topimage

2017-10

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お知らせ - 2017.09.13 Wed

多忙のため、しばらく更新滞ります。
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ブログ開設十周年 - 2015.05.04 Mon

私がブログを開設して今日でちょうど10年になります。
このブログの前身『スネイプ先生に開心術!!』をgooブログで始めたのが、2005年の5月4日でした。
その後、このfc2ブログに引っ越してきて、さらに名前も変えましたが、「スネイプ先生を語りたい」「自分の想いを発信する場が欲しい」と始めたことが10年も続いていることに感慨を覚えます。

最近、こちらのブログが日記ブログの閲覧数を上回ることが多いです。ろくに更新もしていないのに来て下さる方がいらっしゃるのは、新しくスネイプ先生の魅力の虜になる方が絶えないということでもある、と解釈し、とても嬉しく思っています。

スネイプ先生の運命を知らずに先の展開を想像してハラハラドキドキした時代も、死を受け入れられず怒りと嘆きに身を切られるような痛みを味わった時代も、既に遠いものとなりましたが、スネイプ先生に対する愛情も、スネイプ先生を取り巻く人々や環境に対する興味も失われていない以上、これからも細く長くスネイプ先生を語っていこうと思っています。
これまでの10年、ありがとうございました!これからもよろしくお願いいたします。

10年目の記念に2006年まで使っていたgooブログをしばらく閲覧できるようにしておきます。
内容的にはこちらに全て引っ越してあるので変わりませんが、テンプレートは当時のままなので、当時を知る方には懐かしいものがあるかもしれません。
スネイプ先生に開心術!!

お知らせ - 2012.06.29 Fri

「スネイプ先生に開心術!!」は前回で終了いたしました。
と言っても、スネイプ先生を語りたい気持ちは続いているので、再出発するつもりです。これまでの記事も残しておきます。
内容的には大きな変化はないものの、準備に少々手こずっています。
新装開店まで、しばらくお待ちください。
切り替わる時は、二三日閲覧できない状態になります。

7年の区切りに - 2012.05.30 Wed

私の中のスネイプ先生像をはっきりさせたくて、その心の奥を覗いてみようと始めたこのブログも、先日7周年を迎えました。
7年間開心術を使い続けても、熟達した閉心術士であるスネイプ先生の心の中を知るのは容易ではなく、未だ謎を残したままです。
しかし、7巻で真相を知り、各場面での自分の考えをまとめるうち、私の中のスネイプ先生像は次第にはっきりしていきました。

読み返すたびに新しい発見のある物語ですから、今後また私の中のスネイプ先生像が変化していくとは思いますが、ひとまず7年の節目に今の私のスネイプ先生像を一つ前の記事にまとめてみました。
書いていくうちに、あれもこれもと付け足したくなって長くなってしまいましたが、それでも十分ではない気がしています。
作者の言わんとするところとは少し違うかもしれませんが、この未熟で甘えん坊で寂しがり屋で真面目で誠実な人こそ、私という一人の読者の頭の中に出来上がり、愛してやまないセブルス・スネイプという人物です。

目的を持って継続してきたブログですから、目的を達成したことによって存在意義が薄れてしまいました。
私のスネイプ先生への愛が薄れてしまったわけではないので、語るのをやめるという結論には至りませんでしたが、開心術を使うのは終了しようと思います。

「スネイプ先生に開心術!!」を読んでくださった皆さま、今まで本当にありがとうございました。閲覧して下さる方がいらっしゃること、時々拍手をいただけることは、大きな励みで、7年続けられた大きな要因だと思っています。
今までご意見下さった方々にもとても感謝しています。
おかげで色々な方向から考えることができました。
私の拙い文章が、読んで下さった方やご意見下さった方にとっても、それぞれのスネイプ先生像をはっきりさせるために少しでも役立っていたら幸いです。
7年間ありがとうございました。

私のスネイプ先生 - 2012.05.30 Wed

ブログ開設から7年の間に、私の中に出来上がったスネイプ先生の人物像を、その内面に絞ってまとめてみます。

・人付き合いは上手ではないけれど、人間嫌いではない人。
・ハリーやネビルへの接し方、スリザリン贔屓など、未熟な面もあった。
・律義でまじめな人。
・差別意識もあったが、それは刷り込まれたものであって、深い所で人間そのものへの敬意は持っている誠実な人。
・青年時代までは独り善がりな人、愛する人の命が狙われるようになって以降は利他的になる。
・一人の女性を生涯愛し続けたけれど、それだけの人生ではなかった。


騎士団員や教師たちの前で憎まれ役を演じ、親しい交流をしなかったのは、二重スパイという自分の役割に徹するためであって、元来仲間と親しくするのを好まなかった、というわけではないと思っています。
子ども時代や学生時代は、リリーへの態度やスリザリンの仲間を(時にはリリー以上に)大切にしている様子から「人と関わりたい」「人に認められたい」という気持ちが見て取れます。
それは大人になっても変わっておらず、そう見せなかっただけでどちらかと言えば人と関わりたいタイプだったのではないかと考えています。
実際、真実を知るダンブルドアにはひどく甘えた言動が見られました。
また、「あなたのために、私は密偵になり、嘘をつき~」(7巻33章p.451)という言葉から、リリーの息子を守るという明確な目的のために、嘘をつきたくない自分の気持ちを抑えていたのだとわかります。
味方側にも真実を明かさず、裏切り者呼ばわりされてもその役に徹した意思の強さに感服するばかり。なんて自制心の強い人なのでしょう。
しかし、だからこそ、抱える寂しさは大きなものだったでしょう。

ハリーへの接し方、特に入学したばかりでまだ反抗してもいないハリーに対する接し方は、大人の対応ではないと認めざるを得ません。
ハリーを守るという目的のために憎まれ役を買って出ることはするのに、肝心のハリーに対しては必要以上に冷淡。
これは、目的があくまでハリーの「命を守ること」であって「心身を育てること」ではなかったのだと思います。
厳父の役割を果たしたと見る向きもありますが、私は単に自分の感情を抑制できなかっただけと考えています。
ハリーを守るために自分の気持ちを徹底的に抑制した一方で、ジェームズへの憎しみを抑えることはできない未熟さもあったのだと思います。
また、ドラコやハリーと同一線上に自分を置いて「私の魂は?」と聞いたり「あの子を信用している……私を信用なさらない」などと生徒と比較して尋ねる部分など、大人になりきれていないと感じます。
一方では強い自制心を見せ、一方では全く自制しないで解放する感情もあり、アンバランスな印象も受けますが、心の平衡を保つためには仕方なかったのだろうと思っています。

未熟ではあっても、、ダンブルドア殺害など不本意ながらも約束したことはきっちりと守る律義さからは、まじめで誠実な人間性が伺えます。そのまじめさが随分自分の首を絞めたことでしょう。
さらに、人間に対する敬意のようなものは深いところにある人だと確信しています。
何度も語った担架の例を再度繰り返しますが、意識のない敵(または嫌いな人)に対する態度の違いを比較するとよくわかります。
スネイプ先生はシリウスを担架で運んだのに対し、シリウスはスネイプ先生を宙吊りで天井にぶつけながら移動させ、ダンブルドアは偽ムーディを足で蹴り上げました(4巻)。
意識のある時には憎しみを向ける対象であっても、相手に意識がなくて無防備な時にはその体をぞんざいに扱うことはしない誠実な人です。

視野が狭く、好意を寄せるリリーの言葉さえ心に届かない独り善がりな青年でしたが、リリーの命が狙われてからは一転、自己犠牲の精神に目覚め利他的な性質が強まったように思います。
リリーが死んだ時ではなく、丘の上でダンブルドアにリリーを含めポッター一家の安全を確保して欲しいと願い出た時が、スネイプ先生が大きく成長した瞬間だと考えています。
自分を含めて誰も愛していない可能性を考えていたスネイプ先生が、実は一人の女性に対して変わらぬ愛を貫いたと知った時には強く心を動かされました。でも、後半はリリーへの愛だけに生きたわけではないと私は思っています。

リリーを愛するがためにハリーを守っていたスネイプ先生ですが、最終的にハリーが死ななくてはならないと知らされ、抗議しつつもハリーにその事実を伝える役目を請け負い、死に導きました。
もしスネイプ先生が、ヴォルデモートやダンブルドアにリリーの命乞いをした当時そのままに、リリーを愛する自分の気持ちを最優先したのなら、ハリーを死なせる方向に手助けなどしなかったでしょう。リリーが命を懸けて守ったハリーを死なせることなど、スネイプ先生は決してしないと私は見ています。
それでもスネイプ先生が、ハリーに、死ぬべき時に死ぬ運命であるという役目だと伝えたのは、自分の気持ちよりも優先することがあったからだと考えています。
それは何か。
ホグワーツの人々、教職員も生徒も全てを含めたホグワーツの住人です。なぜなら、それがスネイプ先生の家族だったからです。
ハリーもこう言っています。
 ヴォルデモートそしてスネイプと、身寄りのない少年たちにとっては、ここが家だった……。(7巻34章p.466)
ダンブルドアほど広く大きな対象ではないけれど、それでも大事なリリーの忘れ形見を犠牲にしてでも守りたいものが出来ていた、ということだと思っています。

元々教師になりたくてなったわけではなく、ヴォルデモートの命令という形でホグワーツに入り、ヴォルデモートが消えた後もハリーを守るために教師を続けたたスネイプ先生でしたが、十数年の教師生活の中で少しずつ気持ちも変わっていったのではないかと思います。
いつも黒尽くめの服装なのに、2巻のクィディッチの試合でスリザリンのシンボルカラーの緑のローブを着ていたことがありました。この時、リリーへの想いという呪縛から解放されて、純粋に自分の監督する寮生たちと一緒になって寮のチームを応援していたように見えます。
また、リリーのことだけを想い、ハリーを守ることだけに心血を注ぐのであれば、研究室の瓶詰めの標本を増やす必要もなかったでしょう。教科書に従い、魔法史のビンズ先生のように淡々と眠い授業をしていれば良いのですから。
閉心術の個人授業中、女性の叫び声を耳にしたスネイプ先生は授業を中断させました。本当にハリーだけのことしか考えていなければ、出ていかないはず。トイレのパイプに詰まったモンタギューを助けに行った時も同様です。自分の寮の生徒を居残りさせたのだって生徒の将来に本当に必要だと思えばこそ。挙げればキリがありません。
スネイプ先生は、教師として寮監として校長として、ホグワーツを愛し始めていたのだと思います。本人に自覚はなかった可能性はありますが。
家庭に居場所のなかったスネイプ先生は、ホグワーツに居場所を見つけ、何より大切にし、ついに、最優先させたのだと思います。

