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2018-12

トロッコ問題 - 2018.12.08 Sat

先日、オフで話をしていて、トロッコ問題の話題になりました。
トロッコ問題が何かは、ウィキペディアをご覧ください。

線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。
この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?
なお、A氏は上述の手段以外では助けることができないものとする。また法的な責任は問われず、道徳的な見解だけが問題にされている。あなたは道徳的に見て「許される」か、「許されない」かで答えるものとする。

ウィキペディアより引用

私としては、体当たりして自分だけ死んで皆を助ける、なども考えたのですが、正面からこの問題に向き合ってみようと思いました。
最初は、「人数では決められない、片方に自分の大事な人がいたら、そちらを助ける方向を選択する」と答えました。
後に一人になってから、両方とも知らない人ばかり、という場合も考えてみました。
年齢が若い人が多い方を選んでしまうので、全ての条件を同じにした時で考えてみました。
現実にこの状況になったらパニックになって何もできずに5人見殺しにするだろうと思いつつ、あくまで机上の問題として考えると、私は1人を犠牲にして5人を助けるのではないかと思います。
それぞれの命の重さが同じなら、同量×5を選ぶ、というか悲しむ人の数の多い方を助ける選択です。
ここまで考えて、「ダンブルドアと同じじゃん!」と自らつっこんでしまいました(笑)

ダンブルドアも見ず知らずの人を多く助けるために、スネイプ先生(だけではないけれど)を犠牲にしたわけです。
まあ、最初からわかっていましたが(笑)
7巻35章のハリーの頭の中のキングズクロスでハリーにこう言っています。
「きみが帰ることで、傷つけられる人間や、引き裂かれる家族の数を少なくすることができるかもしれぬ」と。やっぱり数なのですね。

私は上記の決断をしたら、犠牲にしてしまった人のことを一生背負っていくつもりでした。
私が手を下さなかったら死ななかったであろう人に謝り続ける人生を覚悟しての選択です。
自分でトロッコ問題を考えて、ダンブルドアに自分と同じことを望んでいたのだとわかりました。
スネイプ先生を犠牲にしてしまったこと、悔いて悔いて謝り続けて欲しかったのです。
「哀れなセブルスよ」の一言で片づけて欲しくなかった、それだけなのです。
スネイプ先生を死なせる方向に舵を切ったダンブルドアの謝罪を十分だと思えないから私はダンブルドアの代わりにスネイプ先生を気にかけ、慈しんでいるのかもしれません。

9と4分の3番線 - 2018.11.08 Thu

ファンタビのコラボで日本(渋谷駅)に期間限定で9と3/4番線ができると聞いて、ファンタビとはあまり関係がないんじゃ?と一度は思ったものの、考えてみればニュートもホグワーツ生だったので、ここには来たはず。ということを日記の方に書いていて、スネイプ先生だって学生時代は通った、ということに思い当たりました。

7巻にはお母さんと一緒にプラットフォームに立っている姿が(ペンシーブの中ではありますが)、ハリーに目撃されています。
そこにいたことを知っていたのに、なぜか9番線と10番線の間を通過する場面は想像したことがありませんでした。
入学の時はお母さんと一緒に来ているから一緒に通ったと思うのですが、そこをちゃんと画像としてイメージしたことなかったです。
気難しそうなお母さんと11歳のセブルス、カートは本人が押したでしょうか。
お母さんは何か助言をしたでしょうか。ハリーに対してウィーズリーおばさんが言った「立ち止まったり、ぶつかるんじゃないかって怖がったりしないこと」みたいな注意を与えたでしょうか。
ウィーズリーおばさんのように子どもを先に行かせて、自分は後から入っていったでしょうか。それともハリーが二番目の息子アルバスにしたように一緒にカートを押して突っ込んでいったでしょうか。
いずれの可能性もあり得るように思いますが、二人並んでカートを押す姿望みつつ、一人で嬉々としてカートを押しながら小走りするセブルスも捨てがたいと思いました。

お知らせ - 2018.11.07 Wed

多忙のため、しばらく更新滞ります。

整理された心 - 2017.05.10 Wed

先日5/2、ホグワーツの戦いの日、ローリングさんがTwitterでスネイプ先生の死を謝罪しました。



2015年にはフレッドを、2016年にはルーピンを死なせたことをやはりTwitterで謝罪しています。どうやらこの日犠牲になった人の死を謝ることが恒例になったようです。
若くて何の落ち度もないフレッドや、アーサーの代わりに死なせたルーピンに謝ることはわかる気がしますが、死ぬことでようやく渡せる秘密(しかもそれが主人公の進む道を示すもの)を持っていたスネイプ先生は、最初から物語中で死ぬことが運命づけられていたわけで、それを今更謝罪する意味がよくわかりませんでした。ハリーが次男の名前にその名をつけた意味を考えても、スネイプ先生の死があってこそ完結する物語なのですから、そこは永遠に謝らなくても良かったと思います。

私は物語を読む時、そこに作者の意図を見出そうとは思っていなくて、完全にその世界の中の人しか見ていません。(でも自分はその中には入っていないので魔法界の住人でもないのですが)
作者は神で、その世界の住人の生殺与奪の権を持っていることは事実だけれど、私の視界には決して入ってくることはなく、私がスネイプ先生の死を嘆く時は、そこに作者を問いただす気持ちはありません。
私は、物語中の登場人物に、怒りや悲しみの矛先を向けるのです。

で、先生の死を知ってから9年半経った今、とうに受容できていると思っているのに、時々怒りの感情に苦しめられるのですが、その矛先は相変わらずダンブルドアなのです。
駒のように使ったことも生きている間の扱いも、時々思い出したように耐えられなくなります。同じことの繰り返しです(笑)

ダンブルドアについては、ファンタスティックビーストの映画に若い頃の姿が登場することが明らかになり、その考察もTwitter上で活発に行われるようになっています。指輪の呪いで余命一年となった時、ダンブルドアはどんなことを考えたかと想像が飛び交う中、私が感じたのは全然違ったことでした。
私が感じたのは、ダンブルドアには死に向けて1年の間に心の準備をする時間があったのに、スネイプ先生にはなかった!という不満です。
もちろんスネイプ先生だって命懸けの任務に就いていた以上、ある程度心の準備はしていたと思います。でも、まだ三十代だったし、生きることへの意欲は失っていなかったと思うのです。

ダンブルドアは1巻でハリーにこう言っています。
「君のように若い者にはわからんじゃろうが、ニコラスとペレネレにとって、死とは長い一日の終わりに眠りにつくようなものだ。結局、きちんと整理された心を持つ者にとっては、死は次の大いなる冒険に過ぎないのじゃ」(1巻17章p.438)

