topimage

2017-08

整理された心 - 2017.05.10 Wed

先日5/2、ホグワーツの戦いの日、ローリングさんがTwitterでスネイプ先生の死を謝罪しました。



2015年にはフレッドを、2016年にはルーピンを死なせたことをやはりTwitterで謝罪しています。どうやらこの日犠牲になった人の死を謝ることが恒例になったようです。
若くて何の落ち度もないフレッドや、アーサーの代わりに死なせたルーピンに謝ることはわかる気がしますが、死ぬことでようやく渡せる秘密(しかもそれが主人公の進む道を示すもの)を持っていたスネイプ先生は、最初から物語中で死ぬことが運命づけられていたわけで、それを今更謝罪する意味がよくわかりませんでした。ハリーが次男の名前にその名をつけた意味を考えても、スネイプ先生の死があってこそ完結する物語なのですから、そこは永遠に謝らなくても良かったと思います。

私は物語を読む時、そこに作者の意図を見出そうとは思っていなくて、完全にその世界の中の人しか見ていません。(でも自分はその中には入っていないので魔法界の住人でもないのですが)
作者は神で、その世界の住人の生殺与奪の権を持っていることは事実だけれど、私の視界には決して入ってくることはなく、私がスネイプ先生の死を嘆く時は、そこに作者を問いただす気持ちはありません。
私は、物語中の登場人物に、怒りや悲しみの矛先を向けるのです。

で、先生の死を知ってから9年半経った今、とうに受容できていると思っているのに、時々怒りの感情に苦しめられるのですが、その矛先は相変わらずダンブルドアなのです。
駒のように使ったことも生きている間の扱いも、時々思い出したように耐えられなくなります。同じことの繰り返しです(笑)

ダンブルドアについては、ファンタスティックビーストの映画に若い頃の姿が登場することが明らかになり、その考察もTwitter上で活発に行われるようになっています。指輪の呪いで余命一年となった時、ダンブルドアはどんなことを考えたかと想像が飛び交う中、私が感じたのは全然違ったことでした。
私が感じたのは、ダンブルドアには死に向けて1年の間に心の準備をする時間があったのに、スネイプ先生にはなかった!という不満です。
もちろんスネイプ先生だって命懸けの任務に就いていた以上、ある程度心の準備はしていたと思います。でも、まだ三十代だったし、生きることへの意欲は失っていなかったと思うのです。

ダンブルドアは1巻でハリーにこう言っています。
「君のように若い者にはわからんじゃろうが、ニコラスとペレネレにとって、死とは長い一日の終わりに眠りにつくようなものだ。結局、きちんと整理された心を持つ者にとっては、死は次の大いなる冒険に過ぎないのじゃ」(1巻17章p.438)

この言葉を言ったダンブルドアはこの時既に百歳を超えていて、呪いがなくてもいつお迎えが来る状態かわからなかったわけですから、心の準備はかなりできていたと思います。
歳を重ねることで徐々に整理された心を持ち、期限ができたことで一層無駄なく時間を使ったダンブルドアは、理想の終末を迎えたと言っても良いでしょう。「次の大いなる冒険」くらいに死を迎えたでしょう。きっとペベレル家の三番目の弟のように死を古い友人として迎えたでしょう。
でもスネイプ先生はまだたったの38歳。ダンブルドアの四分の一じゃないですか!
覚悟はできていたとしても、「次の大いなる冒険」とも「古い友人」とも思えなかったのではないでしょうか。こういう悟りのような感覚は年月を経て至るものだと思います。
まだ生きたかったと思うと胸を抉られる思いで、スネイプ先生の死を静かに受け入れることは私には当分できません。

新しいスネイプ先生 - 2017.03.13 Mon

ジム・ケイさんがイラストを描く絵本版ハリー・ポッター、次に発売される『アズカバンの囚人』の絵の一部が公開されました。
『賢者の石』の初授業のページのイラスト以来、ジム・ケイさんの描くスネイプ先生にはお目にかかっていませんでした。絵本版『秘密の部屋』にはお姿がなかったのです。
今回、新しいスネイプ先生を目にした時は、しばらく動悸が治まりませんでした。
ご覧ください!↓


写真かと思うくらい生命を感じる絵ではないですか!

まず目を引いたのが、髪のねっとり加減、次に血色の良さでした。
髪については、原作ではこれでもかというくらい「ねっとりとした」とか脂ぎった(greasy)」と表現されてきたスネイプ先生の髪、映画では意外とぱさぱさした髪で、少々物足りなさを感じていました。ハリーだけでなく、シリウスや双子に髪のこと言われているくらいですから、誰が見ても感じる髪の脂っこさはあったはずです。これくらいのねっとりして初めて特徴として目に留まるのではないかと思います。

血色の良さがちょっと不思議。先生だってレンガ色に染まる描写がありましたが、この顔色は健康そうで、少なくとも土気色(sallow)ではなく、どんな思いで肌をこの色にしたのか聞きたいです。

指も気になります。
節くれだった感じが少し意外でした。もう少し繊細な指を想像していたからです。
労働者のような手であるところを見ると、魔法に頼らず手作業が多いのかもしれません。
あと、右手と左手で色が違うように見えます。右手が白っぽく、左手が黒っぽい。影かもしれませんが、関節の皺部分が白いので、左手は原材料などで着色してしまっているのかもしれないと思いました。左の袖口の汚れと同じ色にも見えます(笑)

服装については、黒尽くめになっていないところと映画の先生のように白いシャツの上にローブなどを身につけていること少なくとも三枚は着ていることが目を引きました。

でも、何より衝撃だったのは、賢者の石の時の挿絵に比べて表情が穏やかだったことです。
一瞬、誰?と思うくらい優しい目をしていたので驚きました。
でも、画像を拡大していくとだんだんそうは見えなくなってきました。口角が下がって奥歯を噛みしめているようにも見えます。
パッと見優しそうな目も、寂しそうな目に見えてくるし、ちょっと不思議な絵だと思いました。

これはあくまでジム・ケイさんの考えるスネイプ先生ですが、私は映画にしても監督や役者さんの解釈を見せてもらっているという感覚だし、私以外の誰かが語ったり描いたりするスネイプ先生も全てそういう目で見ているので、ジム・ケイさんの解釈を見せてもらうのはとても楽しいことでした。

物語に登場しなかった物品が描き込まれたこの絵には、挿絵にはないジム・ケイさんの思いが込められている可能性があります。でも、私には表情や服装などを見るのが精一杯。
絵の中に登場した物品についての解釈について、実に興味深い記事を拝見したのでご紹介します。書いた方にはリンクの許可をいただいています。一読の価値があります。ぜひご覧になってください。
スネイプ先生の肖像画について
絵画の見方を知らない私はただただ感心するばかりでした。

直筆画 - 2016.08.24 Wed

7/31に発売された「Harry Potter and the Cursed Child(邦題:ハリー・ポッターと呪いの子) 」読み終わりました。日本語版が発売されるまで、こちらでもネタバレを含まないよう、細心の注意を払っていきたいと思います。

さて、もう一か月以上前ですが、PottermpreのPotionsの項目を何気なく開き、目を通していた時のことです。文章は以前日本語にも訳されていたもので目新しくはありませんでしたが、スクロールした先に初めて見る画像がありました。
Pottermore Potions

リンク先の記事の真ん中辺りにあるローリングさん直筆の画像です。
ポタモアスネイプ先生t
JKRのサインの入った絵

これまでローリングさんが描いたスネイプ先生の絵はいくつか見てきましたが、これはこの時初めて見たものでした。他の絵について語った記事はこちら。「」「眉毛」「手の位置」「新スネイプ先生
けれども、今まで見てきた絵と大差なく、やはりこれがローリングさんの考えるスネイプ先生なのだな、と思わされます。

今回初めて見たこの絵の最大の特徴は、授業中のスネイプ先生の姿である、ということです。
今までは単独か、ただ集団に紛れているか、でしたが、これは作者が思い浮かべる魔法薬学の授業中の光景でもあるわけです。

スネイプ先生以外でまず目を引くのは、鍋の大きさです。
かつて何度か授業で使う鍋のことを考えてきましたが(「大鍋」「大鍋2」「大鍋3」「大鍋4」)、これでサイズは明らかになりました。
やはり私が読んでイメージしていた大きさと同じくらいだったわけです。(トランクに入る理由もPottermoreで明らかにされています)

火の姿が見えませんが、これについてはオフで語った時にバーニャカウダポットみたいになっているのではないか、という説が出ました。これについては、考える余地が残されていますね。

鍋以外に気付くのは、生徒たちが三角帽をかぶっている、ということです。
これは以前からそうではないかと気になっていました。
というのは、新入学時に送られてきた必要な物リストに三角帽がありながら、その描写が少ない一方、追い払い呪文の練習、パーバティの帽子を吹っ飛ばす、という描写があったからです(「とんがり帽子」)、いちいち書かないけれど帽子は被っているのが大前提なのかも、と思っていました。
スネイプ先生学生の頃に帽子を被っていることを示す描写は見つけられていませんが、この絵のように、三角帽をかぶって黙々と魔法薬を作るセブルス少年を想像するのは楽しいです。

次はスネイプ先生本人をじっくり見てみましょう。
髭、眉毛、手の位置、どれもかつて話題にしたことから外れていません。
髭は長く伸びるわけではなく、かと言って無いわけでもなく、今回も点として表現されています。私は作者直筆のスネイプ先生の顔を見るたび、口の周りに点を入念に描き足していくローリングさんの姿が思い浮かび、「これは外せないんだなあ」と可笑しくなります。外せないなら、どこかに無精髭の存在を伺わせるような描写があれば、もっと楽しかっただろうと思うのですが…

眉毛もやはり濃いですね。鼻にまでかかっていそうに見えますが、そんな人はいないので、鼻の上の黒いものは影かもしれません。
目がカメラ目線というかこちらを見ているのは、ファンのためのサービスかもしれませんが、こちら側にも生徒がいるからのような気がします。授業中のスネイプ先生は、ハリーだけを見ていたわけではなく、色々な生徒を見ていたと信じているし、生徒のいない方を見ているとは思えないからです。

他の絵でもそうでしたが、頬がこけているのもわかります。
ほうれい線と額の三本の皺も気になります。
描かれたハリーたちの風貌はまだそんなに学年が上のようには見えません。ということは、スネイプ先生も三十代前半だと思われるのですが、だいぶ老けて見えます。二重スパイとしての心労やホグワーツ校の教師としての激務などで憔悴しているのではないかと思われます。

手は例にもれず袖で隠すような形で前にきています。やはり腕組みしながら歩いているのでしょうか。
生徒達の前でも無意識に自分をガードする姿勢を取るスネイプ先生が切ないです。

あと気になるのは服装そのものです。
ローブに布がたっぷり使われているのが見て取れます。
この絵では踏み出した足(靴)が見えていますが、どうも少し裾は引きずっているようにも見えます。ローブを翻して歩くスネイプ先生、ホグワーツの床掃除も一緒にやっていそうです。
それから袖口!
これ、こんなにゆったり作られていて大丈夫なのでしょうか?
手を挙げたら肩までずり落ちて、腕がむきだしになりそうです。左腕に刻印された闇の印が丸見えにならないか心配です。
肌着的な何かを着ているのでしょうか。
もしかしたら、生徒の前で簡単に腕がむきだしにならないよう、組んでいるのかもしれません(笑)