では、ハリーのことを、“私のスネイプ先生”はどう見ていたか。
残念ながらまだハリー自身を見ている自覚はなかった、というのが私の見解です。
ジェームズとして憎み、リリーとして護っただけで。
でも、ハリーをハリー個人として見ていなかったとしても、ホグワーツの一員として愛し始めていたと思っています。もし、スネイプ先生が生き延びて教師を続けていたら、きっとハリーを一人の人間として見ている自分に気付いただろうと私は思っています。
まだ本人が自覚していないので、私のスネイプ先生はハリーに情が移っていたと言っていいのかどうかわかりません。

スネイプ先生は報われないことも多かったけれど、不幸だったとは思っていません。
ディーンの森でパトローナスを出せたことこそ、その時スネイプ先生が幸福な気持ちになれたことの何よりの証です。
フレッドの死の直後、叫びの屋敷に向かうハリーがパトローナスを出せなかったのは、ハリーに幸福な思い出が無かったからではなく、その時絶望していたからだと思われます。
ディーンの森では輝くパトローナスを作り出すことができたスネイプ先生は、既に絶望の淵から這い上がっていたのです。
幸福な思い出がリリーとのものだったとしても、その時点でのスネイプ先生には幸福な気持ちでいられるだけの余裕があったということです。
以前書いたように、リリーを愛した自分を肯定し、リリーとの一番幸せだった想い出を糧に、前向きに生きていく意欲が湧くようになったからこそ、月のように眩しく輝くパトローナスが出せたのだと思います。
スネイプ先生はその時幸せだったと思って良いのではないかと、心からそう思えます。


ハリーの生と死の狭間の晴れ舞台はキングズクロス駅でした。
スネイプ先生の晴れ舞台はどこだろう?と考えた時、以前はリリーと過ごした川辺を想像しました。
しかし今の私は、スネイプ先生の晴れ舞台は、ホグワーツの大広間の先生方の座る席ではないかと想像しています。
その場所で、他の先生方と並んで生徒を見渡す時が、スネイプ先生の幸せな時だったのではないかと思います。
叫びの屋敷で倒れたスネイプ先生が、ホグワーツの大広間の形をした白い世界で目を覚まし、ダンブルドアとひとしきり話した後、二人連れだって、扉から出て行き、その先でリリーと再会する様子を思い浮かべています。

叫びの屋敷に残された亡骸は、前回書いたようにマクゴナガル先生に慈しみを以って清められた後、ホグワーツの敷地内に運ばれるのです。
ハリーが死んだと思い込んだハグリッドがしたように、限りなく優しい誰かの手でくるむように、できれば揺すってあやすように(cradle)抱えてもらって。魔法を使って運ばれるのではなく、誰かの温かい優しい手で運んで欲しい。
そして、ホグワーツの教職員や生徒達に心から哀悼の意を込めて弔って欲しいです。温かい涙の雨をスネイプ先生の上にも降らせて欲しい。
ダンブルドアがホグワーツに葬られたのは異例のことでしたが、スネイプ先生も二例目となってホグワーツに葬られて欲しいです。
なにしろ、“私のスネイプ先生”は、ホグワーツを愛し、そこで生活する人を家族のように思っていたのですから。

その後 - 2012.05.02 Wed

今日5/2はスネイプ先生の命日です。
夜明けの3時間ほど前に殺されたスネイプ先生の、その後のことを少し考えてみようと思います。
あくまで私の願望であり、私のスネイプ先生像を補足するものでもあり、後日スネイプ先生像を語るまでは、説明が十分できず未完の状態なので、コメント機能は封印しておきます。


ヴォルデモートのアバダケダブラを受けて倒れたハリーは、白い靄の中で気が付きました。
スネイプ先生も叫びの屋敷で息絶えた直後、このような場所を通ったのでしょうか?
ここは作者の言葉によれば、生と死の間のlimbo(リンボ,古聖所:天国と地獄の中間の場所;洗礼を受けなかった幼児やキリスト降誕以前に死んだ善人の霊魂がとどまるとされる/eプログレッシブ英和中辞典より)のような所らしいです。
生と死の間なら、スネイプ先生も通ったのではないでしょうか。天国と地獄の中間なら尚更。もっとも、私は以前書いたように、スネイプ先生も天国に行けたと考えているのですが。

そこに出てきたのは、リリー?ダンブルドア?
私としては、ハリー同様、ダンブルドアに現れてきて欲しいです。
そして、ハリーに言ったのと同じ言葉を言って欲しい
「なんと素晴らしい子じゃ、なんと勇敢な男じゃ」
「きみが苦しんだことを軽く見るつもりはない。過酷な苦しみだったに違いない」
「きみを信用しなかったこと、きみに教えなかったことを、許してくれるじゃろうか?」
キングズクロスの章で、ハリーがダンブルドアに言われた言葉は、そのままスネイプ先生にも当てはまると思い、読むたびに「どうかこの言葉、スネイプ先生にもかけて欲しい」と思わずにいられません。

生きている間、スネイプ先生の気持ちはしばしばもなおざりにされてきました。大きな計画の為には、それも仕方なかったと思いますが、せめて物理的に計画に関われなくなった死後には、何の縛りもない、心に寄り添う言葉をかけて欲しいものです。
ハリーがその白い世界で、いつの間にかダンブルドアを心から許したように、スネイプ先生も、わだかまりを残すことなく旅立って欲しいです。そして旅の終わりに、初めてリリーと再会して欲しいと私は思っています。


叫びの屋敷の床に横たわったスネイプ先生を残して、ハリーたち三人は部屋を出て行きました。スネイプ先生の体の方はどうなったでしょう?

結局、物語の中で、スネイプ先生の亡骸が叫びの屋敷に残されていることに、誰かが思い当たる場面はありませんでした。
しかし、ハリーは大広間でヴォルデモートと対峙した時、大勢の観衆の前で、スネイプ先生がダンブルドア側にいたことを明かし、ヴォルデモートも同じ場で「俺様は、三時間前に、セブルス・スネイプを殺した」(7巻36章p.533)と言っています。
これらを聞いて、マクゴナガル先生が心を動かされなかったとは私には思えません。

「おまえが母を脅かしたその瞬間から、ダンブルドアのスパイになった。そして、それ以来ずっと、おまえに背いて仕事をしてきたんだ!」(7巻36章p.532)
というハリーの言葉に、まずマクゴナガル先生は驚いたはずです。
「私たち全員が怪しんでいました」(6巻29章p.450)
「スネイプは、過去が過去ですから……当然みんなが疑いました……」(6巻29章p.451)
と、かつて発言したマクゴナガル先生。心の奥では信じていなかったスネイプ先生が、ずっとダンブルドアに忠実であり続け、憎まれ役を演じていたに過ぎないとこの時初めて知ってさぞかし驚いたことだろうと思います。
また、ホグワーツの戦いが始まる少し前、スネイプ先生を本気で攻撃し、追いつめ、窓から飛び出していった背後から「卑怯者!」の言葉を投げつけた行いを激しく悔いたに違いありません。
そして、スネイプ先生が敵ではなかったと知った直後に、ヴォルデモートの手にかかって殺されたと聞かされ、詫びる機会を永遠に失くしたことに心を乱されなかったとも思えません。

私は、マクゴナガル先生にこそ、スネイプ先生の亡骸に一番早く駆けつけて欲しいと考えています。ハリーやドラコでも、他の先生でもなく。

ハリーがヴォルデモートを倒した後のマクゴナガル先生の描写は、
マクゴナガルは寮の長テーブルを元通り置いたが、(7巻36章p.539)
これだけです。失った校長に代わって指揮をとらなければならないことが山ほどあったと思われますが、そこは描かれませんでした。
しかし、その記述の前に、
ヴォルデモートの遺体は、大広間から運び出され、フレッド、トンクス、ルーピン、コリン・クリービー、そしてヴォルデモートと戦って死んだ五十人以上に上る人々の亡骸とは離れた小部屋に置かれた(7巻36章p. 539)、とあります。
大広間でみんなが祝賀のテーブルに着く前に、亡くなった人々への配慮が見受けられます。
この時、描写はないけれど、スネイプ先生の亡骸に想いを馳せる時間はあったと私は思っています。
この“ヴォルデモートと戦って死んだ五十人以上に上る人々の亡骸”と書かれた時点でその中にスネイプ先生が含まれているかどうかはわかりませんが、忘れてはいないと信じています。

マクゴナガル先生単身でも他の先生たち誰かを伴ってでも良いから、とにかく叫びの屋敷に駆けつけ、床に横たわるスネイプ先生を見て、ハリーが死んだと思った時に出したような悲痛な叫び声を上げ、それから亡骸を掻き抱いて欲しい。
とにかく、誰かに抱きしめて欲しいのです。ダンブルドアが居ない今、一番ふさわしいと私が感じる人がマクゴナガル先生なのです。
それから、魔法を使わず、血を拭って欲しい。
もしフレッドの体がスネイプ先生と同じ状態にあったら、きっとウィーズリー家の人々は魔法を使わず清めたと思います。それはそれは丁寧に清めただろうと想像しています。
スネイプ先生も誰かにそうしてもらって欲しいです。
慈しみを以ってそれが出来るのは、マクゴナガル先生かスラグホーン先生ではないかと思います。
その作業の中で、スネイプ先生の体の軽さに息をのみ、その若さに胸を打たれ、どれほどの重荷を負っていたか思い巡らせてくれたら、と思っています。

