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2024-03

三人兄弟の物語 - 2009.01.14 Wed

三角の印の謎を解こうと、ゼノフィリウス・ラブグッドに会いに行ったハリー達三人。全ては『三人兄弟の物語』から始まると言われ、ハーマイオニーが声に出して本を読みました。

物語に登場したのは、『死』に狙われた三兄弟。
『死』は、死を免れた三人にそれぞれ褒美をあげると言います。
長男は戦闘好きで、存在するどの杖よりも強い杖をもらいました。
次男は傲慢で、『死』を辱めるために人々を『死』から呼び戻す力を欲し、死者を呼び戻す石をもらいました。
三男は謙虚で賢く、しかも『死』を信用せず、『死』に跡を付けられずにその場から先に進めるものを欲し、『透明マント』をもらいました。

この三兄弟の物語、長男の一文を読んだ時、にすぐに連想したのはヴォルデモートでした。ヴォルデモートとスネイプ先生とハリーが似ていると常々思っていた私は、次男の説明を注意深く読みました。

次男は原書ではan arrogant manとなっていました。
arrogant(横柄な、尊大な、無礼な)は、なんとなくスネイプ先生の、特に日本語訳の「我輩」のイメージだったので、ますます気になりました。
『死』を辱めたいという傲慢さとは違うかもしれませんが、魔法薬学を語る言葉や闇の魔術を語る言葉に、挑戦者としてのスネイプ先生の姿が見え、相通じるものがあると思いました。
三男が謙虚なところも、ハリーの役割に似ていると感じました。

長男は、最強の杖を得ましたが、結局その杖を奪われて殺されました。
次男は、石を使って「若くして死んだ、その昔結婚を夢見た女性」を死から呼び戻しました。

さあ、ここでまた私は頭を抱えました。
19章の銀の牝鹿にリリーのイメージを感じていたのを必死で振りはらっていたのに、ここにもそんなイメージの「若くして死んだ女性」が出てきたからです。しかも、「結婚を夢見た」女性。
振り払おうとするたび、リリーのイメージがつきまとい、かなりうんざりしていましたが、もっと気になったのは、完全にはこの世の人とはなれなかった女性への、望みのない思慕で気も狂わんばかりになった次男が、自らの命を絶ったことでした。

結局、スネイプ先生はリリーを愛していたことが判明した今、その部分は特に気にかかるところです。
ヴォルデモートは、忠誠を示していない杖によって自分の魔法を跳ね返されて死にました。
ハリーは、次の世代を育て、残すものを残したら、きっと死を古い友人として迎えることでしょう。
どちらも兄弟の長男と三男に似ています。
だとしたら、スネイプ先生は?

この世の人とはなれなかった女性への望みのない思慕で自らの命を絶った次男と、同じ運命を辿ったということでしょうか?
実際命を絶ったのは自分ではありませんでしたが、リリーへの望みのない思慕に、現世の何もかもを捨てて心はこの世にはなかったとか?
作者はそういう意図でスネイプ先生の人物像を描いたのでしょうか。
原書を読み終わった1年以上前から、この疑問は私の中で解決できていません。

物語をどのように解釈するかは、読む人の自由だし、読む人の数だけスネイプ先生がいると考えてはいるのですが、そこに何らかの作者の意図のようなものを感じてしまう私は、スネイプ先生の心の持ち方が、私が思うようなものとは違うのはないかと考えてしまう日もあります。融通が利かない方なので、自分にとって都合の悪い解釈に目をつぶることもできません。

でも、たとえ作者が昔話の次男とスネイプ先生を重ねているとしても、その思惑とは違う動き方をしていると私は感じています。また、実際作者の意に反して、キャラクターが勝手に動き始めることもあるとも聞きます。
7巻を読み終わってもスネイプ先生に開心術をかけたいと思う私は、多分、この三兄弟の次男とは違うスネイプ先生の生きざまを証明したいのだと思います。そんなつもりで、私自身が納得できるような文章を書いていきたいです。

● COMMENT ●

次男とスネイプが重なることについては、以前も七巻部屋で触れられていましたね。
リリーの死後の彼の心の状態については、なかなか想像しにくいものがあります。私自身の感傷がどうしても混じってしまうので……。
ですが、とりあえず私の想像を書きます(特に根拠などはない、妄想です)。

リリーの死後、スネイプ先生も「気も狂わんばかり」だったことがあるだろう、とはほぼ確信を持って思います。
ダンブルドアの前で「私も死にたい」と言ったのも、あの時だけのことではなく、あれからもたびたびそう感じたのではないかと想像します。ダンブルドアの前では、一度感情を鎮め、冷静に戻りましたが(信じがたい克己心だと思います)、その後も発作のように悲しみに襲われたのではないでしょうか。
ですけれど、亡くなるまでの十数年間ずっとそのような状態にあったとはなかなか思えません(そんなに長い間自殺願望に苛まれていて欲しくない、という希望も若干入っていると思いますが)。

