この場面のスネイプ先生、いつになく真剣に思えます。スネイプ先生の本心はいつもわからないのですが、ここでは、ダンブルドアの依頼で閉心術を教えているにしろ、真剣味が感じられます。本気で闇の帝王の餌食になることを阻止しようとしていると思います。
また、二度目の挑戦でハリーがセドリックの死体を見たときに、スネイプ先生がいつもより蒼ざめ、いっそう怒って見えたのは、ハリーの痛みを一緒に感じていたからと思うのは妄想でしょうか。
「己を支配するのだ!」「怒りを制するのだ。心を克せ!」畳み掛けるように叱咤する先生、熱いです。なんとかハリーに閉心術を身につけてもらいたいと考えているのではないでしょうか。
ハリーは怒りに支配されて気付かないようですが、私はスネイプ先生の親心のようなものをこの場面で感じます。普段から憎しみの感情しか持たないような間柄ではそんなスネイプ先生の気持ちも伝わるはずがありませんが。スネイプ先生も不器用な人だと思います(再び妄想)とても残念です。

三度目の挑戦で夢と神秘部の関係に気付いたハリー。
神秘部に何があるかとハリーに問われてうろたえるスネイプ先生が大好きです。普段冷静な人がうろたえる様子にときめきます。思わず感情を表してしまったようです。
さらに、28章でハリーに過去を見られ、追い出して以降、課外授業を止めてしまったスネイプ先生。先生自身、時には感情をコントロールすることが難しいようですね。

針刺しの呪い?  - 2006.03.14 Tue

ペンシーブに記憶の糸を移すと、スネイプ先生は杖を構えてハリーと向き合いました。ハリーにも杖を取るよう促し、武装解除ほか思いつく限りの方法で防衛するよう指示します。
そして唱えたレジリメンスの呪文に、ハリーは次々に断片的な過去を見せつけられました。
チョウとのキスの記憶に踏み込まれそうになり、抵抗したハリー、膝の痛みと共に再びスネイプ先生の研究室が見えてきました。
スネイプ先生は杖を下ろし、手首を揉んでいます。そこには、焦げたような赤く爛れたみみず腫れがありました。『針刺しの呪い』かと尋ねるスネイプ先生にハリーは否定しました。

この時、ハリーは何の呪文を唱えたのでしょう。
26章で開心術をはね返したプロテゴは4巻の三校対校試合の第三の課題前にさんざん練習したものでした。この時はうまくいかなかったようですが。
同じように、既に何度か練習済みのものが咄嗟に出てきたのではないかと思います。

「焦げたような」という表現から、私は失神呪文ではないかと考えています。
4巻31章p.414~415で、ハリーはスクリュートに向かって失神呪文を唱えていますが、殻に跳ね返った呪文によって髪が焦げています。失神呪文はタンパク質を焦がすことができるようです。高熱の光線なのでしょうか。
髪を焦がし、人を麻痺させることのできる呪文、電撃呪文なのかもしれません。
電気的刺激で、筋肉は麻痺しますから十分考えられると思います。

では、なぜスネイプ先生が失神しなかったのでしょうか。
同じく4巻31章p.423で、優勝杯目前で大蜘蛛に襲われたハリーが失神呪文を唱える場面で。直撃しても効果はなく、その原因を蜘蛛が大きすぎるせいか、魔力が強いせいかと考えています。相手の魔力が強いと失神呪文も効果がないのでしょう(全ての魔法について言えると思いますが)
スネイプ先生の魔力はかなりのものだと思われます。

また、当たった場所にも関係があるかもしれません。
5巻31章p.471でマクゴナガル先生は失神光線を4本も胸に受けたとあります。
スネイプ先生に当たったのは手首で、しかもみみず腫れとあるので、表面をかすったものと思われます。せいぜい手首から先の筋肉を麻痺させる程度でしょうか。杖を下ろしているので杖腕全体が軽く麻痺しているかもしれません。杖を取り落としてはいないのでたいしたことはなさそうですが。

いずれにしても、スネイプ先生にとっては、針を刺された程度にしか感じなかったのでしょう。あるいは、何の呪文かわかった上で、『針刺し』程度にしか感じないぞ、という嘲りの気持ちから言ったようにも思います。

でも、失神呪文としての効果があろうとなかろうと、ハリーは最終的にはチョウとのキスシーンを覗かれなかったので、「初めてにしては、まあ、それほど悪くなかった」(5巻24章p.184)という奇跡のような言葉をもらえたのですね。
このセリフ大好きです。スネイプ先生の最大級の褒め言葉だと思います。

記憶の糸 - 2006.03.10 Fri

閉心術の実践が始まる前、スネイプ先生はこめかみに杖を当て、引き抜く動作をします。そして銀色の太いくもの糸のようなものを取り出し、ペンシーブに落としました。

この場面、太い蜘蛛の糸のようなものということで、1本の太めの糸を連想していたのですが、原文をみるとsomeが使われているので、数本の糸が一度に抜き出されたということになりますね。
私は、この1度に取り出した数本の糸が1つの記憶を構成しているのではないかと考えています。

そもそもペンシーブと記憶との関係が何か、ということ自体、よくわかりませんが、私は記憶というものはその時その人が感じたものの記録だと思っています。
視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚の五感で感じ取った感覚の記録とその再現が記憶ではないかと思います。

マグルの世界でも、記憶とは何かを定義するのは困難で、脳の中でどのようなことが起こっているのか、まだはっきりとわかっていないようです。
でも、「夢を見ている時に脳の視覚野が働いている」などといわれますから、実際目を開けて見ている状態でなくても脳では見ていると感じることができるようです。
同じことがペンシーブを覗いた者に起こっているのではないでしょうか。
抜き出した糸のそれぞれが各感覚の記録ということで。
28章のスネイプ先生の記憶では、少なくともその光景を見ることと聞くことが出来ているので視覚と聴覚の記録は抜き出されたかな、と思っています。その糸の情報がペンシーブを覗く人の脳の視覚野や聴覚野に直接働きかけているとか。

でも、これだとスネイプ先生が見た通り、聞いた通りに再現される必要があるのでスネイプ先生自身の姿が見えることはあり得ないですね。う~ん、結局穴だらけの説しか思い浮かびません。
私としてはやはり糸が直接脳に働きかけて何か変化を起こさせると考えたかったのですが、矛盾なく説明することはできません。

ところで、こめかみから記憶を引き出す動作はこの後さらに2回行っています。
「さらに二度」と明記してあるのは、意味のあることだと思うのです。
3巻で、トレローニー先生の予言について聞いたダンブルドア、「トレローニー先生の本当の予言は全部で2つになった」と言っていましたが、読者には初めてのことで、5巻で初めて2回目の予言とわかるのでした。
このことから、今回もあと2回同じ動作を繰り返したのなら、ハリーに見せたくない記憶が3つはあるのではないかと思います。1つは28章の記憶、あと2つも今後明らかにされるかもしれません。
やはりヴォルデモート絡みの記憶でしょうか。なんだかとてつもなく切ない記憶のような気がしてなりません。

スネイプ先生が恐れるもの・軽蔑するもの  - 2006.03.04 Sat

閉心術の授業中、スネイプ先生の説明に口を挟むハリー。怒るスネイプ先生に構わず質問を続けます。ハリーがヴォルデモートの名を口にすると、「闇の帝王の名前を言うな!」と吐き出すようにスネイプ先生は言いました。
そして、ダンブルドアを引き合いに出すハリーにスネイプ先生は「ダンブルドアは強力な魔法使いだ」「あの方なら名前を言っても安心していられるだろうが、・・・・・・その他の者は・・・・・・」(5巻24章p.180)と答え、左肘下を擦りました。

スネイプ先生、名前も口にすることができないほどヴォルデモートを恐れているようです。
これはとても重要なことのように思います。
先生、ヴォルデモートとの間でどんな恐ろしいことがあったのでしょう。
私には、スネイプ先生は死をも畏れないイメージがあるのですが、実は臆病な人なのではないかとも思えます。

スネイプ先生が何を恐れているのかがよくわかりません。
ヴォルデモートに対してやましいことがあったとして、それが知れた時に何が待っているというのでしょう。死でしょうか。死に至る苦しみでしょうか。

以前、スネイプ先生のボガートはヴォルデモートではないかと書いたことがありますが、ヴォルデモートそのものを恐れるというより、『ヴォルデモートによってもたらされる何か』かもしれないとも思います。
スネイプ先生が恐れる何か、ローリングさんがボガートを明かすことができないほど、物語の根幹に係わってくる重要なことのように思います。


授業が進み、次々に過去の記憶をスネイプ先生に見られるハリー。心を空にするよう指示されても、怒りを捨てることが出来ません。
「感情を無にしろと言ったはずだ!」
「そうですか? それなら、いま、僕にはそれが難しいみたいです」(中略)
「なれば、やすやすと闇の帝王の餌食になることだろう」(中略)
「鼻先に誇らしげに心をひけらかすバカ者ども。感情を制御できず、悲しい思い出に浸り、やすやすと挑発される者ども――言うなれば弱虫どもよ――帝王の前に、そいつらは何もできぬ!(後略)」(5巻24章p.185)

この部分にも色々ヒントが隠されているような気がします。
心をひけらかす(感情を表す)人をバカ者と言い、感情を制御できず悲しい思い出に浸ったが為に帝王に挑発された人を弱虫と言っています。
スネイプ先生はそういう人や態度を軽蔑しているようです。スネイプ先生にとって感情を表すことは恥ずべきことなのでしょう。
でも、この言葉には軽蔑だけでなく哀れみ、焦り、苛立ちも含まれているように感じます。帝王の餌食になった者の中には自分も含まれているということでしょうか。感情を制御してもなお、餌食となってしまった自分への後悔、ともとれるように思います。

スネイプ先生はどんな思いでハリーに閉心術を教えているのでしょうか。
閉心術の授業場面は、スネイプ先生を考える際のたくさんのヒントが隠されているようで、とても楽しいです。まだまだわからないことだらけですが。

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