FC2ブログ
topimage

2019-11

コークワースのペチュニア - 2019.05.20 Mon

今、『賢者の石』を拾い読みでなく最初から読み返しています。
思った通りスネイプ先生の出てこない場面で気付きは色々ありました。
その中で、本人は出てこないけれど無関係ではないのが、ホグワーツから次々送られてくる手紙から逃れようとバーノンおじさんが一日中走らせ続けた車をようやく止めた場所。
そのホテルに泊まったダーズリー一家とハリーは、翌朝の朝食が終わった直後、女主人からハリー宛ての手紙が100通は届いていることを告げられます。
この時のホテルの住所がコークワース州で、そこがスネイプ先生やエバンズ姉妹の故郷だったことは以前語りました。

今回気になったのは、バーノンおじさんは意図的にここに来たのか、ペチュニアは故郷に来てどう思ったのか、という点です。
結婚する際、実家がどこにあるかくらい相手に言いそうだし、日本的に「お嬢さんをください」と言わないにしても家族に紹介はするのではないかと思います。
ロンドンで出会った二人ですが、二人で両親に会いにいったりしなかったのでしょうか。
気になるのが以前も引用したこの記述です。

Petunia Evans, forever embittered by the fact that her parents seemed to value her witch sister more than they valued her, left Cokeworth forever to pursue a typing course in London.(Pottermore: Vernon & Petunia Dursleyより)
魔女の姉妹を持つペチュニア・エバンズは、どうやら両親が自分よりもリリーを大事にしているようだという事実に、ずっと苦しんでいました。そこでコークワース州に別れを告げ、ロンドンでタイピング教室に通うことにしたのです。(旧日本語版ポッターモアより)


"left Cokeworth forever"の部分、永遠にコークワースを去った、ということではないでしょうか。
そもそも両親にリリーより大事にされていないと感じて家を出たようですし、親への感情は複雑だったことがわかります。
2005年に作者がインタビューを受け・What about Harry's family — his grandparents — were they killed?(ハリーの祖父母は殺されたのかと聞かれた時、

No. This takes us into more mundane territory. As a writer, it was more interesting, plot-wise, if Harry was completely alone. So I rather ruthlessly disposed of his entire family apart from Aunt Petunia. I mean, James and Lily are massively important to the plot, of course, but the grandparents? No. And, because I do like my backstory: Petunia and Lily's parents, normal Muggle death. Acco Quote!より


ハリーが完全に一人だったのなら、プロット的に面白かった。 そこで、ペチュニア伯母以外の家族全員を無慈悲に処分した。というようなことを答えています。ハリーの祖父母の存在は作者にとって邪魔だったようです(笑)普通のマグルの死のようですが。

ということは、ハリーが生まれた時にペチュニアしか預け先となる血縁者がいなかった、ということでハリーが生まれるより前、もしかしたらバーノンと出会う以前に両親は亡くなっていたかもしれず、そうなるとバーノンがコークワースをペチュニアの故郷と認識していない可能性は出てきます。
もう一つ気になるのがポタモアのこの記述。

When Aunt Petunia and Uncle Vernon are trying to evade the letters from Hogwarts, they travel to Cokeworth. Perhaps Uncle Vernon has a vague idea that Cokeworth is so distinctly unmagical, the letters will not follow them there. He ought to have known better; after all Petunia’s sister, Lily, turned into a talented witch in Cokeworth.
Pottermore:Cokeworthより)
ペチュニアおばさんとバーノンおじさんがホグワーツから送られてくる手紙に閉口し、逃げてきたのがこの町でした。おそらくバーノンおじさんには、コークワースのような、どこからどう見ても魔法とは縁がないような場所までは、手紙も追いかけてこないだろうと高をくくっていたのでしょう。でも、それは間違いでした。なんと言っても、ペチュニアの妹リリーが魔女としての才能を開花させたのは、ここコークワースなのですから。(旧日本語版ポッターモア―より)


こうして見ると、バーノンはペチュニアの故郷だから選んだのではなく、魔法にほど遠い場所に感じたから車を止めたのだと思われます。
ということは、ペチュニアは故郷の話を詳しくバーノンにしなかったのかもしれません。
魔女の妹がいることは、涙ながらに打ち明けたとポタモアのVernon & Petunia Dursleyの中にも書いてありますが、コークワースに対してはきっぱり別れを告げたのだと思います。

手紙から逃れてやってきたそのホテルが、実家のすぐ近くでなく景色に見覚えがなかったにしても、ホテルの名のレールヴューは、線路が見える場所=駅に近い場所を連想させますから、駅名から気付いたのではないでしょうか。もしかしたら、ペチュニアはこのホテル近くの駅からロンドンに向かったかもしれません。

意図せず連れて来られた故郷の地コークワースで、ペチュニアもまた、眠れない夜の過ごしたのではないかと思います。
同室のダドリーが高いびきの一方、眠れず窓辺に腰かけ下を通り過ぎる車のライトを眺めながらハリーが物思いに沈んでいた頃、高いびきのバーノンとは対照的に眠れず外を眺めるペチュニアもいたかもしれません。
スポンサーサイト



クィレルとジニーの違い - 2019.04.22 Mon

先日、クィレル先生の後頭部をふと思い出して、ジニーが取り憑かれていた時、後頭部はどうなっていたのだろう?と思い、さらに、そもそもなぜクィレル先生は後頭部にヴォルデモートがいたのだろう?と思いました。
その点については、ポタモアに書かれています。以下、pottermoreよりより引用、訳は旧日本語版ポッターモアより。

When Voldemort realised that the young man had a position at Hogwarts, he took immediate possession of Quirrell, who was incapable of resisting.
While Quirrell did not lose his soul, he became completely subjugated by Voldemort, who caused a frightful mutation of Quirrell’s body: now Voldemort looked out of the back of Quirrell’s head and directed his movements, even forcing him to attempt murder. Quirrell tried to put up feeble resistance on occasion, but Voldemort was far too strong for him.
Quirrell is, in effect, turned into a temporary Horcrux by Voldemort. He is greatly depleted by the physical strain of fighting the far stronger, evil soul inside him.

