2006年01月09日 (月) 00:00 | 編集

1月9日はスネイプ先生の誕生日です。
先生、お誕生日おめでとうございます。
なぜ、作者はその日を誕生日にしたか、ということはさておき、今回は幼少時代のスネイプ先生について考えてみたいと思います。
スネイプ先生の幼少時代がわかるのは、5巻26章での閉心術の課外授業の時。
開心術をプロテゴではね返し、ハリーはスネイプ先生の過去を覗いてしまいました。
「鉤鼻の男が、縮こまっている女性をどなりつけ、隅のほうで小さな黒い髪の男の子が泣いている」(5巻26章p.269)
何度読んでも胸が締め付けられる場面です。父親が母親をいじめているかのような印象を受けました。暴力もあったのでしょうか。
ペンシーブを覗き見た時の描写と、ハリー視点でこの時の様子を語った言葉は少し違う印象を与えます。
「喚き合う両親を見て泣いていた幼気(いたいけ)な少年が〜」(5巻26章p.270)
この時の両親は対等な感じがします。いずれにしても不仲だったのではないかと思わせる描写です。
セブルス少年は幼少時代を幸せに過ごさなかったのでしょうか。愛されずに育ったのでしょうか。
「母親には愛されていた」というのが私の持論です。
ローリングさんは、インタビューで「スネイプは誰かに愛されたことがある」と語っています。私はその誰かが母親ではないかと考えています。
生まれたばかりの赤ちゃんはADLが自立しておらず、自分では生きていくことが出来ません。おっぱいを飲ませたり、オムツを替えたりしてもらわなければ命を維持することすらできないのです。
幼少期の記憶に両親がいたなら、生まれたばかりのセブルス君に3時間置きにミルクを飲ませ、オムツを替えたのは、この両親、特に母親ではないかと思われます。
愛がなければ、こんな大変なことを継続することは困難です。
そして、スネイプ先生が身の回りのこと、食事をしたり、トイレに行ったり(そんな描写はありませんがオムツではないでしょう!)できるのは、誰かがその躾をしたからに違いありません。それは、やはり母親だったのではないでしょうか。
今、スネイプ先生が存在すること自体、最初に愛があったと思うのです。
その愛はいつまで続いたかは、わかりませんが。
スネイプ先生はそのことを自覚しているのでしょうか。
できれば、愛された実感があって欲しいと思います。
誕生日にしみじみ想っているかもしれません。記憶の中に両親はいるのですから。