登場しない場面 - 2012.04.14 Sat

スネイプ先生の登場場面について、前回で全て語り終えました。
5巻を読んでスネイプ先生に恋に落ちた私ですが、その時1巻から読み返し、その言動があまりに謎に満ちていることに気付かされました。
大好きなのに、その人物像が定まらず、私の中のスネイプ先生像をはっきりさせる目的で、このブログを立ち上げました。
全ての場面を語り終えた今、私のスネイプ先生像は定まりました。
それについては、後日まとめることにし、今回は、番外編というか、7巻の残りのページの、気になった部分を書いてみます。


ホグワーツはハリーにとって初めての最高に素晴らしい家庭だった
ハリー、ヴォルデモートそしてスネイプと、身寄りのない少年たちにとってはここが家だった……。(7巻34章p.465~466)

ここでつくづく思うのは、ハリーはこの時スネイプ先生の気持ちが分かっている、ということです。多分、フィルターがはずされたハリーのこの解釈は、そのまま作者が言いたかったスネイプ先生とハリーとヴォルデモートの共通点の一つなのだと思います。
両親が揃いながら、家を出てホグワーツに行くことに希望を持っていたセブルスには、家庭に居場所がなかったのだと思うと辛いです。せめて、ハリー同様、ホグワーツを素晴らしい家庭だと思っていてくれたら、私も救われます。


「哀れなセブルスよ……」(7巻35章p.503)
‘Poor Severus’(UK版7巻p.578)

この意味が、今一つわかりません。そもそもこのpoorのニュアンスがよくわかっていないというか。
「哀れな、かわいそうな、気の毒な」という日本語訳がありますが、そこに込められた感情は、同情なのか、ちょっと下に見る憐れみなのか。
ニワトコの杖に対するヴォルデモートの執着の犠牲となったことを気の毒がっているようにも見えるし、ダンブルドアの計画の一部となって命を落としたことを申し訳なく思って言っているようにも見えるし。
そこがわかりません。
いずれにしても、ダンブルドアにはスネイプ先生の死は予測できたことだと思っています。
わかっていて回避する措置は取られなかった、というか、その死自体、ヴォルデモートに杖の所有権を得たと確信させるために利用されたとも考えられ、戦慄を覚えます。
ダンブルドアの計画に組み込まれたのは、賢さ、魔法力、論理的な思考、冷静な判断力などの能力とリリーへの一途な愛、ダンブルドアへの忠誠心などによると思いますが、もう一つ、「私も死にたい」と言ったことも大きい気がします。
「おまえの死が誰の役に立つのじゃ?」と当時は言われましたが、スネイプ先生もまた、その死を役に立てるため、死ぬべき時に死ぬことができるよう、生かされてきたのではないかという気がします。死ぬべき者として印され、危険な任務を与えられたのだと。
「哀れな」の一言で済まされない思いは、依然として私の中にあります。


「死者を哀れむでない、ハリー。生きている者を哀れむのじゃ。特に愛なくして生きている者たちを。」(7巻36章p.505)

この時の「哀れむ」にはpityが使われています。
この言葉にも激しく心を揺さぶられます。
だったらなぜ生きている間のスネイプ先生をもっと哀れまなかった?みすみす死者にしてしまって!と思ってしまうのです。
愛なくして生きている者と言えば、真っ先にヴォルデモートが浮かびますが、そもそも彼と出会った時点でもっと哀れんでいれば、こんな事態にはならなかったでしょうに。
また、ハリーが考えたように、セブルスも「身寄りのない少年」で幼少期に十分愛された実感が無かったと思われ、入学時にもっと哀れんでいれば、悲劇は起こらなかったかもしれません。
ダンブルドアは、そんなスネイプ先生がリリーの死後、唯一心を開いて話せる存在だったのに、碌にその心に寄り添わなかったことを、深く反省して欲しいものです。


「アルバス・セブルス」
「おまえは、ホグワーツの二人の校長の名前をもらっている。その一人はスリザリンで、父さんが知っている人の中でも、おそらくいちばん勇気のある人だった」(7巻終章p.557)

ハリーが自分の子どもにスネイプ先生の名をつけたことも、「いちばん勇気のある人だった」と言ったことも、私には大きな驚きでした。
自分の子どもにその名をつけるというのは、相当な思い入れがあるということです。そこに尊敬の念がなければ、到底できないことです。
ずっとハリーに“憎い男”と認識されてきたスネイプ先生が、“一番勇気のある人”に昇格するまで、ハリーの中では色々な想いが渦巻いただろうと思います。
それでもきちんと消化して、そこまで変化させたハリーの謙虚で公正な態度、懐の大きさを私は尊敬します。
そして、そんなハリーの内面こそが、「深いところで、あの子の性格は母親のほうに似ておる」(7巻33章p.446)と言われたリリーとの共通点ではないかと思います。
スネイプ先生が愛した女性は、やはりそれだけの人物だったのだと、ようやくここに来て思えました。

届かない - 2012.03.08 Thu

なぜダンブルドアがホークラックスのことをスネイプ先生に教えようとしなかったのか、考えてみたものの、正直、私にはよくわかりません。

スネイプ先生がホークラックスに興味を持ってしまうと考えたのでしょうか。
スラグホーンも「ある程度の才能を持った魔法使いは、常にその類の魔法に惹かれてきた」(6巻23章p.272~273)と言っていることだし、スネイプ先生は間違いなくある程度の才能を持った魔法使いですから。
学生時代やデスイーターになりたての頃だったら惹かれたかもしれませんが、今はまず惹かれないと思います。
つまり、ホークラックスの用途、「魂を分断して保管することで完全な死を防ぐ」ということを知ったところで、自分の死を防ぎたい、という方向には思考は発展しないと思うのです。

また、今は学問的な興味すら持たないように思えます。
ヴォルデモートが復活する前の、まだややのんびりした空気の漂っていた時代だったら、ホークラックスの成り立ちや魂を保管できるメカニズムなど、闇の魔術の研究対象としての興味は持ったかもしれません。
でも、ずっと守ってきたハリーが、死ぬべき時に死ななければならない存在と知り、ヴォルデモートの前では忠実な部下を演じ続けながらその時に備えて依然としてハリーを守り助ける役目に忙殺される今、スネイプ先生の頭の中は研究どころではなかったと思います。それこそ、全身全霊で使命を果たそうとしていたはずです。

あるいは逆に、ホークラックスに宿るヴォルデモートの魂を、スネイプ先生が破壊しようとし始めるとでも思ったとか?そこまではしなくても、ハリーには到底為し得ないと判断して、勝手に手を差し伸べるとでも思ったのでしょうか?
ちょうどグリフィンドールの剣を渡したくらいの手助けなら、別にしたって構わないと思うのですが。

ダンブルドアは、計画の成功のためには、どんな小さな可能性も見過ごさない冷静さを持っていますから、そういう意味で、やはりどこかスネイプ先生を信じていない部分もあったのかもしれません。とにかく、スネイプ先生がホークラックスのことを知ることで計画を妨げる何かが生じると考えたのは確かで、「ホークラックスのことを知ったところでセブルスは動じない」とは考えなかったのだと思います。
ただ、それは計画上の問題であって、スネイプ先生がこだわる「信用なさらない」とは違う気がします。

この場面で重要なのは、ホークラックスのことを教えないということより、何か一つ、ハリーには教えてスネイプ先生には教えないものがあった、という事実ではないかと考えています。

スネイプ先生は、ハリーに与えて自分には与えられないことを「信用なさらない」と言い、同じ情報をもらえることを、再三求めてきました。
私には、そのことが、「『信用するに足る有能な部下』と見て欲しい」と言っているようには見えません。ハリーと同じだけの愛情を注いで欲しい、と訴えているように見えます。拙い愛情表現に見えます。

全てを明かしてもらっているわけではないという事実は、たとえ計画上の問題であっても、ハリーほど愛されていないと感じさせるには十分で、スネイプ先生を苦しめるものであったと想像しています。
皮肉なことに、ハリーはハリーで、ダンブルドアがスネイプに対して許しがたいほどの信頼を置いていた、と感じているのですが(6巻30章p.484)

ダンブルドアは、全てを明かさないことがスネイプ先生を傷つけているとは、気づいていないように見えます。
ダンブルドアにしてみたら、「ハリーは死ぬべき時に死なねばならぬ」という極めて重大な、ハリー本人も知らない情報を与え、それをしかるべき時にハリーに伝える役目まで与えたのですから、それでスネイプ先生への信頼を表していると考えていてもおかしくありません。
スネイプ先生の「信用なさらない」を言葉通りに受け取れば、その対応でスネイプ先生を満足させることはできたでしょう。
でも、実際は、その重大な秘密を明かされた後であるこの場面で、「それで、(中略)あなたはまだ教えてくださらないのですね?」と言っているところを見ると、まだ満たされていないようです。スネイプ先生の想いは別のところにあったということを示していると思います。

ダンブルドアに想いが届かないのは、スネイプ先生の愛情表現が相変わらず下手なこともあるし、ダンブルドア自身が、計画を遂行するには感情に左右されるべきではないと考えているためでもあると思います。
5巻で、自分がハリーを愛しく思う気持ちが、計画を台無しにする可能性があった、というような発言もありました。
そして、優秀な二重スパイであるスネイプ先生も冷静であるがために自分と同様だと思っているか、自分とおなじことを求めているふしがあるように思えます。

それは、ハリーの運命を知って「死ぬべきときに死ぬことができるように今まで彼を生かしていたのですか?」(7巻33章p. 452)と衝撃を受けたスネイプ先生に「そう驚くでない、セブルス。いままで、それこそ何人の男や女が死ぬのを見てきたのじゃ」(同)と返した言葉にも表れています。人の生死を操ることに驚くスネイプ先生に「そんなことで動揺するのか」とも受け取れる感情の入らない返答です。
また、スネイプ先生のリリーへの想いが変わっていないことに涙するのも腑に落ちません。それがスネイプ先生の原動力だということがわかっていないというか、忘れているところが。
スネイプ先生を同じ目標に向かう同志と見ていて、自分同様、感情抜きで行動する存在と見ているように思われます。当然、自分に対するスネイプ先生の感情など考えもしないのではないかと思います。

