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2017-09

私のスネイプ先生 - 2012.05.30 Wed

ブログ開設から7年の間に、私の中に出来上がったスネイプ先生の人物像を、その内面に絞ってまとめてみます。

・人付き合いは上手ではないけれど、人間嫌いではない人。
・ハリーやネビルへの接し方、スリザリン贔屓など、未熟な面もあった。
・律義でまじめな人。
・差別意識もあったが、それは刷り込まれたものであって、深い所で人間そのものへの敬意は持っている誠実な人。
・青年時代までは独り善がりな人、愛する人の命が狙われるようになって以降は利他的になる。
・一人の女性を生涯愛し続けたけれど、それだけの人生ではなかった。


騎士団員や教師たちの前で憎まれ役を演じ、親しい交流をしなかったのは、二重スパイという自分の役割に徹するためであって、元来仲間と親しくするのを好まなかった、というわけではないと思っています。
子ども時代や学生時代は、リリーへの態度やスリザリンの仲間を(時にはリリー以上に)大切にしている様子から「人と関わりたい」「人に認められたい」という気持ちが見て取れます。
それは大人になっても変わっておらず、そう見せなかっただけでどちらかと言えば人と関わりたいタイプだったのではないかと考えています。
実際、真実を知るダンブルドアにはひどく甘えた言動が見られました。
また、「あなたのために、私は密偵になり、嘘をつき~」(7巻33章p.451)という言葉から、リリーの息子を守るという明確な目的のために、嘘をつきたくない自分の気持ちを抑えていたのだとわかります。
味方側にも真実を明かさず、裏切り者呼ばわりされてもその役に徹した意思の強さに感服するばかり。なんて自制心の強い人なのでしょう。
しかし、だからこそ、抱える寂しさは大きなものだったでしょう。

ハリーへの接し方、特に入学したばかりでまだ反抗してもいないハリーに対する接し方は、大人の対応ではないと認めざるを得ません。
ハリーを守るという目的のために憎まれ役を買って出ることはするのに、肝心のハリーに対しては必要以上に冷淡。
これは、目的があくまでハリーの「命を守ること」であって「心身を育てること」ではなかったのだと思います。
厳父の役割を果たしたと見る向きもありますが、私は単に自分の感情を抑制できなかっただけと考えています。
ハリーを守るために自分の気持ちを徹底的に抑制した一方で、ジェームズへの憎しみを抑えることはできない未熟さもあったのだと思います。
また、ドラコやハリーと同一線上に自分を置いて「私の魂は?」と聞いたり「あの子を信用している……私を信用なさらない」などと生徒と比較して尋ねる部分など、大人になりきれていないと感じます。
一方では強い自制心を見せ、一方では全く自制しないで解放する感情もあり、アンバランスな印象も受けますが、心の平衡を保つためには仕方なかったのだろうと思っています。

未熟ではあっても、、ダンブルドア殺害など不本意ながらも約束したことはきっちりと守る律義さからは、まじめで誠実な人間性が伺えます。そのまじめさが随分自分の首を絞めたことでしょう。
さらに、人間に対する敬意のようなものは深いところにある人だと確信しています。
何度も語った担架の例を再度繰り返しますが、意識のない敵(または嫌いな人)に対する態度の違いを比較するとよくわかります。
スネイプ先生はシリウスを担架で運んだのに対し、シリウスはスネイプ先生を宙吊りで天井にぶつけながら移動させ、ダンブルドアは偽ムーディを足で蹴り上げました(4巻)。
意識のある時には憎しみを向ける対象であっても、相手に意識がなくて無防備な時にはその体をぞんざいに扱うことはしない誠実な人です。

視野が狭く、好意を寄せるリリーの言葉さえ心に届かない独り善がりな青年でしたが、リリーの命が狙われてからは一転、自己犠牲の精神に目覚め利他的な性質が強まったように思います。
リリーが死んだ時ではなく、丘の上でダンブルドアにリリーを含めポッター一家の安全を確保して欲しいと願い出た時が、スネイプ先生が大きく成長した瞬間だと考えています。
自分を含めて誰も愛していない可能性を考えていたスネイプ先生が、実は一人の女性に対して変わらぬ愛を貫いたと知った時には強く心を動かされました。でも、後半はリリーへの愛だけに生きたわけではないと私は思っています。

リリーを愛するがためにハリーを守っていたスネイプ先生ですが、最終的にハリーが死ななくてはならないと知らされ、抗議しつつもハリーにその事実を伝える役目を請け負い、死に導きました。
もしスネイプ先生が、ヴォルデモートやダンブルドアにリリーの命乞いをした当時そのままに、リリーを愛する自分の気持ちを最優先したのなら、ハリーを死なせる方向に手助けなどしなかったでしょう。リリーが命を懸けて守ったハリーを死なせることなど、スネイプ先生は決してしないと私は見ています。
それでもスネイプ先生が、ハリーに、死ぬべき時に死ぬ運命であるという役目だと伝えたのは、自分の気持ちよりも優先することがあったからだと考えています。
それは何か。
ホグワーツの人々、教職員も生徒も全てを含めたホグワーツの住人です。なぜなら、それがスネイプ先生の家族だったからです。
ハリーもこう言っています。
 ヴォルデモートそしてスネイプと、身寄りのない少年たちにとっては、ここが家だった……。(7巻34章p.466)
ダンブルドアほど広く大きな対象ではないけれど、それでも大事なリリーの忘れ形見を犠牲にしてでも守りたいものが出来ていた、ということだと思っています。

元々教師になりたくてなったわけではなく、ヴォルデモートの命令という形でホグワーツに入り、ヴォルデモートが消えた後もハリーを守るために教師を続けたたスネイプ先生でしたが、十数年の教師生活の中で少しずつ気持ちも変わっていったのではないかと思います。
いつも黒尽くめの服装なのに、2巻のクィディッチの試合でスリザリンのシンボルカラーの緑のローブを着ていたことがありました。この時、リリーへの想いという呪縛から解放されて、純粋に自分の監督する寮生たちと一緒になって寮のチームを応援していたように見えます。
また、リリーのことだけを想い、ハリーを守ることだけに心血を注ぐのであれば、研究室の瓶詰めの標本を増やす必要もなかったでしょう。教科書に従い、魔法史のビンズ先生のように淡々と眠い授業をしていれば良いのですから。
閉心術の個人授業中、女性の叫び声を耳にしたスネイプ先生は授業を中断させました。本当にハリーだけのことしか考えていなければ、出ていかないはず。トイレのパイプに詰まったモンタギューを助けに行った時も同様です。自分の寮の生徒を居残りさせたのだって生徒の将来に本当に必要だと思えばこそ。挙げればキリがありません。
スネイプ先生は、教師として寮監として校長として、ホグワーツを愛し始めていたのだと思います。本人に自覚はなかった可能性はありますが。
家庭に居場所のなかったスネイプ先生は、ホグワーツに居場所を見つけ、何より大切にし、ついに、最優先させたのだと思います。