汗(1巻) - 2016.06.01 Wed

ファンアートなどで、スネイプ先生が額などに汗をにじませている姿が好きです。
暑さや運動などでかく体温調節のための汗より、焦っている時とか、たじたじっとなっている時とか、やばいと思っている時とか、精神的なもの、緊張を伴うものが好きです(何の話をしているんでしょう?)あ、熱があったり、苦痛時の汗も好きです(^^;;

作品中でもそんな汗をかいている場面が結構あったのではないかと思い、探してみることにしました。妄想の目で見ればどこでも当てはまってしまいそうですから、それなりに説得力のありそうな場面に留めておこうと思いますが、無理かもしれません(笑)主観ばかりですが、良かったらお付き合いください。

・ハリーが入学してきた日
クィレル先生のターバン越しに目が合う直前に初めてハリーは「ねっとりした髪、鉤鼻、土気色の顔をした先生」を認識するわけですが、スネイプ先生の方はハリーが大広間に入ってくる前からハリー・ポッターが来ることはわかっていて、一年生の列に視線をやって、その中から簡単に見つけて、組み分けの儀式を背後から見て、ハリーが教職員テーブル見る時は視線を外して、そうじゃない時にこっそり見て、ということをやっていたのなら、脇汗くらいはかいていたのではないかと思います。
目が合った時、「大嫌い」という目をしていた、とハリーは感じますが、最期に言った言葉からしてもハリーの目にリリーを見ていたことは間違いなく、最初に目が合った瞬間のドキドキ加減はいかばかりか、と思います。その日は二度と目が合わなかったことからも、かなり注意深く過ごしていたと思われ、目が合った時のショックと伝う冷や汗を想像します。

・初授業
この時ハリーはスネイプ先生の目を「冷たくてうつろで暗いトンネルを思わせた」と見ているので、スネイプ先生は閉心術で武装して授業に臨んだのだと思います。色々シミュレーションしていたと思われ、大抵のことには動じず、自分のペースで授業を進めているように見えます。ただ、ハリーが『頑張って、冷たい目をまっすぐに見つめ続けた』時は、次の質問をすることで耐えたんじゃないかな、と思われ、そこにわずかな汗は期待したいところです(妄想の目を通さない決意が揺らぐ)
ネビルが鍋を溶かす、というのも怒鳴っているところを見ると、不安の表れのようで、この時も脇汗出てたんじゃないかと思います。

・ハロウィーンの日
トロールが地下室に現れたと聞いて、スネイプ先生が向かった先は4階でした。1階の大広間から急ぎ足で4階まで行ったスネイプ先生は普通に汗をかいていたと思います。
しかし、肝心なのはその後です。三頭犬に脚を噛まれた後に女子トイレ(何階なのか不明、反対方向に行こうとするハッフルパフ生に紛れ込んだのと、音を階下の誰かが聞きつけたと言っているので1階?)までやってきたスネイプ先生、映画ではこの時ハリーに足の傷を見られていますが、原作では何も気づかれていません。後に脚を引きずって歩く姿が目撃されていますが、この脚で階段を降り、何事も無いように振舞うスネイプ先生、痛みに冷や汗が出ていたかな、と思います。

・片足引きずって歩く場面
傷のある脚は、体重を乗せられないほど痛むから引きずるのです。ロンが望む通り、ものすごく痛くて、そして額にはじんわり汗がにじんでいたと思います(妄想です)

・ハリーにズタズタの脚を見られた時
「ポッター!」と声を荒げ、急いでガウンを降ろして隠したスネイプ先生、相当狼狽しているようです。これは漫画などであたふたしている時に描かれる💦💦がふさわしく思います。ついでですが、唾も飛んでいたと思います(笑)

・反対呪文をかけている時
クィディッチの試合中、クィレル先生の呪いに対して反対呪文を唱えている時、ハリーから目を反らさず、背後のハーマイオニーにも気づかず一心に呪文を唱えるスネイプ先生、一瞬の気の緩みがハリーを箒から振り落とすことになりますから、とても緊張していたと思います。杖を握る手は、手汗に湿っていたかもしれません。

・クィディッチ審判の時
スネイプ先生は箒は得意ではないと私は考えているので、そもそも箒に乗って選手の動きについていくこと自体とても大変なことだと思います。本来の目的は、ハリーがクィレルの呪いを受けないことにあったわけですから、いくらダンブルドアが見ていたとしても、やはりハリーの動きも捉えつつ、審判としての役割を果たさなければならなかったとしたら、身体への負担は相当なもの、終了時に青白い顔をしていたのも頷けます。相当冷や汗かいていたんじゃないでしょうか。

・クィレルを脅していた場面
ここは判断に迷うところです。どの程度ヴォルデモートを意識していたかがわからないので。クィレルだけを相手にしているつもりなら、余裕でしょうが、後頭部にいることは知らなくてもヴォルデモートの存在を感じていたら、口ほどの余裕はなく、慎重に言葉を選ぼうとする態度は汗をかかせていたのではないかと思います。

・寮杯がスリザリンではなくグりフィンドールに与えられるとわかった時
苦々しげな作り笑いでマクゴナガル先生と握手している時、驚きや怒りなどの感情を押し殺し笑って握手するスネイプ先生に敬意を表しますが、ねっとりした髪の下、頭皮を伝う怒りの汗はあったと思います。

白髪 - 2016.02.08 Mon

先日同級生が数人集まる機会があり、白髪の混じり具合に個人差があることに気付きました。
白髪の個人差というとまずルーピン先生を思い出します。

ルーピン先生が初めて登場した3巻に
まだかなり若いのに鳶色の髪は白髪混じりだった(3巻5章p.99)
と書かれています。
この時、ルーピン先生は33歳でした。33歳で白髪が混じっているのはやはりまだ早いでしょうか。スネイプ先生はどうだったのでしょう?

ここに気になる文章があります。
ポッターモアにリータの言葉として書かれていたローリングさんの文章です。
ポタモアがリニューアルした時、ほとんどの記事(英語のみ)が新サイトに引き継がれたのですが、リータの記事は検索しても見当たらないので、削除されてしまったのかもしれません。
ポッターマニアさんに和訳の記事が残っているのでリンクします。
和訳のあるポッターマニアさんの記事
2014年7月8日に開催されたクィディッチワールドカップの決勝に現れたポッター一家の様子を書いた中に、「間もなく34歳になるこの有名な『闇祓い』の黒髪には数本白い物が混じっている」と書かれているのです。
ちょうど3巻のルーピン先生と同じくらいの年齢のハリーには、白髪があった、ということですね。

ローリングさんが書いた文章ではありませんが、映画の「19年後」の場面には、皆少し白髪も混じっていたようです。この時ハリーは37歳ですからさらに白髪も増えていたかもしれません。(『19年後』は来年ですね!)
19年後について、これもまたポッターマニアさんでまとめた記事があり、そこに白髪についても触れられていたので、ご覧ください。
知っておきたいハリー・ポッター「19年後」に関する26の真実

何が言いたいのかというと、33歳のルーピン先生は33歳にしては白髪が多すぎたのは確かでしょうが、33歳のハリーの髪に白髪を混ぜたローリングさんの文章にしても、37歳のハリーたちに白髪を入れた映画関係者にしても、30代ではある程度白髪があるのが当然と考えているのではないか、ということです。
で、作品中31歳から38歳までの姿を見せてくれたスネイプ先生にも、やっぱり少なくとも数本くらいは白髪はあったのではないかな、と思うのです。

しかし一方で、特に描写がないなら、白髪も目立たなかったのだろうか、とも思います。
結構ハリーはスネイプ先生以外でも他人の髪の毛を見ているようで、ボウボウと長い髪(ハグリッド)、栗色の髪がフサフサして(ハーマイオニー)、流れるような銀色の髪(ダンブルドア)、白髪を短く切り(マダム・フーチ)、金色に輝くブロンドの髪(ロックハート)、バサバサの白髪頭(スプラウト先生)…など色々な表現が出てきます。
スネイプ先生はねっとりとした黒髪とか、脂っこい黒髪を肩まで伸ばし、べっとりとした髪、などと毎回脂っこさばかり強調されていて、色も黒としか表現されていません。
もし、ハリーが年の経過と共にスネイプ先生の髪に新しい特徴を見出したら、何らかの(悪意ある)表現をしたのではないかという気もします。ルーピンのことは、年を追うごとにみすぼらしく、白髪が増えているように表現しているのですから。

1997年の6月にスネイプ先生を見た後、翌年の5月1日に見るまでハリーはスネイプ先生をほとんど1年、生で見ていなかったわけですが(新聞の写真やヴォルデモートとの繋がりでは何度か見ていましたが)、心に憎しみが煮えたぎった状態で改めて外見的な特徴に言及したハリーは、白髪のことまでは触れませんでした。憎しみの余り新しい特徴に気付く余裕がなかったのでしょうか。

物語中の7年という時の流れの中で、生徒達の成長だけでなく、スネイプ先生にも外見な変化はあったと思うのです。
むしろルーピンより心労はあったように思われ、顔色は常に悪く痩せていた様子を見ても栄養状態だって良好とは言えないようだし、髪が健康な状態だったとも思えません。
ハリーにはスネイプ先生の外見の経時変化に、もう少し気付いて欲しかったです。

スネイプ先生お誕生日おめでとうございます! - 2016.01.09 Sat

スネイプ先生、お誕生日おめでとうございます!
今年もスネイプ先生を愛する方々と先生のお誕生日をお祝いするつもりです。
まだ日付が変わったばかりなので、ケーキは去年の物を上げておきます。
IMG_2577a.jpg
スネイプ先生のベッド型ケーキ
IMG_2579a.jpg
羊皮紙風のメッセージカード
今年のケーキがどんなものになるかは、後日日記の方でご確認ください。

先日ローリングさんの語ったスネイプ先生の内面に、すっかり気持ちを挫かれてしまった私でしたが、その後色々な方とお話しするうちに再びスネイプ先生のことを考えようという気持ちが湧いてきました。
私に火をつけたのは、ポッターマニアさんのこの記事です。
ヘドウィグを殺したのはスネイプ?新説がネットで話題に

これをTwitterで見た私はこう言いました。



これに対し、ポッターマニアさんから反応がありました。



このリプライをいただいた時、私はスネイプ先生がルーピンの守っているハリー(実際はジョージ)を本物だと思わないで追うとは考えてもいなかったので、どういう意味なのか理解できず、まだそれぞれの目的地に向かう前の話をしているのだと思いました。

後に、別なスネイプ先生ファンの方とお話ししたら、その方はスネイプ先生が、どの組が本物かわからないまま適当な組を追った可能性も50%くらい考えている、とおっしゃり、その時初めてそういう可能性もあったのか!と思いました。

