topimage

2017-04

目の色 - 2017.04.08 Sat

7巻を読み返していてハッとすることがありました。
7人のポッターの場面を経て、誕生日まで(実際は誕生日翌日の結婚式まで)隠れ穴で過ごすハリーに、これからどうするつもりなのか問いただす場面でのことです。

ハリーは気合を入れて、おばさんの目をまっすぐに見た。そのせいで、おばさんの褐色の目が、ジニーの目とまったく同じ色合いであることに気付いてしまった。これには弱かった。 (7巻6章p.126)

こんな重要なヒントをなぜ逃したのだろう?と不思議に思いました。
好きな人とまったく同じ色合いの目に動揺するハリーは、そのままハリーの目にリリーを重ねるスネイプ先生の姿じゃありませんか!
この一文を書いたローリングさん、散々ハリーはリリーの目と同じと書いてきたし、大きなヒントを出しちゃったわ、と思ったのではないでしょうか。もっとも、先を読み進めば間もなく真相は明かされるし、そろそろ言っても良いかもね的な使い方だったかもしれません。

私自身は目の色で人を識別したことはありませんが、イギリスには日本より多くの目の色の人が存在するので、目の色の与える印象の大きさは日本人には想像できないものがあるのでしょう。
そう言えば、昔読んだ『キャンディ・キャンディ』のキャンディも緑の目をしていて、その目を見て肉親を思い出すキャラクターもいたこともついでに思い出しました。今頃(笑)
もう少し目の色に敏感になっていれば、もっと早くスネイプ先生の思いに気付いたかもしれません。

新しいスネイプ先生 - 2017.03.13 Mon

ジム・ケイさんがイラストを描く絵本版ハリー・ポッター、次に発売される『アズカバンの囚人』の絵の一部が公開されました。
『賢者の石』の初授業のページのイラスト以来、ジム・ケイさんの描くスネイプ先生にはお目にかかっていませんでした。絵本版『秘密の部屋』にはお姿がなかったのです。
今回、新しいスネイプ先生を目にした時は、しばらく動悸が治まりませんでした。
ご覧ください!↓


写真かと思うくらい生命を感じる絵ではないですか!

まず目を引いたのが、髪のねっとり加減、次に血色の良さでした。
髪については、原作ではこれでもかというくらい「ねっとりとした」とか脂ぎった(greasy)」と表現されてきたスネイプ先生の髪、映画では意外とぱさぱさした髪で、少々物足りなさを感じていました。ハリーだけでなく、シリウスや双子に髪のこと言われているくらいですから、誰が見ても感じる髪の脂っこさはあったはずです。これくらいのねっとりして初めて特徴として目に留まるのではないかと思います。

血色の良さがちょっと不思議。先生だってレンガ色に染まる描写がありましたが、この顔色は健康そうで、少なくとも土気色(sallow)ではなく、どんな思いで肌をこの色にしたのか聞きたいです。

指も気になります。
節くれだった感じが少し意外でした。もう少し繊細な指を想像していたからです。
労働者のような手であるところを見ると、魔法に頼らず手作業が多いのかもしれません。
あと、右手と左手で色が違うように見えます。右手が白っぽく、左手が黒っぽい。影かもしれませんが、関節の皺部分が白いので、左手は原材料などで着色してしまっているのかもしれないと思いました。左の袖口の汚れと同じ色にも見えます(笑)

服装については、黒尽くめになっていないところと映画の先生のように白いシャツの上にローブなどを身につけていること少なくとも三枚は着ていることが目を引きました。

でも、何より衝撃だったのは、賢者の石の時の挿絵に比べて表情が穏やかだったことです。
一瞬、誰?と思うくらい優しい目をしていたので驚きました。
でも、画像を拡大していくとだんだんそうは見えなくなってきました。口角が下がって奥歯を噛みしめているようにも見えます。
パッと見優しそうな目も、寂しそうな目に見えてくるし、ちょっと不思議な絵だと思いました。

これはあくまでジム・ケイさんの考えるスネイプ先生ですが、私は映画にしても監督や役者さんの解釈を見せてもらっているという感覚だし、私以外の誰かが語ったり描いたりするスネイプ先生も全てそういう目で見ているので、ジム・ケイさんの解釈を見せてもらうのはとても楽しいことでした。

物語に登場しなかった物品が描き込まれたこの絵には、挿絵にはないジム・ケイさんの思いが込められている可能性があります。でも、私には表情や服装などを見るのが精一杯。
絵の中に登場した物品についての解釈について、実に興味深い記事を拝見したのでご紹介します。書いた方にはリンクの許可をいただいています。一読の価値があります。ぜひご覧になってください。
スネイプ先生の肖像画について
絵画の見方を知らない私はただただ感心するばかりでした。

読書会 - 2017.01.28 Sat

1月9日、スネイプ先生のお誕生日当日、お誕生日会と6巻読書会を行いました。
読書会の議事録へのリンクを貼ります。
ご興味のある方、ご覧ください。
2017読書会議事録(1)
2017読書会議事録(2)

クリスマスクラッカー - 2016.12.25 Sun

先日、ツイッターで何気なく目にした英国大使館の人のツイートを見てハッとしました。
「プレゼント、紙の王冠、ジョークを書いた紙等を入れたクリスマス・クラッカーの両端を隣の人と引っ張りあう」と書いてあったのですが、隣の人、というのがとても気になりました。(元のツイートはこちら

早速英国のクリスマスクラッカーをウィキペディアで調べると、まず形状が日本で目にするものと違うことがわかります。「Christmas cracker
筒状で、だいぶ大きいです。
この形状、かつてのPottermoreにも出ていました。
ポタモア1-28a
赤っぽいキャンディーのような包み

ポタモア1-28b
青い包み
どちらも使用済みのように見えます。実際は以下の図のような形です。

クラッカーa
今年のポタモアのイラストの一部

このキャンディーの包み紙のようなものの両端を隣同士に座った人が引っ張るのがイギリスのやり方で、真ん中で裂けたのが上二つの図だと思います。

ということはっ!
3巻でスネイプ先生が引っ張ったクラッカーは、ダンブルドアと一緒に引っ張った、ということではないでしょうか。

日本語にはこう書かれています。
「クラッカーを!」
ダンブルドアが、はしゃいで、大きな銀色のクラッカーの紐の端の方をスネイプに差し出した。スネイプがしぶしぶ受け取って引っ張った。大砲のようなバーンという音がして、クラッカーは弾け、ハゲタカの剥製をてっぺんに載せた、大きな魔女の三角帽子が現れた。(3巻p.295)

英語はこうです。
‘Crackers!’ said Dumbledore enthusiastically, offering the end of a large silver one to Snape, who took it reluctantly and tugged. With a bang like a gunshot, the cracker flew apart to reveal a large, pointed witch’s hat topped with a stuffed vulture.(UK版3巻ebook)

ダンブルドアはクラッカーの端を差し出していますが、「紐」に相当する文字がありません。これはスネイプ先生はクラッカーの端を突きつけられて、しぶしぶそれを掴んで(took)、引っ張った(tugged)のではないでしょうか。

今までダンブルドアに日本にあるような三角錐のクラッカー🎉を渡され、受け取って1人で紐を引っ張る図を想像していましたが、この筒状のクラッカーの片端を差し出され、もう片端はダンブルドアが持ったまま、スネイプ先生が引っ張った、あるいは二人とも引っ張った、という図が本来の姿のように思われます。少なくとも、イギリスの人達は、この文章からはそんな図を想像したにちがいありません。
翻訳のせいというより、文化の違いで全く違うものが見えていたとは!それを今になって気付くとは!本当に面白いです。

それにしても、ダンブルドアと二人でクラッカーを引っ張る様子、想像すると可愛くて仕方ありません!
マグルのクラッカーには、紙製の王冠と、ジョークを書いた紙などが入っているようですが、出てきたハゲタカのついた三角帽は王冠の代わりということでしょうか。
いえ、わざわざスネイプ先生に声をかけて、引っ張らせたダンブルドア、先日ボガートスネイプが被ったと学校中に野火のように広がった噂を知らないとは思えず、これは明らかに冗談のつもりだったように見えます。きつい冗談です(笑)

9年 - 2016.12.02 Fri

私がスネイプ先生の死を知って、今日で9年になりました。
5巻37章を読んで好きになったのが2004年の10月頃、今から12年余り前ですから、好きになってから生きているスネイプ先生を見られたのはたった3年で、死ぬとわかって読み返したり考えたり語ったりしている時間のたった1/3に過ぎないことに驚きます。そして、その差は年々開いていくのですね。

スネイプ先生の運命がどうなるかわからず、やきもきしながら読んでいた頃の輝いていたこと!
同じ様な輝きは二度と訪れませんが、熾火のように燻り続ける思いはなかなか消えません。
時々スネイプ先生に関する新しい情報が出て、その熾火に燃料を投下していくので。

以下、『呪いの子』ネタバレです。



お知らせ - 2016.11.16 Wed

多忙のため、しばらく更新滞ります。

直筆画 - 2016.08.24 Wed

7/31に発売された「Harry Potter and the Cursed Child(邦題:ハリー・ポッターと呪いの子) 」読み終わりました。日本語版が発売されるまで、こちらでもネタバレを含まないよう、細心の注意を払っていきたいと思います。

さて、もう一か月以上前ですが、PottermpreのPotionsの項目を何気なく開き、目を通していた時のことです。文章は以前日本語にも訳されていたもので目新しくはありませんでしたが、スクロールした先に初めて見る画像がありました。
Pottermore Potions

リンク先の記事の真ん中辺りにあるローリングさん直筆の画像です。
ポタモアスネイプ先生t
JKRのサインの入った絵

これまでローリングさんが描いたスネイプ先生の絵はいくつか見てきましたが、これはこの時初めて見たものでした。他の絵について語った記事はこちら。「」「眉毛」「手の位置」「新スネイプ先生
けれども、今まで見てきた絵と大差なく、やはりこれがローリングさんの考えるスネイプ先生なのだな、と思わされます。

今回初めて見たこの絵の最大の特徴は、授業中のスネイプ先生の姿である、ということです。
今までは単独か、ただ集団に紛れているか、でしたが、これは作者が思い浮かべる魔法薬学の授業中の光景でもあるわけです。

スネイプ先生以外でまず目を引くのは、鍋の大きさです。
かつて何度か授業で使う鍋のことを考えてきましたが(「大鍋」「大鍋2」「大鍋3」「大鍋4」)、これでサイズは明らかになりました。
やはり私が読んでイメージしていた大きさと同じくらいだったわけです。(トランクに入る理由もPottermoreで明らかにされています)

火の姿が見えませんが、これについてはオフで語った時にバーニャカウダポットみたいになっているのではないか、という説が出ました。これについては、考える余地が残されていますね。

鍋以外に気付くのは、生徒たちが三角帽をかぶっている、ということです。
これは以前からそうではないかと気になっていました。
というのは、新入学時に送られてきた必要な物リストに三角帽がありながら、その描写が少ない一方、追い払い呪文の練習、パーバティの帽子を吹っ飛ばす、という描写があったからです(「とんがり帽子」)、いちいち書かないけれど帽子は被っているのが大前提なのかも、と思っていました。
スネイプ先生学生の頃に帽子を被っていることを示す描写は見つけられていませんが、この絵のように、三角帽をかぶって黙々と魔法薬を作るセブルス少年を想像するのは楽しいです。

次はスネイプ先生本人をじっくり見てみましょう。
髭、眉毛、手の位置、どれもかつて話題にしたことから外れていません。
髭は長く伸びるわけではなく、かと言って無いわけでもなく、今回も点として表現されています。私は作者直筆のスネイプ先生の顔を見るたび、口の周りに点を入念に描き足していくローリングさんの姿が思い浮かび、「これは外せないんだなあ」と可笑しくなります。外せないなら、どこかに無精髭の存在を伺わせるような描写があれば、もっと楽しかっただろうと思うのですが…

眉毛もやはり濃いですね。鼻にまでかかっていそうに見えますが、そんな人はいないので、鼻の上の黒いものは影かもしれません。
目がカメラ目線というかこちらを見ているのは、ファンのためのサービスかもしれませんが、こちら側にも生徒がいるからのような気がします。授業中のスネイプ先生は、ハリーだけを見ていたわけではなく、色々な生徒を見ていたと信じているし、生徒のいない方を見ているとは思えないからです。

他の絵でもそうでしたが、頬がこけているのもわかります。
ほうれい線と額の三本の皺も気になります。
描かれたハリーたちの風貌はまだそんなに学年が上のようには見えません。ということは、スネイプ先生も三十代前半だと思われるのですが、だいぶ老けて見えます。二重スパイとしての心労やホグワーツ校の教師としての激務などで憔悴しているのではないかと思われます。

手は例にもれず袖で隠すような形で前にきています。やはり腕組みしながら歩いているのでしょうか。
生徒達の前でも無意識に自分をガードする姿勢を取るスネイプ先生が切ないです。

あと気になるのは服装そのものです。
ローブに布がたっぷり使われているのが見て取れます。
この絵では踏み出した足(靴)が見えていますが、どうも少し裾は引きずっているようにも見えます。ローブを翻して歩くスネイプ先生、ホグワーツの床掃除も一緒にやっていそうです。
それから袖口!
これ、こんなにゆったり作られていて大丈夫なのでしょうか?
手を挙げたら肩までずり落ちて、腕がむきだしになりそうです。左腕に刻印された闇の印が丸見えにならないか心配です。
肌着的な何かを着ているのでしょうか。
もしかしたら、生徒の前で簡単に腕がむきだしにならないよう、組んでいるのかもしれません(笑)

パンツ再考 - 2016.07.18 Mon

昨日、Twitter上でスネイプ先生のパンツの話題が再燃しました。
どんな種類のパンツを穿いていたのか、というアンケートがあったのです。
私ももちろん投票しました。

スネイプ先生のパンツについて、今まで何度ブログやオフ会、Twitterなどで話題にしてきたでしょう。
このブログでも10年前に語っていました。「ローブとパンツ
この、常にファンの想像力をかきたてるスネイプ先生のパンツについて、再度考えてみました。
どんなパンツを穿いていたかマグルのパンツ事情から探る、という真面目な考察です(笑)

オフで語ったり、Twitterなのでのアンケートを見ると、ボクサー型だと考える人が結構多いです。
しかし、ボクサー型は比較的新しいデザインだとの認識が私にはあり、ではいつからか、と調べてみました。ウィキペディア「ボクサーブリーフ」にその歴史が載っています。

1992年にカルバン・クラインが発表したデザインのようです。(余談ですが、「カルバン・クライン」のブランド名を見ると、私はどうしても「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を思い出します)
カルバン・クラインの広告の推移がわかる記事を見つけました。
カルバン・クラインの広告の歴史は、攻めの歴史だった!世界を変えた衝撃ポスター
カルバン・クラインのサイトでは男性下着だけではないものの、下にスクロールすればもっと詳しい推移が見られます。
TIME LINE
1982年、1985年あたりでは、白いブリーフを穿いているんですね!(ちなみに1985年だとスネイプ先生は25歳です)きっとカルバン・クラインが1992年に発表したこのデザインが、ボクサーパンツの始まりだと言われているのですね。

1992年だとスネイプ先生は32歳、マグルのデザインの変化についていくことはできたでしょうか。
Pottermoreに作者の興味深い解説があります。
「一般的に、若い世代はマグルの文化に精通しています。これは、子どものころは魔女や魔法使いもマグルの友達と自由に交流するためです。ですが、やがて魔法界で職に就くと、一般的なマグルの服装について情報を仕入れるのは難しくなります。」(旧Pottermore 日本語版、作者の言葉「衣服」より)

子ども時代、マグルの男子の友達がいたかどうかはともかく、マグルの居住地で暮らし、父親もマグルだったセブルスは、服装のコーディネイトはちぐはぐであっても、下着はマグルと同じだったのではないかと思われます。そして、他の多くの大人の魔法使い同様、職に就いた後は、一般的なマグルの服装についての情報を仕入れるのは困難になっていったのではないでしょうか。特に1992年といえば、ホグワーツでは秘密の部屋が開けられて大騒ぎでしたし、12歳の無鉄砲なハリーを見守るのに忙しかったでしょうから、スネイプ先生は、とてもマグルの服装の情報を手に入れる時間などなかったと思います。

ところで、カルバン・クラインはアメリカのブランドです。イギリスの状況を知りたいと思い、イギリスのブランドを探してみました。
すると、2001年に設立されたというイギリスの男性下着のブランドのサイトに、とても興味深いことが書かれていました。
「aware SOHO社 our story
「It was 2001 and I was getting bored with my job as a lawyer. A friend of mine had just joined a new gym and was moaning that he could not find decent pair of briefs in London that had a bit of personality ; « underwear is just white, white and white with the occasional pair of black boxer briefs » he said. So we decided to star tour own brand of underwear with lots of colours and prints and we called dit AWARE.」
創設者は弁護士だったようで、2001年にジムに通い始めた友人がロンドンではまともなブリーフが見つけられない、白ばっかり(時々黒のボクサーパンツ?)、と嘆いていたことから、カラフルでプリントのある下着ブランドを立ち上げることにした、というような意味だと思います。

重要なのは、2000年を過ぎても、イギリスではおしゃれなロンドンでさえも白いブリーフばかり売っていた、という点です。
アメリカでは既にカラフルなものも売られていたかもしれませんが、2001年までイギリスの下着は白一色だった、ということです。そして、トランクスについては触れていないので(このブランドの商品を見ると、ブリーフとトランクスとボクサーを区別しています)、トランクスも一般的ではなかったのではないかと思われます。あくまでマグルの世界の話ですが。

2001年といえば、スネイプ先生は既に亡くなっています。仮にスネイプ先生がマグルの情報をいち早く入手するタイプだったとしても、存命中には市場に出回っていなかったでしょう。
となると、やはり生涯白いブリーフ(が灰色に汚れたもの)を穿いていた、と考えて良いのではないでしょうか。スネイプ先生は、子どもの頃から慣れ親しんだ白いブリーフをずっと(もちろんサイズは変わりますが)愛用していたに違いありません。

箒なしで空飛ぶ方法 - 2016.07.03 Sun

昨日オフでハリポタを話していて、こんな話題になりました。
箒を使わず空を飛ぶことはヴォルデモートが開発した闇の魔術であり、闇の魔術と言われるからには、ホークラックスに準ずるような肉体改造的な何らかの禁忌を犯しているかもしれず、だとしたらそれを伝授されたスネイプ先生も同じような禁忌を犯していることになるけど、それだけは嫌だ、という話です。
私は肉体改造的な禁忌を犯した、という発想は全くなかったので驚くとともに、やはりとても嫌だと思いました。
 
「人の姿のままで、なんの助けも借りずに飛ぶことを可能にするような呪文は、いまだに考案されていない」(クィディッチ今昔第一章p.15)とありますから、開発したのがヴォルデモートなら、ホークラックスのように常人には考えられないようなおぞましい方法を取った、と考えるのは、むしろ自然なことかもしれません。
でも、私は敢えて肉体の改造なく行った、という方向で考えてみようと思います。魂と心に傷を負ったスネイプ先生を、これ以上傷つけたくはありませんから。

まず、闇の魔術と言われることについて。
闇の魔術、と呼ばれるから、魂を傷つけるホークラックス並みのおそましさを連想するかもしれませんが、実のところ、闇の魔術Dark magicにはJinxやHexも含まれており、程度の差は様々です。
「Hexes:
Has a connotation of dark magic, as do jinxes, but of a minor sort. I see 'hex' as slightly worse. I usually use 'jinx' for spells whose effects are irritating but amusing.
Curses:
Reserved for the worst kinds of dark magic.」(旧J.K.Rowling Official Siteのコピーサイトより)

言ってみれば、コウモリ鼻糞の呪いだって闇の魔術の一つになるわけです。
作者が、ヴォルデモートが箒なしで飛ぶことをどの程度の深刻さで「闇の魔術」と言ったのか、ソースを見つけられていないのですが、それほどおぞましいものとは限らないと思っています。

飛行ではありませんが、身体を浮上させる呪文はプリンスの開発したものとして登場しました。レビコーパスの反対呪文リベラコーパスを、ハリーは「反対呪文(counter-jinx)でありますようにと祈りながら(6巻上p.360かけていますが、そこにjinxが使われているならレビコーパスも闇の魔術の一種と思われます。
それが重力に逆らって身体を浮上させるという似たような働きをするにもかかわらず、術者のハリーも術をかけられたロンも、特別な肉体改造が必要ではなかったところを見ると、箒なしの飛行もその程度の可能性があります。

以前、Twitterで北アメリカの魔法使いの話題から、杖なしで魔法を使ったり箒なしで飛べる魔法使いはホグワーツにいますか?と尋ねられて、いいえ、箒を使う文化的な伝統があります、それに箒なしの飛行はとても危険です(No, there's a cultural tradition of using wands and broomless flight is (as you might imagine) very risky!)と作者は答えています。箒なしで飛ぶことは「本人にとって危険なことだから」敢えて禁忌を犯さない魔法、闇の魔法と呼ばれている可能性もあるのではないでしょうか。



飛ぶことについて。
これは鳥のように飛ぶのなら、翼とそれを動かせる筋力を得るために肉体改造は必要になってくるかと思います。
でも、飛行機のように飛ぶなら、揚力を得る魔法でなんとかなるのではないかと思います。天気を変える呪文があるなら、気流を調整する魔法だってさほど難しいとは思えません。
また、前述のレビコーパスもそれほど高い位置ではありませんが、重力に逆らって人を浮かべることができるし、モビリコーパスは浮かべた人を移動させることができます(これは意識のない状態の人を、物のように動かしただけかもしれませんが)
他人にかけるレビコーパスやモビリコーパスのような、ある程度似通った魔法から、応用で自分を浮かせて飛ぶことを思いついたとしたら、肉体的な変化はなくともできそうに思えます。

以上のことから、箒なしで飛べる魔法は、開発したのがヴォルデモートだったにせよ、魂だけでなく肉体まで傷つけるような方法ではなかった、と信じています。

汗(1巻) - 2016.06.01 Wed

ファンアートなどで、スネイプ先生が額などに汗をにじませている姿が好きです。
暑さや運動などでかく体温調節のための汗より、焦っている時とか、たじたじっとなっている時とか、やばいと思っている時とか、精神的なもの、緊張を伴うものが好きです(何の話をしているんでしょう?)あ、熱があったり、苦痛時の汗も好きです(^^;;

作品中でもそんな汗をかいている場面が結構あったのではないかと思い、探してみることにしました。妄想の目で見ればどこでも当てはまってしまいそうですから、それなりに説得力のありそうな場面に留めておこうと思いますが、無理かもしれません(笑)主観ばかりですが、良かったらお付き合いください。

・ハリーが入学してきた日
クィレル先生のターバン越しに目が合う直前に初めてハリーは「ねっとりした髪、鉤鼻、土気色の顔をした先生」を認識するわけですが、スネイプ先生の方はハリーが大広間に入ってくる前からハリー・ポッターが来ることはわかっていて、一年生の列に視線をやって、その中から簡単に見つけて、組み分けの儀式を背後から見て、ハリーが教職員テーブル見る時は視線を外して、そうじゃない時にこっそり見て、ということをやっていたのなら、脇汗くらいはかいていたのではないかと思います。
目が合った時、「大嫌い」という目をしていた、とハリーは感じますが、最期に言った言葉からしてもハリーの目にリリーを見ていたことは間違いなく、最初に目が合った瞬間のドキドキ加減はいかばかりか、と思います。その日は二度と目が合わなかったことからも、かなり注意深く過ごしていたと思われ、目が合った時のショックと伝う冷や汗を想像します。

・初授業
この時ハリーはスネイプ先生の目を「冷たくてうつろで暗いトンネルを思わせた」と見ているので、スネイプ先生は閉心術で武装して授業に臨んだのだと思います。色々シミュレーションしていたと思われ、大抵のことには動じず、自分のペースで授業を進めているように見えます。ただ、ハリーが『頑張って、冷たい目をまっすぐに見つめ続けた』時は、次の質問をすることで耐えたんじゃないかな、と思われ、そこにわずかな汗は期待したいところです(妄想の目を通さない決意が揺らぐ)
ネビルが鍋を溶かす、というのも怒鳴っているところを見ると、不安の表れのようで、この時も脇汗出てたんじゃないかと思います。

・ハロウィーンの日
トロールが地下室に現れたと聞いて、スネイプ先生が向かった先は4階でした。1階の大広間から急ぎ足で4階まで行ったスネイプ先生は普通に汗をかいていたと思います。
しかし、肝心なのはその後です。三頭犬に脚を噛まれた後に女子トイレ(何階なのか不明、反対方向に行こうとするハッフルパフ生に紛れ込んだのと、音を階下の誰かが聞きつけたと言っているので1階?)までやってきたスネイプ先生、映画ではこの時ハリーに足の傷を見られていますが、原作では何も気づかれていません。後に脚を引きずって歩く姿が目撃されていますが、この脚で階段を降り、何事も無いように振舞うスネイプ先生、痛みに冷や汗が出ていたかな、と思います。

・片足引きずって歩く場面
傷のある脚は、体重を乗せられないほど痛むから引きずるのです。ロンが望む通り、ものすごく痛くて、そして額にはじんわり汗がにじんでいたと思います(妄想です)

・ハリーにズタズタの脚を見られた時
「ポッター!」と声を荒げ、急いでガウンを降ろして隠したスネイプ先生、相当狼狽しているようです。これは漫画などであたふたしている時に描かれる💦💦がふさわしく思います。ついでですが、唾も飛んでいたと思います(笑)

・反対呪文をかけている時
クィディッチの試合中、クィレル先生の呪いに対して反対呪文を唱えている時、ハリーから目を反らさず、背後のハーマイオニーにも気づかず一心に呪文を唱えるスネイプ先生、一瞬の気の緩みがハリーを箒から振り落とすことになりますから、とても緊張していたと思います。杖を握る手は、手汗に湿っていたかもしれません。

・クィディッチ審判の時
スネイプ先生は箒は得意ではないと私は考えているので、そもそも箒に乗って選手の動きについていくこと自体とても大変なことだと思います。本来の目的は、ハリーがクィレルの呪いを受けないことにあったわけですから、いくらダンブルドアが見ていたとしても、やはりハリーの動きも捉えつつ、審判としての役割を果たさなければならなかったとしたら、身体への負担は相当なもの、終了時に青白い顔をしていたのも頷けます。相当冷や汗かいていたんじゃないでしょうか。

・クィレルを脅していた場面
ここは判断に迷うところです。どの程度ヴォルデモートを意識していたかがわからないので。クィレルだけを相手にしているつもりなら、余裕でしょうが、後頭部にいることは知らなくてもヴォルデモートの存在を感じていたら、口ほどの余裕はなく、慎重に言葉を選ぼうとする態度は汗をかかせていたのではないかと思います。

・寮杯がスリザリンではなくグりフィンドールに与えられるとわかった時
苦々しげな作り笑いでマクゴナガル先生と握手している時、驚きや怒りなどの感情を押し殺し笑って握手するスネイプ先生に敬意を表しますが、ねっとりした髪の下、頭皮を伝う怒りの汗はあったと思います。

記念の日に - 2016.05.02 Mon

今日、5/2はホグワーツの決戦の日。
物語中では1998年の出来事でしたから、今日は18年目の記念日ということになります。

7巻31章「ホグワーツの戦い」を昨晩読み返そうと思いました。
読み始めて間もなく、大広間に集められた生徒達の中のスリザリンの女子生徒が「スネイプ先生はどこですか?」と叫びました。
マクゴナガル先生は「スネイプ先生は、俗な言葉で言いますと、ずらかりました」(7巻31章p.331)と答え、その答えにグリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクローの寮生たちから大歓声が上がった、という記述があり、私は打ちのめされました。

生徒も先生も何も知らないとは言え、スネイプ先生が闇の陣営に属していると思われていたとは言え、あまりにも残酷な描写ではないでしょうか。元寮監で現校長のスネイプ先生はスリザリン生にとってスラグホーンよりずっと身近で頼れる存在だったはず。その姿が見えず、不安に思ったから女子生徒は叫んだのではないですか?
俗な言葉と前置きして茶化して説明したマクゴナガル先生も、大歓声を上げた他の寮生たちも、後に真実を知って、少しでも胸を痛めてくれたら、と思います。

18年経った今も、きっとイギリスのどこかにこの場に居て生き残った人々がいるはず。
今の平和は、ハリー・ポッターとその友人たちの協力だけで得られたものでないことを、記念のこの日に思い出して欲しいです。

姿現し - 2016.04.13 Wed

6巻を読み返していて、ふと『姿現し』のことが気になりました。
魔法省の講師トワイクロスが教えた『姿現し』、その時彼は覚えておかなければならない大切なこと、として三つのDを挙げました。「どこへ、どうしても、どういう意図で」
これは、英語ではDestination(目的地), Determination(決意、決断力), Deliberation(熟考、熟慮)となっています。(だいたい同じ意味になっているところがすごいです!)

初めての『姿現し』の練習で、ハッフルパフのスーザン・ボーンズにばらけが起こった時、トワイクロスは「心が十分に「どうしても(Determination)と決意していない時に起こります」(6巻18章、p.97)と言いました。
けれど、「どうしても」が足りなかったにしても、わずかでも移動できたのはスーザンだけのようでした。
ハリーはこの時上の空だったので仕方ないかもしれませんが、それなりに真剣に取り組んでいる生徒のほとんどが失敗していることを考えると、この実技、どういう生徒に向き、スネイプ先生は学生時代どういう取り組み方をしたのかと考えたくなります。

ロンはかなり苦戦し「『姿現し』のコツがどうしてもつかめないんだ」(6巻21章p.213)と嘆く場面がありました。
ハーマイオニーは「ばっちり」で、試験後にトワイクロスにかなり褒められたようです。ハリーが試験を受けたのかどうかは明らかではありませんが、練習ではロンより早く成功していたし、洞窟からダンブルドアを連れ帰ることができたし、その実力は確かなようです。

全ての「D」が噛み合って成功するのだと思いますが、未熟者の成功を妨げているのは、「どうしても」と「どういう意図で」が大きいように思います。ロンは試験で目的地がずれてしまいましたが、それは大きな減点にはならなかったようですし。
割と体で覚える系の魔法は苦手そうなハーマイオニーが上手くできたのも、「決意」と「熟考」が求められるなら、それは得意な分野だったのだと思われます。ハリーも同様です。意志の強い人ほど習得し易いイメージです。

では、学生セブルスはどうだったでしょう?
「決意」と「熟考」も長けていたと考えるので、体得は早かったと推測しています。
元々の気質もそうですが、5年生でO.W.L試験を受けた日にリリーに死喰い人になろうとしていることを否定しない、と言われている点から、死喰い人に片足入れていたと思われ、その活動に必要そうな全ての魔法や技術は手に入れたいという決意は強かったのではないかと思います。また、空間を移動すること自体への学術的な興味も強かったのではないでしょうか。
きっと誰よりも早く『姿現し』できるようになって、試験も難なくクリアしたと思います。

それでも、ハリーたちの練習で最初に誰も成功しなかったのに、トワイクロスが「かまわん、かまわん」と集団よろけ状態以上のことを期待していなかった様子を見ると、誰も皆初回は上手くいかないものだということでしょう。
大広間で、1.5m間隔に生徒たちが並ぶ中の一人として、前に置いた輪っかに意識を集中させ、回転してよろける学生セブルスを想像すると実に楽しいです。よろける姿、大好きです(笑)

エイプリルフール企画 - 2016.04.01 Fri

今年は時間がなくてテンプレートを替えることはできなかったのですが、せめて、パスワードがないと開かない場所を用意しました(一つ前の記事です)
正確には、パスワードを導き出すためのクイズを楽しんでいただくことがメインで、鍵を開けた先には今回も大したものはご用意できていませんが……。
この場所を含め、四つの場所にヒントがあります。詳しくは、「こちら」をご覧ください。

第三のヒント

ベールの向こう - 2016.03.10 Thu

先日、「ベールの彼方に の全体的な解釈をお聞かせ下さい」「シリウスの遺体が消えて無くなってしまったことの解釈をお聞かせ下さい」という質問を受けました。いつもスネイプ先生のことしか考えていない私には、とても難しい質問でした。
その方は、作者の都合でシリウスの遺体がなかった、その行く末を書くことが、もうめんどくさくなっちゃったのかな?とお考えのようでしたが、私はそもそも作品全体が作者の都合だと捉えていて、作者の都合は登場人物のセリフや行動、世界観に反映されていると考えているので、きっと何か理由はあると思って考えてみました。

作品の中の死には、作者の死生観が強く影響します。作者に信仰があるなら、宗教との関わりも無視できません。この場合はキリスト教ですが、さすがにキリスト教の死生観を調べて咀嚼して飲み込んで消化するのは一朝一夕にはできませんから、そこは一切省いて考えてみました。

私は、ベールはこの世とあの世を隔てる物として考えています。
つまり、あの世はハリー・ポッターの世界に確実に存在する、という考えです。
そこに存在するのは死者の魂です。
死んで身体だけこの世に残り、魂が向かうのがあの世(天国)だと思っています。
傷ついたり分割して物体に収めることのできる物として扱われた魂は、心よりもずっと確かな物としてハリポタの世界に存在しています。
ゴーストのことを、「この世を離れた魂が地上に残した痕跡だ」(6巻p.)とスネイプ先生が授業で説明しています。
また、ニックは「私は残ることを選びました」「私がいるのは、ここでも向こうでもないのですから」(5巻38章p.684)と言っています。、生きた肉体からは離れたけれど、ベールの向こうの世界に行くことを拒んだ魂がゴーストなのだと思います。

シリウスが身体ごと消えてしまったことについては、死は「不可逆反応」だということを知らせるためのものだと解釈しました。一方通行の反応だということです。

魔法使いは、魔法によってこぼれた水も盆に返せますし、アイテムを使えば時間だって遡ることができます。
マグルがやり直したいことは大抵魔法でできてしまう。
ただ、死だけは逃れることができない。一度死んだら何をしても生き返れない。
ヴォルデモートが死を恐れるのも、自分の力ではどうすることもできないとわかっているからだと思います。

たぶん、シリウスは生きたままアーチをくぐったのだと思います。
なぜなら、ベラトリックスの呪文は胸に当たった時はまだ笑顔だったのに、アーチをくぐる時は恐れと驚きの入り混じった表情になっていたからです。
生きたまま向こうに行ったのに帰ってこられない、これこそが、一方通行を決定付ける表現だと思います。

上にも書きましたが、ハリポタの世界では、魂は心よりずっと確かな存在として描かれています。
傷ついたり分けることができたり、ディメンターが魂を吸い取るという表現も、体が傷ついても魂は無傷という表現も、魂は身体の中にありながら別の物として存在していることを表しています。
通常は身体から魂だけがアーチの向こうに行くものなのでしょうが(行くことを拒むとゴーストになる)、シリウスの場合は身体ごと行ってしまった。
それでも、魂が行ってしまえば戻る術(すべ)はない、という非情さを知らせる手段がアーチにかかったベールだったと私は考えています。生きた人間が行っても戻って来られないからこそ、ルーピンはハリーが行ってしまわないようになんとか抑えていたのだと思います。

ただ、神秘部ではアーチの研究をし続けているようですから、いずれ魔法使いは向こうの世界と行き来できるようになるかもしれませんし、その時にシリウスが戻ってくるための布石かもしれないと思っています。

白髪 - 2016.02.08 Mon

先日同級生が数人集まる機会があり、白髪の混じり具合に個人差があることに気付きました。
白髪の個人差というとまずルーピン先生を思い出します。

ルーピン先生が初めて登場した3巻に
まだかなり若いのに鳶色の髪は白髪混じりだった(3巻5章p.99)
と書かれています。
この時、ルーピン先生は33歳でした。33歳で白髪が混じっているのはやはりまだ早いでしょうか。スネイプ先生はどうだったのでしょう?

ここに気になる文章があります。
ポッターモアにリータの言葉として書かれていたローリングさんの文章です。
ポタモアがリニューアルした時、ほとんどの記事(英語のみ)が新サイトに引き継がれたのですが、リータの記事は検索しても見当たらないので、削除されてしまったのかもしれません。
ポッターマニアさんに和訳の記事が残っているのでリンクします。
和訳のあるポッターマニアさんの記事
2014年7月8日に開催されたクィディッチワールドカップの決勝に現れたポッター一家の様子を書いた中に、「間もなく34歳になるこの有名な『闇祓い』の黒髪には数本白い物が混じっている」と書かれているのです。
ちょうど3巻のルーピン先生と同じくらいの年齢のハリーには、白髪があった、ということですね。

ローリングさんが書いた文章ではありませんが、映画の「19年後」の場面には、皆少し白髪も混じっていたようです。この時ハリーは37歳ですからさらに白髪も増えていたかもしれません。(『19年後』は来年ですね!)
19年後について、これもまたポッターマニアさんでまとめた記事があり、そこに白髪についても触れられていたので、ご覧ください。
知っておきたいハリー・ポッター「19年後」に関する26の真実

何が言いたいのかというと、33歳のルーピン先生は33歳にしては白髪が多すぎたのは確かでしょうが、33歳のハリーの髪に白髪を混ぜたローリングさんの文章にしても、37歳のハリーたちに白髪を入れた映画関係者にしても、30代ではある程度白髪があるのが当然と考えているのではないか、ということです。
で、作品中31歳から38歳までの姿を見せてくれたスネイプ先生にも、やっぱり少なくとも数本くらいは白髪はあったのではないかな、と思うのです。

しかし一方で、特に描写がないなら、白髪も目立たなかったのだろうか、とも思います。
結構ハリーはスネイプ先生以外でも他人の髪の毛を見ているようで、ボウボウと長い髪(ハグリッド)、栗色の髪がフサフサして(ハーマイオニー)、流れるような銀色の髪(ダンブルドア)、白髪を短く切り(マダム・フーチ)、金色に輝くブロンドの髪(ロックハート)、バサバサの白髪頭(スプラウト先生)…など色々な表現が出てきます。
スネイプ先生はねっとりとした黒髪とか、脂っこい黒髪を肩まで伸ばし、べっとりとした髪、などと毎回脂っこさばかり強調されていて、色も黒としか表現されていません。
もし、ハリーが年の経過と共にスネイプ先生の髪に新しい特徴を見出したら、何らかの(悪意ある)表現をしたのではないかという気もします。ルーピンのことは、年を追うごとにみすぼらしく、白髪が増えているように表現しているのですから。

1997年の6月にスネイプ先生を見た後、翌年の5月1日に見るまでハリーはスネイプ先生をほとんど1年、生で見ていなかったわけですが(新聞の写真やヴォルデモートとの繋がりでは何度か見ていましたが)、心に憎しみが煮えたぎった状態で改めて外見的な特徴に言及したハリーは、白髪のことまでは触れませんでした。憎しみの余り新しい特徴に気付く余裕がなかったのでしょうか。

物語中の7年という時の流れの中で、生徒達の成長だけでなく、スネイプ先生にも外見な変化はあったと思うのです。
むしろルーピンより心労はあったように思われ、顔色は常に悪く痩せていた様子を見ても栄養状態だって良好とは言えないようだし、髪が健康な状態だったとも思えません。
ハリーにはスネイプ先生の外見の経時変化に、もう少し気付いて欲しかったです。

スネイプ先生お誕生日おめでとうございます! - 2016.01.09 Sat

スネイプ先生、お誕生日おめでとうございます!
今年もスネイプ先生を愛する方々と先生のお誕生日をお祝いするつもりです。
まだ日付が変わったばかりなので、ケーキは去年の物を上げておきます。
IMG_2577a.jpg
スネイプ先生のベッド型ケーキ
IMG_2579a.jpg
羊皮紙風のメッセージカード
今年のケーキがどんなものになるかは、後日日記の方でご確認ください。

先日ローリングさんの語ったスネイプ先生の内面に、すっかり気持ちを挫かれてしまった私でしたが、その後色々な方とお話しするうちに再びスネイプ先生のことを考えようという気持ちが湧いてきました。
私に火をつけたのは、ポッターマニアさんのこの記事です。
ヘドウィグを殺したのはスネイプ?新説がネットで話題に

これをTwitterで見た私はこう言いました。



これに対し、ポッターマニアさんから反応がありました。



このリプライをいただいた時、私はスネイプ先生がルーピンの守っているハリー(実際はジョージ)を本物だと思わないで追うとは考えてもいなかったので、どういう意味なのか理解できず、まだそれぞれの目的地に向かう前の話をしているのだと思いました。

後に、別なスネイプ先生ファンの方とお話ししたら、その方はスネイプ先生が、どの組が本物かわからないまま適当な組を追った可能性も50%くらい考えている、とおっしゃり、その時初めてそういう可能性もあったのか!と思いました。

私の思い込みだと判明したわけですが、どう考え直しても、私のイメージするスネイプ先生は、本物だと思わない組を追ったりしないことも判明しました。
つまり、7組のポッター&護衛がいた時、たとえヴォルデモートから「おまえはマッドアイを追え」と言われたとしても、やっぱり自分の信じるところの組を追ったと思うのです。後でその点責められても、上手く言い逃れる術(すべ)は、持っていたと思うし。
ヴォルデモート自身、最初はまっすぐマッドアイ組を追い、マッドアイの顔に呪いが命中して墜落してからは、キングズリーの組を追い、ハグリッドが守るハリーが本物だと知らされた時点で本物の所に追いついています。
ヴォルデモートだって適当に追ったのではなく、護衛の能力の高さから判断して選んだのだと思うし、スネイプ先生はスネイプ先生で、「箒」と「ルーピン」という組み合わせで選んだのだと私は思います。
ハリーの箒の乗り手としての腕と、ルーピンがハリーを大切に思う気持ちやルーピン自身の能力の高さとを総合して、「これだ」と思ったからこそ、急襲のどさくさの中から抜け出した組のうちルーピン組について行ったのだと信じています。
ダンブルドアに言われた「もっともらしくきみの役割を果たせ」の指示も、自分の信じるハリーと護衛の組を守る点では逸脱せず、他の部分で死喰い人らしく振舞おうとし、事故によって結局大変死喰い人らしい役割を果たしてしまったのだと考えています。

上記の文章を書くのにそれほど時間はかかりませんでした。
自分の思うところを一気に書きたいという衝動は久しぶりです。
反論されると自分の考えがまとまるのでとても燃えます(笑)
作者によって明らかにされる事実はどんどん増えてきますが、まだまだ語る余地は残っていると確信した出来事でした。
私は私のスネイプ先生像を、これからも追求していこうと思います。

8年 - 2015.12.02 Wed

私がスネイプ先生の死を知って今日で8年になりました。本当の命日ではないけれど、今も私にとっては12/2は重要な日です。8年前の今日は、人目を忍んでだいぶ泣きました。

何年も経つうちに、その悲しみも癒され、静かにこの日を迎えるようになっていたのですが、つい先日、ローリングさんがまたも思いがけない事をTwitter上で発言して、久しぶりに心を乱されてしまいました。
スネイプ先生が何のために死んだか、何をしたかったかを、ファンの質問に答える形で語ったのですが、それはまさに私が一生かかって考え続けたい、と思っていたことでした。

人の心の内など、当人ですらわからないものだし、ましてや他人などには一生かけてもわからないでしょうから、ライフワークになるな、と思っていたのですが、実在の人物と違って、物語の登場人物には創造主がいたのです。神とも呼べるその人が、こうである、と語ってしまったら、私はそれを受け入れるしかありませんでした。考えたこともないような突飛な話ではなく、むしろ私も「すかな?」とは思ったことのある内容ですが、確定しないでいて欲しかったです。

今回わかったことですが、私の楽しみ方は、キャラクターを自分の中で発展させるタイプではなく、作者が描いた通りのスネイプ先生の姿を探すことにありました。元々は何を考えているかわからないスネイプ先生の人物像を私の中で明らかにする目的で始めたブログでしたが、人物像がある程度定まった後、私が目指したのは、作者が描いた真のスネイプ先生の姿を見つけることでした。「私の解釈=作者の言いたかったこと」になるようにしたかったのです。

スネイプ先生の中に一本通っているすじが何なのかよくわからないまま、ぶれないその姿に惚れ込んで、芯にあるものはずっと考え続ければ良い、私自身年齢によって見方も変わるのだし、と長い目で見ていく気満々でした。
ところが、それが明かされてしまったのです。

前述の通り、私は私なりの解釈でスネイプ先生の人物像を作り上げることより、作者が描きたかったスネイプ先生という人物を『探す』ことに重きを置いていたため、スネイプ先生のことをもっともっと知りたい、という熱い気持を失ってしまいました。
これは本当に辛いことで、知りたい気持ちを失ったとわかった日、涙が止まらず、久しぶりに泣きながら寝ました。翌日、泣き腫らした目は一日中痛くて、その感覚は8年前のスネイプ先生の死を知った翌日にそっくりでした。
スネイプ先生には本当に泣かされます(笑)

今回はまるで涙の質が違いって戸惑っていますが、これだけ泣けるなら、愛まで失ったわけではないと信じたいです。表現の方法がわからなくなっただけで。
しばらくは迷走しつつ、自分の気持ちに向き合い、今後の在り方を考えようと思っています。

ローリングさんの言葉の日本語訳がポッターマニアさんにあるので、まだご存知ない方はそちらをご覧ください。
ハリー・ポッターが息子にスネイプの名前をつけた理由

匂い - 2015.10.26 Mon

先日、スネイプ先生の匂いについて作者が言及したことについては、日記で語りました。
2015.10.02 匂い!!!
Twitterでwhat does snape smell like?と聞かれたローリングさん、Bitterness and old shoes.と答えたのです。

これは私にとってはかなり衝撃でした。
ほぼハリーの目を通して描かれる作品中の描写にスネイプ先生の匂いについての記述はなかったため、それは取り立てて言うほどの特徴はないと考えていたからです。
ハリーはスネイプ先生の外見について、まだスネイプ先生と直接言葉を交わさないうちから、「バカバカしいターバンを巻いたクィレル先生は、ねっとりとした黒髪、鉤鼻、土気色の顔をした先生と話していた」(1巻7章p.187)という見方をしていました。
人物の特徴を捉えて具体的に表現するのが上手なハリーが、まだ悪意の感情がないうちから「ねっとりした黒髪」とか、「土気色の顔」とか感じているのです。
悪意のフィルターを通すと、顔色を「汚いレンガ色」と言ったり、全体の姿を「性悪なコウモリを思わせる」と言ったり、容赦ありません。
そのハリーが、スネイプ先生の匂いについて何も言っていないのです。
ハリーの嗅覚が鈍いとか、視覚的な情報しか描写しないとか、そういうわけでもなさそうです。他の人物については、匂いの記述がいくつか見られましたから。

・ターバンがいつも変な匂いを漂わせているのにみんな気がついた(1巻8章p.200)
クィレル先生の匂いについての描写です。

・突然ハリーはスラグホーンの地下牢で嗅いだあの花のような香りが漂ってくるのを感じた。見るとジニーがそばに来ていた(6巻9章p.290)

・ハリーはマンダンガスに鼻がくっつくほど顔を近づけた。湿気た煙草や酒の嫌な匂いがした(6巻12章p.371)

・ハリーのいちばん近くに立っていた、もつれた灰色の髪の、大柄で手足の長い男が言った。(中略)泥と汗、それに間違いなく血の匂いの混じった強烈な悪臭がハリーの花を突いた(6巻27章p.428)
フェンリール・グレイバックのことです。

マンダンガスには鼻がくっつくほど顔を近づけて初めて匂いの表現が出てきましたが、他の人は近くに立っているだけで感じている様子。
それに、スネイプ先生とだってかなり接近したことがあるのです。

スネイプは歯を剥き出し、ハリーの座っている椅子の左右の肘掛けに手をかけて顔を近づけた。顔と顔が三十センチの距離に迫った(3巻14章p.367)
顔と顔が三十センチの距離って、かなり近いです。しかもこの距離でスネイプ先生はしゃべっているのに、スネイプ先生の匂いについてハリーは何も言っていません。

以上のことから、私はスネイプ先生の匂いについては特筆すべきものがない、と判断したんです。
ハリーのスネイプ先生を表現する言葉は年々辛辣になっていったように感じられ、そのハリーが、「古靴のような臭いがする」と言わなかったのですから、そう考えるのも無理もないと思いませんか?
でも、作者の言葉は絶対です。
だったら、なぜハリーがスネイプ先生の匂いについてあげつらうことをしなかったのか、という方向から考えてみようと思います。

『old shoes』より先に表記された『Bitterness』に隠れてしまっているという見方はできないでしょうか?ローリングさんは、「Bitterness and old shoes.」という順番で答えたので、まず際立つのが『Bitterness』で、次いで『old shoes』ではないかと。
「Bitterness」がどういう匂いなのかイメージできませんが、これを数々の魔法薬の材料の匂いの混じった苦いような匂いと考えたら、その匂いは魔法薬学教師の放つ匂いとしては当たり前すぎてハリーも特に言葉にしなかったのではないか、という気がします。

もう一つ、悪口になり得る『old shoes.』の臭いが、ハリーにとって特に珍しくない匂いだということ。
思春期の男の子たちの靴の臭いときたら相当強烈ですし、靴を履きっぱなしの習慣のある国なら一層靴の臭いはキツいでしょう。そんな思春期男子が靴を脱いで寝る場所である寮のベッドルームは、スネイプ先生の比でない臭いがしていたのではないかと思います。あるいは、ハリー自身が古靴の臭いで、気付かなかったとか。

あと、遺伝子の型によって匂いの好感度が違うという実験が報告されていたりしますが、同性の場合それをどう感じるのかまでは、ちょっとわかりません。ただ、スネイプ先生が強く惹かれた女性の遺伝子を持つハリーですから、二人の遺伝子は遠いようにも思え、互いに惹かれ合わない事実はありますが、匂いとしては不快ではなかったのかな、という気もします。

今思いつくのはこの三つ。
いずれにしても、ハリーはスネイプ先生の匂いは気にならなかった、と今も私は考えています(笑)

敬称 - 2015.09.19 Sat

先日、いただいたコメントにお返事しようと調べものをしているうち、気になることが出てきました。
スネイプ先生が生徒を呼ぶ時の敬称のことです。

スネイプ先生はハリーに呼びかける時、「ポッター!」と苗字を呼び捨てしています。
物語を通して、ハリーに対して一番最初に言った言葉も「ポッター!」です。
しかも、その初授業の中では「ポッター、もう一つ聞こう。ベゾアール石を~」「クラスに来る前に教科書を開いて見ようとは思わなかったわけだな、ポッター、え?」「ポッター、モンクスフードとウルフスベーンの~」「教えてやろう、ポッター」「ポッター、君の無礼な態度で、グリフィンドールは一点減点」「君、ポッター、針を入れてはいけないと~」(1巻8章p.203~206)と口を開けば「ポッター」と言っています(笑)

スネイプ先生が他の生徒を呼ぶのはどうでしょう?
1巻でドラコと口喧嘩していたロンには「ウィーズリー!」と呼びかけています。
2巻では「ウィーズリー、君はフィネガンと組みたまえ。ポッターは」と言った後、「マルフォイ君、来たまえ」「それに、君、ミスグレンジャー―君はミス・ブルストロードと組みたまえ」と声をかけています。
マルフォイ君の「君」は原文ではMr(ミスター)です。スネイプ先生、マルフォイにはミスターをつけていたんですね。校長に志願されては?とのマルフォイの提案には「これ、これ、マルフォイ」と呼び捨てです。
3巻では「ウィーズリー、マルフォイの根を切ってやりたまえ」(3巻7章p.163)「オレンジ色か、ロングボトム」(3巻7章p.165)など呼び捨てにして同じ場面でもハーマイオニーには「ミス・グレンジャー」と呼びかけています。

ちなみに他の先生方、マクゴナガル先生は「ハリー・ポッター…!」とハリーがネビルの思い出し玉をキャッチした時言い、その同じ場面で他の生徒を「ミス・パチル」「ミスター・ウィーズリー」と呼んだ後、ハリーには「ポッター」と呼びかけています。その後授業中のウッドを連れ出し、「ウッド」と呼びかけています。ハロウィンのトロール騒動の時はハーマイオニーを「ミス・グレンジャー」と呼んで減点しています。4巻で転びかけてハーマイオニーの首にしがみついた時は「おっとー失礼、ミス・グレンジャー」で、3巻で新学期ホグワーツに到着したばかりのハリーとハーマイオニーに呼びかける時は、「ポッター、グレンジャー!」でした。
ダンブルドアは概ね「ハリー」と呼んでいます。フォードアングリアで学校に来た時は、ロンを「ミスターウィーズリー」と呼んでいました。
ロックハート先生は「ハリー」「ドラコ」と呼ぶ一方、決闘クラブでは「マクミラン」「ブート」「ロングボトム」「フィンチ-フレッチリー」と苗字を呼び捨てています。女子生徒は「ミス・ハーマイオニー・グレンジャー」と恭しく呼んだり、「ミス・フォーセット」と呼んだり、敬称はついています。
ビンズ先生はミス、ミスターの敬称をつけています。
ルーピン先生はファーストネームで呼んでいます。

ファーストネームのみを使う先生は、生徒との心理的な距離が近いように思います。ルーピン先生などは生徒の目線にとても近いと感じます。
ビンズ先生は、丁寧ではあるものの、名前を正確に呼べない辺り、生徒を聴衆という一塊の集団と見ていて、個人を見ていないようです。
マクゴナガル先生は改まった場面や叱る時などに敬称をつけ、そうでない時も苗字で呼び、ファーストネームでは呼んでいないようです。一定の距離を保っているように見えますが、そこには生徒に対して一定の距離を置かなければならない、という何か自分を律する気持ちがあるように見え、もしその抑制が何かの加減で取れたら、ファーストネームで呼びそうな温かい気配は感じます。実際、同僚は「セブルス」とか「シビル」とかファーストネームで呼んでいます。

スネイプ先生もマクゴナガル先生に近いところがあるように思います。
生徒をファーストネームでは呼ばない、というところです。生徒に対して一定の距離を保っているのでしょう。
苗字を呼ぶにしても贔屓している男子生徒には状況に応じてミスターをつけ、贔屓していない男子生徒は呼び捨てで、女子生徒は基本的にミスをつけて呼んでいます。
教職員に対してもほとんどが苗字の呼び捨て「ルーピン」「ダンブルドア」「フィルチ」ですが、マクゴナガル先生のことは「マクゴナガル先生(Professor McGonagall)」「ミネルバ」と呼んでいます。やはり、女性に対してはある種の敬意を払っているように見えます。

さて、このように一定の法則を以て生徒や先生を呼んでいるように見えるスネイプ先生ですが、ちょっと違うと思われる部分があったので気になりました。冒頭に書いたのはこのことです。
グリフィンドールのシェーマス・フィネガンのことを、一度「ミスター・フィネガン」と呼んだことがあったからです。6巻の『闇の魔術に対する防衛術』の授業で、シェーマスが亡者のことを質問した時です。
スネイプ先生はマルフォイには「ミスター」を頻回に使用していましたが、グリフィンドールの男子学生は呼び捨てが常でした。なのになぜ?と思い、一つの考えに行きつきました。
その考えを裏付けたくて、英会話の先生に「一人の教師が生徒を呼ぶ時に場面によって敬称をつけたりつけなかったりするのはどういう心理だと思いますか?」という質問をしてみたのが昨日です。
ミス、ミスターの敬称を使う時、嫌味の場合もあるにはあるけれど、大人扱いをしているよ、と示したい時も含め、概ねそこにはリスペクトの気持ちは存在する、と言われました。

リスペクトの気持ち!
この時、シェーマスは成人しています。少なくとも姿現しの試験日までには誕生日を迎える生徒に含まれており、試験日までは二週間余りです。だから、スネイプ先生は大人として扱っているのではないか、というのが私の考えでした。
ハリーはまだ未成年だったし、これがスネイプ先生の授業としては最後の場面で、比較できないのですが、同じ授業で、ロンを減点する時も「ウィーズリー」と単に苗字だけを呼ぶのではなく、フルネームで呼んでいるので、その辺何らかの区別があるのかもしれません。そこに何らかの敬意があったと考えたいです。

かがんで脈を取る - 2015.08.17 Mon

今まで何度か話題にしてきたことですが、3巻で気絶させられた時のスネイプ先生の姿勢について、再度考えてみました。
これまで書いたことは、その都度文中からリンクするようにしてあります。(この問題についていかに私が関心を持っているかがわかってしまいますね)

まずは、日本語の描写をご覧ください。
「スネイプ先生はどうしますか?」
ハーマイオニーが首うなだれて伸びているスネイプを見下ろしながら小声で言った。
「こっちは別に悪いところはない」
かがんでスネイプの脈を取りながら、ルーピンが言った。(3巻18章p.491)

同じ部分の英語は
‘What about Professor Snape?’ said Hermione in a small voice, looking down at Snape’s prone figure.
‘There’s nothing seriously wrong with him,’ said Lupin, bending over Snape and checking his pulse.(UK版ペーパーバック大p.276)

以前、このブログでも、日記でも語っていますが、『proneの考察2008.4.23』『proneの衝撃2008.4.23』この場面の姿勢について改めて考えたいと思います。

“首うなだれて伸びている”という表現から、壁に激突したスネイプ先生が壁にもたれてうなだれている様子を想像したのですが、原文では「prone」といううつ伏せを表す言葉が使われているのに気付き、大きな衝撃を受けたのは、もう7年以上も前のことでした。

proneで画像検索すると、その姿勢が山ほど出てきますが、ほとんどが顔を下にしてうつ伏せになっている図です。
prone」(クリックで画像検索先に飛びます)

三人から同時に受けた武装解除呪文によって足元から吹っ飛び、壁に激突した先生は、ずるずると床に滑り落ちた時に足元から崩れるように座るように滑り落ちたのではなく、左右どちらかに傾いて滑り落ち、床に到達した時にうつ伏せになったのだな、と私はイメージを改めたのでした。

ところが、この記事を書いたずっと後、ポッターモアに描かれたこの場面のスネイプ先生は、壁にもたれてうなだれている姿勢でした!
prone.jpg
うなだれるスネイプ先生
非常に暗い絵ですが、部屋の隅で壁にもたれる形で半身起こしてうなだれているスネイプ先生の姿が描かれていました!
これは邦訳にあったように、“首うなだれて伸びているスネイプ”そのものだと思いました。

proneにはうつ伏せだけでなく、うつむき、という意味もあるので、そちらのイメージだったのでしょうか。画像検索で出てくるのはうつ伏せですが。
以前英会話の先生にproneについて尋ねた時も、二種類の姿勢を示してくれました。『個人授業2008.4.27』
ただ、ネイティブスピーカーのイギリス人の女性に尋ねたら、proneの単語を知らないと言ったので(『原書を再現2010.3.13}』)、やや特殊な言葉であるのは間違いなさそうです。

さて、今回問題にしたかったのは、もう一つあって、ルーピンの姿勢です。
かがんで脈を取っているんですね、ルーピンは。
かがむと訳された部分、英語はbend overで、それを画像検索すると、関係ない画像もたくさんヒットしてしまうので、bending overで検索してみました。「bending over
だいたい、「かがむ」の言葉でイメージする姿勢だと思います。膝は曲げないか軽く曲げる程度で腰を前に曲げる感じ。

で、何が言いたいのかと言うと、この姿勢で脈を取る時、一番自然なのが、壁にもたれた姿勢の頸じゃないか、」ということです。
床の上にうつ伏せになっているのなら、首も手首も床と同レベルのかなり低い位置にあり、しゃがまなければちょっと苦しいのでは?と思います。
ちなみにしゃがむに相当するのはsquat downではないかと思うのですが、その言葉で検索すると、こんな姿勢が出てきます「squat down」膝を曲げて腰を落とした姿勢、床上すぐ辺りの手首でも頸部でも脈が取り易そうです。

squat downという表現があるのにbend overを使ったのなら、ルーピンは、腰を曲げて、膝は曲げず(あるいは少し曲げて)、腰は落とさず、スネイプ先生の脈を取ったのではないでしょうか。

脈についても日記に書いたことがありますが(『息抜き2012.8.19』、手首より頸部の方が低い血圧を触知できるので、そういう意味でも、意識のない人の脈を取るには、頸の方が適しているのではないかと思います。

また、もし、proneを床にうつ伏せになっている図、だと解釈すると、うつ伏せになって頭から血を流している人間を、その場にずっと放置していたルーピン(とシリウス)の人間性まで疑わなければならなくなってしまうので、ここは壁にもたれたスネイプ先生の脈を、ルーピン先生が首でチェックした、と考えるのが妥当なのではないかと思います。

何度もイメージが覆されましたが、今は壁にもたれ、うなだれるスネイプ先生の頸に、ルーピン先生が腰を曲げ手を当て、脈を確認している図を想像しています。

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