しかし、実際のスネイプ先生は、閉心術で隠しているものの、愛や憎しみなどの感情に大きく心を揺さぶられる人です。
ダンブルドアに対する愛や甘えから、「構って、構って」と言い続けているのに、ひたすら冷静な対応を求められて、スネイプ先生は寂しかったのではないかと思います。

「それで、この剣をポッターに与えることが、なぜそれほど重要なのか、あなたはまだ教えてはくださらないのですね?」(7巻33章p.455)には、深い悲しみが込められているように私には感じられて仕方ありません。
スネイプ先生の心の隙間をピューピュー風が吹き抜けていくように見えて、やるせない気持ちでいっぱいになります。
「そのつもりはない」と簡単に言われ、そのまま剣に関する注意を始めるダンブルドアに、「ご懸念には及びません」「私に考えがあります」と冷静に答えるスネイプ先生。
自分の気持ちを殺して任務につくのは、一体何度目だったことでしょう。
スネイプ先生が遺した記憶の最後の場面がこれでは、寂しすぎます。
難しい任務を与えられて意気揚々と出かけていくように見えたら、どんなに私の心も晴れたことか。
そして、スネイプ先生がローブの上から旅行用マントを羽織り、校長室のドアを開けて出て行ったのが最後の姿だったなんて。
本当に永遠の別れのようで寂しいです。

<3/9追記>
ダンブルドアがホークラックスのことをスネイプ先生に教えなかった理由についてコメントをいただきました。
私はその内容に大いに納得したので、興味のある方は、ぜひ、コメント欄をご覧下さい。3/9にいただいたコメントです。

ホークラックス - 2012.02.08 Wed

フィニアス・ナイジェラスの情報によって、ハリー達がディーンの森にいることがわかると、ダンブルドアは、スネイプ先生にグリフィンドールの剣をハリーに与えることを命じました。
「必要性と勇気という二つの条件を満たした場合にのみ、剣が手に入るということを忘れぬように―さらにそれを与えたのがきみだということを、ハリーは知ってはならぬ!」(7巻33章p.455)という条件を示して。
一方的に指示するダンブルドアは、「それで、この剣をポッターに与えることが、なぜそれほど重要なのか、あなたはまだ教えてはくださらないのですね?」(同)とスネイプ先生に聞かれても「そのつもりは、ない」(7巻33章p. 456)とにべもありません。

ダンブルドアがハリーには教え、スネイプ先生に対しては頑ななまでに教えなかったのは、ホークラックスに関すること全てでした。
ホークラックスになっている物質の話題の時は、核心に触れるのを悉く避けています。
ハリーが死ぬことでヴォルデモートも破滅する、という最終目標は告げておきながら、その過程にある、ヴォルデモートの魂が宿るホークラックスの破壊のことも、それ以前に、魂が分割されて幾つかの物質の閉じ込められていることについても、全く説明を省き、話を逸らしているのです。
スネイプ先生は、ホークラックスについて何も知らなかったのでしょうか。
スネイプ先生がホークラックスに関わる場面を探してみました。

ハリーに託した記憶内で、指輪にかかった呪いが異常に強いものであったことを見抜いたスネイプ先生ですが、「指輪を割れば、呪いも破れると思ったのですか?」と剣と指輪を見ながら聞いています。
ホークラックスは、ひとりでに回復できないほど強い破壊力を持ったものでないと破壊されません。バジリスクの毒やその毒を吸収したグリフィンドールの剣、悪霊の火などがそれにあたります。
スネイプ先生はまさにその破壊力を持った剣とホークラックス自体を、この場面で目にしているのですが、指輪に込められた魂ではなく、その魂を狙うものを遠ざける呪いの方に注意が向いています。

ハリーに情報を与えて自分には情報をくれないとスネイプ先生が不服を訴える場面では、閉心術ができないハリーのことを話題にしているのにダンブルドアは魂の話を持ち込み、「魂?我々は、心の話をしていたはずだ!」7巻33章p.447)とスネイプ先生は抗議しています。
やはりヴォルデモートの魂が、分割し損傷されているとは知らないように見受けられます。

どちらの場面からもホークラックスを知っていそうな気配は私には感じられません。やはり知らなかったのでしょうか。
図書館にあったホークラックスに関する本は、ダンブルドアが全て抜き取り、保管していました。おそらく、かつてリドルがその本を読んだ後に。
セブルスはリドルの後の時代の学生ですから、いかに勉強熱心で本好きであっても、無い物は目にする機会はないし、耳にしたことのないことは調べようと思うはずもありません。
けれど、スネイプ先生と同じ寮でシリウスの弟、年下(1961年生まれ)のレギュラス・ブラックは知っていました。

7巻10章のクリーチャーの話によれば、レギュラスは16歳で死喰い人に加わり、その一年後にクリーチャーをヴォルデモートに差し出し、クリーチャーが帰ってきてしばらく日が経ってから、偽のロケットに手紙を入れたものを持って洞窟に向かい、そして薬を飲んで水に引き込まれ命を落としました。
17歳か18歳だと思われます。図書館に参考となる本が無いのはセブルスと同様なのに、多分まだ卒業すらしていないレギュラスが、なぜホークラックスのことを突き止められたのでしょう?

同じ疑問を持った人が、ローリングさんに質問した際、ローリングさんは、ヴォルデモートがかつて(4巻で)ハリーにほのめかしたように、レギュラスの前でも不死を実現させるものの存在をほのめかしたというようなことを話しています。傲慢な彼は、その話を理解するほど賢い人がいるとは思わなかったと。

ヴォルデモートは確かに、ハリーにかけようとした呪いが跳ね返った後、「霊魂にも満たない、ゴーストの端くれにも劣るものになった」「だれよりも深く不死の道へと入り込んでいたこの俺様が」「おまえたちは、俺様の目指すものを知っておろう―死の克服だ」「俺様の実験のどれかが功を奏したらしい」「俺様は死ななかったのだ」(4巻33章p.453)などと今になってみればホークラックスのことだとわかる話をしています。しかも、何人もの死喰い人の前で。

そんな話を17歳かそこらのレギュラスに話したのなら、たいして歳の違わないセブルスに話してもおかしくないと思うのですが。
後にヴォルデモートの右腕的存在なってからは、「賢い男だ」と評しているスネイプ先生に対して、万が一の用心のために話さなかったかもしれませんが、若いころなら、話したと考えてもおかしくないと思います。

レギュラスがヴォルデモートの不死の秘密を探る際、図書館には参考となる本はなかったでしょうが、高貴なる由緒正しきのブラック家には、そういった本もあった可能性が高いと思われます。
一方セブルスもまた、入学時、既に7年生の大半より多くの呪いを知っていたとのことですから、レギュラスと同じ情報を得れば、好奇心旺盛なセブルスならそれが何を意味するか、図書館以外の場所にも答えを求めて出かけていきそうです。
また、母親のアイリーンは、リドルと同じくらいの世代と思われ(プリンスの本が6巻時点で50年ほど前に発行されたものだったことから)、アイリーンなら図書館でリドルと同じ本を目にした可能性もあり、健在だったなら、何かしらのヒントは聞くことが出来たかもしれません。
それに、6巻で闇の魔術に対する防衛術の授業を担当した時、闇の魔術について、愛撫するかのように話したスネイプ先生が、この闇の魔法を全く知らなかったとは私には思えません。
スネイプ先生は、ホークラックスのことを知っていたかもしれない、という気もしてきます。
もしかしたら、スネイプ先生は知らない振りをして、ダンブルドアが自ら進んで打ち明けてくれるのを待っていたのかもしれません。

<2/11追記>
いただいたコメントにお返事しようと6巻を読み返すうち、ダンブルドアとハリーの、ホークラックスに関する重要な話し合いを、校長室の肖像画たちがはっきり聞いてしまった部分に気付きました。しかも、魂を七つに分けるという部分まで。
これを後に校長となったスネイプ先生の前で話題にしないとは思えません。
肖像画には現職校長に仕える盟約がありますから、ダンブルドアの口止めもあまり意味をなさないような気がします。(しかし、どう見ても肖像画のダンブルドアが現職のスネイプ校長に仕えているようには見えませんが)
やはり、スネイプ先生にとっては、ダンブルドアが教えないことの内容よりも、教えてくれないこと自体が問題だったように思います。
このことは、ダンブルドアがなぜ教えようとしなかったも含め、次回、もう少し考えてみるつもりです。(答えは出ないかもしれません)

スネイプ先生、お誕生日おめでとうございます! - 2012.01.09 Mon

スネイプ先生、お誕生日おめでとうござます!
スネイプ先生が生まれてきてくれたことに心から感謝しながら今日という日を過ごしています。
新聞やネット上で今日の日付を目にするたびに、ドキっとする特別な日です。

けれど、おめでとうと言いながら、そのたびスネイプ先生の時は38歳で止まってしまったことも思い出され、苦しくなります。
今日で52歳となるはずでした。

ローリングさんはかつて、7巻36章で校長室にスネイプ先生の肖像画がなかったのは意図的だったと語りました。スネイプ先生が「職を放棄したため」だと。しかし、続けて「ハリーが尽力してスネイプ先生の肖像画が近いうちに現れるようになると考えたい」と言っていることから、きっと19年後にはその肖像画もあったのだと思います。

肖像画のスネイプ先生は校長職にあった37~8歳の頃の姿ではないかと想像しています。
スネイプ先生の肖像画を置くことに尽力したハリーなら、その際肖像画のスネイプ先生の姿を目にしたことでしょう。
その後ハリーはホグワーツの校長室を訪れることはあったでしょうか?