私の思い込みだと判明したわけですが、どう考え直しても、私のイメージするスネイプ先生は、本物だと思わない組を追ったりしないことも判明しました。
つまり、7組のポッター&護衛がいた時、たとえヴォルデモートから「おまえはマッドアイを追え」と言われたとしても、やっぱり自分の信じるところの組を追ったと思うのです。後でその点責められても、上手く言い逃れる術(すべ)は、持っていたと思うし。
ヴォルデモート自身、最初はまっすぐマッドアイ組を追い、マッドアイの顔に呪いが命中して墜落してからは、キングズリーの組を追い、ハグリッドが守るハリーが本物だと知らされた時点で本物の所に追いついています。
ヴォルデモートだって適当に追ったのではなく、護衛の能力の高さから判断して選んだのだと思うし、スネイプ先生はスネイプ先生で、「箒」と「ルーピン」という組み合わせで選んだのだと私は思います。
ハリーの箒の乗り手としての腕と、ルーピンがハリーを大切に思う気持ちやルーピン自身の能力の高さとを総合して、「これだ」と思ったからこそ、急襲のどさくさの中から抜け出した組のうちルーピン組について行ったのだと信じています。
ダンブルドアに言われた「もっともらしくきみの役割を果たせ」の指示も、自分の信じるハリーと護衛の組を守る点では逸脱せず、他の部分で死喰い人らしく振舞おうとし、事故によって結局大変死喰い人らしい役割を果たしてしまったのだと考えています。

上記の文章を書くのにそれほど時間はかかりませんでした。
自分の思うところを一気に書きたいという衝動は久しぶりです。
反論されると自分の考えがまとまるのでとても燃えます(笑)
作者によって明らかにされる事実はどんどん増えてきますが、まだまだ語る余地は残っていると確信した出来事でした。
私は私のスネイプ先生像を、これからも追求していこうと思います。

匂い - 2015.10.26 Mon

先日、スネイプ先生の匂いについて作者が言及したことについては、日記で語りました。
2015.10.02 匂い!!!
Twitterでwhat does snape smell like?と聞かれたローリングさん、Bitterness and old shoes.と答えたのです。

これは私にとってはかなり衝撃でした。
ほぼハリーの目を通して描かれる作品中の描写にスネイプ先生の匂いについての記述はなかったため、それは取り立てて言うほどの特徴はないと考えていたからです。
ハリーはスネイプ先生の外見について、まだスネイプ先生と直接言葉を交わさないうちから、「バカバカしいターバンを巻いたクィレル先生は、ねっとりとした黒髪、鉤鼻、土気色の顔をした先生と話していた」(1巻7章p.187)という見方をしていました。
人物の特徴を捉えて具体的に表現するのが上手なハリーが、まだ悪意の感情がないうちから「ねっとりした黒髪」とか、「土気色の顔」とか感じているのです。
悪意のフィルターを通すと、顔色を「汚いレンガ色」と言ったり、全体の姿を「性悪なコウモリを思わせる」と言ったり、容赦ありません。
そのハリーが、スネイプ先生の匂いについて何も言っていないのです。
ハリーの嗅覚が鈍いとか、視覚的な情報しか描写しないとか、そういうわけでもなさそうです。他の人物については、匂いの記述がいくつか見られましたから。

・ターバンがいつも変な匂いを漂わせているのにみんな気がついた(1巻8章p.200)
クィレル先生の匂いについての描写です。

・突然ハリーはスラグホーンの地下牢で嗅いだあの花のような香りが漂ってくるのを感じた。見るとジニーがそばに来ていた(6巻9章p.290)

・ハリーはマンダンガスに鼻がくっつくほど顔を近づけた。湿気た煙草や酒の嫌な匂いがした(6巻12章p.371)

・ハリーのいちばん近くに立っていた、もつれた灰色の髪の、大柄で手足の長い男が言った。(中略)泥と汗、それに間違いなく血の匂いの混じった強烈な悪臭がハリーの花を突いた(6巻27章p.428)
フェンリール・グレイバックのことです。

マンダンガスには鼻がくっつくほど顔を近づけて初めて匂いの表現が出てきましたが、他の人は近くに立っているだけで感じている様子。
それに、スネイプ先生とだってかなり接近したことがあるのです。

スネイプは歯を剥き出し、ハリーの座っている椅子の左右の肘掛けに手をかけて顔を近づけた。顔と顔が三十センチの距離に迫った(3巻14章p.367)
顔と顔が三十センチの距離って、かなり近いです。しかもこの距離でスネイプ先生はしゃべっているのに、スネイプ先生の匂いについてハリーは何も言っていません。

以上のことから、私はスネイプ先生の匂いについては特筆すべきものがない、と判断したんです。
ハリーのスネイプ先生を表現する言葉は年々辛辣になっていったように感じられ、そのハリーが、「古靴のような臭いがする」と言わなかったのですから、そう考えるのも無理もないと思いませんか?
でも、作者の言葉は絶対です。
だったら、なぜハリーがスネイプ先生の匂いについてあげつらうことをしなかったのか、という方向から考えてみようと思います。

『old shoes』より先に表記された『Bitterness』に隠れてしまっているという見方はできないでしょうか?ローリングさんは、「Bitterness and old shoes.」という順番で答えたので、まず際立つのが『Bitterness』で、次いで『old shoes』ではないかと。
「Bitterness」がどういう匂いなのかイメージできませんが、これを数々の魔法薬の材料の匂いの混じった苦いような匂いと考えたら、その匂いは魔法薬学教師の放つ匂いとしては当たり前すぎてハリーも特に言葉にしなかったのではないか、という気がします。

もう一つ、悪口になり得る『old shoes.』の臭いが、ハリーにとって特に珍しくない匂いだということ。
思春期の男の子たちの靴の臭いときたら相当強烈ですし、靴を履きっぱなしの習慣のある国なら一層靴の臭いはキツいでしょう。そんな思春期男子が靴を脱いで寝る場所である寮のベッドルームは、スネイプ先生の比でない臭いがしていたのではないかと思います。あるいは、ハリー自身が古靴の臭いで、気付かなかったとか。

あと、遺伝子の型によって匂いの好感度が違うという実験が報告されていたりしますが、同性の場合それをどう感じるのかまでは、ちょっとわかりません。ただ、スネイプ先生が強く惹かれた女性の遺伝子を持つハリーですから、二人の遺伝子は遠いようにも思え、互いに惹かれ合わない事実はありますが、匂いとしては不快ではなかったのかな、という気もします。

今思いつくのはこの三つ。
いずれにしても、ハリーはスネイプ先生の匂いは気にならなかった、と今も私は考えています(笑)

敬称 - 2015.09.19 Sat

先日、いただいたコメントにお返事しようと調べものをしているうち、気になることが出てきました。
スネイプ先生が生徒を呼ぶ時の敬称のことです。

スネイプ先生はハリーに呼びかける時、「ポッター!」と苗字を呼び捨てしています。
物語を通して、ハリーに対して一番最初に言った言葉も「ポッター!」です。
しかも、その初授業の中では「ポッター、もう一つ聞こう。ベゾアール石を~」「クラスに来る前に教科書を開いて見ようとは思わなかったわけだな、ポッター、え?」「ポッター、モンクスフードとウルフスベーンの~」「教えてやろう、ポッター」「ポッター、君の無礼な態度で、グリフィンドールは一点減点」「君、ポッター、針を入れてはいけないと~」(1巻8章p.203~206)と口を開けば「ポッター」と言っています(笑)

スネイプ先生が他の生徒を呼ぶのはどうでしょう?
1巻でドラコと口喧嘩していたロンには「ウィーズリー!」と呼びかけています。
2巻では「ウィーズリー、君はフィネガンと組みたまえ。ポッターは」と言った後、「マルフォイ君、来たまえ」「それに、君、ミスグレンジャー―君はミス・ブルストロードと組みたまえ」と声をかけています。
マルフォイ君の「君」は原文ではMr(ミスター)です。スネイプ先生、マルフォイにはミスターをつけていたんですね。校長に志願されては?とのマルフォイの提案には「これ、これ、マルフォイ」と呼び捨てです。
3巻では「ウィーズリー、マルフォイの根を切ってやりたまえ」(3巻7章p.163)「オレンジ色か、ロングボトム」(3巻7章p.165)など呼び捨てにして同じ場面でもハーマイオニーには「ミス・グレンジャー」と呼びかけています。

ちなみに他の先生方、マクゴナガル先生は「ハリー・ポッター…!」とハリーがネビルの思い出し玉をキャッチした時言い、その同じ場面で他の生徒を「ミス・パチル」「ミスター・ウィーズリー」と呼んだ後、ハリーには「ポッター」と呼びかけています。その後授業中のウッドを連れ出し、「ウッド」と呼びかけています。ハロウィンのトロール騒動の時はハーマイオニーを「ミス・グレンジャー」と呼んで減点しています。4巻で転びかけてハーマイオニーの首にしがみついた時は「おっとー失礼、ミス・グレンジャー」で、3巻で新学期ホグワーツに到着したばかりのハリーとハーマイオニーに呼びかける時は、「ポッター、グレンジャー!」でした。
ダンブルドアは概ね「ハリー」と呼んでいます。フォードアングリアで学校に来た時は、ロンを「ミスターウィーズリー」と呼んでいました。
ロックハート先生は「ハリー」「ドラコ」と呼ぶ一方、決闘クラブでは「マクミラン」「ブート」「ロングボトム」「フィンチ-フレッチリー」と苗字を呼び捨てています。女子生徒は「ミス・ハーマイオニー・グレンジャー」と恭しく呼んだり、「ミス・フォーセット」と呼んだり、敬称はついています。
ビンズ先生はミス、ミスターの敬称をつけています。
ルーピン先生はファーストネームで呼んでいます。

ファーストネームのみを使う先生は、生徒との心理的な距離が近いように思います。ルーピン先生などは生徒の目線にとても近いと感じます。
ビンズ先生は、丁寧ではあるものの、名前を正確に呼べない辺り、生徒を聴衆という一塊の集団と見ていて、個人を見ていないようです。
マクゴナガル先生は改まった場面や叱る時などに敬称をつけ、そうでない時も苗字で呼び、ファーストネームでは呼んでいないようです。一定の距離を保っているように見えますが、そこには生徒に対して一定の距離を置かなければならない、という何か自分を律する気持ちがあるように見え、もしその抑制が何かの加減で取れたら、ファーストネームで呼びそうな温かい気配は感じます。実際、同僚は「セブルス」とか「シビル」とかファーストネームで呼んでいます。

スネイプ先生もマクゴナガル先生に近いところがあるように思います。
生徒をファーストネームでは呼ばない、というところです。生徒に対して一定の距離を保っているのでしょう。
苗字を呼ぶにしても贔屓している男子生徒には状況に応じてミスターをつけ、贔屓していない男子生徒は呼び捨てで、女子生徒は基本的にミスをつけて呼んでいます。
教職員に対してもほとんどが苗字の呼び捨て「ルーピン」「ダンブルドア」「フィルチ」ですが、マクゴナガル先生のことは「マクゴナガル先生(Professor McGonagall)」「ミネルバ」と呼んでいます。やはり、女性に対してはある種の敬意を払っているように見えます。