では、ハリーのことを、“私のスネイプ先生”はどう見ていたか。
残念ながらまだハリー自身を見ている自覚はなかった、というのが私の見解です。
ジェームズとして憎み、リリーとして護っただけで。
でも、ハリーをハリー個人として見ていなかったとしても、ホグワーツの一員として愛し始めていたと思っています。もし、スネイプ先生が生き延びて教師を続けていたら、きっとハリーを一人の人間として見ている自分に気付いただろうと私は思っています。
まだ本人が自覚していないので、私のスネイプ先生はハリーに情が移っていたと言っていいのかどうかわかりません。

スネイプ先生は報われないことも多かったけれど、不幸だったとは思っていません。
ディーンの森でパトローナスを出せたことこそ、その時スネイプ先生が幸福な気持ちになれたことの何よりの証です。
フレッドの死の直後、叫びの屋敷に向かうハリーがパトローナスを出せなかったのは、ハリーに幸福な思い出が無かったからではなく、その時絶望していたからだと思われます。
ディーンの森では輝くパトローナスを作り出すことができたスネイプ先生は、既に絶望の淵から這い上がっていたのです。
幸福な思い出がリリーとのものだったとしても、その時点でのスネイプ先生には幸福な気持ちでいられるだけの余裕があったということです。
以前書いたように、リリーを愛した自分を肯定し、リリーとの一番幸せだった想い出を糧に、前向きに生きていく意欲が湧くようになったからこそ、月のように眩しく輝くパトローナスが出せたのだと思います。
スネイプ先生はその時幸せだったと思って良いのではないかと、心からそう思えます。


ハリーの生と死の狭間の晴れ舞台はキングズクロス駅でした。
スネイプ先生の晴れ舞台はどこだろう?と考えた時、以前はリリーと過ごした川辺を想像しました。
しかし今の私は、スネイプ先生の晴れ舞台は、ホグワーツの大広間の先生方の座る席ではないかと想像しています。
その場所で、他の先生方と並んで生徒を見渡す時が、スネイプ先生の幸せな時だったのではないかと思います。
叫びの屋敷で倒れたスネイプ先生が、ホグワーツの大広間の形をした白い世界で目を覚まし、ダンブルドアとひとしきり話した後、二人連れだって、扉から出て行き、その先でリリーと再会する様子を思い浮かべています。

叫びの屋敷に残された亡骸は、前回書いたようにマクゴナガル先生に慈しみを以って清められた後、ホグワーツの敷地内に運ばれるのです。
ハリーが死んだと思い込んだハグリッドがしたように、限りなく優しい誰かの手でくるむように、できれば揺すってあやすように(cradle)抱えてもらって。魔法を使って運ばれるのではなく、誰かの温かい優しい手で運んで欲しい。
そして、ホグワーツの教職員や生徒達に心から哀悼の意を込めて弔って欲しいです。温かい涙の雨をスネイプ先生の上にも降らせて欲しい。
ダンブルドアがホグワーツに葬られたのは異例のことでしたが、スネイプ先生も二例目となってホグワーツに葬られて欲しいです。
なにしろ、“私のスネイプ先生”は、ホグワーツを愛し、そこで生活する人を家族のように思っていたのですから。

杖の使い方 - 2010.05.23 Sun

日記の方で、映画の杖の振り方について取り上げた際、本ではどうだろう?と興味を持ちました。
ちょっと7巻から離れ、全巻通したスネイプ先生の杖の使い方、扱い方を調べてみました。
ざっと目を通しただけなので、見落としもあるとは思いますが、スネイプ先生が杖を使った場面をできるだけたくさん挙げてみました。
主語は「スネイプ」先生です。
英語ではどんな動詞(または動詞的なもの)を使っているのかも抜き出してみました。気になる副詞があればそれもつけましたし、前置詞がついていることもあります。
杖から何かが出ている、という状態は抜き出していません。杖をしまう場面も抜き出していません。
2巻の原書は貸したきり戻ってこないので、2巻の引用文だけ英語が抜けています。
どの場面かわかりにくいものにはカッコ内に注釈があります。

1巻
「魔法の杖を一振りして(one wave of his wand)、こぼれた薬を取り除いた」(8章p.206)
2巻
「二人とも杖を剣のように前に突き出して構えた」「二人とも杖を肩より高く振り上げた」(11章p.283)〔決闘クラブ〕
3巻
「杖を取り出し(taking out)」「杖で羊皮紙に触れながら(touching)」「鋭く地図を突きながら(tapping sharply)」「杖で地図を強く叩いた(hitting)」(14章p.371)
「杖をピタリとルーピンに向けて(pointing directly)立っていた」(18章p.462)
「杖をまっすぐルーピンの胸に突きつけた(pointing directly)まま」 (19章p.464)
「ブラックの眉間にまっすぐ杖を突きつけた(point straight)」(19章p.465)
「杖を前に突き出し(held out)、担架を城に向けて運びはじめた」(21章p.539)
4巻
「杖を取りだしていた(had~ out)。(中略)バラの茂みをバラバラに吹き飛ばしていた」(23章p.104)
5巻
「杖を振った(flicked)」(黒板に現れた)」「もう一度杖を振った(flicked)(薬棚がパッと開いた)」(12章p.369)
「例によって杖を振った(waved)」(17章p.570)〔黒板に文字を出す〕
「杖の一振り(a wave of wand)でハリーの大鍋を空にした」(17章p.573)
「自分の杖をさっと取り出した。(whipped out)」(24章p.161)〔閉心術課外授業〕
「互いの顔に杖を突きつけたまま(pointing into)」(24章p.163)
「自分のこめかみまで杖を上げ(raised)、脂っこい髪の根元に杖先を押し当てた(placed)」「杖を引き抜くと(withdrew)」(24章p.181)
「杖を構えて(with his wand held)ハリーと向き合った」(24章p.182)
「再び杖を上げた(raising)」(24章p.184)〔課外授業〕
「杖を上げた(rased)」(26章p.269)〔課外授業〕
「もう一度杖を上げた(raising)」(26章p.271)〔課外授業〕
「杖を構えたまま(still held)」(26章p。272~273)〔課外授業〕
「杖を半分ほど振り上げた(was halfway into the air)」(28章p.352)〔最悪の記憶〕
「杖をまっすぐにジェームズに向けていた(had directed straight)」(28章p.356)
「杖を構えた(wand up)」(28章p.356)
6巻
「「本棚に杖を向けた(pointed)」(2章p.37)〔スピナーズエンド〕
「再び杖を階段の隠し扉に向けた(pointed)」(2章p.39)
「杖を取りだして(taking out)閂を一度叩いた(tapping)」(8章p.242)〔ハリー出迎え〕
「杖をハリーに向けた(turned )」(9章p.272)〔無言呪文手本〕
「ぞんざいに杖を振ると(waving~carelessly)」(21章p.210)〔レポート回収〕
「杖を取り出して(drew)~傷を杖でなぞりながら(traced)」(24章p.310)〔セクタム・センプラ〕
「杖を引っ提げて(clutched)」(27章p.421)(天文台の塔)
「杖を上げ(raised)、まっすぐにダンブルドアを狙った(pointed ~ directly)」(27章p.422)
「軽く杖を振り(flicked)」(28章p.433)〔ハリーの攻撃を防御〕
「空を切った(slashed)」(28章p.435)(杖で空を切ったとは書いていませんが、そうだと解釈したのでいれました)
7巻
「互いの胸元に杖を向けたまま(directed at)」(1章p.6)〔暗闇でヤックスリーに〕
「杖を構え(holding)、決闘の体勢を取っていた」(30章p.312)〔マクゴナガル先生の前に現れたとき〕
「抗議し、杖を上げた(raising)」(32章p.402)〔ヴォルデモートに抵抗〕
「杖をしっかりにぎりしめて(gripped tightly)」(33章p.433)〔風の丘の上〕
「杖をダンブルドアの手首に向けて(pointing)」(33章p.440)

以上、ざっと挙げてみました。

映画のスネイプ先生は、攻撃の時は手首を動かさず、適当に物を操作する時に手首の動きが見られる、というのが日記での考察でしたが、同じようなことが本でも言えると思います。
本の方には視覚的な情報はないのでわかりにくいけれど、こぼれた薬を取り除く時や黒板に文字を表す時など授業中に杖を使う際は、「wave」が多く用いられています。手を振る、という意味ですから、手首は動くわけですね。
また、攻撃の時も一旦杖を上げ(raise)、それからまっすぐに(directly)狙う(point)ことが多いです。
ダンブルドアにアバダケダブラの魔法を放った時も、しっかり狙いを定めています。外すことなく、苦痛を与えることなく、一瞬で終わりにしようという意思が感じられました。

軽い魔法と戦いの場面との杖振りの使い分け、映画とほぼ同じということは、映画の振りつけはこの辺しっかり読み込んでいるからそうなっているのかもしれないと思いました。

ところで、今回もう一つ気付いたことがありました。
閉心術の課外授業のところです。
スネイプ先生、これまでも何度かハリーに対して閉心術を使っていたと思われる場面がありました。
目を抉るように見るだけで、杖はなくとも十分ハリーの心を覗くことはできるはずです。
けれど、この閉心術の授業では、杖を上げ、「杖を使い、我輩を武装解除するもよし、そのほか、思いつくかぎりの方法で防衛するもよし」(5巻24章p.182)と言っています。
これは、“武装解除させるために”、杖を使っているのだと思うのです。
ハリーが目標を定めやすいように。
しかも「いくぞ!」とか「三つ数えて」とか、ちゃんと心の準備をさせて。
ああ、授業なんだな、とそこに込められた想いと共に、しみじみ感じ入りました。

お誕生日おめでとうございます - 2009.01.09 Fri

今日はスネイプ先生のお誕生日です。

首都圏では初雪の降ったところも多いようです。
私の住む地方は一日冷たい雨が降り続け、いつになくかじかんだ手でキーボードを叩いています。
こんな寒い日に生まれ、厳しい人生を歩んだseverusの、その名の語源severeを改めて思い出しました。

毎年この日はスネイプ先生の誕生に因んだ文章を書いてきましたが、今年はちょっと無理でした。
とは言ってもいつもよりずっとスネイプ先生のことを考えている時間は長く、1巻から7巻までのスネイプ先生の一挙一動を見守っています。そもそも、スネイプ先生への強い想いが、私を突き動かし、誕生会を企画したのです。

何もUPしないのも私の気持ちが許しませんでした。
それで、いつもなら日記に書くようなことをここに書きました。
スネイプ先生のお誕生会が無事終わりましたら、またゆっくり語らせてください。

お誕生日おめでとうございます! - 2008.01.09 Wed

スネイプ先生へ

お誕生日おめでとうございます♪
DSC01274-1.jpg

今は、7巻の内容に触れずに語ることが難しくてお休みしていますが、
日本語版が発売されたら、また先生のこと、熱く語らせてくださいね。
スネイプ先生のこと、いつも想っています。

変わらぬ愛を込めて。

ホグワーツの校庭 - 2007.08.19 Sun

スネイプ先生(とドラコ)は、塔の上から城の内部を通って玄関まで、さらに校庭を抜けて校門まで走り続けました。
私は玄関から校門までのイメージが他の場所に比べて元からはっきりしていません。スネイプ先生は校門目指して必死で走ったでしょうから、校門までの様子など碌に見ていなかったかもしれませんが、ホグワーツの敷地内で先生の目に最後に映った景色がどんなものだったかと思うと、もう一度じっくりこの部分を読み返したくなりました。

1巻では、1年生はボートで湖を渡って直接敷地に入っていますし、帰る時もボートですから、この道は通っていません。ただ、城の正面玄関前については少し記されています。

みんなは石段を登り、巨大な樫の木の扉の前に集まった(1巻6章p.168)

玄関に行くまでには石段があるようです。これは、後の巻にも何度も記されています。先生は玄関を出て、まず石段を下ったようです。

2巻では上空から車で入っていますから、同様に校門からの描写はありません。帰りもすぐにホグワーツ特急内の話になってしまっています。
ところで、6巻では箒で敷地に入る際、ダンブルドアが何かの魔法(侵入者避け呪文?)を解除しています。「夏の間に警備措置が百倍も強化された」(6巻8章p.241)とトンクスが言っていることから、2巻ではまだそれほど厳重な魔法はかけられていなかったことがここからもわかります。
校門の様子が詳しく描写されるようになるのは、3巻からです。

馬車は壮大な鋳鉄の門をゆるゆると走り続けた。門の両脇に石柱があり、そのてっぺんに羽を生やしたイノシシの像が立っている。
城に向かう長い上り坂で、馬車はさらに速度を上げていった。ハーマイオニーは(中略)城の尖塔や大小の塔がだんだん近付いてくるのを眺めていた。(3巻5章p.116)

羽の生えたイノシシについては、以後の巻でも同じ描写があります。
校門から城までは長い上り坂になっていた、ということはすっかり私の中で抜け落ちていました。ということは、スネイプ先生は逃走時、長い下り坂を駆け下りていったということですね。これは筋肉痛になりそうです。

4巻では、さらに新しい描写が加わります。

羽の生えたイノシシの像が両脇に並ぶ校門を通り、大きくカーブした城への道を、馬車はゴトゴトと進んだ。
ハリーは窓に寄りかかり、だんだん近付いてくるホグワーツ城を見ていた。(4巻12章p.266)

校門から城までの道は大きくカーブもしているようです。
ここは、スネイプ先生はショートカットしたのでしょうか?そのままカーブに沿って走ったのでしょうか?