この言葉を言ったダンブルドアはこの時既に百歳を超えていて、呪いがなくてもいつお迎えが来る状態かわからなかったわけですから、心の準備はかなりできていたと思います。
歳を重ねることで徐々に整理された心を持ち、期限ができたことで一層無駄なく時間を使ったダンブルドアは、理想の終末を迎えたと言っても良いでしょう。「次の大いなる冒険」くらいに死を迎えたでしょう。きっとペベレル家の三番目の弟のように死を古い友人として迎えたでしょう。
でもスネイプ先生はまだたったの38歳。ダンブルドアの四分の一じゃないですか!
覚悟はできていたとしても、「次の大いなる冒険」とも「古い友人」とも思えなかったのではないでしょうか。こういう悟りのような感覚は年月を経て至るものだと思います。
まだ生きたかったと思うと胸を抉られる思いで、スネイプ先生の死を静かに受け入れることは私には当分できません。

目の色 - 2017.04.08 Sat

7巻を読み返していてハッとすることがありました。
7人のポッターの場面を経て、誕生日まで(実際は誕生日翌日の結婚式まで)隠れ穴で過ごすハリーに、これからどうするつもりなのか問いただす場面でのことです。

ハリーは気合を入れて、おばさんの目をまっすぐに見た。そのせいで、おばさんの褐色の目が、ジニーの目とまったく同じ色合いであることに気付いてしまった。これには弱かった。 (7巻6章p.126)

こんな重要なヒントをなぜ逃したのだろう?と不思議に思いました。
好きな人とまったく同じ色合いの目に動揺するハリーは、そのままハリーの目にリリーを重ねるスネイプ先生の姿じゃありませんか!
この一文を書いたローリングさん、散々ハリーはリリーの目と同じと書いてきたし、大きなヒントを出しちゃったわ、と思ったのではないでしょうか。もっとも、先を読み進めば間もなく真相は明かされるし、そろそろ言っても良いかもね的な使い方だったかもしれません。

私自身は目の色で人を識別したことはありませんが、イギリスには日本より多くの目の色の人が存在するので、目の色の与える印象の大きさは日本人には想像できないものがあるのでしょう。
そう言えば、昔読んだ『キャンディ・キャンディ』のキャンディも緑の目をしていて、その目を見て肉親を思い出すキャラクターもいたこともついでに思い出しました。今頃(笑)
もう少し目の色に敏感になっていれば、もっと早くスネイプ先生の思いに気付いたかもしれません。

新しいスネイプ先生 - 2017.03.13 Mon

ジム・ケイさんがイラストを描く絵本版ハリー・ポッター、次に発売される『アズカバンの囚人』の絵の一部が公開されました。
『賢者の石』の初授業のページのイラスト以来、ジム・ケイさんの描くスネイプ先生にはお目にかかっていませんでした。絵本版『秘密の部屋』にはお姿がなかったのです。
今回、新しいスネイプ先生を目にした時は、しばらく動悸が治まりませんでした。
ご覧ください!↓


写真かと思うくらい生命を感じる絵ではないですか!

まず目を引いたのが、髪のねっとり加減、次に血色の良さでした。
髪については、原作ではこれでもかというくらい「ねっとりとした」とか脂ぎった(greasy)」と表現されてきたスネイプ先生の髪、映画では意外とぱさぱさした髪で、少々物足りなさを感じていました。ハリーだけでなく、シリウスや双子に髪のこと言われているくらいですから、誰が見ても感じる髪の脂っこさはあったはずです。これくらいのねっとりして初めて特徴として目に留まるのではないかと思います。

血色の良さがちょっと不思議。先生だってレンガ色に染まる描写がありましたが、この顔色は健康そうで、少なくとも土気色(sallow)ではなく、どんな思いで肌をこの色にしたのか聞きたいです。

指も気になります。
節くれだった感じが少し意外でした。もう少し繊細な指を想像していたからです。
労働者のような手であるところを見ると、魔法に頼らず手作業が多いのかもしれません。
あと、右手と左手で色が違うように見えます。右手が白っぽく、左手が黒っぽい。影かもしれませんが、関節の皺部分が白いので、左手は原材料などで着色してしまっているのかもしれないと思いました。左の袖口の汚れと同じ色にも見えます(笑)

服装については、黒尽くめになっていないところと映画の先生のように白いシャツの上にローブなどを身につけていること少なくとも三枚は着ていることが目を引きました。

でも、何より衝撃だったのは、賢者の石の時の挿絵に比べて表情が穏やかだったことです。
一瞬、誰?と思うくらい優しい目をしていたので驚きました。
でも、画像を拡大していくとだんだんそうは見えなくなってきました。口角が下がって奥歯を噛みしめているようにも見えます。
パッと見優しそうな目も、寂しそうな目に見えてくるし、ちょっと不思議な絵だと思いました。

これはあくまでジム・ケイさんの考えるスネイプ先生ですが、私は映画にしても監督や役者さんの解釈を見せてもらっているという感覚だし、私以外の誰かが語ったり描いたりするスネイプ先生も全てそういう目で見ているので、ジム・ケイさんの解釈を見せてもらうのはとても楽しいことでした。

物語に登場しなかった物品が描き込まれたこの絵には、挿絵にはないジム・ケイさんの思いが込められている可能性があります。でも、私には表情や服装などを見るのが精一杯。
絵の中に登場した物品についての解釈について、実に興味深い記事を拝見したのでご紹介します。書いた方にはリンクの許可をいただいています。一読の価値があります。ぜひご覧になってください。
スネイプ先生の肖像画について
絵画の見方を知らない私はただただ感心するばかりでした。

読書会 - 2017.01.28 Sat

1月9日、スネイプ先生のお誕生日当日、お誕生日会と6巻読書会を行いました。
読書会の議事録へのリンクを貼ります。
ご興味のある方、ご覧ください。
2017読書会議事録(1)
2017読書会議事録(2)

クリスマスクラッカー - 2016.12.25 Sun

先日、ツイッターで何気なく目にした英国大使館の人のツイートを見てハッとしました。
「プレゼント、紙の王冠、ジョークを書いた紙等を入れたクリスマス・クラッカーの両端を隣の人と引っ張りあう」と書いてあったのですが、隣の人、というのがとても気になりました。(元のツイートはこちら

早速英国のクリスマスクラッカーをウィキペディアで調べると、まず形状が日本で目にするものと違うことがわかります。「Christmas cracker
筒状で、だいぶ大きいです。
この形状、かつてのPottermoreにも出ていました。
ポタモア1-28a
赤っぽいキャンディーのような包み

ポタモア1-28b
青い包み
どちらも使用済みのように見えます。実際は以下の図のような形です。

クラッカーa
今年のポタモアのイラストの一部

このキャンディーの包み紙のようなものの両端を隣同士に座った人が引っ張るのがイギリスのやり方で、真ん中で裂けたのが上二つの図だと思います。

ということはっ!
3巻でスネイプ先生が引っ張ったクラッカーは、ダンブルドアと一緒に引っ張った、ということではないでしょうか。

日本語にはこう書かれています。
「クラッカーを!」
ダンブルドアが、はしゃいで、大きな銀色のクラッカーの紐の端の方をスネイプに差し出した。スネイプがしぶしぶ受け取って引っ張った。大砲のようなバーンという音がして、クラッカーは弾け、ハゲタカの剥製をてっぺんに載せた、大きな魔女の三角帽子が現れた。(3巻p.295)

英語はこうです。
‘Crackers!’ said Dumbledore enthusiastically, offering the end of a large silver one to Snape, who took it reluctantly and tugged. With a bang like a gunshot, the cracker flew apart to reveal a large, pointed witch’s hat topped with a stuffed vulture.(UK版3巻ebook)

ダンブルドアはクラッカーの端を差し出していますが、「紐」に相当する文字がありません。これはスネイプ先生はクラッカーの端を突きつけられて、しぶしぶそれを掴んで(took)、引っ張った(tugged)のではないでしょうか。

今までダンブルドアに日本にあるような三角錐のクラッカー🎉を渡され、受け取って1人で紐を引っ張る図を想像していましたが、この筒状のクラッカーの片端を差し出され、もう片端はダンブルドアが持ったまま、スネイプ先生が引っ張った、あるいは二人とも引っ張った、という図が本来の姿のように思われます。少なくとも、イギリスの人達は、この文章からはそんな図を想像したにちがいありません。
翻訳のせいというより、文化の違いで全く違うものが見えていたとは!それを今になって気付くとは!本当に面白いです。

それにしても、ダンブルドアと二人でクラッカーを引っ張る様子、想像すると可愛くて仕方ありません!
マグルのクラッカーには、紙製の王冠と、ジョークを書いた紙などが入っているようですが、出てきたハゲタカのついた三角帽は王冠の代わりということでしょうか。
いえ、わざわざスネイプ先生に声をかけて、引っ張らせたダンブルドア、先日ボガートスネイプが被ったと学校中に野火のように広がった噂を知らないとは思えず、これは明らかに冗談のつもりだったように見えます。きつい冗談です(笑)

9年 - 2016.12.02 Fri

私がスネイプ先生の死を知って、今日で9年になりました。
5巻37章を読んで好きになったのが2004年の10月頃、今から12年余り前ですから、好きになってから生きているスネイプ先生を見られたのはたった3年で、死ぬとわかって読み返したり考えたり語ったりしている時間のたった1/3に過ぎないことに驚きます。そして、その差は年々開いていくのですね。

スネイプ先生の運命がどうなるかわからず、やきもきしながら読んでいた頃の輝いていたこと!
同じ様な輝きは二度と訪れませんが、熾火のように燻り続ける思いはなかなか消えません。
時々スネイプ先生に関する新しい情報が出て、その熾火に燃料を投下していくので。

以下、『呪いの子』ネタバレです。



直筆画 - 2016.08.24 Wed

7/31に発売された「Harry Potter and the Cursed Child(邦題:ハリー・ポッターと呪いの子) 」読み終わりました。日本語版が発売されるまで、こちらでもネタバレを含まないよう、細心の注意を払っていきたいと思います。

さて、もう一か月以上前ですが、PottermpreのPotionsの項目を何気なく開き、目を通していた時のことです。文章は以前日本語にも訳されていたもので目新しくはありませんでしたが、スクロールした先に初めて見る画像がありました。
Pottermore Potions

リンク先の記事の真ん中辺りにあるローリングさん直筆の画像です。
ポタモアスネイプ先生t
JKRのサインの入った絵

これまでローリングさんが描いたスネイプ先生の絵はいくつか見てきましたが、これはこの時初めて見たものでした。他の絵について語った記事はこちら。「」「眉毛」「手の位置」「新スネイプ先生
けれども、今まで見てきた絵と大差なく、やはりこれがローリングさんの考えるスネイプ先生なのだな、と思わされます。

今回初めて見たこの絵の最大の特徴は、授業中のスネイプ先生の姿である、ということです。
今までは単独か、ただ集団に紛れているか、でしたが、これは作者が思い浮かべる魔法薬学の授業中の光景でもあるわけです。

スネイプ先生以外でまず目を引くのは、鍋の大きさです。
かつて何度か授業で使う鍋のことを考えてきましたが(「大鍋」「大鍋2」「大鍋3」「大鍋4」)、これでサイズは明らかになりました。
やはり私が読んでイメージしていた大きさと同じくらいだったわけです。(トランクに入る理由もPottermoreで明らかにされています)

火の姿が見えませんが、これについてはオフで語った時にバーニャカウダポットみたいになっているのではないか、という説が出ました。これについては、考える余地が残されていますね。

鍋以外に気付くのは、生徒たちが三角帽をかぶっている、ということです。
これは以前からそうではないかと気になっていました。
というのは、新入学時に送られてきた必要な物リストに三角帽がありながら、その描写が少ない一方、追い払い呪文の練習、パーバティの帽子を吹っ飛ばす、という描写があったからです(「とんがり帽子」)、いちいち書かないけれど帽子は被っているのが大前提なのかも、と思っていました。
スネイプ先生学生の頃に帽子を被っていることを示す描写は見つけられていませんが、この絵のように、三角帽をかぶって黙々と魔法薬を作るセブルス少年を想像するのは楽しいです。

次はスネイプ先生本人をじっくり見てみましょう。
髭、眉毛、手の位置、どれもかつて話題にしたことから外れていません。
髭は長く伸びるわけではなく、かと言って無いわけでもなく、今回も点として表現されています。私は作者直筆のスネイプ先生の顔を見るたび、口の周りに点を入念に描き足していくローリングさんの姿が思い浮かび、「これは外せないんだなあ」と可笑しくなります。外せないなら、どこかに無精髭の存在を伺わせるような描写があれば、もっと楽しかっただろうと思うのですが…

眉毛もやはり濃いですね。鼻にまでかかっていそうに見えますが、そんな人はいないので、鼻の上の黒いものは影かもしれません。
目がカメラ目線というかこちらを見ているのは、ファンのためのサービスかもしれませんが、こちら側にも生徒がいるからのような気がします。授業中のスネイプ先生は、ハリーだけを見ていたわけではなく、色々な生徒を見ていたと信じているし、生徒のいない方を見ているとは思えないからです。

他の絵でもそうでしたが、頬がこけているのもわかります。
ほうれい線と額の三本の皺も気になります。
描かれたハリーたちの風貌はまだそんなに学年が上のようには見えません。ということは、スネイプ先生も三十代前半だと思われるのですが、だいぶ老けて見えます。二重スパイとしての心労やホグワーツ校の教師としての激務などで憔悴しているのではないかと思われます。

手は例にもれず袖で隠すような形で前にきています。やはり腕組みしながら歩いているのでしょうか。
生徒達の前でも無意識に自分をガードする姿勢を取るスネイプ先生が切ないです。

あと気になるのは服装そのものです。
ローブに布がたっぷり使われているのが見て取れます。
この絵では踏み出した足(靴)が見えていますが、どうも少し裾は引きずっているようにも見えます。ローブを翻して歩くスネイプ先生、ホグワーツの床掃除も一緒にやっていそうです。
それから袖口!
これ、こんなにゆったり作られていて大丈夫なのでしょうか?
手を挙げたら肩までずり落ちて、腕がむきだしになりそうです。左腕に刻印された闇の印が丸見えにならないか心配です。
肌着的な何かを着ているのでしょうか。
もしかしたら、生徒の前で簡単に腕がむきだしにならないよう、組んでいるのかもしれません(笑)

パンツ再考 - 2016.07.18 Mon

昨日、Twitter上でスネイプ先生のパンツの話題が再燃しました。
どんな種類のパンツを穿いていたのか、というアンケートがあったのです。
私ももちろん投票しました。

スネイプ先生のパンツについて、今まで何度ブログやオフ会、Twitterなどで話題にしてきたでしょう。
このブログでも10年前に語っていました。「ローブとパンツ
この、常にファンの想像力をかきたてるスネイプ先生のパンツについて、再度考えてみました。
どんなパンツを穿いていたかマグルのパンツ事情から探る、という真面目な考察です(笑)

オフで語ったり、Twitterなのでのアンケートを見ると、ボクサー型だと考える人が結構多いです。
しかし、ボクサー型は比較的新しいデザインだとの認識が私にはあり、ではいつからか、と調べてみました。ウィキペディア「ボクサーブリーフ」にその歴史が載っています。

1992年にカルバン・クラインが発表したデザインのようです。(余談ですが、「カルバン・クライン」のブランド名を見ると、私はどうしても「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を思い出します)
カルバン・クラインの広告の推移がわかる記事を見つけました。
カルバン・クラインの広告の歴史は、攻めの歴史だった!世界を変えた衝撃ポスター
カルバン・クラインのサイトでは男性下着だけではないものの、下にスクロールすればもっと詳しい推移が見られます。
TIME LINE
1982年、1985年あたりでは、白いブリーフを穿いているんですね!(ちなみに1985年だとスネイプ先生は25歳です)きっとカルバン・クラインが1992年に発表したこのデザインが、ボクサーパンツの始まりだと言われているのですね。

1992年だとスネイプ先生は32歳、マグルのデザインの変化についていくことはできたでしょうか。
Pottermoreに作者の興味深い解説があります。
「一般的に、若い世代はマグルの文化に精通しています。これは、子どものころは魔女や魔法使いもマグルの友達と自由に交流するためです。ですが、やがて魔法界で職に就くと、一般的なマグルの服装について情報を仕入れるのは難しくなります。」(旧Pottermore 日本語版、作者の言葉「衣服」より)

子ども時代、マグルの男子の友達がいたかどうかはともかく、マグルの居住地で暮らし、父親もマグルだったセブルスは、服装のコーディネイトはちぐはぐであっても、下着はマグルと同じだったのではないかと思われます。そして、他の多くの大人の魔法使い同様、職に就いた後は、一般的なマグルの服装についての情報を仕入れるのは困難になっていったのではないでしょうか。特に1992年といえば、ホグワーツでは秘密の部屋が開けられて大騒ぎでしたし、12歳の無鉄砲なハリーを見守るのに忙しかったでしょうから、スネイプ先生は、とてもマグルの服装の情報を手に入れる時間などなかったと思います。

ところで、カルバン・クラインはアメリカのブランドです。イギリスの状況を知りたいと思い、イギリスのブランドを探してみました。
すると、2001年に設立されたというイギリスの男性下着のブランドのサイトに、とても興味深いことが書かれていました。
「aware SOHO社 our story
「It was 2001 and I was getting bored with my job as a lawyer. A friend of mine had just joined a new gym and was moaning that he could not find decent pair of briefs in London that had a bit of personality ; « underwear is just white, white and white with the occasional pair of black boxer briefs » he said. So we decided to star tour own brand of underwear with lots of colours and prints and we called dit AWARE.」
創設者は弁護士だったようで、2001年にジムに通い始めた友人がロンドンではまともなブリーフが見つけられない、白ばっかり(時々黒のボクサーパンツ?)、と嘆いていたことから、カラフルでプリントのある下着ブランドを立ち上げることにした、というような意味だと思います。

重要なのは、2000年を過ぎても、イギリスではおしゃれなロンドンでさえも白いブリーフばかり売っていた、という点です。
アメリカでは既にカラフルなものも売られていたかもしれませんが、2001年までイギリスの下着は白一色だった、ということです。そして、トランクスについては触れていないので(このブランドの商品を見ると、ブリーフとトランクスとボクサーを区別しています)、トランクスも一般的ではなかったのではないかと思われます。あくまでマグルの世界の話ですが。

2001年といえば、スネイプ先生は既に亡くなっています。仮にスネイプ先生がマグルの情報をいち早く入手するタイプだったとしても、存命中には市場に出回っていなかったでしょう。
となると、やはり生涯白いブリーフ(が灰色に汚れたもの)を穿いていた、と考えて良いのではないでしょうか。スネイプ先生は、子どもの頃から慣れ親しんだ白いブリーフをずっと(もちろんサイズは変わりますが)愛用していたに違いありません。

箒なしで空飛ぶ方法 - 2016.07.03 Sun

昨日オフでハリポタを話していて、こんな話題になりました。
箒を使わず空を飛ぶことはヴォルデモートが開発した闇の魔術であり、闇の魔術と言われるからには、ホークラックスに準ずるような肉体改造的な何らかの禁忌を犯しているかもしれず、だとしたらそれを伝授されたスネイプ先生も同じような禁忌を犯していることになるけど、それだけは嫌だ、という話です。
私は肉体改造的な禁忌を犯した、という発想は全くなかったので驚くとともに、やはりとても嫌だと思いました。
 
「人の姿のままで、なんの助けも借りずに飛ぶことを可能にするような呪文は、いまだに考案されていない」(クィディッチ今昔第一章p.15)とありますから、開発したのがヴォルデモートなら、ホークラックスのように常人には考えられないようなおぞましい方法を取った、と考えるのは、むしろ自然なことかもしれません。
でも、私は敢えて肉体の改造なく行った、という方向で考えてみようと思います。魂と心に傷を負ったスネイプ先生を、これ以上傷つけたくはありませんから。

まず、闇の魔術と言われることについて。
闇の魔術、と呼ばれるから、魂を傷つけるホークラックス並みのおそましさを連想するかもしれませんが、実のところ、闇の魔術Dark magicにはJinxやHexも含まれており、程度の差は様々です。
「Hexes:
Has a connotation of dark magic, as do jinxes, but of a minor sort. I see 'hex' as slightly worse. I usually use 'jinx' for spells whose effects are irritating but amusing.
Curses:
Reserved for the worst kinds of dark magic.」(旧J.K.Rowling Official Siteのコピーサイトより)

言ってみれば、コウモリ鼻糞の呪いだって闇の魔術の一つになるわけです。
作者が、ヴォルデモートが箒なしで飛ぶことをどの程度の深刻さで「闇の魔術」と言ったのか、ソースを見つけられていないのですが、それほどおぞましいものとは限らないと思っています。

飛行ではありませんが、身体を浮上させる呪文はプリンスの開発したものとして登場しました。レビコーパスの反対呪文リベラコーパスを、ハリーは「反対呪文(counter-jinx)でありますようにと祈りながら(6巻上p.360かけていますが、そこにjinxが使われているならレビコーパスも闇の魔術の一種と思われます。
それが重力に逆らって身体を浮上させるという似たような働きをするにもかかわらず、術者のハリーも術をかけられたロンも、特別な肉体改造が必要ではなかったところを見ると、箒なしの飛行もその程度の可能性があります。

以前、Twitterで北アメリカの魔法使いの話題から、杖なしで魔法を使ったり箒なしで飛べる魔法使いはホグワーツにいますか?と尋ねられて、いいえ、箒を使う文化的な伝統があります、それに箒なしの飛行はとても危険です(No, there's a cultural tradition of using wands and broomless flight is (as you might imagine) very risky!)と作者は答えています。箒なしで飛ぶことは「本人にとって危険なことだから」敢えて禁忌を犯さない魔法、闇の魔法と呼ばれている可能性もあるのではないでしょうか。



飛ぶことについて。
これは鳥のように飛ぶのなら、翼とそれを動かせる筋力を得るために肉体改造は必要になってくるかと思います。
でも、飛行機のように飛ぶなら、揚力を得る魔法でなんとかなるのではないかと思います。天気を変える呪文があるなら、気流を調整する魔法だってさほど難しいとは思えません。
また、前述のレビコーパスもそれほど高い位置ではありませんが、重力に逆らって人を浮かべることができるし、モビリコーパスは浮かべた人を移動させることができます(これは意識のない状態の人を、物のように動かしただけかもしれませんが)
他人にかけるレビコーパスやモビリコーパスのような、ある程度似通った魔法から、応用で自分を浮かせて飛ぶことを思いついたとしたら、肉体的な変化はなくともできそうに思えます。

以上のことから、箒なしで飛べる魔法は、開発したのがヴォルデモートだったにせよ、魂だけでなく肉体まで傷つけるような方法ではなかった、と信じています。

汗(1巻) - 2016.06.01 Wed

ファンアートなどで、スネイプ先生が額などに汗をにじませている姿が好きです。
暑さや運動などでかく体温調節のための汗より、焦っている時とか、たじたじっとなっている時とか、やばいと思っている時とか、精神的なもの、緊張を伴うものが好きです(何の話をしているんでしょう?)あ、熱があったり、苦痛時の汗も好きです(^^;;

作品中でもそんな汗をかいている場面が結構あったのではないかと思い、探してみることにしました。妄想の目で見ればどこでも当てはまってしまいそうですから、それなりに説得力のありそうな場面に留めておこうと思いますが、無理かもしれません(笑)主観ばかりですが、良かったらお付き合いください。

・ハリーが入学してきた日
クィレル先生のターバン越しに目が合う直前に初めてハリーは「ねっとりした髪、鉤鼻、土気色の顔をした先生」を認識するわけですが、スネイプ先生の方はハリーが大広間に入ってくる前からハリー・ポッターが来ることはわかっていて、一年生の列に視線をやって、その中から簡単に見つけて、組み分けの儀式を背後から見て、ハリーが教職員テーブル見る時は視線を外して、そうじゃない時にこっそり見て、ということをやっていたのなら、脇汗くらいはかいていたのではないかと思います。
目が合った時、「大嫌い」という目をしていた、とハリーは感じますが、最期に言った言葉からしてもハリーの目にリリーを見ていたことは間違いなく、最初に目が合った瞬間のドキドキ加減はいかばかりか、と思います。その日は二度と目が合わなかったことからも、かなり注意深く過ごしていたと思われ、目が合った時のショックと伝う冷や汗を想像します。

・初授業
この時ハリーはスネイプ先生の目を「冷たくてうつろで暗いトンネルを思わせた」と見ているので、スネイプ先生は閉心術で武装して授業に臨んだのだと思います。色々シミュレーションしていたと思われ、大抵のことには動じず、自分のペースで授業を進めているように見えます。ただ、ハリーが『頑張って、冷たい目をまっすぐに見つめ続けた』時は、次の質問をすることで耐えたんじゃないかな、と思われ、そこにわずかな汗は期待したいところです(妄想の目を通さない決意が揺らぐ)
ネビルが鍋を溶かす、というのも怒鳴っているところを見ると、不安の表れのようで、この時も脇汗出てたんじゃないかと思います。

・ハロウィーンの日
トロールが地下室に現れたと聞いて、スネイプ先生が向かった先は4階でした。1階の大広間から急ぎ足で4階まで行ったスネイプ先生は普通に汗をかいていたと思います。
しかし、肝心なのはその後です。三頭犬に脚を噛まれた後に女子トイレ(何階なのか不明、反対方向に行こうとするハッフルパフ生に紛れ込んだのと、音を階下の誰かが聞きつけたと言っているので1階?)までやってきたスネイプ先生、映画ではこの時ハリーに足の傷を見られていますが、原作では何も気づかれていません。後に脚を引きずって歩く姿が目撃されていますが、この脚で階段を降り、何事も無いように振舞うスネイプ先生、痛みに冷や汗が出ていたかな、と思います。

・片足引きずって歩く場面
傷のある脚は、体重を乗せられないほど痛むから引きずるのです。ロンが望む通り、ものすごく痛くて、そして額にはじんわり汗がにじんでいたと思います(妄想です)

・ハリーにズタズタの脚を見られた時
「ポッター!」と声を荒げ、急いでガウンを降ろして隠したスネイプ先生、相当狼狽しているようです。これは漫画などであたふたしている時に描かれる💦💦がふさわしく思います。ついでですが、唾も飛んでいたと思います(笑)

・反対呪文をかけている時
クィディッチの試合中、クィレル先生の呪いに対して反対呪文を唱えている時、ハリーから目を反らさず、背後のハーマイオニーにも気づかず一心に呪文を唱えるスネイプ先生、一瞬の気の緩みがハリーを箒から振り落とすことになりますから、とても緊張していたと思います。杖を握る手は、手汗に湿っていたかもしれません。

・クィディッチ審判の時
スネイプ先生は箒は得意ではないと私は考えているので、そもそも箒に乗って選手の動きについていくこと自体とても大変なことだと思います。本来の目的は、ハリーがクィレルの呪いを受けないことにあったわけですから、いくらダンブルドアが見ていたとしても、やはりハリーの動きも捉えつつ、審判としての役割を果たさなければならなかったとしたら、身体への負担は相当なもの、終了時に青白い顔をしていたのも頷けます。相当冷や汗かいていたんじゃないでしょうか。

・クィレルを脅していた場面
ここは判断に迷うところです。どの程度ヴォルデモートを意識していたかがわからないので。クィレルだけを相手にしているつもりなら、余裕でしょうが、後頭部にいることは知らなくてもヴォルデモートの存在を感じていたら、口ほどの余裕はなく、慎重に言葉を選ぼうとする態度は汗をかかせていたのではないかと思います。

・寮杯がスリザリンではなくグりフィンドールに与えられるとわかった時
苦々しげな作り笑いでマクゴナガル先生と握手している時、驚きや怒りなどの感情を押し殺し笑って握手するスネイプ先生に敬意を表しますが、ねっとりした髪の下、頭皮を伝う怒りの汗はあったと思います。

記念の日に - 2016.05.02 Mon

今日、5/2はホグワーツの決戦の日。
物語中では1998年の出来事でしたから、今日は18年目の記念日ということになります。

7巻31章「ホグワーツの戦い」を昨晩読み返そうと思いました。
読み始めて間もなく、大広間に集められた生徒達の中のスリザリンの女子生徒が「スネイプ先生はどこですか?」と叫びました。
マクゴナガル先生は「スネイプ先生は、俗な言葉で言いますと、ずらかりました」(7巻31章p.331)と答え、その答えにグリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクローの寮生たちから大歓声が上がった、という記述があり、私は打ちのめされました。

生徒も先生も何も知らないとは言え、スネイプ先生が闇の陣営に属していると思われていたとは言え、あまりにも残酷な描写ではないでしょうか。元寮監で現校長のスネイプ先生はスリザリン生にとってスラグホーンよりずっと身近で頼れる存在だったはず。その姿が見えず、不安に思ったから女子生徒は叫んだのではないですか?
俗な言葉と前置きして茶化して説明したマクゴナガル先生も、大歓声を上げた他の寮生たちも、後に真実を知って、少しでも胸を痛めてくれたら、と思います。

18年経った今も、きっとイギリスのどこかにこの場に居て生き残った人々がいるはず。
今の平和は、ハリー・ポッターとその友人たちの協力だけで得られたものでないことを、記念のこの日に思い出して欲しいです。

姿現し - 2016.04.13 Wed

6巻を読み返していて、ふと『姿現し』のことが気になりました。
魔法省の講師トワイクロスが教えた『姿現し』、その時彼は覚えておかなければならない大切なこと、として三つのDを挙げました。「どこへ、どうしても、どういう意図で」
これは、英語ではDestination(目的地), Determination(決意、決断力), Deliberation(熟考、熟慮)となっています。(だいたい同じ意味になっているところがすごいです!)

初めての『姿現し』の練習で、ハッフルパフのスーザン・ボーンズにばらけが起こった時、トワイクロスは「心が十分に「どうしても(Determination)と決意していない時に起こります」(6巻18章、p.97)と言いました。
けれど、「どうしても」が足りなかったにしても、わずかでも移動できたのはスーザンだけのようでした。
ハリーはこの時上の空だったので仕方ないかもしれませんが、それなりに真剣に取り組んでいる生徒のほとんどが失敗していることを考えると、この実技、どういう生徒に向き、スネイプ先生は学生時代どういう取り組み方をしたのかと考えたくなります。

ロンはかなり苦戦し「『姿現し』のコツがどうしてもつかめないんだ」(6巻21章p.213)と嘆く場面がありました。
ハーマイオニーは「ばっちり」で、試験後にトワイクロスにかなり褒められたようです。ハリーが試験を受けたのかどうかは明らかではありませんが、練習ではロンより早く成功していたし、洞窟からダンブルドアを連れ帰ることができたし、その実力は確かなようです。

全ての「D」が噛み合って成功するのだと思いますが、未熟者の成功を妨げているのは、「どうしても」と「どういう意図で」が大きいように思います。ロンは試験で目的地がずれてしまいましたが、それは大きな減点にはならなかったようですし。
割と体で覚える系の魔法は苦手そうなハーマイオニーが上手くできたのも、「決意」と「熟考」が求められるなら、それは得意な分野だったのだと思われます。ハリーも同様です。意志の強い人ほど習得し易いイメージです。

では、学生セブルスはどうだったでしょう?
「決意」と「熟考」も長けていたと考えるので、体得は早かったと推測しています。
元々の気質もそうですが、5年生でO.W.L試験を受けた日にリリーに死喰い人になろうとしていることを否定しない、と言われている点から、死喰い人に片足入れていたと思われ、その活動に必要そうな全ての魔法や技術は手に入れたいという決意は強かったのではないかと思います。また、空間を移動すること自体への学術的な興味も強かったのではないでしょうか。
きっと誰よりも早く『姿現し』できるようになって、試験も難なくクリアしたと思います。

それでも、ハリーたちの練習で最初に誰も成功しなかったのに、トワイクロスが「かまわん、かまわん」と集団よろけ状態以上のことを期待していなかった様子を見ると、誰も皆初回は上手くいかないものだということでしょう。
大広間で、1.5m間隔に生徒たちが並ぶ中の一人として、前に置いた輪っかに意識を集中させ、回転してよろける学生セブルスを想像すると実に楽しいです。よろける姿、大好きです(笑)

エイプリルフール企画 - 2016.04.01 Fri

今年は時間がなくてテンプレートを替えることはできなかったのですが、せめて、パスワードがないと開かない場所を用意しました(一つ前の記事です)
正確には、パスワードを導き出すためのクイズを楽しんでいただくことがメインで、鍵を開けた先には今回も大したものはご用意できていませんが……。
この場所を含め、四つの場所にヒントがあります。詳しくは、「こちら」をご覧ください。

第三のヒント

ベールの向こう - 2016.03.10 Thu

先日、「ベールの彼方に の全体的な解釈をお聞かせ下さい」「シリウスの遺体が消えて無くなってしまったことの解釈をお聞かせ下さい」という質問を受けました。いつもスネイプ先生のことしか考えていない私には、とても難しい質問でした。
その方は、作者の都合でシリウスの遺体がなかった、その行く末を書くことが、もうめんどくさくなっちゃったのかな?とお考えのようでしたが、私はそもそも作品全体が作者の都合だと捉えていて、作者の都合は登場人物のセリフや行動、世界観に反映されていると考えているので、きっと何か理由はあると思って考えてみました。

作品の中の死には、作者の死生観が強く影響します。作者に信仰があるなら、宗教との関わりも無視できません。この場合はキリスト教ですが、さすがにキリスト教の死生観を調べて咀嚼して飲み込んで消化するのは一朝一夕にはできませんから、そこは一切省いて考えてみました。

私は、ベールはこの世とあの世を隔てる物として考えています。
つまり、あの世はハリー・ポッターの世界に確実に存在する、という考えです。
そこに存在するのは死者の魂です。
死んで身体だけこの世に残り、魂が向かうのがあの世(天国)だと思っています。
傷ついたり分割して物体に収めることのできる物として扱われた魂は、心よりもずっと確かな物としてハリポタの世界に存在しています。
ゴーストのことを、「この世を離れた魂が地上に残した痕跡だ」(6巻p.)とスネイプ先生が授業で説明しています。
また、ニックは「私は残ることを選びました」「私がいるのは、ここでも向こうでもないのですから」(5巻38章p.684)と言っています。、生きた肉体からは離れたけれど、ベールの向こうの世界に行くことを拒んだ魂がゴーストなのだと思います。

シリウスが身体ごと消えてしまったことについては、死は「不可逆反応」だということを知らせるためのものだと解釈しました。一方通行の反応だということです。

魔法使いは、魔法によってこぼれた水も盆に返せますし、アイテムを使えば時間だって遡ることができます。
マグルがやり直したいことは大抵魔法でできてしまう。
ただ、死だけは逃れることができない。一度死んだら何をしても生き返れない。
ヴォルデモートが死を恐れるのも、自分の力ではどうすることもできないとわかっているからだと思います。

たぶん、シリウスは生きたままアーチをくぐったのだと思います。
なぜなら、ベラトリックスの呪文は胸に当たった時はまだ笑顔だったのに、アーチをくぐる時は恐れと驚きの入り混じった表情になっていたからです。
生きたまま向こうに行ったのに帰ってこられない、これこそが、一方通行を決定付ける表現だと思います。

上にも書きましたが、ハリポタの世界では、魂は心よりずっと確かな存在として描かれています。
傷ついたり分けることができたり、ディメンターが魂を吸い取るという表現も、体が傷ついても魂は無傷という表現も、魂は身体の中にありながら別の物として存在していることを表しています。
通常は身体から魂だけがアーチの向こうに行くものなのでしょうが(行くことを拒むとゴーストになる)、シリウスの場合は身体ごと行ってしまった。
それでも、魂が行ってしまえば戻る術(すべ)はない、という非情さを知らせる手段がアーチにかかったベールだったと私は考えています。生きた人間が行っても戻って来られないからこそ、ルーピンはハリーが行ってしまわないようになんとか抑えていたのだと思います。

ただ、神秘部ではアーチの研究をし続けているようですから、いずれ魔法使いは向こうの世界と行き来できるようになるかもしれませんし、その時にシリウスが戻ってくるための布石かもしれないと思っています。

白髪 - 2016.02.08 Mon

先日同級生が数人集まる機会があり、白髪の混じり具合に個人差があることに気付きました。
白髪の個人差というとまずルーピン先生を思い出します。

ルーピン先生が初めて登場した3巻に
まだかなり若いのに鳶色の髪は白髪混じりだった(3巻5章p.99)
と書かれています。
この時、ルーピン先生は33歳でした。33歳で白髪が混じっているのはやはりまだ早いでしょうか。スネイプ先生はどうだったのでしょう?

ここに気になる文章があります。
ポッターモアにリータの言葉として書かれていたローリングさんの文章です。
ポタモアがリニューアルした時、ほとんどの記事(英語のみ)が新サイトに引き継がれたのですが、リータの記事は検索しても見当たらないので、削除されてしまったのかもしれません。
ポッターマニアさんに和訳の記事が残っているのでリンクします。
和訳のあるポッターマニアさんの記事
2014年7月8日に開催されたクィディッチワールドカップの決勝に現れたポッター一家の様子を書いた中に、「間もなく34歳になるこの有名な『闇祓い』の黒髪には数本白い物が混じっている」と書かれているのです。
ちょうど3巻のルーピン先生と同じくらいの年齢のハリーには、白髪があった、ということですね。

ローリングさんが書いた文章ではありませんが、映画の「19年後」の場面には、皆少し白髪も混じっていたようです。この時ハリーは37歳ですからさらに白髪も増えていたかもしれません。(『19年後』は来年ですね!)
19年後について、これもまたポッターマニアさんでまとめた記事があり、そこに白髪についても触れられていたので、ご覧ください。
知っておきたいハリー・ポッター「19年後」に関する26の真実

何が言いたいのかというと、33歳のルーピン先生は33歳にしては白髪が多すぎたのは確かでしょうが、33歳のハリーの髪に白髪を混ぜたローリングさんの文章にしても、37歳のハリーたちに白髪を入れた映画関係者にしても、30代ではある程度白髪があるのが当然と考えているのではないか、ということです。
で、作品中31歳から38歳までの姿を見せてくれたスネイプ先生にも、やっぱり少なくとも数本くらいは白髪はあったのではないかな、と思うのです。

しかし一方で、特に描写がないなら、白髪も目立たなかったのだろうか、とも思います。
結構ハリーはスネイプ先生以外でも他人の髪の毛を見ているようで、ボウボウと長い髪(ハグリッド)、栗色の髪がフサフサして(ハーマイオニー)、流れるような銀色の髪(ダンブルドア)、白髪を短く切り(マダム・フーチ)、金色に輝くブロンドの髪(ロックハート)、バサバサの白髪頭(スプラウト先生)…など色々な表現が出てきます。
スネイプ先生はねっとりとした黒髪とか、脂っこい黒髪を肩まで伸ばし、べっとりとした髪、などと毎回脂っこさばかり強調されていて、色も黒としか表現されていません。
もし、ハリーが年の経過と共にスネイプ先生の髪に新しい特徴を見出したら、何らかの(悪意ある)表現をしたのではないかという気もします。ルーピンのことは、年を追うごとにみすぼらしく、白髪が増えているように表現しているのですから。

1997年の6月にスネイプ先生を見た後、翌年の5月1日に見るまでハリーはスネイプ先生をほとんど1年、生で見ていなかったわけですが(新聞の写真やヴォルデモートとの繋がりでは何度か見ていましたが)、心に憎しみが煮えたぎった状態で改めて外見的な特徴に言及したハリーは、白髪のことまでは触れませんでした。憎しみの余り新しい特徴に気付く余裕がなかったのでしょうか。

物語中の7年という時の流れの中で、生徒達の成長だけでなく、スネイプ先生にも外見な変化はあったと思うのです。
むしろルーピンより心労はあったように思われ、顔色は常に悪く痩せていた様子を見ても栄養状態だって良好とは言えないようだし、髪が健康な状態だったとも思えません。
ハリーにはスネイプ先生の外見の経時変化に、もう少し気付いて欲しかったです。

スネイプ先生お誕生日おめでとうございます! - 2016.01.09 Sat

スネイプ先生、お誕生日おめでとうございます!
今年もスネイプ先生を愛する方々と先生のお誕生日をお祝いするつもりです。
まだ日付が変わったばかりなので、ケーキは去年の物を上げておきます。
IMG_2577a.jpg
スネイプ先生のベッド型ケーキ
IMG_2579a.jpg
羊皮紙風のメッセージカード
今年のケーキがどんなものになるかは、後日日記の方でご確認ください。

先日ローリングさんの語ったスネイプ先生の内面に、すっかり気持ちを挫かれてしまった私でしたが、その後色々な方とお話しするうちに再びスネイプ先生のことを考えようという気持ちが湧いてきました。
私に火をつけたのは、ポッターマニアさんのこの記事です。
ヘドウィグを殺したのはスネイプ?新説がネットで話題に

これをTwitterで見た私はこう言いました。



これに対し、ポッターマニアさんから反応がありました。



このリプライをいただいた時、私はスネイプ先生がルーピンの守っているハリー(実際はジョージ)を本物だと思わないで追うとは考えてもいなかったので、どういう意味なのか理解できず、まだそれぞれの目的地に向かう前の話をしているのだと思いました。

後に、別なスネイプ先生ファンの方とお話ししたら、その方はスネイプ先生が、どの組が本物かわからないまま適当な組を追った可能性も50%くらい考えている、とおっしゃり、その時初めてそういう可能性もあったのか!と思いました。

私の思い込みだと判明したわけですが、どう考え直しても、私のイメージするスネイプ先生は、本物だと思わない組を追ったりしないことも判明しました。
つまり、7組のポッター&護衛がいた時、たとえヴォルデモートから「おまえはマッドアイを追え」と言われたとしても、やっぱり自分の信じるところの組を追ったと思うのです。後でその点責められても、上手く言い逃れる術(すべ)は、持っていたと思うし。
ヴォルデモート自身、最初はまっすぐマッドアイ組を追い、マッドアイの顔に呪いが命中して墜落してからは、キングズリーの組を追い、ハグリッドが守るハリーが本物だと知らされた時点で本物の所に追いついています。
ヴォルデモートだって適当に追ったのではなく、護衛の能力の高さから判断して選んだのだと思うし、スネイプ先生はスネイプ先生で、「箒」と「ルーピン」という組み合わせで選んだのだと私は思います。
ハリーの箒の乗り手としての腕と、ルーピンがハリーを大切に思う気持ちやルーピン自身の能力の高さとを総合して、「これだ」と思ったからこそ、急襲のどさくさの中から抜け出した組のうちルーピン組について行ったのだと信じています。
ダンブルドアに言われた「もっともらしくきみの役割を果たせ」の指示も、自分の信じるハリーと護衛の組を守る点では逸脱せず、他の部分で死喰い人らしく振舞おうとし、事故によって結局大変死喰い人らしい役割を果たしてしまったのだと考えています。

上記の文章を書くのにそれほど時間はかかりませんでした。
自分の思うところを一気に書きたいという衝動は久しぶりです。
反論されると自分の考えがまとまるのでとても燃えます(笑)
作者によって明らかにされる事実はどんどん増えてきますが、まだまだ語る余地は残っていると確信した出来事でした。
私は私のスネイプ先生像を、これからも追求していこうと思います。

8年 - 2015.12.02 Wed

私がスネイプ先生の死を知って今日で8年になりました。本当の命日ではないけれど、今も私にとっては12/2は重要な日です。8年前の今日は、人目を忍んでだいぶ泣きました。

何年も経つうちに、その悲しみも癒され、静かにこの日を迎えるようになっていたのですが、つい先日、ローリングさんがまたも思いがけない事をTwitter上で発言して、久しぶりに心を乱されてしまいました。
スネイプ先生が何のために死んだか、何をしたかったかを、ファンの質問に答える形で語ったのですが、それはまさに私が一生かかって考え続けたい、と思っていたことでした。

人の心の内など、当人ですらわからないものだし、ましてや他人などには一生かけてもわからないでしょうから、ライフワークになるな、と思っていたのですが、実在の人物と違って、物語の登場人物には創造主がいたのです。神とも呼べるその人が、こうである、と語ってしまったら、私はそれを受け入れるしかありませんでした。考えたこともないような突飛な話ではなく、むしろ私も「すかな?」とは思ったことのある内容ですが、確定しないでいて欲しかったです。

今回わかったことですが、私の楽しみ方は、キャラクターを自分の中で発展させるタイプではなく、作者が描いた通りのスネイプ先生の姿を探すことにありました。元々は何を考えているかわからないスネイプ先生の人物像を私の中で明らかにする目的で始めたブログでしたが、人物像がある程度定まった後、私が目指したのは、作者が描いた真のスネイプ先生の姿を見つけることでした。「私の解釈=作者の言いたかったこと」になるようにしたかったのです。

スネイプ先生の中に一本通っているすじが何なのかよくわからないまま、ぶれないその姿に惚れ込んで、芯にあるものはずっと考え続ければ良い、私自身年齢によって見方も変わるのだし、と長い目で見ていく気満々でした。
ところが、それが明かされてしまったのです。

前述の通り、私は私なりの解釈でスネイプ先生の人物像を作り上げることより、作者が描きたかったスネイプ先生という人物を『探す』ことに重きを置いていたため、スネイプ先生のことをもっともっと知りたい、という熱い気持を失ってしまいました。
これは本当に辛いことで、知りたい気持ちを失ったとわかった日、涙が止まらず、久しぶりに泣きながら寝ました。翌日、泣き腫らした目は一日中痛くて、その感覚は8年前のスネイプ先生の死を知った翌日にそっくりでした。
スネイプ先生には本当に泣かされます(笑)

今回はまるで涙の質が違いって戸惑っていますが、これだけ泣けるなら、愛まで失ったわけではないと信じたいです。表現の方法がわからなくなっただけで。
しばらくは迷走しつつ、自分の気持ちに向き合い、今後の在り方を考えようと思っています。

ローリングさんの言葉の日本語訳がポッターマニアさんにあるので、まだご存知ない方はそちらをご覧ください。
ハリー・ポッターが息子にスネイプの名前をつけた理由

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スネイプ先生への愛を語らずにはいられません。         

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