さて、このように一定の法則を以て生徒や先生を呼んでいるように見えるスネイプ先生ですが、ちょっと違うと思われる部分があったので気になりました。冒頭に書いたのはこのことです。
グリフィンドールのシェーマス・フィネガンのことを、一度「ミスター・フィネガン」と呼んだことがあったからです。6巻の『闇の魔術に対する防衛術』の授業で、シェーマスが亡者のことを質問した時です。
スネイプ先生はマルフォイには「ミスター」を頻回に使用していましたが、グリフィンドールの男子学生は呼び捨てが常でした。なのになぜ?と思い、一つの考えに行きつきました。
その考えを裏付けたくて、英会話の先生に「一人の教師が生徒を呼ぶ時に場面によって敬称をつけたりつけなかったりするのはどういう心理だと思いますか?」という質問をしてみたのが昨日です。
ミス、ミスターの敬称を使う時、嫌味の場合もあるにはあるけれど、大人扱いをしているよ、と示したい時も含め、概ねそこにはリスペクトの気持ちは存在する、と言われました。

リスペクトの気持ち!
この時、シェーマスは成人しています。少なくとも姿現しの試験日までには誕生日を迎える生徒に含まれており、試験日までは二週間余りです。だから、スネイプ先生は大人として扱っているのではないか、というのが私の考えでした。
ハリーはまだ未成年だったし、これがスネイプ先生の授業としては最後の場面で、比較できないのですが、同じ授業で、ロンを減点する時も「ウィーズリー」と単に苗字だけを呼ぶのではなく、フルネームで呼んでいるので、その辺何らかの区別があるのかもしれません。そこに何らかの敬意があったと考えたいです。

かがんで脈を取る - 2015.08.17 Mon

今まで何度か話題にしてきたことですが、3巻で気絶させられた時のスネイプ先生の姿勢について、再度考えてみました。
これまで書いたことは、その都度文中からリンクするようにしてあります。(この問題についていかに私が関心を持っているかがわかってしまいますね)

まずは、日本語の描写をご覧ください。
「スネイプ先生はどうしますか?」
ハーマイオニーが首うなだれて伸びているスネイプを見下ろしながら小声で言った。
「こっちは別に悪いところはない」
かがんでスネイプの脈を取りながら、ルーピンが言った。(3巻18章p.491)

同じ部分の英語は
‘What about Professor Snape?’ said Hermione in a small voice, looking down at Snape’s prone figure.
‘There’s nothing seriously wrong with him,’ said Lupin, bending over Snape and checking his pulse.(UK版ペーパーバック大p.276)

以前、このブログでも、日記でも語っていますが、『proneの考察2008.4.23』『proneの衝撃2008.4.23』この場面の姿勢について改めて考えたいと思います。

“首うなだれて伸びている”という表現から、壁に激突したスネイプ先生が壁にもたれてうなだれている様子を想像したのですが、原文では「prone」といううつ伏せを表す言葉が使われているのに気付き、大きな衝撃を受けたのは、もう7年以上も前のことでした。

proneで画像検索すると、その姿勢が山ほど出てきますが、ほとんどが顔を下にしてうつ伏せになっている図です。
prone」(クリックで画像検索先に飛びます)

三人から同時に受けた武装解除呪文によって足元から吹っ飛び、壁に激突した先生は、ずるずると床に滑り落ちた時に足元から崩れるように座るように滑り落ちたのではなく、左右どちらかに傾いて滑り落ち、床に到達した時にうつ伏せになったのだな、と私はイメージを改めたのでした。

ところが、この記事を書いたずっと後、ポッターモアに描かれたこの場面のスネイプ先生は、壁にもたれてうなだれている姿勢でした!
prone.jpg
うなだれるスネイプ先生
非常に暗い絵ですが、部屋の隅で壁にもたれる形で半身起こしてうなだれているスネイプ先生の姿が描かれていました!
これは邦訳にあったように、“首うなだれて伸びているスネイプ”そのものだと思いました。

proneにはうつ伏せだけでなく、うつむき、という意味もあるので、そちらのイメージだったのでしょうか。画像検索で出てくるのはうつ伏せですが。
以前英会話の先生にproneについて尋ねた時も、二種類の姿勢を示してくれました。『個人授業2008.4.27』
ただ、ネイティブスピーカーのイギリス人の女性に尋ねたら、proneの単語を知らないと言ったので(『原書を再現2010.3.13}』)、やや特殊な言葉であるのは間違いなさそうです。

さて、今回問題にしたかったのは、もう一つあって、ルーピンの姿勢です。
かがんで脈を取っているんですね、ルーピンは。
かがむと訳された部分、英語はbend overで、それを画像検索すると、関係ない画像もたくさんヒットしてしまうので、bending overで検索してみました。「bending over
だいたい、「かがむ」の言葉でイメージする姿勢だと思います。膝は曲げないか軽く曲げる程度で腰を前に曲げる感じ。

で、何が言いたいのかと言うと、この姿勢で脈を取る時、一番自然なのが、壁にもたれた姿勢の頸じゃないか、」ということです。
床の上にうつ伏せになっているのなら、首も手首も床と同レベルのかなり低い位置にあり、しゃがまなければちょっと苦しいのでは?と思います。
ちなみにしゃがむに相当するのはsquat downではないかと思うのですが、その言葉で検索すると、こんな姿勢が出てきます「squat down」膝を曲げて腰を落とした姿勢、床上すぐ辺りの手首でも頸部でも脈が取り易そうです。

squat downという表現があるのにbend overを使ったのなら、ルーピンは、腰を曲げて、膝は曲げず(あるいは少し曲げて)、腰は落とさず、スネイプ先生の脈を取ったのではないでしょうか。

脈についても日記に書いたことがありますが(『息抜き2012.8.19』、手首より頸部の方が低い血圧を触知できるので、そういう意味でも、意識のない人の脈を取るには、頸の方が適しているのではないかと思います。

また、もし、proneを床にうつ伏せになっている図、だと解釈すると、うつ伏せになって頭から血を流している人間を、その場にずっと放置していたルーピン(とシリウス)の人間性まで疑わなければならなくなってしまうので、ここは壁にもたれたスネイプ先生の脈を、ルーピン先生が首でチェックした、と考えるのが妥当なのではないかと思います。

何度もイメージが覆されましたが、今は壁にもたれ、うなだれるスネイプ先生の頸に、ルーピン先生が腰を曲げ手を当て、脈を確認している図を想像しています。

衝動の制御 - 2015.07.15 Wed

先日Pottermoreが更新された際、作者による「衝動的な悪意」という言葉が反響を呼んだことは日記(6/26)にも書きました。作者が「グリフィンドールの剣が湖の底に置かれた本当の理由はスネイプの衝動的な悪意」と書いたことに対する反響です。
反響を見ていて感じたことは、スネイプ先生がハリーへの憎悪の感情を克服できていないことや衝動を制御できないことへの戸惑いが少なからずある、ということでした。ハリーが入学してきた日から彼への憎悪の感情を丸出しだったスネイプ先生、ダンブルドアに「死ぬべき時に死なねばならぬ」とハリーの運命を告げられて衝撃を受けた様子だったのに、それでもなお、憎悪の感情を抑えることができていない、という点に驚く人が多かったのではないかと推察しています。

では、私はなぜあまりその点ショックを受けなかったのだろう?と自問しました。
私だって、スネイプ先生がダンブルドアの言葉に衝撃を受けた姿に心を動かされたし、「屠殺される豚のように」と言った言葉には紛れもなく抗議の気持ちが宿っていたと信じています。そしてそこには、スネイプ先生の人間的な成長はあったとの確信もあります。
ハリーと出会って7年、ハリーを守り続け教師としての経験も積んだスネイプ先生にはそれなりの成長があったと思うからこそ、私は魅力を感じ続けているのです。
だから、その人間的に成長したと思っているスネイプ先生が、ハリーにグリフィンドールの剣を渡す手段として凍った池に沈めることを思いついたのを、悪意はなく必然性があってやったこと、と思いたい部分は確かに私にもあります。
でも、そこに悪意があったと言うなら、「やっぱりそうか」と納得してしまいます。
ハリーへの憎悪の感情を制御することと、人間的な成長とはまた別物、という見方をするからです。

私は、スネイプ先生はハリーをハリーとして見ていなかった、と書いたことがあります。
ジェームズとして憎み、リリーとして愛したと。
けれど今になって、ハリーをハリーとして見ていた時もあったのではないかと思い始めています。
それは、ハリーが居ない場でハリーを話題にする時です。
例えば4巻の〝パジャマパーティ“の場面。ムーディと会話する中で「あの子の自身の安全のためだ」と言った時。また7巻33章でダンブルドアとハリーの今後について語る時。
ハリーを目にすると、ジェームズかリリーにどうしても重ねてしまうのだと思います。
ハリーの全体を見ればジェームズに、眼だけを見ればリリーに。
物語中何度かハリーと視線を合わせると、視線を先に反らすのはいつもスネイプ先生の方でした。強いまなざしで見つめられた時、そこにはリリーを見ていたのだと思います。

「死ぬべき時に死なねばならぬ」と言われた時なども、ハリーをジェームズに重ねることなく、一人の人格として見たからこそ、その運命を淡々と語るダンブルドアに驚愕したのだと思います。
でも、ハリーをひとたび目にしてしまうと、ジェームズと重ねることはやめられない、だから森の中でハリーの居所を確認した時(少なくとも守護霊を送る以前に見つけていたのではないかと思います)、その姿にジェームズを見て、授業中に見せたのと同じ程度の意地悪はしたくなったのだと思います。
それだけのこと。ハリーは三校対抗試合の第二の課題で、冷たい湖の水に1時間も潜っていたのを知っているわけだし(えら昆布なしでは無理でしたが)。
首から下げているロケットにヴォルデモートの魂の一部が入っていると知っていたら、ダンブルドアの手に封じ込めた強い呪いと同程度の呪いがかかっているものを身に着けていると知っていたら、決して凍った池に潜らなければならない状況を作ったりはしなかったでしょうし。
何かの衝動を抑えられない引き金のようなものは、人なら誰でも持っているのではないかと思っています。スネイプ先生の場合は、それがハリーの外見だったということで、特別なこととは私には思えないです。ハリーを目にすることなく剣を渡す手段を頭で考えるだけだったら、冷たい水に入ることを思いついたりはしなかったかもしれないと考えています。

そしてもう一つ、昨今のマグルの衝動的な感情から起こった事件などを見ても、スネイプ先生は一線を超えない(生徒を死に至らしめない)程度には衝動をコントロールできていたのだと私は考えているからです。スネイプ先生は、衝動的な感情をある程度は抑え、ある程度は暴走させ、それなりにバランスを取っていたのだと信じています。

解毒剤のテスト - 2015.03.09 Mon

先日からPottermoreの魔法薬作りがリニューアルされました。
リニューアル後に感じたことを色々書き留めていたのですが、途中で別な発見があり、そちらを先に書くことにします。4巻22章でのことです。

何人かの先生方は、クリスマスダンスパーティを控え上の空となった生徒たちにしっかり教え込むのは無理だとあきらめ、フリットウィック先生は授業中にゲームをさせて遊ばせた、という内容が書かれています。一方他の先生はそこまで甘くはなかったとあり、スネイプ先生については、以下のように書かれています。

クラスで生徒にゲームをして遊ばせるくらいならむしろハリーを養子にしただろう。生徒全員を意地悪くじろりと見渡しながら、スネイプは学期最後の授業で解毒剤のテストをすると言い渡した。(4巻22章p.50)