5巻では、ハグリッドの小屋にも触れています。

馬車が校門をくぐり、校庭に入ったとき、ハリーは身を乗り出して、禁じられた森の端にあるハグリッドの小屋に灯りが見えはしないかと目を凝らした。校庭は真っ暗だった。しかし、ホグワーツ城が近づき、夜空に黒々と聳える尖塔の群れが見えてくると、頭上にあちこちの窓の眩い明かりが見えた。(5巻11章p.319)

もし、ハグリッドの小屋に灯りがともっていたら、校門から見える位置だということでしょうか。
ホグワーツ城の灯りも、すこし馬車が進まないと見えなかったようです。上り坂で、カーブしているためか、途中に木など視界を妨げるものがあったためか、遠いせいでしょうか。

6巻では、校門が開かず、中に入れないハリーをスネイプ先生が直々に迎えに行っています。

遠く城の下の方で、ランタンの灯りが上下に揺れていた。(6巻8章p.242)

5巻の描写で、ホグワーツ城の灯りがすぐには見えなかったことから、だいぶスネイプ先生が校門寄りに来てから見えた灯りではないかと思います。それでもその灯りは遠くに見えているので、城と校門の距離はだいぶあるような印象です。

1分かそこら、スネイプは口をきかなかった。(6巻8章p.244)

その後スネイプ先生はハリーの遅刻をねちねち責め始めます。

ハリーはそれでも黙ったままだったが、胸中は爆発寸前だった。スネイプがハリーを迎えにこなければならなかったのはこのためだと、ハリーにはわかっていた。他の誰にも聞かれることなく、ハリーをチクチク苛むことができるこの数分間のためだった。
二人はやっと城の階段にたどり着いた。(6巻8章p.245)

ここの描写から、校門から玄関まで距離を考えようと思ったのですが、ちょっと情報が少なすぎて難しいです。
1分無言で、その後数分スネイプ先生がしゃべって、しゃべっている間に到着したのか、また再び無言の期間があったのか、よくわからなかったからです。
ハリーの心理的には、とても長い時間スネイプ先生と一緒にいるように見えますが、ハリーををチクチク苛んだ時間はハリー視点でも「数分」と短いので、ここはそれほど遠くないのかもしれません。また、「数分」も、原文のthe few minutesとなると、さらに短めの印象があります。この言葉でイギリス人はどのくらいの時間を思い描くのかもよくわかりません。学校では、2,3分と習ったような気もします。
無言の時間を入れても6、7分がせいぜいでしょうか。
30代男性の歩行速度(131.6㎝/s)(注1)から考えると、7分とした時約550mくらいの距離になりました。スネイプ先生の歩く速度は速そうですが、上り坂なので、平均で計算してちょうど良いくらいだと思います。(被験者はアメリカ人とスウェーデン人なので、イギリス人との体格差はないとみなします)

6巻では、玄関から校門までの描写がもう一箇所あります。ハリーとダンブルドアが洞窟に向かう際、徒歩でホグズミードに向かっている場面です。

黄昏の薄明かりの中を、二人は馬車道を歩いた。草いきれ、湖の水の匂い、ハグリッドの小屋からの薪の煙の匂いがあたりを満たしていた。
馬車道が尽きるところに校門が見えてきた(後略)(6巻25章p.358)

新学期、スネイプ先生と一緒に歩いた道の逆方向を、この時ハリーはダンブルドアとも歩いたのだと気付きました。この数時間後、再びスネイプ先生もハリーもこの道を通ることになろうとは。
その時にはスネイプ先生も、夜露に湿った草の匂いを感じたのでしょうか。ハグリッドの小屋からは、皮肉にも、薪どころか小屋自身が燃える煙の匂いがしたことでしょう。
この道を歩き続けると、門が見えてくるようです。壮大な鋳鉄の門とその上の羽の生えたイノシシの姿が見えてきた時、スネイプ先生はどんな気持ちだったのだろうと思います。

映画「アズカバンの囚人」の特典映像で、ローリングさん直筆のホグワーツの地図が紹介されています。
それは、配置としては正しくても、大きさは正確ではないかもしれません。が、参考にはなるかもしれないと思います。
それを見ると、城から校門まで、多少曲がりくねってはいるものの、ほぼ一直線の道があり、その片側には大きな禁じられた森が、その反対側にはクィディッチの競技場が描かれています。競技場は少し斜めに描かれているものの、城から校門までの距離とほぼ同じ直径を持っているように見えます。道が曲がっている分、城から校門までの道のりは競技場の直径を少し上回るかもしれません。
クィディッチ今昔に、クィディッチ競技場の大きさが記されています。
14世紀の競技場が楕円で長さは約150メートルとなっています。その後ゴールポストの形状の変化については述べられていますが、競技場の大きさの記述はないので、同じ位と考えると、玄関から、校門までは150m+αの道のりがあるでしょうか。200mとしても、意外と短いような気がします。やはりその図の大きさは適当なのでしょうか。
禁じられた森の近くにあるハグリッドの小屋も、暴れ柳も、玄関から校門までの道の途中で見ようと思えば見えるほどの近さに描かれています。先生の逃走中、暴れ柳は視界を掠めたのかどうかも気になります。


スネイプ先生は地下の研究室から、8階よりもさらに上の塔の上まで駆け上がり、再び塔から1階まで下り、校門までの下り坂を走り続けました。
その間、上記のような様々なものが視界に入り、様々な匂いを感じたのでしょう。でも、多分それと認識することなく、ひたすら校門の外に出ることを考えて走り続けたのだと思うと、こちらまで胸が苦しくなってきます。
そして、この動き、やっぱり翌々日あたり、筋肉痛になったのではないかと思えて仕方ありません。


(注1)
参考文献)
中村隆一、齋藤宏:基礎運動学第5版.歯薬出版株式会社,2000

誰の視点 - 2007.01.24 Wed

先日いただいたコメントは、なかなか興味深いものでした。
スネイプ先生が、死の呪文を唱える前に見せた表情は、本当に憎しみの表情だったのか、というものでした。
原作では「その非情な顔の皺に、嫌悪と憎しみが刻まれていた」(6巻27章p.422)となっていますが、それを見たのは、ハリーではないか、ハリー視点なら、ハリーの気持ちが含まれているのではないか、というものでした。
ハリー視点なら、間違いなくその通りだと思います。ハリーには憎しみに思えたというだけで。
では、ハリー視点だったのかどうか、ということについて考えてみました。

改めて見直してみると、この場面に限らず、誰かの表情について語られることはしばしばありますが、今まで、ハリー視点なのかどうかについてはあまり意識していませんでした。言われてみれば、全てハリーの目を通した言葉になっているように見えます。
よく登場する「上唇が捲れ上がる」という言葉は、見たままの状態なので、ハリーが見ていようとあまり関係ないのですが、「意地悪なせせら笑いを浮かべている」となると、ハリーの主観が入ってきているように思います。
要は、「意地悪な」「嫌悪の」「憎しみの」「怒りの」などの感情を表す言葉で誰かの表情を語るとき、それは誰がその感情を汲み取っているか、ということだと思います。

ハリーのいる場面では、全てハリーの主観でしょうか。
「ハリーとロンはお互い気まずそうに目を見合わせた」(3巻14章p.356)というのは、ハリーの視点でも、ロンの視点でもないと思います。では、客観的な作者視点なのかというと、ここにはハグリッドが存在しているので、二人を見ているハグリッド視点とも考えられます。
ハリーのいない場面を探してみました。1巻の冒頭と、4巻1章、6巻1,2章は、ハリーがいない状態で第三者が描かれています。
ところが、その第三者の様子について書かれる時、例えば「スネイプは意に介するふうもなく、むしろおもしろがっているように見えた」(6巻2章p.39)は、そこにハリーはいないものの、ナルシッサとベラトリックスがるため、作者視点とは限りません。同様に「奥さんはビクッとして怒った顔をした」(1巻1章p.13)というのもダーズリー氏が見ています。
「おもしろがっている」「怒った」などは、その場にいる人が相手の表情から読み取った感情だということでしょうか。

それなら、誰もいない、全く一人の状態の時はどうでしょう。1巻のダーズリー氏や、4巻のマグルのフランク、6巻のマグルの首相など、ごくわずかの人物が、たった一人でいる場面がありますが、そこには、感情を示す言葉で修飾された表情はありませんでした!

こうなると、27章のアバダ・ケダブラ前の「嫌悪と憎しみ」の表情もハリーの見たものであり、憎しみであるかどうか、根底から覆される可能性はあるかと思いました。
が、今まで、スネイプ先生の表情についてハリーの目から見て書かれたものを、全て疑っていると、何がなんだかわからなくなると思います。
また、登場人物の主観抜きでは、表情は語れないのか、なんとか探してみたところ、こんな記述がありました。
「二人の背後でピシャリとドアを閉めながら、唇の薄いスネイプの口元に嘲るような笑いが浮かんだ」(6巻2章p.36)
これは、ナルシッサたちの背後での表情なので、スネイプ先生の表情を見ている第三者は存在せず、作者視点なのではないかと思われます。「嘲るような」と感じる登場人物のないままに書かれたこの表情の描き方は、他の場面とも変わらず、案外こんな作者視点の表情が混在していることを窺わせます。

そこで、「辛辣で不機嫌な表情に見えた」(4巻37章p.553)「あたかも(中略)キャンキャン吠えている犬と同じ苦しみを味わっているような顔だった」(6巻28章p.434)などのように「~に見えた」「~のような」という表現を純粋なハリーの主観入りと捉えつつ、27章の「嫌悪と憎しみ」など非常に重要な場面などは、その感情については色々な可能性について慎重に考えた方がいいかもしれないと思いました。

スネイプ先生の挨拶 - 2006.12.09 Sat

日記の方で、スネイプ先生は、廊下で生徒とすれ違っても挨拶を返したりしないんじゃないか、と書きましたが、挨拶している場面もありました。ちょっと6巻から離れて、原作中、実際誰かに挨拶をしている場面を拾ってみようと思います。

1巻16章で、賢者の石がまさに今夜盗まれると考えたハリー達三人にスネイプ先生が「やあ、こんにちは」といやに愛想よく挨拶しています。
今になってみれば、スネイプ先生が愛想良く「やあ、こんにちは」などと挨拶するのは似合わない気がします。
原文では別に愛想良くなどとは書いてないですし。smoothlyですから、他のところでは「なめらかに」とか「澱みなく」とか訳されていたと思います。しかも、ただの‘Good afternoon’なので、「やあ」なんて馴れ馴れしい感じもしないです。
だとしても、‘Good afternoon’というれっきとした挨拶をしているのも事実です。先生、生徒にはそんな挨拶しているのでしょうか。
この時はハリーを守ろうと気を配っていて、警告を与えるために声をかけただけのように思います。この後、スネイプ先生がハリー達に校内で出会っても二度と‘Good afternoon’なんて言わなかったのではないかという気もします。

2巻では、決闘クラブで、ロックハートに対して不機嫌にぐいと頭を下げただけでした。実際はお辞儀をするのが作法のようで、ロックハートはそうしていますし、4巻でヴォルデモートもそう言って無理にハリーの背骨を丸めさせています。

5巻では、アンブリッジの前で皮肉っぽいお辞儀もしています。
皮肉っぽいとか、慇懃無礼とかは、先生の十八番だと思います。

また、6巻ではナルシッサに対し、死喰い人の名を挙げる際にルシウスの名が出てきたとき、軽く頭を下げています。
その後、ブラックを片付けた功績はベラトリックスのもの、と頭を下げ、杯を上げています。
結構、女性に対して腰の低い所があるような気がします。
紳士ですね。魂胆もありそうですけど。

同じく6巻で、「闇の魔術に対する防衛術」の教師に着任した時は、拍手に大儀そう応えて、片手を挙げただけでした。

そして、記述はなかったのですが、スネイプ先生はヴォルデモートの前では、やっぱり死喰い人達が4巻でしたように、跪いてローブにキスするのではないかと思います。会うたびごとにそんなことしているのでしょうか。私のスネイプ先生は気高いイメージなので、そんな卑屈な姿は少し辛いです。

こうしてみると、スネイプ先生の挨拶って、何か魂胆がありそうな時は、ちょっと大袈裟なくらいな挨拶で、本当にしなければならない挨拶は大儀そう(=面倒臭そう、だるそう)に挨拶するんですね(汗)
決闘クラブで、決闘の作法によってお辞儀するのも、簡略化したものだったたし…
やっぱり生徒に対しては、いちいち挨拶していないとの思いを強くしました。

(他にも挨拶の場面はあったかもしれません。見つけられませんでしたが)

コウモリ - 2006.09.18 Mon

無言呪文の練習をさせるスネイプ先生。「相変わらず育ちすぎたコウモリそのものの姿で、生徒が練習する間をバサーッと」(6巻9章p.272)動き回ります。

先生がはっきりコウモリに例えられたのは何度目でしょうか。
最初は1巻で、クィレル先生が「育ちすぎたこうもりみたいに飛び回ってくれた」(1巻17章p.424)と言っています。
2巻では「性悪な大コウモリを思わせるスネイプが」(2巻11章p.287)との記述があります。
他の巻ではどうだか思い出せませんが、今回またしてもコウモリと書かれていたことで、以前から気になっていたことを思い出しました。
イソップ物語のコウモリの話です。

鳥と獣が戦争をした時、コウモリはどちらにも属しませんでした。
鳥が優勢になれば自分は鳥の仲間です、と言って鳥に近寄り、また逆に獣が優勢になれば、獣の仲間として近寄ります。戦争が終わり、平和が訪れた時、その行いがバレて、どちらからも、つま弾きされてしまうという寓話です。
実際は、翼はあっても哺乳類ですから、獣の仲間なんですが。

さて、ローリングさんは、様々な神話や昔話を作品に取り入れていらっしゃいますが、このイソップ物語も考慮しているのかどうかが気になります。
確かに黒いマントやローブを翻して歩けば、コウモリのように見えますが、そもそも、いつも黒装束でいることの意味というか作者の意図は、視覚的にコウモリを印象付けるためということはないでしょうか。
例え、その衣装に喪に服す意味や闇の象徴などがあったとしても。

だとすると、スネイプ先生の位置は非常に微妙になります。
敵か味方かというのも実ははっきりしていなくて、状況を読んでは優勢な側についていただけということも考えられるということでしょうか。
以前からこのコウモリに例えられることがとても気になっていたのですが、この仮説を書くのはずっと躊躇っていました。というのは、私自身がこの可能性を否定したい思いが強かったからです。

味方でなくてもいい、ただ、先生には信念を持ってどちらか決めた方の側で動いていて欲しかったからです。状況に合わせて、二転三転する卑屈な人物であって欲しくないからです。
ヴォルデモートの勢力が盛んな時は闇の側、ヴォルデモートが凋落してからは、ダンブルドアの側、ダンブルドア亡き後は、またしてもヴォルデモート側などとは。(こう書くとそのようにも見えますが)

でも、そうは言っても、作者の意図はわかりませんから、一応可能性として書いておきます。もしかしたら、ローリングさん、何度もコウモリに例えたのは、童話のコウモリのようなずるい印象を与えるのが目的で、その目的もかなり達せられて浸透した7巻で、ズバッと読者を裏切る魂胆かもしれません。そうであって欲しいです。
もっとも、私はスネイプ先生が日和見主義だとは露ほども思わないので、コウモリらしくない結果でも、全く裏切られたとは感じませんが。
そして、イギリスにおいて、コウモリの持つイメージがどれほど卑怯なものかは、わかりませんが。

ローリングさんの言葉(ネタばれはありません) - 2006.08.08 Tue

ポッターマニアさんの記事で拝見したローリングさんの言葉を見て、私が思ったことを書いておこうと思います。

ローリングさんが、スネイプ先生についての質問に答えた言葉は、大きなネタばれとも解釈できる言葉でした。
その言葉をそのまま受け取れば、スネイプ先生の本心が明かされたことになり、私がこれからゆっくり考えていこうと思ったことに意味はなくなってしまいます。
でも、最終巻を前にローリングが、そんな重大なネタばれをするでしょうか。誰が死ぬかということより、スネイプ先生の行動の謎について語る方がよほど重大なネタばれだと思います。

ローリングさんは「あなたの意見は正しいわ」と言っているようです。
それはあたかも質問者の仮説が正しいような印象を受けますが、
「あなたの意見」が質問者の仮説かどうかは怪しいと感じています。
最初の部分は聞き取れなかった様子だし、例えば「そのような仮説を立てるあなたの気持ちももっともだわ」程度ののもだったかもしれません。
6巻を読み終わった多くの人々はスネイプ先生のことを好きか嫌いかに拘らず、スネイプ先生がどちら側であるかに興味を持っています。
また好き嫌いを問わず、意見が分かれているところでもあります。
6巻終了時そのままに解釈する人、裏を読む人、裏の裏を読む人・・・
ポッターマニアさんでも今月ちょうどスネイプ先生が敵か味方かについての投票をされています。それだけ関心があることなのだと思います。
余談ですが、スネイプ先生を敵だと思う方々のコメントを読むと大変辛くなります。読者の気持ちとして、あの行為を許せないのはわかりますが、先生の死を望む発言などが書かれていると、もう辛くて辛くて(なら読まなければ…)

そんな世界中の読者の楽しみを奪うようなことはローリングさんが言うとは思えません。
これはきっと、今後正確なコメントが聞けるだろうと予測しています。
7巻を想像する楽しみが奪われないような。
ですから、私は、ローリングさんの言葉として公表された内容は真に受けず、今まで通りゆっくり考えていくつもりです。

スネイプ先生のクリスマス - 2005.12.24 Sat

クリスマスをスネイプ先生がどのように過ごしてきたか、見てみましょう。
<1巻>
クリスマスのディナーを食べるシーンに登場する大人はダンブルドア、フリットウィック、マクゴナガルの諸先生方とハグリッドです。その場面でのスネイプ先生の描写はありませんが、その晩、透明マントを着て図書室へ行き、逃げ帰るハリーが途中でフィルチとスネイプ先生に会っているので学校にはいたのでしょう。
<2巻>
クリスマスディナーの場面の先生はダンブルドアとハグリッドだけです。その後のポリジュース薬を飲んでスリザリンの談話室に入り込む場面にもスネイプ先生の描写はありません。
<3巻>
この時は、先生と生徒、合わせて13人しかクリスマスディナーに居合わせませんでした。ルーピン先生はいたものの、「具合が悪く」同席していません。スネイプ先生はちゃんといてくれました。このときいた先生方は、ダンブルドア、マクゴナガル、スネイプ、スプラウト、フリットウィックで、後にトレローニーも加わっています。他にフィルチとハリー達3人の他に生徒が3人でした。
この時のスネイプ先生は、はしゃぐダンブルドアからクラッカーの紐を渡され、しぶしぶひっぱっているという素敵な描写があり、読者を楽しませてくれます。しかも、クラッカーからハゲタカの剥製つきの帽子が出てきたのを校長の方に押しやったりして、とってもかわいいスネイプ先生です。
また、ダンブルドアにルーピン先生への薬を作ったかどうか聞かれて「はい」と答えています。
クリスマスの何日前から休暇が始まっているかはよくわかりませんが、クリスマスの飾りつけが進むホグワーツで、それを楽しむ生徒がほとんど学校に残っていないという状況があることから、最低2~3日は前から休暇が始まっているのではないかと思います。
クリスマスに満月を迎えてしまったルーピン先生も気の毒ですが、休暇中も休むことなく脱狼薬を作り続けたスネイプ先生も大変ですね。
<4巻>
この時のホグワーツは、他校の生徒や先生方も参加してのにぎやかなクリスマスになっています。パーティ場面にスネイプ先生の描写はありませんが、出席はしていたことでしょう。その後、皆がダンスに興じているときには庭をカルカロフと歩いています。不安げに相談するカルカロフとそっけないスネイプ先生。バラの茂みをバラバラに吹き飛ばしています。
<5巻>
この時ハリーはグリモールドプレイスのシリウスの屋敷でクリスマスを過ごしていて、スネイプ先生の描写はありません。ただ、休暇最後の日に校長の命で閉心術の授業について知らせるためにやってきたスネイプ先生、やはり休暇中はホグワーツにいたのではないかと思わせます。

こうして見てみると、スネイプ先生はクリスマスの休暇をおそらく今まではずっとホグワーツで過ごしてきたのではないかと思われます。
先生方も休暇として自宅に帰る方もいらっしゃるでしょうが、常にスネイプ先生は学校に残っているようですね。
1巻で夜中に校内の見回りをしていたり、4巻でパーティの間に庭を見回ったりしていることから、先生は生徒の安全を常に優先しているように思われます。パーティの時にバラの茂みを吹き飛ばしたのは、浮かれた生徒が間違いを起こしてはいけないという配慮からだと思います。3巻で脱狼薬を作り続けたのも、生徒の安全のためだったと私は思います。
スリザリン寮監として、ひとりの教師としてスネイプ先生は責任を持って行動しているのだと思います。

さて、5巻で記憶を垣間見た限りでは、子ども時代のスネイプ先生が幸せだったのかどうかは疑問です。スネイプ先生が子ども時代のクリスマスに、一度でも心ときめくような贈り物をもらっていたことを願うばかりです。そしてそんなセブルス少年の喜ぶ顔に幸せを感じている身近な人が存在したことも願ってやみません。

永遠に俺様の下を去ったのは  - 2005.07.13 Wed

ヴォルデモートはスネイプのことをどのように思っているのでしょう。
ヴォルデモートは蘇った日、死喰い人に向かってこう言っています。「一人は臆病風に吹かれて戻らぬ……(中略)一人は永遠に俺様の下を去った……もちろん、死あるのみ……そしてもう一人、最も忠実なる下僕であり続けた者は、すでに任務に就いている」(4巻33章p.451)この「去った一人」がスネイプであるかどうかは明らかにはされていませんが、スネイプだとする説が多いようです。
闇の印を持ちながら、駆けつけなかったスネイプ、カルカロフ、クラウチJr.の3人。カルカロフは逃げ出したし、クラウチJr.は既に任務についていると考えれば、永遠に去ったのはスネイプとなるからです。また、ローリングさんが、「多くのファンサイトで正しい答えを出している」と言っていることから、スネイプは永遠に去ったとヴォルデモートは認識している、と思っていいのではないでしょうか。

「死あるのみ」と言っておきながら、スネイプの身に何も起こらないのはなぜでしょう?
スネイプは泳がされているのでしょうか。
私はヴォルデモートが単にスネイプに手を出せないだけではないかと思っています。
ホグワーツの中にいるかぎり、古くからの呪文で護られ中に住むものの体と精神的安全が確保されている、とスネイプも5巻で説明しています。姿現しも姿くらましもできません。スネイプはホグワーツ以外では、騎士団の本部に度々行きましたが、そこはダンブルドアが「秘密の守り人」になっているのでヴォルデモートも見つけることはできないはず。
ハリー達が魔法省に乗り込んで行った時も、行き先を推測したのはスネイプでしたが、他の騎士団員と一緒に魔法省に行くことはせず、禁じられた森にハリー達を探しに行きました。禁じられた森もホグワーツの敷地ですよね?4巻でクラウチ氏(父)が来た時、忍びの地図に名前が出ていたようですから。
スネイプは護られた場所以外には行っていないのではないでしょうか。
となると、今後ホグワーツや騎士団本部以外の場所にスネイプが行くような場面があったら、その時は・・・壮絶な死が待っているかもしれません(泣)
スパイでなくても、ホグワーツを出て行う仕事というだけで命懸けの任務になりそうです。

命懸けの任務と言えば、ハグリッドたちが巨人を仲間にしようとしたように、何かを仲間にしようとしているとは考えられないでしょうか。
「――消え去った巨人を呼び戻そう……(中略)そして、誰もが震撼する生き物たちを、俺様の下に帰らせよう」(4巻33章p.449)とヴォルデモートが言う『誰もが震撼する生き物たち』を仲間にしようとしているのがスネイプではないか、というものです。あまり、“らしくない”ですが。

命懸けの任務  - 2005.07.08 Fri

スネイプが行っている命懸けの任務とは、いったい何なんでしょう?以前と同様スパイでしょうか。
ヴォルデモートが復活した夜、ダンブルドアは「君に何を頼まねばならぬのか、もうわかっておろう。もし準備ができているなら……もし、やってくれるなら……」と言い、スネイプは「大丈夫です」(4巻36章p.542)と答えています。

もうわかっている、というのは『以前と同様』という意味でしょうか、または『既に依頼済み』ということでしょうか、どちらとも取れますね。
ヴォルデモートが復活した直後なのに「準備ができているなら~」と言っています。心の準備も含めて以前から準備をしていなければこうは聞かないと思います。
となると、以前に依頼したものの準備ができているなら、という意味でしょうか。では、以前とはいつでしょうか。
私は、ペンシーブに現れたスネイプの顔が「あれが戻ってきています……カルカロフのもです。~」(4巻30章p.374)と言った時がそうではないかと思っています。これは記憶なのでさらに以前になりますが。
この報告をしているのは、ハリーが禁じられた森でクラウチに会い、校長に知らせようとしてスネイプに邪魔された時ではないかと思っています。ガーゴイルの裏の隠れ階段からスネイプはでてきていますから、それまで校長室にいたということになるので。校長室で闇の印が濃くなってきていることを報告し、今後の方針について話し合っていたのではないでしょうか。5月の最終週のことでした。

スネイプはその時から、あるいは闇の印が濃くなってきていることに気付いた時から密かに準備をしていたのでしょう。準備というのは、魔法薬の材料集めでしょうか。やっぱりポリジュース薬を作っているのでは?
でも、任務自体スパイかどうか疑わしいですが。
というのは、学年末パーティでハリーがスネイプを見ながら今もスパイをやっているのだろうかと考えています。「――またしてもその任務に就くのだろうか?もしかして死喰い人と接触したのだろうか?本心からダンブルドアに寝返ったわけではない、(中略)時の来るのを待っているのだというふりをして?」(4巻37章553)こんなにはっきり書かれた通り、ハリーの推測通りの展開ってあるのでしょうか?穿った見方ですけどね。
5巻での閉心術のレッスン中に闇の帝王が死喰い人たちに何を話しているかを調べるのは自分の仕事だと言っています。これも言葉通り捉えていいものか迷うところです。読者を驚かせるような任務内容を期待しています。

それにしても「もし、やってくれるなら……」というのは随分控えめな言い方です。さらにその後、ダンブルドアは微かに心配そうな色を浮かべて見送っています。
この描写、たまらなく不安になります。いつもダンブルドアは悠然と構えているじゃありませんか。なのにこの時はなぜ心配な様子を見せたのでしょう?その身を案じるほどの非常に危険度の高い仕事なのでしょうか。私にとっては死の宣告をされたも同様です。どんな内容かは必ず明かされるでしょうが、どうかどうか命は大切にして下さい、先生。


死喰い人  - 2005.07.05 Tue

スネイプが死喰い人になった理由は今のところ全く明らかにされていません。なぜ死喰い人になり、なぜ辞めたのか、非常に興味のあるところです。
私はスネイプがヴォルデモートの僕として、その威を借りて、人々に恐怖を与えることを目的として死喰い人になったとは思っていません。自分自身の興味のために近づいたのではないかと考えています。

スネイプは入学したとき既に7年生の大半の生徒より呪いを知っていたと、4巻でシリウスが語っています。家庭で教え込まれたのか、独学で学んだのかわかりませんが、闇の魔術に興味を持っていたのは確かなようです。5巻での最悪の記憶の中では、闇の魔術に対する防衛術のOWLの試験中は夢中で答案用紙に向かい、試験後も問題用紙に没頭していましたから。
また、ヴォルデモートは4巻で“俺様の目指す物”として“死の克服”であるとし、ハリーを殺そうとした呪いが跳ね返っても実験のどれかが功を奏して“死ななかった”と言っています。以前から実験を行っていたということですね。
スネイプはヴォルデモートが行っている実験に魅せられて死喰い人になったのではないでしょうか。実際4巻では古い闇の魔術により魔法薬の中からヴォルデモートは蘇っています。スネイプは学生時代だけでなく、死喰い人時代にも闇の魔術や魔法薬の知識を得ていたかもしれません。実験にも参加していた可能性もあります。
ですが、知的好奇心で近づいたものの、死喰い人として人を殺す命令にも従わねばならず、地獄を見たかもしれません。4巻でカルカロフは、死喰い人の中でも“ヴォルデモートの命令を実行している主だった支持者”の一人としてスネイプの名前を挙げています。かなり危ない仕事をしていたと思われます。そんな中で割り切れない思いを募らせていったのでしょうか。心の中でヴォルデモートと決別する決定的な事件があったのではないかと思うのですが、それが何なのか、今は妄想も思いつきません(汗)


パトローナス  - 2005.07.02 Sat

ローリングさんが、「ネタバレになるから教えられない」と言ったスネイプに関する質問のもう一つ、パトローナスについて考えてみました。

私はまず、スネイプがパトローナスを作れるかどうか疑問でした。
ルーピンはパトローナスを作り出す方法について「呪文を唱えるんだ。何か一つ、一番幸せだった想い出を、渾身の力で思いつめたときに、初めてその呪文が効く」(3巻12章p.309)と説明しています。しかも想い出に十分な強さがないと作り出せないようです。
スネイプに『十分な強さの幸福な想い出』などあるのだろうか、というのが私の疑問です。ペンシーブで見た子供時代も、学生時代も幸福とは言えないものでしたし。むしろ、敢えて幸福に背を向けて生きているというイメージがあるくらいです(泣)

ですが、私のイメージはともかく、スネイプもパトローナスを作り出しているようです。
5巻でダンブルドアは、スネイプがシリウスと連絡を取ろうとしたことについて「不死鳥の騎士団のメンバーはドローレスアンブリッジの暖炉よりもっと信頼できる連絡方法を持っている」(5巻37章p.635)と言っています。この連絡方法というのは、4巻の28章でダンブルドアが杖先から出した銀色の半透明の鳥のゴーストのようなもの、を使った通信手段であると言われています。ダンブルドアのパトローナスは不死鳥だとローリングさんは明かしています。杖先から出した『銀色の半透明の鳥のゴーストのようなもの』はダンブルドアのパトローナスというわけです。
スネイプがシリウスと連絡を取れたということは、すなわちスネイプがパトローナスを作り出したということですよね。
良かった。先生にもちゃんと幸福な想い出があったんだどんな想い出かはわからないけど、フローレンス関係かな?

スネイプのパトローナスって何でしょうね。本人に似た物でしょうか。ハリーは牡鹿、ハーマイオニーはカワウソ、チョウは白鳥、ダンブルドアは不死鳥、それぞれ似ているような関係ないような。多くのファンサイトでは、先生のイメージは猫が圧倒的多数ですが、本文中ではこうもりに例えられていますね。1巻では『育ちすぎたこうもり』とか、2巻では『性悪な大こうもり』とか。スリザリンのシンボルの蛇や、漆黒の羽を持つカラスなんかもどうでしょう?ハリーのようにスネイプを陰から守る今は亡き家族っていうのも泣けてきます。

ところで、パトローナスとアニメーガスって同じもののことがあるのでしょうか?ローリングさんが、もしアニメーガスだったらどんな動物になるかとの質問に「自分の理想のアニメーガスはハーマイオニーにあげた」「不死鳥の騎士団の必要の部屋で(その動物が何か)わかる」と答えているのです。必要の部屋でわかったのはパトローナスでしたが・・・

追記:騎士団員の連絡方法については色々なヒントを元に自分で勝手にパトローナスと結びつけてしまったのか、どこかで見たのかわかりません。根拠がはっきりしていないのです(汗)どなたか、知っていらしたら、教えて下さい。(7/7)

ボガート  - 2005.06.29 Wed

ルーピンの最初の授業で登場するボガート。人が、一番怖いと思っているものに姿を変える形態模写妖怪です。ちなみにネビルのボガートはスネイプでした。
ローリングさんがインタビューで、スネイプのボガートとパトローナスは何かとの質問に「すごいネタばれになるから教えられない」と言っています。今後この二つは明らかにされそうです。

では、スネイプが一番恐れているものとは何なのでしょう。30代の男性が蜘蛛のような生物や妖怪の類を恐れているとは思えません。ウィーズリー夫人のように愛する人の死でしょうか。それともその名を口にすることができない闇の帝王ヴォルデモートでしょうか。

そもそも、スネイプは「愛する人」などいる(いた)のでしょうか。
恋人がいたかどうかは難しいところです。4巻にでてきた『フローレンスとキスをしているところを見られてからかわれたためにバーサ・ジョーキンズに呪いをかけた少年』がスネイプとの説もありますが。
5巻ではスネイプの子供時代を垣間見ることができました。父親らしき人物が母親らしき人物に対して怒鳴っている部屋の隅で泣いていた幼いスネイプ。両親か、少なくとも母親のことは愛していたように思います。愛していなければこのような場面で悲しく思うはずはないですから。
また、ローリングさんはスネイプにはセストラルが見えるかという問いに対し、ホグワーツの年長者なら誰でも見ることはできるのではないかとした上で「見える」と答えています。スネイプは、母親を失った体験があるのではないでしょうか。

ヴォルデモートはどうでしょう。
5巻での閉心術の課外授業の際、ヴォルデモートの名を口にするハリーに向かって「闇の帝王の名前を言うな!」と言い、更に「あの方(ダンブルドア)なら名前を言っても安心していられるだろうが・・・・その他の者は・・・・」(5巻24章p.180)と言っています。
非常に恐れているようです。
3巻でルーピンはヴォルデモートの名を口にし、ハリーが驚く場面があります。ルーピンに比べて臆病だという訳ではなく、スネイプが死喰い人にしかわからない非常に恐ろしい体験をしたからではないかと思います。あるいは、裏切ったために命を狙われているからとか、現在行っている極秘任務がらみなのか。
いずれにしてもスネイプ程の人物がその名を口にできないヴォルデモートはスネイプの最も恐れているものの可能性があると思います。

以上のことから、スネイプのボガートは母親を失った場面の再現か、ヴォルデモート自身ではないかと私は想像しています。

組分け帽子の判断基準 - 2005.05.08 Sun

ローリングさんが、各寮の寮監はその寮の出身であると言っていたと思いますが(ちょっとうろ覚え)、すると当然スネイプはスリザリン出身ということになります。
ここで気になるのは組分け帽子の歌。「君の頭に隠れたものを組分け帽子はお見通し」(1巻7章p.175)と言い、本人も知らない資質を見抜くような口ぶりです。スリザリン寮生は「どんな手段を使っても目的遂げる狡猾さ」(1巻7章p.176)「野望を何より好みけり」(4巻12章p.275)などの資質を持っているようでが、では今のスネイプ先生は狡猾で野望を好むのでしょうか。
誰でも単純にどこかの寮の資質のみを持ち合わせているとは思えませんし、人は変わっていくものです。帽子は何を基準にどこまで未来を見通して選んでいるのでしょうか?
グリフィンドール出身のピーターがジェームズ達を裏切った行為に勇気は見られないし、スネイプが死喰い人をやめたのは勇気ある行為だと私は思います。帽子がさらに未来まで見通して組分けしたのなら、ピーターは今後勇気を示し、スネイプは野望を達成するため手段を選ばない狡猾さを示すことになるのでしょうか。スネイプについて考えるとき、この点でいつもつまずいてしまうのです。狡猾にひっかかる…

ダンブルドアが「自分がほんとうに何者かを示すのは、持っている能力ではなく、自分がどのような選択をするかとういこと」(2巻18章p.489)と言っているように自分がどこの寮に入りたいかが明確になっている生徒(ドラコ、ハーマイオニー、ロン)は希望通りに、どこに入りたくないかだけ明確なハリーや、何も考えていない生徒はその資質を考慮して判断しているのかもしれません。
スネイプがスリザリンに組分けされたのは、闇の魔法に対する憧れから、多くの闇の魔法使いが輩出されたスリザリンを希望したからだと考えたいです。あるいは、組分け時の俊敏・狡猾・野望・機知に富む才知で判断されたと。決して今後、ダンブルドアを裏切るようなことはないと信じたいです。そうでなければ、誰もが組分けされた寮で将来までも決まってしまうことになってしまうので。

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