ハリーにホグワーツの校長室を訪れる機会はなかったとしても、ネビルにはあったに違いありません。薬草学の、ロングボトム教授なら。
ネビルなら、校長室行く機会は何度となくあったでしょう。
初めて校長室に足を踏み入れたネビルが、ダンブルドアやスネイプ先生の肖像画を無視するとは思えません。
言葉を交わすこともあったに違いありません。
真実を知っているネビルなら、敬意を表したと思います。
そして、スネイプ先生の方は相変わらずの辛辣さで言葉を返したと想像します。

ネビルがいくつで就任したかわかりませんが、「19年後」には既に教授となっています。
「19年後」は、ホグワーツでの戦いがあった時から19年後の9月1日の様子が描かれていると思われますが、そうなるとネビルは37歳で、校長就任の時のスネイプ先生とちょうど同じ歳です。
ネビルには、自分と同じ歳で校長を務め、暗黒の時代に強力な闇の魔法使いから生徒を守ろうとしたスネイプ先生の功績とその心情をしみじみと感じて欲しいです。

ネビルは、この後何年もホグワーツで過ごし、やがて肖像画のスネイプ先生よりはるかに年齢が上回り、貫禄を身につけるでしょう。(もしかしたら、いつか校長先生になるかもしれません)
次第に開いていく歳の差に胸が痛みます。
それでも、先生は先生として、ネビルにとって永遠に頭の上がらない存在でいて欲しいです。
とっくにネビルのボガートはスネイプ先生の姿を呈することはなくなっているでしょうけれど。多分、ホグワーツの学生だった頃から。

マグルの血 - 2011.12.21 Wed

前回、『穢れた血』について書いた後、スネイプ先生が自分の中のマグルの血をどのように考えていたのだろうか、と疑問に思いました。

以前、私はスネイプ先生が半純血のプリンスと名乗ったことを、半分純血であることを誇った言葉ではなく、半分母親(プリンス)の家系であることにあったのでは?と書きました。純血であるからプリンスを名乗ったのではなく、父より母に重きを置くために母の姓を名乗ったのだと。
リリーへの想いは全く想定していなかった6巻読了の時点では、学生セブルスにとっては、純血が半分混ざっているということより、お母さんの存在そのものの方が大切だと思ったのです。
が、7巻を読んでみると、お母さんの存在はそれほど重要でもなさそう。
となると、ここはやはり血の存在が大きく感じられます。

ここで気になるのは、「半純血のプリンス」と署名されていた上級魔法薬の本が、6年生の教科書だった、という点です。
つまり、リリーに絶交された後に使われた本だった、ということです。あの事件は、5年生の終わりの6月頃に起こったものですから。
もっとも、上級魔法薬の教科書に書き込まれていたセブルス発明の呪文「レビコーパス」は、5年生のふくろう試験の時に既にジェームズに使われていますから、6年生になってから教科書に署名したとは限りません。もっと前から、もしかしたら入学前から大事にしていて、署名したのも入学以前のことだった可能性もあります。

書いた時は、「純血の血筋だけを誇張した」というハリーの推察通りだったかもしれません。確かにペチュニアに放った「おまえはマグルだ」の言葉の調子は、ペチュニアを怒らせるものがあったわけで、そこにはマグルを見下す気持ちもあったでしょう。
ただ、それは父親にも原因があるように思えます。
お父さんが尊敬できるような対象であれば、決してマグルを見下すこともなかったはず。
純血の両親の下で育ったドラコとはまた違う意味で「マグル」と口にしていたと思います。

さて、リリーに絶交された後もその署名に手を加えなかった(あるいは絶交後に署名した)セブルスですが、その当時はやはりまだ純血が半分でも混じっていることが彼には重要だったのでしょうか。
本当を言えば、リリーに絶交された時から偏見そのものがなくなったと考えたいのですが、リリーの命乞いをした時の自分本位な様子を見ると、まだリリーに限定されたものであるように感じられます。
また、卒業後に、純血主義を掲げる死喰い人に加わったことを考えると、当時はやはり純血が半分でもあることが大事だったのではないかと思えます。
しかし現在、リリー以外のマグル生まれを『穢れた血』と呼ぶことにも嫌悪感を持つようになった今は、当時と同じ感覚を持っているとは思えません。どこかで変化があったはずです。

リリーが狙われ、死んでから、スネイプ先生は著しく成長したと私は感じているのですが、やはりそこを境に「血」に対する気持ちも変わっていったのではないかと思います。
リリーの身にも危険が迫っていると知った時、憧れていた強い力の実態を知り、疑問を持ったのだと思います。ちょうどレギュラスが、クリーチャーを道具のように使われてヴォルデモートを見限ったように。
同時に、純血主義にも疑問を持ち、『穢れた血』と呼ぶことの愚かさに気づいたのではないかと考えています。
そして、今ではすっかりその偏見もなくなったように見受けられます。
でなければ、リリーに対して使ったわけでもないかつての校長(しかもスリザリン出身の)フィニアスに対して、語調も荒く「その言葉は使うな!」と言ったりしないでしょう。
そして、この時までに、自分の中のマグルの血、つまり父親のことも、年月をかけて受け入れる気持ちになっていったのではないかと考えています。
自分の中のマグルの血を無視する気持ちがあったら、「その言葉は使うな!」とは言えないように思うのです。
6巻28章で「我輩こそ『半純血のプリンス』だ!」と言ったスネイプ先生は、リリーと同じマグルの血を半分持っていることを、むしろ誇りにしてていたのではないか、という気さえしています。

その言葉 - 2011.11.20 Sun

スネイプ先生が、リリーの手紙や写真をローブの奥にしまい込む場面の次に現れたのは、校長室に立つスネイプ先生の姿でした。
ハリーに託した記憶の、最後の場面です。

ここで、スネイプ先生が、フィニアス・ナイジェラスの報告によってハリーたちの居所がディーンの森であると知ったことが、明らかになります。
そして、フィニアス・ナイジェラスがハーマイオニーのことを『穢れた血』 と呼んだ瞬間、スネイプ先生は「その言葉は使うな!」と強い口調で遮りました。

かつてリリーに向かって一度だけ投げつけ、それをきっかけとして絶交されてしまった言葉『穢れた血』。この言葉を、現在のスネイプ先生が快く思っていないことが伝わってきます。

5巻28章のタイトル「スネイプの最悪の記憶(Snape's Worst Memory)」の『最悪(Worst)』は、スネイプ先生にとって屈辱的な場面だったから、と5巻当時は思った私でしたが、7巻後は、最愛の人を傷つける言葉を口にしてしまった場面だから、一生の後悔だから、と考えを改めました。

入学前、「何か違うの?マグル生まれって」とリリーに尋ねられた時に、躊躇して「いいや」「何も違わない」と答えたセブルスは、マグル生まれに対する偏見を知りつつ、傷つけない配慮をする子どもでした。
しかし、その配慮はリリーに対してだけのものだったらしく、リリーは「あなたは、わたしと同じ生まれの人全部を、『穢れた血』と呼んでるわ」(7巻33章p.432~433)と指摘しています。
セブルスが当時その言葉を使ったのは、スリザリン寮生の一人として、使わないでは済まされない風潮もあったからではないかと思っています。決して好んで使っていたわけではないと好意的に解釈したいです。

スリザリン寮はそもそもサラザール・スリザリンが純血主義で、組分けにもその思想が大きく反映されているため、寮生も自然と純血主義の方向に向かいます。
しかし、セブルスは、それ自体が目当てでスリザリンに憧れていたわけではないと私は考えています。
母親が、結婚後の生活との落差を嘆き、学生生活を美化して語り聞かせるなどしてスリザリンを語ったために、セブルスは希望に満ちた明るい場所として認識したのだと考えています。怒鳴り散らす父親のいない、魔法の力を試せる素晴らしい場所として、強く憧れたのだと。決してマグルを排除する思想に惹かれてスリザリンに入りたかったわけではないと思います。
入学日のホグワーツ特急内でジェームズに向かって言った「きみが、頭脳派より肉体派がいいならね―」(7巻33章p.426)という言葉からも、スリザリン寮に対して頭脳派の集まる場所という印象を持っていたことがうかがえます。
寮内ではそれなりに自分の居場所もあったのでしょう。スリザリンの仲間たちの名前も何人か上がっているし、彼らを庇う言葉も聞かれます。
価値観の変化もあったかもしれませんが、スリザリンの中で生活していく者として、同調しなければならなかった部分もあったのではないかと考えています。

例えば、その明晰な頭脳を判断基準にレイブンクローに組分けされていたとしたら、きっとその言葉は使わなかったでしょう。何しろ、レイブンクロー生にとって重要なのは頭の良し悪しですから、他の寮生を侮辱する言葉も「頭が悪い」「愚者」ではなかったかと思います。
そう考えると、グリフィンドール寮生の価値観からは「臆病者」が最も侮辱的な意味を持つことになります。結構その基準でセブルスも侮辱されていたし。
学ぶ者を選ばないとしているハッフルパフにだけそういう侮辱的な言葉はないとか。あるとしたら「差別」そのものでしょうか。

スリザリンだけが、悪者のように言われがちですが、組分けの基準で価値観の違う4つの組に分けるのですから、それぞれの大事にする部分とそれに相反する部分というものは当然きっちり分けられ、それぞれに侮辱的な言葉が存在するわけです。
たまたまスリザリンの場合だけ、それが気質や能力ではなく生まれにあるため、「差別」に相当し、他の言葉以上に人を傷つけてしまうのだと思います。
スリザリン生の一人として、他寮の生徒を揶揄する目的で使ってはいたけれど、その言葉の持つ攻撃力は知っていたからこそ、リリーには使わなかったのだと思います。

リリーに指摘されて返す言葉のなかったセブルスですが、その後は誰に対しても決して使わなかったと私は信じています。
教師となってからは、スリザリン寮生たちにも、そんな指導をしていたのではないでしょうか。残念ながら、ドラコは使いたい放題でしたが。
スリザリンの先輩であり元校長でもあるフィニアスにすら「その言葉は、使うな!」と厳しく言っているくらいですから、管理下にある寮生にその言葉を使わせるとは思えません。
スネイプ先生の前では、スリザリン生であってもその言葉は使わなかったと信じたいです。

(スネイプ先生が「使うな」と言った言葉を使うのはとても抵抗があったので、私も使用を最小限に留めるために、タイトルに使うのはやめました)

リリーの手紙と写真 - 2011.10.22 Sat

シリウスの寝室で、リリーの手紙を読みながら涙を流していたスネイプ先生は、二枚あったリリーの手紙の一枚だけをローブにしまいました。
ハリーはこの時の様子をこう見ています。

スネイプは、リリーの署名と「愛を込めて」と書いてあるページを、ローブにしまい込んだ。(7巻33章p.454)

この何ヶ月か前、ハリーがリリーの一枚目の手紙を見つけた時、ハリーはそこに、リリーが生きていた証を感じ、記したリリーの手を感じていました。
母親の温かな手が、一度はこの羊皮紙の上を動いて、インクでこういう文字を、こういう言葉をしたためたのだ。(7巻10章p.260)と。

スネイプ先生にとっては、その辺同じ価値観ではなかったのだな、と思わされます。ハリーが見ているように、リリーの署名と「愛を込めて」が大事だったのだろうなと。

誕生祝いのおもちゃの箒を喜ぶハリーの報告は、たとえその文字が温かなリリーの手によってしたためられたものだとしても、スネイプ先生にとっては価値がなかったのでしょう。
後にハリーが発見した時、一枚目の手紙は丸められていました。
私は、部屋を散らかしたのはマンダンガスだと考えているし、スネイプ先生が後から散らかった部屋で手紙を発見したと思っているので、そうなると、紙を丸めたのはスネイプ先生、ということになってしまいます。
仮にマンダンガスが後から入ったとしても、自分に不要なものは放るだけで、コソ泥の彼は、わざわざ丸めるような手間はかけないと思います。
また、家族揃って写っている写真のリリーの部分だけを破り、ハリーとジェームズ部分は整理箪笥の下に捨てているところを見ると、価値を感じない手紙を丸めて打ち捨てることは十分あり得ると思います。
スネイプ先生が、「要らない」とという思いを込めて、手紙を丸める姿を私は想像しています。

スネイプ先生にとって大事だったのは、やはり「愛を込めて」の文字と、それに続く「リリー」の文字の組み合わせだったように思います。
自分に向けて発せられた言葉のように感じられたのでしょうか。
そんなごまかしでいいのですか?と、この場面を見るたびに思います。
自分に向けられていない上に、手紙の定型の結びの言葉なのに。

屈託のないリリーは、訣別前にこの程度のメッセージを送らなかったのだろうか?セブルスにだけ向けた笑顔を残さなかったのだろうか?と思います。
たとえ友人としてであっても、愛に満ちた言葉をもらっていたら、セブルスは闇には向かわなかったかもしれないという気もします。
リリーと闇の魔術に関して口論した時も、互いの意見を言い合うだけで、議論は平行線を辿りました。
「親友だろう?」という問いかけに、「そうよ、セブ。でも、あなたが付き合っている人たちの、何人かが嫌いなの!」(7巻33章p.428)とリリーは返しています。
自分の友達を否定されれば、そこは弁護したくなって当然です。
この時リリーも、友人の行動を否定するのではなく、「そうよ、セブ。だから、あなたが心配なの」とか「だから、あなたが大切なの」とか言っていれば、セブルスももっと真剣にリリーの言葉に耳を傾けただろうと思います。ポッターを引き合いに出さずに自らを省みるきっかけになっかもしれません。
もちろん、闇に向かった心理を、リリーのせいだけにするつもりはありませんが、もしかしたら、少し進む道も違っていたかもしれない、と、そんな気がしています。


この時の手紙の「愛」は、たとえ定型の結びの言葉であったにせよ、スネイプ先生の支えとなったことでしょう。
笑顔で手を振る半分にちぎれたリリーの写真と共に、お守りのように身につけ、スネイプ先生は、ダンブルドアを手にかけた苦しみに耐え、ヴォルデモートの腹心を演じながらホグワーツを守ったのだと思います。

叫びの屋敷で亡くなったスネイプ先生のローブの奥には、きっとこの二つが遺されていたに違いありません。
スネイプ先生の亡骸を包むローブの奥で、写真のリリーが笑っているところを想像し、私は大きな悲しみに襲われるのです。

しばらくお休みします - 2011.09.09 Fri

更新は、イギリス旅行から帰ってきてからになります。

スネイプ先生の涙 - 2011.07.11 Mon

シリウスの部屋でスネイプ先生がリリーの手紙を読んでいる場面で、私が何より衝撃を受けたのは、スネイプ先生が泣いていることでした。

私はオフでスネイプ先生の話をする時、一時期「スネイプ先生は泣くと思う?」という質問をよくしていました。なぜ聞いたかというと、私は「泣かない人」だと思っていたからです。
人前はもちろん、陰でも泣かない人だと思っていました。

「泣く」というのは、交感神経が優位に働いていて急に副交感神経優位に切り替わった時、つまり緊張した状態から急に緊張が緩んだ状態になった時に起こる、と私は習いました。
で、スネイプ先生は常に交感神経優位な状態(緊張した状態)にあるようなイメージだったので(実際そんなはずはないでしょうけど)、泣くことなどないと思っていました。つまり、スネイプ先生はいつだって、一人になった時でさえ、緊張の糸を緩めることなどないと思っていたのです。
そんなイメージを7巻のこの場面を見るまで持っていました。
だから激しく衝撃を受けました。
スネイプ先生の緊張の糸が切れた!と思ったからです。

もしかしたら、この時までは本当にずっと緊張を保ってきたのかもしれません。
けれど、ダンブルドアを殺す、というあまりにも大きなストレスがかかって、これ以上ないほどの緊張状態となって、この家に飛び込んできて、無目的に階段を上がっていって、そしてシリウスの部屋で、思いがけずリリーの写真を目にして、その瞬間、プツンと切れてしまったのではないかと想像しています。

最上階のシリウスの部屋をどうして開けようと思ったか、そこはよくわからないのですが、スネイプ先生自身もやはり自分の行動に説明がつかないまま、目の前に現れたシリウスの部屋をなんの気なく、というか呆然としたまま開け、ぼんやり部屋の奥まで入り、そこで既に絨毯に散らばっていた羊皮紙の中から、リリーの文字の書かれた手紙を発見したのではないかと想像しています。

gの特徴を見なくても、リリーの文字をスネイプ先生が見間違うはずがありません。
シリウスに宛てた手紙にその文字を見つけ、笑顔で写っているリリーの姿に、とうとう堪え切れなくなったのだと思います。
手紙の内容というより、リリーの笑顔、リリーの文字、特に「愛を込めて(Lots of Love )」に、張りつめていたものが切れて泣いてしまったのではないかと想像しています。
ハリーが手紙を見て感じたように、リリーの温かな手が、一度はこの羊皮紙の上を動いて文字を、言葉をしたためた、という事実に想いを巡らせたかもしれません。
その、目いっぱい張りつめた状態から一気に気が緩んで、鼻先から滴るほどの涙を流したスネイプ先生の姿を思うと、切なくて私が身を捩ってしまいます。抱きしめて「辛かったよね、辛かったよね」と言ってあげたいです。

でも、その涙が却ってスネイプ先生を救ったようにも思います。
あのまま、緊張状態を保ったまま、感情を閉じ込めて死喰い人生活に戻っていったら、いくらスネイプ先生でも身が持たなかったのではないかと思います。
最近巷で言われる「涙の効用」もあって、その涙は、ストレスを軽減する働きをしたことでしょう。
そして、リリーの「愛」とともに笑顔の写真をお守りとし、スネイプ先生は再び独りで立ち上がったのだと思います。

グリモールド・プレイスに向かったのは - 2011.06.19 Sun

不幸にもジョージの耳に呪いを当ててしまった記憶の後に出てきたのは、シリウスの寝室にひざまずき、手紙を読みながら涙するスネイプ先生の姿でした。

スネイプ先生がハリーに遺した記憶は、ほとんどが時系列に並んでいるようですが、この場面だけは違うようです。
これは、一つ前の囮作戦以前の記憶だと思われます。なぜなら、グリモールド・プレイスにスネイプ先生が入れたのは、マッドアイがスネイプ除け呪文を施す前だった、との作者の言葉があるからです。
ローリングさんはこう言っています。
Snape entered the house immediately after Dumbledore's death, before Moody put up the spells against him.(スネイプはマッド-アイがスネイプ除けの呪詛をかける前、ダンブルドアの死の直後に家に入った)
(ブルームズベリー社・ライブチャット:2007.7.30)

immediatelyは「すぐに、早速、ただちに」という意味なので、ダンブルドアの死後、かなり早い時期だと思われます。
スネイプ先生は、ダンブルドア殺害後、ドラコと共に校庭を走って逃げ、追いつきそうになったハリーと対峙する時に、ドラコも死喰い人も先に行かせました。
スネイプ先生は、後から一人で姿くらまししたのではないかと思います。

ドラコたちの向かった先は7巻1章で登場したマルフォイ邸ではないでしょうか。
スネイプ先生も間もなくマルフォイ邸に向かったと思いますが、先にグリモールド・プレイスに向かったのではないかという気がしています。
もしダンブルドア殺害後直ちにヴォルデモートに報告する必要があったとしても、遅れた言い訳として、今のうちに騎士団本部の家探しをする必要があった、とでも言えば良いわけですから。
だとしたら本当は何の目的で行ったのかが気になります。

直前まで騎士団の一員だったスネイプ先生にとって、この時期新しく知りたい騎士団の情報などなさそうです。
では、シリウスの家には何かリリーの手紙や写真などの痕跡が残っているのではないかと元々考えていて、本当に家捜し目的で行ったのでしょうか。
私としてはその目的で行ったと考えるのは抵抗があります。