「むしろハリーを養子にしただろう」という素敵な表現は今回は置いておいて、問題はその後です。解毒剤のテストをする、と言い渡したことです。
以前読んだ時にどう感じたのか全く覚えていないのですが、今回この部分を読んだ時、これは既に出来上がっている解毒剤を飲ませるという意味のテストだと思いました。けれども、このテストというのは、実技テストだということが後の描写でわかります。

ハリーは、スネイプの解毒剤のテストに身が入らなかった。その結果、大事な材料を一つ加えるのを忘れた―ベゾアール石、山羊の結石――これで点数は最低だった。(同p.56)

なぜ私が出来上がっているものを飲ませる意味のテストだと思ったかというと、解毒剤は一か月以上前に授業で扱っていたからで、その時スネイプ先生は「だれか実験台になる者を選ぶ」と言っていたからです。まだ誰も実験台になっていなかったのだな、という解釈でした。

この解毒剤を授業で扱った日は、ハロウィーンの後少なくとも1週間は経っていて、第一の課題である11/17よりは前です。ロンとハリーは険悪ムード期間に入っていてハーマイオニーの前歯が伸びてしまった日でもあります。
この授業が始まって間もなく、コリンが授業中ノックして入ってきました。
「ハリー・ポッターを連れてくるように言われました」と使命感に燃えた顔で言い、スネイプ先生に「ポッターは授業が終わってから行く」と言われても「バグマンさんが呼んでます」「代表選手は全員行かないといけないんです」と食い下がり、さらに「ポッター、持ち物を置いていけ。戻ってから自分の作った解毒剤を試してもらおう」と言うスネイプ先生に「「すみませんが、先生―持ち物を持っていかないといけません」「代表選手はみんな―」と言い、ついにスネイプ先生に「よかろう!ポッター―カバンを持って、とっとと我輩の目の前から消えろ!」と言わせました。(4巻18章p.465~466)

つまり、ハリーはこの授業、全く受けていないのです。
『解毒剤』という魔法使いにとってはとても重要で今後どんな場面で身を守ることになるかわからない有用な魔法薬を作る機会を、ハリーは代表選手の集合のために失ってしまったわけです。
スネイプ先生とコリンのやり取りを見ていると、スネイプ先生は何度もハリーに機会を与えようとしているように見えます。後で戻ってきて同じものを作らせようとしたのです。時間内にはとても終わらないでしょう。これは居残りという罰則ではなく、補講の提案だと思うのですが、それすら行われませんでした。

結局荷物をまとめて出て行ってしまったハリーのために、スネイプ先生はもう一度機会を与えるつもりでテストをさせたのではないでしょうか。
何日か前に宣言して、当日までに勉強する機会と試験によって実践する機会を与えたのです。
ハリーの方は、談話室でハーマイオニーが魔法薬学のノートを読んでいる時に「キャノンズと飛ぼう」を読んでいたり、チョウをどうやってダンスに誘うか思案していて身が入らないまま解毒剤のテストを受けましたが。
ベゾアールを入れ忘れるという大失敗をして、スネイプ先生の思惑通りにいったのかどうかはわかりませんが、少なくともハリーは失敗に気づいたわけだし、スネイプ先生はできる限りのことをしたのだと思います。
また、最初の授業で「だれか実験台になる者選ぶ」と言ってハリーと目があったのも、ハリーに真剣に取り組んで欲しかったからかもしれません。ちょうどネビルに縮み薬をトレバーに試すといった時のように。

最初に引用した「解毒剤のテストをすると言い渡した」の文章の続きにはこうあります。

「悪だよ、あいつ」その夜、グリフィンドールの談話室で、ロンが苦々しげに言った。「急に最後の授業にテストを持ち出すなんて。山ほど勉強させて、学期末を台無しにする気だ」(4巻22章p.50)

生徒にとってはそう見えるかもしれません。
でも、スネイプ先生は、ハリーのため他の生徒のため、特に今後役立つ大事なことが身につくように、ハリーにはとにかく体験を、他の生徒には復習をさせたのだと思います。ハリーは点数が最低だったとありますが、評価のためのテストではなかったのだと思います。
1年生の最初の授業でベゾアールのことを話し、antidoteではなく、It will save you from most poisons.と表現したスネイプ先生。その後も一貫して生徒に身を守る術(すべ)を教えようとしていたことを確信し、今、尊敬の気持ちでいっぱいです。

使い分け - 2015.02.11 Wed

一人称については、既に何度か語っていますが、その使い分けについて思うところがあったのでまた書きます。

スネイプ先生の一人称、ずっと「我輩」が使われていきて、最期の瞬間だけ「僕」になり、その後ハリーがペンシーブで見たスネイプ先生の記憶の中の、ダンブルドアの前では「私」が使われていました。
「我輩」についてwebの国語辞典を調べると、大辞林 第三版の解説として「一人称。男性が用いる。①単数。古風で尊大な言い方であり,現在では余り用いられない。われ。わし。余。」と出てきます。尊大な言い方、というのが目を引きます。
ハリーや生徒に対して優位に立とうとする姿勢は原文を読んでも感じるので、そこから「我輩」と虚勢を張ったような訳がされたのも頷ける気がします。
では、ダンブルドアの前での「我輩」はどうでしょう。7巻より前、例えば2巻や3巻などではダンブルドアの前でも「我輩」でした。

「校長、ポッターが真っ正直に話しているとは言えないですな。(中略)我輩としては、彼が告白するまで、グリフィンドール・チームから外すのが適当かと思いますが」(2巻9章p.215)
「どうも――内部の者の手引きなしには、ブラックが本校に入るのは――ほとんど不可能かと。我輩は、しかとご忠告申し上げました」(3巻9章p.216)

二つの場面、共通しているのは、校長に進言しているということです。
こういった場面で「我輩」を使うと、目下の者でありながら、対等くらいの意識で話しているように見えます。そして実際、原文からもそういった気配は感じます。日本語の訳も、きっとそういった無礼な気配を感じ取って一人称が「我輩」となったのだろうと思います。
(余談ですが、探してみると、意外とハリーの前でスネイプ先生がダンブルドアと話している場面が少ないことに気付きました。考えてみれば、ダンブルドアの目が光っているところではスネイプ先生もハリーに対してそうそう理不尽な言動が出来ないでしょうから、そういった場面が目立ったということは、スネイプ先生は、ダンブルドアがいない場面でしゃべることが多かったということですね)

では、7巻の、ハリーがいない状態でダンブルドアと話しているスネイプ先生からは、言葉の中にそのような尊大さ、無礼さを感じさせなかったから「私」と訳されたのでしょうか。
私はそんな気がしています。
ハリーや他の生徒が見ていたからこそ虚勢を張っていたスネイプ先生でしたが、ダンブルドアと二人だけの時は素の自分を出し、感情も素直に表現していました。意見する時も無駄に上から目線ではなかったように思います。大人なスネイプ先生には「私」がふさわしいです。

「私をもう少し早く呼んでくださったら、もっと何かできたものを。もう少し時間を延ばせたのに!」(7巻33章p.441)

ここは、「私」がとても合っていると思います。憤慨してはいますが、年齢相応の態度に見えます。
この言葉の前に「わしは幸運じゃ。セブルス、きみがいてくれて、わしは非常に幸運じゃ」(同)という自分を肯定してくれる言葉があったからかもしれません。
逆に、むしろ「僕」がふさわしかったのではないかと思うような場面もいくつかありました。

「それではダンブルドア、私の魂は?私のは?」(7巻33章p.444)

この場面、私には「僕の魂は?僕のは?」に見えます。ドラコの代わりに自分を殺せと依頼するダンブルドアが、ドラコの魂を守りたい気持ちを表明した時に出た言葉で、スネイプ先生はドラコと同等な少年に見えます。

「あなたはあの子を信用している……私を信用なさらない」「ではなぜ、私には同じ情報をいただけないのですか?」(7巻33章p.446)

ここも、気持ちはハリーと同年で、「あいつを信用して、僕を信用してくれない!」と訴え、「なんで僕には同じ情報をくれないんだ!」と拗ねているように見えて仕方ありません。このセリフの後に続くこの場面の全ての「私」が「僕」に見えます。
こうしてみると、ドラコやハリーなど年下の者がダンブルドアによって庇護されている、自分とは違う待遇を受けている、と感じる時に嫉妬のような感情が出ると私には「僕」に見えるのだと思いました。
あと、7巻ではないけれど、やはり「我輩」には見えない場面があります。

「我輩の証言は何の重みもないということで?」(3巻21章p.511)
「お忘れになってはいますまいな、校長?ブラックはかつて我輩を殺そうとしたことを、忘れてはいますまい?」(3巻21章p.513)

この後、踵を返し、肩を怒らせてドアから出ていっています。ファッジが見ているのにおかまいなしの行動です。
ここ、ハリーは眼中になさそう。「私」か「僕」の方が近い気がします。この瞬間、ブラックと一緒に過ごした時代にいるように見えるので、「僕」がより近いようにも思います。

そして訳されてはいませんが、
「こいつがやったんだ。わかっている。こいつがやったんだ」(3巻22章p.548)
'HE DID IT, I KNOW HE DID IT -'(UKペーパーバック版p.306)

この理性を失った状況の「I」は、「僕」に限りなく近かったのではないかなと思います。
この後、棒立ちになったスネイプ先生はファッジとダンブルドアを睨みつけて、くるりと背を向け、ローブをシュッと翻して去っていきました。客観的には無礼な態度ですが、その心情を察するとよく抑えたと感心します。もし何か言葉を発したら、その時の一人称は「私」がふさわしかったのではいかと思っています。
ちなみに、私には最期の一人称は「僕」ではなく「私」に見えます。

スネイプ先生の一人称、英語では全て同じですが、いくつもある日本語の一人称の中から「我輩」と「私」と「僕」が使い分けられた背景には、スネイプ先生のその時の気持ちを推測する翻訳者の考察があったのだろうと思うと、それがたとえ読者の想いと一致しなかったとしても、とても興味深いです。

個人授業中 - 2014.11.09 Sun

最近Pottermoreで不死鳥の騎士団の一部が公開され、その中に、私の好きな場面の抜粋があって嬉しくなりました。

この場面、7巻を読む前はさらっと通り過ぎてしまい、5巻を語っている時は特に取り上げていませんでしたが、7巻を読んでからはまた違うものに見えてきました。
まずどの場面だか、Pottermoreではどのように引用されているのか、画像をご覧ください。
トレローニー解雇される
26章の一場面

ハリーは閉心術を学ぶため、スネイプ先生の個人授業を受けます。
何度目かの授業で、ハリーはプロテゴを使いスネイプ先生の過去のいくつかの場面を見てしまいました。
ハリーに見られたことで自分でもその記憶を見てしまい、「もうたくさんだ!」とハリーを突き飛ばしたスネイプ先生ですが、その後も授業を続けました。
そして、闇の帝王がハリーの思考(夢)に入り込んで植え付けた「神秘部」に向かう映像を、スネイプ先生も目にします。扉の先まで見てしまったハリーにスネイプ先生は、自分の記憶を覗かれた時より怒りました。

それはダンブルドアがハリーに見せたくなかったヴォルデモートの思考で、これ以上見せないためのスネイプ先生の個人授業でしたから、個人授業開始から二ヶ月以上経過しても闇の帝王の思考への侵入を阻止できないハリーに、スネイプ先生が苛立ったのも無理はありません。

思春期のハリーも負けずに口答えし、スネイプ先生がヴォルデモートのことを闇の帝王と呼ぶことを「死喰い人がそう呼ぶのしか聞いたことがない」と挑発します。
唸るように口を開いたスネイプ先生は、頭上で響いた女性の悲鳴に天井を仰ぎました。
そして上の画像に示したセリフ「ここに来る途中、何か異常なものは見なかったか?ポッター?」と聞き、もう一度女性の悲鳴が聞こえたところで、杖を構えたまま部屋を出ていったのです。

7巻まで読むと、スネイプ先生はハリーを守ることでリリーへの愛を示し罪を償おうとしているように見えます。実際そうだったろうと思いますし、作者もPottermoreで以下のように言っています。

「彼(ダンブルドア)が「憂いの篩」に「想い」を注ぐと、ハリーの顔がスネイプの顔に変化します。ダンブルドアは、スネイプとハリーの間に隠された因縁(スネイプがハリーの母親を愛していたこと、そして彼が今、非常に渋々ながら、彼女に義理立てしてハリーを守ろうとしていること(that Snape was in love with Harry's mother, and is now -though immensely grudgingly - honour-bound to protect him))があることを、自らに思い出させようとしているのです。[Pottermore 4巻30章「憂いの篩」(ペンシーブ) 新着コンテンツ]

スネイプ先生が、非常に渋々ながら(though immensely grudgingly )、リリーに義理立てして(honour-bound)ハリーを守っている、というのは、作者によって決定されたわけですが、それでも、スネイプ先生がホグワーツにいる理由は、ハリーを守るためだけじゃないと私は思っていて、その証拠の一つがこの場面なのです。

ハリーを闇の帝王から守るのは何をおいても最優先だったはずで、まさにそのために授業をしていた時に、頭上から女性の叫び声と騒ぎを聞きつけ、ハリーを放って部屋を出たのです。
もしこの時ハリーの身に災いが起こりそうだったら、スネイプ先生は他のことに気を取られたりせずにその場でハリーを守っただろうとは思います。でも、この時ハリーは閉心術を修得出来ておらず、スネイプ先生はとても熱くなっていました。それはつまりこの先のハリーの身の危険を案じてのことだと思うのですが、そんな時に叫び声が聞こえ、ハリーに教えることより上に様子を見に行くことを優先させたのです。

ダンブルドアの傀儡のようにも、リリーだけに執着していたようにも言われるスネイプ先生ですが、やはりそれだけではないと、見る度に確信を強める場面です。

先生らしい一面(3/12追記) - 2014.03.11 Tue

スネイプ先生の人物像を語る時、美化する部分が人によって違うことに気付いた、ということを昨日日記の方に書きました。
私はスネイプ先生の教師の部分を美化する傾向があります。私にとっては、リリーを愛し続けたことやハリーを守ったことはそれほど重要じゃなくて、ホグワーツを守ったことが重要なんです。

スネイプ先生が教育者として優れていたか、というとさすがに私も大声で主張できるほど自信はありません。贔屓は本当にしていたと思うし、いじめに相当する部分もあったと思います。1巻で「スネイプは生徒という生徒はみんな嫌いなんだから」とハグリッドが言ったこともあながち口から出まかせとは思えません。
非常に独り善がりで未熟な人物だと正直思うのですが、そんな中で先生としての仕事も意外ときちんとやっているじゃない?と思わせる部分を探し、評価するのが私の方向なんです。
スネイプ先生の言動の解釈を"先生らしい”と見るところが私のスネイプ先生を美化する方法なのです。

例えばレポート。スネイプ先生は一応目を通してチェックしています。
「レポートの下らなさに耐え忍ばなければならなかった」というような発言もありましたが、それは真実だと思います。
学生のレポートの内容にスネイプ先生が学術的な興味を持つようなことは無いに等しいでしょう。スネイプ先生の興味からは外れているでしょうに、数百人(6年生以上は選別されるとしても)のレポートに目を通しているのは、レポートを書くことが生徒自身の理解を深めることになると知っているからだと思うのです。
ただ書かせるだけでなく、きちんと目を通しているからこそ、上記の発言があるわけで、レポートを出しっぱなしでないこともわかります。
ある程度主観で評価をつけている傾向はありますが、それでもハーマイオニーが学年一番の成績であるところを見るとグリフィンドール生がみんな一律DとかTという訳ではないでしょう。
ちゃんと学生のために時間と労力を使っているのだと思います。自分自身の研究や読書に時間を使いたいでしょうに。
そんなところが先生らしいと思います。

6巻で、クラッブやゴイルを居残らせたのは、二人をO.W.Lでパスさせる目的だと言っています。スリザリン生だからと甘やかさず、無関心にもならず、生徒の将来を考えてのことと思います。
また、4巻でハリーが夜中に第二の課題の卵を階段で落としてしまったことがありましたが、大きな音を聞きつけたスネイプ先生は地下の寝室から寝巻きのまま駆け付けました。1巻でも夜中に城の中を見回っている場面がありましたが、校内の安全に気を配ってもいるところも、私にはポイント高いです。
7巻でダンブルドアに、ホグワーツがヴォルデモートの手に落ちたら全力で生徒を守ると約束してくれるな?と言われた時の頷きの表現「stiff nod」なども私の目から見たら、事の重みを受け止めた上での決意の頷きに見え、非常に重要な場面です。
こうして書くと、「教える立場」と「保護する立場」両方のスネイプ先生が私には重要なのだと気付きます。対象はハリーだけでなく、ホグワーツの生徒全体に及ぶ、というところが大事です。

元々自分より年少の者に興味などなかったと思います。興味の幅が狭くて、特に人間に関してはリリー以外にはあまり興味を持っていなかったように思います。本当に生徒は嫌いだったかもしれません。
そんなスネイプ先生が、十数年の教師生活の中で、次第に生徒たちの将来を考えるようになり、守るべき対象と見るようになり、いつの間にか本人も気付かないまま先生らしくなり、人間として成長していた、というのが私の妄想の行きつく先なのです。

3/12追記
この文章を書いたあと、スネイプ先生の魔法使いとしての能力と精神力も私にとって美化したい部分だと思い出しました。
それでも私が先生としてのスネイプ先生を第一に考えるのは、スネイプ先生が過去だけを見ていた人だとか、贖罪のために生きたとか思いたくないからだと自分では考えています。生徒の将来を考えるということは、スネイプ先生が現在を生きていた証だと思うから。
だから私は、教師としてのスネイプ先生が、ハリーだけでなく他の生徒もちゃんと見ていてその未来を考えていた、と思える部分を探すのだと思います。

リリーの瞳 - 2013.06.25 Tue

先日頂いたコメントに、閉心術の授業でハリーの瞳をさんざん見てきたスネイプ先生が、今更そこにリリーの瞳を感じるだろうか、という内容があり、お返事するうちに新たな発見があったというか、今まで疑問に思っていたことが解消されたのでお返事ではなく一つの記事としてまとめることにしました。

その時のコメントへの返信で私は、「スネイプ先生は常にハリーの中のリリーを意識していたわけではないと私は考えています。ほとんどの場合がジェームズとして見ていて、時々ハリーの意思の強い視線などにリリーを見ていたのではないかと思います。授業場面などでハリーが強い意思を以って見返した時、スネイプ先生が視線をそらすことが何度かありましたが、そういう時にリリーを見ていたのではないかと思います。」と書きました。
これが、スネイプ先生がハリーをどう見ていたかについての基本的な私の考えです。

さて、閉心術の授業の場面をよく見ると面白いことに気付きます。
最初、スネイプ先生は開心術についてこう説明しています。
「ポッター、魔法では時間と空間が物を言う。『開心術』では、往々にして、目を合わせることが重要となる」(5巻24章p.178)
後に色々な場面でスネイプ先生がハリーの目を抉るようにして見ていることからも目を合わせる重要性がわかります。
ところが、同じ日の練習時、スネイプ先生は「目をつむりたまえ」と指示しているんです。
私は、この場面、7巻を読む前は「目を合わせることが重要なのでは?」とツッコミを入れながら読んでいました。目をつむっている時点で相手は開心術をかけられず、開心術に抗う閉心術の授業は成り立たないと思うのです。

今回さらによく見ると、一番最初に練習を始める時はスネイプ先生は「目をつむれ」とは言っていないことがわかりました。ハリーのいくつかの質問に答え、いよいよ閉心術の練習を始める時スネイプ先生はこう言っています。
「立て、ポッター。そして杖を取れ」
「杖を使い、我輩を武装解除するもよし、そのほか、思いつくかぎりの方法で防衛するもよし」
「(略)構えるのだ。いくぞ。『開心!レジリメンス!』」(同p.182)
これだけの指示です。目をつむれとは言っていません。

いきなり開心術をかけられ、ハリーはいくつかの記憶を呼び起されました。チョウとのキスの場面が出てきそうになると、スネイプ先生に見せまいとして、何かの呪いを放って攻撃、スネイプ先生の手首にみみず腫れを作ることでなんとかそれ以上記憶を覗かれることを阻止しました。
ハリーはこの時、自分が見た物をスネイプ先生が見たかどうか確認し、「あれは誰の犬だ?」という答えで同じ場面を見たことを知ります。
そして、「気持ちを集中するのだ。頭で我輩を撥ねつけろ」などと指導されて、ハリーは「僕、やってます」と怒ったように言い、「でも、どうやったらいいか、教えてくれないじゃないですか!」と続けました。(同P.184)
「態度が悪いぞ、ポッター」と指摘したスネイプ先生は、二度目の練習を始める前に初めて「さあ、目をつむりたまえ」(同p.184)と言ったのです。

これは、スネイプ先生は開心術の授業を開始した時はまだハリーをジェームズとしか見ていなくて、二回目の時にはハリーの目にリリーを見たということではないかと私は考えています。
一回目の練習前のハリーは不安げにスネイプ先生を見ていたのに対し、一回目練習後のハリーは怒っていましたから。

リリーは、よく意思の強い目でキッと見つめ返すことがありました。7巻33章のプリンスの物語の中のリリーは、各場面の最後、たいてい激しい目つきで睨んでいます。
・一つ目の記憶…去り際にスネイプを睨みつけた(p.415)
・二つ目の記憶…激しい目つきで睨みつけ(p.420)
・五つ目の記憶…リリーの明るい緑の目が細い線になった(p.430)
・六つ目の記憶…リリーは軽蔑した顔でスネイプに背を向け(p.431)

そのリリーの鋭い目つきに似ていたから、『開心術』という目を合わせることが重要な術に抗う練習の時に「目をつむれ」などと言ったのだと思います。
実際、「目をつむれ」と言われた後、ハリーはその指示に従う前にスネイプ先生を睨みつけました。
スネイプ先生はリリーに睨まれているように感じたのではないでしょうか。

目をつむった相手に本当に開心術をかけることができるのか疑問ではありますが、その直後の練習後いつもより蒼ざめていたスネイプ先生は、ハリーの記憶に踏み込み、リリーの姿を見てしまったことが見て取れます。(スネイプ先生にとって閉心術の個人授業は、ものすごく消耗するものだったに違いありません)
でも、この時以降、スネイプ先生は「目をつむれ」とは言っていません。しかも、26章でハリーがプロテゴを使う前、集中したハリーはスネイプ先生の顔を見ています。やはり基本的に閉心術の練習時は目を開いていたのではないでしょうか。
スネイプ先生が目をつむれと言ったのは、あの時リリーの目を避けるためだけの目的で、閉心術の練習のためではないと私は思います。

“あいうえお”の顔 - 2013.05.27 Mon

先日日記の方に、スネイプ先生がたじろぐ表情が見たいと書きました。
相手の勢いに圧倒されて、たじたじして日本語の「いっ!」と言っている顔です。
怒って歯を食いしばって「い」の顔をすることは多々あったと思いますが、その「い」ではなくたじろぎの「い」で(勝手な分類)、それを見てみたいと思いました。

「い」に限らず、日本語の「あ」には驚きの表情が伴い、「う」には痛みや言葉に窮した時の表情、「え」は疑問や疑念、「お」には感嘆があるのではないかと思います。(詳しい内容は日記をご覧ください)
実際は「え?」ではなく'What?'と言っているでしょうし、日本語で感情を示すわけではないのですが、感情の表現の分類としてわかりやすいので、日本語の「あいうえお」の表情をしている場所がないか、原作を探してみました。

「あ」
4巻25章の“パジャマパーティ”の場面はどうでしょうか。
床に落ちていた忍びの地図を目にした時のスネイプ先生。
「わかったぞ、という恐ろしい表情」とハリーは見ていますが(p.176)、それこそが「あっ」ではないかと思います。
あとは、7巻32章でナギニに噛まれた時とか…。悲鳴を上げ、目を見開いているのは、驚きもあるけれど、恐怖も大きかったのだろうと思います(号泣)

「い」
スネイプ先生がたじろぐ(相手の勢いに圧倒されて、ひるむ。しりごみする)などとても稀なことだと思いますが、子ども時代、学生時代はしばしばありそうです。
リリーの前に初めて飛び出していった時なんかはどうでしょう?
「わかりきったことって?」とリリーに問われた時。
スネイプは興奮し、落ち着きを失っているように見えた(7巻33章p.413)
この場面などは、リリーとペチュニアの会話に割って入っていったのは良いけど、リリーに声をかけられて一瞬ひるんだように見えます。
同じ章で、ペチュニアに木の枝を落としてぶつけたことをリリーに責められている時も。
それから、高学年になってからのこの場面、「わたしに何を許さないの?何を許さないの?」(7巻33章p.430)とリリーに詰問された時。「そういうつもりじゃ―」と言い返していますが、言われている時は「い」だったのではないかと思います。
リリーの剣幕に圧倒されるセブルスは、たびたび見られたのではないかと思います。

教師時代でも、皆無ではないような気がします。
5巻24章p.187に、こんな描写があります。
「『神秘部』には何があるんですか?」
「何と言った?」スネイプが低い声で言った。なんとうれしいことにスネイプがうろたえているのがわかった。
スネイプ先生、「うろたえている」とハリーに思われるとは失態ですね。ハリーに不意をつかれて微かに「い」の表情をしていたら可愛いです。

「う」
7巻33章p.417に「何か違うの?マグル生まれって」とリリーに聞かれ、躊躇する姿が見られます。
これも「うっ」という表情かな、と思います。
7巻33章p.442~443「ドラコが失敗すれば当然その仕事を引き継ぐのは、きみじゃろう?」と言われた瞬間。一瞬の間があり「う!」と言葉に詰まったのかな、と思います。
たじろぐ「い」と言葉に詰まる「う」は、関連の深い表情だと思います。
同じ会話でも相手の発言を聞いている段階では「い」で自分が発声しようとする意図がある時「う」。
だから、「い」で挙げた場面も直後に「う」に変わった可能性もあるのではないかと思います。

「え」
4巻25章p.177の"パジャマパーティ"で、ムーディーに「校長には謹んで伝えておこう。君の考えがいかに素早くハリー・ポッターに飛躍したかを!」と言われ「どういう意味だ?」と言ったスネイプ先生の表情は疑いを込めて睨みつける「え?」の顔だったのではないかと思います。むしろ「はぁ?」かもしてないけれど。
それから、7巻33章p.440でダンブルドアに組分けが性急過ぎると言われた時の雷に撃たれたような表情も、驚愕の「え?」だと思います。

「お」
これを探すのはとても難しいです。スネイプ先生が感嘆している場面などあったでしょうか?
実際になくても、この場面の行間にはあったのではないか、という場所は……。と頭を捻って思いついたのが次の場面。
3巻で、脱狼薬を届けようとルーピン先生の部屋に入ってで忍びの地図を見つけた時です。
ハリーから取り上げ損なった羊皮紙の切れっぱしに地図が浮かび上がり、ルーピンの名が移動しているのを一目見て、必要なことは全てわかったというスネイプ先生のその瞬間の表情は、「あ」より「おお!」が近い顔だったのではないかと思います。

以上、ざっと思いついたほぼ勝手な想像を挙げてみました。
表情の変化を極力抑えているようなスネイプ先生ですが、探せば(妄想すれば)まだまだたくさん出てくるのではないかと思います。

選択授業 - 2013.05.06 Mon

以前オフで語り合った際、学生セブルスは、選択授業に何を選んだか?という話題が出ました。
学生セブルスの人物像によってここはとても意見の分かれるところだと思います。

「好奇心旺盛で、あらゆる分野の学問に興味を持つのではないか」と見るなら、全部選択しそうです。ハーマイオニーのように、タイムターナーを使ったことも考えられます。
「関心と無関心の差が激しく、興味に偏りがあるのではないか」と見るなら、見向きもしない科目もありそうです。
私のイメージする学生セブルスは、興味に偏りのある後者です。
では、私のイメージする学生セブルスは、どの科目を履修するのでしょう?ちょっと真剣に考えてみようと思います。

まずは、ハリーたちの選択科目選びから見てみます。
選択科目が登場するのは、三年生からです。
どの科目を選択するか考える課題が出たのは、二年生のイースター休暇の時でした。
この場面(2巻14章p.372~374)で出てきたのは、『数占い(Arithmancy)』『古代ルーン文字(Study of Ancient Runes)』『占い術(Divination)』『マグル学(Muggle Studies)』『魔法生物飼育学(Care of Magical Creatures)』の五科目で、これが選択科目の全部だと思われます。
(この時ハーマイオニーは全科目を登録したとあり、後に占い学とマグル学の履修をやめ、十科目でO.W.Lをパスしました。O.W.L試験の必須科目が、『天文学』『呪文学』『闇の魔術に対する防衛術』『薬草学』『魔法史』『魔法薬学』『変身術』の七科目だとすると、残りの三科目が選択科目で、それが占い学とマグル学を抜いた三科目ということで計算が合うからです)

では、この五科目のどれをセブルス少年は選んだでしょう?

『数占い(Arithmancy)』
いきなり難しい。そもそも数占いが何であるのかよくわかりません。
Arithmancyで調べると、アルファベットを数字に置き換えて占う形の数秘術のようなものに見えます。
この「占い」が論理的に証明できるものであるとセブルスが判断するかどうかで履修の有無が分かれそうです。

『古代ルーン文字(Study of Ancient Runes)』
これは履修したと思います。
ルーン文字のみで書かれた文献などありそうですし、「読めないから」という理由で読まない人ではないと思うからです。
また、ペンシーブの縁にはルーン文字が書かれているように、魔法の世界では日常的に目にする機会の多い文字だと思われ、関心を持たないとは思えません。

『占い術(Divination)』
これは履修しなかったと思います。
トレローニー先生はこう言っています。「『眼力』の備わっていない方には、あたしがお教えできることはほとんどありませんのよ。この学問では、書物はあるところまでしか教えてくれませんの」(3巻6章p.136)
マクゴナガル先生はこうです。「『占い学』というのは魔法の中でも一番不正確な分野の一つです。私があの分野に関しては忍耐強くないということを、皆さんに隠すつもりはありません」(3巻6章p.145)
また、ハーマイオニーも「とってもいい加減」「あてずっぽうが多すぎる」(3巻6章p.146)と言ってい、天分とか感性とか生来持っているものに頼るような分野だとわかります。
論理的なスネイプ先生には、理解できないというか、興味のない分野だったのではないかと思います。

『マグル学(Muggle Studies)』
これはどうでしょう?
私は履修しなかったのではないか、という気がします。
ペチュニアへの話し方やリリー以外のマグル生まれを「穢れた血」と呼ぶことに躊躇しなかったことから、マグルに対しては、嫌悪感を持っていることが伺われます。
そもそも、リリーはマグルとしては見ていなかったと私は考えています。むしろ最も魔女らしい、というか魔法界の象徴のように見ていたのではないかと考えています。だから元々「穢れた血」と言わなかったのだと。
もちろん、リリーを傷つけないために言わなかったとも考えられますが、「きみは魔法の力をたくさん持っている」(7巻33章p.417)という言葉には強い憧れがにじみ出ていて、マグルとは一線を画しているように思います。
また、マグルの世界を出てホグワーツに行くことに大きな希望を持っていたようですから、わざわざマグルのことを思い出すような授業は選択しなかったのではないかと思います。決める時期が二年生であることを考えても、選択しなかったのではないか、と思います。
ただ、学生時代に履修しなかったとしても、後に独学で学んだのではないか、という気はしていて、教師時代のスネイプ先生は自分の体験のみに頼る偏ったマグル観は持っていないと思います。

『魔法生物飼育学(Care of Magical Creatures)』
これも難しいです。
魔法生物に対しては興味はあったと考えていますが、「飼育(care)」に関して学生時代のセブルスは興味があったかどうか疑問です。生態を机上で学ぶだけなら、『闇の魔術に対する防衛術』の分野になるのでしょうか。ロックハートやルーピンの授業で生きた魔法生物が出てきましたが。
パーシーがハリーにアドバイスした言葉も気になります。
「兄のチャーリーは外で何かをするのが好きなタイプだったから、『魔法生物飼育学』を取った」(2巻14章p.374)
外で何かをするのはあまり好きではなさそうなセブルスですから、選ばなかったようにも思えるし、意外と動物に触れるのは嫌ではなかったのでは?という特に根拠のない妄想もあったりして(笑)、判断が難しいです。

こうして改めて考えてみると、“私の”学生セブルスはあまりたくさん履修してなさそう。
魔法薬学と闇の魔術と創作魔法に心血を注いでいて他のことに余裕がなかった印象です。
二つ以上選択しないといけないなら、『古代ルーン文字』の他に『数占い』か『魔法生物飼育学』のどちらかと言ったところ。
と書きつつ、オールマイティになんでもこなし、十二ふくろうを取るセブルスも捨て難いです。
また、リリーと同じ教室に居たいがために、リリーの選択科目を無邪気に尋ね、同じ科目を登録するセブルスの可能性も否定できません。何しろ、登録手続きする時(二年生のイースターの時期)は、13歳ですから。

授業準備 - 2013.04.07 Sun

5巻でアンブリッジが査察した際に、スネイプ先生が授業で取り上げていた『強化薬』について、「教材から外した方がよいと魔法省は考えている」というようなことを言っていましたが、これが魔法省がホグワーツに干渉した5巻だけのことか、大雑把な指導要領のようなものがあったのかはよくわかりません。
ホグワーツの授業内容は、どの程度先生個人に任されていたのでしょうか。

2巻でロックハートが『闇の魔術に対する防衛術』の先生になった時、教科書は自分の著書ばかりでしたし、3巻でハグリッドが『魔法生物飼育学』の先生になった時は『怪物的な怪物の本』が指定され、本屋の店員を泣かせていました。
これらはきっと、他の先生が同じ教科を担当していた時は使われなかったものと思われます。
つまり、それぞれの先生の個性はかなり反映されるものだったと思われます。
担当が毎年変わった『闇の魔術に対する防衛術』の授業では、教科書も年々違って生徒たちもだいぶ振り回されて大変だったと思います。しかもお下がりが通用しなくて、ウィーズリー家の家計も圧迫したことでしょう。

フリットウィック先生が担当した『Charm(妖精の呪文・呪文学)』は、基本呪文集一学年用とか二学年用とか、学年に合わせて変わっていきました。
マクゴナガル先生が担当した『変身術』は、1年生の時に『変身術入門』の購入が必要でしたが、2年では新しい本の購入は必要なく、3年生で『中級変身術』を購入しています。
また、魔法史は一年の時に買った他は特に新しい本の追加はなさそうです。
フリットウィック先生、マクゴナガル先生、ビンズ先生など、ずっと同じ先生が担当する教科は、7年間を通じた授業計画というものが出来ていたのだろうと思います。

では、スネイプ先生は?
『魔法薬学』については、1年生の時に『魔法薬調合法』という本を購入が定められています。
6年生になる時『上級魔法薬』の本の購入が求められましたが、この時はスラグホーンが担当しています。スネイプ先生が6年生を担当していた時も同じ教科書を買わせたでしょうか?

スネイプ先生自身はスラグホーン先生の教え子ですから、この本を使って学んだのだと考えると、やはり同じ教科書を購入させたのではないか、という気がします。
ただ、この教科書には間違いがあったり、非効率的な方法だったりする部分もありましたから、スネイプ先生ならきっと、スラグホーンのように本を各自に読ませて作らせるのではなく、自分で改善したもの提示したでしょう。
今までの授業でもたびたびスネイプ先生が作り方を黒板に提示していた場面がありましたが、それはもしかしたら教科書に不備があったからなのかもしれません。教科書にある程度沿った魔法薬を作らせるけれど、その方法は教科書丸写しではないのです。

学生時代の教科書に改善方法の書き込みをたくさん入れていたスネイプ先生。
教師となってからも予備実験をして少しずつ改善を加えていったのではないか、という気がしています。
教室の戸棚に古い自分の教科書を置いていたのも、そういう理由だったのかもしれません。戸棚には低学年用のスネイプ先生の古い教科書『魔法薬調合法』もあって、そちらにも書き込みがなされていたのではないかと思います。

スラグホーンが『生ける屍の水薬』を生徒に作らせた中で、ハリーは最高の評価をもらい、その後スラグホーンには「一回目であれほどの物を仕上げた生徒は一人もいない―セブルス、君でさえ」(6巻15章p.485)などと言われました。ということは、スネイプ先生は学生時代、教科書通りに作ってハリーほどの出来にはならなかったのです。
けれど、スネイプ先生はその後(もしかしたら先生となってから)、調合法の改善点を見いだし、自分の授業ではそう教えたのだと思います。つまり、スネイプ先生が教えた十数年の間の6年生(ハリーの一学年上まで)は、『生ける屍の水薬』を正しい調合法を教えられたのだと確信しています。
ハリーたちが1年から5年までの間スネイプ先生に習った時も、スネイプ先生によって編み出された改善方法によって調合していたのだと思います。
スネイプ先生は何年経っても毎年きちんと予備実験しては改善点があれば直していく、そういう教え方をした人だと私は確信しています。

『闇の魔術に対する防衛術』についてはどうでしょう。
6巻で初めてスネイプ先生がその科目を教えた時、『顔のない顔に対面する』という教科書を用意させましたが、どうもそんなに使ってはいないように見受けられます。
また、N.E.W.Tレベルの授業と他の学年とでは教科書も違いそうです。低学年にはどんな教科書を用意させたか気になります。3年生に人狼の授業をしたのか、それとももっと早い段階で教えたのか、その辺も興味のあるところです。
いずれにしても、1年間しか教えられない覚悟はきっとあったはずで(仮にリドルの呪いを知らなくても、毎年教師が変わることは知っていたはず)、自分の持てる知識をなるべく効率よく教えようとしていたのではないかと想像しています。教科書はあくまで参考程度で、実践的な授業をしたと思います。

もしスネイプ先生がずっと『闇の魔術に対する防衛術』の先生であり続けたなら、“多種多様、千変万化、流動的にして永遠なるもの”と言ったスネイプ先生なら、やはり日々進化していく闇の魔術に対して対抗するために、毎年授業内容を検討し直していたと思います。
教師としてのスネイプ先生は、常に授業内容を検討して最善を尽くす、きっとそんな人だと思います。

言い方 - 2013.01.23 Wed

スネイプ先生の原文のセリフを抜き出そうとしていて気付いたことがありました。

1巻の初授業で、ハリーに対して次々質問した時のことです。
ベゾアールがどういうものであるか説明している部分をご覧下さい。
'A bezoar is a stone taken from the stomach of a goat and it will save you from most poisons.'(UK版1巻p.103)

これ、日本語では「ベゾアール石は山羊の胃から取り出す石で、たいていの薬に対する解毒剤となる」(1巻8章p.205)となっています。

私はてっきりantidote(解毒剤)という言葉を使って説明していると思っていたんですが、先生は、大抵の毒から君(君たち)を救う(守る)ものだと説明していたんですね!
1年生にもわかる言葉で、多くの毒から君たちを守る物質だと説明したスネイプ先生に、先生としての自覚をすごく感じます。
スネイプ先生、最初の授業では幼いハリーをネチネチいじめた印象が強かったけれど、ハリーをダシにして大事なことは早く言ってしまいたかっただけかもしれません。

6巻でハリーがこの時のスネイプ先生の言葉を思い出した時は、こうなっています。
'A stone taken from the stomach of a goat,which will protect from most poisons.'(UKb版6巻p.353)
スネイプ先生の言葉と微妙に違い、saveがprotectになっていますが、結局スネイプ先生が言いたかったことは伝わっていたようですね!

ちなみに、スラグホーンは、ハリーが手にしたベゾアール石を見てこう言っています。
' ... a bezoar would certainly act as antidote to all these poitions!!(UK版6巻p354)
まさに私が想像したような無機質な言葉。まあ、antidote(解毒剤)を調合する授業だからこの言葉を使ったのでしょうけれど。

スラグホーンとの比較はともかく、『解毒剤』と言わず、『毒から身を守るもの』と言ったスネイプ先生の人間性に惚れ直し、今すごくときめいています。

手の位置 - 2012.09.09 Sun

ローリングさん直筆のスネイプ先生画から気付いたことことは、もう一つあります。
スネイプ先生の手の位置です。
jkrスケッチ手
胸元で手を組み合わせるスネイプ先生

この胸元で手を合わせるような姿勢は、私にとっては大きな驚きでした。というのは、この絵を最初に見た時(多分6巻を読む前)の私は、スネイプ先生は腕組みをしない人だろうと勝手に思っていたからです。

私は腕組みに対し、学生時代に受けた授業の影響から“自分をガードするもの”というイメージを持っています。(必ずしもそうでない場合もあるようですが、概ねそう解釈することが多いようでした)
そして、スネイプ先生は自分をガードしたりしない、というのが5巻までを読んだ時の私のスネイプ先生のイメージでした。優れた閉心術士のスネイプ先生は、その術によって十分心を閉ざせるので、腕組みなどの無意識な動作によるガードなんか必要ないと思っていたのです。
ローリングさんに特に意図はなかったにしても、胸元で手が組み合わさるようにして描かれたスネイプ先生の姿はそれだけで印象に残りました。

もう一つの絵は7巻後に見たのですが、やはりスネイプ先生は腕を前に突き出し、昔の中国の挨拶のように袖で手を隠すようにして合わせていました。
JKRスケッチ2
両手を袖の隠すようにして前で合わせるスネイプ先生

この絵のスネイプ先生は、集団の中にいながらみんなとは違う方向を向き、うつろな目をしています。手でガードするだけでなく、閉心術も併用していたのかもしれません。全身でガードしているようです。集団の中に居るのにその集団に属していないかのような、とても寂しい絵です。
上の絵はまだ1巻が出版される前に描かれ、下の絵も原書3巻が発売された前後に描かれたもののようですが、共に胸を隠すような位置に手があるのは、やはりどこか意図するものがあったのかもしれません。ローリングさんの中では、既にこんなにも寂しいスネイプ先生像ができていたのだろうと思わされます。


7巻を読んで、スネイプ先生は腕組みをしない、という以前の私のイメージも変わりました。
確かにヴォルデモートの前ではスネイプ先生は鋼の心を貫き、閉心術を破られませんでした。多分その時は腕組みどころか指一つ動かさなかっただろうと思います。
でもそれは、守りたいものがあったから。守りたいもののためには、傍で見ている人が目を逸らすほど凶暴な視線で目を焼かれるように見つめられても、静かに見返す強さを発揮できたのだと思います。
けれど、その守りたいもの本人の前ではそこまでする必要はなく、かと言って守っていることは明かすこともできず、その存在によって時に大きく傷を抉られ、スネイプ先生は動揺を隠すために無意識に手でガードする必要があったのだろうと思いました。
ハリーの緑の目で見返された時は、いつも先に視線を逸らすのはスネイプ先生だったし、真実を知るダンブルドアの前では子どものように拗ねていたし、本来はそんなに強くはなかったのだと思います。

スネイプ先生は、ハリーの前で見せる感情を自分の中で決めていたのではないかと思っています。憎しみや嘲りなど惜しみなく表出していたスネイプ先生ですが、その他の感情(悲しみやハリーを哀れむ気持ち)は抑えつけて、ハリーには憎しみにしか見えないよう工作していたのではないかと。
そんな時、無意識のうちに手を組み合わせたり、腕を組んだりしていたのだと思います。
実際、閉心術の個人授業の時は、指で唇をなぞる、という仕草が描写されましたが、腕を組みつつその仕草をした方が自然な姿勢になる気がします。あの時はハリーと一対一で、しかも目を抉るように見ることが必要だったので、そこにリリーの面影を見て動揺しないよう、気持ちを悟られないよう、一生懸命だったのかもしれません。

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

拍手コメントについて

拍手コメントをいただいた時は、その記事のコメント欄にお返事いたします。

プロフィール

二尋

Author:二尋
スネイプ先生への愛を語らずにはいられません。         

カテゴリー

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

スクロール式になっています

前ブログからの訪問者数

リンク

このブログをリンクに追加する

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード