2005年10月19日 (水) 20:50 | 編集
クリスマスダンスパーティでパートナーを失ったハリーとロン。同じテーブルにやってきて話しかけてくるパーシーが、バグマンと話し始めた隙に外へ出ました。
正面玄関を出て散歩道の一つを歩き始めた二人の耳に、まもなくスネイプとカルカロフの会話が聞こえてきます。
「この数ヶ月の間にますますはっきりした。私は真剣に心配している。(後略)」(4巻23章p.103)と不安を訴えるカルカロフにスネイプは答えます。「逃げろ。我輩が言い訳を考えてやる。しかし、我輩はホグワーツに残る」(4巻23章p.104)
この時点でカルカロフが何を不安がっているのかは明らかにはされていませんが、『ますますはっきりしてきた』のは、左腕に刻まれた闇の印のことだと思われます。
カルカロフは闇の印が鮮明になり、その意味するところを考え不安になったのでしょう。
死喰い人としての過去を持ち、仲間を裏切ったカルカロフにとってヴォルデモートの復活は命を脅かすものです。同様の過去を持つスネイプに、今後の身の処し方でも相談したのでしょうか。
「騒ぐ必要はない」「なら、逃げろ」など、そっけない返事をするスネイプですが、「言い訳を考えてやる」のセリフに完全に突き放していない微かな思いやりを感じます。
そして自分自身はホグワーツに残るときっぱり断言するのです。
命の危険はスネイプ先生とて同じこと。逃げも隠れもせず、ホグワーツで教師としての任務を果たそうという強い意思が感じられます。
そしてその言葉に私は、死を覚悟した壮絶な響きを感じるのです。私は気が気ではありません。
しかし、このように書きながら、一方ではホグワーツこそ世界のどこよりも安全なのではないかとの考えも否定できなくなってきます。
5巻の閉心術の授業で、中に住む者の体と精神的安全が保証されていると説明しているように。「騒ぐ必要ない」のは安全だからで、「なら、逃げろ」はうるさいから、或いは足手まといになりそうだから遠ざけようとして言っているのかもしれないとも思います。
そのような考えがあることを否定できないながらも、私はスネイプ先生を信じています。
スネイプ先生は人にどう思われようと、何と言われようと、ホグワーツに骨を埋める気ではないかと思います。その覚悟を感じているからこそ校長はスネイプ先生を信頼しているのだと思うのです。
正面玄関を出て散歩道の一つを歩き始めた二人の耳に、まもなくスネイプとカルカロフの会話が聞こえてきます。
「この数ヶ月の間にますますはっきりした。私は真剣に心配している。(後略)」(4巻23章p.103)と不安を訴えるカルカロフにスネイプは答えます。「逃げろ。我輩が言い訳を考えてやる。しかし、我輩はホグワーツに残る」(4巻23章p.104)
この時点でカルカロフが何を不安がっているのかは明らかにはされていませんが、『ますますはっきりしてきた』のは、左腕に刻まれた闇の印のことだと思われます。
カルカロフは闇の印が鮮明になり、その意味するところを考え不安になったのでしょう。
死喰い人としての過去を持ち、仲間を裏切ったカルカロフにとってヴォルデモートの復活は命を脅かすものです。同様の過去を持つスネイプに、今後の身の処し方でも相談したのでしょうか。
「騒ぐ必要はない」「なら、逃げろ」など、そっけない返事をするスネイプですが、「言い訳を考えてやる」のセリフに完全に突き放していない微かな思いやりを感じます。
そして自分自身はホグワーツに残るときっぱり断言するのです。
命の危険はスネイプ先生とて同じこと。逃げも隠れもせず、ホグワーツで教師としての任務を果たそうという強い意思が感じられます。
そしてその言葉に私は、死を覚悟した壮絶な響きを感じるのです。私は気が気ではありません。
しかし、このように書きながら、一方ではホグワーツこそ世界のどこよりも安全なのではないかとの考えも否定できなくなってきます。
5巻の閉心術の授業で、中に住む者の体と精神的安全が保証されていると説明しているように。「騒ぐ必要ない」のは安全だからで、「なら、逃げろ」はうるさいから、或いは足手まといになりそうだから遠ざけようとして言っているのかもしれないとも思います。
そのような考えがあることを否定できないながらも、私はスネイプ先生を信じています。
スネイプ先生は人にどう思われようと、何と言われようと、ホグワーツに骨を埋める気ではないかと思います。その覚悟を感じているからこそ校長はスネイプ先生を信頼しているのだと思うのです。