そもそもスネイプ先生は心の強い人だと思います。「閉心術」で感情や思考が表に出ないために、そう見える部分もあるのでしょうが、そもそも「閉心術」を使うこと自体強い精神力が必要な気がします。
それに加えて、特にハリーの入学後、やるべきことが沢山あったスネイプ先生は、危険な目に遭いながらも、だいぶ充実した生活を送っていたのではないかと思います。
ハリーのことではさぞ神経をすり減らしたことでしょうが、(これも願望を含めてですが)スリザリン生達を露骨に庇い(笑)、自寮生に慕われていたスネイプ先生ですから、好意を示すスリザリン生たちに癒されていた部分もあったのではないか、と思っています。

なかなか長くなってしまいました(汗)。考察不足なところはありますが、以上が私の希望まじりの推測です。

生きてる人を救う

二尋さん、こんばんは。
それと遅ればせならスネイプ先生、お誕生日おめでとうございます☆

3兄弟の次男はスネイプ先生を思わせますが、いくら愛していてもスネイプ先生は死者を蘇らせたりはしないと思います。
だから生き残ったハリーを守り続けたのではないでしょうか。
死者は救えなくても生きているものを死から守ることは可能ですものね。
薬学も生きている人間を救う為のものだし・・・
それが自分に残された使命だとスネイプ先生は感じていらっしゃるのではないでしょうか?

無理に重ねなくても

私は、長男はヴォルデモートに近いかな?と思いましたが、次男とスネイプ先生を重ねては思いませんでした。

>作者はそういう意図でスネイプ先生の人物像を描いたのでしょうか

>たとえ作者が昔話の次男とスネイプ先生を重ねているとしても

作者もそうは言っていないと思うのです。
あまりとらわれなくてもよろしいのでは、と感じました。

長文すみません…

>7巻を読み終わってもスネイプ先生に開心術をかけたいと思う私は、多分、この三兄弟の次男とは違うスネイプ先生の生きざまを証明したいのだと思います。

心から同感です。陰ながら応援しております!

私見ですが、ハリポタの登場人物たちについては特に、作者が狙ってもいないような珠玉のキャラクター描写が全編に渡って散りばめられている気がしますので、作者の意図の如何にかかわらず登場人物たち一人一人が独自の息吹をもって(時に気高く、時に気味悪いほど現実的な欠陥を抱きつつ)生きているというのは、スネイプ愛しの気持ちが見せる希望的観測でも何でもないと思っています。

この兄弟の物語は、確かに読んでいると苦しくなりますね…。あまりにもスネイプ先生の運命に似ているというの、確かに本当だと思います。ただ、死んだ人への思慕に囚われて何も意味のあることを為せなくなってしまい自堕落に自殺した次男と逆に、スネイプ先生はリリーへの恋をよりどころとして意味のない虐殺から改心し、有意義な人生を見出したわけですから、一見まるで相似なリリーと次男の元恋人は、実は2人の男にとって正反対の働きをしているとも言えないでしょうか。この物語では、ハリーとヴォルデモートの不幸な子供時代を始めとして様々な相似形が登場しますが、似ているからこそ引き立つ対称的な違いというのがポイントなんじゃないかなと… これも私の希望が入った読みかも知れませんが^^

重なる物語といえば、1巻では賢者の石を守るチェスの勝負で、ブレーン役のロンの作戦によりナイト(騎士)のロンを敵のクイーン(女王)に取らせることでハリーがクイーンを倒して王手をかけることができましたよね…。6巻で敵側のワイルドカード(かと見えた)スネイプ先生が騎士団の長を倒し、あの時のチェスの動きが完璧に再現されているかのようにも見えました。が、不実な女王様は実は棋士ダンブルドアの手駒だったことが7巻で判明し、その後の展開もチェスのものとは相似点がありつつ微妙にズレています。ハリーが下手人スネイプの亡骸を踏み越えて敵に王手をかけるのは同じですが、スネイプは別にハリーに殺されるわけではありませんし、ヴォルデモートが最後に倒れるのはスネイプが死んで王を守る位置から消えたからではなくて、ハリーが自己犠牲自殺(未遂)をやったからです。こういった部分も(どこまで作者の意図なのかは神のみぞ知るですが)まるで暗示するかのように布石された相似形があったからこそ、かえって現実の結果の違いを一層強く思い知らされる印象で、ズンと胸に響いてくるなーと個人的には思いました。

はじめまして。
スネイプ先生ファンというわけではないけれど、時々寄らせてもらっていて、書きこむのは初めてです。

この兄弟の二男とスネイプ先生が似ているかというのは考えたことがありませんでした。でも、なんだか似ているような気がしてきました。
私はスネイプ先生は、ハリーにリリーの面影だけを見て生きていたように見えました。それは二男にとっての死の世界から呼び寄せた女性と同じだと言う気がしてきました。ハリーに情が移ったんじゃないと言っていたし、リリーの面影といっしょに死ぬつもりだったのかなあと思います。
乱文しつれいしました。

意気込みのつもり

皆さま、色々なご意見、ありがとうございます。
こんなに反響があるとは思っていなかったので、ちょっと驚きました。

【鬼百合さん】
はい、7巻部屋に書いた時から、私の中で未解決の問題で、オフ会の三次会でも、ちょっと話題にしました。

私も、スネイプ先生は次男とは違う人生だったのではないかと思っています。でも、私は何となくそう感じる、では納得できない性質なので、そう感じる理由を例を挙げて示していきたいと思っています。誰かを言いくるめるためではなく、自分自身を納得させるための、意気込みを示したつもりです。

蘇りの石

【マジさん】
もし、蘇りの石を目の前にしたら、スネイプ先生はそれを使っただろうか?と時々考えます。これも相反する考えが浮かび、自分の中では未解決です。使わない、という選択をすることを私は望んでいますが。

生きている人を救おうとしていたのは、確かでしたね。
それを自分の使命と感じていてくれたら、本当に私は嬉しいです。

スタイル

【果穂さん】
>無理に重ねなくても
無理にこじつけて考えるのが私のスタイルなので、それを止めるのは難しいです。
また、作者の意図がどうであっても、違うことを証明したい、というのが主題のつもりです。

なるほど

【RGさん】
いつもながら、深い考察に感心させられます。
チェスのことなど考えも及びませんでした。あちこちで相似形の見られる物語だったのですね。似ていながらも違う結末、というところがポイントでしょうか。

>まるで暗示するかのように布石された相似形があったからこそ、かえって現実の結果の違いを一層強く思い知らされる印象で、ズンと胸に響いてくる
とても説得力のあるお言葉で、胸のつかえが取れたように思いました。

はじめまして

【リッパーさん】
はじめまして。コメントありがとうございます。
スネイプ先生ばかりを見ている私には、見えなくなっている部分があるのではないかと思っています。
>ハリーにリリーの面影だけ
確かにそうかもしれません。リリーだけへの一途な愛なら、ハリーにリリーの亡霊を見ていたかもしれません。
でも、私は、そうでないような気がしていて、それを証明したいと思っています。

三兄弟に重ねるなら

そこのところは、次男はむしろ そのまんまダンブルドア校長でいいのでは?と私は思います。
最後に古き友として迎える『死』の方がスネイプ先生のイメージだったりしてw

ダンブルドア

ゆき子さん、コメントありがとうございます。
ダンブルドアは、石を使おうとした点は、似ているけれど、他の共通点は私は見出せませんでした。
ダンブルドアこそ、死を迎える準備はとうにできていたような気がします。

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秘密コメントをくださった方へ

はじめまして!
私の憧れの地にお住まいなのですね、本当に羨ましいです。

7巻が出る前から、このヴォルデモートとスネイプ先生とハリーの共通点を私は兄弟のようだとかなり気にしていました。というのは、西洋の童話には3兄弟とか3姉妹のお話がよくあって、末っ子だけが良い思いをするというか、生き残るというパターンが見受けられたからです。
だから、3兄弟のお話が出てきたときには、まずその可能性を疑いました。実際生き残ったのもハリーだけだったし。

私も最初に読み終わった時は、大好きなスネイプ先生にとって救いのない物語に思え、とても辛かったです。私は逆に7巻後からファンフィクションを読めなくなりました。もう妄想の余地はないと思ってしまって。
今は、救いを求めて原作を細かく見直しているところです。この三兄弟の物語との共通点は気になるところですが、基本的にスネイプ先生はもっと主体的な生き方をした人だと思っているし、その点納得できるように文章化していきたいと思っています。

海外からのコメント嬉しかったです。
またぜひ、いらしてください。
色々語りましょう。

お返事ありがとうございます

イギリスは今年は大変寒くて、春が来るのが本当に待ちどうしいです。

三兄弟の話は確かに多いですね。二尋さんの、ご意見を読んだ後、The Tales of Beedle the Bardを思わず読み直してしまいました。これはもう日本では出版されているのですか?

それから二尋さんはあまりLilyのことが好きではないのでしょうか? 
私はProf.SnapeとLilyの関係が結構気に入っています。子供の頃からあまり幸せそうでなかった彼の人生の中で、唯一の救いであった彼女との思い出が語られるThe Prince's taleは私の特に好きな章です。なぜLilyは彼を許せなかったのか?という問題はあるとは思いますが・・・・。すみません、三兄弟の話から離れてしまいました!

私はProf.Snapeは次男と違ってLilyを死後から呼び戻しても無駄だということを知っている人だと思います。でも、それでも呼び出さずにはいられないかもしれません。自分の役割をよく理解し、完璧なまでに、立ち回っているくせに、自分に関してはとても不器用な人のようですから。

最近、私も本編を一作目からのほうを細かく読み直しているところです。私だったらどう訳すかな、などと考えながら・・・。 FanFicも止められませんが(笑) 

スネイプ先生の想い

Black catさん、再度コメントありがとうございます。
イギリスには、2年前の3月に行ったことがありましたが、とても寒くて、鼻が凍るかと思いました。スネイプ先生のお誕生日の1/9は、きっともっと寒いのでしょうね。

The Tales of Beedle the Bardは、日本でも12月に発売されましたが、私はまだ買っていないんです。でも必ず買います。まずは原書で読みたいです。

Lilyのこと、好きではないわけではありません。
ただ、7巻発売前から、「スネイプ先生がLilyを愛していた説」はあって、私はそうだと思いたくなかったんです。謎に満ちたスネイプ先生の行動の動機は、別なところ(もっと大きな意味での愛)にあることを望んでいたので、特定の女性とは無縁であって欲しいとの思いで7巻を読んでいました。
33章で明らかにされた二人の関係やスネイプ先生の一途な想いは、私の望んだものとは違いましたが、大きく心を動かされました。
両親が不仲な家庭で育った彼が、どんな思いで屈託のないLilyを見ていたか、どんな思いでパトローナスを出したのか、今後、The Prince's taleの場面一つ一つを噛みしめるように考えていきたいと思っています。

>Lilyを死後から呼び戻しても無駄だということを知っている人
>それでも呼び出さずにはいられないかもしれません。
私もそんな気がします。とても賢く理性的でありながら、Lilyのことに関しては、時にコントロールが効かなくなるようで。
頭ではわかっていても、抑えられない感情はありそうな気がします。

再びすみません

ちょっと思い出しました。西洋のお話で三人の話が多いのは、キリスト教の三位一体の為かもしれません。

三位一体

Black Cat さん、コメントありがとうございます!
三位一体とは何なのか全然知らず、調べてみました。難しい概念ですね。いろいろな物語の3人も三つの人格ではなく、一つの人格という意味を持つのでしょうか。
一朝一夕に理解できるものではなさそうですが、単に上2人の失敗から学ぶ、という意味だけではないのかもしれないと思いました。

季節外れ(?)なコメントですみません。久々にこちらのコーナーを読みに来ました。
次男の行動とスネイプ先生が似ているかどうかは別として。
"arrogant" という単語のイメージは、私のスネイプ先生の印象からは程遠いものです。
arrogantは自信過剰の印象ですが、スネイプ先生が万が一にも日本語の我輩を使うとしたら、それはむしろ自己承認の不足からくるものという気がするのです。
ただ、子供向けのおとぎ語として語られている間に、次男の性格がわかりやすく変化していったということもあるのかも、などグルグルと考えてしまいます。

arrogant

みどりんさん、コメントありがとうございます!
arrogantは、私のスネイプ先生の印象とも程遠いものですが、スネイプ先生ファンでない人の6巻までのイメージではあるかな、という点で気になりました。
日本語で「我輩」と訳されたのも、翻訳者がスネイプ先生の言動にそんな尊大な印象をもったからだと思います。
結局最後まで読んでしまえば、そんなイメージを持つ人も少ないでしょうけれど。

また、「次男」についても、死を辱しめようとする態度こそ傲慢ですが、愛した女性を死の世界から呼び戻そうとする部分に傲慢・尊大さは感じられませんでした。

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コメントくださった方へ

コメントありがとうございます。
そのような視点で、三兄弟の物語を考えたことありませんでした!
ハリーも、ヴォルデモートもペベレル家の子孫であるのは間違いないですよね。
実在のペベレル家の三兄弟が、物語の順に長男が杖、次男が石、三男がマントを所有していたのなら、おっしゃる通り、ハリーは三男の子孫、ヴォルデモートは次男の子孫になるかと思います。

私が実際の三兄弟の子孫のことまで考えなかった理由は、ビードルの物語では三男だけが子孫を残せたかのような印象を受けたからです。
実際、杖の歴史が物語と大差ないなら、代々伝わっていった他のアイテムとは明らかに違う道を辿り、子孫がいようといまいと、力を求める者たちの手を渡って現在存在することになると思います。
しかし、だからと言って、スネイプ先生がペベレル家の長男の子孫ではない、とは言い切れないですよね。
スネイプ先生の母方の血筋は純血でしたから、ペベレル家の流れを汲んでいる可能性も否定できません。
私は象徴的な意味くらいにしか捉えていませんでしたが、実際の子孫かもしれないという考えは、とても興味深いです。


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