若いクィレルがホグワーツの教員だと知ったヴォルデモートは、すぐさま彼に取りつきます。クィレルは、なすすべもありませんでした。
クィレルは魂を失ったわけではありませんが、ヴォルデモートに完全に支配されてしまい、その体にはおぞましい変異が起こりました。ヴォルデモートはクィレルの後頭部から顔を突き出し、クィレルに指示を与え、人殺しまで強いるようになったのです。クィレルは時折弱々しい抵抗を試みるものの、ヴォルデモートの力はあまりにも強大で、歯が立ちません。
クィレルは事実上、ヴォルデモートの一時的な「分霊箱」にされてしまいました。クィレルは自分の内側に巣食う、自分よりもはるかに強い邪悪な人格と戦いつづけているため、肉体的な負担に耐えきれず、精も根も尽き果てています。



引用文にはありませんが、クィレルはアルバニアに自らヴォルデモートを探しに行きました。そこで魂に取りつかれ、完全に支配されたために肉体に変化が起こったようです。
ジニーは完全に支配されたわけではなかったし、ヴォルデモートの魂というより、日記という分霊箱の中の16歳のリドルの魂に取り憑かれていましたから、その点でも異なり、おそらく後頭部に顔はなかったと思われます。

さらに、ヴォルデモートは4巻で復活した際、招集した死喰い人に自分の身に起こったことを話す中でクィレルと思われる人物との出会いも語っていて、その際「やがて俺様はその男の肉体に取り憑いた」(4巻33章p.454)と話しています。
この取り憑くにはpossess(取りつく)の意味があります。
ジニー自身がハリーに「『例のあの人』に取り憑かれたことのある人って、私以外いないはずよ」(5巻23章p.129)
と言っている時も原文ではpossessを使っています。
が、日記のリドルが秘密の部屋でハリーに説明した時は「僕の魂をおチビちゃんに注ぎ込みはじめた(,to start pouring a little of my soul back into her)」(2巻17章p.455)と言っていて、取り憑く(possess)を使っていません。
これはヴォルデモートの言う取り憑くとジニーの言う取り憑くにも違いがあるということだと思われ、先の理由と合わせて、ジニーの後頭部に顔はなかった、という結論に至りました(ちょっと残念)

 - 2019.03.23 Sat

日記の方で雪の上の動物の足跡のことを書いたら忍びの地図のことを思い出して、3巻を手にして驚きました。
映画で忍びの地図の上を移動するのが足跡の形状だったため、本でもそうだと思い込んでいたら、動くのは『点』と表現されていました。原書で確認してもA dotなので一つの点なのだと思います。
映画を観た時、人の位置を足跡で表現されたことに驚いたことをすっかり忘れていました。今では元から足跡と描写されていると思うようになってしまっていたとは!

私が本当に調べたかったのは、6巻で忍びの地図を見たハリーが、スネイプ先生が研究室に『座っている』と表現された部分です。
足跡だと思っていたので、座っていたら重心とは違う位置に足跡があるんだろうなと思って、その点興味深かったのです。
点だとしたら、頭の位置を表しているのでしょうか。
動かない点を見て、立っていると思わず座っていると思うのは、そこに椅子があることをハリーは知っているからかもしれません。

6巻の頃、ハリーはドラコの動向を知りたくてよく忍びの地図を見ていましたが、同じ頃スネイプ先生もダンブルドアと校長室で深刻な話をしていました。ハリーが見ている地図の校長室には、二つの点が座って動かないでいたかもしれないと思うと感慨深いです。

スネイプ先生お誕生日おめでとうございます! - 2019.01.09 Wed

スネイプ先生、59回目のお誕生日おめでとうございます!
今年も変わらずお祝いできること、幸せです。

イギリスでの大人の誕生日の祝い方を調べていたら、思いがけないことがわかりました。
本人がケーキやドーナツやチョコレートを買って職場に持っていって振舞うのが一般的らしいです。
本人主催でパブなどでパーティをやることもあるとか。

これ!ホグワーツの教師陣もやっていたのでしょうか?
ダンブルドア先生やマクゴナガル先生、ルーピン先生などはお菓子を買って同僚に食べてもらっていそう。ロックハート先生も。スラグホーン先生は自室でパーティをして先生方を招きそう。
ビンズ先生は既に死んでいるし、そもそも人に関心なさそうなのでやらないと思います。

スネイプ先生はどうでしょう?
どうも何か甘い物を調達して同僚に配っている姿が想像できません。1巻10章に「まるでスネイプが菓子をみんなに配り始めたようなものだ」という表現がありましたっけ。ハリーとロンを守るため、規則を破ったふりをするハーマイオニーの行動を驚くハリーのたとえ話で、それだけ珍しいということなのだと思います。

他の先生たちが自らの誕生日に持ち込んだお菓子にも目もくれそうもないような気もします。
騎士団のメンバーが本部であるグリモールドプレイスに集っても、決してそこでは夕食を共にしなかったスネイプ先生は、他人との距離を縮めようとする気はなさそうです。
でも、スラグホーン先生主催のクリスマスパーティには顔を見せていたから、案外義理堅いのかもしれません。
他の先生の誕生日のパーティに招かれたからと言って自分もやるようには到底思えませんが。
せいぜいお菓子を配るくらいでしょうか。
ハリーには珍しいことに映っても、職員同士ではまた違うかもしれません。
3巻にはスタッフルームに座っている姿もありましたし、1月9日は、スタッフルームにケーキなどを持ち込む姿も、あるいは見られたのかもしれません。そうであってほしいと思います。

トロッコ問題 - 2018.12.08 Sat

先日、オフで話をしていて、トロッコ問題の話題になりました。
トロッコ問題が何かは、ウィキペディアをご覧ください。

線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。
この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?
なお、A氏は上述の手段以外では助けることができないものとする。また法的な責任は問われず、道徳的な見解だけが問題にされている。あなたは道徳的に見て「許される」か、「許されない」かで答えるものとする。

ウィキペディアより引用

私としては、体当たりして自分だけ死んで皆を助ける、なども考えたのですが、正面からこの問題に向き合ってみようと思いました。
最初は、「人数では決められない、片方に自分の大事な人がいたら、そちらを助ける方向を選択する」と答えました。
後に一人になってから、両方とも知らない人ばかり、という場合も考えてみました。
年齢が若い人が多い方を選んでしまうので、全ての条件を同じにした時で考えてみました。
現実にこの状況になったらパニックになって何もできずに5人見殺しにするだろうと思いつつ、あくまで机上の問題として考えると、私は1人を犠牲にして5人を助けるのではないかと思います。
それぞれの命の重さが同じなら、同量×5を選ぶ、というか悲しむ人の数の多い方を助ける選択です。
ここまで考えて、「ダンブルドアと同じじゃん!」と自らつっこんでしまいました(笑)

