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2017-04

臆病者 - 2007.07.17 Tue

自分こそが『半純血のプリンス』だと名乗り、自分の発明した呪文を使うことは許さないと言うスネイプ先生に、ハリーは言いました。

「それなら殺せ!」
(中略)
「先生を殺したように、僕も殺せ、この臆病―」
「我輩を―」
スネイプが叫んだ。その顔が突然、異常で非人間的な形相になった。あたかも、背後で燃え盛る小屋に閉じ込められて、キャンキャン吠えている犬と同じ苦しみを味わっているような顔だった。
「―臆病者と呼ぶな!」(6巻28章p.434)

スネイプ先生のセリフ、原文では以下のようになっています。

‘DON'T-’screamed Snape, and his face was suddenly demented, inhuman, as though he was in as much pain as the yelping, howling dog stuck in the burning house behind them,‘-CALL ME COWARD!’(UK版p.564)

このinhumanという言葉、どう解釈したものだろう?と最初に原書を読んだ時思いました。「冷酷な」という意味もありますが、やはり邦訳にあるように」「非人間的な」が適当なのでしょうか。殺人を犯したことで、魂が引き裂かれた状態を表しているのだろうかとも思いました。ヴォルデモートが、魂を引き裂くたびに人間的な顔立ちを失っていったことも脳裏をかすめました。あるいは、アバダ・ケダブラ以降に先生の発した言葉のどれかが、ホークラックスとなる物に魂を閉じ込める呪文である可能性も考えましたが(この‘DON'T-’とか)、引き裂かれた魂は引き裂かれたまま、失ってしまったように思います。根拠があるわけではなく、そこまで生に固執していないと私が思っているだけです。
実際、炎の中に閉じ込められた犬と同じ苦しみを味わっているかのような顔であったようですし、苦しみのさなかにあるのだと思います。dementedは、私は「発狂した」と読みました。これ以上の苦しみの表現があるだろうか、と思いながら読みました。引き裂かれた魂が悲鳴をあげているのだと思いました。

ダンブルドアは、スネイプ先生のことを「信じておる」とずっといい続けてきました。
ハリーが何を言っても、根拠も示さずただひたすら信じていることだけを伝えたダンブルドアが、私は正直不満でした。理由を一言言って欲しかったのですが、今思うと、理由もなくただ信じていた、信じている姿を見せていた、という気もします。
リドルのことは、信じているようでも心の底では警戒していましたし、リドルもそれを知っていました。
愛されることなく育ったリドルを、自分もまた愛を持って接することができなかった悔いが、ダンブルドアのどこかにあったのではないかと思います。そこで似たような境遇のスネイプ先生については、一度闇の世界に足を踏み入れた後戻ってきた時に、悔悟の念を縷々語って聞かせたその言葉を丸ごと信じる姿勢を示そうとしたのかもしれません。疑おうと思えばいくらでも疑えるけれど、ここは信じて信じて信じきることで、愛を示したかったのではないか、そうすることでスネイプ先生を結果的には自分の側に呼び戻せるのではないかと考えたのではないか、という気がしています。だから、「信じる」理由を言えなかったのだと思います。

私は、スネイプ先生がホグワーツに戻ってきた当初は、ヴォルデモート側の人間だったと思っています。そして、ヴォルデモートが力を失い、十数年をホグワーツで過ごすうち、居場所が得られ、他人(ダンブルドア、生徒)を大事に思う気持ちも芽生えるなど徐々に気持ちも変わり、ヴォルデモート復活後は揺れる心に苦しんでいたのではないかと想像しています。

「我輩を」「臆病者と呼ぶな!」と苦しみの表情で叫んだスネイプ先生に、私は迷いを感じて仕方ありません。どちらかの側として、信念を持って行動しているなら、「臆病者」などという嘲りの言葉も聞き流すはずです。図星だからこそ、これほどまでに反応したのではないかと思うのです。
1巻で全ての先生から誤解されても自分を貫いて憎まれ役にまわったスネイプ先生は、他人にどう思われるかを気にする人ではないと思っています。自分で自分を「臆病者」だと思うからこそ、激昂したのだと思います。
ヴォルデモートへの畏れも失わないまま、ダンブルドアへの尊敬や、もしかしたら愛も感じていたかもしれないと考えています。ダンブルドアを殺すことは本人から命じられたことだとしても、やりたくなかった。やりたくないことを、「やりたくない」と言いながら、結局「やらない」と突っぱねることのできなかった自分に、スネイプ先生はヴォルデモートの影を感じていたのではないかと思っています。

6巻終了時点で、スネイプ先生はまだ迷いの中にあると私は考えています。そして、まだダンブルドアの任務も遂行中だと思います。同時に死喰い人としての役割もきっちりこなして。内心、臆病な自分を呪いながら、自分を許せないまま、スネイプ先生は7巻でも冷静に振舞うではないかと思います。そして、最も肝心な時に、ダンブルドアが信じてくれた効果を発揮するのではないかと、期待しています。
その時スネイプ先生が、自分を否定しない気持ちにあるともっと良いのですが。最終巻で、スネイプ先生の引き裂かれた魂が安らぎを見つけられるよう、願ってやみません。

『プリンス』の正体 - 2007.07.15 Sun

死ぬほどの痛みをもたらす死喰い人の呪文から解放され、ハリーはよろめきながらスネイプ先生に近付いていきました。
ほんの2,3メートルの距離にまで。
「セクタム―」と言いかけた呪文はまたしてもかわされました。
さらに、「レビ―」と言いかけますが、再び阻止されます。
丸腰で横たわるハリーにスネイプ先生が近付いてきます。

蒼白いスネイプの顔は、ダンブルドアに呪いをかける直前と同じく、憎しみに満ち満ちていた。
「我輩の呪文を本人に対してかけるとは、ポッター、どういう神経だ?(中略)我輩こそ『半純血のプリンス』だ!我輩の発明したものを、汚らわしいおまえの父親と同じに、この我輩に向けようというのか?(後略)」(6巻28章p.434)

私はスネイプ先生が、自ら考え出した呪文を心から愛していると思っていますから、憎く思っているポッター親子に使われることに嫌悪感を覚えるということは、十分納得できます。
が、なぜ、このタイミングでスネイプ先生が自分の正体を明かしたのかがよくわかりません。
以前、セクタム・センプラを使ったハリーに開心術をかけ、既に魔法薬の本の秘密は知っていたでしょうに。あの時取り上げなかったことは、容認したのだと私は思いましたが、その時は名乗りませんでした。
ここで去り際に先生が自分の所有物だと明かしたことは、何か意味のあることではないかと思います。

取り上げなかった教科書は、必要の部屋に隠されたことまで知っていたとしても、まだハリーの管理下にあるとわかっているはずです。そこに記された呪いの数々を、スネイプ先生が考え出したものとわかった上で見直せば、新たな発見もありスネイプ先生と戦う(泣)ヒントにもなるでしょう。「ここで、はっきり敵味方に別れるが、しっかり予習しておくように」という意味もあったのではないかと都合よく考えたりしています。実際敵になったかどうかは別としても。

また、6巻を振り返ってみると、タイトルになっている『謎のプリンス』は、『上級魔法薬』の本に非常に価値のある書き込みをしていた、というだけで、メインの話の流れからは少し遠いところにありました。
その書き込みのおかげでハリーはスラグホーンに可愛がられ、必要な情報を手に入れましたが、多分魔法薬の出来の良し悪しに関係なくお気に入りにはなったのではないかと思います。
本がハリーに与えた影響は、書き込みによって授業で高い評価を得られたことより、独創的な数々の呪文や魔法薬の製造方法を書き残した前の所有者『半純血のプリンス』自身を、ハリーが信頼していくことにあったのではないかと思います。
ハリーがプリンスの正体を知ったことで、プリンスに対する思いは変わってしまいました。というより、プリンスに心酔していった自分を責めるようになっています。でも、少なくともプリンスにどういう思いを抱いていたか、ハリーは自覚しています。

ダンブルドアがスネイプに対して許しがたいほどの信頼を置いていたということが、どうしても頭から振り払えない…しかし、ハリー自身が同じような思い込みをしていたことを(中略)思いださせてくれた…走り書きの呪文がだんだん悪意のこもったものになってきていたのに、ハリーは、あんなに自分を助けてくれた、あれほど賢い男の子が悪人のはずはないと、頑なにそう考えていた。(6巻30章p.484)

この思いは、実は正しいのではないかと思っています。私は、このプリンスに対する信頼を、いつかハリーが思い出すのではないかと期待しています。ハリーは今の時点では気付きませんが、後にダンブルドアが信頼した理由がわかり、何の先入観もなくイメージした『半純血のプリンス』そのままのスネイプ先生を感じる時が来るのではないかと思うのです。
そのためには、プリンス=スネイプ先生だとハリーが知る必要もあったのだと思います。

吠えるような声 - 2007.07.12 Thu

ハリーの繰り出す呪文を阻止しながら、スネイプ先生は背後にいる巨大な死喰い人に「さあ、行くぞ!」「もう行く時間だ。魔法省が現れぬうちに―」(6巻28章p.432)と促しています。

ドラコが校門を出たと思われる時間を考慮して言ったのではないかと思います。しかし、この状態で背中を向けてしまっては、スネイプ先生はまだハリーに攻撃される恐れがあります。先生、この後どうやってこの場を去るつもりだったのか気になります。
が、ともかく、死ぬほどの痛みに襲われ、ハリーの足は止まりました。
特に記述はありませんが、ハリーがこの苦しみで死ぬ、とか気が狂うまで拷問される、と思っているところを見ると、『クルーシオ(磔の呪い)』をかけられたのだと思われます。

「『やめろ!』スネイプの吠えるような声がして、痛みは(中略)突然消えた。」(6巻28章p.432)
ハリーはスネイプ先生による呪いだと思っていたようですが、死喰い人によるものでした。
スネイプ先生の「やめろ!」という声が「吠えるような」というところに、先生の余裕の無さを感じます。先生は無言で相手を黙らせるオーラを持つ人です。20メートル離れたハリーならともかく、背後にいる死喰い人には、吠える必要などないでしょうに、先生はここで大声を出しました。
しかも、それまで用いられた「叫ぶ(shout)」ではなく「吠える(roar)」となっています。
なりふり構わない切羽詰った印象で、やはりハリーを守ろうとしたのではないか、と思いたくなります。

「命令を忘れたのか?ポッターは、闇の帝王のものだ―手出しをするな!」(6巻28章p.432)
これはまた、非常に死喰い人側として当然の発言に見えます。そんな命令があったのなら、手出ししてはいけないでしょう。でも、クルーシオですぐに死ぬわけではないし、以前、強力な魔力の持ち主であるヴォルデモートにクルーシオをかけられた時ですら、ハリーは正気を失いませんでした。スネイプ先生がハリーに対して『闇の帝王のもの』程度の認識しかないのなら、ちょっとの足止めにクルーシオを先生自ら利用しようと考えても不思議ではない状況にある気がします。それなのに必死の大声で死喰い人の行動を阻止するスネイプ先生は、ハリーに苦痛を与えたくないようにしか思えません。
もしそうだとしたら、3人の死喰い人に何の疑問も持たせない言い方は、本当に上手いと思います。そして、2章のベラトリックスとの会話も、同様な言い逃れと考えていいように思います。
瞬時に相手を納得させる言い方のできる、スネイプ先生の頭の良さに惚れ惚れすると同時に、常に言葉を選び慎重に行動している先生の緊張しきった姿を思い、胸が痛みます。

最後の指導 - 2007.07.08 Sun

スネイプ先生に向かって、クルーシオの呪文を言いかけたハリーに、先生は言います。
「おまえにはそんな度胸はない。というより能力が―」(6巻28章p.431)
また、ハリーが次々唱える呪文を未然に防ぎ、こうも言いました。
「また防がれたな。ポッター、おまえが口を閉じ、心を閉じることを学ばぬうちは、何度やっても同じことだ」(6巻28章p.432)

この緊迫した場面で、先生はやっぱり「先生」だと思わずにはいられません。
スネイプ先生は最初の登場場面から、ずっとハリー視点で、嫌悪感に満ちた表現でもって描写されてきましたが、読み返してみれば、常に物を教える態度は一貫して「先生」らしかったと思います。入学間もない幼いハリーに対する理不尽な態度は大人げないのですが(汗)
ハリーが授業をまともに聞いていないだけで、先生はいつだって重要なことをきちっと教えていました。
最初の授業からベゾアールの話をしたり、ポリジュースの存在を2年生の授業で話したり、人狼のヒントを与えたり、個人授業で閉心術を教えたり、6年生になってからは無言呪文を教えたり。
最後に与えたこの言葉も、ヴォルデモート対策として、最重要課題であると伝えたかったのだと思います。そもそも、6年生に無言呪文を教えたのだって、ハリーの教育が目的だったと私は考えています。それなのに、先生が教えた10ヶ月ほどの期間にハリーはそれを習得していませんでした。無言呪文も閉心術も、対ヴォルデモート戦で必要不可欠であるのに、それができていないハリーに、最後に課題を与えていったのではないかと思います。
また、以前こちらの記事でも書きましたが、許されざる呪文を使う能力が今のハリーは十分でない、ということも教えたかったのだと思います。ヴォルデモートに打ち勝つには、ヴォルデモートの持たない力=愛だけでは不十分で、同時に相手に大きなダメージを与えられる憎しみも必要だと教えたかったように思います。そして、ハリーの中にその憎しみを培うことこそが、スネイプ先生に与えられた役割だったのではないかと私は今も思っています。

ドラコと一緒に走っていたスネイプ先生が、ドラコを先に走らせ振り向いたこの場面、もしかしてハリーに一言指導するために残ったのかな、という淡い期待もありましたが、読み返してみると、ハリーの放ったステューピファイの呪文が先生の頭上を通りすぎていった直後にドラコを逃がし振り返っています。当たれば動けなくなりますから、やはりここでハリーの足を止めなければ、と考えた方が自然でしょうか。
ちなみに、この時の二人の距離は約20メートル(20ヤード=18メートル強;1ヤード=0.9144メートル)でした。20メートルの距離を実感するのは、なかなか難しいです。私の場合、訓練室に10メートルのラインが引かれていますから、その倍ということで想像します。以前習っていた水泳教室のプールは、20メートルだったので、そこからイメージすることもできます。ちょっと遠いと思いました。

指導するために振り返ったわけではないにしても、最後に向き合ったこの瞬間に、大事な一言を残した先生は、やはり熱心な指導者で、ハリーを勝利に導く、要となる人物に違いないと思います。

スネイプ先生とジェームズ - 2007.07.01 Sun

ドラコと共に逃走するスネイプ先生と、二人を追うハリー。
どちらの側からも味方だと思われているスネイプ先生は、攻撃を受けることなく、無傷のまま通り過ぎていきました。ハリーも懸命に追いますが、たびたび死喰い人の妨害が入り、追いつけません。
校庭に出て、もう少しで校門、というところで、スネイプ先生はドラコを先に走らせ、ハリーと対峙しました。

ハリーが次々に繰り出す呪いを、スネイプ先生はことごとくかわします。全て呪いを最後まで言い切らないうちに。煩わしげにわずかに腕を動かすだけでハリーの呪いをかわしたり、薄ら笑いを浮かべる先生には、この時はまだ随分と余裕が感じられます。「戦え、臆病者―」と言われた時もまだ多少余裕がありましたが、「臆病者」にはきっちり反応しています。
「臆病者?ポッター、我輩をそう呼んだか?」
「おまえの父親は、四対一でなければ、決して我輩を攻撃しなかったものだ。そういう父親を、いったいどう呼ぶのかね?」(6巻28章p.431~432)

今までスネイプ先生のことを色々考えてきた中で、最も自分の考えがはっきりしなかった部分が、スネイプ先生とジェームズの関係です。どうにもジェームズの人物像が定まらないので、極力触れずにきました。が、スネイプ先生がホグワーツを去る直前のもっとも緊迫したこの場面で、自らジェームズを引き合いに出し、憎しみを露にしています。
これほど現在のスネイプ先生に影響を及ぼしているジェームズについて、そろそろ本気で考えないとスネイプ先生のこともよくわからないままになりそうです。


「ジェームズとスネイプは、最初に目を合わせた瞬間からお互いに憎み合っていた。そういうこともあるというのは、君にもわかるね?」(5巻29章p.390)では納得できません。ジェームズとスネイプ先生は、お互いの何が嫌いだったのでしょう?

「スネイプはいつも闇の魔術に魅せられていて」「スネイプは学校に入ったとき、もう七年生の大半の生徒より多くの『呪い』を知っていた」(4巻27章p.264)とシリウスが言っています。
また、シリウスは「ジェームズは(中略)どんなときも闇の魔術を憎んでいた」(5巻29章p.390)とも言っています。
入学早々、闇の魔術に魅せられているということを隠しもしなかったセブルス少年は、闇の魔術を無条件で憎むジェームズに嫌われたということでしょうか。どんなときも闇の魔術を憎むジェームズにもそれなりの理由があったのかもしれませんが。
私のイメージのジェームズは、それほど深く物を考えている人ではありません。優しい両親の愛をたっぷり受け、素直で無邪気で世間知らずで、両親の説く闇の魔術の弊害を頭から信じていて、さほど努力しないでも授業は理解できるほど頭はよいけれど、人の痛みはわからない人。
多分、学生時代にはセストラルも見えず、目に見える世界を謳歌していた人。無垢で残酷で危険なものを面白がる、言ってみれば最も少年らしい人。動物的に、無意識のうちに序列が決まり、弱いものを見下す人。今時の幸せな家庭に育つ、良くも悪くも普通の少年のイメージです。
普通の少年も、年を重ねるに従って、人の死に直面したり、挫折したり、色々な経験を積んで、大人になっていきます。ジェームズも、そんな風に大人になっていく中で、リリーと付き合い始めたのではないかと思います。付き合い始めたのが7年生だったということは、暴れ柳事件より後だと思われますから(暴れ柳事件時、シリウスは16歳)、悪戯も一歩間違えば同級生が死ぬかもしれない危険性を持っていることや、危うく友人に殺人をさせてしまうところだったと気づいたことによって、一歩大人に近づいたのではないかと思っています。
そして、結婚し人の親となって、またジェームズは一つ大人になったのだと思います。子どもを護ろうとして命を懸けたジェームズやリリーの反応は、人の親である私にとっても十分理解できる範疇にあります。
そんな、言ってみれば普通の人代表、のように私はジェームズを捉えています。
少年時代においてジェームズがセブルスを憎んでいたのは、たいして深い意味もなく、闇の魔術に魅入られた異質な者を排除しようとしていたからではないかという気がします。そこにどんな事情があったかなど思い至らないほど幼かったのではないか、という気がします。

一方、セブルス少年がジェームズを嫌う理由もよくわかりません。「ジェームズは、スネイプがなりたいと思っているものをすべて備えていた」(5巻29章p.390)というのも疑わしいです。
考えてみれば、私のセブルス少年に対するイメージもまた曖昧です。
まわりとの関係が希薄で、子どもっぽい同級生達には目もくれず、自分の興味ある闇の魔術や魔法薬学の研究開発にのめり込んでいたようなイメージがある一方、ジェームズたちとは憎しみながらも積極的に関わっていたようにも見えます。セブルス少年は、他人に対する関心もあったということでしょうか。以前書いたような、集団に帰属したいという所属愛の欲求や、集団の中で認められたいという自我の欲求があったということでしょうか。だとすると、「スネイプがなりたいと思っているものすべて」という発言通り、集団の中で認められるジェームズやシリウスを妬ましく思っていたということも頷けます。
本当は、四対一でしか攻撃できないような臆病な男が、あたかもヒーローのように、華々しく生活する様子が見るに耐えなかったのでしょうか。それは裏返せば、やはり自分もそうありたい気持ちの表れのようにも見えます。全くマイペースで自分の世界だけを好むのなら、他人がどんな傲慢な態度であっても気にならない気がします。本当は人と関わりたいけれどうまく関われない自分への憤りを、ジェームズへの憎しみにすり替えていたのでしょうか。
セブルス少年が、本当は何がしたかったのか、よくわかりません。
闇の魔術や魔法薬への興味も、単なる知的好奇心では済まされないものがあるような気がしています。


この場面では、臆病だと思うジェームズと同等の言い方をされて憤っているように見えますが、後に叫ぶ「臆病者」ではどうなのか。
「臆病者」に込められた意味については、もう少し考えたいと思います。

逃走中のスネイプ先生 - 2007.06.24 Sun

ダンブルドアに死の呪文を唱えたスネイプ先生は、ドラコを伴って逃走しました。
ハリーは、飛ぶように二人を追っていきます。塔の上から校庭の端まで。

ハリーが途中で見た様々なものの多くは、スネイプ先生も目にしたはずだろうと思いました。
塔に続く螺旋階段下の廊下では、死喰い人と騎士団員やDAメンバーの一部の闘いを、その先では、床に転がる死体や生死のわからない人々を、倒れていたネビルを。ハリーでさえ、ネビルに声をかけた程度でしたから、逃げる立場のスネイプ先生は、視界に入っていてもそれが何であるか認める前に、通り過ぎていったのではないかと思います。ひたすら、玄関と校門を目指して、血の海を通り抜けていったのでしょう。

正面玄関は、もしかしたら、スネイプ先生が吹き飛ばしたものかもしれないと思いました。砂時計も呪いで壊されていましたが、やはり壊したのは、スネイプ先生でしょうか。
必要の部屋のキャビネットから城の中に進入した死喰い人達は、そのまま塔に、つまり上に向かったはずですから、正面玄関を既に通り抜けたスネイプ先生、ドラコ、ブロンドの死喰い人の誰かが、砂時計や玄関を壊したのだと思います。
ブロンドの死喰い人は、ところ構わず呪文を飛ばす性質もあるようなので、適当に呪文を飛ばした結果砂時計が壊れたのかもしれません。
でも、逃走中のスネイプ先生が、視界に入るものに何も心を動かされなかったとしても、所々に先生の計算された上での行いを探したい思いが私にはあって、都合よく解釈したくなります。
玄関ホールでも怯えた生徒が身を寄せ合っていましたが、砂時計を壊すことによって足止めしたり、威嚇したりして無関係な生徒の動きを封じたようにも思えます。

研究室に迎えに来たフリットフィック先生を殺すことなく、気絶させたのも、見張っていたハーマイオニーとルーナにフリットウィック先生の介抱を命じたのも、乱闘に巻き込まれるのを防ぐ目的だったのではないかと思っています。スネイプ先生がダンブルドア側だとしても、小柄なフリットウィック先生はむしろ足手まといと考えて気絶させたのかもしれません。
ヴォルデモート側なら、そのままダンブルドア側を演じて一緒に登っていくことだって出来たはずだし、それが死喰い人側にとって邪魔ならその場ですぐ殺すことだってできたでしょうに、そうしなかったのは、無闇に人を殺したくない思いがあり、そこに足止めするのが最も良いと判断したからだと思います。
結果的に学校側に誰一人死者がでなかったのは、ダンブルドアの保護的措置に因るものだけではなく、スネイプ先生の計算があったからなのではないかと思いたいです。

ところで、若いスポーツマンのハリーでさえ、鳩尾に痛みを感じるほどでしたから、スネイプ先生が走り続けるのはさぞかし大変だったに違いありません。
意志とは裏腹に筋肉が動かない様子は、さすがに私も実感できます。
この後、姿現わしした場所には、精神的にも肉体的にも傷ついて、憔悴しきったスネイプ先生の姿があったのではないかと思うと、胸が痛みます。

嫌悪と憎しみ - 2007.06.17 Sun

4人の死喰い人に促されてもドラコはダンブルドアを殺すことができず怯えて立っていました。そこへ現れたのがスネイプ先生。すばやくあたりを見回し、ダンブルドアや死喰い人達、ドラコへと視線を走らせました。
状況をすばやく読んでいるのだと思いました。いつだってそうでした。スネイプ先生は、その場の空気をすばやく読み取る人です。
その時、スネイプ先生の名をひっそりと(quite softly)呼ぶ声が聞こえました。ハリーを怯えさせる懇願する声で。無言で進み出たスネイプ先生は、ドラコを荒々しく押しのけダンブルドアを一瞬見つめます。

その非情な顔の皺に、嫌悪と憎しみが刻まれていた
「セブルス…頼む…」
スネイプは杖を上げ、まっすぐにダンブルドアを狙った。
「アバダ・ケダブラ!」(6巻27章p.422)


ついにこの場面まで来てしまいました。6巻について語り始めて1年あまり経つのに(!)、私の先生像は相変わらず定まっていません。先生がどういうつもりで死の呪文を唱えたのかいまだにわからないのですが、やはりこの時のスネイプ先生は、とても苦しんでいるように思えます。
まとまらないまま書きます。考察でもなんでもありません。

この時、スネイプ先生は自分の部屋にいたことが、後のハーマイオニーたちの証言からわかっています。
自分が不在の間、騎士団員を警護にあたらせていたダンブルドアですが、校内にいて当然のスネイプ先生が警護にあたらず、部屋にいるのは不自然です。二重スパイですから、自分の判断だと思われるような動きはせず、人に呼ばれて動く形をとっていたということでしょうか。状況に応じて動けるようにしていたのではないかと思います。どちらの側にもとれるように動き、先生は無事塔の上に到着しました。
すばやくあたりを見回し、どう動くべきか状況を読んでいたところに、ダンブルドアの声がかかったのではないかと思いました。ひっそりと呼ぶダンブルドアの声。ハリーを怯えさせたというその声にスネイプ先生もまた怯えたのではないでしょうか。
「ひっそりと」と訳されている「quite softly 」は、私は原書で読んだ際、優しくなだめるような声を想像しました。
前回書いたように、私はダンブルドアとスネイプ先生の間でいくつかの選択肢が用意されていたのではないかと思っています。その一つがダンブルドアを殺すこと。それを19章で提示して、拒否したスネイプ先生に強く言い聞かせていたのではないかと思っています。
ドラコを助けられないような状況の今、残された選択肢を教えるために、声をかけたような気がします。quite softly に。親が子どもを宥め優しく諭すように。

無言で進み出るスネイプ先生は、狼男でさえ怯えさせるオーラを放っていたようです。その顔にハリーが見てとった嫌悪と憎しみは、やはり自分にこのようなことをさせることへの憎しみ、そして自分自身への嫌悪と憎しみの表情に思えます。少なくとも、優秀な閉心術士であるスネイプ先生が、表情に感情を込めたのは、そこには何も計算はなく、ありのままの姿で立っていたような気がします。
スネイプ先生、とても苦しそうです。かわいそうに。

以前、コメントでいただいたことがありましたが、ダンブルドアがハリーに、場合によっては自分を置き去りにせよと命じ、実際水盆の水薬を何があっても飲み干させるよう言い聞かせた姿を思い出します。この時のハリーも大変辛そうでしたし、自分自身を嫌悪し、憎んでいました。
ダンブルドアは、同じことをさせているのでしょうか。それがどれほど辛いことなのかわかってやっているのだとしたら、私もやはりダンブルドアを許せません。
6巻読了直後からの疑問ですが、ダンブルドアはそこまで冷徹な人物なのでしょうか。そんな風にはとても思えないのですが、ここで全くダンブルドアの依頼なくスネイプ先生が死の呪文を唱えたと考えることも私には辛くて、ダンブルドアに悪役を押し付けたくなってしまいます。ハリーがダンブルドアに、何があっても水薬を飲ませると誓わされたように、スネイプ先生もまた、何かの誓いに従い、その誓いを破れない自分を憎んだのでしょうか。
(後に「臆病者と呼ぶな」と激昂したスネイプ先生の姿を考えると、それが図星であったと思うのですが、自分の何を臆病と感じたのか気になります。その点はまた後日考えてみますが)

あくまでもスネイプ先生はヴォルデモート側で、死喰い人の手前もあってダンブルドアに手をかけたとしても、一瞬見つめた間に葛藤があったはずです。でなければ、そんな嫌悪と憎しみの表情が現れることなく、さらりと実行したに違いありませんし、後に臆病者に反応することもなかったでしょう。

いずれにしても、このダンブルドアを見つめた一瞬、スネイプ先生は色々な覚悟を決めたのだろうと思うと、痛ましくてなりません。
どうか今後、何があっても投げ遣りな気持ちになりませんように。

I need Severus... - 2007.06.09 Sat

水盆の薬を飲み干して弱ったダンブルドアを連れ、ホグズミードに「姿現わし」したハリーは、なんとかして早くマダムポンフリーのところへ連れて行こうとします。
しかし、ダンブルドアが必要としたのは、スネイプ先生でした。
「必要なのは……スネイプ先生じゃ……」
「セブルスじゃ」「セブルスが必要じゃ…」(6巻27章p.399)
原文はもっと切迫しているというか、主語がある分、ダンブルドアの想いが強く感じられると思いました。
‘It is...Professor Snape whom I need...’
‘Severus’‘I need Severus...’(UK版p.542)
さらに、闇の印の上がった学校に戻り塔の上に降り立った際、ダンブルドアはまずスネイプ先生を呼びに行かせようとしました。
「セブルスを起こしてくるのじゃ」「何があったかを話し、わしのところへ連れてくるのじゃ。ほかには何もするでないぞ」(6巻27章p.404)

この後、結局ハリーはスネイプ先生を連れてくることは出来ませんでしたが、先生を単独でここに連れて来ることが出来ていたら、ダンブルドアはどのようなことをスネイプ先生に望んだのだろうか、と思いました。

指輪の呪いを受けた右手にすばやい処置を施してもらったように、今度もまたスネイプ先生に処置してもらおうと考えていたのでしょうか。
それとも、ここで既に、自分を殺すよう頼むつもりだったのでしょうか。
私はずっと、後者の方だと思っていましたが、今は前者のような気もしています。もし、スネイプ先生に予め自分を殺すよう依頼していたとしても、この時点では、ダンブルドアはまだ生き残るつもりがあったような気がしてきました。ホークラックスだってまだまだたくさん残っていますから、まだ表舞台から去るわけにはいかなかっただろうし。

ダンブルドアは、ドラコと1対1で話している時、選択肢を提示し、我々の側に来るよう説得していました。完璧にドラコを匿うことが出来ると言っています。
ダンブルドアを殺すことが出来なくても、完璧に匿ってもらえるなら、ドラコはヴォルデモートに殺されないし、スネイプ先生だって死ななくて済みます。とりあえず誰も死なない、という選択肢がダンブルドアにとっても第一選択であったのではないかと思います。
説得の言葉にわずかに杖を下げるように感じられたところを見ると、死喰い人達さえ乱入してこなければ、ドラコもその選択をしたかもしれません。ドラコがその道を選んでいたら、スネイプ先生の役割はまた違ったものになったかもしれないと思うと、とても残念です。


ダンブルドアがスネイプ先生を呼ぶ様子が最初は「スネイプ先生(Professor Snape)」だったのが、「セブルス」に移行していったのも気になります。ぐっと距離が縮まった感じです。ダンブルドアとスネイプ先生との会話なら当然ですが、ハリーに対しては常に、「スネイプ先生」と礼節をもって先生を呼んでいたのに、この場面でなぜ?
ダンブルドアが弱って地がでたのでしょうか。
ハリーとスネイプ先生が、ダンブルドアの中で同等なのを示した感じもします。愛しい教え子、という括りで。
というか私の願望です。

ダンブルドアが5巻で、ハリーを愛しく思いすぎた、と述べていますが、まるで今までそのようなことがなかったような口ぶりが気になっています。
ダンブルドアは、スネイプ先生のことも、愛しく思ってくれているのですよね?ハリー同様に、特別な存在で、過酷な運命を背負わせたことを申し訳なく思っているのですよね?
ただの駒だと考えているのではないですよね?
スネイプ先生の苦しみを承知した上で、先生を必要としているのですよね?(依頼があったと仮定して、熱くなっています

ホークラックスを守る薬 - 2007.06.03 Sun

海の洞窟の中で、水盆の中の薬を飲みながら拒絶し続けるダンブルドアの言葉は、水盆の薬を飲み干すことを拒否するというより、別なことを言っているようにも受け取れます。

最初、この部分を読んだ時、抑制がとれた状態のようだと思いました。普段理性で押さえつけられた本音の部分が薬の作用で出てきたのだと思いました。真実薬に近い働きをするものなのでしょうか。真実薬なら、無色透明ですが、この薬は緑色の光を放っています。また、真実薬なら、質問に対して真実を答える作用があるようですが、この時のダンブルドアは、ハリーの質問に答えているわけではありませんでした。勝手に、心の内を叫んでいるように見えます。
また、この時のダンブルドアは誰かに対して懇願しているようにも見えます。これがまた、ハリーに対して言っているわけではないように私には思えました。自分自身か、別の誰かに。

「だめじゃ、だめ、だめ…だめじゃ…わしにはできん…できん。させないでくれ。やりたくない・・・」
「わしのせいじゃ。わしのせいじゃ」「やめさせてくれ。わしが悪かったのじゃ。ああどうかやめさせてくれ。わしはもう二度と決して・・・」(6巻26章p.387)
「わしにはできん」「やめさせてくれ」という対象は、5巻で語ったダンブルドアの計画のことではないかと思いました。ハリーを愛おしく思ったことが欠陥、という計画は、非情なものであったことが窺われます。それをやりたくない、遂行しようとする自分を止めたい気持ちが常にあったのではないかと思います。

「あの者たちを傷つけないでくれ、頼む。お願いだ。わしが悪かった。代わりにわしを傷つけてくれ・・・」「頼むお願いだ。お願いだ。だめだ…それはだめだ。わしが何でもするから・・・」(6巻26章p.388)
「わしは死にたい!やめさせてくれ!やめさせてくれ!死にたい!」「殺してくれ!」(6巻26章p.389)
「あの者たち」という複数形も気になります。ここは、ドラコとスネイプ先生のことではないかと思いました。ドラコの任務はわかっていたようだし、スネイプ先生が破れぬ誓いを立てたことも知っていたでしょう。あの者たちの代わりに自分を傷つける、というのは、まさにこの後起こることのように思えます。ドラコが任務を遂行できなければドラコはヴォルデモートに、スネイプ先生は誓いの効力で死んでしまうでしょうから、それを避けたいという気持ちでこの言葉が出たのではないかと思います。自分が死ぬしかないと。

こうして見ると、この薬、飲んだ人の弱い部分が出てくる作用があるのではないかと思いました。
だいたい、ヴォルデモートは何か意図があって、この薬を用意したはずでしょうし、その意図は、「すぐさま殺さない」だけでなく、「ホークラックスを手に入れさせない」というものも含まれていたに違いないと思うのです。ただ怖気付かせるだけで十分かもしれませんが、ここまで来られた者は、ちょっとやそっとの脅しには屈しないでしょう。そこで、心の中の弱い部分が露呈するような薬を用意したのではないかと思いました。
もしそうだとすると、そして引用の後半部分の「あの者たち」がスネイプ先生とドラコのことだとすると、結果的にダンブルドアの弱い部分が採用されてしまったことになります。でも、強気のダンブルドアは、ドラコもスネイプ先生も切り捨てるくらいの心構えがあったとは、考えにくいような気がします。うーん、やっぱりこう考えるのは無理があるでしょうか。

では、一番心配なことが出てくる作用でしょうか。
ハリーを心配し、ドラコもスネイプ先生も心配でたまらないダンブルドア校長。これなら、受け入れ易いです。ヴォルデモートのホークラックスを狙ってここまでやってくるような者にとっての心配事は、やはりヴォルデモートに命を狙われることだと思います。そんな心配が出てきて怖気付く、という薬かもしれません。これなら、謎の人物R・A・Bが、ホークラックスを手に入れることができたのも頷けます。初めから死ぬ覚悟ができていた様子なので、この薬が妨げになることはなかったのではないかと思います。

そこにはいない誰かに懇願しているように見えるのは、ヴォルデモートの幻でも見えるのでしょうか。誰に対して話しているのかも気になるところです。

ところでこの部分、翻訳が気になります。
「わし」「嫌じゃ」などとダンブルドアの口調として訳されていますが、これは英語圏の人が読んだ時どう解釈したのだろうと思いました。つまり‘No’とか‘I can't’とか‘I don't want to…’などの、とても短い文章の中に、ダンブルドアらしさはでていたのだろうか、誰か別な人のセリフには見えなかったのだろうか、という疑問です。「ダンブルドアの声とは思えない声を発した」(6巻26章p.385)というのも気になります。
この辺がよくわかりません。
これがもし、ダンブルドアの本心などではなく、別の誰かの言葉だとしたら。
スネイプ先生の言葉かもしれないと思って見てみると、そんな風に見えなくもありません。スネイプ先生の心の叫びかもしれないと思って読むと、とても悲しくなってしまいました。

自責の念 - 2007.05.26 Sat

スネイプ先生は、ヴォルデモートの指示で教職に就こうと、ホッグズヘッドで機を窺っていたのではないかと前回書きました。
もしそうだとすると、不本意ながら、スネイプ先生が、深い自責の念に駆られてダンブルドア側に戻り教職に就いた、という話も怪しく感じられます。

先生がホグワーツにもどって魔法薬学の職についた時がハリー1歳の9月だとすると、まだポッター夫妻は生きていたはずです。
少なくとも「セブルス・スネイプは(中略)ヴォルデモートの失脚より前に我らの側に戻り、~」(4巻30章p.362)とダンブルドアが言っていることから、スネイプ先生が自責の念を語った時には、まだポッター夫妻は生きていました。
ヴォルデモートの狙う子どもが、どの夫婦の子かわかった時点で深い自責の念に駆られたということでしょうが、その自責の念の深さが私にはよくわかりません。
ジェームズのことは憎んでいたはずですから、ヴォルデモートに狙われようと構わないと考えるような気がするのです。(私はスネイプ先生のジェームズに対する思いが一向にわからないため、憎しみ以外どんな感情があったか妄想も働かず、こう思うのかもしれません)

では、リリーに対してその自責の念を感じたのか?
スネイプ先生はリリーを愛していたのか。
これは、非常に難しいところだと思います。というのは、私のスネイプ先生のイメージは一貫して「人を愛さない人」なので。
闇を愛することはあっても、異性を愛する感情はあったのか疑問で仕方ありません。実のところ、自分すら愛していないのではないか、という気さえするくらいです。
リリーを標的にしたことを悔いてダンブルドア側についたと考えるより、同級生夫妻を狙わせてしまった悔いを口実にホグワーツに潜り込み、グリフィンドールかレイブンクローゆかりの品を狙うつもりだったと考える方が、実は私は納得できます。
少なくとも、ヴォルデモートにはそう言ってホグワーツに就職したのだと思います。スネイプ先生自身が「闇の帝王の命令で我輩があの職に就いたことは、ご承知だと拝察するが」(6巻2章p.42)とベラトリックスに言っていますし。
そして、その可能性については、ダンブルドアも頭を掠めたことくらいはあるように思います。なぜなら、「あいつこそとても優れた閉心術者じゃないんですか?」「……スネイプがこっちの味方だと、なぜ確信していらっしゃるのですか?」(6巻25章p.351)と問われたダンブルドアが一瞬の沈黙の後「何事かに関して意思を固めようとしているかのようだった」(6巻25章p.351)との描写があるからです。
この部分こそが、スネイプ先生がダンブルドア側だと私が完全に信じられない理由なのです。もっとも、私にとって大事なのは、先生が自分に満足しているかどうかであって、ダンブルドア側である必要はないのですが。
ダンブルドアは、仮に当時はスネイプ先生の自責の念を信じていたとしても、今回のヴォルデモートの生い立ちに関するいくつかの推理の際に、自責の念が口実で、ホグワーツの2人の創設者ゆかりの品目当てで教員になったのではないかと、思いあたることもあったのではないかと思います。
それでもその思いを打ち消して「わしは確信しておる。セブルス・スネイプを完全に信用しておる」と言ったのではないかという気がします。スネイプ先生が、ベラトリックスに語った「あの人は、人の善なる性を信じずにはいられない」(6巻2章p.50)の言葉通りに。

でも、たとえこの時スネイプ先生の自責の念が本物でなかったとしても、このあくまで信じようとするダンブルドアの姿勢は、結局最終的にはスネイプ先生の道をダンブルドア側に決めるように思います。
そして、リリーを愛していなかったとしても、誰も愛したことがなかったとしても、ホグワーツを離れて初めて、実は生徒を愛していたと気付いたりするといいなあ、と妄想しています。恋愛より、もっと大きな意味での愛、人間愛に目覚めていることに気付くスネイプ先生を夢見ています。願望です。

ホッグズ・ヘッドにいた理由 - 2007.05.20 Sun

必要の部屋から放り出されたトレローニー先生と一緒に、校長室に向かうハリーは、予言の盗み聞きをした人物がスネイプ先生だったと聞かされ衝撃を受けます。
5年生の時、ハリーはダンブルドアから予言の内容と、それを盗み聞きした男がいたことを聞かされていましたが、この時までその人物がスネイプ先生だったとは知らされていなかったのです。

私もハリー同様、ハリーの両親を死に追いやるきっかけとなった盗み聞きの張本人が、スネイプ先生と知って愕然としました。すっかり脱力してしまって、この部分について深く考えるのも放棄してしまったくらいです。読んでから1年以上経った今、やっと向き合ってみようという気になっています。

この時の状況を少し整理してみます。何しろ、5巻と6巻で、ダンブルドアとトレローニー先生の話が別々にこの時のことを語っていてややこしいので。(D=ダンブルドア談、T=トレローニー談)

・ハリーが生まれる前の冷たい雨の夜、シビル・トレローニーと面接するためダンブルドアはホッグズヘッドの上階へ向かった(5巻:D)
・帰りかけた時に、予言が始まった(5巻:D)
・予言の途中で、ドアが開き、バーテンと共にセブルス・スネイプが立っていた(6巻:T)
・スネイプは間違えて階段を上がってきたと言った(6巻:T)
・盗聴者は、まだ予言が始まったばかりの時に見つかり、居酒屋から放り出された(5巻:D)
・聞かれたのは、最初の部分、闇の帝王を打ち破る力を持った者が、7月に帝王に三度抗った者達に生まれる、という部分まで(5巻:D)
・当時はまだスネイプ先生はヴォルデモートの配下だった(6巻:D)
・スネイプ先生は聞いたことをすぐヴォルデモートに知らせた(6巻:D)
・スネイプ先生は、まだそのときは、ヴォルデモートがどこの男の子を獲物にするか、殺される両親が自分の知っている人々だとは 知らなかった(6巻:D)
・ヴォルデモートが予言をどう解釈したか知った時、スネイプ先生は深い自責の念に駆られた(6巻:D)


この時、なぜスネイプ先生はそこにいたのかよくわかりません。ダンブルドア自身が言っているように、この面接でこんな重要な予言を聞かされるとは、誰も知らなかったはずですから。
スネイプ先生が、ホッグズ・ヘッドにいた理由を考えてみました。

この時、スネイプ先生は何か目的があって、ホッグズ・ヘッドにいたのではないかと思います。仕事でなく休養のために人が集まる場所に飲みに行く、ということをスネイプ先生がするようにも思えません。ホグワーツに近い、この場所に来る理由があったはずだと思っています。

スネイプ先生は、ヴォルデモートの配下として、ヴォルデモートにとって邪魔な存在のダンブルドアをただやみくもに嗅ぎまわっていたのでしょうか。そしていつかダンブルドアが飲みに来ることを期待して毎日のようにバーにいたら、この日ダンブルドアが来て上階に上がっていったので後をつけていったのでしょうか。
「我輩がアルバス・ダンブルドアをスパイすることを、あの方がお望みだった」(6巻2章p.42)と言っていますから、ただの情報収集が目的だったと考えられなくもないと思います。
でも、もう少し、積極的な理由があるような気もします。

この頃はまだヴォルデモートはホークラックスを完成させてはいなかったはずです。後にハリーを襲った時点で、まだ一つ完成していなかったので、一つかそれ以上残っていたのだと思います。
教職に就くことを断られて以降も、ヴォルデモートはホグワーツにあるグリフィンドールかレイブンクローゆかりの品を狙っていて、まだ手に入れていなかったと思います。
そこで、配下でありホグワーツを卒業して間もないスネイプ先生をホグワーツにもぐりこませようとしていたとは考えられないでしょうか。
スネイプ先生も「闇の帝王の命令で我輩があの職に就いたことは、ご承知だと拝察するが」(6巻2章p.42)とベラトリックスに話していますし。
また、トレローニー先生もスネイプは職を求めていた、と言っていますから、元々はそんな理由でスネイプ先生は「職を求めていた」のではないかと思います。
そして、やはりトレローニー先生が言うように、面接の様子を盗み聞きし、自分の就職に有利な情報を得ようとしていたのではないかと思いました。この日は採用に関する面接があるという情報をどこかで入手していて(トレローニー先生は無頓着に吹聴しそうです)ホッグズ・ヘッドで待機していて、頃合を見て、上がっていったのだろうか、と想像しています。

以上のように、ホッグズ・ヘッドにスネイプ先生がいた理由は、グリフィンドールかレイブンクローゆかりの品の入手目当てで、ホグワーツの教職につくよう指示され、機を窺っていたためではないかと私は今考えています。

好い天気なのに - 2007.05.15 Tue

土曜の罰則について語るハリーは、ジニーと過ごす時間が、スネイプ先生によって意図的に削られているのではないかと疑います。
「というのも、スネイプが、せっかくの好い天気なのに、いろいろな楽しみを失うとは、などと独り言のようにチクチク呟きながら、毎回だんだんハリーの拘束時間を長くしていたからだ」(6巻25章p.334~335)

このスネイプ先生がかわいくてたまりません。ハリーが黙々と罰則の書き写しに取り掛かっているそばで、ハリーの耳に入るようチクチク呟くなんて!なんて嫌味な!これこそ、スネイプ先生の姿だと思いました。(褒めています)
スネイプ先生が人の恋路を邪魔しているかもしれない、と考えるのも可笑しいのですが、天気について「好い天気なのに」というところも好きです。いつも地下に篭っている先生のことだから、てっきり天気のことなど気にも留めないと思っていたので。
地下室は天気に左右されず気温も湿度もあまり変わらないイメージがありますから、朝食に向かう先で天気を知るのでしょうか。そして心の中で「好い天気だ」と思ったりするのでしょうか!
そういえば1巻で、試験が終わったハリー達が、スネイプが賢者の石を盗むのは今夜だ、などと話しているところにやってきたスネイプ先生も「諸君、こんな日には室内にいるもんじゃない」(1巻16章393)と言っていました。「こんな日」というのは、校庭に燦々と陽の当たる、「よい天気」(マクゴナガル先生談)の日のことです。やはり、先生、天気を気にしているのですね!
記憶の中でも、試験が終わって、そのまま校庭に出て問題用紙を熟読していましたから、木陰ではありますが、外を避けているわけではなさそうです。
湖を渡る風や木々のざわめきや芝生の匂いを感じながら、読書をするのは好きだったのかもしれません。天気や季節の移り変りや空気の匂いに敏感なスネイプ先生、というのも感受性豊かな感じで素敵です。

また、スネイプ先生にとっても、天気が好いからこそできる「楽しみ」というものがあるのでしょうか。やはり戸外で行う何かでしょうか。
休日の天気が好いとき、先生にとって何か楽しいことをしているといいな、と思います。先生が楽しいと感じることなら何でも!
薬の原材料の採集でしょうか。散歩などもするのでしょうか。

戸外の場面を軽く探してみました。
昼は、クィディッチの試合を見学したり審判を務めたり、湖の端の芝生の上でジェームズやシリウスに撥ね飛ばされたり逆さ吊りにされたり。
夕方は、禁じられた森でクィレルと話したり。
夜には、始業式に遅れたハリーとロンを冷たい風の吹く校庭で待ったり、暴れ柳の根元から校庭まで宙吊りのまま移動させられたり、ダンスパーティで浮かれる生徒の風紀を乱さぬよう校庭を見回ったり、森の外でダンブルドアと議論したり、逃亡のため校門目指して校庭を走ったり。
あ、あれ?あまり愉快ではなさそうな場面ばかり。
先生、戸外に良い思い出は少ないのでしょうか(泣)

プリンスに関する話題 - 2007.05.08 Tue

アイリーン・プリンスについてもっと詳しく調べる、とハーマイオニーが出ていった後、ハリーとロンの間ではプリンスに関する話題が続きました。
「天才だよ。あのプリンスは。とにかく……ベゾアール石のヒントがなかったら……」(6巻25章p.334)
このロンのセリフが好きでたまりません。

プリンスがスネイプ先生だと知らない状態での、二人の会話やハリーの思いを読んでいると、プリンスへの尊敬の念が溢れかえっていて、これこそ「スネイプ先生に対する正しい評価」だと思いました。
ロンは、自分の命が助かったからだけでなく、今まで見てきた教科書の書き込みの正しさや発明した呪文の数々から、「天才」だと言っているのだと思います。私も、本当に天才だと思います。

さらにセクタム・センプラの話題で、スネイプ先生が同時に話題に上る部分も好きです。
「だけど、マルフォイの傷はちゃんと治ったじゃないか?たちまち回復だ」(6巻25章p.334)とロンに言われて「うん」と答えながら、良心の痛みに「スネイプのおかげでね・・・・・・」と付け加えるハリーも、好感が持てます。そう!わかっているじゃない。

スネイプ先生は今までそうやって何人の生徒をたちまち回復させてきたのでしょう。ケイティだってスネイプ先生の初期治療のおかげで無事戻ってくることができたわけだし。きっと今まで、随分スネイプ先生は生徒達を救ってきたのだと思います。脚光を浴びないだけで。

実際は生徒からの尊敬と信頼を集めるのに十分な実力を持っているのに、それが発揮されないのは意図的なのか、人格のせいなのかはわかりませんが、ここでの会話を、後にハリー達が反芻する日が来て欲しいと思いました。

アイリーン・プリンス - 2007.05.01 Tue

図書館でプリンスについて調べていたハーマイオニーが、実名がプリンスである人物を探し当て、写真を持ってきました。
アイリーン・プリンス(Eileen Prince)という、何年も前の15歳くらいの女子学生で、ゴブストーン・チームのキャプテンでした。
この時点ではまだわかっていませんでしたが、スネイプ先生のお母さんとなる人物です。

ゴブストーンについては、3巻に説明があります。「~やっとのことで、純金の見事なゴブストーン・セットの誘惑を振り切った(ゴブストーンはビー玉に似た魔法のゲームで、失点するたびに、石がいっせいに、負けた方のプレイヤーの顔めがけていやな匂いのする液体を吹きかける)」(3巻4章p.67)
ビー玉と訳されているmarblesは、おはじきとも訳されます。でも、そもそもmarblesのゲームがよくわかりません。
調べてみたところ、大変バラエティーに富んだ遊び方があるようです。
こちらで紹介されています。基本は、目標物(たいていビー玉)を狙って自分のビー玉を投げたり落としたりするようです。ゴブストーンも目標物を狙う類のゲームでしょうか。セットというからには、色や大きさの違ういくつかの石から成るゲームなのではないかと思います。ビー玉にもそんなルールのあるものがあります。どこかで魔法を使うのか、いやな匂いの液体を吹き付ける以外は、ビー玉と変わらないのか、なかなか想像力をかきたてられます。
目標物を狙うイメージから、アイリーンは、集中力があったのではないかと思いました。また、いやな匂いの液体などを顔に吹き付けられるなど、普通年頃の女の子は嫌がりそうですが、チームに入ってまでプレイするところをみると、ちょっと個性的な感じもします。また、キャプテンというからには、ある程度のカリスマ性があったのではないでしょうか。また、チームとして対抗試合に出る以上、多少なりとも協調性はあったと思います。少なくともスネイプ先生よりは。

プリンスの名がそれほど珍しいものなのかどうか、よくわかりませんが、最近、ニュースでプリンス姓の人物の名を耳にしました。金融関連の会社の会長の姓がプリンスで、綴りも同じPrinceでしたから、珍しい名だとしても、全くの創作ではなさそうです。ハーマイオニーもそんな視点からプリンスの実名を探そうとしたのではないかと思います。

アイリーンプリンスは、痩せた少女でした。スネイプ先生の痩せた体型は、お母さん譲りということですね。髪の色には触れられていないのが残念です。5巻26章で、ハリーが踏み込んだスネイプ先生の記憶の中では、父親と思われる人物が、鉤鼻でした。鼻は、お父さん譲りなのでしょう。
セピア色に変色した写真ではあるものの、蒼白い面長な顔(a long, pallid face)は判別できるようです。顔色の悪さもお母さんに似たのでしょうか。「黄色味がかった」という意味もある土気色(sallow face)という表現でなかったのは、セピア色ではそこまで判別できなかったからでしょうか。それとも、スネイプ先生の土気色が薬のせいなど後天的なものなのか気になります。スネイプ先生の学生時代の描写には、土気色ではなく、「青白い両脚(pallid legs)」という表現があるのみです。
大人になってからは、顔色だけでなく、「長い黄色い指(long yellow finger)」(4巻18章p.463)などの表現があるので、黄色がかってきてのは、大人になってからで、やはり病的な色なのかもしれません。
面長、という表現はスネイプ先生に関しては今までありませんでした。頬はこけているようですが、輪郭は鼻同様、お父さん似ということでしょうか。
眉毛が太くて濃い(heavy brows )との描写があります。実際スネイプ先生の描写で、眉が太いとか濃いとか、書かれていたことはなかったように思いますが、ローリングさんのイメージ図では、スネイプ先生の眉毛は大変濃く描かれています。男性なので、特に表記されなかったのでしょうか。きっとやはりお母さんに似たのだと思います。

表情はどうでしょう。イライラしているようにも、すねているようにも見えるようです。これは、ゴブストーン・チームのキャプテンとしておそらく取材されている場面か何かだと思われるのですが、そんな場で愛想笑いするような可愛げのある少女では、なかったということですね。天下の「日刊予言者新聞」に取材されているのに、笑顔の一つもでてこない。これは、学校対校試合終了直後の取材だとしたら、負けたために不機嫌だとも考えられます。それでも、ロックハートでなくてもカメラを向けられれば、悔しい気持ちは飲み込んで、取り繕った表情をしそうな気がします。よほど媚びない性格に思えました。スネイプ先生は、そんな母親に似ていると思います。
もしかしたら、夫であるトビアスにも、なかなか笑顔を見せない人だったかもしれません。夫にとっては、かわいくなかった、ということでしょうか。
ああ、でも、赤ちゃんセブルスには、ぎこちなくてもいいから、微笑んでいた、と思いたいです。

土曜の罰則 - 2007.04.24 Tue

セクタム・センプラを使い、偽物の教科書を持ってきたハリーに、スネイプ先生が与えたのは、先生の研究室での毎土曜日の罰則でした。
ハリーが研究室に入っていくと、既に先生の部屋には、ハリーのためのテーブルと、積み上げられたくもの巣だらけの箱が用意されていました。

ハリーには、魔法を使わず作業を行うよう指示しましたが、スネイプ先生はこの物品を揃えるのに、魔法は使ったと思います。杖の一振りで机を出し、箱はフィルチが持ってきて、積み重ねていったのではないかと思います。
が、先生が机を運んでいる姿を想像するのも楽しいです。
ハリーが来る前に実はそんなちょっとした重労働をしていて、息切れを隠して「ああ、ポッター」と涼しく言う姿を想像するのが。

学生の悪行に対する記録に何の意味があるのかよくわかりませんが、スネイプ先生がわざわざジェームズたちが君臨した頃の記録から取り掛からせたのは、何か意味があるような気もします。
また、少なくとも、ジェームズと同じ時代を過ごした、スネイプ先生自身に関する悪行の記録は残っていないのだと思います。

最初に目を合わせた瞬間から憎み合っていたというジェームズとスネイプ先生。スネイプ先生だって学生時代は隙あらばジェームズに呪いをかけようとしていた、と5巻29章でルーピンが語っています。またジェームズは七年生の頃、高慢ちきが少し治ってきて、面白半分に呪いをかけなくなったが、スネイプは特別だったと同じ章でシリウスとルーピンが話しています。
つまり七年生になっても、互いに呪いはかけ合っていたわけです。スネイプ先生は色々な呪文を発明して、時にはそれが流行しているというのに、スネイプ先生に関する記録が残っていないとは、どういうことなのでしょう。

シリウスが「スネイプは確かに難を逃れるだけの狡猾さを備えている」(4巻27章p.265)というように、スネイプ先生は常に上手く切り抜け、罰則を受けずに済んでいたのでしょうか。
それとも、隙あらばジェームズに呪いをかけようとしていたものの、実際はシリウスと2人がかりでやり返され、手も足も出ず、常に被害者だったということでしょうか。
それとも、実際は罰則を受けていて、記録も残っていたけれど、ハリーが来る前に自分の記録の書かれたカードだけ抜き取っていたとか!
だいたい、千十二番から、千五十六番までの箱にジェームズたちの記録があるとわかっているのも、怪しいです。既に自分のカードがないか確認済みということではないでしょうか。こっそり自分のカードだけ抜き取る地味な作業の後、「ああ、ポッター」と言う姿も捨て難いです。

いずれにしても、この罰則の場面にも物語の都合上の意味があると思います。だいたい、今までだって、些細な場面が後の伏線になっている場合は多くあり、無駄な場面というものがないように思えるので。
この土曜の罰則、ただジェームズたちの悪行を知らしめるためだけではない、重要なヒントがあるのではないかと思って読むのですが、よくわかりません。
強いて言えば、カードに登場した「バートラム・オーブリー」の名が何かに関係あるとか、頭を通常の二倍にする呪い自体が今後使われるとか。それとも、スネイプ先生と二人きりで過ごす時間そのものに意味があるのでしょうか。上の階で教えるようになっても研究室を明け渡していないことや、以前と同様壁いっぱいに並ぶ魔法薬の瓶にヒントがあるのでしょうか。それとも、時を刻む壁の大時計に?
スネイプ先生が去った後、ハリーは再びこの部屋を訪れる日がくるのでしょうか。変わらずに大時計は時を刻み続けるのかと思うと、書いていて悲しくなってきます。

結局、抜き出してみたところで、よくわかりませんでした。
スネイプ先生、単にジェームズはいつもシリウスと(時には他の二人も)つるんでいた「臆病者」だったということを知らせたかっただけなのでしょうか・・・

水浸しのローブ - 2007.04.18 Wed

「学用品のカバンを持って来い」と言われたハリーが、教科書を取りに行って必要の部屋に隠し、再びトイレに戻るまで、スネイプ先生は何分かの間を、水浸しのトイレで待っていたと思うと、気の毒で仕方ありません。

だいたい、水浸しのトイレの床にひざまずいて反対呪文を唱えたのですから、膝から下のローブはびっしょり濡れていたに決まっています。また、水と血に濡れた床に横たわったドラコを抱えて立たせた際に、腕や胸あたりも濡れたはず。その後支えて病棟まで連れていっていますから、スネイプ先生のローブは、さらにドラコの血や水を吸ったことでしょう。
そんなびしょ濡れのスネイプ先生を待たせて、ハリーは教科書を隠そうとなおも悪あがきをしています。
隠す場所を提供してくれた必要の部屋は、大聖堂ほどの大きさがあり、その中にはホグワーツの住人が何世代にもわたって隠し続けたものが山となり、通路がいくつもありました。その一つに入って、右折やら左折やらして、戸棚に教科書を隠し、しばらく佇み、目印のものを置いています。またこの間、ハリーは、どんな物品が隠されているかかなり詳しく観察しており、必要の部屋で過ごした時間は1,2分ではなさそうです。そこからトイレに戻ったのは、1分後のようですが。

濡れたローブが、スネイプ先生の体温を奪っていたのかと思うと、やり切れません。もっとも、ハリーが血と水でぐしょ濡れであるとの記述はあっても、スネイプ先生がそうであるとは、書いていないのですが。
ドラコを病棟に連れていった時に、校内を歩くのに不適切な姿であるからと、自身とドラコを清めていった可能性もあります。真っ黒なローブでは、それほど血の色もわからないかもしれませんが、スネイプ先生が恐ろしい形相で、びしょ濡れで廊下を大股に歩き、床に血の混じった水を滴らせていたら、生徒はひどく驚くに違いないですから。
ドラコを抱えたり支えた時に、手には血もついたでしょう。その血まみれの手のまま、マダム・ポンフリーがスネイプ先生を帰すとも思えないし。(あ、でも3巻で担架を作って、ハリー達やシリウスを運んだスネイプ先生自身の傷は、放置されていましたっけ)

それでも私は、この場面、血と水に濡れたスネイプ先生が、冷たい水浸しの床に静かに立っている姿を想像してしまいます。3巻で自分の傷の手当ては後回しにして奔走したスネイプ先生が、この時だって自分のローブの濡れを気に掛けるとは思えないからです。
立ち姿は静かですが、ドラコの命が危険にさらされたこと、破れぬ誓いの内容、ドラコの任務、やりたくないと断ったもののダンブルドアから命じられた何か、そんな様々なことを一度に考えていたのではないかと私は想像しています。
その状況でローブを乾かすなどという発想はない気がします。
本人も気付かぬうちに随分冷え切っていたに違いありません(泣)

ハリーが戻って以降のスネイプ先生は冷静そのもので、やはり優秀な閉心術士だと思いました。トイレに飛び込んできた時こそ、感情が露(あらわ)になっていましたが、体が冷えるに従い、冷静さも取り戻していったのでしょうか。
おかげで、先生が何を考えているのか、どうしてこんなに軽い罰を言い渡したのか、私にはさっぱりわかりません。

それにしても、ハリーが戻ってきた時、黙って手を差し出す仕草も、教科書を一冊ずつ取り出し、魔法薬の教科書を入念に調べる様子も、想像するとその色っぽさにクラクラします(汗)
水の滴るローブを纏い、細長い手をカバンに突っ込み一冊ずつ取り出し、冷え切った指がページを繰り、表紙の裏表や背表紙などをじっくり見つめるスネイプ先生の姿。「ローニル・ワズリブ」の文字を見つけても、顔色一つ変えない冷静さ。確かに自分の所有物であると言い切るハリーに、言い方を変えて三度確認する慎重さ。ハリーに話しかける際のきわめて低い声や囁き声。全て美しくてうっとりします。

どうもこの場面、先生の美しさばかりに気を取られて、何か重要なことを見落としているような気がしてなりません。

追及なし - 2007.04.12 Thu

ドラコを医務室へ連れて行き、戻ったスネイプ先生は、あの呪文を誰に習ったかハリーに尋ねました。
聞かれたハリーは、この期に及んでまだ嘘をつきます。もちろん、スネイプ先生にはお見通しですが。そこで、開心術を使ったスネイプ先生、ハリーにカバンを教科書を持ってくるよう言い渡しました。
ハリーは結局、替え玉としてロンの本を出し、スネイプ先生は、土曜の罰則を告げたのでした。

先生はこの時まで、ハリーが自分の教科書を持っているとは知らなかったのでしょうか。今まで何度も考えてきたたことですが。
スネイプ先生はこの開心術以前からもともと知っていたのではないかと、スラグホーンがハリーの魔法薬学の優秀さを吹聴したため既に気付いていたのではないかと、後に29章でハリーが語っています。
もとから知っていなくても、少なくともこの開心術によってスネイプ先生は、自分の教科書をハリーが所有し、利用していることは完全にわかったはずです。
それなのにスネイプ先生は、偽物を持ってきたハリーにそれ以上追及せず、罰則を言い渡しただけでした。その罰則も人の命がかかった割りには軽すぎるものでした。

後の29章p.484で、ハリー達三人も、スネイプ先生がなぜ、ハリーを突き出さなかったか考えています。そこでの推論、「あの本との関係を知られたくなかった」は、つまり真実ではないのだと思います。根拠としては薄いのですが、今までたいていハリー達の言葉として提示された推測は外れていました。今回もローリングさんは、謎として残してくれたのだと思っています。

ハリーは29章で、この本が「自分を助けてくれた」ということに耐え難い思いを抱いていますが、結局そのために、スネイプ先生は取り上げなかったような気がします。むしろ初めからハリーを助けるために、偶然が重なるよう仕向けたようにも思えます。ちょうど、フェリックス・フェリシスで、万事上手く事が運ぶよう行動をコントロールできたように。フェリックス・フェリシスか、そうででなくともハリーの手に渡るよう偶然が重なるような呪文などがかかっている可能性はあると思います。フェリックス・フェリシスの存在によって、そんな偶然の連なりが可能であることが示唆されたと思います。
やはり、スネイプ先生は、ハリーに渡るよう細工していたのでしょうか。
その中には、セクタム・センプラのように、大変危険な闇の呪文も書かれていたのに?
リスクを冒して敢えて渡したからこそ、今回の罰が軽かったということでしょうか。
そうだとしたら、スネイプ先生がここで開心術を使ったのは、なぜなのだろうと思います。ハリーだって『開心術』を使う必要はなかったと29章で言っているくらいですし、反対呪文を唱えた時点で、ドラコの傷がセクタム・センプラという自分で作った呪文によるものだとわかっていたわけですから。自分が既に知っていることをハリーに知られないためのカモフラージュでしょうか。色々、わからないことだらけです。

ハリーがカバンを取りに戻る途中「スネイプがそれを見たらどうなるんだろう?」と考えたように、スネイプ先生は、もしハリーが素直にプリンスの教科書を持ってきたときには、どんな反応を示したのだろうかと考えずにはいられません。
取り上げざるを得なかったのでしょうか。なんだかんだ言って、結局ハリーの手元に残ることになったような気もします。
この教科書、6巻では結局それほど大きな役割を果たしていないような気がするからです。
ハリーの魔法薬学の授業での活躍を助け、スラグホーンの信頼を得たからこそ、重要な記憶を取り出すことができたわけではありますが。
今後再び登場して欲しいです。
あとは、スネイプ先生のものだと知らければ、その内容は信頼し、指南役でもあり友達でもあったと考えるハリーの「フィルターのかからないスネイプ先生に対する評価」というものをハリー自身が気付くきっかけになりそうです。本自体の登場はなくても、ハリーを助けることは続いて欲しいと思います。

セクタム・センプラ - 2007.03.17 Sat

セクタム・センプラで傷ついたドラコに向かって、杖を取り出し歌うような呪文を唱えるスネイプ先生。凄惨な光景のはずなのに、美しいスネイプ先生の様子ばかり想像されました。

この場面の呪文、傷を治す呪文でも、呪文を終わらせる呪文でもなく、「セクタム・センプラ」という呪いに対する反対呪文ではないかと思いました。counter-curse(反対呪文)と明言されているので。
レビコーパスとその反対呪文のリベラコーパス同様、スネイプ先生が開発した呪文だと思います。

リベラコーパスの場合は、レビコーパスと書かれた部分の下に読みにくい字として書かれていました。
だいたい、ハリー・ポッターに登場する呪文のたぐいは、ラテン語とか英語とか、何か語源になっているものがあるようです。
Levicorpusは、空中に浮かぶという意味のlevitateと、身体を表すcorpusから作られたのでしょうか。あるいは、levitate自体、ラテン語など別な言語由来なのでしょうか。私にはわかりません。
ローリングさんの思考回路はそのままスネイプ先生の思考回路に繋がるのではないかと思うのですが、つまりスネイプ先生も呪文を開発する際、あらゆる原語の組み合わせなどから、今までにない効果をもつ呪文を作り上げていったのだと思います。
レビコーパスは、何回もバツ印で消したり書き直したりしているので、「身体を浮上させる」という意味を持つ言葉の組み合わせを検討していたのではないかと想像しています。
その反対呪文のリベラコーパスですが、Liberacorpusはliberalが「自由な」の意味があります。
浮上させた身体を自由にする、という意味を持ち、かつ同じLで始まるこの言葉で初めて効果を持つのだと考えています。

同様に、セクタム・センプラも、ある程度の効果を狙って開発したのではないかと思います。
sectumはラテン語で「切る」、sempraはラテン語で「いつも、常に」を表す言葉を基にしていると、「ハリー・ポッター6巻を英語で読もう!」さんで教えていただきました。
ちなみに2巻で登場したリクタス・センプラ(Rictussempra)の語源は、Rictusがフランス語で「引きつった笑い」、ラテン語で「大きな口」だそうです。(ポッターマニアさんより)「常に引きつって笑っている」状態にする呪文なのですね。この時、この呪文を解いたのは、フィニート・インカンターテム(呪文よ終われ!)でしたが、この呪文は同時にハリーにかかっていたタラントアレグラ(踊れ!)も解いたのでした。
そう考えると、この呪文でも呪い全般を終わらせる効果もありそうですが、セクタム・センプラとは呪いのレベルも違うような気がします。闇の深さが違うというか、そんなイメージから、やはりそのための反対呪文でなければ効かないような気がします。

敵を「常に切れている」状態にしようとスネイプ先生は、そのような意味を持つ色々な原語の組み合わせを考えたのでしょうか。その反対呪文となれば、それなりの意味を持つ言葉をやはり探し出してきたのではないかと思います。その効果は、「出血が緩やかになる」「傷口が塞がる」ようですから、そんな意味を持つ言葉だったかもしれません。

「常に切れている」という意味の言葉を開発しようと思ったセブルス少年の心情を思うと、冷水を浴びせられたような気持ちになります。
相手を見えない刀で切ったように、鋭く深く傷つける言葉を探していたセブルス少年は、いったい誰にその呪文を使うつもりだったのでしょうか。誰ということもなく、自分を襲う敵全てから身を守る術として、いざという時に備えたのでしょうか。攻撃のためにしろ、防御のためにしろ、その必要性を感じていたセブルス少年には、「呪文を開発する喜び」だけでは済まされない思いがあったに違いなく、痛ましさに泣けてきます。
そしてその呪文を開発したということは、やはりどこかで、誰か、あるいは何かを相手に試したということだと思います。例えば小動物などを相手にひっそり試し、思ったような効果を発揮した時、すぐに反対呪文を見つけられなかったら。自分のやっていることに、何も心を動かされない、ということだけはあって欲しくないです。先生だって、痛みを感じていたのですよね?

さて、この場面でのスネイプ先生様子で気になるのは、やはり「歌うような」と表現されたことです。これは、ハリーが聞いてそう思ったのでしょう。レビコーパスに対し、リベラコーパスとあるように、その反対呪文はそんなに長い呪文だとは思えません。短い呪文ではあったけれど、それがハリーには「歌うように」聞こえたのだと思います。そこにスネイプ先生の、自作の呪文に対する愛を感じると同時に、ハリーに聞かせる意味もあったのではないかと思いました。本当にハリーに聞かせたくないと思ったのなら、無言呪文で対応すればよかったのですから。
スネイプ先生の唱えた呪文は、読者には明かされませんでしたが、ハリーには「歌うように唱える反対呪文」として心に刻み込まれたはずです。後々、ハリーもこの呪文を思い出し、真似して唱える日が来るかもしれません。

早すぎる登場 - 2007.03.10 Sat

ハリーのセクタム・センプラの呪文を受けてドラコが倒れた時、マートルの「人殺し!」の叫び声の直後にスネイプ先生がトイレに飛び込んできました。そのあまりの早さに、驚きます。

このトイレ、どこにあるのか、私にはわかりませんでしたが、八階よりは下の階のようです。八階の談話室から同じく八階の廊下に向かう途中で、ハリーが忍びの地図を見ていて「下の階の男子トイレ」にいるドラコを発見したので。あと、八階から全速力で駆け下りて、1分後に入れる距離のようです。
また、以前マートルと男子トイレで会った時、マートルが「またわたしに会いにここに来るって言ったの」(6巻21章p.214)と言っていることから、いつもドラコは同じトイレでマートルと会っていたようです。
この時は、スネイプ先生の授業の後、トイレに「立ち寄って」います。
スネイプ先生の教室は四階で、この日の授業は朝食の後、1時間ほどしてから始まっていますから、午前中に行われています。四階から、談話室に向かったのか、ホールに昼食に向かったのかによって、トイレの階も変わってきますが、もしかしたら、四階にあったのかもしれません。
となると、スネイプ先生が同じ階の教室付近にいたのなら、マートルの叫び声を聞いて早々に駆けつけてもそんなに不思議はないと思います。

ただ、今回は、ハリーは夕食に向かう途中で、ドラコと会っています。スネイプ先生が四階の教室にいる可能性も皆無ではありませんが、夕食をとるためホールにいたり、地下の研究室にいたりしてもおかしくありません。近くにいなかったとしたら、どうしてそんなに早く駆けつけられるのでしょう。

今年、スネイプ先生は破れぬ誓いをたて、二番目の誓いで、「ドラコに危害が及ばないよう力の限り護ること」を約束しました。それは闇の帝王に関係なくドラコへの危害を防ぐ意味も含まれていたのではないかと思います。ですから、今回のように、同級生の不注意などによって命の危険に晒されることからも護らなければならない状態にあったのではないでしょうか。
ハリーが一年の時、ハリーに「どこにいってもスネイプに出くわすような気がした」(1巻13章p.322)と思わせたスネイプ先生は、全力で守ろうとして、ハリーを監視していたのだと思います。それを考えると、やはり今回も同様にドラコにくっついて歩いていたのでしょうか。
でも、今回はドラコの安全だけでなく、スネイプ先生の生死にもかかわってきますから、もっと事態は切迫しています。
だからと言って、スネイプ先生はいつもドラコのお尻にくっついているわけにはいきませんから、何か警報装置のようなものを持っていたのだろうか、と思いました。

ハリー・ポッターの世界では、既に似たようなアイテムは登場しています。
何か忘れているものがあると赤く光る「思い出し玉」、ウィーズリー家にある家族の居場所を示す時計(12時の場所に「命が危ない」がある)、胡散臭いものがあると光って回り耳をつんざくような音で警報を発する「スニーコスコープ」。
同じような発想のアイテムで監視していたのかもしれません。それはドラコの身の危険を知らせると同時に、居場所も知らせるもので。
さらに、色が変わったり、時計のように針が指したり、という視覚に訴えるものでは眠っている時に気付けません。スニーコスコープのように聴覚に訴えるか、振動など触覚を刺激するものだったのだろうかと想像しています。


それにしても、任務の失敗によってではなく、ハリーが効果も知らないまま使った呪文のために、ドラコが命の危険にさらされるなど、先生は考えてもいなかったでしょう。「君を見くびっていたようだ」と言ったのは、先生の本心だったと思います。
思いがけず誓いを破るところだったのに、その罰則が「今学期中全ての土曜に書類の整理」とは、スネイプ先生、優しすぎると思います。

見たことのない姿 - 2007.03.04 Sun

トイレで密かに泣いているドラコの姿を目撃して、ハリーは衝撃に立ち尽くしますが、気付いたドラコが杖を抜いたことから、攻撃の応酬が始まります。そして、ハリーはプリンスの教科書にあった、敵に対して用いると思われる呪文、「セクタムセンプラ」を使いました。
顔や胸から血を噴き出して倒れたドラコを見て呆然とするハリーと騒ぐマートル。そこへ飛び込んできたのは、スネイプ先生でした。

この場面、考えてみたい部分もいくつかありますが、まずはスネイプ先生の描写の絵的な美しさを味わおうと思います。

ドアがバタンと開いて憤怒の形相で入ってきたスネイプ先生。この憤怒の形相という部分、原文では‘his face livid.’となっています。lividは「激怒した」という意味ですが、「鉛色の」「青ざめた」という意味もあります(Yahoo!!辞書より)。普段土気色の顔が、鉛色になっていたかもしれない、と思うと、その感情の激変ぶりに驚かされます。それほど美しいというわけではありませんが(あれ?)

次にスネイプ先生は、ハリーを荒々しく押しのけ(Pushing Harry roughly aside) 、ひざまずいて(he knelt over Malfoy)います。
普段、どんなに言葉に毒があっても、動作が荒々しい場面はそんなに多くありませんでした。3巻でシリウスが逃亡した後に、病室のドアを猛烈な勢いで開けたことはありました。あと、開心術を撥ね返された時に、ハリーを突き飛ばしたことがありましたが、それは荒々しいというよりは、むしろ痛々しい感じがしました。
ハリーはドラコの脇に両膝をついていましたから、先生は自分もひざまずく過程で屈みながら押しのけたのだと思われます。押しのけたということは、ハリーもそんなに遠くに突き飛ばされたわけではなさそうです。スネイプ先生に触れるくらいの近距離でこの後のスネイプ先生の処置を見ているのだと思います。羨ましい…

荒々しくハリーを押しのける姿も稀ですが、さらにひざまずくスネイプ先生など、今まで出てきたことがあったでしょうか。
ドラコの倒れている床は、呪文によって破壊された水槽タンクのために水浸しです。そこへ大量の出血も加わって、大変なことになっていますが、そこにスネイプ先生もひざまずいているわけですから、当然先生の着衣もどんどん水分を吸っていると思われます。
水や血で重くなったローブに加え、ひざまずいてドラコの上に屈みこんでいるわけですから、かなりバランスが悪いのではないかと思います。ドラコの体のすぐそばに杖を持っていない方の手をついて支えていたのかもしれません。かなり身を屈めて顔を近づけていたのではないかと想像します。髪はカーテンのように垂れ下がり、表情はハリーにも見えないのかもしれません。まるで這い蹲るようなこの姿勢にも心ときめくものがあります。そしてその手もドラコの血に染まるわけです(だから何?)

杖で傷をなぞりながら、呪文を唱えるスネイプ先生。しかもその呪文は、歌うような呪文です。
スネイプ先生が歌!?
この部分を初めて読んだ時の驚きとときめきは、忘れられません。
「歌うような」と感じるくらいですから、単調な呪文ではなく抑揚があるもの、旋律のあるもの、ということでしょうか。大変貴重な描写です。
スネイプ先生は、さらにドラコの顔から血を拭い、呪文を繰り返しています。残りの血を拭った(wiped)とありますが、ロンのレポートにこぼれたインクをハーマイオニーが杖で吸い取ったようにしたということでしょうか。布などでふき取っている図の方が好み(汗)ですが、そんな余裕がでるのは、全ての傷が塞がってからという気がします。まだ杖を離すことなく、吸い取る形ですばやく拭い、すかさず二度目の反対呪文を唱えたのだと思います。

そして、傷が塞がると、ドラコを半分抱え上げて立たせています。
立つことができたドラコにも驚きますが、そこは置いておきます。
抱えて立たせるという図も、なかなか貴重な場面です。そもそも生徒に触れる場面があったかどうか思いだせないのですが、これほどのスキンシップはかつてありませんでした。
仰向けに倒れたドラコを抱え上げるには、背中に腕を入れて抱き起こす形ではないかと想像します。どの位置にスネイプ先生がいたか、ですが、横たわるドラコの右か左にいたと考えるのが自然な気がします。
頭側や、足側では傷の治療を行い難いでしょうから。右か左から抱え上げる時、私なら、肩の下と膝の裏側に腕を差し入れます。ドラコのぐったり具合にも依りますが、背中に片手だけ入れるのも、両手をそれぞれ両肩の下に入れて手前に起こすのも、腰を痛めかねません。
スネイプ先生はどうしたのでしょう。後で腰が痛くなっているスネイプ先生もかわいいですけど。
どちらにしても、ドラコが羨ましくて、ちょっとドキドキする場面でした。

スネイプ先生は今までのどの場面でも魅力的でしたが、この24章、かつて見たことのないようなスネイプ先生の描写が満載で、しかもその後もハリーとの長いやり取りがあるので、2章と並んでお気に入りの章です。

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