7巻9章でハリーがグリモールド・プレイスに入った翌朝、以前ロンとともに使っていた寝室が荒らされているのに気付きます。シリウスの部屋もレギュラスの部屋も散らかっていました。
その探し方が、私のスネイプ先生のイメージではないのです。
洋箪笥の戸が開けっ放しだったり、ベッドの上掛けが剥がされていたり、何より、本を乱暴に振った痕跡があったことが。
これはやはりマンダンガスが金目のものを探して荒らした部屋に後からスネイプ先生が入って手紙を見つけた、と考えたいところです。
リリーの気配を探すために、このように荒々しく部屋を散らかしていったとは、考えたくないです。

一つ気になるのは、マンダンガスが6巻12章でホグズミードでハリーに会って以来(10月半ば以来)、姿を見せなくなったことです。
ということは、マンダンガスがブラック邸を荒らしていたのはスネイプ先生が騎士団を離れる半年以上も前、ということになります。
が、その間もし騎士団のメンバーがグリモールド・プレイスに集ったとしても(実際使っていたかどうかは不明)、やはり以前と同じ厨房くらいしか行かなかったのではないかと思います。
シリウス亡き後、ハリーの持ち物となった家を、勝手に上の階まで上がってくるような面々ではないと思うので。
だから、ハリーが見た荒れた様子は、その10ヶ月くらい前のマンダンガスの仕業と考えたいです。
ただ、スネイプ先生の心の底には、ブラック家には何かリリーにまつわる物があるのではないか、という思いが前からあったのではないかとは思っています。

ダンブルドアを殺したスネイプ先生は、スネイプ除けのような呪いが無かったとしても、騎士団のメンバーの誰かと鉢合わせする可能性のあるこの場所に、二度と足を踏み入れるつもりはなかったと思います。
でも、ダンブルドアを殺した直後だったら、騎士団のメンバーは皆まだホグワーツに居てダンブルドアの死を知ったか知らないかのこの時だったら、グリモールド・プレイスは無人であると知っていたと思います。

スネイプ先生は一人になりたかったのではないかと私は考えています。
スピナーズエンドではなくグリモールド・プレイスを選んだのは、心の底にある「ブラック家にはリリーに関する何かがあるかも?」というわずかな希望のためではなかったか、と考えています。ハーマイオニーがハリーとロンを連れて咄嗟に姿現しした場所がなぜかトテナムコート通りだったり、クィディッチ・ワールドカップがあった森だったりしたように、最初に思いついた場所だったのではないかと想像しています。

騎士団本部として使われたグリモールド・プレイスに、かつてスネイプ先生は何度も足を運びました。
が、一度も一緒に食事をしたことがないというスネイプ先生が、騎士団の会議の開かれる厨房以外の部屋に足を踏み入れるとは到底思えません。
けれど、シリウスの部屋は最上階(一体何回まであるかはわかりませんが、ハリーやロンが以前使った3階の寝室よりは上にあるようです)、そこまでスネイプ先生が上っていったのは、どうしてでしょう?

私は、無目的にただひたすら階段を上がっていったのではないかと考えています。
大切なダンブルドアを殺してしまった罪の重さに耐えかねて、苦しくてわけもわからず、ひたすら自分の足で息を切らして上っていったのではないかと想像しています。
そのままヴォルデモートの下に向かえば、閉心術を保てるかどうかわからないくらいに気が動転していたのだと思います。
ハリーが「臆病者」と呼んだ後に見たスネイプ先生の表情は、「異常で非人間的(demented, inhuman)」となっており、dementedは取り乱した、気が狂ったような、という意味がありますから、かなり動転していたことを示しています。
そのようなわけで、私は、スネイプ先生が自分を鎮めるために、ほとんど無意識のうちに一人になれる場所としてここを選び、階段を上り続けたのではないかと想像しています。自らの体を傷めつけるように、息が苦しくても立ち止まらず、ひたすら上っていく姿を思い浮かべては、胸を痛めています。

スネイプ先生と箒 - 2011.05.22 Sun

ルーピンの背中を狙う死喰い人の杖腕めがけて放ったセクタムセンプラは、狙いが外れ、ジョージの耳に当たってしまいました。
スネイプ先生が狙いを外すなんて…。

6巻でダンブルドア殺害後、追ってきたハリーが至近距離から次々に投げつけてくる呪いを全て杖で軽くかわしたスネイプ先生。私の中では、スネイプ先生は常に冷静で的確な判断をし、狙われてもかわすし、狙ったものは外さないイメージがありました。
この時は咄嗟のことに少し狼狽していたとも思いますが、箒の上では、実力が十分発揮されなかったのではないかと考えています。

箒に乗っているのだから、誰でも命中率は下がって当然ですが、元々私は、スネイプ先生は箒があまり得意ではないと見ています。特に学生時代は。
それは、5巻26章でハリーが盾の呪文によって垣間見たスネイプ先生の記憶の中に、箒に振り落とされそうになっている少年時代の姿があったからです。
ハリーなどはたった1歳でおもちゃの箒を乗りこなしているのをみると、これはどうも箒に乗る、ということは天性の素質のようなものに因る部分が大きいような気がします。持って生まれたバランス感覚というか。
ハーマイオニーなどは7年経っても箒に乗ることは好きではないようだし、やはり努力よりも才能に左右される気がします。
また、箒に向いていないと思った一番の根拠は、学生時代の姿勢です。
猫背でした。ということは、腹筋も背筋も発達していなかったのだと思います。
その状態では重心も安定せず、空中に浮かせて乗る箒の上では、姿勢を保つことが困難だったと考えられます。
本人も入学時のホグワーツ特急の中でジェームズに「肉体派(brawny)」を蔑むようなことを言っています。「頭脳派(brainy)」を好むセブルスは、体を動かすことより、本を読む方に時間を使ったはず、姿勢悪くじっと本に向かっていれば、筋肉もつかず、箒向きの身体にもならなかったと思われます。身体的な機能もそうですが、好みの点でも、それほど箒には惹かれなかったのではないかと思います。ハーマイオニーがそうであったように。

大人になってからのスネイプ先生は、学生時代のような姿勢の悪さの描写はありません。大股で歩く姿からは、胸を張って風を切って歩く姿が想像され、ずっと姿勢が良くなっている印象です。死喰い人として活動するうちに、体も動かさなければならない場面に直面したり、その後教師としてホグワーツで働いたりするうちに、腹筋も背筋も鍛えられ、学生時代よりずっとバランスは改善したのではないかと思っています。ただ持って生まれたセンスのようなものは、どうしようもなかったのかな、と思っています。

この死喰い人に狙われたルーピンを守った場面では、スネイプ先生は追う側でした。
追われる側には呪いを狙い定める余裕はありませんが、追う側の方はもう少し余裕がある気がします。しかも、この場面ではスネイプ先生が狙ったのは、ルーピンでもジョージでもなく、自分の前に出てきた死喰い人の杖腕。そんなに距離も離れていなかったと思います。自分を攻撃してくるわけでもない目の前の杖腕の狙いが外れるということは、スネイプ先生はそれだけ箒に乗っていることに集中する必要があったことを示していると思います。
それだけ一生懸命だったのは、箒と一体となるほどのバランス感覚は持ち合わせていなかった、ということだと考えています。
というわけで、残念ながら、私のイメージするスネイプ先生は箒が苦手です。
スネイプ先生には万能であって欲しい気もしますが、苦手なこともあった方がより人間味が感じられて、私には好感が持てます。

使った手は - 2011.05.02 Mon

今日はスネイプ先生の命日です。
スネイプ先生の最期の場面を思い返すうち、一つの疑問が生じました。
ハリーのローブを掴んでいたスネイプ先生の手がドサリと床に落ちていますが、それは一体どちらの手だったのだろう?と。

スネイプ先生はこの時仰向けではなく、横向きに倒れています。
横向きの状態で手がドサリと(thudded)と音を立てるのは、上側の手でも下側でもあり得ることは何度も何度も試して実証済みです。
恐る恐る近づいてきたハリーのローブの前を掴むなら、少し自由度の高い上側の手を使ったかもしれません。
話しかけようとしたスネイプ先生の言葉を聞き取ろうと、ハリーは屈んだのでしょうけれど、やはり怖々というところがあって、位置的には遠く、スネイプ先生は引き寄せたのだと思います。
だとすると、より高く遠くまで動かせる上の腕の方をスネイプ先生は使ったのではないかと思いました。下側の腕は体が乗る形で、あまり自由に動けませんから。
その時、一体どの程度まで肘を曲げたのか気になっています。
なぜなら、肘の曲げ方によってハリーの顔の近さが変わってくるからです。
しかし、残念ながら、上側の手を使用すると、肘はどの角度であっても力を失った時ドサッと落ちるようで、わかりませんでした。(何度も試してみました)

なぜ、そこにこだわったかというと、ハリーには少しでも近くに寄ってもらいたかったからです。スネイプ先生には最期に人の温もりを感じて欲しかったからです。
死に際に話しかけようとしている人がいたら、聞き取ろうとして口元に耳を寄せるくらいに近づきますよね?
多分、ハリーはそこまでしなかったから、スネイプ先生は自分で引き寄せたのでしょうけど(涙)

ちなみに、仰向けに倒れていた場合、肘を曲げ過ぎると手はドサリと床には落ちません。90度以上曲げてしまうと(上腕と前腕のなす角が鋭角だと)、力を失った時にはそのままさらに肘を曲げる方向に落ち、床には落ちません。ドサリと落ちるには、肘を伸ばす形で床に落ちなければならず、そうなると、肘は十分曲がらない状態でないといけないわけで、それはつまりハリーが十分近寄っていないことを意味します。
けれど、横向きなら、十分引き寄せても手はドサリと床に落ちるのです。
この時ハリーは十分近くに寄っていますように。
もっとも、ハリーにとっては、ローブの胸元を掴まれたまま、スネイプ先生のすぐそばで銀色の物質を杖で掬ってフラスコに入れる作業はそざかし大変だったことでしょうけれど。
そう考えると、その作業をなんとかスネイプ先生の息のあるうちに終えた、ということは、やっぱりハリーはそんなに近くまで引き寄せられてはいないのかもしれません(泣)

スネイプ先生とルーピン - 2011.04.03 Sun

「あの子に情が移ったというのか?」と問われ、「彼に?」と答えつつリリーと同じ牝鹿のパトローナスを出した時のスネイプ先生の気持ちについての私の解釈は、一通り7巻を語った最後にまとめようと思います。

次の場面でスネイプ先生は、ハリーがダーズリー家を離れる日付と、移動方法について、ダンブルドアから指示を受けています。
ダンブルドアは、ホグワーツの生徒たちを守るためには、スネイプ先生ができるだけヴォルデモートの腹心であり続けるよう、正確な日付を伝えるよう指示しています。
次の場面で、マンダンガスに服従の呪文をかけるスネイプ先生の様子が、その次の場面で、移動当日にルーピンを守ってジョージに怪我を負わせてしまった様子が示されました。

スネイプ先生がダンブルドアを殺して逃亡した後もスネイプ先生の人間性を信じて疑わなかった私でしたが、ジョージが耳を切られた場面で、ガクンと心臓が落ち込むような感覚を覚えました。スネイプ先生は、人の身体を傷つけるような真似だけは決してしないと思っていたからです。
それがこの記憶によって事故だと明らかになり、安堵しました。

しかし、スネイプ先生は安堵どころではなかったと思います。
この時ジョージはハリーの姿をしていたわけだし、スネイプ先生は間違いなく本物のハリーだと思って追う側にいたはずです。ハリーの身が危なくなれば、それこそ事故の振りをしてでも死喰い人側を攻撃するつもりだったでしょう。
ところが、実際は、ハリーではなくルーピンの身の安全まで守ろうとしたために、逆にハリーを傷つけることになってしまい、スネイプ先生は狼狽し、激しく自分を責めたことと思います。ルーピンを守ってハリーを死なせてしまっては、本末転倒ですから。

スネイプ先生にとっては、ハリーだけが特別な存在というわけではなかったのだ、と思いました。
死喰い人に背中を狙われたルーピンを守ろうと、咄嗟にセクタムセンプラを放ったスネイプ先生には、反れたらハリーを傷つけるかも、とまでは思い至らなかったのでしょう。それだけ夢中だったのだと思います。
リリーだけを愛し、その遺志に従ってハリーを守ることに専念していたなら、ここまでルーピンを守ることに必死になったりはしなかったと思います。単にその場面においてハリーを守る存在として見ているだけなら、やはりハリーが第一で、ルーピンの危機は二の次だったはず。
ルーピンもまた、元同級生、元同僚、そしてハリーを守る同志として、スネイプ先生にとって大切な存在だったことをこの行動は示していると考えています。

また、7人のハリーの中から、ルーピンと一緒にいるハリーを本物だと考えたのは、ルーピンならハリーを守り切るだろうという推測があったからではないかと私は見ています。
ヴォルデモートはまずマッドアイ、次にキングズリーチームを狙ったというのに、スネイプ先生がこの二人を差し置いてルーピンチームを選んだのは、その能力を高く評価したのと、ハリーを思う心を理解していたからではないかと思います。
それまでのやり取りの中では、お互い通じることがあったかよくわかりませんが、実はスネイプ先生は、ルーピンに対して大きな信頼を寄せていたのではないかと、この場面から感じます。

残念なのは、この事故によってルーピンのスネイプ先生に対する印象が以前にも増して悪くなったこと、そして、事実を知らないまま、ルーピンも死んでしまったことです。
6巻では、ダンブルドアが信じているから、という理由で「セブルスを信じる」と言ったルーピンも、ダンブルドアが殺されてからは、ダンブルドアが信じたこと自体信じられないようで、スネイプ先生を語る口調はきつく、微塵も信じてはいない様子になってしまいました。
そんなルーピンには、さらにスネイプ先生を憎ませてしまった出来事が、実は自分を守ろうとした行動が原因だったと、ルーピンの守るハリーこそ本物だとスネイプ先生は思っていたと、どうしてもそれだけは知って欲しかったです。

もしかしたら、この場面、ハリーを通してルーピンに真実を知って欲しくて見せたのではないかと思っています。なぜなら、ハリーに渡した記憶の中でこの場面がそっくりそのまま抜けてしまっていても、ハリーには十分やるべきことは伝わったと思うし、役割を果たすことに支障はなかったと思えるからです。
ハリーへの情報提供というより、自分を知って欲しい気持ちから加えられた場面に私には思えます。
そうだとしたら、敵として心から憎まれたまま死なれてしまっては、スネイプ先生も浮かばれません。
ルーピンには生き残ってもらって、スネイプ先生の信頼と友情を感じ取って欲しかったです。そして、その孤独に思いを馳せて欲しかったです。
本当に、つくづく残念です。

不誠実 - 2011.03.04 Fri

ハリーと同じ情報をもらえないことで、自分は信用されていないと言うスネイプ先生に、ダンブルドアは、信用の問題ではないと言います。
が、その説明もスネイプ先生を納得させるには不十分な上、話途中で「きみがわしを殺したあとに」と不承不承頷かせたことを前提に話し始めたり、若いスリザリン生について話題を転じたりしたために、ますますスネイプ先生は頑なになってしまいました。
そこでダンブルドアは、その夜十一時に部屋に来るよう言います。そうすれば信用していないなどと文句は言えなくなるというのです。

ダンブルドアの部屋で聞かされた話に、スネイプ先生は自分の信用問題以上の衝撃を受けてしまいました。
リリーのためにハリーを守っていると思っていたのに、ハリーは死ぬべき時に死ぬことができるよう生かされてきた、という内容だったからです。

リリーが死んだ時、「私も死にたい」と言ったスネイプ先生に、ダンブルドアは「おまえの死が、誰の役に立つのじゃ?」と言い、リリーを愛していたなら、これからの道ははっきりしていると、リリーの息子ハリーを守ることを提示してきたのでした。
その言葉はこうです。
「リリーの息子をわしが守るのを手伝うのじゃ」(7巻33章p.437)
Help me protect Lily’s son. (UK版p.544)
「闇の帝王は戻ってくる。そしてそのとき、ハリー・ポッターは非常な危険に陥る」(同)
-the Dark Lord will return, and Harry Potter will be terrible danger when he does.(UK版p.545)
この言葉を聞いて、スネイプ先生は、ハリーを守る道を選んだのです。

ダンブルドアの中では、『ハリーがヴォルデモートを倒せるように育つまで、真実を知っても自ら進んでその命を差し出すようになる時まで、十分機が熟す時まで』は、死んでしまわないよう守るのを手伝え、という意味だったかもしれませんが、もちろん、そんなことはこの言葉からはわかりません。ただ単に、ヴォルデモートが蘇った時に狙われるであろう、リリーの息子を守る、としか解釈できなくて当然です。
というか、そうとしか解釈できません。話が違いすぎます。騙しているとしか思えません。
スネイプ先生は、リリーが命に代えて守った息子を、リリーが守りたかった命を、陰ながら懸命に守っていたのに。
こんなにいい加減な話ってあるでしょうか。

真実を聞かされたスネイプ先生が、「あなたは私を利用した」(7巻33章p.451)‘You have used me’(UK版p.551)と言うと、ダンブルドアは「はて?」‘Meaning?’(同)と問いかけます。
「あなたのために、私は密偵になり、嘘をつき、あなたのために、死ぬほど危険な立場に身を置いた。すべてが、リリー・ポッターの息子を安全に守るためのはずだった。いまあなたは、その息子を、屠殺されるべき豚のように育ててきたのだと言う――」(同)

全くその通りです。
しかし、ダンブルドアの反応は、ずれています。
「結局あの子に情が移ったと言うのか?」(同)
仮に、そうだったとしても、スネイプ先生が言いたいのはそこではないはず。
話が違う!という内容の抗議の言葉に対し、「結局あの子に情が移ったと言うのか?」(同)と質問するのは的外れ過ぎます。
まずは、最初の話と違うことを謝るなり、何かしらの言い訳をするなりすべきだったと思います。

また、以前こんなこともありました。
リリーとその家族を救って欲しと懇願するセブルスに、「代わりに何をくれるのじゃ?」とダンブルドアは聞き、セブルスは「何なりと(Anything)」と答えました。
見返りを求めて「何なりと」という答えを得たのに、ダンブルドアはリリーたちを救えませんでした。
それは仕方のないことだと思います。
が、その時、「あなたならきっとあの女(ひと)を守ると思った」(7巻33章p.436)と言われて出てきた言葉が「リリーもジェームズも間違った人間を信用したのじゃ」「おまえも同じじゃな、セブルス」(同)でした。
Anythingは、それこそ自分の命に代えても、の意味だったと思います。それほどの覚悟を以て頼んだのに、守り切れなかった時の言葉が、故人やセブルスの落ち度を指摘するものでは、論点がずれている上、あまりに誠意がありません。
自分を殺すことをしぶしぶ頷いたことを「誓ってくれた(You gave me your word)」と言うなら、この時助ける代わりに何でも差し出すと言ったセブルスに対して、ダンブルドアもリリーたちを助けることを「誓った」と言えるのではないでしょうか。
ここにも不誠実さを感じます。


ダンブルドアは、あらゆる場面において、スネイプ先生の言うことに正面から答えていなかったように見受けられます。この不誠実さが、私にはとても気になります。
どんな計画があったにせよ、真剣な相手には、誠実に対応すべきではないでしょうか。いつも話を逸らし、焦点をぼかして答えているではありませんか。
その結果、スネイプ先生はもやもやした気持ちは一向に解消されなかったのではないかと思います。

結局、初めにスネイプ先生がこだわっていた自分が信用されているかどうか、という問題は解決されたのでしょうか。
後のページで、グリフィンドールの剣をポッターに与えることの重要性について、「あなたはまだ教えてはくださらないのですね?」(7巻33章p。455)と言っていることから、まだスネイプ先生の中ではわだかまりは消えていないのだろうと考えています。
そして、これがスネイプ先生の遺した最後の記憶だったので、きっとこの感情は解消されることはなかったのだろうと思います。
その寂しさを想像すると、とてもとても辛いです。

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