ダンブルドアも見ず知らずの人を多く助けるために、スネイプ先生(だけではないけれど)を犠牲にしたわけです。
まあ、最初からわかっていましたが(笑)
7巻35章のハリーの頭の中のキングズクロスでハリーにこう言っています。
「きみが帰ることで、傷つけられる人間や、引き裂かれる家族の数を少なくすることができるかもしれぬ」と。やっぱり数なのですね。

私は上記の決断をしたら、犠牲にしてしまった人のことを一生背負っていくつもりでした。
私が手を下さなかったら死ななかったであろう人に謝り続ける人生を覚悟しての選択です。
自分でトロッコ問題を考えて、ダンブルドアに自分と同じことを望んでいたのだとわかりました。
スネイプ先生を犠牲にしてしまったこと、悔いて悔いて謝り続けて欲しかったのです。
「哀れなセブルスよ」の一言で片づけて欲しくなかった、それだけなのです。
スネイプ先生を死なせる方向に舵を切ったダンブルドアの謝罪を十分だと思えないから私はダンブルドアの代わりにスネイプ先生を気にかけ、慈しんでいるのかもしれません。

9と4分の3番線 - 2018.11.08 Thu

ファンタビのコラボで日本(渋谷駅)に期間限定で9と3/4番線ができると聞いて、ファンタビとはあまり関係がないんじゃ?と一度は思ったものの、考えてみればニュートもホグワーツ生だったので、ここには来たはず。ということを日記の方に書いていて、スネイプ先生だって学生時代は通った、ということに思い当たりました。

7巻にはお母さんと一緒にプラットフォームに立っている姿が(ペンシーブの中ではありますが)、ハリーに目撃されています。
そこにいたことを知っていたのに、なぜか9番線と10番線の間を通過する場面は想像したことがありませんでした。
入学の時はお母さんと一緒に来ているから一緒に通ったと思うのですが、そこをちゃんと画像としてイメージしたことなかったです。
気難しそうなお母さんと11歳のセブルス、カートは本人が押したでしょうか。
お母さんは何か助言をしたでしょうか。ハリーに対してウィーズリーおばさんが言った「立ち止まったり、ぶつかるんじゃないかって怖がったりしないこと」みたいな注意を与えたでしょうか。
ウィーズリーおばさんのように子どもを先に行かせて、自分は後から入っていったでしょうか。それともハリーが二番目の息子アルバスにしたように一緒にカートを押して突っ込んでいったでしょうか。
いずれの可能性もあり得るように思いますが、二人並んでカートを押す姿望みつつ、一人で嬉々としてカートを押しながら小走りするセブルスも捨てがたいと思いました。

お知らせ - 2018.11.07 Wed

多忙のため、しばらく更新滞ります。

整理された心 - 2017.05.10 Wed

先日5/2、ホグワーツの戦いの日、ローリングさんがTwitterでスネイプ先生の死を謝罪しました。



2015年にはフレッドを、2016年にはルーピンを死なせたことをやはりTwitterで謝罪しています。どうやらこの日犠牲になった人の死を謝ることが恒例になったようです。
若くて何の落ち度もないフレッドや、アーサーの代わりに死なせたルーピンに謝ることはわかる気がしますが、死ぬことでようやく渡せる秘密(しかもそれが主人公の進む道を示すもの)を持っていたスネイプ先生は、最初から物語中で死ぬことが運命づけられていたわけで、それを今更謝罪する意味がよくわかりませんでした。ハリーが次男の名前にその名をつけた意味を考えても、スネイプ先生の死があってこそ完結する物語なのですから、そこは永遠に謝らなくても良かったと思います。

私は物語を読む時、そこに作者の意図を見出そうとは思っていなくて、完全にその世界の中の人しか見ていません。(でも自分はその中には入っていないので魔法界の住人でもないのですが)
作者は神で、その世界の住人の生殺与奪の権を持っていることは事実だけれど、私の視界には決して入ってくることはなく、私がスネイプ先生の死を嘆く時は、そこに作者を問いただす気持ちはありません。
私は、物語中の登場人物に、怒りや悲しみの矛先を向けるのです。

で、先生の死を知ってから9年半経った今、とうに受容できていると思っているのに、時々怒りの感情に苦しめられるのですが、その矛先は相変わらずダンブルドアなのです。
駒のように使ったことも生きている間の扱いも、時々思い出したように耐えられなくなります。同じことの繰り返しです(笑)

ダンブルドアについては、ファンタスティックビーストの映画に若い頃の姿が登場することが明らかになり、その考察もTwitter上で活発に行われるようになっています。指輪の呪いで余命一年となった時、ダンブルドアはどんなことを考えたかと想像が飛び交う中、私が感じたのは全然違ったことでした。
私が感じたのは、ダンブルドアには死に向けて1年の間に心の準備をする時間があったのに、スネイプ先生にはなかった!という不満です。
もちろんスネイプ先生だって命懸けの任務に就いていた以上、ある程度心の準備はしていたと思います。でも、まだ三十代だったし、生きることへの意欲は失っていなかったと思うのです。

ダンブルドアは1巻でハリーにこう言っています。
「君のように若い者にはわからんじゃろうが、ニコラスとペレネレにとって、死とは長い一日の終わりに眠りにつくようなものだ。結局、きちんと整理された心を持つ者にとっては、死は次の大いなる冒険に過ぎないのじゃ」(1巻17章p.438)

この言葉を言ったダンブルドアはこの時既に百歳を超えていて、呪いがなくてもいつお迎えが来る状態かわからなかったわけですから、心の準備はかなりできていたと思います。
歳を重ねることで徐々に整理された心を持ち、期限ができたことで一層無駄なく時間を使ったダンブルドアは、理想の終末を迎えたと言っても良いでしょう。「次の大いなる冒険」くらいに死を迎えたでしょう。きっとペベレル家の三番目の弟のように死を古い友人として迎えたでしょう。
でもスネイプ先生はまだたったの38歳。ダンブルドアの四分の一じゃないですか!
覚悟はできていたとしても、「次の大いなる冒険」とも「古い友人」とも思えなかったのではないでしょうか。こういう悟りのような感覚は年月を経て至るものだと思います。
まだ生きたかったと思うと胸を抉られる思いで、スネイプ先生の死を静かに受け入れることは私には当分できません。

目の色 - 2017.04.08 Sat

7巻を読み返していてハッとすることがありました。
7人のポッターの場面を経て、誕生日まで(実際は誕生日翌日の結婚式まで)隠れ穴で過ごすハリーに、これからどうするつもりなのか問いただす場面でのことです。

ハリーは気合を入れて、おばさんの目をまっすぐに見た。そのせいで、おばさんの褐色の目が、ジニーの目とまったく同じ色合いであることに気付いてしまった。これには弱かった。 (7巻6章p.126)

こんな重要なヒントをなぜ逃したのだろう?と不思議に思いました。
好きな人とまったく同じ色合いの目に動揺するハリーは、そのままハリーの目にリリーを重ねるスネイプ先生の姿じゃありませんか!
この一文を書いたローリングさん、散々ハリーはリリーの目と同じと書いてきたし、大きなヒントを出しちゃったわ、と思ったのではないでしょうか。もっとも、先を読み進めば間もなく真相は明かされるし、そろそろ言っても良いかもね的な使い方だったかもしれません。

私自身は目の色で人を識別したことはありませんが、イギリスには日本より多くの目の色の人が存在するので、目の色の与える印象の大きさは日本人には想像できないものがあるのでしょう。
そう言えば、昔読んだ『キャンディ・キャンディ』のキャンディも緑の目をしていて、その目を見て肉親を思い出すキャラクターもいたこともついでに思い出しました。今頃(笑)
もう少し目の色に敏感になっていれば、もっと早くスネイプ先生の思いに気付いたかもしれません。

新しいスネイプ先生 - 2017.03.13 Mon

ジム・ケイさんがイラストを描く絵本版ハリー・ポッター、次に発売される『アズカバンの囚人』の絵の一部が公開されました。
『賢者の石』の初授業のページのイラスト以来、ジム・ケイさんの描くスネイプ先生にはお目にかかっていませんでした。絵本版『秘密の部屋』にはお姿がなかったのです。
今回、新しいスネイプ先生を目にした時は、しばらく動悸が治まりませんでした。
ご覧ください!↓


写真かと思うくらい生命を感じる絵ではないですか!

まず目を引いたのが、髪のねっとり加減、次に血色の良さでした。
髪については、原作ではこれでもかというくらい「ねっとりとした」とか脂ぎった(greasy)」と表現されてきたスネイプ先生の髪、映画では意外とぱさぱさした髪で、少々物足りなさを感じていました。ハリーだけでなく、シリウスや双子に髪のこと言われているくらいですから、誰が見ても感じる髪の脂っこさはあったはずです。これくらいのねっとりして初めて特徴として目に留まるのではないかと思います。

血色の良さがちょっと不思議。先生だってレンガ色に染まる描写がありましたが、この顔色は健康そうで、少なくとも土気色(sallow)ではなく、どんな思いで肌をこの色にしたのか聞きたいです。

指も気になります。
節くれだった感じが少し意外でした。もう少し繊細な指を想像していたからです。
労働者のような手であるところを見ると、魔法に頼らず手作業が多いのかもしれません。
あと、右手と左手で色が違うように見えます。右手が白っぽく、左手が黒っぽい。影かもしれませんが、関節の皺部分が白いので、左手は原材料などで着色してしまっているのかもしれないと思いました。左の袖口の汚れと同じ色にも見えます(笑)

服装については、黒尽くめになっていないところと映画の先生のように白いシャツの上にローブなどを身につけていること少なくとも三枚は着ていることが目を引きました。

でも、何より衝撃だったのは、賢者の石の時の挿絵に比べて表情が穏やかだったことです。
一瞬、誰?と思うくらい優しい目をしていたので驚きました。
でも、画像を拡大していくとだんだんそうは見えなくなってきました。口角が下がって奥歯を噛みしめているようにも見えます。
パッと見優しそうな目も、寂しそうな目に見えてくるし、ちょっと不思議な絵だと思いました。

これはあくまでジム・ケイさんの考えるスネイプ先生ですが、私は映画にしても監督や役者さんの解釈を見せてもらっているという感覚だし、私以外の誰かが語ったり描いたりするスネイプ先生も全てそういう目で見ているので、ジム・ケイさんの解釈を見せてもらうのはとても楽しいことでした。

物語に登場しなかった物品が描き込まれたこの絵には、挿絵にはないジム・ケイさんの思いが込められている可能性があります。でも、私には表情や服装などを見るのが精一杯。
絵の中に登場した物品についての解釈について、実に興味深い記事を拝見したのでご紹介します。書いた方にはリンクの許可をいただいています。一読の価値があります。ぜひご覧になってください。
スネイプ先生の肖像画について
絵画の見方を知らない私はただただ感心するばかりでした。

読書会 - 2017.01.28 Sat

1月9日、スネイプ先生のお誕生日当日、お誕生日会と6巻読書会を行いました。
読書会の議事録へのリンクを貼ります。
ご興味のある方、ご覧ください。
2017読書会議事録(1)
2017読書会議事録(2)

クリスマスクラッカー - 2016.12.25 Sun

先日、ツイッターで何気なく目にした英国大使館の人のツイートを見てハッとしました。
「プレゼント、紙の王冠、ジョークを書いた紙等を入れたクリスマス・クラッカーの両端を隣の人と引っ張りあう」と書いてあったのですが、隣の人、というのがとても気になりました。(元のツイートはこちら

早速英国のクリスマスクラッカーをウィキペディアで調べると、まず形状が日本で目にするものと違うことがわかります。「Christmas cracker
筒状で、だいぶ大きいです。
この形状、かつてのPottermoreにも出ていました。
ポタモア1-28a
赤っぽいキャンディーのような包み

ポタモア1-28b
青い包み
どちらも使用済みのように見えます。実際は以下の図のような形です。

クラッカーa
今年のポタモアのイラストの一部

このキャンディーの包み紙のようなものの両端を隣同士に座った人が引っ張るのがイギリスのやり方で、真ん中で裂けたのが上二つの図だと思います。

ということはっ!
3巻でスネイプ先生が引っ張ったクラッカーは、ダンブルドアと一緒に引っ張った、ということではないでしょうか。

日本語にはこう書かれています。
「クラッカーを!」
ダンブルドアが、はしゃいで、大きな銀色のクラッカーの紐の端の方をスネイプに差し出した。スネイプがしぶしぶ受け取って引っ張った。大砲のようなバーンという音がして、クラッカーは弾け、ハゲタカの剥製をてっぺんに載せた、大きな魔女の三角帽子が現れた。(3巻p.295)

英語はこうです。
‘Crackers!’ said Dumbledore enthusiastically, offering the end of a large silver one to Snape, who took it reluctantly and tugged. With a bang like a gunshot, the cracker flew apart to reveal a large, pointed witch’s hat topped with a stuffed vulture.(UK版3巻ebook)

ダンブルドアはクラッカーの端を差し出していますが、「紐」に相当する文字がありません。これはスネイプ先生はクラッカーの端を突きつけられて、しぶしぶそれを掴んで(took)、引っ張った(tugged)のではないでしょうか。

今までダンブルドアに日本にあるような三角錐のクラッカー🎉を渡され、受け取って1人で紐を引っ張る図を想像していましたが、この筒状のクラッカーの片端を差し出され、もう片端はダンブルドアが持ったまま、スネイプ先生が引っ張った、あるいは二人とも引っ張った、という図が本来の姿のように思われます。少なくとも、イギリスの人達は、この文章からはそんな図を想像したにちがいありません。
翻訳のせいというより、文化の違いで全く違うものが見えていたとは!それを今になって気付くとは!本当に面白いです。

それにしても、ダンブルドアと二人でクラッカーを引っ張る様子、想像すると可愛くて仕方ありません!
マグルのクラッカーには、紙製の王冠と、ジョークを書いた紙などが入っているようですが、出てきたハゲタカのついた三角帽は王冠の代わりということでしょうか。
いえ、わざわざスネイプ先生に声をかけて、引っ張らせたダンブルドア、先日ボガートスネイプが被ったと学校中に野火のように広がった噂を知らないとは思えず、これは明らかに冗談のつもりだったように見えます。きつい冗談です(笑)

9年 - 2016.12.02 Fri

私がスネイプ先生の死を知って、今日で9年になりました。
5巻37章を読んで好きになったのが2004年の10月頃、今から12年余り前ですから、好きになってから生きているスネイプ先生を見られたのはたった3年で、死ぬとわかって読み返したり考えたり語ったりしている時間のたった1/3に過ぎないことに驚きます。そして、その差は年々開いていくのですね。

スネイプ先生の運命がどうなるかわからず、やきもきしながら読んでいた頃の輝いていたこと!
同じ様な輝きは二度と訪れませんが、熾火のように燻り続ける思いはなかなか消えません。
時々スネイプ先生に関する新しい情報が出て、その熾火に燃料を投下していくので。

以下、『呪いの子』ネタバレです。



直筆画 - 2016.08.24 Wed

7/31に発売された「Harry Potter and the Cursed Child(邦題:ハリー・ポッターと呪いの子) 」読み終わりました。日本語版が発売されるまで、こちらでもネタバレを含まないよう、細心の注意を払っていきたいと思います。

さて、もう一か月以上前ですが、PottermpreのPotionsの項目を何気なく開き、目を通していた時のことです。文章は以前日本語にも訳されていたもので目新しくはありませんでしたが、スクロールした先に初めて見る画像がありました。
Pottermore Potions

リンク先の記事の真ん中辺りにあるローリングさん直筆の画像です。
ポタモアスネイプ先生t
JKRのサインの入った絵

これまでローリングさんが描いたスネイプ先生の絵はいくつか見てきましたが、これはこの時初めて見たものでした。他の絵について語った記事はこちら。「」「眉毛」「手の位置」「新スネイプ先生
けれども、今まで見てきた絵と大差なく、やはりこれがローリングさんの考えるスネイプ先生なのだな、と思わされます。

今回初めて見たこの絵の最大の特徴は、授業中のスネイプ先生の姿である、ということです。
今までは単独か、ただ集団に紛れているか、でしたが、これは作者が思い浮かべる魔法薬学の授業中の光景でもあるわけです。

スネイプ先生以外でまず目を引くのは、鍋の大きさです。
かつて何度か授業で使う鍋のことを考えてきましたが(「大鍋」「大鍋2」「大鍋3」「大鍋4」)、これでサイズは明らかになりました。
やはり私が読んでイメージしていた大きさと同じくらいだったわけです。(トランクに入る理由もPottermoreで明らかにされています)

火の姿が見えませんが、これについてはオフで語った時にバーニャカウダポットみたいになっているのではないか、という説が出ました。これについては、考える余地が残されていますね。

鍋以外に気付くのは、生徒たちが三角帽をかぶっている、ということです。
これは以前からそうではないかと気になっていました。
というのは、新入学時に送られてきた必要な物リストに三角帽がありながら、その描写が少ない一方、追い払い呪文の練習、パーバティの帽子を吹っ飛ばす、という描写があったからです(「とんがり帽子」)、いちいち書かないけれど帽子は被っているのが大前提なのかも、と思っていました。
スネイプ先生学生の頃に帽子を被っていることを示す描写は見つけられていませんが、この絵のように、三角帽をかぶって黙々と魔法薬を作るセブルス少年を想像するのは楽しいです。

次はスネイプ先生本人をじっくり見てみましょう。
髭、眉毛、手の位置、どれもかつて話題にしたことから外れていません。
髭は長く伸びるわけではなく、かと言って無いわけでもなく、今回も点として表現されています。私は作者直筆のスネイプ先生の顔を見るたび、口の周りに点を入念に描き足していくローリングさんの姿が思い浮かび、「これは外せないんだなあ」と可笑しくなります。外せないなら、どこかに無精髭の存在を伺わせるような描写があれば、もっと楽しかっただろうと思うのですが…

眉毛もやはり濃いですね。鼻にまでかかっていそうに見えますが、そんな人はいないので、鼻の上の黒いものは影かもしれません。
目がカメラ目線というかこちらを見ているのは、ファンのためのサービスかもしれませんが、こちら側にも生徒がいるからのような気がします。授業中のスネイプ先生は、ハリーだけを見ていたわけではなく、色々な生徒を見ていたと信じているし、生徒のいない方を見ているとは思えないからです。

他の絵でもそうでしたが、頬がこけているのもわかります。
ほうれい線と額の三本の皺も気になります。
描かれたハリーたちの風貌はまだそんなに学年が上のようには見えません。ということは、スネイプ先生も三十代前半だと思われるのですが、だいぶ老けて見えます。二重スパイとしての心労やホグワーツ校の教師としての激務などで憔悴しているのではないかと思われます。

手は例にもれず袖で隠すような形で前にきています。やはり腕組みしながら歩いているのでしょうか。
生徒達の前でも無意識に自分をガードする姿勢を取るスネイプ先生が切ないです。

あと気になるのは服装そのものです。
ローブに布がたっぷり使われているのが見て取れます。
この絵では踏み出した足(靴)が見えていますが、どうも少し裾は引きずっているようにも見えます。ローブを翻して歩くスネイプ先生、ホグワーツの床掃除も一緒にやっていそうです。
それから袖口!
これ、こんなにゆったり作られていて大丈夫なのでしょうか?
手を挙げたら肩までずり落ちて、腕がむきだしになりそうです。左腕に刻印された闇の印が丸見えにならないか心配です。
肌着的な何かを着ているのでしょうか。
もしかしたら、生徒の前で簡単に腕がむきだしにならないよう、組んでいるのかもしれません(笑)

パンツ再考 - 2016.07.18 Mon

昨日、Twitter上でスネイプ先生のパンツの話題が再燃しました。
どんな種類のパンツを穿いていたのか、というアンケートがあったのです。
私ももちろん投票しました。

スネイプ先生のパンツについて、今まで何度ブログやオフ会、Twitterなどで話題にしてきたでしょう。
このブログでも10年前に語っていました。「ローブとパンツ
この、常にファンの想像力をかきたてるスネイプ先生のパンツについて、再度考えてみました。
どんなパンツを穿いていたかマグルのパンツ事情から探る、という真面目な考察です(笑)

オフで語ったり、Twitterなのでのアンケートを見ると、ボクサー型だと考える人が結構多いです。
しかし、ボクサー型は比較的新しいデザインだとの認識が私にはあり、ではいつからか、と調べてみました。ウィキペディア「ボクサーブリーフ」にその歴史が載っています。

1992年にカルバン・クラインが発表したデザインのようです。(余談ですが、「カルバン・クライン」のブランド名を見ると、私はどうしても「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を思い出します)
カルバン・クラインの広告の推移がわかる記事を見つけました。
カルバン・クラインの広告の歴史は、攻めの歴史だった!世界を変えた衝撃ポスター
カルバン・クラインのサイトでは男性下着だけではないものの、下にスクロールすればもっと詳しい推移が見られます。
TIME LINE
1982年、1985年あたりでは、白いブリーフを穿いているんですね!(ちなみに1985年だとスネイプ先生は25歳です)きっとカルバン・クラインが1992年に発表したこのデザインが、ボクサーパンツの始まりだと言われているのですね。

1992年だとスネイプ先生は32歳、マグルのデザインの変化についていくことはできたでしょうか。
Pottermoreに作者の興味深い解説があります。
「一般的に、若い世代はマグルの文化に精通しています。これは、子どものころは魔女や魔法使いもマグルの友達と自由に交流するためです。ですが、やがて魔法界で職に就くと、一般的なマグルの服装について情報を仕入れるのは難しくなります。」(旧Pottermore 日本語版、作者の言葉「衣服」より)

子ども時代、マグルの男子の友達がいたかどうかはともかく、マグルの居住地で暮らし、父親もマグルだったセブルスは、服装のコーディネイトはちぐはぐであっても、下着はマグルと同じだったのではないかと思われます。そして、他の多くの大人の魔法使い同様、職に就いた後は、一般的なマグルの服装についての情報を仕入れるのは困難になっていったのではないでしょうか。特に1992年といえば、ホグワーツでは秘密の部屋が開けられて大騒ぎでしたし、12歳の無鉄砲なハリーを見守るのに忙しかったでしょうから、スネイプ先生は、とてもマグルの服装の情報を手に入れる時間などなかったと思います。

ところで、カルバン・クラインはアメリカのブランドです。イギリスの状況を知りたいと思い、イギリスのブランドを探してみました。
すると、2001年に設立されたというイギリスの男性下着のブランドのサイトに、とても興味深いことが書かれていました。
「aware SOHO社 our story
「It was 2001 and I was getting bored with my job as a lawyer. A friend of mine had just joined a new gym and was moaning that he could not find decent pair of briefs in London that had a bit of personality ; « underwear is just white, white and white with the occasional pair of black boxer briefs » he said. So we decided to star tour own brand of underwear with lots of colours and prints and we called dit AWARE.」
創設者は弁護士だったようで、2001年にジムに通い始めた友人がロンドンではまともなブリーフが見つけられない、白ばっかり(時々黒のボクサーパンツ?)、と嘆いていたことから、カラフルでプリントのある下着ブランドを立ち上げることにした、というような意味だと思います。

重要なのは、2000年を過ぎても、イギリスではおしゃれなロンドンでさえも白いブリーフばかり売っていた、という点です。
アメリカでは既にカラフルなものも売られていたかもしれませんが、2001年までイギリスの下着は白一色だった、ということです。そして、トランクスについては触れていないので(このブランドの商品を見ると、ブリーフとトランクスとボクサーを区別しています)、トランクスも一般的ではなかったのではないかと思われます。あくまでマグルの世界の話ですが。

2001年といえば、スネイプ先生は既に亡くなっています。仮にスネイプ先生がマグルの情報をいち早く入手するタイプだったとしても、存命中には市場に出回っていなかったでしょう。
となると、やはり生涯白いブリーフ(が灰色に汚れたもの)を穿いていた、と考えて良いのではないでしょうか。スネイプ先生は、子どもの頃から慣れ親しんだ白いブリーフをずっと(もちろんサイズは変わりますが)愛用していたに違いありません。

箒なしで空飛ぶ方法 - 2016.07.03 Sun

昨日オフでハリポタを話していて、こんな話題になりました。
箒を使わず空を飛ぶことはヴォルデモートが開発した闇の魔術であり、闇の魔術と言われるからには、ホークラックスに準ずるような肉体改造的な何らかの禁忌を犯しているかもしれず、だとしたらそれを伝授されたスネイプ先生も同じような禁忌を犯していることになるけど、それだけは嫌だ、という話です。
私は肉体改造的な禁忌を犯した、という発想は全くなかったので驚くとともに、やはりとても嫌だと思いました。
 
「人の姿のままで、なんの助けも借りずに飛ぶことを可能にするような呪文は、いまだに考案されていない」(クィディッチ今昔第一章p.15)とありますから、開発したのがヴォルデモートなら、ホークラックスのように常人には考えられないようなおぞましい方法を取った、と考えるのは、むしろ自然なことかもしれません。
でも、私は敢えて肉体の改造なく行った、という方向で考えてみようと思います。魂と心に傷を負ったスネイプ先生を、これ以上傷つけたくはありませんから。

まず、闇の魔術と言われることについて。
闇の魔術、と呼ばれるから、魂を傷つけるホークラックス並みのおそましさを連想するかもしれませんが、実のところ、闇の魔術Dark magicにはJinxやHexも含まれており、程度の差は様々です。
「Hexes:
Has a connotation of dark magic, as do jinxes, but of a minor sort. I see 'hex' as slightly worse. I usually use 'jinx' for spells whose effects are irritating but amusing.
Curses:
Reserved for the worst kinds of dark magic.」(旧J.K.Rowling Official Siteのコピーサイトより)

言ってみれば、コウモリ鼻糞の呪いだって闇の魔術の一つになるわけです。
作者が、ヴォルデモートが箒なしで飛ぶことをどの程度の深刻さで「闇の魔術」と言ったのか、ソースを見つけられていないのですが、それほどおぞましいものとは限らないと思っています。

飛行ではありませんが、身体を浮上させる呪文はプリンスの開発したものとして登場しました。レビコーパスの反対呪文リベラコーパスを、ハリーは「反対呪文(counter-jinx)でありますようにと祈りながら(6巻上p.360かけていますが、そこにjinxが使われているならレビコーパスも闇の魔術の一種と思われます。
それが重力に逆らって身体を浮上させるという似たような働きをするにもかかわらず、術者のハリーも術をかけられたロンも、特別な肉体改造が必要ではなかったところを見ると、箒なしの飛行もその程度の可能性があります。

以前、Twitterで北アメリカの魔法使いの話題から、杖なしで魔法を使ったり箒なしで飛べる魔法使いはホグワーツにいますか?と尋ねられて、いいえ、箒を使う文化的な伝統があります、それに箒なしの飛行はとても危険です(No, there's a cultural tradition of using wands and broomless flight is (as you might imagine) very risky!)と作者は答えています。箒なしで飛ぶことは「本人にとって危険なことだから」敢えて禁忌を犯さない魔法、闇の魔法と呼ばれている可能性もあるのではないでしょうか。



飛ぶことについて。
これは鳥のように飛ぶのなら、翼とそれを動かせる筋力を得るために肉体改造は必要になってくるかと思います。
でも、飛行機のように飛ぶなら、揚力を得る魔法でなんとかなるのではないかと思います。天気を変える呪文があるなら、気流を調整する魔法だってさほど難しいとは思えません。
また、前述のレビコーパスもそれほど高い位置ではありませんが、重力に逆らって人を浮かべることができるし、モビリコーパスは浮かべた人を移動させることができます(これは意識のない状態の人を、物のように動かしただけかもしれませんが)
他人にかけるレビコーパスやモビリコーパスのような、ある程度似通った魔法から、応用で自分を浮かせて飛ぶことを思いついたとしたら、肉体的な変化はなくともできそうに思えます。

以上のことから、箒なしで飛べる魔法は、開発したのがヴォルデモートだったにせよ、魂だけでなく肉体まで傷つけるような方法ではなかった、と信じています。

汗(1巻) - 2016.06.01 Wed

ファンアートなどで、スネイプ先生が額などに汗をにじませている姿が好きです。
暑さや運動などでかく体温調節のための汗より、焦っている時とか、たじたじっとなっている時とか、やばいと思っている時とか、精神的なもの、緊張を伴うものが好きです(何の話をしているんでしょう?)あ、熱があったり、苦痛時の汗も好きです(^^;;

作品中でもそんな汗をかいている場面が結構あったのではないかと思い、探してみることにしました。妄想の目で見ればどこでも当てはまってしまいそうですから、それなりに説得力のありそうな場面に留めておこうと思いますが、無理かもしれません(笑)主観ばかりですが、良かったらお付き合いください。

・ハリーが入学してきた日
クィレル先生のターバン越しに目が合う直前に初めてハリーは「ねっとりした髪、鉤鼻、土気色の顔をした先生」を認識するわけですが、スネイプ先生の方はハリーが大広間に入ってくる前からハリー・ポッターが来ることはわかっていて、一年生の列に視線をやって、その中から簡単に見つけて、組み分けの儀式を背後から見て、ハリーが教職員テーブル見る時は視線を外して、そうじゃない時にこっそり見て、ということをやっていたのなら、脇汗くらいはかいていたのではないかと思います。
目が合った時、「大嫌い」という目をしていた、とハリーは感じますが、最期に言った言葉からしてもハリーの目にリリーを見ていたことは間違いなく、最初に目が合った瞬間のドキドキ加減はいかばかりか、と思います。その日は二度と目が合わなかったことからも、かなり注意深く過ごしていたと思われ、目が合った時のショックと伝う冷や汗を想像します。

・初授業
この時ハリーはスネイプ先生の目を「冷たくてうつろで暗いトンネルを思わせた」と見ているので、スネイプ先生は閉心術で武装して授業に臨んだのだと思います。色々シミュレーションしていたと思われ、大抵のことには動じず、自分のペースで授業を進めているように見えます。ただ、ハリーが『頑張って、冷たい目をまっすぐに見つめ続けた』時は、次の質問をすることで耐えたんじゃないかな、と思われ、そこにわずかな汗は期待したいところです(妄想の目を通さない決意が揺らぐ)
ネビルが鍋を溶かす、というのも怒鳴っているところを見ると、不安の表れのようで、この時も脇汗出てたんじゃないかと思います。

・ハロウィーンの日
トロールが地下室に現れたと聞いて、スネイプ先生が向かった先は4階でした。1階の大広間から急ぎ足で4階まで行ったスネイプ先生は普通に汗をかいていたと思います。
しかし、肝心なのはその後です。三頭犬に脚を噛まれた後に女子トイレ(何階なのか不明、反対方向に行こうとするハッフルパフ生に紛れ込んだのと、音を階下の誰かが聞きつけたと言っているので1階?)までやってきたスネイプ先生、映画ではこの時ハリーに足の傷を見られていますが、原作では何も気づかれていません。後に脚を引きずって歩く姿が目撃されていますが、この脚で階段を降り、何事も無いように振舞うスネイプ先生、痛みに冷や汗が出ていたかな、と思います。

・片足引きずって歩く場面
傷のある脚は、体重を乗せられないほど痛むから引きずるのです。ロンが望む通り、ものすごく痛くて、そして額にはじんわり汗がにじんでいたと思います(妄想です)

・ハリーにズタズタの脚を見られた時
「ポッター!」と声を荒げ、急いでガウンを降ろして隠したスネイプ先生、相当狼狽しているようです。これは漫画などであたふたしている時に描かれる💦💦がふさわしく思います。ついでですが、唾も飛んでいたと思います(笑)

・反対呪文をかけている時
クィディッチの試合中、クィレル先生の呪いに対して反対呪文を唱えている時、ハリーから目を反らさず、背後のハーマイオニーにも気づかず一心に呪文を唱えるスネイプ先生、一瞬の気の緩みがハリーを箒から振り落とすことになりますから、とても緊張していたと思います。杖を握る手は、手汗に湿っていたかもしれません。

・クィディッチ審判の時
スネイプ先生は箒は得意ではないと私は考えているので、そもそも箒に乗って選手の動きについていくこと自体とても大変なことだと思います。本来の目的は、ハリーがクィレルの呪いを受けないことにあったわけですから、いくらダンブルドアが見ていたとしても、やはりハリーの動きも捉えつつ、審判としての役割を果たさなければならなかったとしたら、身体への負担は相当なもの、終了時に青白い顔をしていたのも頷けます。相当冷や汗かいていたんじゃないでしょうか。

・クィレルを脅していた場面
ここは判断に迷うところです。どの程度ヴォルデモートを意識していたかがわからないので。クィレルだけを相手にしているつもりなら、余裕でしょうが、後頭部にいることは知らなくてもヴォルデモートの存在を感じていたら、口ほどの余裕はなく、慎重に言葉を選ぼうとする態度は汗をかかせていたのではないかと思います。

・寮杯がスリザリンではなくグりフィンドールに与えられるとわかった時
苦々しげな作り笑いでマクゴナガル先生と握手している時、驚きや怒りなどの感情を押し殺し笑って握手するスネイプ先生に敬意を表しますが、ねっとりした髪の下、頭皮を伝う怒りの汗はあったと思います。

記念の日に - 2016.05.02 Mon

今日、5/2はホグワーツの決戦の日。
物語中では1998年の出来事でしたから、今日は18年目の記念日ということになります。

7巻31章「ホグワーツの戦い」を昨晩読み返そうと思いました。
読み始めて間もなく、大広間に集められた生徒達の中のスリザリンの女子生徒が「スネイプ先生はどこですか?」と叫びました。
マクゴナガル先生は「スネイプ先生は、俗な言葉で言いますと、ずらかりました」(7巻31章p.331)と答え、その答えにグリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクローの寮生たちから大歓声が上がった、という記述があり、私は打ちのめされました。

生徒も先生も何も知らないとは言え、スネイプ先生が闇の陣営に属していると思われていたとは言え、あまりにも残酷な描写ではないでしょうか。元寮監で現校長のスネイプ先生はスリザリン生にとってスラグホーンよりずっと身近で頼れる存在だったはず。その姿が見えず、不安に思ったから女子生徒は叫んだのではないですか?
俗な言葉と前置きして茶化して説明したマクゴナガル先生も、大歓声を上げた他の寮生たちも、後に真実を知って、少しでも胸を痛めてくれたら、と思います。

18年経った今も、きっとイギリスのどこかにこの場に居て生き残った人々がいるはず。
今の平和は、ハリー・ポッターとその友人たちの協力だけで得られたものでないことを、記念のこの日に思い出して欲しいです。

姿現し - 2016.04.13 Wed

6巻を読み返していて、ふと『姿現し』のことが気になりました。
魔法省の講師トワイクロスが教えた『姿現し』、その時彼は覚えておかなければならない大切なこと、として三つのDを挙げました。「どこへ、どうしても、どういう意図で」
これは、英語ではDestination(目的地), Determination(決意、決断力), Deliberation(熟考、熟慮)となっています。(だいたい同じ意味になっているところがすごいです!)

初めての『姿現し』の練習で、ハッフルパフのスーザン・ボーンズにばらけが起こった時、トワイクロスは「心が十分に「どうしても(Determination)と決意していない時に起こります」(6巻18章、p.97)と言いました。
けれど、「どうしても」が足りなかったにしても、わずかでも移動できたのはスーザンだけのようでした。
ハリーはこの時上の空だったので仕方ないかもしれませんが、それなりに真剣に取り組んでいる生徒のほとんどが失敗していることを考えると、この実技、どういう生徒に向き、スネイプ先生は学生時代どういう取り組み方をしたのかと考えたくなります。

ロンはかなり苦戦し「『姿現し』のコツがどうしてもつかめないんだ」(6巻21章p.213)と嘆く場面がありました。
ハーマイオニーは「ばっちり」で、試験後にトワイクロスにかなり褒められたようです。ハリーが試験を受けたのかどうかは明らかではありませんが、練習ではロンより早く成功していたし、洞窟からダンブルドアを連れ帰ることができたし、その実力は確かなようです。

全ての「D」が噛み合って成功するのだと思いますが、未熟者の成功を妨げているのは、「どうしても」と「どういう意図で」が大きいように思います。ロンは試験で目的地がずれてしまいましたが、それは大きな減点にはならなかったようですし。
割と体で覚える系の魔法は苦手そうなハーマイオニーが上手くできたのも、「決意」と「熟考」が求められるなら、それは得意な分野だったのだと思われます。ハリーも同様です。意志の強い人ほど習得し易いイメージです。

では、学生セブルスはどうだったでしょう?
「決意」と「熟考」も長けていたと考えるので、体得は早かったと推測しています。
元々の気質もそうですが、5年生でO.W.L試験を受けた日にリリーに死喰い人になろうとしていることを否定しない、と言われている点から、死喰い人に片足入れていたと思われ、その活動に必要そうな全ての魔法や技術は手に入れたいという決意は強かったのではないかと思います。また、空間を移動すること自体への学術的な興味も強かったのではないでしょうか。
きっと誰よりも早く『姿現し』できるようになって、試験も難なくクリアしたと思います。

それでも、ハリーたちの練習で最初に誰も成功しなかったのに、トワイクロスが「かまわん、かまわん」と集団よろけ状態以上のことを期待していなかった様子を見ると、誰も皆初回は上手くいかないものだということでしょう。
大広間で、1.5m間隔に生徒たちが並ぶ中の一人として、前に置いた輪っかに意識を集中させ、回転してよろける学生セブルスを想像すると実に楽しいです。よろける姿、大好きです(笑)

エイプリルフール企画 - 2016.04.01 Fri

今年は時間がなくてテンプレートを替えることはできなかったのですが、せめて、パスワードがないと開かない場所を用意しました(一つ前の記事です)
正確には、パスワードを導き出すためのクイズを楽しんでいただくことがメインで、鍵を開けた先には今回も大したものはご用意できていませんが……。
この場所を含め、四つの場所にヒントがあります。詳しくは、「こちら」をご覧ください。

第三のヒント

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

拍手コメントについて

拍手コメントをいただいた時は、その記事のコメント欄にお返事いたします。

プロフィール

二尋

Author:二尋
スネイプ先生への愛を語らずにはいられません。         

カテゴリー

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

スクロール式になっています

前ブログからの訪問者数

リンク

このブログをリンクに追加する

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード